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2015年2月28日土曜日

今日で6分の1食ってしまった

いつもながら、一年を一個のリンゴの実に例えて、月日の経過をリンゴをどれだけ食ったかで表現する。即物的だけど身に沁みてよく分かる。甘いも酸っぱいも。

(本ブログ関連:”リンゴ”)

今年、1月が終わったとき、12分の1食っただけと楽観した。それが今日、2月の終わりに何と6分の1食ってしまったと気付く。12分の1と6分の1では重さが違うというもの。

こうやって、1年があっという間に過ぎていくのだろう。やらなきゃならないことがいっぱいあるというのに。

考えなくても時は進んでしまい、無為が無為でないような錯覚をしてしまう。

そうそう、奥の手がある。仲間から、こんな回答をいただいた。鉛筆をコロコロ転がして、○×を決めよう・・・と。

神様はサイコロを振ることを戒めるだろうけど、今度だけはサイコロに賭けることにするよ。

2015年2月27日金曜日

(資料)韓国ギャラップ調査「愛唱曲 2004-2014比較」

韓国ギャラップから、「韓国人が好きな40種類、【文化編】-趣味/運動/愛唱曲/映画/ペット(2004年-2014年)」(2/25)の調査結果が発表されている。その中で、「愛唱曲」(発表時期、歌手名、応答率)について次のように報じている。
当然、イ・ソンヒが同率7位にランクインしているので、(参考)などで赤字で追記・付記した。

(本ブログ関連:”韓国ギャラップ” ⇒ リンク先表示下「次の投稿」に続く)

今回、少々気になる説明がある。一つにアルバム購入スタイルからインターネットなどで入手するという聴取スタイルの変化について、次に1位曲にもかかわらず応答率が低いこととカラオケでの選曲のむずかしさとの関連など・・・どのように分析をされたのか知りたいところだ。
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●韓国人の愛唱曲1位は「私の歳がどうだから(내 나이가 어때서)」、また、「出会い(만남)」と「南行列車(남행열차)」は2004年に続き2014年にも愛唱曲10位中に入って

・我が国には、昔から各地方特有の「勞動謠」(=農作業など労働の民謡)があった。 しかし、今は思う存分歌を歌って仕事が出来る職業がほとんどないので、音楽を聞くため時間を多く割いて、カラオケや各種集いに参加した時、歌を歌うことになる。インターネットと放送、スマートフォンなどの普及に伴い、過去のようにあえてアルバムを購入しなくても多様な経路を通じて望む歌を選択して聞くことができる。このような環境変化が韓国人の愛唱曲にはどんな影響を与えたのだろうか?

・韓国人が最も好んで歌う歌(自由応答)
- 1位は今回調査に参加した1,700人中34人が答えた「私の歳がどうだから」(2012、オ・スングン、2.0%)
- その次は、「わけもなく(무조건)」(2005、パク・サンチョル、1.4%)と、「出会い」(1989、ノ・サヨン、1.4%)
- 「まあ(オモナ、어머나)」(2004、チャン・ユンジョン、1.1%)
- 「椿お嬢さん(トンベク・アガシ、동백아가씨)」(1964、イ・ミジャ、1.0%)と、「南行列車」(1986、キム・スヒ、1.0%)が5位圏に入った。
-(参考: 次にイ・ソンヒの「因縁(인연)」(2005、0.8%)、シン・ユの「時計の針(시계바늘)」(2008、0.8%)が7位圏に入った)

・愛唱曲1位の選好度がこのように低いのは、韓国人一人一人の特性(キャラクター)ごとに好んで歌う歌がまちまちだということを見せてくれる。もし、人々の愛唱曲が特定の歌に集中しているなら、カラオケに行った時、他の人が私の18番曲を先に歌って困るようになるケースが頻繁に起きないだろうか。

・愛唱曲の上位10位中で、
- 最も古くなった曲は、50年超えて歌われた「椿お嬢さん」であり、
- 最新曲は、2013年発表されて昨年も人気を享受した「ガゥオー(으르렁)」であり、
- 「出会い」と「南行列車」の二曲は、2004年に続き2014年にも10位中に入って名実共に国民愛唱曲の座を守った。
- (イ・ソンヒの)「因縁」、(他に)「会いたい(보고 싶다)」、「恋人います(애인 있어요)」という最近のオーディション番組を通じて再び世間の注目を受けた曲であり、「時計の針」と「安東(アンドン)駅で(안동역에서)」という若い演歌歌手の代表曲だ。


【グラフ補注】
*2004年の上位10位曲: 「出会い」、「昭陽江(ソヤンガン)乙女(소양강 처녀)」、「南行列車」、「賛美歌」、「愛(사랑)」、「アパート(아파트)」、「イバラの花(찔레꽃)」、「花を持った男(꽃을 든 남자)」、「泣いて越えるパクダル峠(울고 넘는 박달재)」、「女の一生(여자의 일생)」
*2014年10月2日~29日、全国満13才以上男女、1,700人面接調査
*曲名、括弧中(発表時期、歌手名)
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2015年2月26日木曜日

三寒四温

冬に暖かさと寒さを繰り返すことを、「三寒四温」という。気象庁の「解説用語」にある「気温に関する用語」のページを見ると、三寒四温を「冬期に3日間くらい寒い日が続き、次の4日間くらい暖かく、これが繰り返されること。中国北部、朝鮮半島などに顕著な現象。」と説明している。

(本ブログ関連:”三寒四温”)

最近、寒暖の行き来を感じて、気象庁の「過去の気象データ検索 > 日ごとの値」で、地元の日ごとの最高気温を調べた。今月15日から今日までについて、私の暖かさの目安(基準)であるが、10℃を境界にして高い日(△)、低い日(▼)を並べると次のようになる。

△△▼▼△△▼▼△△▼
15---------26(日)

気象庁解説の「3日間くらい寒い日が続き、次の4日間くらい暖かく」というわけにいかないが、寒暖が2日ごと相互に入れ替わっている。暖かい日があっけなく終わってしまうのは残念とはいえ、この変動は、冬型から春型に移る気配がするようで納得。

でも、今日は寒雨、やっぱり春が待ち遠しい。

2015年2月25日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」旧正月3曲

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/18)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第93回として、旧暦の正月「元旦(ソルナル、설날)」にまつわる3曲について話を紹介した。

(本ブログ関連:”旧正月”)

始めに、旧暦元旦、ソルナルの呼称について次のように紹介された。
・元旦、ソルナルの呼称に様々な由来がある。新年を迎えてまだ慣れぬ意の「ナッソルダ(낯설다)」の発音と似るという説。歳をとる悲しさの意の「ソロタ(서럽다)」という説もある。グレゴリオ歴を1896年から採用し、正月を1980年代末まで新暦で採用してきた。旧暦1月1日を正月とする伝統から1985年に「民俗の日(민속의 날)」と名付けたこともあるが、1989年になって旧暦のソルナルと呼ぶようになった。

(参考)平沢市民新聞の記事「(「ソルナル」に)移行する過程の表現」(2013年2月8日、パク・チュンソ氏)

