▼▼ 青字下線付語句のリンク先は、マウス右クリック+<新しいタブ>で進んでください。(本ブログ関連)の最下段に「次の投稿ホーム」があるとき次ページがあります。▼▼

2018年11月30日金曜日

年賀状をどうしようか

今月も残り一日。月別カレンダーから今月分をいさぎよくはがした。すると12月分が一枚ぶらさがっているだけ。ヘラヘラと横揺れする。1年の終わりの月の何と力なさよ。

書店には、来年の家計簿、手帳など積まれている。最近の変化に「年賀状」が減ったためか、年賀状ソフト本も少なくなって見える。若者はメールという手段があり、高齢者は交流範囲が狭まったせいか、年賀状の発行は2003年をピークに下降の一途をたどっているそうだ。
(参考)「年賀葉書の発行枚数などをグラフ化してみる(最新)」(8/31

昔は、人脈の継続や確認の意味合いもあって年賀状交換をした。ところが、社会の流動性が増すと一年に一度の年賀状ではフォローできなくなる。個人情報の取り扱いが厳格になって、年賀状はますます私的空間の交換に変質してきた。個人の住所を記載した社内名簿なんていうものはとっくに存在しない。世間から名簿が次々消えた。

正月はプライベートな家庭行事になっている。(古風なしきたりを重視する社会でないかぎり)年始の挨拶にうかがうことは滅多にない。時代が変わった。そんなわけで年賀状の衰退は続くだろう。

ただし、特に親しい若者の間でグリーティング・カードを送るようになるかもしれない。(ハロウィンののりで!)

2018年11月29日木曜日

Yiddish語 2018秋-9

PCの会話ソフトを使って練習するに、何かよい方法はないだろうか。ソフトの声と自分の声を重ねて聞きたくて、ヘッドホンとマイクを組み合わせたヘッドセットを探して購入した。安価だったせいか、発した声が遅れて耳に入ってくる。結局、道具に頼らず、今は音声速度を調節して練習している。これは意外とよい。運動前のストレッチのような具合だ。

イディッシュ語会話教室へ行く前、使用テキストに付録の音声を、A→Bリピート機能を使って聴いている。これを毎日繰り返していたら、今頃きっと凄いことになっていたろうけれど・・・怠け者はいつまでも低空飛行。

そんなまま、反省しながらイディッシュ語教室へ行く。

(本ブログ関連:”Yiddish語 2018秋”)

今日の授業は、久し振りに出席したアーティストが、がんがんリードしてくれた・・・凄い。
・ 先週(11/22)教わった「ハヌカ」の祝い歌「חנוכּה אױ חנוכּה」の復習と、Youtubeに合わせて歌った。
・テキストのダイアログ練習。

当り前だが、授業があってこそ追いつこうとするもので、独習者を想うと本当に頭がさがる。


(付記)
授業の帰り、本屋に寄って「ニホンオオカミは消えたか?」(宗像充著)を予約した。実は、図書館からこの本を借りていて、返却するのが惜しく読み直したいと思ったからだ。

(本ブログ関連:”オオカミ”)

「ニホンオオカミ」は、いわゆるオオカミの「タイリクオオカミ」とイメージが違い、動物分類学上の議論があるようだ。それに、絶滅していて既に存在しないともいわれる。これらについて、関係者に会って論を進める著者の思いを知るのが面白い。(以前入手した、世界のオオカミを扱った写真集「オオカミと野生のイヌ」(菊水健史監修)には、ニホンオオカミが扱われていない。)

2018年11月28日水曜日

ウォーキング教室(第1回)

ものごとを始めるには、きっかけが必要だ。それも、みんなと一緒に始められればなおよい。そんなとき「ウォーキング教室」のイベントがあって参加した。講師は、NTTの病院でリハビリテーション科に勤務する医療保健学博士の安川生太氏だ。

健康を気にかけて、以前、中高年向け「健康教室」に毎週通ったことがある。私にはだいぶきつく、帰宅するとぐったりしていた。そんなとき、新しく始める会話教室が翌日に当ることになり、健康教室の方を中断してしまった。疲れ具合から、予習もままならないだろうと判断したからだ。
今は、唯一運動らしいものといえば、都心の会話教室に通うことくらい。運動不足をひしひしと感じ、ウォーキングを始めようかと思いついた次第。

今日の教室には、平日午前中となれば集うは中高年ばかり。みな同じような具合を抱えているのだろう。第1回目は、座学と軽い運動をした。
・「元気な身体」: 無理のない姿勢作りについて解説いただき、基本的なストレッチを実践した。(「軽い」はずだったのに、帰宅すればやがて疲れが出てくる)
・「運動機能を保つ」: 歩く際の運動量の目安を解説いただいた。(運動メニューごとに数値があって、「メッツ」という単位量が付されていた)
・「ウォーキング・シューズ」: チェックポイントについて解説いただいた。(① 靴ひもで締める、② かかとが硬いこと、③ 靴底の曲がり位置が足指手前であること)を教えてもらった。

いろいろと興味深い話題があった。次のような事例があったそうだ。「昔のイギリスのバスで、座って運転する運転手と、車内を動いて切符を切ったりする車掌が、その後に心臓病にかかる割合について、運転手の方が車掌より多かった」そうだ。とにかく運動しなさいとアドバイスをいただいた。

2018年11月27日火曜日

科学番組と雑誌

テレビの科学番組でお気に入りは、NHKの「サイエンス ZERO」だろう。最新科学情報を一般向けに分かりやすく解説してくれる。科学に精通したライターや番組担当者と女性アシスタントを含めてナヴィゲーターと呼び、番組テーマに関係する科学者や技術者がその都度ゲスト出演する。びっくりするようなテーマをよく見つけて説明してくれる。しろうとは、そのたび驚くやら感心する。

科学趣味の者には、番組のアシスタントの女性タレント・俳優にも関心がある。初期に出演の「眞鍋かをり」に始まり、「安めぐみ」、「南沢奈央」、「小島瑠璃子」に至るまで、一も二もなく賛意を示す対象となる。彼女たちが、他の番組に出演しているのを見ると、ついつい頑張れと口にしてしまう。間違いない応援対象である。

