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2017年10月31日火曜日

ハロウィン 2017

隣り町からの帰り道、ハロウィンの夜、辻に小さな妖精が湧いた。ほとんど女の子、ディズニーのお姫様かとまごうばかり、可愛い衣裳のおちびさんたちが、それもお母さんに囲まれて。

(本ブログ関連:”ハロウィン”)

一夜限りの楽しさに、母親が思いを込めて縫ったろう、無理ない仕立てが好ましい。妖精の姿を見るたび、何度微笑んだことだろう。

ところで、男の子の姿をほとんど見かけない。ハロウィン行事が完全に定着しきってないためか、照れくささのためか。近所で菓子を配るようになれば、男の子も化け物に、吸血鬼になるだろう。

今夜も都心で、若者たちが貧欲にハロウィン熱に浮かれている。昔、クリスマスに、父親たちが三角帽子をかぶって街を飲み歩いたことがあった。そんなバカ騒ぎも廃れ、今や家族で楽しむ日本独自の年末行事になっている。渋谷交差点が、ハロウィンの夜、平静に人々が行き交う時代がいずれ来るだろう。

2017年10月30日月曜日

「エアレース世界選手権」、「木枯らし1号」

今日の寒さは本格的。夕方、韓国語教室の往復に備え、完全防寒して出かけた。襟首を閉じ、手袋までしての冬装備。吐く息が白くなるまではなかったが、気分はとっくに冬だ。

そんな寒い日の、時間の順に見聞したこと二題を次に記す。

① エアレース世界選手権
今日の日付に変わった夜中、NHKテレビで「エアレース世界選手権2017」が放送された。パイロット室屋義秀(むろや よしひで、1973年生まれ)が日本人として初めて(アジア人としても初めて)、同選手権の <年間王者の座を射止めた> のだ。放送は、最終ラウンド(10月14,15日)の中継録画であったが、まるでライブのような興奮を覚えた。

以前、落下傘部隊の降下を見たことがある。映像などで持っていた勇壮なイメージとまるっきり違う、飛び降りる若者たちの存在がひしひしと伝わってきたのだ。そのとき、命を感じた、名前を持った生身の若者ひとりひとりの命を。

放送画面にもかかわらず、飛行機好きな素人の勝手な思いが許されないような緊張を感じた。レース会場は、「インディ500」で知られる、スーパーカーブーム以前の、ぼくらが子ども時代に夢見た場所だ。そして、うれしい取り合わせがあった。

画面に、日本人にとって、もう一つの永遠の到達点であったこの「インディ500」の2017年優勝者、日本人として(アジア人としても)初の、レーシングドライバー佐藤琢磨(さとう たくま、1977年生まれ)が駆けつけていたのが映った。室屋パイロットの優勝を祝って、両者が肩を抱き合い歓ぶ姿を見て、素人ながらもすっかり感動してしまった。


(Youtubeに登録のIndianapolis Motor Speedwayに感謝)

(合わせて、「インディ500」の佐藤琢磨の勇姿も見たい、雄叫びを聞きたい)

(Youtubeに登録のBraun vonに感謝)


② 木枯らし1号
今朝のテレビ天気予報の通り、東京に今年最初の「木枯らし」が吹いた。日暮れはあっけなく、夕焼けを楽しむ暇もない。あっというまに暗転し、寒風も厳しくしみる。もう冬なのだ。(明日はハロウィンだけど)

気象庁の用語解説によれば、「木枯らし」の定義は、「晩秋から初冬にかけて吹く、北よりの(やや)強い風」という。(この「強い風」について、「毎秒8メートル以上の風」という話もある)

(本ブログ関連:”木枯らし”)

朝日新聞の記事「都心で木枯らし1号、昨年より10日早く」(10/30)は、次のように報じている。(抜粋)
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気象庁は30日、東京都心で「木枯らし1号」が吹いたと発表した。昨年より10日早いという。都心では午前5時半ごろ、最大瞬間風速16.6メートルを記録。最大風速も午前10時半ごろに8.6メートルを観測した。
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そんなわけで、今日は飛翔と疾風の怒濤の雰囲気を味わうことができた。

2017年10月29日日曜日

歌姫

今日も雨。雨音にすっかり慣れてしまった。間断ないそぼ降りに、揺らぎが欲しくなる。浜辺に寄せる波音なんかいいんじゃないかな。そんなわけで、Youtubeにある長時間、自然環境立体録音から波音を聞く。1/fが癒してくれる。

夏の海がいい、夕焼け海はもっといい。そして、南の海で「歌姫」と巡り会えればどんなに素晴らしいことだろう・・・そんな空想ぐらい勘弁して欲しい。

(本ブログ関連:”歌姫”)

歌姫(diva)といえばイ・ソンヒの代名詞だが、中島みゆきが歌う「歌姫」があって、これを聴くと、ましてこれを歌えば、心浄化してくれるよう。おじさんの懊悩をすっかり洗い流してくれるよう。

(むつかしいことだが、次の映像がいつまでもYoutubeに続きますよう願う)← 翌朝10/30には消されました。

(そこで、カラオケ版を埋め込みさせてもらいます)
(Youtubeに登録のまがいもの商事株式会社に感謝)

2017年10月28日土曜日

(雑談)宅配便

もっぱらネット通販はAmazonを利用している。宅配便で受け取るわけだが、あいにく不在なときがあって、業者の方に二度手間をかけてしまうことがある。この複数回の手間が話題になっている。業者のコストアップにつながるだけでなく、担当者の作業に大きな負担になっているという。

先日、ある小さな文具を求めたところ、当方の不在が続き、三度手間をかけてしまった。メールで連絡があったのに気付かずいたせいだ。担当者に申し訳ない思いがした。(それにしても配送用の外箱の大きさに驚く)

雨降りの今日、配送通知があって外出せず待った。一つは、郵便局によるもので、手紙と一緒に郵便受けに入れてくれていた。待ちに待ったイディッシュ語テキストで、教室で参考にしているもの。もう一つは、宅配便によるもので、草いじりのための小道具だ。

外出もままならぬ思いもあったが、考えてみれば雨のせいで家にこもる言い訳にしていたかもしれない。そんな身勝手さに比べて、しとしと続く長雨の中を配送していただいたことに、ありがとうという思いが湧いてくる。

宅配作業の負担がクローズアップされ、その軽減策に世間で異論がなかったことに、みなひとしく労働に対する日本人のモラルが確認された気がする。

2017年10月27日金曜日

イ・ソンヒ「秋の風」オリジナル

歌に秋の詩情を求めれば、イ・ソンヒの「秋の風(カルパラム)」が筆頭にあげられるだろう。以前、触れたことだが、「秋の風」の「갈바람」(「갈」は「秋(가을)」の略、「바람」は「風」)は、船員(漁師)言葉だ。「秋に吹く風(西風、서풍)」を意味する。

