何かよいものはないか、何処かにあるに違いないと探し回り、とどのつまりはたまらない。それもそのはず、安い麻袋に放り込んだが、袋の底が破れていて、何もかも漏れ落とし、軽いのは力が付いたからと勘違いして、後ろを確かめることもしない。
そんな「明け暮れ阿呆」について語る詩がある。S.ブラントが1494年に著した風刺詩集の「阿呆船(Das Narrenschiff )」(尾崎盛景訳)に次のように語られている。(エラスムスの「痴愚神礼讃」(1511年)とともに気休めに活用する)
(本ブログ関連:”阿呆船”)
いろいろよいこと聞きながら
少しも知恵が増しもせず、
何でもかんでも聞きたがり、
ちっともそれでよくならず、
見るもの何でも欲しがって、
いつになってもかっこ鳥。
新しいものならとびついて、
そのすぐ後で熱がさめ、
またほかのものに手をのばす、
阿呆の持病じゃなかろうか。
・・・
この阿呆船には、いずれも阿呆がちりばめられ、もしもそこから漏れているなら名乗り出よとのこと。いやはや、どれもこれもわが身に立ち返ることしきり。阿呆さ加減を思い知ることになる。
2019年3月23日土曜日
2019年3月24日日曜日
痴愚神礼讃
ひとは名誉や名声を競い合うけど、阿呆を競い合うことはない。阿呆は互いに、お前こそ阿呆だというけれど、俺こそ阿呆だとはいわない。周りから見れば同じ阿呆なのだが・・・、阿呆がそういうのだから間違いない。
マトリョーシカ人形のように阿呆はきりがない。だったら、阿呆と互いに承知すれば通じ合うのに、そうならないのが惜しい。
昨日のブログに「阿呆船」から探したが、今日はエラスムスの1511年に刊行した「痴愚神礼讃(Encomium Moriae)」(二宮敬訳)から抜き出してみよう。女神がいうには・・・。
(本ブログ関連:”痴愚神礼讃”、”阿呆船”)
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28 さて今度は、さまざまな技芸のお話をしましょう。このうえもなく優れているように思われる多くの知識を、いったいどうして人間は考え出したり、あとへ伝えたりしたのでしょうかしら? 名誉欲からでないとしたらばね。実際、阿呆の骨頂たる人間どもは、徹夜を重ね汗水流したあげくの果てに、名声という世のなかでもまさにいちばん空しいものを手に入れたつもりになっていたわけなのですよ。皆さんだってやはり、この痴愚の女神のおかげで、人生のあらゆる貴重な利便の余慶にあずかっていらっしゃるのですし、さらに、これはなによりも楽しいことですが、皆さんは他人の阿呆さを利用していらっしゃるのです。
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マトリョーシカ人形のように阿呆はきりがない。だったら、阿呆と互いに承知すれば通じ合うのに、そうならないのが惜しい。
昨日のブログに「阿呆船」から探したが、今日はエラスムスの1511年に刊行した「痴愚神礼讃(Encomium Moriae)」(二宮敬訳)から抜き出してみよう。女神がいうには・・・。
(本ブログ関連:”痴愚神礼讃”、”阿呆船”)
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28 さて今度は、さまざまな技芸のお話をしましょう。このうえもなく優れているように思われる多くの知識を、いったいどうして人間は考え出したり、あとへ伝えたりしたのでしょうかしら? 名誉欲からでないとしたらばね。実際、阿呆の骨頂たる人間どもは、徹夜を重ね汗水流したあげくの果てに、名声という世のなかでもまさにいちばん空しいものを手に入れたつもりになっていたわけなのですよ。皆さんだってやはり、この痴愚の女神のおかげで、人生のあらゆる貴重な利便の余慶にあずかっていらっしゃるのですし、さらに、これはなによりも楽しいことですが、皆さんは他人の阿呆さを利用していらっしゃるのです。
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2021年4月29日木曜日
アホウドリ
探鳥会のベテランの方からいただいた大部の鳥専門誌「BIRDER」のバックナンバーを順に見ていたら、2016年4月号に、外洋性の海鳥「アホウドリ」についての観察記があった。「ぶらり鳥見 散歩道」の連載があって、まさに春の4月にふさわしい「アホウドリが身近に感じる極上の船旅 (八丈島航路)」(筆者 ♪鳥くん)といったタイトルだ。
筆者は、伊豆七島南端の島である八丈島行きの客船「さるびあ丸」に乗船して、オープンデッキから洋上を飛翔するアホウドリをウォッチングする予定だった。しかし海が荒れて三宅島辺りで引き返すことになる。ようやく大島近くに戻ったころになってアホウドリをゆっくり観察できた。なのでいささか乗船記でもあるようだ。