雑誌「Newton」も応援対象である。この月刊誌が初めて発行されたとき、日本もついにこのようなグラフィック科学雑誌を出版する時代になったと喜んだ。アメリカの「サイエンティフィック・アメリカン」の信頼性と、「ナショナル・ジオグラフィック」の見やすさを合わせ持った雰囲気がした。その精神は今も続いているようだ。最新の、2019年1月号には、大型の2019年カレンダーが付録に付いている。ISS(国際宇宙ステーション)から日本列島の夜景を水平に眺めることができる。特集は、人類の進化「サピエンスのすべて」だ。

昔、科学雑誌といえば、専門家向けに孤峰を誇る岩波書店の「科学」があり、それを追随するように中央公論社の「自然」があった。一般向けには、朝日新聞社の「科学朝日」や読売新聞社の「科学読売」などがあった。その後、日本経済新聞社から日本語版「サイエンティフィック・アメリカン」(現「日経サイエンス」)と、「ナショナル・ジオグラフィック」が発行されると、「自然」、「科学朝日」、「科学読売」などは次々廃刊していった。一般向け科学雑誌には、見せ方が必須と知らされた。
「Newton」は、科学記者が記事作りするものと一線を画していた。グラフィカルなセンスと直感的な分かりやすさの同居なのだ。

ところで、科学者は、「ウォーキング・ディクショナリー」と呼ばれるのを恐れる。大衆受けするタイトルで書籍を出すかどうかが分かれ道のようだった。
今はそんな時代でなくなった。講談社の科学新書「ブルーバックス」が、科学読み物の普及と基盤を作って安定しているし、最近、ソフトバンク系列の出版社から同様の「サイエンス・アイ新書」が出て賑わっている。DTPなど出版のし易さもあって、後は資本力だけなのかもしれない。それにしても、いい雰囲気の時代だ。

2018年11月26日月曜日

イ・ソンヒの「冬哀傷」

イ・ソンヒの冬の歌に「キョウル エサン(겨울 애상)」がある。タイトルの「冬(겨울:キョウル)」に続く「애상:エサン」には、「哀想」と「哀傷」の意がある。DONG・A’S「Prime」の韓日電子辞書によれば、
・「哀想」の場合、「悲しい思い」とある。
・「哀傷」の場合、①「人の死を悲しみいたむこと」、②「物事に感じ、哀しみいたむこと」とある。

ネットで、イ・ソンヒのこの歌を「겨울 애상」で検索したが、「哀想」の漢字を付したものが見つからない(ただし、他の歌や詩では使われている)。一方、「哀傷」については、中国のファンが付したのだろうか「哀伤(=哀傷)」の文字が多く見られる。

「哀傷」に「死」のイメージがあるが、イ・ソンヒの歌詞から直接読み取れないけれど、彼女のミュージックビデオに次のような珍しいものがある。・・・雪原で、イ・ソンヒが少女と出会ったのも束の間、やがて少女は幻のように消え、イ・ソンヒが一人歩き進める。遠景に、雪面に倒れるイ・ソンヒ、それとオーバーラップして重なる少女の顔。何とも不思議な映像で、正直どう解釈したらよいか分からない。

漢詩の如く始まるこの歌に、そっと耳を傾ければ、凍るような夜のしじまに残された孤独な影を感じることができる。それには「哀傷」が適切と思う。

(本ブログ関連:”冬哀傷”)


(Youtubeに登録のjenny.kimに感謝)

2018年11月25日日曜日

(雑談)思い込み

思い込みほどやっかいなものはない。

インド領「アンダマン・ニコバル(Andaman and Nicobar)諸島」*にある「北センチネル島North Sentinel Island)」に上陸した米国人宣教師が、外界との接触をかたくなに拒絶してきた住民によって命を無くしたという。(AFP通信「AFPBB」(11/24)記事より)

(*)アンダマン・ニコバル諸島: 思いのほかミャンマー(ビルマ)の南沖に近い。

インド政府は、北センチネル島の住民の意思を尊重して(現代人側から病気感染させぬ配慮などで)、今も接近することなく彼らの生き方に任せているという。現代人と違った、自然と融合した独自の世界観をまるごと保護・尊重しているようにも見える。

大航海時代、領土的な野心を満足できる広大でかつ充分な自然産物があれば、とっくに植民されていたことだろう(結果、島民は歴史から知られることなく消え去ったかもしれない)。幸い、現代は宗教に名を借りた侵食や、進化論的な支配を正当化しない。インターネットは、無謀な行動をすぐに世界に知らせ、多くの目で判断することができる。

善意は、他者の自然観、信仰、言語、生活様式、暦行事といった、あらゆる文化を奪い去るかもしれない。これからも、残念なことだが、心配りもない正義や思い込みから無謀な行動が続くだろう。

2018年11月24日土曜日

「年末ジャンボ」の行列

「宝くじ」は、「誰かが当っている」という事実から、次は自分の番かもしれないと空想や期待をふくらませる。

銀座にある宝くじ売り場の行列は有名。一等の当り券がよく出る店であり、夢に限りなく近づける場所だ。とはいえ、当選に見合うだけ、大量に売っているからだろうけど。

どんな人たちが並んでいるのだろう。毎年、大型の宝くじのたび来ているのだろうか。大金が腐るほどあれば、私もこの列に紛れ込んでいたかもしれないけど。

「宝くじが当ったら」という話題に、何に使うか?とか、 ひと(他者)に話すか?といったものがある。昔は、鉱物採集で遠隔地に行くのに便利なキャンピングカー欲しいなんて思い描いた。ひと(他者)に話すのは危険などと思ったが、すべて妄想。そして今は、出歩く距離が縮まったせいで、宝くじ売り場に行くこともない。一等当選の夢を見ることもない。

宝くじは、落語「芝浜」のような人情のあるよい出会いをするわけじゃない。ありがたみも分からぬ大金は、結局身を持ち崩すんじゃないかと、見上げながらも止めとこうと思うのであります。

2018年11月23日金曜日

勤労感謝の日 2018(大学祭)

