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2015年10月19日月曜日

(資料)「稲荷信仰から見える江戸」

先日、NHKのテレビ番組「歴史秘話ヒストリア」で、「聖なるキツネと神秘の鳥居 ~伏見稲荷大社の不思議な世界~」をテーマにした回を視聴した。(京都の)伏見稲荷大社にある、赤い千本鳥居に始まりに、稲荷信仰について紹介された。

稲荷信仰は、農業、特に稲荷⇒稲⇒害獣であるネズミ退治につながるキツネを稲荷神の使いとするといわれる。それが、江戸時代に、大きく社数を増やし、民間・大衆の身近な信仰対象となった。番組では、当時、三越百貨店の前身である越後屋三井呉服店が三囲神社(みめぐりじんじゃ)を守護社と定めたことから、稲荷神社と商業の強い関係に触れている。

農業、商業以外にも、稲荷神社と関係深いものがある。江戸期に新田地帯だった地元にある、稲荷神社は疱瘡治癒の効用もあって、遠く川崎宿からも参詣があったという。また不思議なことに、近所のある道筋に、民家の軒先に稲荷の小さな祠が続けて点在するところがある。

(本ブログ関連:”稲荷”)

そこで、江戸時代に、なぜ稲荷神社が爆発的に広がったのか、病気(治癒)との関係はどうだったのか知りたいところ、ネットに次のような(「火事」と「疫病」に着目した)論文が掲載されているのを知った。

「稲荷信仰から見える江戸」(湯浅徳子、指導教員 山室恭子)で、平成19年(2007年)度の修士論文のようだ。大名屋敷の稲荷、廓の中の稲荷、人足寄場の稲荷など、いろいろな階層に信仰されたこと。修験の祈祷と結びついたことなど、興味深い話がある。いかに庶民のよすがとなったかを教えてくれる。

資料として、「疫病」部分について抜粋させていただきます。感謝。
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出発点
・なぜ江戸で稲荷がもてはやされ、流行り神となったのか。

背景
・日本の民俗信仰のなかでも代表的な信仰のひとつが稲荷信仰である。稲荷はさまざまな神社仏閣の中でも群をぬいて数が多い。全国の神社総数が約 8 万社あるうち、およそ 3 万社が稲荷であるという。これに個人宅の屋敷稲荷まで加えると、おびただしい数となる。稲荷信仰は江戸時代のそれも江戸という都市で突如爆発的な隆盛を見せるという特異な特徴を有する。

目的
・そこで、本研究では稲荷信仰が隆盛するに至った理由を、江戸の都市災害である「火事」と「疫病」との関連に焦点を当て、稲荷信仰から見える江戸の一特性について明らかにしていく。

まとめ
4.3 病気治癒と稲荷まとめ

・大名屋敷、廓、町中、塀の中という江戸の様々な場所にまつられる稲荷を見てきた。パターンごとに分類しつつ、具体例を検証していくことで、人々が病気治癒を期待し、真剣に信仰している様子が浮かび上がってきた。

・まず、稲荷には一般に開放されている「参詣できる稲荷」と、閉ざされた環境にある「私的な稲荷」があった。そして、私的な稲荷である大名屋敷の稲荷が「麻疹」に効験があるとされ、一般に開放された事例を確認した。それは、町人が大名屋敷という特権的空間に入ることで非日常的な荘厳さを体感し、利益を感じさせるものであった。また、大名が地方にもつ領地にあった稲荷を勧請していることから、遠路からきた稲荷ということで、ありがたみがあり、さらに切手を手に入れて平日に参詣することは他の町人と差別化をはかれ、より心願成就への期待が持てるものだった。つまり江戸の人々は信仰にプレミア感を求め、参詣のハードルが高いほど病気に効果があると信じたい心理があったのである。