(本ブログ関連:”秋の風”)

この名曲が、彼女のデビュー直後というのに驚きを感じる。どうして、と思うほどに味わい深いのだ。デビュー翌年の1985年に、アルバム1集と2集を発表していて、その2集に、この「秋の風(갈바람)」(作詞チョン・ウニ、作曲ナム・クギン)が収録されている。

秋風は寂しさだけを残して過ぎ去っていく。そんな切なさを、イ・ソンヒは抜群の表現力で歌うのを聴いてきたが・・・、実はこの曲、発表時に、彼女の「自伝」によれば次のような問題があった。

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・1985年11月、私の2集アルバムが出た。タイトル曲は「秋の風」。
・ところで、この歌が盛んに電波に乗っている頃、盗作の是非にまきこまれて、すぐさま放送停止にあってしまった。公演倫理委員会が立てた理由は、キム・ヨンジャさんが1983年発表した「愛の迷路」中の「あぁ、私たちの愛のロウソクの灯り/消えて道に迷ったね」の部分をそのまま盗作したというのだ。私が作曲した歌でなく、何か抗弁する立場ではなかったが、ちょっとくやしかった。メロディが全く同じならばともかく.・・・結局、私は「秋の風」を再録音しなければならなかった。それでも若干惜しくなかったのは、「ケンチャナ(大丈夫)」が「秋の風」に劣らずヒットしたという事実だ。慰めはなった。
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そんなわけで、結果的に <中間部分を再編曲して再録音した> ようだが、以下(同曲Originalという)Youtube映像を見ると、当時の初々しくふっくらした容貌とあいまって、若さゆえ力の入り過ぎ具合が微笑ましく感じる。


「秋の風(カルパラム)」

小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
去ったあなたは風、寂しさくれた「カルパラム」
今も目元を巡る、あなたの暖かだったあのまなざし
こころ、何度も何度も、恋しい翼を広げさせるよ

*ああ、あなたは「カルパラム」、雲を作る「カルパラム」
ああ、あなたは「カルパラム」、私のこころ奪った「カルパラム」

小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
消えたあなたは風、寂しさくれた「カルパラム」

(*以下繰り返し)


(Youtubeに登録の사사구통に感謝)

2017年10月26日木曜日

秋期イディッシュ語 2017-4th

今日は、外に出て雨上がりに気づくことしきり。玄関を開けたとき、イディッシュ語教室の帰り路など。雨に会わずして、雨跡ばかり見る不思議。天気予報では、一日「晴れ」だったはず。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”、”秋期イディッシュ語”)

今回の授業は主として、① 規則・不規則動詞、疑問詞の文法、② 疑問文の作成と会話練習(≒ロールプレイ)、および ③ 板書。この板書でつくづく感じるのは、(ヘブライ文字筆記体の)シャキッと勢いある文字を他の受講者が書くこと。そのシャープさは定着した証だろう・・・自分の文字のつたなさを思えばこそ。

授業前、「クレズマー音楽」の話題があり、代表的ミュージシャンが大変ユニークな趣味を持っているとか・・・、いろいろな人たちでこの世はできているわけで、知れば知るほどおもしろい。この機会に、クレズマー音楽を聴きたい、知りたい。

ところで、授業で参考にしている<テキスト>が、Amazonからようやく届くことになった。一安心。

2017年10月25日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 風具音

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/18)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「風具の音(ね)(プングソリ、풍구소리)」ほか関連する曲を紹介した。

始めに、風を利用した農具「風具(唐箕풍구)」から「風(바람)」の別意について次のように紹介された。
・「風具(唐箕:とうみ)」は、風を起こす農具で、穀物を入れて籾殻(もみがら)を飛ばすのに使った。取っ手を回し、扇風機の羽状のものを回転して風を起こす。穀物を、重い穀と軽い”しいな”や塵など選別した。また、木製の筒に穀物を入れて回し、殻を取るものもある。地域によって形状や大きさが違い、小さいものは、釜戸で火を焚き、鍛冶屋で火力を高めるのに使った。風具は「風」といい、風=浮気の意から、西道民謡「風具音」の曲名は、浮気者の夫を恨む妻の心を表現する。

▼ 「風具音」を聴く。アカペラ合唱で今様に表現。

次に、昔の女性の行動から海辺の歌「ナナニ打令(나나니타령)」について次のように紹介された。
・昔、女性は、男性に比べ行動範囲が狭かった。身分の高い家柄の女性も外出は容易でなかった。一般の民は働かねばならないし、出かけるのは田畑くらいだった。他人を気にせず自分の気持を表せるものに歌がある。民謡に。女性の気持ちを表わすものが多い。長い歳月、口伝される中、詩のように美しく整った表現もある。

▼ 仁川の海辺の女性が <嫁入り暮らしに愚痴をこぼす>歌「ナナニ打令」を聴く。ふつふつ湧き出る響き。

最後に、黄海道生まれの夫婦(妻차영녀、夫김필운)の歌い手について次のように紹介された。
・この「ナナニ打令」を歌った女性とその夫は、共に黄海道甕津郡生まれ。「朝鮮(韓国)戦争」時に避難して仁川に定着した。妻の父は船主、夫は船乗り。そんな縁で知り合って結婚、一生海辺に暮らした。音楽と共に過ごした夫婦は美しい。

▼ <豊漁祈願や船を迎えるときに歌った>黄海道民謡「 ベチキの音(배치기 소리)」を聴く。まさに空気も伝わる。

2017年10月24日火曜日

(雑談)ポジティブ・シンキング

以前、NHKの「スーパープレゼンテーション」という番組で、「ポジティブ・シンキング」について、ショーン・エイカーのスピーチ「幸福と成功の意外な関係」を視聴した。

このスピーチは、いろいろな分野で、ユニークな関わりを持つ人びとが壇上で語る「TED」プログラムタイトルの中の一つ。詳細は、ネットの「TEDの英文日本語訳資料」(あるいは「TED価値ある資料」)で知ることができる。

「幸福と成功の意外な関係」で、わたしが納得したキーワードは、講演の最後に語られた言葉かもしれない。ポジティブ・シンキングに生きるために、次のことを毎日すればよいというのだ。
「感謝を表す3つの新しい出来事を毎日、21日間書き続ける」
そうすれば、世の中をネガティブに捉えるのでなく、ポジティブなものを見つけようとするパターンが身につくという。