今日は収穫を感謝する宮中の祭祀「新嘗祭」であり、一般に勤労を感謝する祝日「勤労感謝の日」として知られる。アメリカの「感謝祭」(11月第4木曜日)と同様、収穫に感謝する。
ゆるい陽射しの中、先日(11/19)のブログで触れた、東京外国語大学の「第96回 外語祭」に出かけた。午後3時過ぎ、構内は大勢の客であふれていた。

(本ブログ関連:”勤労感謝の日”、”外語祭”、”学園祭”、”大学祭”)

まず人混みを避けて、会場奥手から覗くことにした。中央アジアのウズベキスタンやキルギスタン方面に関心ある学生たちが開く売店や展示イベントを訪ねた。

現地留学した学生が収集した、ソ連時代のピンバッチが多数販売されていた。その中にロシア・ソ連の詩人「セルゲイ・エセーニン」のものがあって購入した。なるほど詩人の人気振りがうかがえる・・・でも、どんなタイミングで着用するのだろう。

(本ブログ関連:”エセーニン”)

また、学生たちが保存・管理しているキルギスの民が草原で使用する(テント中央に支柱を用いない)移動式住居「ユルタ」に入って、住居の解説を聞く。合わせて、ウズベキスタンの二弦楽器「ドゥタール」他の演奏を聴く。(素朴な伴奏楽器の気がしたが・・・Youtubeを「uzbek dutar」で検索すれば凄い)

ところで、回廊施設下に展開された数ある屋台のなかで、チェコ関係の売店があり、なぜかポーランドのホットチョコを売っていた。ホットチリペッパーを足して飲む。売り子の学生から、昨年、イディッシュ語を学んだと話を聞いた。

次に、ポーランド関係の売店で、代表的な菓子であるラズベリージャム入りのドーナッツ「ポンチキ」を求めて食べてみれば、どこかで口にした記憶がよみがえる・・・というか、日本で当り前に口にする菓子だと思った。

(余談)
菓子ポンチキは、Wikipediaによれば「ポンチェック」の複数形とある。関係ないけど、韓国にトロットから派生したというべき元気な音楽に「ポンチャック」がある(歴史から消されそうで心配・・・Youtubeでご覧あれ)。歌手のイ・パクサを見るたび、ジャンルは違うが、千葉県の「ジャガーさん」を思い出す。

2018年11月22日木曜日

Yiddish語 2018秋-8 (小雪 2018)

今日は、二十四節気の「小雪(しょうせつ)」。小雪とは名ばかり?で、小雪が降ることもなく、また寒くもなかった。天気予報で、雨が降るとされ、昼過ぎ ⇒ 午前中とその時刻が変わっていったが、実際は昼にわずか小雨がぱらついただけで心配するほどもなかった。体が冬のモードに慣れてきたのかもしれない。イディッシュ語教室へ出かけた。

(本ブログ関連:”小雪”)

イディッシュ語の授業は、先生の工夫をいただき楽しく進められた。イディッシュ語だけの授業で、知った単語がいくつか聞こえてくると何だか理解した気になってしまう。・・・気楽というか、呑気というか。

ユダヤ教の行事である(エルサレム神殿奪回を記念する)「ハヌカ」の祭りで、子どもたちの祝い歌「חנוכּה אױ חנוכּה」(Chanukah oy Chanukah)について学んだ。① ハヌカの遊びの独楽(ドレイドル)回し、② じゃがいも料理の「ラトケス」、③ 8本のローゾクに火を灯すことなど解説を聞く。

ハヌカの行事は、今年(2018年)は12月2日~10日、来年(2019年)は12月22日~30日に当り、くしくもキリスト教のクリスマス時期と重なる。そのため、このユダヤ教の祝いに、クリスマスのように子どもたちが楽しむ工夫があるとのこと、そんな説明をいただいた。

最後に、ユダヤ教のさまざまな行事カレンダーについて聞く。イディッシュ語を理解するため、その歴史と精神文化の背景を知ることが大切と今更ながら確認する。その広さと厚さを、ちょっとだけかいつまんだに過ぎないが、もっともっと知りたい想いがする。

(追記)
教室の帰り道、お茶ノ水駅に出て古本屋巡りしたが、若いころのような興奮が湧かない・・・とても残念なこと。途中、映画資料の豊富な古本屋で、新宿にあった日本アート・シアター・ギルド発行の雑誌「アート・シアター」(15号)特集の「僕の村は戦場だった」(監督アンドレイ・タルコフスキー)を購入した。

(本ブログ関連:”僕の村は戦場だった”)

2018年11月21日水曜日

(雑談)通り道で二つのこと

陽が傾くころ外出した。西陽のまぶしい通り道を一匹の若い猫が悠々と横切った。視線を歩みのまま保ち、周囲に臆することはない。堂々とした振る舞いだ。小型トラックが迫って来ても一瞥もしない。むしろトラックの方が、猫の渡り切るタイミングに合わせてスピードを緩めた。

よく、夜行動物が夜道に飛び込み、自動車のヘッドライトに照らされて足が止まることがある。光に反応して硬直するからといわれる。夜も行動する猫だが、明るい日中の行動は動じることがなく動き続けるように見える。たいしたものだ。

横丁を曲がったとき、狭い道幅いっぱいにトラックが止まっているのが見えた。ある住宅の解体工事中で、その廃材をトラックに積み込んでいる最中だった。何度か通ったことのある道なのに、以前どんな家があったか検討もつかない。考えてみれば、そんな例はしょっちゅうだ。

トラックの横を通り過ぎようとしたとき、荷台の上と下で二人の男が大声で話していた。でも言葉が聞き取れない。ヘルメットを深く被っていたので気付かなかったが、どうやら彼らは外国人だった。最近、工事現場で外国人労働者が働いている光景をよく目にするようになった。

日本が将来どうなろうとも、はっきりいえることがある。猫は昼間に悠々と道を横切るだろう。

2018年11月20日火曜日

狐(キツネ)と人と北海道

北海道のキツネといえば「キタキツネ」を思い出す。私の若いころ、フィールドに入ってキタキツネを観察した獣医師がおり、結果としてキタキツネの写真家となった竹田津実氏の写真集がなつかしい。当時、キタキツネはブームになり、親子のふれあい、幼い子キツネの成長など原野をバックに美しい写真におさまっていた。

