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2019年5月19日日曜日

落語噺を聴く

昔、職場の同僚と一緒に落語を聴きに行こうということで、「新宿末廣亭」に出かけたことがある。素人ファンでも知る有名な落語家たちが、綺羅星のごとく多数出演した。テレビやラジオで視聴するのと違い、直接生で聴く面白さを実感した。(他にも、上野の「鈴本演芸場」などへ行ったことがあるが、素人ファンの観光気分の域を出ていない)

(本ブログ関連:”落語”)

最近、近くの飯屋に入ったところ、テーブルに落語噺を聴く会の案内パンフレットが置いてあった。久しく落語を聞く機会がなく、フッと思いついたように関心が湧いてきて、店を出て直ぐに電話予約した。

落語会は小会場ながら、地元人びとが参加する、手作り感のある集いという気がしたが、実は、これまでに100回以上続く伝統を持ったものだった。(主催者に感謝)

< にわか・素人落語ファンが、修行を重ねた落語家について軽々語れる言葉はありません。大衆が酸いの甘いの経験して、長い熟成を経て紡ぎだした言葉が落語に集成され、それを語るに人生経験の裏打ちがあってこそといった気がします 。落語家は、常に緊張関係を持ったライブの演技者だと思います。>

出演の落語家と演目を次に記す(話された順ではない)。また、演目については、直接掲示されたわけではないが、Wikipediaにほぼ同じ内容が紹介されている。

林家正雀(8代目林家正蔵[後の林家彦六]に入門)
 ① 「紙入れ」
 ② 「百年目」

台所おさん(柳家花緑に入門)
高座名について、師匠の「花緑」の師匠である「五代目 柳家小さん」が「台所」の名を好んだというが、弟子にその名を受ける者がいなかったところ、台所おさんが自ら申し出たそうだ。
 ① 「抜け雀」(似た展開のものに「竹の水仙」がある)中国の奇聞・奇談にありそうな気がする・・・。
 ② 「芋俵」

林家彦星(林家正雀に入門、前座)
 ①「牛ほめ」

2011年5月1日日曜日

桂歌丸 芸歴六十周年記念興行

ゴールデンウィーク初めの今日、昔の仕事仲間と新大久保で昼飯(わたしは純豆腐チゲ)を食って界隈を素見(ひやか)し、その足で新宿「末廣亭」の五月上席昼の部「桂歌丸 芸歴六十周年記念興行」に行く。場内は満席で立ち見になった。落語観賞は、上野広小路亭で四代目三遊亭金馬、三代目三遊亭圓歌以来数年振りである。

失礼ながら漫才Wモアモアが演じる途中入場し、昼の部主任桂歌丸の落語「井戸の茶碗」まであっというまに時が過ぎた。その間に、先輩後輩からの落語家らしい粋な言葉が添えられて、桂歌丸から芸歴六十周年の口上があった。現在、落語芸術協会会長である彼は、1951年(昭和26年)に五代目古今亭今輔に入門して以来、今年で芸能生活60周年になる。今日は、芸能生活60周年記念興行の初日であもる。
口上のとき他の落語家と比べて色白く小柄に見えたが、落語「井戸の茶碗」では軽快によく通る声で生き生きと演じられた。

2025年9月3日水曜日

はい、乾燥しています

むかし、子どものころにラジオで聴いた落語の落ちに、「はい、乾燥しています」というのがあった。歳をとると老人は枯れて水気がなくなり、軽過ぎてついには湯船で浮かんでしまう。

この「乾燥してます」という言葉を覚えているが、落語家が誰だったか覚えていない・・・柳亭痴楽さんだったかどうか?

落語は、子どものころ、ラジオから耳に入ったもので、すこし大きくなってテレビでの視聴では何故か興が乗らなかった。大人になって、新宿末廣、上野鈴本を訪れたことがあるが、観光気分でしかなかった。

子ども時代、当時の三遊亭小金馬(三遊亭金翁、1929年[昭和4年] ~ 2022年[令和4年])さんが、テレビでマルサン*提供のプラモデルの番組司会をやられていた。だから、懐かしく上野鈴本でお顔を見に行ったとき、「わたしは、まだ死にませんから」という洒落をいわれた。観客の多くは、プラモデル草創期に子どもだった世代だ。
(*)マルサンの「マッチ箱シリーズ」こそ、プラモデルの初経験だった。

あした、8月の夏休みが明けて、今年後期の体操教室が始まる。年配者向けの軽い運動だ。

2026年7月27日月曜日

(Gemini)記憶の芸人たち、いつから高給取りになったか ①

このところ既視感にとらわれて、お笑い番組を見ることはない。お笑い界の、有吉弘行(元「猿岩石」)、大悟(「千鳥」)がなぜか両雄のような存在になっているが、正直、彼らの笑いに追いつけないでいる。

考えてみれば、ラジオや映画、テレビの時代を経て、お笑いを意識付けられたような気がする。夏の夜、「蚊帳(かや)」の中でラジオの「お父さんはお人好し」を聞いた記憶から始まる。親に連れられて見た映画の「社長シリーズ」で大人のとぼけた味わいを知るようにもなったし、テレビで日曜夕方の音楽ショー「シャボン玉ホリデー」を楽しみにしていた。

ここらあたりまでに、お笑いの基本を身に付けたと思う。それ以降は、少し遠くから見るようになったし、次第に既視感を深めていった・・・、それだけでない、芸人たちが芸人を起点に、存在を変質させたことに気づき始めた。お笑い芸そのものを楽しむ(楽しめる)といったことがなくなったからかもしれない。

(本ブログ関連:”(Gemini)記憶の芸人たち”)

以下、生成AIの Gemini に確かめながら、お笑い芸人の記憶を整理した。
これまで経験した、お笑い芸に次のような芸人・役者がいる。(伝説のエノケン(榎本健一)は申すまでもないのだが)

(本ブログ関連:”エノケン”、”落語”)