▼ 宮廷音楽である唐楽「歩虚子(보허자)」の演奏を聴く。ゆたりとした古式ゆかしい響きがする。

次に、「茶礼(차례)」の儀式や墓参りについて次のように紹介された。
・今、節句は久々に家族が集まる日でもある。これに加え、元旦と「盆(秋夕、추석)」に先祖へ「茶礼」の儀式を行う風習が伝わる。茶礼は、料理や酒など用意して「茶礼床(차례 상)」の膳を供えるなど決まりがある。魚は東方に、肉は西方に置く。干し肉は左側、「甘酒(シッケ、식혜)」は右側に、そして左から、なつめ、栗、梨、干し柿を順に置く。茶礼の後、先祖を墓参する。この時も簡単に食べ物を供える。亡夫を墓参しながら歌う「祭典(祭奠:チェジョン、제전)」があり、食べ物を用意し並べるまでの過程を詳しく表す。

▼ 「チェジョン」の歌を聴く。どことなく淡々としている、残った女性は強い・・・独り言。

最後に、正月祝いで人々の幸福を祈る曲「祈禮詞(ビナリ、비나리)」について次のように紹介された。
・茶礼の儀式と墓参の後、村では祝いをする。昔は一生涯、生家で生活したので、村人は家族でもあった。喧嘩もすれば、すぐに仲直りする。農作業や村の仕事を一緒にせねばならない。村が平和で人々が幸せであってこそ、自分も安らかと生活の中で学ぶ。元旦と盆になると、「農楽隊(プンムルペ、풍물패)」が登場する。彼らは、楽器を演奏しながら村中を訪ねて幸福を祈る。米を集めて祝い、村のために使うこともあった。農楽隊の歌「祈禮詞」には「祈る」意がある。国の平和を祈り、災いを退け、最後に幸福を祈る。

▼ 「祈禮詞」の歌を聴く。きっと皆が家の前に出て聞いただろう。(Youtube「第6回小正月名人戦2_祈禮詞」)

・2月19日は旧暦元旦、ソルナルだ。この日の挨拶は、「新年にたくさんの祝福がありますように」の意で、「새해 복 많이 받으세요」と言う。この言葉の通り、2015年、みなさんの祝福をお祈りいたします。・・・とのこと。今年もよろしくお願いします。

2015年2月24日火曜日

イ・ソンヒの1984年の髪型

女性ファッションについて言葉が足りない。画像検索しようにも、検索ワードがなければ確認できない。そんなわけで、イ・ソンヒが初めて1984年の「江辺歌謡祭」に登場したときの髪型が一体何だったのかいまだに分からないでいる。舞台の彼女は、同時に大きなメガネをかけ、スカートをはいていた。その後、メガネ姿は継承されたが、髪型はおとなしく軽やかになり、スカートはズボンに変わった。

(本ブログ関連:”髪型”、”ズボン”)

(Youtubeに登録のjenny.kimに感謝)

思うに、あの髪型は「アフロヘヤ」かと類推したが、今までにそんな説明を見たことはない。ボサボサ?、チリチリしたパンチパーマのような、いわゆる、おばさんの「アジュンマ・パーマ」でもなさそうだし・・・。

昨年、ハンギョレ紙記事「30年のトップ歌手の秘訣?無限挑戦です」(2014年3月25日)に、「1984年の江辺歌謡祭でポグルコリの頭に丸い眼鏡をかけた小さな『少女』が爆発的な歌唱力で『Jへ』を歌って」とある。「ポグルコリ」って何んだろうか?

NAVER日韓辞書に、「ポグルコリ(뽀글거리다 vi)」は、「せまい所でしきりに、ぐつぐつ煮え立つ [ぶつぶつ泡立つ]」とある。例えば、バリカンで髪を切られるのが嫌いな子どもの、<もじゃもじゃ頭>という風に使われるようだ*。

(*)参考: Youtubeに「僕はポグルモリ(나는 뽀글머리)」という絵本の予告がある。

う~ん、でも正式なファッション用語なのかなあ・・・更にネットを探すと、若手男性芸能人や、原宿で見かけたという洒落た女性の髪型について写真ブログもあるのだが・・・どうも、よく分からない。あの髪型は一体何なのだろう。当時、何と呼んでいたのだろうか。

2015年2月23日月曜日

梅祭り(昨日終わっていた)

今日は本当に暖かだった。気象庁「日最高気温一覧表(2月23日)」によれば、地元の最高気温は、18.3℃で、今年最高、4月中旬並みという。この冬着る厚手のジャケットが重たく感じる。手袋もいらない。

ご近所の垣根越し、枝を延ばして花を咲かせる梅に気付いて、久し振りに近場の公園に行ってみた。「梅祭り」の幕が揺れていたが、今月14日(土)~22日(日)までとのこと。昨日で終わっていたのだ。イベントの後片付けする姿があちこちに見えた。

一重野梅
とはいえ、公園の梅林は一部満開があるものの、時期を少しずつスライドしているようで、観梅に申し分ない。梅の花に誘われて人々が木々のまわり慈しむように集っていた。さっそくある梅の木に寄ってみた。

いかにも枝振りが梅らしいジグザグした、「一重野梅(ひとえやばい)」の花をアップしたのが左の写真だ。穏やかな陽射しに、梅の香りがしてくるだろうか。そっと香りを嗅がなかったのが悔やまれる。(おじさんにも照れがあって・・・)

梅林入り口に、観梅二十数種について解説があった。「一重野梅」は、「一般的なもので早咲きの白色中輪で香は高く結実する/(挿木容易)」とある。梅に期待されるすべての要素を持っているようだ。梅干しを作ったら、なんて想像してしまう。美味いだろうな。

2015年2月22日日曜日

(資料)韓国の少子化

高齢化の問題には、残念ながら終結処理という課題がある。商品の場合、陳腐化して市場から撤退する策はあるが、人間の場合そんな簡単なわけにいかない。命の問題であり、いずれ自身の問題にもかかわらず、無意識(ときに思い出すよう)に避けている。

私たちの日常行動は、ある意味消費行動だ。新製品を継続するためには常に新鮮でなければならない。商品は若さをアピールする。消費者はそれに応えて、若さを求める。それが一巡する社会では、高齢化の問題は社会福祉の問題と錯覚する。

命は数珠つながりである。命の連鎖を、歴史の中で共同性を通して補完し維持してきたが、今は預けるように制度で補完する時代になった。都市生活者が、思い出したように美しく描く老人の姿は、無意識の償い、悔恨である。けれど昔には戻れない。次は自分の番だからだ。

中央日報(日本語版)の記事「韓国の小学生数、10年間で3分の1減少」(2/22)は、2004年と2014年対比による小中学生、ここ2年間の高校生の人口減少と、2年後の高齢化の動態を次のように報じている。ちなみに、韓国は少子化と高齢化が最速に進んでいるといわれている。人口動態は、政治や経済の予測よりも確度の高い将来予測が可能だ。

(本ブログ関連:”高齢化”、”少子化”、”人口”)
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・この10年間に小学生の数が3分の1以上急減したことがわかった。すでに中学生も人口減少現象が現れており、今後5年~10年以内に大学の財政をはじめと就職市場が20代の「人口の崖」の影響圏に入ると予想される
・韓国の教育統計年報によると、昨年の小学生数は272万9,000人余りで、10年前の2004年の411万6,000人と比較して33.6%減少した。

中学生の数もこの10年間で減り続けている。2004年に193万3,000人だった中学生の数は2014年には171万8,000人で11.1%減少した。

高校生の数も最近の2年間で5万4000人減少し183万9,000人を記録した。99.7%という韓国社会の高い進学率を考慮すると、こうした学生数減少は1.19人という出生率の低下に起因するものと説明される。