そこで、わたしもこのブログに感謝を書くように心がけている。
さて、1つ目は・・・・・・、ムムム。
どうやら、まだ「ポジティブ・シンキング」にいたってないようだ。

2017年10月23日月曜日

霜降 2017

今日は二十四節気の「霜降(そうこう)」。<露が冷えて霜が降り始めるころ>とのこと。ほぼ毎年ブログに記しているが、今回、霜降が巡り来たという実感に乏しい。連日の長雨と台風一過のせいか、霜降のイメージが湧いてこないのだ。

(本ブログ関連:”霜降”)

それでも、今夕、スタディルームの帰り道、本来ならそのまま韓国語教室へ行く身じたくをしていたが、思いのほか冷え込みにあわてて一旦帰宅。完全防寒の冬仕度に着替える。思いっきりの厚着。(そうそう、弓のような赤い月が西の空低く浮かんでいた)

ところで、自転車に乗って空を飛びたいけれど、31日の月は月齢11.3、真ん丸ではない。映画”ET”のようにいかない。

(日本人は宗教的にゆるくて、ハロウィンに悩むことがない - 次のYoutubeはある新聞に載っていたもの)

(Youtubeに登録のMovieclipsに感謝)

2017年10月22日日曜日

雨が降ってる日曜日

室内にいると雨が小休止したと錯覚することがある。なぜか急に静けさを感じるからだ。結局、窓ガラスの向こうで小雨は降り続いているわけで、外出の機会はない。(ちなみに一昨日、選挙前投票している)

こんなとき、ふと口ずさむものがある。昔のCMソングだが、「雨が降ってる日曜日、坊や泥んこなぜ泣くの、あそこのかどで転んだの、・・・」といった何とも優しい響きのする、広告の臭いを感じさせない。

(本ブログ関連:”雨が降ってる日曜日”)

子どもは初めての雨に歓喜するし、やがて水溜りを好んでわざわざ足を踏み入れ、水を跳ねる。感蝕を楽しむのだろう。だから、雨のなかで転んでも、泥だらけになったとしても、どうということはない。

日曜日の雨に、つい昔に戻った気分になる。CM目的を超えた、いい思い出に連なる旋律が聞こえてくる。(それにしても、この雨一体いつまで続くのだろう)


(Youtubeに登録のsunaf kingに感謝)

2017年10月21日土曜日

(雑談)1/f揺らぎ

雨が降ります。だらだらと、ぼそぼそと、だらしない音が続きます。詩情なんてありません。ちょっと止んだと思って外を覗けば、水溜りに波紋が浮かびます。なんだ、と舌打ちするような感じです。

明日には、台風が接近し、暴風雨の警戒が必要とか。だから、今この静けさは台風前のものでしかないようです。行動範囲は狭められ、日頃出かける所へも行けず、一日家にとどまっていました。

Youtubeに、海辺に寄せる波音を長時間聞かせるものがあります。それを背に、室内でいろいろ手がけていると、ある錯覚に陥りました。あわ立つ波、砂浜を走る波、それらが幾重にかさなって、一瞬、潮風のにおいがしたのです。

染まりやすいというか、すぐその気になるというか。鬱陶しい長雨と違って、爽やかな空気を感じたのです。それは乾いた感じもしました。心身が自然に同調するような、1/f揺らぎを感じた次第です。

(YoutubeのBGMに、こんな便利な聞き方ができるものがあるようです)

(Youtubeに登録のAmeyama Channelに感謝)

2017年10月20日金曜日

イソップ「自分の仕事(星占者[ほしうらない]と旅人)」

物事を大きな視点で見ると賢くなった気になる。いわゆる、大局を見るとか、俯瞰するという。といって、小さな積み上げができなかったり、その変遷を記憶できないようでは、信用はつかない。

アウレリウスのように、宇宙の星々と比べてわが人生の何と小さなことよと慨嘆(自省)するのはいいけれど、子どもたちにすべからく規範を教えるのに、もうちょっと具体的な方がいいかもしれない。明治時代の子ども向け道徳書、古代ギリシャのイソップの寓話集「イソップお伽噺」(三立社、1911年、明44年9月、訳述者 巌谷季雄=小波:国会図書館デジタル書籍)は、今見てもおもしろい例えがある。

(本風ブログ関連:”国会図書館デジタル書籍”)

この寓話集に所収の、「四二 自分の仕事(星占者[ほしうらない]と旅人)」は、ものごとを判断するのに、自然(星座)の動きから摂理を体得したはずの者が、日常の些細な行動を見誤るといった、按配のわるさ(きまり悪さ)を教える。

つまり、庶民はこんな語りをするものだ、「わかった、わかった。で、あなたは一体どうなんだよ」と。

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諸君! 他人の仕事にかれこれと、おせっかいする様を暇があったら、自分の仕事に注意して精を出す方が、どんなにましだかしれません。自分の現在していることことに注意するのは、つまり立身出世の道捷(ちかみち)ではありませんか。

むかし在る所に、一人の星占者がありました。星占者とは空の星を眺めて、吉凶を占ふもので、人智の進歩しなかった頃には、なかなか流行したものです。
さて此の星占者が、一生懸命星を眺めて歩いている間に、うっかり足を踏みすべらせて、濠(ほり)の中へ落ちてしまひました。すると其処へ一人の旅人が通りかかり、星占者に申しますには、
「オヽ、貴君(あなた)、今の失敗の気が付いたなら、星の進むのを研究する手間で、少しは自分の足下(あしもと)にも、御注意なされたらよいでせう。」
と、諭(さと)しましたとさ。
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2017年10月19日木曜日

秋期イディッシュ語 2017-3rd

今日、雨にも負けず、イディッシュ語講習に出かける。昨日少し晴れ間が覗いたが、ここ一週間小雨が続いている。さらに、台風21号の影響も加わり、来週半ばまで雨降りのようだ。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”、”秋期イディッシュ語”)

講習は、新しいテキストにもとづいて、(私もようやく)フルスロットルに達した。離陸を開始したのだ・・・他の方々は、とっくに上空で旋回しているが。

例文の読解・板書、会話練習(≒ロールプレイ)など矢継ぎ早。”.איך בין שטענדיק מיד”
そして、先生お手製の絵入り単語カード(25枚)セットを、全員に配布いただいた。各自机上に並べて、先生の語る単語のカードをさっと選ぶのだが・・・(おじさん)耳が遠くて苦戦する。結局、これも<הײמאַרבעט>になる。

単語カード作成という先生のお手間に感謝。そして、低空だが私もみなに続き飛翔したいと思う。

(授業前にイスラエルのポップスの話題で・・・イエメン系歌手”オフラ・ハザ”、懐かしい香りする高音)

(Youtubeに登録のOrly Yahalom Photography & Israeli Musicに感謝)