 ・次に、廓の中にも稲荷が確認された。江戸の男女構成比の不均等という地域的特性から、吉原や、岡場所が繁盛し、梅毒等の性病が猛威をふるうことになった。廓の中でも稲荷は求められ、遊女から信仰されたのである。また、梅毒に特化した瘡守稲荷も数多く存在した。そして梅毒が皮膚に瘡を発生させることから「疱瘡」につながり、疱瘡の患者の信仰も集めた。

・大名屋敷や廓は江戸に特徴的な空間であり、そこでもまつられた稲荷は時に流行神となり信仰を集めた。そして、それらの稲荷に結びつく病気は難治なものが多かった。このような特徴的な空間にまつられた稲荷と、病気にまつわる流行神的稲荷出現の状況は、江戸人の病気治癒への強い思いが噴き出したかのような様相を呈していると言えよう。

・町中の稲荷は、人々が手軽に参詣できるため重宝されていた。ここに修験が居住する稲荷を確認した。奉行所から快く思われないのを承知で、追放された修験を神職に復帰させていた事例から、修験に信頼を寄せる町人の姿を見てとれた。修験の果たした役割は祈祷である。祈祷の病気治癒は江戸で広く受け入れられ、人々は祈祷で病苦を忍んだのである。

・最後に人足寄場という特殊な空間で稲荷を見た。「塀の中」で暮らす人足たちが稲荷を勧請することを強く望んだという事が確認された。寄場という病人が多い、劣悪な衛生環境で彼らが求めたのは、医師でも薬でもなく、ほかならぬ稲荷であった。

・なすすべのない病気に対して人々ができることといえば仏に治癒を祈ることである。江戸は医師や薬も数多くあったが、当時の医療の未発達な部分とそれを補完する神仏の効験で、人々は病気と対峙してきたのだ。医療と宗教が切り離されるのは、病中の祈祷禁止等の法律が成立する明治に入ってからである。つまり江戸時代は病気治癒のための祈祷が熱心に行われた最後の時代だったのである。
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2024年12月4日水曜日

市民講座「身近な民間信仰」 ❶

公開講座の「身近な民間信仰」第1日目にあたるきょう、❶「家に祀(まつ)る神様仏様」の講演があった。講師は、府中市「郷土の森博物館」の学芸員、佐藤智敬氏である。(以下聞き間違えがありましたら、ご容赦を)

(本ブログ関連:”市民講座「身近な民間信仰」”)

多摩川の北側にある府中市から、北上して国分寺崖線にいたるまでの小金井市との両エリアにおける、「稲荷信仰」、「講」の2つの伝承について語られた。稲荷信仰は、私にとってかなり興味深いテーマだ。講は、今回初めて聞くことになる。
- 古い2万5千分の一地図上、上記エリアに桑の木が広く栽培されていたのに驚く。

(本ブログ関連:”稲荷”)

① 家の神様(仏様): 稲荷様について
・府中・小金井のエリアにおける、「屋敷神」(個人敷地内)の信仰は、ほぼ稲荷信仰だった。(府中市: 8割)
    ー 村共同体の稲荷信仰は、屋敷神から成長(引き継いだり)したものと考えられる。
・屋敷神としての稲荷様の神体は、藁(わら)で作った社(やしろ)や祠(ほこら)の中に置かれた丸い石だったりした。
・屋敷神は、有名な神社・寺院から、分祀・勧請(かんじょう: 分霊をいただいてくる)。
    ー 平安時代に、関東エリアに稲荷神はない。
    ー 江戸時代中期の新田開発に伴い、村の鎮守として登場。
・朱鳥居は、明治以降に登場したようだ。・・・?
・狐の上にいる稲荷の姿
    ー 神道の神体は、稲を背負う。仏教では、守護神の荼枳尼天(だきにてん)。
・家の神様から、効用を持つ神へ変わる。笠森稲荷=笠(皮膚病の瘡(かさ)ぶた)の平癒。
・「稲荷」の前に「~稲荷」と(正一位など)格付けは、近世中に行なわれた。

