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2013年5月3日金曜日

積ん読

音楽のオーディション番組で、歌手志望者が歌詞カードを手元にして歌ったところ、審査員が歌詞を暗記していないのは論外と厳しく叱責していた。コンサートで歌手が自分の持ち歌を多数諳んじて歌っているのに感心するが、プロとして当たり前のことなのだろう。

天才的な作曲家が幼い頃、一度聴いた合奏曲をスコアに記譜してピアノで演奏して見せたという逸話がある。そんな大それたことでなくてもよいが、外国語を一度聴けば記憶に残せる人がいたらうらやましい・・・まだ、そんな才人に会ったことはないけれど。

文字よりも、言霊に信が置かれていた時代には、一度聴けば記憶に残せる人がいたに違いない。今は、伝承が書物に置き換わってしまったので、そのような才人を表で見ることはない。
文字と書物と印刷術のおかげで、誰れでも平等に知識を得られるようになった・・・少なくとも視るレベルまでは。ただし、脳のなかで理解し記憶(定着)するという作業は、残念ながらどんなに技術が進歩しても平等ではない。

今は、誰れでも書籍を手に入れることができる時代だ。それで書籍を購入して身近に置くとなんとなく安心する・・・そんな経験が、資料をコピーしたりしたときにもある。
本は腐らない。次第に<積ん読>状態になってきて手に負えなくなる。
「まず皮切りに一踊り。/積んだ書物は山ほどあるが/とんと読みゃせぬわかりゃせぬ。」(「阿呆船(Das Narrenschiff )」、S.ブラント(Sebastian Brant)、訳:尾崎盛景)