2017年10月18日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 友

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/11)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、友について、中国北宋時代の詩人蘇軾(蘇東坡)の詩「赤壁賦」ほか関連する曲を紹介した。

始めに、蘇軾の詩「赤壁賦」をもとに、短歌(단가)「赤壁賦(적벽부)」について次のように紹介された。
・中国の詩人「蘇軾」は、若くして科挙に合格、官職につく。民を大事にするも、周りから疎まれたようで、生涯を閑職や島流しの生活を送った。辛いなか、作品の時間もあった。不朽の名作「赤壁賦」も、島流しのときの作品。韓国伝統の短歌「赤壁賦」は、蘇軾の詩にリズムをつけたもので、多様な形の歌で伝わる。

▼ 「短歌、赤壁賦」を聴く。風景に在ってか、淡々と聞こえる。

・ある秋、島流しの辺鄙な地に訪ねてきた友と共に、赤壁川に船を浮かべ、馳走を用意して夜景を楽しんだ。<元豊五年(1082年)陰暦7月、既望の日> に始まる。「既望」は陰暦16日、満月は過ぎても、依然と月明るい夜をさす。<船を浮かべ、赤壁川の秋の趣きを楽しむ。涼しい風、穏やかな川面はひっそりとしている。酒を交わしながら詩を謳うと、月が昇って、こんな美しい世に悲しいことがあろうか>という内容。友を得ての感慨、大事な存在だ。

▼ 平時調(평시조)で、<友の大切さを歌った>「友人(친구가)」を聴く。淡々と聞こえる。

次に、孔子の「論語」から友とのかかわりについて次のように紹介された。
・孔子の「論語」、君子が喜ぶ三つの話から始まる。① まずは、学んで身に着けることは、なんと楽しいことか。② 次は、遠来の友と学問の話しをすること。③ 最後は、他人が自分を理解してくれなくとも憤(いきどう)らないこと。そういう人ことが真の君子であると言う。孔子のことばから、ときに辛いとき、心細く寂しいときに、自分を理解してくれる友こそ、どれほど大きな慰めになるか分かる。

▼ <全羅道地方の音楽的特徴を最も濃く感じる>という「興打令(흥타령)」を聴く。抑揚をきかせて歌う。

・「興打令」は、<窓の外に菊の花を植えて、お酒を醸しておき、花が咲いて酒も出来上がると、友と夜通しで遊んでみよう> と歌う。月明かり、コムンゴ演奏など、楽しい様子を表す。

2017年10月17日火曜日

もうじき Halloween

私にとって「ハロウィン」の原点は、レイ・ブラッドベリの「10月はたそがれの国」で、遠い昔のこと。だから、日本のいまどきの、ハロウィンの熱狂は唐突でしかなかったが、沸騰振りが年々高まり、クリスマス前行事としてどうやら定着してきたようだ。

(本ブログ関連:”ハロウィン”)

昨年10月31日のハロウィンのときもそうだった。韓国語教室の晩、通う夜道の途中、ある教会前に大勢の人だかりがあった。まるで道を塞ぐ賑わい。子どもたちは熱狂し、親の注意もうわの空で、通行人に道を譲ることをすっかり忘れている。

子どもたちが、大声を張りあげて歓喜するのも楽しい思い出になると思えば、道を開けてくれるまでしばらく待とうというもの。いつの間にか、ハロウィンの渦に巻き込まれている気がした。

不思議なことに、今様のハロウィン騒動にすっかり冷ややかでなくなった。ハロウィンは子どもたちのものといった前提で臨むようになっている。気持ちも随分変わった。

(「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」より)

(Youtubeに登録のNobuyoshi Takeuchiに感謝)

2017年10月16日月曜日

秋期 韓国語 2017

今晩から秋期韓国語コースが始まった。一日降り続く雨のせいじゃないけれど、出だしから<濡れ雀>どころか<濡れ鼠>なのだ。一幅の絵にもなりゃしない。忘れものをするし、大いに途方に暮れて、大いに反省する。

雨の夜、ゴールは見えるようで見えない。イ・ソンヒの5集所収の「クデヨ(貴方よ、그대여)」(キム・ポムニョン作詞/作曲)聴きながら、ゴールを探し求めよう。

心を前向きにスタートしたけれど、明日の検査のため空にした腹が、何と辛いことだろう。


貴方よ  貴方よ  わたしの手を支えてください
今日もわたしの心は  さまよっています
月明かりのない夜を  歩いています
雨降る道を  歩いています
あなたの愛が必要です
あなたの愛を待ちます
貴方よ  貴方はいったいどこで何をされてますか

貴方よ  貴方よ  わたしの気持ちをわかってください
今日もわたしの心は  あなたしかない
星明かりのない夜を  覚えていますか
その時のその思い出を  覚えていますか
あなたの愛が必要です
あなたの愛を待ちます
貴方よ  貴方はいったいどこで何をされてますか


(Youtubeに登録のkoreanballadsに感謝)

2017年10月15日日曜日

天宮1号の落下

一ヶ月前の今日、(燃料枯渇により)任務を終えたアメリカの土星探査機「カッシーニ」が、(制御のもと)土星大気圏に突入して燃えつきた。誰にも見られることのない最後だった。
(参考:”「techcrunch」(9/16、日本語版)”)

宇宙を浮かぶ探査機にいずれ最後がある。宇宙の彼方へ飛び去るか、あるいは地球に戻り、「はやぶさ」のように命の最後を大気に輝かせるか。役目を終えた探査機の終焉に、切なさを感じるものだ。まして、地球を周回する人工衛星や実験棟が制御不能の場合、地上へ落下する可能性は大きい。これまで、本ブログでも何度か触れた。

(本ブログ関連:”UARSROSAT、フォボス・グルント”)

毎日新聞の記事「中国・宇宙実験室『天宮1号』制御不能、地球落下へ」(10/14)は、中国の宇宙実験室が制御不能のまま地上に落下すると次のように報じている。(抜粋)
⇒ 記事の最後に「宇宙船の落下」の項があり、主な落下例を記している。

天宮1号の落下範囲は、北緯43度から南緯43度にかけてといわれている。(大事故が起るのではないか不安だ)

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11~2月か、予測困難
 地球の周りを回る中国の無人宇宙実験室「天宮1号」が制御不能となり、数カ月以内に地球に落下するとみられることが分かった。来年1~2月の可能性が高いとの分析もある。英紙ガーディアンなど海外メディアが13日に報じた。

 天宮1号は中国初の有人宇宙ステーションの建設を目指し、宇宙船とドッキング実験をするために2011年9月に打ち上げられた。全長10.4メートル、重さ約8.5トン。2012年6月に有人宇宙船「神舟9号」とドッキングし、中国人飛行士が初めて乗り移った。