ところで「アホウドリ」の表記に<阿保鳥>と<信天翁>があって、その由来について「野鳥の名前 名前の由来と語源」(著:安部直哉、写真:叶内拓哉、ヤマケイ文庫)は次のように紹介されている。
・<阿保鳥>について、知られたことだが飛翔の力が秀でているものの、脚が短いため地上での歩行動作が鈍いことから、上質の羽毛採取を目的に簡単にあやめられてきた。
・<信天翁>の方は、「天を信じ、天に身をまかせている翁」といった一見立派に聞こえるが、結局は「鈍で阿保な鳥」の暗喩といわれているという。
アホウドリは、そんなわけで分が悪いけれど、私は<阿呆>が好きだ。だからブログに阿保なことを記し続けている。
(本ブログ関連:”阿呆”)
以前も、アホウドリの<阿呆>さに触れた。ボードレールの詩集「惡の華」(訳:堀口大学、新潮文庫)には「信天翁(あほうどり)」の詩があって、それはまあ意地の悪い表現で書き連ねられている。(抜粋)
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しばしばよ、なぐさめに、船人(ふなびと)ら、
信天翁を生捕(いけど)るよ、
潮路(しおじ)の船に追いすがる
のどけき旅の道づれの海の巨鳥(おおどり)。
青ぞらの王者の鳥も
いま甲板(かんぱん)に据(す)えられて、
恥さらす姿も哀れ、両脇(りょうわき)に、
白妙(しろたえ)の両の翼(つばさ)の、邪魔げなる、櫂(かい)と似たりな。
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また、アホウドリの学名Phoebastria albatrusから、アルバトロスの名を持つ*。アルバトロスに阿呆の意はなく、むしろ漢字の信天翁の字面に近い印象がある。白髪の預言者なのかもしれない。また、ゴルフ用語にアルバトロスがあって、パーより3打数すくなくカップに入れることで、優れた飛翔力が要る**。
(*)野鳥の学名入門(菊池秀樹氏): http://yacho.org/cbird/pages/4_kazakiri/binomina.htm
(**)鎌倉パブリックゴルフ場: https://kamakura-pg.com/blog_meaning-of-the-albatross/
(余談)
● ところで子どものころ、ご多分にもれず飛行機ファンだった私は、雑誌「航空ファン」に連載された第一次大戦中のドイツの撃墜王、リヒトホーフェンの活躍を読んだ。貴族出身の彼は、乗機アルバトロスの複葉機を赤く塗装させた。それは、日本の戦国武将が<緋威の鎧(ひおどしのよろい)>をまとい存在を誇示したのに通じる気がする。
● 中島みゆきの歌に「あほう鳥」がある。歌詞はいかにも、あんちゃんとその女といった人物模様だが、次のような対の表現が面白い。(以下抜粋)
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あたしは とても おつむが軽い
あんたは とても 心が軽い
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余談の余談になってしまうが、彼女の「歌姫」にも印象深い対表現がある。
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男はいつも 嘘がうまいね
女よりも子供よりも 嘘がうまいね
女はいつも 嘘が好きだね
昨日よりも明日よりも 嘘が好きだね
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2025年8月28日木曜日
「醒睡笑」: 躻(うつけ)2
次の話は、重力を利用して、臼(うす)の中の米を杵(きね)で搗(つ)く作業の途中、ふと思いついたが、吟味不足のまま、すぐに披瀝してしまう「うつけ」がいる。粗忽さに通じる。
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ちっと、たくらだ(ばか)があって、人に向かって、「おれは日本一のことをたくみ出した」と吹聴する。「どんな事を」とたずねると、「されば。臼(うす)で米を搗(つ)くさまを見るに、下へ下る杵(きね)は役に立つが、上へあがる杵は無駄になっている。所詮、上にも臼をかいさま(さかさま)に吊って、それに米をいれて搗けば、上下両方の米がいちどに搗けて、杵の上げ下げがそつになるまい、と思案した」という。そのことばの終わらぬうちに、「その吊り下げる臼に米を入れるにはどうする」と問いつめると、「まことに、その思案はしなかった」。
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2025年6月28日土曜日
「醒睡笑」: 躻(うつけ)
