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2017年9月20日水曜日

秋の彼岸入り 2017

手元のデジタル温度計が(室内ゆえ)25.8℃を示しているのに、なぜか冷える。夏の気配も今週までのよう、本格的な秋が始まる。

10月になれば再開することも多い。この夏しっかり復習・予習すると口にしたのを、今になって慌てる。学生時代の定期試験準備と似たようなもの。(さすがに社会人のときは、そんなズボラではなかったが)このたび、逃げ腰が治っていない。

きょうは、秋の「彼岸の入り」。3日過ぎ、4日目の23日土曜日には「秋分の日」。時間が前から来なくて、後ろから押すようになったのは幾年か。秋が人生にかぶさるようになってきたなんて・・・そんな感がしてしようがない。

(本ブログ関連:”彼岸”)

KBS WORLD「国楽の世界へ」金熙祚

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/13)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、金熙祚(김희조、1920年~2001年)、「散調산조)」関連する曲を紹介した。

始めに、作曲家「金琪洙」(김기수、1917年~1986年)と「金熙祚」について次のように紹介された。
・音楽の継承の仕方に、西洋は楽譜を見て演奏し、一方、東洋は師匠の口を真似て口承した。同じ音楽も感動は人によって違うように、同じ師匠の元でも、弟子の音楽は少しずつ異なるだろう。師匠の通り奏しながらも自分のスタイルを作り上げる。
・1940年代に活動した「金琪洙」は、韓国初の国楽作曲家で、時代の変化に合わせて国楽を発展させてきた。そして、作曲家「金熙祚」などの手を経て、今日の創作音楽が定着した。

▼ 金熙祚作曲の「散調、テーマ(主題)による合奏曲」(KBS国楽管弦楽団)を聴く。楽譜が浮かぶよう。

次に、作曲家「金熙祚」の音楽家としての経歴について次のように紹介された。
・作曲家金熙祚は、1920年にソウル鍾路に生まれる。音楽との関わりは遅く、商業高校卒業後、銀行に勤めながらのこと。西洋楽器のピアノやバイオリン、ビオラなどに始まり、後に西洋の作曲を学ぶ。国楽との縁は、1950年代の「朝鮮戦争」(韓国戦争)の時、陸軍軍楽隊で民謡を編曲したのが始まり。除隊後、KBSで管弦楽団を作り、指揮と編曲を担当、民謡を編曲して演奏した。その後、国楽芸術学校教師、ソウル市国楽管弦楽団の作曲と指揮を担当して活動広げた。作品は、散調や民謡、パンソリなど民族音楽をテーマにしたものが多い。そして、音楽活動の過程で、貴重な音楽を残した。

▼ 全羅南道巨文島の漁師の歌「綱なう歌(술비소리)」を管弦楽用に編曲したものを聴く。原曲と編曲の比較も楽しい。

最後に、作曲家「金熙祚」の音楽家としての人となりを次のように紹介された。
・金熙祚は、高麗交響楽団で活動したことがある。ビオラとコントラバスを演奏した。コントラバスを演奏できる者がほとんどいない当時、彼は、指が短い弱点を克服して演奏した。また、彼が一番重視したのは、「聞き安い曲を作る」ことだったという。そのため、彼の音楽は今もたくさんの人々に親しまれている。

▼ 「フルートの独奏と国楽合奏のための舞踊幻想曲」を聴く。時代劇で篠笛を聴くような・・・親しみやすい。