・学生数減少の中でも同じ期間に全国の小学校は5,541校から5,934校に393校(7%)増加し、中学校も10.3%に当たる298校増加した。大学・大学院はこの10年間で2,114校から3,279校に55%急増した

・一方、韓国統計庁は2年後の2017年には15~64歳の生産可能人口が初めて減少に転じるとの見通しを出している。また、少子高齢化現象はベビーブーム世代が高齢者世代に差し掛かる2020年を基点に深刻化すると分析した。
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2015年2月21日土曜日

雑談、何度も見るもの

Twitterは登録したがどうすればいいものか分からず使っていない。Facebookは最初から馴染めず登録もしてない。私なりにネットとの距離感というか、折り合いのつけ方かもしれない。

そんな私だが、ブログだけは毎日続けている。(ブログに関わるニュースや情報は、しょっちゅう目にしているが)

ネットで楽しんでいるものにYoutubeがある。ついつい何度も見てしまうのが次の二つだ。
Is that your baby? (Little Girl Loves Her Kitten) (Original) : 女の子を持ったことのない親には羨ましい気がする
the ice-cream van : 男の子を持ったことのある親なら、よ~くわかる気がする

それから、イ・ソンヒ以外にYoutubeで見る韓国の歌い手に、ソン・ソヒ(송소희)ちゃんがいる。もう、ちゃん呼ばわりしてはいけない年頃になったようだ。才能は宝だ。(ともに忠清南道生まれ)

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最近、歳のせいか、街で目に入るのがよちよち歩きの幼児だ。彼らが奇跡の存在に見える。

2015年2月20日金曜日

イ・ソンヒの思い出の<ビッグショー>(再)

イ・ソンヒが持ち歌を5曲連続して歌うYoutube映像がある。韓国ケーブル専用のCMC家族娯楽(가족오락)TVが放映した「思い出の<ビッグショー>(추억의<빅쇼>)」のようだが・・・映像ソースは別かもしれない・・・1994年に「KBSビッグショー イ・ソンヒの変身そして愛(이선희 변신 그리고 사랑)」があったようだけれど、そのときのものかどうだろう。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの思い出の<ビッグショー>”)

イ・ソンヒが楽しむように歌う姿がうれしい。いかにも若々しく、表情に自信がみちて力強い歌声だ。さらにいえば、このときの彼女の容貌(化粧かな)が、いつもとちょっと違った雰囲気がする。

・葛藤(갈등)
・ひとしきり笑いで(한바탕 웃음으로)
・私はいつもあなたを(나항상 그대를)
・思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)
・ああ!昔よ(아! 옛날이여)

(Youtubeに登録のD I V A ■ LEE SUN HEE ■に感謝)

2015年2月19日木曜日

雨水・旧正月 2015

今日は二十四節気の二番目「雨水」だ。ようやく雪から雨に変わり、厳しい寒さも緩み始める頃・・・とはいえ、雪降りがなくなったわけではない。考えてみれば、「桜田門外の変」は、安政7年3月3日すなわち1860年3月24日、雪中で起こっている。まだまだ寒さはつづく。

(本ブログ関連:”雨水”)

同時に、今日は旧暦の正月でもある。テレビを見れば、正月休みの「春節」を機に来日した中国人観光客の買物で商店が賑わっているそうだ。商家にしてみれば、二度美味しい正月ということになる。外国語を素早く取り入れて接客する実践に勝るものはない。

韓国も旧正月(ソルラル、설날)で、このソルラルについて、Ko-Wikipediaに次のような説明(出典新聞記事)がある。「ソル(설)」は「半熟である(설다)」、「見慣れない(낯설다)」、「慣れない(익숙하지 못하다)」、「謹(つつし)む(삼가다)」などの意味に由来したものと推測される・・・とある。いってみれば撞(つ)いたばかりの出来立ての餅のような日(날)、過去のない未来だけの日のよう。

二十四節気の雨水(うすい、우수)ではないけれど、ぷっくら頬っぺが可愛らしいシム・ウンギョンが老人たちに歌う「雨水(あまみず、빗물)」を聴いてみよう。

現在、埋め込みのYoutube動画は再生できません

(Youtubeに登録の원근이に感謝)

2015年2月18日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」夫婦愛3曲

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/11)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第92回として、切ない夫婦の愛と月に向かって祈願する歌にまつわるなど3曲について話を紹介した。

始めに、ドキュメンタリー映画「あなた、その川を渡らないで(님아, 그 강을 건너지 마오)」を次のように紹介された。
・ドキュメンタリー映画「あなた、その川を渡らないで」は、98歳と89歳の76年の歳月を共にした、江原道の田舎に住む老夫婦の愛と別れを描く。二人は、揃いの韓服を着て、子供のようにいたずらする。仲睦まじい二人だが、老夫は病気になり、老妻は川辺に坐って悲しむ。その姿から、監督は、「あなた、その川を渡らないで」のタイトルが浮かんだ。ここでいう川は、三途の川の意だ。映画撮影の途中、老夫は亡くなる。監督は映画制作の継続を迷ったという。この映画タイトルから、「公無渡河歌(공무도하가)」の歌が想い浮ぶ。それは、川を渡る夫を追いかけて歌う内容だ。

▼ 国楽演奏と歌による「公無渡河歌」を聴く。ベルカントな今様である。(いっそ、イ・サンウンが歌う方が・・・)

次に、「公無渡河歌」の歌の内容について次のように解説された。
・「公無渡河歌」は、夫を失った妻が歌った、古朝鮮時代の歌だ。ある日、霍里子高(곽리자고)が早朝川に出て、舟の手入れをしていたところ次を目撃する。
・白髪の狂夫が、ひさご(=瓢箪)を持って川に入った。酒に酔ったのか、或いは他に事情があったのか。男を止めようと妻が追いかけたが、到着する前に溺れてしまう。妻はその悲しみを箜篌(くご、공후)という楽器を演奏しながら、「公無渡河歌」という歌で表した。そして、自らも川に身を投げた。

▼ 箜篌演奏による「蝶になって(나비가 되어)」を聴く。てふてふと舞う。復元楽器といえど奏法は今様である。

最後に、「公無渡河歌」の伝承と、ハングルで記録された「井邑詞(정읍사)」について次のように紹介された。
・現在の箜篌は、ハープに似た音色の復元弦楽器だ。
・この「公無渡河歌」の音色はどのように伝わったのか。川で亡くなった夫妻を見た霍里子高から、この話しを知った妻の麗玉(여옥)は、夫から聞いた曲を箜篌で再現した。これら二人の女性が演奏した曲は歳月と共に忘れられ、今では楽器だけが伝わっている。
・夫婦の切ない愛を表した昔の歌に、百済時代の歌、「井邑詞」がある。韓国語で記録された最も古い歌だ。商いに出かけた夫が戻ってこず、心細くなった妻が月に向かって祈願する歌だ。

▼ 歌「お月さま、ノピゴム、ドダシャ(달하 노피곰 도다샤)」を聴く。「井邑詞」歌詞からリメイクしたという今様。

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最近、本プログラム紹介の音楽に古来の内容を持つものの、演奏や歌が本来の国楽とはいえないものが増えているような気がする。できれば、現地採集録音による民謡などを徹底的に紹介していただければと思う。KBSの録音データベースには素晴らしい宝の山があるはずだから。