宇宙船の落下
 2001年にロシアの宇宙ステーション「ミール」(約135トン)が制御されながら南太平洋に落下、廃棄された。制御不能だったのは、1979年の米国のステーション「スカイラブ」(約90トン)で、燃え残った破片がオーストラリア西部に落ちた。また1991年には旧ソ連の「サリュート7号」(約20トン*)が落ち、アルゼンチンに破片が到達。いずれもけが人の報告はなかったという。人工衛星の例もあり、2011年には落下するドイツの観測衛星(ROSAT、約2.4トン*)が日本上空を通過すると予測され、国内でも話題になった。被害はなかった。(共同)
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(注)*印付記の(  )内容は追記

2017年10月14日土曜日

イ・ソンヒ「Because Of You」

言葉は、昔、魂を持ち生き物に託して空を飛んだ。話者を離れて、時間と距離をまたぎ純化した。もしかしたら、<心>は本来空っぽなもの、言葉を生み出し続けない限り満たされることがないのかもしれない。

<ことば>という言葉は不思議だ。反対語を持たない。言葉は永遠に捉えようのない、自分の目で見ることのできない自分の顔のようなものかもしれない。言葉は個人的なものなのだろうか。

そんなとき、歌は容易に心にしみこむ。他者(ひと)の言葉だったものが、<詞>となって、聴くものすべてに共鳴する。仮面を取り去ってくれる。もっといえば、魂を植え込む。そんな気がする。

イ・ソンヒの12集所収の「Because Of You」(作詞・作曲ユ・ヨンソク、2001年)は感傷的で、重く引っかかるよう。でも、彼女が加わると、音は曲となり、声は言葉となる。共鳴箱となる。

(本ブログ関連:”Because Of You”)


私の心なのに、思い通りにできない
過ぎたことは忘れるというけれど、何度も
涙ばかり流して

ばかみたいでしょ、つらい振りができないの
苦しめばもっと思い出す、あなたの
暖かだった微笑み

全てはみなそのままなのに、あなただけがいないのに
これ以上壊れることができないほど、
これほど悲しみに疲れ果てるのか

cause you only cause of you
私は何も考えられなくて

胸の中には説明できない悲しみだけが
私はばかみたい
                 _______

全てはみなそのままなのに、あなただけがいないのに
これ以上壊れることができないほど、
これほど悲しみに疲れ果てるのか

cause you only cause of you
もう懐かしさだけで

生きていかなければならないのに、本当にそうなのに

cause you only cause of you
私は何も考えられなくて

胸の中には説明できない悲しみだけが

cause you only cause of you

cause you only cause of you


(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2017年10月13日金曜日

合唱曲「おじいさんの家」

このごろ、民家の塀越しに、小さな赤い実を付けた木を見る。もしかして南天(ナンテン)の木でないかと思うが確信ない。記憶にある園芸の南天は、小振りだったし、赤い実が多数群がっていた。一方、塀越しに見る木は、それゆえに丈が大きく実はまばらだ。

南天のイメージは、中学時代に歌った合唱曲「おじいさんの家」(きさらぎゆき作詞・川口晃作曲)の「南天の木の奥の わらぶき屋根に ・・・」で始まる光景で、南天の木を透して、わらぶき屋根の家が視覚におさまる。そんな農家の庭先を思いながら歌っていた。

正式な曲名を確認したく、ネットで探したところすぐに見当たらなかった。ようやく探しあてたが、誰もが知っているはずと思っていただけに意外だった。ネット情報も、ある年齢以降の登録者によるものでしかないし、それに、記憶の何もかも登録されているわけでもない。少々寂しい思いをした次第。

Youtubeでも見つかった。< 1973年のNHK合唱コンクール予選に参加した中学生たちの発表 > のようだ。歌い継がれているのを聴いてなぜか安心した。


(Youtubeに登録のclaudiovonkarajanに感謝)

2017年10月12日木曜日

秋期イディッシュ語 2017-2nd

今年度後半の秋期コース、第2回目。我ながらようやくエンジンがかかってきたようだ。(それに、都心のサテライト教室に通うのもいい機会、いい運動である)

(本ブログ関連:”イディッシュ語”、”秋期イディッシュ語”)

テキスト教材の音声を、ネットからダウンロードして、本日分を予習した。男女別々の音声がありがたい。ただ、会話の速度が早く、リエゾンする。(白水社「エクスプレス イディッシュ語」のカセット教材は、日本人向け音声教材らしく、会話速度が<ゆっくり>と<やや早め>の2種類を聞かせる)

本日の主な内容(再学習)
・不規則動詞<האָבן>、<זײַן>を使った文章(Q&A、否定)の練習。
・<זײַן>の複1・3人称は、<זײַנען>と<זענען>のどちを使っても好い。
・「ここ」は<דאָ>、「そこ、あそこ」(区別なく)<דאָרט>
・2人称Youは、① 単数形<דו>(きみ)を通常使用、② 複数形と同形<איר>(あなた)は初対面/敬意を込めて使用。

イディッシュ語のテキストを、早速Amazonから購入された方がいて驚き。(先日確認したところ余りに高価だったので様子見したところ、現在、適正な値になったようだ)
⇒ 早速、本日帰宅後、Amazonに発注した。

秋期から、次のYoutube映像に登場するミュージシャンのお二人が教室に参加された。国際的に活躍されていて、イディッシュ語話者との人脈もあるようで羨ましいかぎり。


(Youtubeに登録のJAZZART2011に感謝)

2017年10月11日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 秋夕の食事

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/4)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「秋夕(추석)」の家族の食事に関連する曲を紹介した。

始めに、朝鮮後期の実学者、丁若鏞(정약용、1762年~1836年)の農民への思いについて次のように紹介された。
・朝鮮後期の実学者「丁若鏞」は、春のある日、働く民の姿を見て詩作した。農夫にとって春の田植えは重要な時期だが、この端境期に耐えるのは簡単でなく、十分実ってない稲を脱穀し、粥にして食べた。彼は詩に、高位者もその粥を食べねばならぬと歌う。秋の穀物の収穫は、民の唯一の希望。秋夕に先祖を墓参し、伝統を守って奉祀する。一方、秋夕は、端境期を乗り越えた喜びの日でもある。

▼ 月が明るく「丸い月が浩浩と(둥근 달 휘영청)」のカヤグム演奏を聴く。ジャジーに月明かりを楽しむ、今様に。

次に、パンソリ「興甫歌(흥보가)」の「貧打令(가난타령)」から幸運について次のように紹介された。
・秋夕が近づき、村中で馳走の準備で忙しい時期、嘆く人物が登場する話しがある。パンソリ「興甫歌」の「貧打令」の場面だ。興甫は脚を怪我をしたツバメを治すほどの善人だが、とても貧しく、家には食べものがない。妻は嘆くばかり。だが、その後に面白いことが起こる。興甫が助けたツバメが、恩返しに「ふくべ(ヒョウタン)」を運んでくる。それを割ってみると、中から米と金が詰まった箱が出てきたのだ。人生は、予測できぬもの、どう変わるか分からない。