(本ブログ関連:”キツネ”)

そのころからキタキツネに一種ロマンのようなものがあった。「キツネ」は、ヨーロッパや日本の民話に見られるような、ずるくて人をだますといった生き物ではなく、いってみれば、自然保護の指標として、動物愛護の先鞭となったのかも知れない。

インバウンドで、欧米人の観光客が増えて訪れるという「キツネ村」が東北にあって、今の時代だからだろう、やたら愛情いっぱい接して自撮りする様子をテレビなどで目にする。本来野生の動物であり、人間と敵対していた関係なのに不思議な光景だ。ロシアの実験で、キツネの飼育(家畜化)を繰り返すと、中にイヌのような毛並みに変わり、色違いの模様をするものが出現して、人になつくという。飼育者に、愛されることを無上の喜びにするという。

(本ブログ関連:”キツネにかかわる伝承の分布”、”(雑談) 狼 ⇒ 犬、狐 ⇒ ?”)

ところで、山の神信仰について、東北へ行くほど「稲荷信仰(稲荷神)」が多いという。書籍「山怪」(田中康弘)によれば、北(=東北)へ行くほどキツネの話題(怪異譚)が同様に多いそうだ。その「山怪」シリーズの「参」に、北海道の場合を次のように説明している。
----------------------------------------------------
北海道では狐に類する話はほとんど聞くことが出来ないようだ。キタキツネは悪さをしないのだろうか。
----------------------------------------------------

(本ブログ関連:”稲荷信仰”)

北海道とお稲荷さんの関係について、朝日新聞に、米作普及の歴史的観点から説明した記事「神仏編 狐とお稲荷さん」(2017年2月24日、文と写真・塚田敏信)がある。同社らしい表現もあるが、時代経過からそうだろという感がする。(抜粋)
----------------------------------------------------
稲荷を追っていたら気になることが出てきた。道内で稲荷神社の名が多いのは、道南から日本海を北上するラインと胆振日高などの沿岸部。つまり海沿いの町なのだ。稲荷の原点は“田”。なのに現在稲作が盛んな空知や上川にはむしろ少ない。どうしてだろう

水田が北に広まったのは開拓からしばらくしてのこと。それらの土地では別の神がまつられ、稲荷が根づいたのは、比較的早い時期に和人が入った海沿いの地域だった。思わぬところからも見えてくる北海道の姿。だからまち歩きは面白い。
----------------------------------------------------

2018年11月19日月曜日

学園祭

来週の韓国語会話教室は、大学祭の近傍らしいため、休講と念を押された。今週水曜日(11/21)から来週日曜日(11/25)まで開催されるようで、せわしいようだ。次回の教室は月曜日(11/26)なので、重なってはいないけど。後片付けなど余波?があるせいかもしれない。

大学のある地元ローカル紙「調布経済新聞」に、「府中・東京外国語大学で学園祭 首都圏の大学祭『1位獲得』の人気学祭」(11/19)というタイトルで記事が出ている。人気ランクの情報源は、都内のイベント情報サイトによるもののようだ。今晩、教室へ向かう途中、構内通路にロープが張られたりして、それらしい動きがあるようだ。

社会人向け会話教室の縁があって、ここ数年出かけている。ほんの少しだけど、若者たちの雰囲気を知るよい機会にもなっている。

語学専攻別の学生たちによる「語劇」という演劇がある。字幕つきなので、選んで見るのも面白い。また、回廊のある中庭に、語学専攻別の学生による国別の食べ物屋台が登場する。大学独特のもので、一見一食の価値がある。

2018年11月18日日曜日

野川の源流

都心から郊外へ向かう電車の中で、急にヒンヤリさせる「武蔵野台地」らしさを気付かせる地点がある。都心と台地の高低差による気温の変化なわけで・・・と記しながらふと気付いた。今の電車は、空調が効いて窓を開ける必要がない(実際、窓は開かない)ため、若い人に分からないかもしれない。
昔の電車は、夏など車内が蒸し暑くなると、窓を開いて外の空気を取り入れたりしたので直感的に理解できたことだが・・・。

現在の都心は台地の下側に広がる。古い地名に「谷」(つまり崖の下)があれば、台地との境界を示すことになる(四谷、渋谷、下谷など)。東京の西側にある台地は奥に進めば高度が増すわけで、普段でも都心と比べて気温は低い。

そんな都心の低地をスリバチに見立てて「東京スリバチ地形散歩」(皆川典久著、洋泉社)という本がある。「多摩武蔵野編」を去年の暮に購入したが、読むだけで台地散歩に至っていなかった。(武蔵野台地の境目である崖を示す)「国分寺崖線」に沿った代表的な川(小川だが)に「野川」がある。野川の源流をたどり、湧水地を見ることにした。

といっても大げさなことではない。まちおこしの協会が主催する「野川の源流を探ろう!」に参加したのだ。国分寺駅前に集合(午前10時過ぎ)、湧水場所や史跡を巡って、日立中央研究所内の大池そばにある湧水場所で解散(12時30分過ぎ)した。次の行程だが、地図上のイメージと違って先々に起伏があり、私の足腰ではいささか難儀した。
 ・お鷹の道
 ・真姿の池
 ・史跡(武蔵国分寺跡)
 ・姿見の池  ←・・・・ 今回初見のはず?
 ・大池(日立中央研究所内) ←・・・・ 今回初見!(年2回同所公開とのこと)
あらためて、丁寧に解説いただいたスタッフの方々(同じほどの年齢とお見受けするが元気!)に感謝。

2018年11月17日土曜日

対流

街のハンバーガー屋で(ホット)コーヒーを、最初の一口飲んだとき火傷しそうになることがある。フッと息を吹きかけても冷めることはなく、コーヒーメーカーで熱せられた高温のままのようだ。思い当たる節がある。マグカップに入ったコーヒーを家庭用電子レンジで温めたときもそうで、熱さに揺らぎがないのだ。

ショップや家庭用電子レンジの湯沸しは、高温で恒温状態に暖められ、熱が(冷めないほど)均一になって「対流」がない。そのため、風味や触覚の揺らぎも発生しない。どんなも美味でも、平盤なものには魅力がない。微妙な変化があってこそ魅かれるものだ。