「花菱あちゃこ、伴順三郎」(戦前からの寄席・浅草軽演劇)
    ↓
「森繁久彌、三木のりへい」(昭和の映画黄金期・劇場喜劇)
    ↓
「植木等、ハナ肇とクレイジーキャッツ」(高度経済成長期の象徴、音楽と映画の融合)
    ↓
「コント55号、ザ・ドリフターズ」(1970年代、お茶の間のテレビバラエティ完成期) ← 既視感をぼつぼつ感じ始めた。
    ↓
「ビートたけし、明石家さんま、タモリ」(1980年代、漫才ブームと個人のトークの時代)

ペンキ屋の息子を謳(うた)い文句にしながら、超高級車を乗りまわしたり、黒澤風映画造りに邁進したかと思いきや、文化人語りをしてしまう豹変ぶりにいささか戸惑う。

■ Gemini

Q.いつごろから、芸人が高給取りになりましたか。むかしの芸人は、NHKに出演してもアナウンサーから正直、(露骨に)軽く扱われたことがありましたし、落語の師匠が裏長屋に住んでいたという話がありましたが。
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A.まさに仰る通りで、昭和初期や戦前・戦後の芸人さんは「一芸に秀でていても社会的地位は低く、宵越しの金は持たない」「NHKに出てもどこか端役に扱われる」というのが当たり前の時代がありました。

芸人が本当の意味で「夢のある高給取り」「世間が憧れる花形職業」になったのは、結論から言うと1980年代前半の「漫才ブーム」および「オレたちひょうきん族」の時代(昭和50年代後半)が決定的なターニングポイントです。

どのようなプロセスで芸人の待遇と社会的地位が上がっていったのか、3つの時代的ステップで紐解くとすっきり見えてきます。

1. 【昭和30〜40年代】映画とテレビ草創期:スターにはなったが「興行の世界」
映画黄金期の森繁久彌さんや、テレビ創世記の植木等さん(クレイジーキャッツ)、ザ・ドリフターズは大変な稼ぎ頭でした。しかし、この時代の高給はまだ「映画会社やプロダクション、あるいは興行(舞台)の取り分」が大きく、芸人個人の社会的な位置づけは「一ツの芸を売る河原乞食(かわらこじき)」という古くからの偏見を完全に脱せていませんでした。

NHKの番組などでも、落語家や漫才師は「余興(演芸)のゲスト」であり、アナウンサーや制作側が「正統な文化・報道」、芸人は「あくまてお慰み」という一線を画した扱いをされることが多くありました。

2. 【1980年代】決定打:「漫才ブーム」と「ひょうきん族」
芸人の収入とステータスが一気に跳ね上がったのは、1980年〜1982年頃の漫才ブームです。

過密スケジュールと高額ギャラ
B&B、ツービート(ビートたけし)、島田紳助・松本竜介、明石家さんまさんらが日替わりでヘリコプター移動をするほどの空前絶後のブームが起きました。ここでテレビ局間の争奪戦が起き、ギャラが跳ね上がります。

「タレント」から「番組の主役・文化人」へ
それまで「用意された台本通りに演じる」存在だった芸人が、自らの言葉(フリートーク)で番組を動かすようになります。たけしさんやさんまさんがテレビだけでなく深夜ラジオ(オールナイトニッポン等)で若者のカリスマとなり、文化人・ベストセラー作家としても扱われ始めました。

「芸人は儲かる」という認知
たけしさんらがテレビで「最高月収」や高級外車の話ネタをフランクに話し始めたことで、世間一般に「お笑い芸人は夢のように稼げる職業だ」という強烈なイメージが定着しました。

3. 【1990年代】「億単位」の定着と事務所のシステム化
1990年代に入ると、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン(第三世代)が20代〜30代前半で爆発的な人気を得ます。

この時期、大手芸能事務所(吉本興業や太田プロダクションなど)によるタレントマネジメントやCM契約のビジネスモデルが完全に確立されました。一組の芸人が冠番組を何本も持ち、大手企業のCMに起用されることで、「億単位の年収」が一部のトップ芸人だけでなく、売れっ子中堅層にまで広がる構造が完成したのです。

【まとめ】
裏長屋で貧乏に耐えながら芸を磨く「師匠と弟子」の世界から、テレビという巨大メディアの最高権力者(MC)へ。
芸人が高給取りになり、社会的な地位を一変させた最大の分岐点は、間違いなく <1980年代初頭(漫才ブーム〜ひょうきん族の時代)> でした。
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■ Youtube(登録: 長谷川良品「テレビ悲報ch」)
「タモリさん面白くない【批判が殺到する理由】ヒカル氏 カジサック 教養ない」(2026/04/26 )
    ー https://www.youtube.com/watch?v=KUDEERKVRjI


その後について:
    ↓
【1990年代前半】メガヒット番組の誕生(お笑い第三世代)
    ・とんねるず(石橋貴明、木梨憲武)
    ・ダウンタウン(浜田雅功、松本人志)
    ・ウッチャンナンチャン(内村光良、南原清隆)
    ↓
【1990年代後半〜2000年代前半】マルチ展開と雛壇(ひなだん)の完成
    ・ナインティナイン(岡村隆史、矢部浩之)
    ・くりぃむしちゅー、ネプチューン、ロンドンブーツ1号2号
    ↓
【2000年代後半〜2010年代】賞レースの権威化と多様化
    ・中川家、サンドウィッチマン、ブラックマヨネーズ
    ・千鳥、かまいたち

2015年11月20日金曜日

仙人になりたい

上方落語に「口入屋(くちいれや)」(職業斡旋所)がある。船場にある大店の一番番頭が、今度こそ美女が奉公に来るよう、丁稚を使って口入屋に頼む。望み通り美人の女中が来て、店の男たちは大騒ぎになる。早速、夜分に、二番番頭が二階で寝ている彼女に近づこうとする。そんなことを用心したおかみさんが、二階につながる梯子を外していたため、膳棚を使ってよじ登ろうとするが崩れてしまう。次に一番番頭も同様で、二人して棚を支える羽目になる。また、手代は天窓の紐を使ってよじ登ろうとするが、紐が切れて池に落ちてしまう。・・・どれだけドタバタなことだろう。