▼ パンソリ「興甫歌」から「貧打令」を聴く。声を絞って貧困を嘆くよう。

最後に、新羅時代の玄琴(コムンゴ)の名手、「百結(백결)」の貧困の逸話について次のように紹介された。
・新羅時代の「百結」はとても貧しく、その名は、服を百回も縫い直して着たことから呼ばれた。玄琴の名手だったが、家族の食事を担う妻の立場にすれば気がかりなこと。秋夕を前に涙を流したという。彼は、妻をなだめるため、玄琴で穀物を搗(つ)く音を演奏したという。果たして妻は、どんな気持ちだったろう。あきれ果てたか、あるいは、慰める夫の姿に感動をしたか。

▼ 穀物を搗く臼(방아)から、珍島の「穀物打令(방아타령)」を聴く。何だかいいなあ、楽しくなる。

2017年10月10日火曜日

ナショジオの表紙

「ナショジオ」は、世界的な紀行雑誌「ナショナルジオグラフィック」の略称である。日本語版、同誌ホームページにもなかば公認のようにこの略称がある。今月号(2017年10月号)は、ロシアをある意味<東西>に分けるウラル山脈の東側、むしろシベリアの西端といった方がいい北極海に面したヤマル半島で、南北にトナカイの遊牧をする民族「ネネツ」を紹介している。ネネツの生活、風習だけでなく、資源開発の影響まで踏み込んでいる。(特集のサブタイトルは「トナカイの民の苦境」)

(本ブログ関連:”シベリア”)

なにより、今月号の表紙が素晴らしい。少女が弓を射る真似をする愛らしく無垢な写真だ。いずれ学校に行けば寄宿舎に入る。それまでの間、両親の目に届くなかで、自然をたっぷり味あわせることだろう。見れば気になることがある。子どもらしい飾り付けをした毛皮の防寒服を、成長に合わせて、母親は縫いかえるのだろうか。


学生時代、シャーマニズムに興味を持った。シベリアの少数民族に伝わる、自然界と人間の精神世界が融合した独特な世界観を持つ信仰だ。認識の原初に思えるし、いまだに僕らの精神構造の基底にもなっているような気がする。(フィールドワークの成果は圧倒的にロシア語の世界のようだ)

(本ブログ関連:”シャーマニズム”)

特集に語られたトナカイで思い出したことがある。昔のこと、書名を失念したが、トナカイにまたがるとき、右側から乗るか、左側から乗るかによって、トナカイとの、遊牧または狩猟といった関わり方がわかるという・・・そんな話しがあった気がする。

ところで、ナショジオの表紙で話題になった、緑眼の「アフガニスタンの少女」(1985年6月)が忘れられない。(彼女はその後忘れられ、現在不運に身を置いているというニュースがある)
上記の「ネネツ」の少女にも、当たり前だが、この後つづく時間がある。いずれネネツの誇りを持った幸せな家庭を見せて欲しい。そんな再訪記事もいいものだと思う。

2017年10月9日月曜日

「体育の日」の休日散歩

体育の日」の今日、思いつきで休日散歩した。風の向くまま、気の向くまま。

北側の街の公園ベンチで、途中コンビニで買った新聞に目を通す。秋晴れの空、たちまち日差しにたじろぐ。紫外線が見えるよう。コスモス畑を巡れば、パステル色の花々が風に揺れていた。一面咲きほころぶには少し時間がかかりそう。

次に、隣り駅前を経由して、南側にある公園にたどり着く。緑陰でしばし休憩。そのとき撮ったのが次の写真。大雨対策用の窪地(調節池として利用)は、すでにススキの原になっていた。秋深まる。

どうということもない風景だけど
この公園は、さらに東と南へ、公園名を分けて続く。いずれも休日のせいか家族連れで賑わっていた。さらに南へ進むと飛行場になる。ドルニエ機が離着陸する様を目と耳で楽しむ。

以上、同じ道を往復することなく、一筆書きで巡った。中学時代からの心がけである。

2017年10月8日日曜日

イ・ソンヒのカバー「ハル(いちにち)」

夕方、ちょっと帰宅を遅らせば、辺りはすっかり日が落ちて夜のさま。冷えが加われば、もはや冬といってもおかしくない。今年も、あっけなく終わりそうな気配する。

こんな晩、イ・ソンヒにしんみりする曲はないかと探せば、過ぎるほどのものがある。キム・ボムス(김범수)の「ハル(いちにち、하루)」(2000年)をカバーしたものだ。イ・ソンヒはそれを見事に彼女らしく再生する。

(本ブログ関連:”ハル”)

原曲の、情念を貼り付けたような独特な歌い方を脱色し、あらためてイ・ソンヒの色に染め上げる・・・旋律と歌詞がそれぞれ独立しながらも共鳴する。透明感あふれるバラードに変身したのも、彼女の歌唱力のなせるわざだ。


*愛がまた傷つけます・・・
愛がまた泣かすのね・・・
あんなに愛した思い出まで忘れてくれといって
愛は残酷に去っていくのね・・・

本当に耐えられるでしょうか・・・
あなたが言った その言葉のように
そう、あなたは目を覆って 知らない振りして去るのが
いっそ、気楽なのでしょう・・・

変わることもできるのでしょう
あの風も 毎日は違うから・・・
それでもこの世に 生きたいという幸せをくださったのは
今まで、とてもありがとう

(* 最初の4行のみ繰り返し)


(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2017年10月7日土曜日

狸(たぬき)

きのう、純真無垢で愛らしい「タミー」について、彼女の名をタイトルにした歌と合わせて記した。響きが似てるから「狸(たぬき)」の話でもと・・・無理なこじつけだが、してみよう。

山を巡る猟師や山小屋の主人たちの、山中での不思議な体験を集めた「山怪」や「黒部の山賊」には、狸についてもいろいろ語られている。共通しているのは、山陰や鬱蒼とした木立の奥から、あるいは寝静まった山小屋の外で、打撃音が聞こえるというのだ。

(本ブログ関連:”山怪、黒部の山賊”)

それは、木を打つ音であったり、深夜に山小屋の屋根を叩く音であったりする。機械的な物理的な響きがするという。人の気配がない場所で聞こえるにもかかわらず、不思議と恐怖を与えることはないようだ。狸の姿を見たわけではないのに、体験者は、あれは狸の仕業と口にするというのが妙。(童謡「証城寺の狸囃子」の狸も、<ぽんぽこ ぽんの ぽん>といった腹鼓(はらずつみ)する)