ところで、冬の冷え込みに部屋をエアコンで暖めたが、温もりが単調で飽きがくる。ガスストーブを加えれば、温もりに尻尾があるように室内を巡るのが分かる。対流の妙味は、変化を感じとれることだ。(あえて低速の扇風機を回したりすると埃が舞う。空気清浄機も必要になる)

均一で単調なものは苦手だ。人工的平盤さに不自然を感じるからだ。わが身四方に一律でない変化があってこそ自然であり、微妙な変化の兆しを感じとれてこそ生命力なのだと思う。ハンバーガー屋のコーヒーに、熱の微妙な揺らぎを(スマイル以外に)「0円」でサービスして欲しいなんて思ったりする。

2018年11月16日金曜日

マーベル、マーブル

今日の残り時間がない。いつもは聞かない深夜のラジオ番組に耳を傾けて、はっと気付いた。

アメリカのコミック「マーベル・コミック」にさまざま登場するキャラクターの原作者で、先日(11/12)亡くなったスタン・リー(Stan Lee、本名:Stanley Martin Lieber、1922年~2018年)の回顧番組に、小野耕世氏(1939年~)が出演された。

マーベル・コミックについては、パルプ・マガジンのイメージがするが、スタン・リー作のキャラクターは現代的な今風の個性を持っているそうで・・・映画の通りか?

ところで、マーベルといわず、しきりに「マーブル」と語られた。1980年代にそうだったようだが、とはいえパルプ・マガジンまで戻れそうもない。

いろいろと語ってもらいたい、生き字引の語る番組を願いたい。

2018年11月15日木曜日

Yiddish語 2018秋-7

日本の電車で乗客がよく転寝する姿を、欧米人には信じられないそうだ。でも、体験すれば分かると思うよ、これほど心地よいものはないのを。

今日、イディッシュ語教室通学路の地下鉄座席で、何度も転寝を繰り返してしまった。教材が入って膨らんだカバンを膝に置き、それを覆うように両手を繋いで固定しだが、気付けば繋いだ手が解けている。・・・何度も繰り返した。

ところで、今日の授業は、いつも先導してくれるクラスメイトがお休みのため、(今秋期に初参加の方も含めて)残りのメンバー共通理解のために <動詞の活用>の総復習をした。

(本ブログ関連:”Yiddish語 2018秋”)

これから先、電車の中で転寝して目が覚めたら、いろいろな言葉を流暢に喋れるようになるという奇蹟が起きないものだろうか。何度も眠っているが、一度もそんな体験がないが・・・願っている。

2018年11月14日水曜日

2018年 第69回「NHK紅白歌合戦」出場歌手

大晦日に恒例の歌番組、「NHK紅白歌合戦」の本年度出場者リストが発表された。紅白という男女に分けて歌を競い合うスタイルが欧米にないと識者はいう。でも、69回も続けばそれはそれで一つの文化だ。日本人はそんな舞台が好きなのだ。

とはいえ、歌への感度が鈍くなったせいか、歌番組を聞くことはない。最近、「NHK紅白歌合戦」を聞くことも減った・・・億劫になったといってもよい。ところが、出場歌手が決まると気になるものだ。時代感覚のずれを知る一種のバロメーターとして、つい歌手名を確認してしまう。

(本ブログ関連:”紅白歌合戦”)

ということで、次の出場歌手リストで、知っている(聞いたことのある)歌手に「○」印を、名前だけ知っている歌手に「△」印を勝手ながら付けさせていただいた。

朝日新聞の記事「紅白歌合戦の出場歌手発表 DA PUMPは16年ぶり」(11/14)より

【紅組】
【白組】
aiko(13) 嵐(10)

あいみょん(初) 五木ひろし(48)
いきものがかり(10) EXILE(12)
石川さゆり(41) 関ジャニ∞(7)
AKB48(11)
King&Prince(初)

丘みどり(2) 郷ひろみ(31)
欅坂46(3)
Suchmos(初)
坂本冬美(30) 三代目 J Soul Brothers(7)

島津亜矢(5)
純烈(初)

Superfly(3) SEKAI NO OWARI(5)

DAOKO(初)
Sexy Zone(6)
天童よしみ(23) DA PUMP(6)
TWICE(2) 氷川きよし(19)
西野カナ(9) 福山雅治(11)
乃木坂46(4) Hey!Say!JUMP(2)
Perfume(11)
星野源(4)
松田聖子(22)
三浦大知(2)
松任谷由実(3)
三山ひろし(4)
MISIA(3)
山内惠介(4)
水森かおり(16) ゆず(9)

Little Glee Monster(2) YOSHIKI feat.HYDE(初)




9 8
6 5

それにしても、何かしてもしなくても一日が終わり、あっという間に一年が過ぎる。あっけないものよ!

2018年11月13日火曜日

冬の公園に桜が咲いていた

2週間ほど前、ある公園の脇を通ったとき、園内に白い花が咲く木立が見えた。おやと思うまま過ぎてしまったので、多分あれは桜だったろうと確信のないまま終わった。枝振りから梅の木ではなかったし。

曇り空で明かりも鈍い今日の昼過ぎ、別の公園にだが出かけた。肌寒い平日のせいか、遊歩道を歩く人影もなく閑散としていた。この時期になれば、枯葉ばかりが目に付く。そんなとき、グラウンド横に、先日見たのと同じ白い花が咲いていた。
近づいて見れば、白い八重桜だった。ひっそり咲く、勝手にそんな思いで見るからかもしれないが、どこか弱弱しい風情がした、

まだ若い桜の樹が二つ立っていた。それぞれの横に解説の案内板があり、一つには「子福(こぶく)桜」、もう一つには「十月桜」の名を記して説明が書かれていた。共に秋から冬にかけて花を咲かす栽培品種とのこと。花弁は薄くわずかな風に小刻みに揺れた。