美女に近づこうとして、夜中に棚を担いだり、池に落ちたりする凡人の滑稽な結末だが、仙人とて同じこと。久米仙人は、久米川の川辺で洗濯する若い女の脛(すね)足を見るや、飛術に失敗して墜落する。久米仙人に、凡人ながら共感してしまうのは私だけではないだろう。

芥川龍之介に「仙人」という短編がある。何をヒントにしたのだろうか、次のような話である。

その昔、大阪の口入屋に、不老不死の仙人になりたいと、権助という者が頼みに来た。口入屋は思案にくれるが、医者の家にひとまず奉公させることにする。
仙人になりたいと申し出る権助に、医者がなぜなりたいのかと問えば、大阪城の太閤様もいずれ死ぬ、栄耀栄華のはかなさからという。そこで、狡猾な医者の女房は、仙人になる術を教える口実に、二十年間ただ働きの約束をさせる。
そして、二十年目を迎えて、権助は仙人の秘術を願い出る。すると、何を思ったか医者の女房は、庭の松の木の一番高い梢にまで登らせて、しかも両手を離させたのだ。落下すれば、下の石に当たって命はない。
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権助はその言葉が終らない内に、思い切って左手も放しました。何しろ木の上に登ったまま、両手とも放してしまったのですから、落ちずにいる訣はありません。あっと云う間に権助の体は、権助の着ていた紋附の羽織は、松の梢から離れました。が、離れたと思うと落ちもせずに、不思議にも昼間の中空へ、まるで操つり人形のように、ちゃんと立止ったではありませんか?
「どうも難有うございます。おかげ様で私も一人前の仙人になれました。」
権助は叮嚀に御時宜をすると、静かに青空を踏みながら、だんだん高い雲の中へ昇って行ってしまいました。
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まるで落語のようだが、落ちに、落ちることのない話しだ。仙人のごとく空中に浮かんだ権助がうらやましく思える。彼は自ずから飛ぶ術を体得してしまったのだから。しかも、近所の日常のなかで成し遂げた。

(本ブログ関連:”仙人”)

2025年8月4日月曜日

甚平、ステテコ

オヤジの夏着に「甚平」がある。最近、姿を目にしなくなった。むかしの夕べに、庭や路地に打ち水すれば、昼間の熱気も落ち着いたりしたもの。そんなとき、甚平もほどよかったが、夕立もないこのごろは、暑さが居座る。甚平姿になるより、エアコンを効かした部屋にこもった方がよほど良い。

そうなると、甚平の出番もなくなるというもの。布地がゴワゴワするのが一層気になる。それじゃあ、白い「ステテコ」一丁になって、上半身は何も着ず、濡れタオルを両肩にしょわして冷やすのも一案。いってみりゃ、昭和の下町、路地裏界隈といったところか。

明治中期に、落語家初代三遊亭圓遊が考案した「ステテコ踊り」があったそうだが、季節感は特にないものの、とりあえずステテコ姿(半股引)から夏場がイメージされたろうけど。芸者*がおどけて踊ればちょいと可笑し気で、落語家の場合どんな按配だったやら。
(*)芸者の衣裳は、当然ながら正装で、呑気そうな身のこなしをするだけ。

さて、きょうの最高気温は 37.0℃、あすは何と 39.3℃ と予報されている。

2019年11月24日日曜日

(雑談)お前は誰だ

昨日から続いた雨も昼ごろに止んで、午後は曇り空とはいえ路面もすっかり乾いた。おまけに、一昨日、昨日と寒い日が続いたが、きょうは少し気温が戻りおだやかに和む思いがした。
ちなみに、都心のここ数日の<最高気温>は次の通り。
・一昨日(11/22): 10.8℃  ← 今月中で一番寒かった
・昨日(11/23)   : 13.0℃
・きょう(11/24): 19.1℃(13:49)

そんなわけで、拍子抜けする話を探してみた。

先日(11/17)手にした「江戸奇談怪談集」(須永朝彦 編著、ちくま学芸文庫)の<怪談>編に、「狗張子(いぬはりこ)」に採録の「死して二人となる」の話がある。死者とウリ二つの男がたずねて来てひと騒動起すという、一口噺というか一息噺があって、落語に通じる可笑しさがある。要約すると次の通り。
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小田原城下の百姓村で、中間(ちゅうげん:侍の下、小者の上)が死んだ。村人が夜更けに埋葬しようとしていたとき、ある男が突然訪ねてきて、遺体のそばに座って啼き出した。すると、死んだはずの中間が起きあがり、二人は殴り合いを始めた。驚いた村人は逃げ出し、日暮れに部屋をふたたび覗き込んだところ、うり二つ(顔形から衣服まで)の二人が倒れていた。ひとびとは男たちを同じ棺に納めて塚を築いたという。
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二人の一方は既に死んでいるのだから、「ドッペルゲンガー」の逆バージョンというべきか。自分と自分の影とでもいうべき存在について、ヨーロッパ的な自我は意外と脆いのかもしれない。東洋というか日本には、そんな幻視はなかったのではないだろうか。ただ、視点のでんぐり返しを楽しんでいた節はあるようだ。

落語に、以前(2017/3/8)のブログで触れたように、自分の死体を引取りに行くという「粗忽長屋」がある。かつぐ当人が、自分がいったい誰だか分からなくなるという可笑しみがある。

(本ブログ関連:”粗忽長屋”)

2024年10月9日水曜日

うどんが美味い季節になった(時うどん)

急な冷え込みにおどろいて*、体を温めようと熱い「うどん」を食った。それも変則な食い方だが、ホワイトシチューと一緒にして。とろみがあると、いっそう暖かくなる(気がする)。
(*)ブログを遡ってみると、10月中旬ころからストーブを点け付け始めている。

うどんも蕎麦も、本来アッサリ食うのがよい。立ち食いそば屋は、男たちのオアシスであり通過点である。長居するところではない。江戸時代、握り寿司も屋台に発しており、数個食らってさっと立ち去るのが粋だった。

ところで、江戸落語に「時そば」があり、二八そばの屋台で勘定のとき、時刻を絡ませて支払いを誤魔化す場面を見た男が、それを真似したところ時刻のせいで逆に損をするオチがある。上方落語の「時うどん」に同様の展開があって**、それを元に(移植)したという。
(**)「時うどん」の場合、最初、一杯のうどんの支払いを二人がズルすることから始まる・・・。