2015年2月17日火曜日

江戸奉行大久保長安一族

先日の日曜日(2/15)、石見銀山について講演会があった。おもしろいテーマを選んで話しを聞かせてくれる団体(「雑学大学」)が主催したものだ。

以前、別団体主催だが、多摩の代官シリーズで、江戸初期の代官頭大久保長安と部下の話しを聞いたことがある。彼は才を見込まれ外様ながら徳川に従う。しかしながら彼とともに、彼の元で働いた十八代官には厳しい最後を迎えるものがあった。
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代官頭大久保長安(1545~1613年)は、(多数の金山を抱え甲州金で知られる)甲州武田家で、蔵前衆として金穀(金銭と穀物)をつかさどっていたが、同家滅亡後に徳川家康に仕え、八王子の代官や、金銀山(石見、伊豆、佐渡、南部)の開発とその金山奉行を勤めた。死後、疑獄が起こり一族は処罰される。

徳川の支配に、直接支配の「幕領」、間接支配の「私領」(知行権を与えられた:家臣旗本と大名)、「寺領」、「社領」がある。(八王子を治める大久保長安の下にいる十八代官について)
・十八代官は、幕領(=天領)支配を担った。
・十八代官は、在地性の強い世襲代官で、出自は圧倒的に旧武田家が多い。
・十八代官は、必ずしも十八家だけが担ったわけではない。代を経て、非役の小普請に落とされたり、切腹する者もいた。
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このとき、「徳川の不正に対する厳しさを、武田家末裔を体制から削ぎ落とす(意図があったかどうかは分からぬが)怖さを感じた」と感想を綴ったが、そう解釈してもよさそうなことを、石見銀山の話しからもうかがえた。

今回、熱水鉱床を持つ石見銀山について、関東石見銀山会会長渡辺辰朗氏から次のような話しを聞かせていただいた。鉱山技術で、露頭掘りから水平坑への発展、水平坑の換気と、水対策のための水抜坑を並走させたこと、また「山師」について、今でいうプロジェクトマネージャー的な、あるいはそれ以上の存在、銀山経営者だったことを知る。
さて、そのとき頂いた解説者著書「世界を動かした石見銀山」に、大久保長安に関連した次の記述がある。
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江戸時代草創期の天領支配は、奉行の裁量範囲が広く、運上にしても坑道開発投資にしても自由裁量で決められていたようです。・・・大久保石見守が余剰金を確保したのはごく当り前のことだったわけですが、病没するや否や「私服を肥やした蓄財は、幕府に対する陰謀あり」と一族郎党ともども処刑されてしまいます。あまりにも役職が集中したことは外様でありながら権力基盤を持ちすぎたことがねたみとなり、成長期に入った徳川幕府にとっては削ぐ必要があったのかもしれません。
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(ここに至る様々な伏線があるようだが)ある意味、権力集中の恐ろしさをまざまざと見せつけられる出来事だ。

2015年2月16日月曜日

イ・ソンヒ3位 (50歳以上に人気の歌手)

1984年に20歳で本格デビューしたイ・ソンヒは、今や50代を迎え、彼女を慕うファン層(通称「姉さん部隊」)と共に時代を重ねてきた。ファンの結束は固く、彼女への支持は変わらない。

番組「無限に挑戦」の「土曜日、土曜日は歌手だ」(以下「土土歌」)*で見たい歌手を50歳以上にアンケートした結果、文化ジャーナル21の記事「50歳以上が望む『土土歌』・・・チョー・ヨンピル、イ・ムンセ、イ・ソンヒ」(2/16、イ・ヨンギョン記者)は次のように報じている。(抜粋)

(*)正直いいますと、この若者番組についてはよくわからぬけれど・・・。

50代以上の男女総合のアンケート集計で、イ・ソンヒが人気3位という。(上位陣男性の中で、女性として健闘している)

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・中高年のための「土土歌」を作るならば、どんな歌手を見たいか? 我が国の50歳以上は、チョー・ヨンピルとイ・ムンセ、イ・ソンヒを最も見たい歌手に選んだ。

・今回のアンケート調査は、50歳以上のためのライフケア・メンバーシップ・ブランド「全盛期」が去る1月15日から20日まで、50代以上の男女300人を対象にオンラインを通じて行われた。

  (グラフ) 「50+の『土土歌』には誰が出場したらよいか」(上:50代以上全体、下:50代以上女性)

・複数応答を可で、今回の調査結果、50歳以上男女が「土土歌」で見たい歌手1位は、チョー・ヨンピル(35%)が占めて、イ・ムンセ(27%)、イ・ソンヒ(20%)、Twin Folio(19%)、ク・チャンモとペ・チョルスが共に活動した隼(16%)がその後を継いだ。山びこ(15%)、アン・チファン(13%)、ひまわり(10%)、ヤン・ヒウン(9%)、イ・チャンヒ(8%)も10位圏に名前を上げた。

・チョー・ヨンピルの場合、50歳以上を男女で分けたり、50代と60代以上で分けたりして分析した全ての場合に、1位または、2位を占めて卓越した「歌王」の位置を表わした。50代男性と60代以上男性が選んだ、また見たい歌手の圧倒的な1位もチョー・ヨンピルだった。

・50歳以上の女性だけを分析してみれば、1位はイ・ムンセ(34%)に変わる(男性1位はチョー・ヨンピル)。その後を、2位チョー・ヨンピル(28%)、,共同3位は、アン・チファンとTwin Folio(18%)、5位イ・ソンヒ(14%)が占めている。イ・スンチョルが歌っていたグループの(ロックバンド)「復活」がまた見たいという50代女性も多数で、イ・スンチョルと復活は50代女性が挙げたまた見たい歌手9位に上がった。

(以下略)
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2015年2月15日日曜日

イ・ソンヒ「バラ」

イ・ソンヒのファッションといえば、メガネにスーツとズボン姿が思い浮かぶ。その彼女が、コンサートで大胆な服装をしたことがある。世宗文化会館での22周年コンサート(2006年)ステージに、大胆な真紅のドレス姿で、13集所収の「バラ(장미)」(作詞・作曲イ・ソンヒ、2005年)を歌ったのだ。

(本ブログ関連:”バラ(장미)”)

バラは、高貴さと妖艶さを、美しさのなかに棘がある相反した特徴を持つ。そこに魅力を感じるのだろうか、彼の国では、一般的な花の中で一番愛されるのは「バラ」だそうだ。「あなたに口づけしたい/ああ、その唇はどれほどうっとりするだろうか」、「愛と憎しみの両方を持って」とイ・ソンヒは情熱的に歌う。

それにしても、あっと息を呑む、イ・ソンヒのダンスはぎこちない・・・でも、それがいいのだよ。


「バラ(장미)」

あなたにバラを渡す
その赤い香気、あなたに伝える
私を忘れて眠る夜に
あなたの部屋いっぱいに、バラの花の香気が広がるまで

私たちの愛で生きよう
短い生涯を、夢見るようにしよう
二度と来ないこの瞬間に
愛する時間は、あまりあるではないか

一瞬としても、およばぬとしても
その喜びにひたってみるべきでないか
生きてみて、胸がときめく
時が多くないことを、よく知っているから

その先が痛みだとしても
両の手を広げて、あなたを抱こう
愛しよう
生きてみて
私たち二つの心、熱くなろう
______________

あなたに口づけしたい
ああ、その唇はどれほどうっとりするだろうか
太陽の下、柔らかな花びら
さらに赤く染まっていくのね

愛と憎しみの両方を持って
風の最後にあなたのすべてを預けて
大きくなっていくあなたの熱望は
遥かその昔の、草原を描いているのか

その先が痛みだとしても
美しく咲いたのね
風に触れて
花びらが散るとても
そのこころは、熱く咲いて散る

(Youtubeに登録のD I V A ■ LEE SUN HEE ■に感謝)

