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2019年4月24日水曜日

道迷い遭難

朝から小雨がぱらつき、昼には小休止状態になった。ようやく「穀雨」になった気分。TVのニュースは、都心の駅前や交差点で雨傘をさす通行人の姿を報じた。出かけるタイミングがむつかしい。

(本ブログ関連:"穀雨”)

そうこうしている内に外に出るのを忘れ、ヤマケイ文庫の「ドキュメント 道迷い遭難」(羽根田治著)のページをめくった。スポーツとしての(日本アルプスから丹沢領域)登山で、登山者が体験した遭難のドキュメンタリーだ。(ヤマケイ=山渓)
読もうと思ったのは、登山への興味というより、遭難者の心理や意識について知りたかったからだ。もしかしたら、不思議な体験が語られてないか好奇心もあった。

元来、山についてそこに棲息するキツネやオオカミ(山神)の伝説だけでなく、猟師たちが経験した「山怪」という奇談、すなわち人智を超える不思議な体験に興味がある。

(本ブログ関連:”山怪”)

「山怪」の範疇でいえば、山に入って神隠しにあったり、キツネにだまされて行方不明になる話がある。大方、子どもより老人の方が多いようだが。結果として、① 意外にも村の近くや、② 想定外の山奥で偶然発見されたりする。特に大人の場合、本人はいつもの道を歩いていたと断言し、キツネにだまされたに違いないといったりする。周りの者は、彼らをボケてたのじゃないか、キツネにだまされたというのは言い訳に過ぎないと冷ややかだそうだ。山の生活圏とその近辺でも起りうるミニ遭難だ。

ところで、上記のスポーツ登山の場合、遭難者は勝手な思い込みでずるずると深みにはまり込み、みずから窮地へ突き進んでいく。最悪の場合、凍傷で指をことごとく切断することになる。生還したのが救いだが、その事例の場合、読みながら正直吐き気がするほど絶望的だった。
ルートマップに従わずショートカットしたり、標識を都合のよい方に解釈したりすることで始まる。結局は、何度も繰り返される鉄則、「おかしいなと思ったら引き返せ」とか、「道に迷ったら沢を下るな、尾根に上がれ」を無視してしまうことにある。もちろん遭難とは万事休すの状態をさすのだが。

最近、高齢者による自動車運転事故が繰り返されているが、この本の「あとがき(追記)」にも、高齢登山者による遭難の多さについて統計的紹介がされている。年寄りは、お互いによしみとしていうのだが、人に迷惑にならぬよう身の程をわきまえるべきだろう。