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2013年9月14日土曜日

(資料)狐、托枳尼天、稲荷

稲荷の成立について、狐と托枳尼(ダキニ)の関係について。

(本ブログ関連:”稲荷”)

折口信夫「信太妻
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・日本の狐も、上古と近世には、やさしい感じを持つて語られて居るが、平安朝から後久しく、恐しくて執念深いものとなつたのは、托枳尼(ダキニ)の修法の対象として使はれたせゐであらうと想像してゐる。
・稲荷の狐は、南方熊楠翁の解説によれば、托枳尼修法の対象なる托枳尼(ダキニ)と言ふ狼の様な獣の、曲解せられた物だと言ふ事である。其は、外来のものであるが、固有の使はしめと思はれて居るものにも、此類の役獣がありさうな暗示にはなる。

J-Wikipedia「托枳尼天(ダキニテン)」
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習合: 狐は古来より、古墳や塚に巣穴を作り、時には屍体を食うことが知られていた。また人の死など未来を知り、これを告げると思われていた。あるいは狐媚譚などでは、人の精気を奪う動物として描かれることも多かった。荼枳尼天はこの狐との結びつきにより、日本では神道の稲荷と習合するきっかけとなったとされている。なお、狐と荼枳尼の結びつきは既に中国において見られるが、狐(野干)に乗る荼枳尼天の像というのは中世の日本で生み出された姿であり、インド・中国撰述の密教経典・儀軌には存在しないものである

<検討>
稲荷の起源と隆盛、発展と分岐は注意を要する。現在の稲荷信仰には、仏教系(托枳尼)と神道系があるが、どちらが歴史的に先に成立したのか。稲荷と狐の関係は成立と同時期か、それとも成立後に付け加えられたものか・・・知りたいところだ。