2015年2月14日土曜日

石焼き芋

そういえば、街で石焼き芋売りの姿を見なくなって久しい。小型トラックに石焼き道具を乗せて、「石焼~き芋~、ぇえ、石焼き芋~」といいながら廻っていた。そんな移動販売の石焼き芋売りから買ったことがある。たまたま行き合わせた幸運な巡りあわせだった。それがあるときから、値段が急騰した。芋が高くなり過ぎたからか、あるいは売り手が高齢化したからか分からないがすれ違うことがない。

子どもの頃、近所に石焼き芋を売る小店があった。店頭に置いた立て長の釜で焼いていた。ラジオ番組に、花菱アチャコが主人公の「お父さんはお人好し」があって、冬は焼き芋を、夏はアイスキャンデーを売っていたような・・・記憶がある。昔は寒かった。ホクホクしながら食べる焼き芋はそんな時代にピッタリの(菓子という雰囲気でない)食べ物だった。それだけに、子どもにとって印象が強かったのだろう。それに番組で、浪花千栄子のおかみさん役は本当によかった。いかにも、家庭を裏で支える母性的な存在と子どもながらに感じた。

(本ブログ関連:”ラジオの時間”)

今は、スーパーに行くと、入り口に石焼き芋装置があって石焼き芋を売っている。焼きたての香ばしい香りが漂い、引き寄せられるように手が出る。まさに衝動買いの極致だ。この最初の一撃で、買物の手が緩むのかもしれない。出口に置かないのがミソだろう。

高品質の高目の芋でなくても、石焼き芋はそこそこ美味い。石焼き芋は最高だ。

2015年2月13日金曜日

若いって?

いつまでも若いってのはめでたい。溌剌さを忘れないのは大事だ。元気なままでいるのは羨ましい。

といって、勘違いした若作りファッションに身を包むのではない。変わらぬ探求心、チャレンジ精神があればこそだ。

人類は、他の霊長類から、妙に若い奴らだと思われているかもしれない。恐ろしくて危険な生き物ながら、一方で火星旅行を実現しようとする。きっと不思議に見えるだろう。

人類は、幼児や子ども時代の感性を延長をしているようだ。幼いときの好奇心を持ち続ける、そんな入れ物なのだ。

この入れ物、どうやってできあがったのか。「ネオテニー」や「自己家畜化」で語られるけれど、きっとそう望んだからだろう。誰が望んだって・・・、そりゃあ自分からだろうけれど。

生き物はみな、そんな要素を持っているに違いないと思う。野生のキツネだって、(代を重ねて育種することで)甘えん坊で、人なつっこいものになるという、そんな番組*があった。

(*)NHK:「いのちドラマチィックスペシャル-オオカミはこうしてイヌになった」(1時間30分)

2015年2月12日木曜日

イ・ソンヒ「冬哀傷」

イ・ソンヒの「冬哀傷(겨울애상)」(5集所収、1989年4月10日)は、冬の冴え渡る凍ったような空気に思いを吐く歌だ。そんなイメージを膨らませてくれるが、雪景と真正面に取り組んだ、何とも珍しい映像がYoutubeにあった。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「冬哀傷」を作詞した場面”、”冬哀傷”)

韓国MBCの画面のようで、ネットワーク(네트워크)のデザイン文字が合わせて表示され、拍手も聞こえてくる。Youtubeのタイトルは、ミュージックビデオとあるが、MBCの放送録画だろうか?

イ・ソンヒは雪降る原野をひとり行く。幻のように現れた子ども(幼い頃の自身の姿か)とも別れ、真っ白な雪原を彷徨う。画面終盤に、なぜかイ・ソンヒは雪の上に仰向けに倒れる。そこに微笑む少女がオーバーラップする。

正直言ってこの展開、相当無茶振りでないかって、そんな気がしたよ。降りしきる雪に、撮影は大変だっただろうと想像する・・・若き日のイ・ソンヒにとって、忘れられない思い出になっているかもしれない。


「冬哀傷(겨울애상)」

星明かりに澄み映える  私の悲しい顔よ
雁が鳴きながら  飛び去る  空を  見る

懐かしさ雪のように積もり  丘を転がり超えて
青い月明かり  降り注ぐ  私の空っぽの  庭に
*
風は木の葉を 吹きたてて  消えたが
なぜ痛く懐かしい小船は  私の胸に浮かんでいるのか

消すことが  できないのか
冬になるとよみがえる姿

青く冷たい  私の愛
凍ってしまった悲しい後姿

(*以下繰り返し)

凍ってしまった悲しい後姿

(Youtubeに登録のjenny.kimに感謝)

2015年2月11日水曜日

宇宙のスマイル写真

今日は建国記念の日。いつもなら水曜日は、健康体操に通うはずだが祝日のためお休み。というわけで、のんびり休日を過ごす。

NASA公開写真
ところで、ネットにおもしろい写真があった。何と、宇宙にスマイル像が浮かんでいるという。NASA/ESAのハッブル宇宙望遠鏡(の広域惑星カメラ2(WFPC2)と広視野カメラ3(WFC3))で撮影された銀河団SDSS J1038+4849が左の写真だ。

(本ブログ関連:”宇宙”)

2つの明るい目は銀河の輝きであり、口元と、回りを囲む輝きは巨大な重力によってできる重力レンズ(特別な場合、アインシュタインリングとして知られている・・・そうだ)の効果という。重力が光を曲げるというのだが、凄いというか按配がよろしい。

この写真の通り、宇宙に行けば人間の目にそのまま見えるのか、それとも露光時間がかかるものだろうか。もし、宇宙を航行していてこんな光景に遭遇したら、きっと笑みがこみあげて、おもわず手を振ってしまうかもしれない。

KBS WORLD「国楽の世界へ」立春3曲

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/4)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第91回として、立春(입춘)(2/4)にまつわる3曲の話を紹介した。

(本ブログ関連:”立春”)

始めに、太陰暦とそれを補正する二十四節気が使われたことと、立春について次のように紹介された。
・昔、月齢に基づいた旧暦(太陰暦)を使った。農業では、太陽の動きが重要だったため節気が考えられ、1年を太陽の動きに合わせて24等分に分類(二十四節気)した。節気の始まりが、まさに立春である。立春は太陽暦の2月4日辺りになる。ちなみに旧正月は、昨年の1月31日、今年は2月19日となり、立春(2/4)がその間に二度あることになる。韓国では、こういった年に結婚をすると縁起が良いといわれた。

▼ 横笛ソグム(小笒)・テグム(大笒)、弦楽器ヘグム(奚琴)とギターによる演奏「風が伝える言葉(바람이 전하는 말)」を聴く。素朴ながら憂いを含んだ春風、どこか高原の響きして、今様である。