そこで、Youtubeで、笑福亭鶴志の「時うどん」の演目を見た。長いうどんをゆっくり高く持ち上げて食う場面がある。一方、蕎麦の場合だと、掻(か)き込むという表現があってズルズルと音を立てる。面白いのは、最初の支払いで見せるズルさのとらえ方(場面)だろう。上方は共犯関係にあり、江戸は単独犯である(Wikpediaでも触れられているが)。何となく人間関係の土地柄、歴史を感じさせる(気がする)。

■ Youtube : 笑福亭鶴志の「時うどん」(登録:223 yuukaa)
https://www.youtube.com/watch?v=xBsWbG7xtL0


(追記)
Youtubeに、江戸の独身男性の日常生活を紹介した動画が登録されている。
昔、武蔵野の新田開発にかかわる話を聞いたとき、水利の悪い台地では、基本的に農家はそうだが、二男以下を家に抱える余力はなく、家を出さざる得なかった(優秀なら裕福な他家へ養子も、そうでなければ労働力として江戸市中に出る)。もし家に留まるなら、家付きとして一生独身で過ごすことになる。
また、武蔵野の台地で生産する主食は麦であり、食事は麦飯中心(ハレの日にうどん)だったという。
・・・そんな時代だった。

■ Youtube 「江戸図鑑」(登録:江戸図鑑)
・「江戸時代には生涯独身者が多かったのはなぜか? そこには知られざる悲しい真実が隠されていた!」(2024年10月9日)
https://www.youtube.com/watch?v=dRn6ZhyMnFc

・「江戸時代の百姓の生活【まとめ】衣食住から仕事の流儀までわかりやすく解説」(2023年)
https://www.youtube.com/watch?v=rWnK8c21W18

2018年4月30日月曜日

ヘルムの住民が愚か者たちであるわけ

「イディッシュ語教室」のテキストに、気真面目で可笑しく、そして怪しくてこっけいなイディッシュのひとびとが住む「ヘルム(Khelem、כעלעם)」の町(村)が登場する(Village of Idiots)。ポーランドに「ヘルム市」(昔、ユダヤ人コミュニティが隆盛を誇った時期もあったようだ・・・)が実在するそうだが、関連付けを素人耳に聞いたことはない。寓話の「ヘルム」は、あくまでも架空の共同体で、いってみれば、落語に描かれる長屋のようなものだろう。ヘルムには、長老と呼ばれる賢人から下々まで。落語には、大家さんから熊さん八さんまで多彩である。そして、それぞれにへまをやる。

(本ブログ関連:”ヘルム”(架空の阿呆村))

イディッシュ民話の宝箱である、ベアトリス・ヴァインライヒ(Beatrice  Weinreich)著の「イディッシュの民話(Yiddish Folktales)」(秦剛平訳、青土社)に、「 ヘルムの住民が愚か者たちであるわけ 」を次のように短く説明している。
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ある日のこと、一年サイクルのトーラーの朗読がはじまろうとしていたとき、新任のバール コイレ(=トーラーの読師)がヘルムの街にやって来た。そのバール コイレは学究肌ではなく、
「ブレイシェス、ボロ・エロヒーム・ハショマイーム(はじめに、神は天を造った)」と読むべき箇所を、
「ブレイシェス、ボロ・エロヒーム・エス・・・ハショイティーム(はじめに、神は愚か者を造った」)と読んでしまった。
それ以来、よきにつけあしきにつけ、ヘルムの住民は愚か者と見なされるようになった。
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ヘブライ語の理解がないので、「読師」が誤読した面白さを間接的に知るわけで、ここに引用しながら意気があがらない。

2025年6月28日土曜日

「醒睡笑」: 躻(うつけ)

今朝は目覚めが悪く、早朝の野鳥観察(探鳥会)参加を怠けてしまった。掛け時計の針がスローモーションのように進んでいくのを見ながら、ずるずると過ごすうち、集合時刻に間に合わなくなった。

昼に隣り街に出かけた帰り道、古本屋に寄って、平凡社の東洋文庫「醒睡笑」(安楽庵策伝* 集、 鈴木棠三 訳)を手にした。戦国時代の笑い話集で、いってみればポテトチップスを食べる感覚で読めばよい・・・つぎつぎ美味い話が飛び込んでくるのだ。編者の策伝は仏僧なれど、笑い話は宗教臭くない、それが良い。喫茶店でしばらく読んで賞味した。
(*)安楽庵策伝:天文23年(1554年)~ 寛永19年(1642年)

第二章の中の「躻(うつけ)」<愚か者の笑い・・・ばか、まぬけ、「躻」の字は、体の中に大切なものがあるべきなのに、それがないという国字> に、面白い阿保話があって、次のようなものがある。
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ある男が銭を隠すため地面に埋める時、「必ず人の目には蛇に見えて、わが見る時ばかり銭になれよ」と言っているのを、内の者が聞いていて、後で銭を掘り出し、代わりに蛇を入れておいた。例の亭主が後で掘ってみたら蛇が出て来たので、「やれ、おれじゃ。やれ、見忘れたか」と幾度も名のったのは、なかなかの聞き事だった。
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他にこんな話がある。男たちが三人集まって語り合った。しっかり者の家内について、唯一の欠点は怒ったときに亭主の頭を叩くことだと、二人とも同じことを口にした。三人目の男が「お前たちは日本一の躻(うつけ)者じゃ」といって、自分ならこうすると秘訣を得意気に披瀝した・・・「履物をはかずに逃げるがよい」と。

(本ブログ関連:”阿呆”、”阿呆船”、”ヘルム”)

まあ云ってみれば、落語の原点であって、オチがある。そのためには、躻(うつけ)者=阿呆が必要のようだ。

(本ブログ関連:”落語”)

