上方落語に「口入屋(くちいれや)」(職業斡旋所)がある。船場にある大店の一番番頭が、今度こそ美女が奉公に来るよう、丁稚を使って口入屋に頼む。望み通り美人の女中が来て、店の男たちは大騒ぎになる。早速、夜分に、二番番頭が二階で寝ている彼女に近づこうとする。そんなことを用心したおかみさんが、二階につながる梯子を外していたため、膳棚を使ってよじ登ろうとするが崩れてしまう。次に一番番頭も同様で、二人して棚を支える羽目になる。また、手代は天窓の紐を使ってよじ登ろうとするが、紐が切れて池に落ちてしまう。・・・どれだけドタバタなことだろう。
美女に近づこうとして、夜中に棚を担いだり、池に落ちたりする凡人の滑稽な結末だが、仙人とて同じこと。久米仙人は、久米川の川辺で洗濯する若い女の脛(すね)足を見るや、飛術に失敗して墜落する。久米仙人に、凡人ながら共感してしまうのは私だけではないだろう。
芥川龍之介に「仙人」という短編がある。何をヒントにしたのだろうか、次のような話である。
その昔、大阪の口入屋に、不老不死の仙人になりたいと、権助という者が頼みに来た。口入屋は思案にくれるが、医者の家にひとまず奉公させることにする。
仙人になりたいと申し出る権助に、医者がなぜなりたいのかと問えば、大阪城の太閤様もいずれ死ぬ、栄耀栄華のはかなさからという。そこで、狡猾な医者の女房は、仙人になる術を教える口実に、二十年間ただ働きの約束をさせる。
そして、二十年目を迎えて、権助は仙人の秘術を願い出る。すると、何を思ったか医者の女房は、庭の松の木の一番高い梢にまで登らせて、しかも両手を離させたのだ。落下すれば、下の石に当たって命はない。
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権助はその言葉が終らない内に、思い切って左手も放しました。何しろ木の上に登ったまま、両手とも放してしまったのですから、落ちずにいる訣はありません。あっと云う間に権助の体は、権助の着ていた紋附の羽織は、松の梢から離れました。が、離れたと思うと落ちもせずに、不思議にも昼間の中空へ、まるで操つり人形のように、ちゃんと立止ったではありませんか?
「どうも難有うございます。おかげ様で私も一人前の仙人になれました。」
権助は叮嚀に御時宜をすると、静かに青空を踏みながら、だんだん高い雲の中へ昇って行ってしまいました。
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まるで落語のようだが、落ちに、落ちることのない話しだ。仙人のごとく空中に浮かんだ権助がうらやましく思える。彼は自ずから飛ぶ術を体得してしまったのだから。しかも、近所の日常のなかで成し遂げた。
(本ブログ関連:”仙人”)