次に、立春を祝う行事「春聯(れん)」について次のように紹介された。
・立春に健康と幸せを祈って、漢字で「立春大吉(입춘대길)」と書いて貼り紙する風習がある。または、喜ばしいことを祈願して「建陽多慶(건양다경)」を書く。普通は短く書くが、昔の記録に長く書くものもあった。日記を書くように、「今は貧しくても、まだ若い上に両親も健康だから、暖かい春になると喜ばしい兆しもあるだろう」といった内容もある。

▼ 弦楽器ヘグムに似た中国弦楽器二胡(アルフ)による演奏「故郷の春(고향의 봄)」を聴く。春のぬくもりにまどろみつつ浮き浮きしたアレンジで、今様である。

・二胡は二弦からなり、弦の間に弓を入れて音を出す。二胡はバイオリンのように柔らかい音を出す反面、ヘグムは鋭い音色が特徴。

最後に、季節の始まりが春、節気の始まりが立春であと次のように説明された。
・東洋では春を、宇宙の気運が下から上に湧き出る季節とする。ゆえに植物も育つ。また四季を人生に例えると、春が子どもの頃に当たるというのもそのためだ。春は気運が湧き出る季節、始まりの季節であり、立春は節気の始まりである。

▼ 若芽が弾ける様子を演奏した歌と演奏「春()」を聴く。春を南国の陽気さで歌う、今様である。


※ 今回は、国楽をひと休憩したのかな・・・春は陽気に!といった感じの回だった。

2015年2月10日火曜日

ライブステージ撮影

日本のコンサートでは、客席のファンによる、ライブステージの撮影は肖像権、著作権もあってご法度だ。全てのコンサート事情を知っているわけではないけれど。

韓国ではどうなのだろうか。聞くところによると、バラードのように歌に専念しているときは当然禁止されるが、撮影タイムというのを設けたりするそうだ。こちらも、全てのコンサート事情を知っているわけではないけれど。
Youtubeに登録のライブステージ映像に、放送局などが撮影した以外に、許可なしのファンによるものもあるようだ。つまり、ピンぼけしたり、手振れの激しいものがある。イ・ソンヒのコンサート映像の場合、Youtubeの画面下にファンクラブのURLを明示されているものがあって、もしかしたら許可を得ているのかもしれない。

最近、カメラ性能がいいので、ファン写真といえどもクッキリ、スッキリしているのが多い。おまけに、手軽にフォトショップを使いこなせるようで、ますます鮮明な映像を見ることができる。そのためには、それなりのカメラとソフト&PCが必要なわけだが。

ある(一眼レフ+望遠所有の)ファンから聞いたことだが、一眼レフカメラ以外にビデオカメラまで用意しているというのでたまげた。イ・ソンヒのコンサートの場合、(公演開始前にチラリと撮ったことあるけれど)公演中は撮影禁止だったため、うらやましいような残念なような気がする。しかも、手元のカメラは、超軽量級のデジカメなので望むべくもない。

2015年2月9日月曜日

寒いっ

この冬一番の寒気といわれるたび遣り過してきたが、今日の寒さには参った。通り道に風が吹いているわけでないのに、耳が痛いほど。空気の冷たさに、おもわずコートの襟を閉じた。

図書館帰り、ファストフード店に寄る。先日マスコミを賑わした余波か、店内はがらんとしている。窓側の陽だまりの席を見つけて坐り、しばらく時を過ごした。

全盲のスーダン人が日本語で書いた、日本生活記「わが盲想」(モハメド・オマル・アブディン、ポプラ文庫)を読む。えっ、どうやって書いたの、ということから関心が始まる。パソコンの読み上げソフト、文字変換機能(漢字変換した文字について音声解説する機能)を使って書きあげたそうだ。言葉の才能あふれた方のようで、親父ギャグまで連発する・・・。

店内で、幼い声が聞こえてきた。父親と来ているようだ。相手してくれるたび、「パパァ、ありがとう」って何度もいうんだよ、それも天使のような声で。素直な感謝と、あまりにきれいな心に心配になるくらいだ。

紙ナプキンを取りに行ったついでにのぞいてみれば、小さな女の子だった。息子しか知らぬ私には、この子のお父さんが羨ましかったよ。大事に大切に育てて欲しい。

外の冷えは深まって、ついに雪が降り始めた。帰宅が大変かなと躊躇するほどだったが、すぐに止んだ。長居は無用。陽も傾いたところで席を立った。

2015年2月8日日曜日

イ・ソンヒの「分かりたいです」

イ・ソンヒの「分かりたいです」は、聞くたび、様々にイメージが広がる。聴く側の人生によって受け止め方が変わるからこそ、思わぬ伝説も生まれた。ひとは伝説に身を寄せて、そこへ想いを同化させるのだろう。この曲が聞き継がれるのは、そのような普遍性を持っているからかもしれない。

(本ブログ関連:”分かりたいです”)

昨年、世宗文化会館での30周年コンサートで、この曲を歌うイ・ソンヒは、人生を表現しているようにも見える。夢路の切なさに想いをつのらせる若い心を、あたかも抱擁するように、月夜がまるで長い人生でもあるように聞かせる。


「分かりたいです(알고 싶어요)」

月明りの夜、あなたは、誰を想いますか
夢路で、あなたは、何を見ますか

深い夜、一人醒めて、涙流しませんか
時に日記に、私のことも、記しませんか

私と逢って幸せでしたか、私の愛を信じますか
あなたを想えば、全て気掛かりです
               ____

一日中、私の想い、どれほど重ねますか
私本当に、あなたの、心に入りますか

雀のように、騒いでも、今でもかわいいですか
忙しいとき、電話しても、私の声嬉しいですか

私はとても綺麗ですか、心から私を愛してますか
本当に分かりたいです、話ししてください

(Youtubeに登録のBolMaeRaina님의 채널に感謝)

2015年2月7日土曜日

インスタント

インスタントといえば即席ラーメン。中学時代、親が数日旅行するので留守番したとき、その間の食事は即席ラーメンさえあれば大丈夫と大見得を切ったが、2日しかもたなかった。やっぱり、あれは連続して食べるものではない。

インスタントコーヒーは美味くなったとはいえ本物に程遠い。昔、マーケティングのセミナーで缶コーヒーについて面白い話しがあった。講師が言うには、缶コーヒーメーカーでは誰一人本物のコーヒーと同じだなんて思って・・・というのだ。つまり、いかに本物を感じさせるか(イメージさせるか)が商品開発なんだと。

幼い頃、隣家は新婚家庭だった。幼稚園前のことだから遠慮もなく遊びに行ったようだ。そのとき、始めて知った。豆を轢いたのだろう、コーヒーの香りが家中に漂っていた。それは大所帯のわが家とは違う別世界だった。

毎日飲むコーヒーを美味しくできないだろうか。ドリップ式も良いが面倒なので、インスタントコーヒーに一手間掛けるだけでいい、何か方法はないかとネットで情報を探したところ、NHKの番組でアイデアが放送されたという。やってみた。

コーヒーカップに、スプ-ン一杯分の冷たい水を入れ、インスタントコーヒーとしっかり混ぜ合わせるというのだ。こするようにして掻きまわすといい香りがしてくる・・・なるほど。次に、湯を入れて飲む・・・いつものインスタントコーヒーとは確かに違う。苦味が強調されて、粉っぽさが薄らいでいるのに気付く。

