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2012年10月24日水曜日

(資料)レジェンド・プロファイル16弾-イ・ソンヒ

Daumミュージックに掲載のスペシャル企画連載「レジェンド・プロファイル16弾-イ・ソンヒ」(ムン・ジョンホ、2011年12月8日)に、イ・ソンヒのデビュー(1984年)から2000年に至るアーティスト(音楽家)としての変遷を、1990年代の変換に焦点をあて相当辛口ながら次のように記している。感謝。

(1980年代)
・イ・ソンヒといえば、常に少年のような顔とズボンだけに固執する特有の衣装スタイル、小さな体躯にもかかわらず客席の規模を問わず聴衆を圧倒させるすっきりした歌唱力などが思い浮かぶ。これは、ほとんど1980年代に確立され、今日まで続いているものである。俗に言うイ・ソンヒの黄金時代も1980年代に集中している。
1984年、第5回MBC「江辺歌謡祭」で大賞を受賞し、彗星のように登場したイ・ソンヒは、文字通り時代を代表するに不足ない活動を示した。特にヒット・ソングを量産して送り出す能力だけ見れば、同時代にイ・ソンヒより優位を占めることができる名前はほとんどない。いちいち羅列するのが難しい(音楽)チャートの成績や受賞歴がこれを代弁する。その中のいくつかは単発のヒットにとどまらず、時間と世代を超えた国民歌謡の位相さえ獲得した。
大衆にはじめてイ・ソンヒを刻印させた「Jへ」が代表的だ。「あ! 昔よ」と「ヨン」、「私はいつもあなたを」なども美しい曲だ。TVアニメ「走れハニー」の主題歌も欠かすことができない。真にすべて、時代が要求する健全さの標本であったし、イ・ソンヒもまたそのような役割を厭わず、国民の自負心を鼓吹させる歌もよく歌った
今でこそ「美しい江山」を聞いて、果たしてこれが原作者の意図を十分に反映した再解釈か疑問を持つが、当時国民学校低学年子供の胸まで食い込んだ痛快さを、熱心でなかった感情で片付けたくない。思い出をちょっと美化したいのに、窮屈にしてるんじゃないではないかと?

(1990年代)
・2000年代を生きていくということがちょっとうんざりされる頃、1990年代の音楽は豊かさに満ちていた時代の産物と格上げされた。しかし、1990年代に全盛期を享受した音楽家たちの大部分は、2000年代に入ってネームバリューのみ残しただけで、実質的に影響力を行使できなかった。
イ・ソンヒには1990年代がそれにあたる。1990年代がとうてい理解できないラップとダンス音楽であふれるロマンも何もない時代と呼ばれた時、イ・ソンヒは1980年代に全盛期を送った昔の人というだけだった。発表するに従い、誰でも歌える流行歌で作った1980年代のイ・ソンヒは最早存在していなかった。
しかし1990年代は、イ・ソンヒが最も意欲的に正規アルバムを作業していた時期でもある。当時、発表された結果を見れば、いかなる意味では1980年代よりさらに興味深い内奥がある。事実イ・ソンヒが1980年代に発表したアルバムは、流行歌の歌集としては優秀かも知れないが作品としての満足感はとても低い方だ。しかし1990年代のアルバムは、作品単位で何か残そうとする意志が強くうかがえる。例えば、本格的に国楽を試みた「小船(조각배)」(1992年、8集)と、はじめて自作曲で満たした「First Love」(1996年、10集)、はじめて1990年代(音楽)語法を受け入れ始めた「Dream of Ruby」(1998年、11集)などは、以前と差別される内容で面白味を与えた。微弱なチャート成績により大きく注目をあびられなかったが、イ・ソンヒそれなりに、絶えず新しさを追求して変化を模索したのだ。 これはボーカリストを越えた音楽家としての可能性である

(1990年代から2000年代へ)
・もちろん、そのような試みが完全に優れた結果を残したわけではない。「小船」での国楽の導入はボーカリストとしての地位が再確認させてくれただけで継続的な成果につながれなかったし、「First Love」は、唱法の変化と多様なジャンルの選択(権)を提示したが、開始段階以上ではなかった。メガネをはずし撮ったジャケット写真が印象的な「Dream of Ruby」は、1990年代に流行した作法とラップを導入するなど、視覚的な部分で予告されたように、非常に破格的な変身を込めたがあまり似合わなかった。
1990年代にイ・ソンヒが残した成果の中で最も素晴らしいアルバムは1980年代の方法論をより一層完成度あるように実現した「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年、6集)である。クラシックの旋律を加味して気品を高めることに肯定的な影響を及ぼした 「思い出のページをめくれば」とブルースを試みた「懐かしさは去って」、イ・ソンヒ特有の迫力を感じることができる「懐かしい国」などが入れられた「思い​​出のページをめくれば」は1990年代だけでなく、全体の結果を見てみても断然引き立って見える。

(本ブログ関連:"思い出のページをめくれば")

しかし、イ・ソンヒが1990年代に果敢に試みていた、残りの方法論が無意味に終わったわけではない。 これは、イ・ソンヒが再び成長する過程であった2000年代を準備する心強い足場となった。出発はやや揺れた。2000年代に入ってはじめて発表した「My Life + Best」(2001年、12集)は、「Dream of Ruby」の延長でユ・ヨンソクとパク・チニョンなどの曲を受けゴスペル的な要素とアフリカのリズムを取り入れたいくつかの試みはユニークたが、アルバムを主導した催涙性(感傷的な)バラードとの出会いは確かにぎこちなかった。

(2000年代)
結実が現れたのは「四春期(사춘기)」(2005年、13集)だ。 「First Love」から久し振りに自作曲で満たした「四春期」は、1990年代に試みとしてとどまっていた部分が最終的に自分の枠組みの中で成果を収めたことを証明する結果である。結局、整理と補完だ。
因縁(縁)」から漂う東洋的な色彩は、国楽に没頭した「小船」時期を連想させるアプローチの違いを見せ、(さらに)「なぜ?」という初期から試みたロック的な要素をもっとモダンに整えた曲だ。「First Love」が、他人の曲を受けたときよりも、直接曲を書いたときに魅力的にアピールすることができるかも知れないという余地を残したアルバムだったとしたら、「四春期」は、これを実現させたという点で意味を付与することができる。「ひまわり」と 「あなたの街」が収録された(現在の最新アルバムである)「愛よ...(사랑아...)」(2009年、14集)では、安定圏に入った作法とは別に依然として新しいスタイルに対する好奇心が感じられる。歌の感情線もさらに深まった。

(これから)
・イ・ソンヒを言うとき、高音と声量を根拠に、1980年代から今日まで何の変化なしに一貫した歩みを繰り返した歌手と規定することは適切ではない。特定の結果の達成に代弁されていないため、アルバム単位のアクセスを基本とする評価対象には退屈だが、流行歌をはき出した1980年代はもちろん、様々な変化を模索していた1990年代試行に伴う結実を収めた2000年代、どの時代を振り返ってみても歌手らしい歌手として残るための努力を怠らなかった時がない。他人の歌で歌手としての能力の検証を受けることも重要だが、私にはイ・ソンヒの道がより貴重にせまる。