ところで、狸はとぼけた風情がして、どちらかといえばおどけた存在に描かれる。そんな狸が、安永の俳人(澤田庄造、号を鹿鳴)と暖かい関係を結んだという。田中貢太郎の掌編「狸と俳人」は、一人暮らしの俳人のもとに通った狸との深い交遊を描いている。(抜粋)

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・・・其の庄造が病気になった。初めはちょっとした風邪であったが、それがこうじて重態に陥った。村人達はかわりがわり庄造の病気を見舞ったが、其の都度庄造の枕許まくらもとに坐っている狸の殊勝な姿を見た。庄造は自分の病気が重って永くないことを悟ったので、某日其の狸に云った。
「お前とも永らくの間、仲よくして来たが、いよいよ別れなくてはならぬ日が来た。私がいなくなったら、もうあまり人に姿を見せてはならんぞ。それにどんなことがあっても、田畑などは荒さぬようにしろよ。さあ、もういいから帰れ」
 庄造の言葉が終ると狸は悄然(しょうぜん)として出て往った。其の夜、庄造は親切な村人達に看みとられて息を引きとった。それは安永七年六月二十五日のことであった。

 それから数日の後のことであった。一日の仕事を終った村人の一人が家路に急ぎながら、庄造の墓の傍近くに来かかった時、其の墓の前に、蹲(うずくま)っている女の姿が眼に注いた。其の女は美しい衣服(きもの)を着て手に一束の草花を持っていた。そして、よく見ると女は泣いているらしく、肩のあたりが微(かすか)に震えていた。それは此の附近ではついぞ見かけたことのない女であった。村人は何人(たれ)だろうと思って不審しながら其の傍へ往った。
「もし」
 村人がこう云って声をかけた途端、其の女の姿は忽然と消えてしまった。そして、其の傍には女が手にしていた草花が落ちていた。村人達はそれを聞いて、それはきっと例の狸だったろうと云って、其の行為を殊勝がったが、其の心が村人達をして狸には決して危害を加えまいという不文律をこしらえさせた。爾来(じらい)其の村では今に至るまで狸は獲(と)らないことになっている。
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これが狐だったら、随分と色っぽくなったろうし、下世話な感情も浮かんでこようというもの。狸でよかった。狸と俳人との間に取り交わしたことだからこそ、村人と狸との間に純粋で暖かな絆まで遺した。

2017年10月6日金曜日

タミー

秋雨は冷え冷えして治まらず、ついに今秋初のヒーターを入れた。雨が外出のチャンスを奪ったからか、それとも雨のせいか、家にいてささいな家事に終始してしまう。といって、何も変わっちゃいないけど。

雨音に耳を傾けると、静けさがしみてくる。雨粒のすきまに、昔の音がよみがえる。題名も知らない、懐かしい旋律ばかり流れてくる。

素朴でやさしい民謡のような歌「タミー(Tammy)」(1957年、デビー・レイノルズが映画「タミーと独身者」で歌った主題歌)が聞こえてくる。無垢な少女タミーの想いが聞こえてくる。

今とはまったく違う時代。そう、ぼくらにとってあこがれであったTV番組「パパは何でも知っている」の時代の気分で、そんな時代の価値観で聞いてみたい。人びとが、男女が、今のようにささくれ立つことを知らなかった時代に戻って。

この映画を見たことないのに、メロディーは心のどこかに残っていて、あるとき、ふっと浮かんでくる。この映画とデビー・レイノルズ(当時23歳)、そして歌(詞)について、次のYoutubeに解説がある。


(Youtubeに登録のNedNickerson2010に感謝)

2017年10月5日木曜日

秋期イディッシュ語 2017-1st

今日から、イディッシュ語秋期コースが始まった。それなのに、タキシングの心構えなく、ましてリフト・オフに程遠い・・・そんな状態で出席するのを恥じるばかり。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”、”秋期イディッシュ語”)

思い返せば、春期コースを終えて、夏休み中しっかり定着させると宣言したはずなのに何としよう。暑さに負けて、心頭滅却どころでない、志を忘却してしまったのだ。ただのぐうたらを反省するばかり。

幸い、新しい仲間も加わって、教材を一新。最初からの再スタートとなったが、授業は高速に進んだ。(ネットでも音声を聞けるとのこと、携帯デジタルプレイヤーに収録した)

教材音声を聞きつつ公園散歩もできるようになったのはありがたい。(今から寒くなるけれど)

(補足) 秋期コースからは思いつくまま感想を記すだけにしたい。

(「クレズマー音楽」についても、これから少しずつ理解できるようになりたい)

(Youtubeに登録のBGKOに感謝)

2017年10月4日水曜日

中秋の名月 2017

今日は旧暦8月15日、今晩の月を「中秋の名月」という。天気もよく、丸い月を見ることができるだろう。月見どきだ。

(本ブログ関連:”中秋の名月”)

といって、今晩は満月ではないそうで、実際の満月は明後日深夜とのこと。でも、今晩もひとの目には真ん丸な月だろう。(ふと思い出したこと、近くの公園の「お月見のつどい」は、9/30、10/1だった)

いつも真ん丸ではつまらない。丸いときも、尖ったときもあるのが月。満ち欠けを繰り返すのが月。だから真ん丸なときがよい。そんなときこそ、ひとびとは目を向ける。

今晩、月餅でも食べながら、真ん丸月を眺めてみよう。

(追記)
今日の外気は思った以上に冷たく、空も晴れ間がない。初冬の気配すらする。そんな中、スタディールームの帰り道、もしかしたら十五夜の月を眺めることができるかもしれないと期待し、コンビニで菓子を探した。「わらび餅&白玉くりいむぜんざい」というカップ入り生菓子を手元に月の出を待ったが、残念ながら雲が低くたれこもったまま。空模様に関係なく菓子をいただくことにした。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 梨花雨

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/4)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、朝鮮時代の妓生の梅窓(매창、1573年~1610年)の「梨花雨(이화우)」ほか関連する曲を紹介した。

始めに、秋の寂しさを歌った、妓生の梅花の詩「梨花雨」について次のように紹介された。
・秋には、朝晩に冷気を感じ、秋風に落葉を見る。今年も終わりに近づき、うまく成就できたかと想う。朝鮮時代の妓生「梅窓」は、秋の寂しい気持ちを、<梨の花が咲いていた春のある日、恋人が去ってしまった。何の便りもない。夏が過ぎ去り秋になっても、彼は戻って来ない。夢の中ででも会いたい>と歌う。