2026年1月13日火曜日

たまごが貴重品だった時代があった、ミネソタの卵売り

洋菓子の基本素材に、たまご、ミルク、バター、砂糖、強力粉 etc. がある。子どものころ、洋菓子なんて洒落たものはなかった(当然、パティシエなんていう言葉もなかった)。
ケーキといえば、母の手作りのホットケーキくらいで、誕生日会にバタークリーム*で飾ったケーキが出たこともあった(その後、世間では生クリームで飾るようになった)。
(*)バタークリームのケーキを、わが子の誕生日会に出したら、集まってくれた子どもたちがほとんど手を付けなかった・・・時代は変わっていた。

その中で、たまごは「もみ殻」に包むようにして買ったりした貴重な時代があった。さらに昔の江戸時代の <人情話し(噺)> などでは、滋養がある薬のような存在だった。病に伏せた母親にたまごを食べさせようとする苦労話しがある。

そこで、たまごについて、生成AI Gemini にたずねてみた。

■ Gemini

Q.江戸時代のこと、病に伏せた母に「たまご」を食べさせようとする人情話しがありますが、実際、戦後しばらくも、卵を大事に包んで売っていたように記憶しています。いつごろから、庶民の味方になったのでしょうか?
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A.おっしゃる通り、江戸時代の落語、読み本などで、あるいは戦後の昭和初期を舞台にしたドラマでも、卵は「病人が食べる滋養強壮の最高級品」として描かれますね。

新聞紙やもみ殻で大切に包んで持ち帰った時代から、現在のように「物価の優等生」と呼ばれるようになるまでには、日本の畜産技術の劇的な変化がありました。卵が庶民の日常食になった経緯を、時代を追って紐解いてみましょう。

1.江戸〜明治・大正:まさに「薬」だった時代
江戸時代、卵は1個が今の価値で約300円〜500円ほど。現代の高級ブランド卵に近い感覚ですが、当時の庶民の現金収入を考えるとそれ以上の重みがありました。
・庭先養鶏: 多くの農家が数羽の鶏を放し飼いにしていましたが、卵は貴重な現金収入源(売るためのもの)であり、自分たちで食べるのはお祝い事か、それこそ「死に際」のような病気の時に限られていました。

2.戦前〜戦後直後:まだ高嶺の花
大正から昭和初期にかけて、養鶏が産業として少しずつ確立されますが、それでもまだ高価でした。
・戦後の配給と闇市: 終戦直後、卵は再び超高級品になります。1950年代(昭和20年代後半)でも、卵1個の値段は公務員の初任給の約1,000分の1程度。今の価値に換算すると1個200円〜300円くらいですが、当時の食費全体に占める割合は非常に高かったのです。

3.1960年代(昭和35年以降):運命の分岐点
卵が「庶民の味方」へと変貌を遂げたのは、高度経済成長期のことです。
・「バタリーケージ」の導入: 1960年代に入ると、アメリカから効率的な飼育システム(バタリーケージ方式)が導入されました。狭いスペースで大量の鶏を飼育し、配合飼料を与えることで、生産量が爆発的に増加しました。
・パック包装の登場: 1960年代半ばには、現在のようなプラスチック製の10個入りパックが登場。それまでの「バラ売り・紙包み」から、スーパーで大量に並ぶ「工業製品」のような流通に変わりました。

4.1970年代〜現在:「物価の優等生」へ
1970年代に入ると、卵の価格は安定し、現在とほとんど変わらない水準(1パック200円前後)になります。
・他の食品や光熱費が数倍に跳ね上がる中で、卵だけは生産効率の向上と品種改良により、価格がほとんど上がりませんでした。これが <「物価の優等生」> と呼ばれる所以です。

まとめ:いつから庶民の味方?
結論として、<「1960年代(昭和30年代後半〜40年代)」> が、卵が特別なご馳走から「冷蔵庫に必ずある日常品」へと変わった時期だと言えます。

「母のために卵を買い走る」というお話にリアリティを感じられるのは、おそらく昭和30年代前半くらいまでの記憶をお持ちの方々ではないでしょうか。それ以降、卵は「真心」の象徴から「便利な食材」へとその姿を変えていきました。

ジャンル内容の傾向「卵のエピソード」との関わり
人情噺:落語

親子愛、夫婦愛、友情を描く

まさにここ。 貧しい長屋で病人を気遣う小道具として
「卵」が登場。
読本・実録物勧善懲悪や忠孝を描く「親孝行な子供が卵を献じる」という美談として描かれる。

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近頃、ちょっと賑わせているアメリカのミネソタに因んで、聴いてみたいものがある。

■ Youtube(登録: 暁テル子 - トピック)
「ミネソタの卵売り」(歌:暁テル子、作詞:佐伯孝夫、作曲・編曲:利根一郎、1951年2月)
    ー https://www.youtube.com/watch?v=PInai_5GA0o

2025年4月1日火曜日

エイプリルフールと洒落と粋(いき)

きょうの4月1日は「エイプリルフール(四月馬鹿)」。しかし一日中雨で寒く、四月馬鹿の名にふさわしい陽気さはない。

(本ブログ関連:”エイプリルフール”、”馬鹿・阿呆”)

エイプリルフールには「洒落」があったはず。わたしの感覚だが、最近それが世間に通じてないような気がする。そもそも外来のイベントだし、それを受け入れる余裕もない。みなが白けた時世だからだろうか。

さらに困るのは、虚実ない交ぜになったエイプリルフールかもしれない。一方から見れば事実になり、他方から見れば嘘(悪意がこもったフェイク)になる。判別できてこそ、洒落と笑い飛ばせるのだが。

日本人の洒落の伝統について、Googleの生成AI「Gemini」に以下のようにたずねてみた。
ー 洒落のめすは、ハイカラにいえば「粋(いき)」に通じる。それも忘れられて久しい。

■ Gemini
Q.「洒落」という文化は、日本ではいつごろ誕生(発展)したのでしょうか?
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A.「洒落(しゃれ)」の文化は、日本の歴史の中で様々な形で発展してきましたが、特に江戸時代に花開いたと言えるでしょう。