冬咲くことを定められた公園の桜に、栽培品種の寂しさを感じてしまうのは思いすぎか。公園にもっと人出があって賑やかな中で見たら、違った感想をしたに違いない。

2018年11月12日月曜日

帰り道のもの影で

今日は昨日より冷えると、テレビの天気予報で気象予報士がいった。とはいうものの「例年と比べて暖かい」と付け加えられた。なるほど、韓国語会話教室の帰り道、夜道は思ったより寒くなかった。重装備に近い防寒着も、あてが外れたよう。

風もない帰り道、外灯の影で若い母親が幼い女の子をママチャリの後部座席に乗せるのが見えた。こんな時間にと思った。夜9時過ぎだ。保育園に預けていたのだろうか、なぜかいろいろと気になった。普段から、ママチャリに子どもを前後に乗せて走る母子の様子に、思わず「頑張って」と口ずさむ。歳をとると、そういう思いが強くなる。

ところで、子どものころ、父は自分だけ見る映画があって、母に嫌味をいわれていた。今は無いジャンルで「母子(ははこ)もの」(或いは母物映画)という、戦中・戦後の経験の中で生まれた女性像、母子家庭を描いたものだ。誰もが共有した時代があったからこそ、働き場所を限られた中でも健気に生きる母子に観客は涙した。(ネットに研究者の論及があった。当時の観客たちの時代の経験と心情をふまえて、それぞれの立場まで肉迫したか気になる。)

勝手な想像は許されないけど、あのときもの影で見た母子(ははこ)の姿に一瞬で反応してしまったのは、もしかしたら、父に何度か連れられて見た、三益愛子の映画の一場面が蘇っただけかも知れない。

2018年11月11日日曜日

魔法瓶が降りてきた:小型回収カプセル(HSRC)

地上400Kmを回っている「国際宇宙ステーション(ISS)」と、「約6トンという世界最大の補給能力」を持つ、JAXAの宇宙ステーション補給機「こうのとり 7号(HTV7)」が、9/28に接続した。約41日間の係留後、11/8に分離、本日の11/11に大気圏再突入して使命を完了した。その際、同補給から「小型回収カプセル(HSRC)」が放たれ、南鳥島周辺の太平洋上に着水し回収されたという。

(本ブログ関連:”こうのとり 7号”)

小型回収カプセルは、タイガー魔法瓶が開発した真空二重容器で、まさに魔法瓶メーカーのお手の物だ。その詳細は、産経新聞(11/11)の記事に「カプセルはISSの日本実験棟『きぼう』で作成されたタンパク質の結晶と金属酸化物の試料計約1キロを収納した。円錐(えんすい)に近い形状で直径84センチ、高さ66センチ。試料の鮮度を維持するため、内部を4度に保つ保冷剤が入っている。」と記されている。

(本ブログ関連:”タイガー魔法瓶”)

また、再突入に当っては、「今回のカプセルはエンジンを噴射して姿勢を制御しながら減速し、試料への衝撃を和らげながら降下できる。」(11/11)とのこと。

カプセルというより魔法瓶がといった方が馴染みやすいのだが、それを前面に出したニュース記事タイトルは見当たらない*。でも、開発会社がタイガー魔法瓶と聞いて以来、なんだか空から魔法瓶が降りて来る気がしてならない。

(* )追記:おっとっと、ありました !!
FNN Primeの記事「“究極の魔法瓶”地球に帰還 米ロに続く3カ国目の技術」11/11に関連の動画像が掲載されている。

2018年11月10日土曜日

石川さゆり「津軽海峡・冬景色」

「流行歌」という言葉が隠れて久しい。昔、誰もが耳にした、小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」(作詞:山上路夫、作曲:平尾昌晃、1972年)の歌は、子どもから年寄りまで口ずさむことができた。私たちはそれを流行歌と呼んだ。

流行歌は、レコードやテレビから繰り返し聞こえ、歌詞カードや字幕なしに親しまれた。電化製品が「家電」から「個電」へと細分化された結果、音楽も共有するものから個人のものへと変わっていった。音楽はいつの間にか、ヘッドホン(或いはイヤホン)の中で響き、足の早い消費物へと変質したようだ。

時代は、二、三十年のサイクルで大きく変遷する気がする。時代の変化は、その後に継承されることもあれば、また振り出しに戻ることもあるようだ。時代(或いは世代)を表す重要なキーワードがいつのまにか消えうせ、実は旧態のままだったりする。さいころは何度も振り返されるようだ。伝わらぬ無念さをひしひしと感じることもある。

冬に思う歌といえば、誰もが口にした(歌いたくても難しい)流行歌がある。石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」(作詞:阿久悠、作曲:三木たかし、1977年)だ。北へ帰る、演歌の定番とでもいうべきものだ。そして、津軽海峡の言葉から冬景色をはずすことができないほど、彼女の抜きんでた歌唱力は、この作品を別段に乗せた。

(本ブログ関連:”石川さゆり”)

当時、次のYoutubeを見れば、粗忽なファンは彼女のイメージを追ったかもしれない。けれど、彼女はそんな騒ぎを超えて、歌本流を昇っていった。歌謡界の大きな柱を担う存在として。


(Youtubeに登録のblue birdに感謝)

2018年11月9日金曜日

大江戸三文オペラ

イディッシュ語のクラスメイトに音楽家(歌手と演奏家)がいて、今晩、表記タイトル「大江戸三文オペラ」のコンサートに出演された。都会のイベントのため、帰宅したのが深夜の24時直前。今日の日付だけでも残しておきたいと慌てて、この出だしだけ記す・・・詳細は後で。

ひとまず、11月9日のタイムスタンプが付いて一安心。

戦前戦後を通じてドイツで活躍した劇作家の歌を、日本語歌詞で表現された。いつも教室で明るく活発な方だけに、ステージから伸びやかな歌声が会場に広がる。みなは、その声に合わせて体を揺らせ聞き入った。

教室の仲間も客席にいて、コンサートの最後に一緒に、”bravo”(【yshr-koyekh】ישר־כּוח)を叫ぼうと申し合わせたけど、日本語・ドイツ語・英語などと歌が続いた後では、さすがに気が引けた。イディッシュ語で声を出す必然性がないのだから。次回の教室で叫ぼう。