▼ 梅窓の詩「頭学時調(지름시조)、梨花雨」を聴く(声を張り上げて歌う)。秋風に葉が舞い心揺れるよう。

次に、朝鮮時代の文人、「尹善道윤선도、1587年~1671年、号は孤山)」について次のように紹介された。
・ひと恋しくなる秋、人々から遠ざかった人がいた。朝鮮時代の文人「尹善道」だ。彼が描いた漁師の歌「漁父四時詞(어부사시사)」に、秋の場面がある。秋は漁師の仕事が増え忙しくなる。尹善道も海に出るが漁でなく、ただ海を楽しむためだ。世間から遠ければ遠いほど良い。彼は、長い歳月、島流しの生活をした。 元の生活に戻りたい気持ちを押さえたためか。

▼ 「アジサイに秋が漂う(수국에 가을이 드니)」を聴く。<「漁父四時詞」に、アジサイに秋が漂うと魚が肥える>内容があるという。秋の空気を感じる、今様に。

最後に、女性の「彩鳳(채봉)」と恋人の「張弼成(장필성)」の切ない恋物語について次のように紹介された。
秋に思い浮かぶ話がある。「彩鳳」と「張弼成」の切ない物語だ。彩鳳の父が首都漢陽(한양)に出かけたときのこと、この二人の関係に気づいた彩鳳の母は、二人の結婚を認めるが、漢陽から戻った父は、彩鳳を他家に嫁がせようとする。父は出世のため、彩鳳を偉い家柄の妾にさせようとしたが、かえって獄中生活をする羽目になる。彩鳳は父を助けるために自ら妓生になる。その後も、愛する弼成を忘れることができず、月の明るい秋の夜、弼成を想いながら詩を作った。「秋風感別曲(추풍감별곡)」という詩だ。ところで、彩鳳の詩を耳にした観察使は、彼らの悲しい恋物語を知り、二人を結んでやったという。

▼ <北部西道地域の独特な雰囲気で歌った>「秋風感別曲」を聴く。読み聞かせるように歌う。

2017年10月3日火曜日

もみじ(紅葉)

小学校で学んだ合唱曲で一番記憶にあるのは、唱歌「もみじ」(高野辰之作詞、岡野貞一作曲、1911年:明治44年)だろう。私にとって、琴線にふれるような思いで深い曲だ。

遅くまでみなで合唱曲の「もみじ」を練習したとき、教室の窓にきらきら輝く夕陽が差し込んだのを思い出す。そんな思い出を独り占めしたいのか、一緒の仲間たちの影がすっかり霞んでしまっているのだ。歌の気分に、記憶まで染まってしまったようだ。

(本ブログ関連:”紅葉”)

子どもの目に映った紅葉は、うっすらした赤い光景でしかない。それを確かめたく、大人になって山に登ったり、バスツアーで眺めた紅葉の景観は、大人の目のものでしかない。懐かしさを求めたはずのに、結局、観光気分にしかなれないのだ。

そんなことなら、子どものころに、もっとしっかり自然に親しんでおくべきだったと思うばかり。


(Youtubeに登録の3113663eeeに感謝)

2017年10月2日月曜日

残り3ヶ月

飯屋の調理場から、「今年も3ヶ月しかない」という声が聞こえた。飯を食いながら、月日の過ぎる早さをあらためて感じる。何十回と繰り返してきた。そして、忘れては何度気付いたことか。

早速、来年のカレンダーを購入して、今吊るしているカレンダーの裏に合わせた。ただし、分厚い日めくりカレンダーは一緒にするのに苦しいので、もう少しして入手しよう。

時はあっけなく目の前を通り過ぎる。子どものころ、道路を走るトラックの排気ガスが好きで、道端に立って鼻をくんくんさせたもの。高じて、ガソリンスタンドへ遊びにいったりした・・・それはそれとして、時間がカレンダーのように次々めくれていくのを楽しもう。

昔の思い出、ニール・セダカ(Neil Sedaka, 1939年3月13日~)の「カレンダー・ガール(Calendar Girl)」(1960年)を聞こう。いかにも、若い女性にモテモテといった雰囲気(少々にやけ気味)から、てっきりイタリア系と想像していたが、実は「父はトルコから移民したユダヤ系、母はポーランド・ロシア系ユダヤ移民」(Wikioedia)だったとは。

(本ブログ関連:”ニール・セダカ”)

1月から12月、カレンダーを見ては毎日思い続ける。今月は、ハロウィンの10月、ぼくらはロミオとジュリエット・・・なんという陽気さ。カレンダーをめくるのも苦じゃない。カレンダーにときめくなんて、うらやましい。


(Youtubeに登録のDheeherdian77に感謝)

2017年10月1日日曜日

イ・ソンヒの「水仙」

今日から10月。今年はもう1/4しか残っていない。あっというまに過ぎ去るだろう。日高市の巾着田で開催の「曼珠沙華まつり」は今日で終了した(そうだ)。

真っ赤な花弁と緑の茎だけで咲く曼珠沙華の群れ並ぶ光景は美しさを超えて圧倒的である(そして異様さも覚える)。その「曼珠沙華(ヒガンバナ)」と同じ<>に属する花に、「水仙(スイセン)」がある。こちらは、冬から春にかけて咲く花だが、共に根に毒性を持っ。かたや死の影を持ち、かたや自己陶酔に溺れる。

水仙の可憐な姿に、自惚れの跡がかすかに精一杯に主張しているようにも見える。そんな負けん気が聞こえてくるような、独白だけの作品「水仙(수선화)」(1989年、作詞・作曲キム・チャンワン)が、イ・ソンヒの5集に収録されている。

(本ブログ関連:”水仙”)


(ふふふ) みんな過ぎたこと
いや、違うわ

愛! 贅沢なことみたい
未練! (ふん、ふふ)

わたしが 水仙を好きだったとしよう
その花が散ったとしよう
それが 何!

誕生日が同じ人だけで会うとしよう
それも日を決めておいて
ちらりと会って別れるのが、何が違うの

(はあ~) みな、過ぎたこと

違うわ、違うわ


(Youtubeに登録の이원호に感謝)

(付記)
最近、遠出を控えている。それでも運動のつもりで、近隣の街に出かけて書店を巡った。
先日から気になり始めた、リトアニアの街「ヴィリニュス」(ユダヤ文化の花開いた街でもある)への関心から、昔、リトアニが大国であったこと、やがてロシアに押されたことで、「ルブリン合同」によりポーランドと連合して(併合されて)、「ポーランド・リトアニ大公国」ができたこと・・・についての平易な歴史解説書を探したが見つからなかった。こんなとき、Wikipediaは近道である。