江戸時代の「洒落」
・庶民の娯楽としての発展:
    ー 江戸時代には、庶民の間にユーモアや言葉遊びを交えた文化が広まりました。
    ー 落語や川柳といった娯楽が発展し、日常会話や文章の中にも「洒落」が取り入れられるようになりました。
・「粋(いき)」との関連:
    ー 江戸の「粋」という美意識は、「洒落」と深く結びついていました。
    ー 「粋」とは、洗練されたセンスやユーモアを意味し、「洒落」はその表現手段の一つとして重要視されました。
・文化的な背景:
    ー 江戸時代の文化は、庶民の生活や価値観を反映しており、その中で「洒落」は人々のコミュニケーションや娯楽に欠かせない要素となりました。
    ー 着物の柄である江戸小紋などは、幕府の規制の中、庶民が「洒落」を表現した文化と言えます。

「洒落」の源流
・言葉遊びの起源は古く、人類が言葉を使い始めた頃から存在していたと考えられます。
・日本においても、古くから和歌や狂言など、言葉を使った芸術が存在し、それらの中に「洒落」の要素が見られます。

現代への影響
・江戸時代の「洒落」の文化は、現代の日本のユーモアや言葉遊びにも影響を与えています。
・テレビのお笑い番組や漫画、アニメなど、様々な形で「洒落」の精神が受け継がれています。

このように、「洒落」は、日本の文化の中で長い時間をかけて育まれ、現代においても重要な役割を果たしています。
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(追記)
Geminiに、「粋」文化が廃(すた)れたのではとたずねたところ、次のような回答があった。(抜粋)
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「粋」が廃れたと感じる人がいるのも事実です。その理由としては、以下のようなものが考えられます。
・情報過多:  情報が溢れる現代社会では、本質を見抜く力が鈍くなりがちです。
・効率重視:  効率や合理性が重視される現代社会では、遊び心や余裕が失われがちです。
・個人主義:  個人主義が浸透する現代社会では、相手を思いやる気持ちが希薄になりがちです。
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2025年1月18日土曜日

野鳥センサス欠席とGemini

先週土曜日(1/11)実施の「野鳥センサス」*を欠席したという自覚があったのに、なぜか昨晩になって、<目覚まし時計> を用意して明日(1/18)に備えようと、すっかりその気になっていた。念のため観察会のホームページを参照して、勘違いに気付いた。うかつ者、そこつ者・・・といった落語的按配で乗り切るつもり。

(*-1)野鳥センサス(Googlの生成AI 「Labs」)
・野鳥センサスは、「鳥類の個体数や分布などを調査する活動で、『ラインセンサス』や『スポットセンサス』などがある」。
・探鳥会が例年実施の調査方法は、「ラインセンサスで、あらかじめ決められたルート(河川など)を歩き、鳥の姿や鳴き声を確認する」。

(*-2)野鳥ラインセンサス(環境省自然環境局生物多様性センター、日本野鳥の会 )
「モニタリングサイト1000  森林・草原の鳥類調査ガイドブック」(2006年3月改訂版)
https://www.biodic.go.jp/moni1000/manual/line_census.pdf

これから二十四節気の「大寒」が来るというに、<春>を感じて「木の芽どき」を先取りしてしまったのだろうかと心配になる。凹んだ気分を紛らわすに「いい話」はないかと、Googleの生成AI「Gemini」に、チャット形式でつぎつぎ質問した。ところが、反対に私の質問の意図を根堀り深掘りされ、そのうち「物忘れ」に原因があると帰着されてしまう。

Gemini 恐るべし。チャットをずっと付き合うと、悪女の深情け状態におちいりそう。
悪女ってんで、中島みゆきの「悪女」を聴いたら、「涙ぼろぼろ ぼろぼろ / 流れて 涸れてから」って、そうとう自虐的。この歌は、女性が自虐的をはばからなくなった頃のことなんでしょうね。

2020年8月6日木曜日

おかしな主人公たちの住む町

世の中には色んな阿呆がいる。わたしもその一人で気持ちがよく通じる。もし阿呆たちがそろったらどうなるだろう。収拾の付かないことばかりかもしれないが、意外とよく事が済むかもしれない。

イディッシュ語を少しかじったとき、語学テキストに閑話休題として小話が用意されていた。ストーリーの舞台に「ヘルム」の町(村)が出てくる。当然ながら、架空の町(村)で、ポーランドにあるという。まさにイディッシュの息づかいを感じる気がする。以来、彼らの粗忽さに落語と似た親近感を感じている。

(本ブログ関連:”阿呆”、”ヘルム”)

イディッシュ語作家でもあるアイザック・バシェヴィス・シンガーの児童書「まぬけなワルシャワ旅行」(工藤幸雄訳)の訳者解説に、同書で話題にしたポーランドのユダヤ人が住む町「ヘルム」の他に、おかしな主人公たちのいる民話の町として次が紹介されていて、以前このブログの「おバカな村」にも記した。
・イギリス「ゴタム」
・オランダ「カンペン」
・イタリア「クネオ」
・ドイツ「シュリートブルク」など

ところで、ドイツにはシュリートブルクの他に「シルダ」というおバカな町があるという。

アンソロジー「日本の名随筆40 愚」(山田風太郎選)に収載の、北杜夫の「阿保について」(「マンボウ人間博物館」の第一話)に、児童文学者のケストナーが記した、<賢人が出張して阿保ばかりが残った*ドイツ中世の「シルダ」の町>について紹介している。
(*)阿保ばかりが残ったのか、賢い者が戻ってきて阿呆の振りをしているだけなのか諸説あるようだ。

■ まず、北杜夫の「阿保」の定義が面白い。精神科医の作家なればこその紹介だが、孫引きする。
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ドイツの誇る精神科医、故ホルスト・ガイヤー博士に、『愚鈍について』という著作がある。彼は白痴患者の専門家であった。その一説、
『勤勉は阿呆の埋め合わせにはならない。勤勉な阿呆ほど、はた迷惑なものはない。』
・・・・
そもそも世に名高きシルダ人の愚行を記さぬ法はなかろう。シルダ人は、ドイツ中世の伝説の一つで、『ティル・オイレンシュピーゲルのいたずら』と共に、双璧をなしている。いろんな作家がシルダ人の愚行について、童話や小説を書いているが、ケストナーのものがいちばん面白いようだ。
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というわけで、ケストナーの「シルダの町の人びと」が少し触れられている。一匹の海老(ザリガニ)が巻き起こす騒動が面白い。