2018年11月8日木曜日

Yiddish語 2018秋-6

ネットで話題になったことだが、或る作家が、昔の農民(百姓)がどんなものを食べていたかを記した内容について、学校の歴史教師が批判したという。外野から見て気になったのは、その教師が、学校が在る地元の郷土史を普段参照しているのだろうかということだ。

私の記憶では、学校の歴史授業で郷土史を語ってくれた教師はいなかった。自分たちの先祖の生活に戻って過去の一端を探れば、歴史が身近になったのではと大変惜しまれる。その上で、歴史教育家たちの作った教科書に戻って語れば、歴史が具体的になった気がするのだが。

江戸時代に開発されたこの地は、乾いた台地上にあり、小麦、野菜くらいしか作れず、水田は台地の下を流れる小川を囲むわずかな場所にしかなかったという。そんなわけで、生活は苦しく、日常の食事は雑穀が主体だった(うどんはハレの日ぐらい)。それは、明治大正期ころまで及んだという。
当然、江戸の時代に、長男以外に土地は相続されず、次男三男は家付きのまま一生独身で過ごすか、江戸の町に出るしかない。才能のある者は、運がよければどこかの農家の養子になって跡を継ぐことができた。

(本ブログ関連:”小麦”)

私たちは運がいい、そんな過去から生まれ残ったものであり、今この世界の中で驚くほど豊に暮らしている。私たちが口にする正義が、どんなに運のよいものか。

おっとと、今日のイディッシュ語の授業について記すはずだったのに・・・前段が長過ぎたようで。

(本ブログ関連:”Yiddish語 2018秋”)

授業の前半は、慎重な女性とお気楽な男性の会話。内容を噛み砕くように、ゆっくりイディッシュ語のみのスタイルで解説いただく。せっかくのストーリー、先生の筆力でユダヤジョークらしい風味が増しているというのに・・・その面白さに、直ぐに気付けぬ残念さ。

後半は、児童向け教材「דער אָנהײבער(The Beginner)」の中から、男の子が、我がまま半分に、お母さんへ食べ物ねだりするといった内容。登場する男の子と女の子、どちらが年上なのやら、教科書のあちこちの場面で、二転三転するのが面白い。

そんなわけで、頭の中は柔軟体操になってしまい、帰りの地下鉄で転寝し放題だった。

2018年11月7日水曜日

立冬 2018

今日、カレンダーでは二十四節気の「立冬」、<冬の気配が始まる>ころという。旧暦の9月がようやく終わり、明日から10月となって「冬」が始まる。ところが新暦の現代、(日常実感する季節の)「冬」と、「立冬」が連動しない。次の【月別の季節区分】のように、12月までおあずけといった方がよい。

【月別の季節区分】
・冬 : 新暦 12月~02月、 旧暦 10月~12月
・春 : 新暦 03月~05月、 旧暦 01月~03月
・夏 : 新暦 06月~08月、 旧暦 04月~06月
・秋 : 新暦 09月~11月、 旧暦 07月~09月

(本ブログ関連:”立冬”)

今日もそう、都心の最高気温は20℃で、テレビ各局の天気予報で「暖かい一日だった」と語られた。実際、例年の立冬はさほど寒くない。去年は少し冷えたが、それ以外の年は若干おだやかであることが、goo.net 天気の「東京の過去の天気 11月7日」を見ると、20℃超えが意外に多いのが分かる

とはいえ、日向と日陰の気温の落差は激しく、日沈があっけないほど早い立冬。冬が始まったといえばそのように思える。

2018年11月6日火曜日

イ・ソンヒ 「一輪菊」

この時期(先月中旬~今月にかけて)、東京のあちこちで「菊祭り」が開かれているという。花を愛でることが主眼で、栽培者の丹精込めた菊の花が陳列されているようだ。

子どものころ、親父に連れられて「菊人形」の祭りに行った記憶がある。菊の花を観賞するというより、その名の通り(昔の百貨店の和服売り場に立っていたような)人形の顔や手足、或いは衣服だけ残し、他を小さな菊の花で覆うといったもの。無表情で遠くを見るような眼差しが気味が悪くてしょうがなかった。正直、いまだに馴染めないでいる。

そのせいか、今も菊人形のイメージが重なって、菊祭りに足が進まない。もちろん、たたずむ一輪の菊の花に、凛としたおもいを感じるのだが。

ところで、イ・ソンヒの歌に、9集収録の「一輪菊(한송이 국화)」(作詞チェ・ユジョン、作曲ヤン・ムンソン、1994年)がある。この歌の軽快さは一体どこからくるのだろう。韓国の代表的「KY(クムヨン)カラオケ」のリストにもある由し。

一輪の野菊見やれば、貴方の姿を見るよう
一輪の野菊見やれば、貴方の姿を見るよう
華やかな姿なくとも  素朴な香りに染まるように
小さな花瓶の中で一輪の菊  この世の憂いを洗ってくれる
黄色い花びら差し出した顔  ささやくように愛を語るよ
一輪の野菊見やれば、貴方の姿を見るよう
華やかな姿なくとも  素朴な香りに染まるように
あ~

(本ブログ関連:”一輪菊”)


(Youtubeに登録の526apolloに感謝)

2018年11月5日月曜日

(雑談)タコ焼 - 続

今日も、韓国語会話教室の帰り道、路肩にポツンと立つタコ焼屋に寄って、ひとパック購入した。夜の空気は思ったほど冷え込んじゃいないけど、前回(購入)のときの反省から帰宅して電子レンジで温めた。あちっちと息を吹きかけ、冷ましながら食べる。それでも熱くて、上歯茎の裏を火傷する。

(本ブログ関連:”タコ焼屋”)

今回もマヨネーズを遠慮し、なおかつ青海苔も断った。するとタコ焼屋の主人は、ソースを塗った上に鰹節をふわりとかけたのだ。
「実は、鰹節もいらないんだけど。あれもこれもいらないというと変な客扱いされても・・・」と語ったところ、
主人に「青海苔よりも、鰹節の方が香りが強いんですけどね」といわれた。