でも、インスタントに本物を要求してはいけないことだけは確かなようだ。

2015年2月6日金曜日

(資料)朝鮮半島の最大の地震

地震は恐ろしい。震度3ともなれば体感程度でおさまらず、家屋がかなり軋むし、震度4以上は恐怖が増す。私の経験した最大のものは東日本大震災のときで、地元は震度5弱に揺れ、わが家の大谷石の石塀が倒れた。

(本ブログ関連:”地震”、”震災”、”韓国の地質”)

韓国にも地震があって、ソウル聯合ニュースの記事「朝鮮半島での地震 昨年は51回=最大M5.1」(2/1、日本語版)は、昨年、マグニチュード5クラスの地震が発生したと次のように報じている。
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・韓国国民安全処が1日公開した昨年の災害関連統計*によると、朝鮮半島では51回の地震が発生した。回数は2005年から10年間の年間平均(52.9回)とほぼ同じだった。
・昨年最も大きかった地震の規模は、西部の忠清南道・泰安の沖合で4月に起こったマグニチュード(M)5.1だった。1980年に北朝鮮北西部(平安北道)の義州で起こったM5.3以来となる規模で、観測史上4番目に大きかった。
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(*)「詳細国民の安全統計」は、25日から国民安全処(국민안전처)のホームページ(www.mpss.go.kr)に公開される。

(参考)韓国気象庁 地震情報(지진정보)


▲ Youtube映像: 現在存在せず (Youtubeに登録のARIRANG NEWSに感謝)


(参考)Youtube YTN NEWS、国内地震ますます増加 ~2013)

では、韓国の歴史上最大の地震についてはどうだろうか。「歴史地震」掲載の「韓半島で発生した最大級の地震 -1681年6月韓国東海岸地震-」(秋教昇、朴昌業、都司嘉宣、Vol.20(2005)p.169-182)に、1681年の江原道襄陽、三陟で発生した地震を次のように紹介している。

○癸亥/江原道地震, 聲如雷, 墻壁頹圮, 屋瓦飄落。 襄陽海水震蕩, 聲如沸雪岳山神興寺及繼祖窟巨巖, 俱崩頹。 三陟府西頭陀山層巖, 自古稱以動石者盡崩。 府東凌波臺水中十餘丈石中折, 海水若潮退之狀。 平日水滿處, 露出百餘步或五六十步。 平昌、旌善亦有山岳掀動, 巖石墜落之變。 是後, 江陵、襄陽、三陟、蔚珍、平海、旌善等邑地動, 殆十餘次。 是時, 八道皆地震

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・記録: 朝鮮王朝実録、粛宗七年五月癸亥十一日
・時期: 1681年6月26日
・震央: 江原道江陵~襄陽の沖合海底
・規模: マグニチュード7.5
・震度: 襄陽5、雪岳山神興寺および継祖窟7  【震度: 日本震度(JMA)】
・津波: 発生
・前震: 1681年6月12日 ソウルでも「家屋跳ね上がり、窓壁落ち」たという。
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当時の人的災害については触れられていないが、現在、襄陽から蔚山に至る海岸には臨海工業団地、原子力発電団地があり、防災対策の必要性が述べられている。

2015年2月5日木曜日

イ・ソンヒの「I Have To Say Goodbye」

天気予報は、今日一日雪降りということだった。雨に負けたのだろうか、通り道には雪の気配がない。静かに終日氷雨が続いている。Twitterに、「降る降る詐欺」だといったジョークが賑わっているそうだ・・・なるほど、そんな気がしないでもない?。

でも、日常は何ごともなく過ぎる。この平凡であることのありがたさをつくづく思う。偶然の幸運が連鎖する日常に、感謝しなければと思うのだが。

ところで、イ・ソンヒには、自称ファンとして、女性を絶えず意識しなくてもいい気安さがある(ように思う)。街なかですれ違ったとしても、後でアッと気付くような普段さといっていいのかもしれない・・・安心感だ。だからこそ、Youtubeを見ながらも、彼女の歌に専念できる。

イ・ソンヒが「I have to say goodbye」を歌うステージ上の仕草をとらえたスクリーンショットのYoutube映像がある。瞼を伏せた物憂い女性像を選んだようで・・・おやっと気になるけれど、やがていつもの彼女らしい姿にもどってくれる。自称ファンとしては、ホッとする。以上、歌の内容とは関係なかったけれど。

(本ブログ関連:”I Have To Say Goodbye”)


「I Have To Say Goodbye」

あなたを愛したんじゃないわ、ただ酔ったのかしら
すれ違いはいやだったの、初めは本当にそうだった
電話を待ったりもしたわ、こっそり隠したときめき
あなたのその眼差しの中で、道に迷ってたわ
*
だけど、私には久しく一緒だった
人がいるって、知ってるじゃないの
私が全てである、彼をどうするの
しばらく(あなたと)一緒だった、時間を忘れて

now I have to say goodbye

互いを消さねばならなくて
うろたえさせないで
私の久しい彼を捨てられない

あなたを忘れたいの

(*以下繰り返し)

(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2015年2月4日水曜日

立春2015

春の兆しを少しは感じながら・・・というわけにもいかぬ冬真っ最中、風の寒さを身にしみ健康体操に行く。今日は二十四節気の始まり「立春」である。季節のけじめ、少しは気合を入れたいと。

(本ブログ関連:”立春”)

だが、運動が終わると、まるで一仕事したかのように疲れる。熱心だったっからか・・・いや、この教室を頼りにして、他に何にも鍛錬していないからだ。体操の要所要所で、この運動を自宅で百回してください、なんていわれるたび床を向いてしまう。全くできの悪い受講者だと自覚している。

明日、また雪が降るという。帰り道、近所のDIYの店に寄ると、入り口に雪掻きスコップがずらりと並んでいた。さあ、やって来い雪よ、とっくに雪掻きスコップは用意済みだ。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 広大ソリ

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/28)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第90回として、大道芸人「広大(광대≒ピエロ)」の歌「広大ソリ(광대소리)」(ソリ=声、音)、犬の辛さを歌う「犬の愚痴(개-넋두리)」、多様な楽器の自由演奏「ノルムマチ・シナウィ(노름-마치 시나위)」にまつわる話を紹介した。

(本ブログ関連:”広大”)

始めに、大道芸人「広大」の芸と、その身分について、次のように紹介された。
・伝統芸として仮面演劇・舞踏(탈춤)、綱渡り(줄타기)、パンソリなどで人々を楽しませた広大の身分は最も低かった(=賎民)。
・朝鮮時代、冬の終わり、ある仲の良い広大の夫婦がソウルを横切る漢江(한강)を渡っていた。当時、この季節の漢江は表面が凍った。夫の広大は仮面を被っていたずらし、妻はその姿を見て笑っていたところ、急に氷が割れて妻が穴に落ちた。夫は仮面を外すのも忘れ必死に助けようとしたが、妻は溺れてしまい、夫は泣き崩れた。通りがかりの人々は事情も知らず、広大の芸と思い腹を抱えて笑った。ある本に記録された心痛む話だ。