■ ちくま文庫「ケストナーの『ほらふき男爵』」(池内紀、泉千穂子訳)に所収の「シルダの町の人びと、ザリガニを裁判にかける」は、次のように書かれている。
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ある日、町にやってきたザリガニが、はさみを持っていることから仕立て屋に違いないと町長が結論を出す。さっそく布を切らせてみるとズタズタになる。そこからドタバタが始まり、結果、ザリガニは裁判にかけられる。裁判長は「溺死させるのがよろしい」と死刑を宣告する。
シルダの町の人びとは刑の執行を見守った。「かわいそうだがしかたない。法は曲げられぬ」と。
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こんな具合で、ザリガニは溺死の刑に処せられた。

■ そういえば、上記のシンガーの児童書「まぬけなワルシャワ旅行」にもこんな話がある(「ヘルムのとんちきまぬけな鯉」)。
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ヘルムの長老から大とんまな男へ贈られた鯉が、ぴしゃりと跳ねて男のお顔を叩いた。罰を与えようといろいろ算段したあげく、結局、溺死の刑に処すことになった。
鯉を湖に投げ込む処刑を見ながら、ヘルムの市民は歓声を挙げた。「卑怯きわまる鯉はおぼれてくたばれ!」と。
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ちなみに、ユダヤ料理の一品に使われる「ゲフィルテ」は、鯉のすり身団子だ。瓶詰から取り出してそのまま食べればさっぱりした味わいだ。わたしは、うどんと一緒に煮こんだりした。少々甘みが出てくるが、ふうふういいながら食うのも美味いものだ。

(本ブログ関連:”ゲフィルテ”)


(参考1)
学問的なことは全く不案内だが、ヘルマン・バウジンガー「ドイツ人はどこまでドイツ的?(2)― 国民性をめぐるステレオタイプ・イメージの虚実と因由 ―」(河野眞訳、愛知大学 言語と文化 No. 21)の翻訳に「シルダ」の町について次のような<訳注>がある。
https://taweb.aichi-u.ac.jp/tgoken/bulletin/pdfs/NO21/04KonoS.pdf
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p.68  シルダ(Schilda):シルダは,架空の都市の名前で,民衆本に頻繁に現れ,その市民はいたずら好きな主人公や,また主人公にからかわれる馬鹿な民衆でもあった。シルダの元になった町としては,ザクセンの「シルダウ (Schildau)」 やブランデンブルクの「シルダ (Schilda)」 などが挙がられる。
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(参考2)
学問的なことは全く不案内だが、「論説 《世間》は日本社会の特異性か?  - 欧文の翻訳における《世間》の用例に即した検証 -」(河野眞)も参考に記す。
https://aichiu.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=9219&file_id=22&file_no=1

2015年12月23日水曜日

祝日にくつろぐこと

今日は「天皇誕生日」の祝日である。町内は実に穏やかで、まるで正月のような静けさだ。自然に和らいでくる。緊張することの少ない気ままな身だが、更にのんびりとして緩み、くつろぐ気がする。

なのに日頃、アリスの前を「遅れてしまう!」とばかりに走るウサギのよう振舞って、果たして何に遅れるというのだろう。今日のような静かな一日に、いろいろな思いが浮かび、いろいろと考えさせる。

月日の過ぎるのがあっけないと気付き、やがて年月の経つのは早いと実感する。若い頃は傲慢で、歌舞伎や落語ファンが「先代は」とか「何代目は」とかいう話しをうるさく感じたものだ。それが、今では自然に聞こえる。どうやら、背中が重くなってきたようだ。

子どものころ感性をはぐくんだ土地を忘れがたいが、親の転勤にともなって以来、この地に住みここの空気にすっかり染まった。すみかにふさわしい処と思い定めたようだ。遠に、羽ばたくことのたくらみはないけれど、といって仙人の境地にもいたらない。たわむれに仙人の真似ごとをして、壁抜けしようとしても、頭をごっつんことぶつけるのが関の山だろう。

2026年7月26日日曜日

夏の土用の丑の日

きょうは、土用の丑の日。思い浮かぶのは、「鰻(うなぎ)の蒲焼」を食うことだろう。鰻重もよし、鰻丼もよし、ひつまぶしもよし。それにしても、この食習慣、いささか源内の言葉に踊らされた感がしないわけでもない。

(本ブログ関連:”土用の丑の日”、”平賀源内”)

夏バテ防止のためというので、近々予定しているが、本当のところ、その効能に確信はない。ただ、やたら値が張るからそうに違いないと期待するだけだ。

鰻の蒲焼の風味は、店頭の路地に広がる蒲焼の煙と香り、漬け足しを重ねこってりしたタレの味であって、うなぎ本体に特別なものがあるわけでもないのだが。蒲焼の煙と香りをネタにした小話もあるようで、店頭に茶碗飯を持ってきてそれで済ませるのを、店の主人が金を要求したところ、小銭の音で帳消しさせるといったもの。落語に、それを演目にしたものがあるのか知らないが。

元々、海を回遊して産卵・成長して川に戻ってきたウナギを捕まえて食っていたわけで、素朴に川魚の範疇だったのだろう。そういえば、中学時代の校外活動(多分、多摩川の岸辺だったか)で、男子がナマズを釣って、確かアルミホイルを巻いて、焚き火で蒸し焼きしたのを食ったことがある。怖いもの見たさもあったが、ウナギじゃないので遠慮した。

ところで、実物を見たことがないが(当然食ったこともないわけで)、英国(ロンドン)に「ウナギのセリー寄せ」があって、ウナギをぶつ切りにして煮込み、冷やしてセリーと混ぜたものを通年食しているという。歴史的に、庶民の常食だったらしい・・・。こちらも、見たくもあり、恐ろしさもあり。

■ Youtube(登録: Kevin's English Room / 掛山ケビ志郎)
「イギリス名物『うなぎのゼリー』現地で食べたら衝撃の味だった」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=DPhw5swZYiw
    ー Uberで取り寄せたものを、譲り合うように語り合い、食した正直な感想が聞ける・・・。