今朝は目覚めが悪く、早朝の野鳥観察(探鳥会)参加を怠けてしまった。掛け時計の針がスローモーションのように進んでいくのを見ながら、ずるずると過ごすうち、集合時刻に間に合わなくなった。
昼に隣り街に出かけた帰り道、古本屋に寄って、平凡社の東洋文庫「醒睡笑」(安楽庵策伝* 集、 鈴木棠三 訳)を手にした。戦国時代の笑い話集で、いってみればポテトチップスを食べる感覚で読めばよい・・・つぎつぎ美味い話が飛び込んでくるのだ。編者の策伝は仏僧なれど、笑い話は宗教臭くない、それが良い。喫茶店でしばらく読んで賞味した。
(*)安楽庵策伝:天文23年(1554年)~ 寛永19年(1642年)
第二章の中の「躻(うつけ)」<愚か者の笑い・・・ばか、まぬけ、「躻」の字は、体の中に大切なものがあるべきなのに、それがないという国字> に、面白い阿保話があって、次のようなものがある。
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ある男が銭を隠すため地面に埋める時、「必ず人の目には蛇に見えて、わが見る時ばかり銭になれよ」と言っているのを、内の者が聞いていて、後で銭を掘り出し、代わりに蛇を入れておいた。例の亭主が後で掘ってみたら蛇が出て来たので、「やれ、おれじゃ。やれ、見忘れたか」と幾度も名のったのは、なかなかの聞き事だった。
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他にこんな話がある。男たちが三人集まって語り合った。しっかり者の家内について、唯一の欠点は怒ったときに亭主の頭を叩くことだと、二人とも同じことを口にした。三人目の男が「お前たちは日本一の躻(うつけ)者じゃ」といって、自分ならこうすると秘訣を得意気に披瀝した・・・「履物をはかずに逃げるがよい」と。
まあ云ってみれば、落語の原点であって、オチがある。そのためには、躻(うつけ)者=阿呆が必要のようだ。
(本ブログ関連:”落語”)
2013年5月3日金曜日
積ん読
音楽のオーディション番組で、歌手志望者が歌詞カードを手元にして歌ったところ、審査員が歌詞を暗記していないのは論外と厳しく叱責していた。コンサートで歌手が自分の持ち歌を多数諳んじて歌っているのに感心するが、プロとして当たり前のことなのだろう。
天才的な作曲家が幼い頃、一度聴いた合奏曲をスコアに記譜してピアノで演奏して見せたという逸話がある。そんな大それたことでなくてもよいが、外国語を一度聴けば記憶に残せる人がいたらうらやましい・・・まだ、そんな才人に会ったことはないけれど。
文字よりも、言霊に信が置かれていた時代には、一度聴けば記憶に残せる人がいたに違いない。今は、伝承が書物に置き換わってしまったので、そのような才人を表で見ることはない。
文字と書物と印刷術のおかげで、誰れでも平等に知識を得られるようになった・・・少なくとも視るレベルまでは。ただし、脳のなかで理解し記憶(定着)するという作業は、残念ながらどんなに技術が進歩しても平等ではない。
今は、誰れでも書籍を手に入れることができる時代だ。それで書籍を購入して身近に置くとなんとなく安心する・・・そんな経験が、資料をコピーしたりしたときにもある。
本は腐らない。次第に<積ん読>状態になってきて手に負えなくなる。
「まず皮切りに一踊り。/積んだ書物は山ほどあるが/とんと読みゃせぬわかりゃせぬ。」(「阿呆船(Das Narrenschiff )」、S.ブラント(Sebastian Brant)、訳:尾崎盛景)
天才的な作曲家が幼い頃、一度聴いた合奏曲をスコアに記譜してピアノで演奏して見せたという逸話がある。そんな大それたことでなくてもよいが、外国語を一度聴けば記憶に残せる人がいたらうらやましい・・・まだ、そんな才人に会ったことはないけれど。
文字よりも、言霊に信が置かれていた時代には、一度聴けば記憶に残せる人がいたに違いない。今は、伝承が書物に置き換わってしまったので、そのような才人を表で見ることはない。
文字と書物と印刷術のおかげで、誰れでも平等に知識を得られるようになった・・・少なくとも視るレベルまでは。ただし、脳のなかで理解し記憶(定着)するという作業は、残念ながらどんなに技術が進歩しても平等ではない。
今は、誰れでも書籍を手に入れることができる時代だ。それで書籍を購入して身近に置くとなんとなく安心する・・・そんな経験が、資料をコピーしたりしたときにもある。
本は腐らない。次第に<積ん読>状態になってきて手に負えなくなる。
「まず皮切りに一踊り。/積んだ書物は山ほどあるが/とんと読みゃせぬわかりゃせぬ。」(「阿呆船(Das Narrenschiff )」、S.ブラント(Sebastian Brant)、訳:尾崎盛景)
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