▼ 歌「広大ソリ、広大の歌」を聴く。曲の響きと異なって、存在を瑣末にすることへ、届かぬ異議申し立てのよう。

次に、朝鮮時代の広大の朴春載(박춘재、1881年~1948年)と歌「犬の愚痴」を次のように紹介された。
・人を笑わせる仕事ながら、自ら笑えないのが広大だ。朴春載は、一時、朝鮮の宮殿で王の寵愛を受けた人気ある広大だった。権力のない庶民や社会的弱者の話を演じる、広大の社会的な役割をよく知っていた。
・犬が愚痴をこぼす歌「犬の愚痴」がある。シャーマニズムを源流とする信仰「巫俗(무속)」を仕切る「巫堂(ムーダン、무당=シャーマン)」が「祭祀(クッ、굿)」を行うとき、よりによって犬の魂がムーダンの中に入ったという歌だ。

▼ 犬の辛さを歌う「犬の愚痴(개-넋두리)」を聴く。漫談のよう・・・次の(参考)を見ても笑いの要素が複雑で・・・。
(参考)大字報(壁新聞)の記事「伝統ギャグミュージカル『漫談ソリ』に耳を傾けてください」(2008年12月7日

最後に、映画「王の男(왕의 남자)」に登場する広大について次のように解説された。
・朝鮮時代の広大は、支配階層と一般庶民の間で、ストーリーを演じる役割もした。社会の矛盾や庶民の悲しみを表すパンソリもその一例。その過程で、時には自分の命が危うくなることもあった。映画「王の男」は、朝鮮時代、王を風刺した広大が死罪に処せらる実話をもとにした作品だ。

▼ 演奏「ノルムマチ・シナウィ」を聴く。以前の放送で、ノルムマチとは、「ノルム(노름=遊び)と、マチ(마치=終える)の意が合わさり、『共に遊ぶ時間を終える人物』」と聞いた。東洋風味の今様である。

シナウィとは、(巫俗儀礼を起源にする)一定の決まりの中で自由に演奏する音楽を指す。映画「王の男」には、多数のためなら自分の命も惜しまぬ広大が登場する。

(本ブログ関連:イ・ソンヒの「因縁(인연)」、この歌は、実際は映画「王の男」のOSTでないが関連して余りに有名)

(Youtubeに登録の권성범に感謝)

2015年2月3日火曜日

節分 2015

今日は二十四節気の始まり「立春」の前日、「節分」である。行事として、鬼払いが行なわれるが、「追儺」を起源にしていて、「」はその先導者の名残りといわれるようだ。子ども時代に記憶をたどれば、戸を開けて煎り豆を外へ撒いて「鬼は外!」、内に撒いて「福は内!」と叫んだ楽しい思い出がよみがえる。

(本ブログ関連:”節分”)

鬼は日本特有のものという。モジャモジャ頭に二本の角を生やし、睨むように大きく鋭い目をして、牙を剥き出している。容貌だけでなく、上半身裸で筋肉隆々とした体躯に虎皮の褌(ふんどし)姿は、いやがうえにも恐怖を感じさせる・・・はずだった。

けれど、昼間の絵本の世界に引っ張り出された鬼は、桃太郎に征伐されていたし、節分の時期ともなれば豆を投げれると逃げ出す存在だった。江戸の黄表紙「桃太郎後日噺」(朋誠堂喜三二)には、鬼を連れてきた桃太郎一家のどたばた劇が描かれている。鬼はいつのまにか優(やさ)男に成り果てているのが悲しい。

(本ブログ関連:”桃太郎”)

ところで、鬼はどこから生まれたのだろう。ときに考えることがある。わたしたちが人類に進化した頃、恐竜は既にいなかったにもかかわらず、滅んだはずの彼らの姿に今も深い恐怖を覚えるのはなぜか。恐竜が存在していた時代、ネズミのようにして草陰で脅えていた記憶が、遺伝子に受け継がれているのではないかと・・・。そうだとしたら、鬼への恐怖も、わたしたちの祖先がこの世界で感じたいいしれぬ異型の恐怖という、何かがあったのでないかと空想してしまう。

2015年2月2日月曜日

狐 葛

について、九尾狐から葛の葉までいろいろ採集しているが、寄せ集めのことゆえ何の深化もないけれど、こんな話しがある。

(本ブログ関連:”九尾狐”、”葛の葉”)

日本書紀」の斉明(さいめい)記に、7世紀の半ば、女帝は溺愛した孫の建皇子(たけるのみこ)の夭折を悲しみ、出雲国造に命じて厳神宮(いつかしのかみのみや)を修造させる。その工事のさなか、狐が現れて於宇郡(おう)郡の人夫(役丁)の持っていた葛(かずら)の末端を食い切って逃げたという。実は、ここでは犬の怪異もセットされるという忌まわしさもあるのだが。

「狐噛断於宇郡役丁所執葛末而去」(日本書紀-朝日新聞社本)

「葛の末端」とは一体何のことか。柱を引く(或いは縛る)「かずら」(葛、蔓)の綱の端(はし)だそうだが、ここで、「末端」を「はし⇒は(葉)」と読みかえて、強引に「葛の葉」とすると、陰陽師安倍晴明の誕生につながる言葉となる。

そこまで駄洒落に過ぎなくても、狐と葛には関係が深そうだ。からみ付き縛る蔓のもつ生命力に関わるのだろうか。狐がこれを噛み切ったのは、みかどの崩御の予兆につながることだった。狐は運命を狂わせるもののようだ。でもそれがなぜ狐なのか。

「<言屋、此云伊浮耶。天子崩兆。>」(日本書紀-朝日新聞社本)

2015年2月1日日曜日

錫高野#20

またしても1年振りの錫高野へ鉱物採集に行く。昨年は1月26日の晴れ空だったが、今年は一昨日の雪がズリ一面を覆っていた。そういえば、2011年1月23日の残雪と同じ状況だ。
年初の鉱物採集場所が、錫高野が恒例になっているのに気付く。栃木県や埼玉県の山中はまだ雪が深いだろうから、茨城県にしようと何となく決めている。

(本ブログ関連:”錫高野”)

今日も、始発電車をホーム待合室で待つことから始まった。空は暗く寒い。朝が明けたのは集合場所を出発してからのことだった。いつもお世話になるH氏の車に同乗して錫高野に近づくと、辺り一面、残雪が広がっているのに目が付く。ちょっと心配になる。

左写真のように、仏国寺山麓から斜面を越えて、錫高野へ至る林道を進む。まるで雪景色。薄く凍った雪面をズボッ、ズボッと音を立て、踏みしめながら進む。

陽射しに照らされた岩場やズリ斜面は雪が溶けているものの、少しでも陽陰になると雪は深く積もっていた。大丈夫かな・・・心配無用、H氏はどんどん先を進む。

いつもの採集場所を見ると、雪にすっぽり埋もれていた。そこで、沢筋にある地点Aに進み採集を開始した。沢を吹き降ろす風が冷たい。準備のビニール雨合羽に救われる。蒸れすぎて、ときどき換気が必要だったが。ところで、フードをかぶると音がこもって、誰かが後ろからついてくるような錯覚をする。あわてて辺りを見回したりする・・・そんなはずないのに。

次に、陽射しを正面から受ける巨大な岩場、蛍石の採れる地点Bに場所を移す。思いの他いろいろと収穫に恵まれる。そしていろいろいただきものをする。

以上、成果物を次に一覧する。
・地点A: 黄銅鉱、ブロシャン銅鉱、鉄マンガン重石
・地点B: 蛍石、孔雀石?、白雲母、鉄マンガン重石(豪華版をいただく)、硫砒鉄鉱、(自称)電気石

帰り道、乗換駅ホームにある、うどん屋で体を温める。熱いうどんに救われる。