本当は、何もない方がお気に入りで(更にいえばソースもいらない)、タコだけで十分だ。

次は、「ネギ焼」にチャレンジしたい(これは、完全に祭りの屋台の出し物)。ちなみに、生地は薄く、ネギはほどほど。ネットを探したところ、いろいろと盛り合わせしているが、あっさり、すっきりが肝要。自分で作るしかない。

2018年11月4日日曜日

映画「新しき世界」

無料で映画を見られる、動画サイト「GYAO」はありがたい。どれにするか選択する前に、趣向の合わないものを避けたくて、まずはユーザーレビュー(ネタばれしないもの)をつい参照してしまう。評判よいものに間違いはないと信じている。

そこで選んだのが、韓国映画新しき世界신세계)」(2013年)だ。日本タイトルは、わざわざ「新しき世界」と銘打っているが、原題は「新世界」。当然ながら、百貨店の名前ではではない。

ヤクザの内部抗争の兆しを嗅ぎ付けた警察幹部の一部は、ヤクザ世界を一掃しようと、「新世界プロジェクト(신세계 프로젝트)」と名付けた作戦を開始する。ヤクザ組織に潜入した警察官を、駒のように扱い、窮地に追い込むことを厭わない非情な警察上司、一方で、潜入者の正体を知りながらもなぜか許容するヤクザの「兄貴」、華僑人脈などさまざまな人間模様が描かれる。卓上に並べられたトランプカードが、次々とあっけなく裏返しされるように変転する。

韓国映画独特の殺伐とした暴力シーンもないではないが、それを前面に押し出すこともなく、微妙な人のつながりを描く。映画の柱でもある、気のいい「兄貴」と潜入者との間に通じる信頼に興味が引かれる。カードの裏になるのは誰かも分からない、先行きの読めない展開に時間を忘れて見入ってしまう。久し振りに映画を堪能した。

監督・脚本
パク・フンジョン
出演者
・イ・ジャソン(潜入者:警察官): イ・ジョンジェ
・カン・ヒョンチョル(上司:課長): チェ・ミンシク
・チョン・チョン(兄貴): ファン・ジョンミン

2018年11月3日土曜日

文化の日 2018

あまりに代表的な祝日のため、ブログの11月3日に、「文化の日」についてしっかり記したのは、わずか2回しかなかったのに驚く。なにしろ、文化の日にふさわしい「文化勲章」に触れるほどつまびらかでない・・・文化に疎い、文化的でないからといった方がよいかもしれない。

(本ブログ関連:”文化の日:20152016”)

今日、皇居で行なわれた文化勲章の親授式で、天皇陛下から勲章が授与されたのは次の方々という。(日経新聞記事(11/3)より)
・劇作家で評論家 山崎正和氏(84)
・作曲家 一柳慧氏(85)
・京大名誉教授で情報工学 長尾真氏(82)
・陶芸家 今井政之氏(87)
・東大名誉教授で租税法学 金子宏氏(87)

このなかで、山崎正和氏の「室町記」を遠い昔に読んだ記憶があるぐらいで、一柳慧氏は現代音楽家として名前だけ、他の方々は皆目存じあげない。そんな程度では、文化の日についてブログに記せるわけもない。

Googleニースのトップニュースに、文化勲章の親授式があげられてなかった。新聞大手紙のネットのindexページにも見当たらない。実際の紙面を見てないので何ともいえないが、いろいろと気になることである。

2018年11月2日金曜日

カレンダー

今朝になって、月表示のカレンダーを11月にした。日めくりカレンダーは、毎日替えているため、日ごと薄くなってゆらゆら揺れる。月表示カレンダーも、最近、新しいのに替えると、左右に揺れるようになった。年の瀬のあわただしさを予感する。

(本ブログ関連:”カレンダー”)

「平成」最後の年末、残り2ヶ月しかない。和暦は不思議なもの。昭和、平成と生きて、人生の区切りを知らされるようだ。もちろん短い元号もあったけど、次に記したように、3代生き続けるのは難しい。
明治(1868年~1911年)・・・ 44年
大正(1912年~1925年)・・・ 14年
昭和(1926年~1988年)・・・ 63年
平成(1989年~2018年)・・・ 30年

語学教室の開始ぎりぎりに着席するのがせわしくて、いつも早めに行く。昨日もそうだった。ところが腕時計を見間違えて、早く到着した。事務局の方の特別のはからいで、教室に入らせていただいた。
日頃、時間(数字)に縛られるのはいやだと言っていたはず。時計の数字に惑わせられ、カレンダーの数字に圧迫される。数字なしの生活をしてみたいと想像するが、実は家中にカレンダーがある。

カレンダーを語るたび、ニール・セダカ(Neil Sedaka, 1939年3月13日~)の「カレンダー・ガール(Calendar Girl)」(1960年)にいつも頼ってしまう。明るくはち切れんばかりのオールディーズを耳にしたい。
ところで、ニール・セダカとは、イディッシュ語を少しかじったことで旧交を温めた感じだ。彼には、イディッシュ語の歌もある。

(本ブログ関連:”ニール・セダカ”)


(Youtubeに登録のAK47banditに感謝)

2018年11月1日木曜日

Yiddish語 2018秋-5

数の数え方(数詞)は、その文化を示すもの。位い取りや、更にいえば何進法を基準にするかといった微妙な違いまである。やっかいなのは、発音がリエゾンしたりすると皆目分からなくなる。今日のイディッシュ語教室は、まずは位い取りの基本について教えていただいた。

(本ブログ関連:”Yiddish語 2018秋”)

先週、ユダヤ人作家(小説家、詩人)、ジャーナリスト、画家といった著名人のリストが渡され、彼らの生没年とその地名、業績分野などを調べる宿題があった。この宿題、じつはみんなに大変好評だった。ネットで調べるうち、リストにあげられた人々の人生が見えてきたからだ・・・国境を軽く超えたこと・・・もちろん、それには大きな理由があったのだけど。

今日の授業は、宿題の成果をもとにして、チームを組み、各自、調べた人物紹介をロールプレイした。もちろん、あらかじめ先生からチャット例を解説いただいた上でのことだが。

教室では、別に、イディッシュ語交流のためのちょっとした作業があった。アーティストがクラスメイトにいるという幸運に恵まれて、素晴らしいものになった。