ひとは名誉や名声を競い合うけど、阿呆を競い合うことはない。阿呆は互いに、お前こそ阿呆だというけれど、俺こそ阿呆だとはいわない。周りから見れば同じ阿呆なのだが・・・、阿呆がそういうのだから間違いない。
マトリョーシカ人形のように阿呆はきりがない。だったら、阿呆と互いに承知すれば通じ合うのに、そうならないのが惜しい。
昨日のブログに「阿呆船」から探したが、今日はエラスムスの1511年に刊行した「痴愚神礼讃(Encomium Moriae)」(二宮敬訳)から抜き出してみよう。女神がいうには・・・。
(本ブログ関連:”痴愚神礼讃”、”阿呆船”)
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28 さて今度は、さまざまな技芸のお話をしましょう。このうえもなく優れているように思われる多くの知識を、いったいどうして人間は考え出したり、あとへ伝えたりしたのでしょうかしら? 名誉欲からでないとしたらばね。実際、阿呆の骨頂たる人間どもは、徹夜を重ね汗水流したあげくの果てに、名声という世のなかでもまさにいちばん空しいものを手に入れたつもりになっていたわけなのですよ。皆さんだってやはり、この痴愚の女神のおかげで、人生のあらゆる貴重な利便の余慶にあずかっていらっしゃるのですし、さらに、これはなによりも楽しいことですが、皆さんは他人の阿呆さを利用していらっしゃるのです。
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