逆に、英国人が日本の鰻の蒲焼を食べた感想を聞いてみたい・・・。Gemini によれば、カルチャーショックのような反応らしい。いい意味で。

2013年5月19日日曜日

思いつくまま冬虫夏草

テレビ情報番組で、ネパールの農民が山肌に茂る短い草むらの中から冬虫夏草を探し出し、それを仲買人に売って生活費の足しにすることから始まり、最終的に中国で驚くほど高価な食材となるまでをドキュメント風に紹介した。
採集に子供の目力が役立つと、作業を手伝わせる場面があるが、経緯にちょっとした脚色があるのかな。

なぜ虫が草になってしまうのだろうか・・・どちらかといえば、それを知りたかった。菌類が昆虫の体内に侵食(寄生)して宿主を乗っ取ってしまうのだが、そんなことがあるなんて、むかし白戸三平の漫画で知ったときには驚いた。

四方田犬彦は「白土三平の食物誌」の中で、冬虫夏草を題材にしたストーリーを次のように紹介している。
「初期の『甲賀武芸帖』の・・・第二話では、不老長生の妙薬を求める旅に出た少年が、冬虫夏草を発見したものの吹雪に遭難してしまい、みずからが巨大な冬虫夏草の温床と化してしまう。 」

そういえば、落語に「頭山(あたまやま)」があって、サクランボの種を飲み込んだけちん坊が、頭頂に育った桜の木を引き抜いた穴に、最後は身を投じる。人間版の冬虫夏草、いな冬人夏樹とでもいうのか、それにしてもメビウスの輪のように、空間がねじれるという不思議でおかしな展開だ。

ところで、ヘビが自分の尻尾を食べたら最後はどうなるだろう。

2018年2月22日木曜日

(イディッシュの民話)全世界を喜ばすなど・・・・

「イディッシュの民話」(秦剛平訳、青土社)は、本当はいたって教訓めいた話が収められていて、わたしの好きな「ヘルムの住人」たちが仕出かす、落語に似たお馬鹿な話は少ないかもしれない。なるほど、長い生活の中で、笑いだけでは安寧も続かない。

(本ブログ関連;”イディッシュの民話”、”ヘルム”)

「全世界を喜ばすなど・・・・」の小話は、滑稽な世界に身を置いて悟らせる。
・この世に同じ人間がいないように、同じ考えはない。そして絶対的に正しいものも(多分)。
・だからといって、世間を読み解く力ばかり増やしても、選択肢に溺れ、結局は自分を失うことになると戯画風に描いている。(どこかに教訓の香りがするが)

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砂漠を、歳老いた父親と十歳の息子とがラクダを連れて旅していた。
・途中、出合った男に「ラクダは人間を乗せるために創造されたのですよ。」と言われた。
そこで、父親がラクダに乗って、息子がその後を付いて歩いた。
・途中、出合った別の男に「息子さんをかわいそうだと思わないんですか?」と言われた。
そこで、息子がラクダに乗って、その後を父親が付いて歩いた。
・途中、出合ったまた別の男にいわれた。「歳老いた父親を歩かせて、子どもがラクダに乗る権利などありゃしませんで。」
そこで、父親と息子の二人がラクダに乗って進んだ。
・途中、出合った更に別の男に言われた。「あなたがたはもの言わぬ動物を虐待している。」
そこで、父親と息子の二人は手でラクダを運んだ。

父親が言った。「多分、道中で誰かに会ったら、何て馬鹿なことと言ってくれるだろう。何をしようと、全世界を喜ばすなどできはしないのだから。」
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長い昔から語り継がれた民話はおもしろい。

2018年11月24日土曜日

「年末ジャンボ」の行列

「宝くじ」は、「誰かが当っている」という事実から、次は自分の番かもしれないと空想や期待をふくらませる。

銀座にある宝くじ売り場の行列は有名。一等の当り券がよく出る店であり、夢に限りなく近づける場所だ。とはいえ、当選に見合うだけ、大量に売っているからだろうけど。

どんな人たちが並んでいるのだろう。毎年、大型の宝くじのたび来ているのだろうか。大金が腐るほどあれば、私もこの列に紛れ込んでいたかもしれないけど。

「宝くじが当ったら」という話題に、何に使うか?とか、 ひと(他者)に話すか?といったものがある。昔は、鉱物採集で遠隔地に行くのに便利なキャンピングカー欲しいなんて思い描いた。ひと(他者)に話すのは危険などと思ったが、すべて妄想。そして今は、出歩く距離が縮まったせいで、宝くじ売り場に行くこともない。一等当選の夢を見ることもない。

宝くじは、落語「芝浜」のような人情のあるよい出会いをするわけじゃない。ありがたみも分からぬ大金は、結局身を持ち崩すんじゃないかと、見上げながらも止めとこうと思うのであります。

2017年12月29日金曜日

ヘルムのはなし: 椅子を持ち込むには

ポーランドの何処かに、イディッシュ(ユダヤ人)の住む町(村)「ヘルム」があって、上は長老から下々は庶民まで、どこか変なひとびとがいる。もちろん、物語の世界であるが。ヘルムに似た町(村)は、ほかの国々にもあるようで、代表する地名がちゃんと存在するという。では、日本ではどうか・・・思いつくのは、大家さんと熊さん八っさんが住む、落語に出てくる「長屋」だろうか。

(本ブログ関連:”ヘルム”)

イディッシュ語の教科書に、こんなヘルムの小話が載っていた。
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ある男が椅子を買って持ち帰ったところ、大き過ぎてドアに入らず困っていた。そこへ、同じヘルムに住む友人がやって来て、「あの寝室の窓が大きいので、そこから入れたらどうか」ということになった。
だが、椅子の持主がいうには、「窓が高すぎる、どうすりゃいいかな?」。
友人はいった、「なあに、問題ない。椅子を叩き切って、小さくして窓へ投げ込めばいい」。
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よく考えたつもりだが、自分の知恵を超えていない。そもそも何を解決したかったのか忘れている。そんな勘違いを、日常のどこかでやっているかもしれない。思い当たる節がないわけではない。

というより、この物語!、何で友人が高い窓の奥に寝室があることを知ってるのか、とても気になる。歳をとると余計なことに気が散る。