② 講(こう):宗教的な講(遠隔地への参詣のための集まり)
・農村にとって、天候は神頼みであり、お参りに行くため「講」が作られた。
    ー 講の発達:「御師」・「先達」と呼ばれる宗教者により流布され確立していった。
    ー 御師の札配りは、大正ごろまでつづいた。
・集団の参詣:ア)日帰りなど全員で行く、イ)代表者が行く(代参)などがある。
    ー 遠隔地へ行くのは金持ちだけ。
・宗教的な講であっても、途中あるいは参詣後、旅行の要素を含む行動があった。
・講の減少:ア)農業人口/田畑の面積の減少、イ)天気予報技術の発達などあって、参詣の必要性が減ったことによる。
    ー 郷土史: 民家の屋根裏から参詣の証である「お札(ふだ)」が大量に発見されることがある。


(付記)
民間信仰と関係ないが。早朝5:00の「NHK NEWS おはよう日本」に、気象予報士の近藤奈央さんが復帰しているのに気づいた。12/2からとのこと。

2021年12月22日水曜日

冬至 2021、民間信仰

きょうは、二十四節気の「冬至」で、日の出から日の入りまでの昼(日照)時間が一年中で最も短い日だ。東京天文台から見た日の出は 6:47、日の入りは 16:32になり、昼時間は 9時間45分となる。一方、昼時間が最も長い「夏至」(6月21日)の場合、日の出は 4:25、日の入りは 19:00になり、昼時間は 14時間35分となる。

(本ブログ関連:”冬至”)

冬至の昼時間が夏至のときと比べて、約5時間も短いのは驚きだ・・・一年中、昼時間が長ければ活気あふれそうだが、北極圏の「白夜」のように日没がないのはどうなんだろう。逆に冬至の前後に起こるという「極夜」では一日中太陽が昇らないわけで・・・憂鬱なことだろうなんて想像するが、そんなことをいうとトナカイを飼っている民族や、子どもたちへのクリスマスプレゼント準備に忙しいサンタクロースに失礼になる。

幸い、ほどよい緯度に住んでいるおかげで、冬至が生活の一区切りになる。これも体調が揃ってのことで、このところ右膝の調子がおもわしくなく日常の範囲が狭まった。外出も野外散歩から、座ってできることへと移っている。

■ 民間信仰
先日、2回(12/11、18)に渡って市民講座「日本人の民間信仰 - その起源と八百万(やおよろず)の神たち」(久保田裕道氏、東京都文化財研究所 無形民俗文化財研究室長)が開催された。民間行事や芸能、信仰などの精神的な回路(位置取り)として、次のような図解を中心に解説された。(柳田国男の「遠野物語」や折口信夫の「まれびと」の考えも紹介されつつ)

    集落(民間信仰の主な場所) - 田畑 - 里山 - 山(神がいる、山岳信仰の場所)

網羅的に整理・理解できないしろうとは、ある局面について関心がいくもの。本ブログでは、民間信仰に近いテーマの一つとして「お稲荷さん(稲荷信仰)」の話題を渉猟したりしている。稲荷信仰について、どのように触れられるか期待しつつ出かけた。

「家の神」として、<屋敷神>の紹介で久保田氏が調査対象にした東京都東村山市の例として「屋敷内に祠が設けられる(屋敷神は)、300軒以上で稲荷神。弁天・霊神が2ケタ、1ケタ台で水天宮・御嶽・八幡・観音・地蔵など」とのこと。
① 圧倒的に「稲荷神」が多い。屋敷神は転居してもそこに残るという。経済と結びつきの多いことから、東村山市は繁栄していたのだろう(稲荷神が武蔵野の新田開発時代のものか、維新以後の商業関連のものかうかがわなかったけれど)。

(本ブログ関連:”稲荷信仰”)

② 「地蔵」が1ケタ台というのもうなづける気がした。土地柄がよければ、疫病とも縁が薄いだろうし、子どもを捨てたり水子にすることも少なかったのだろう。(地蔵は、屋敷より地域の境界や外れに置かれたろうから)

(本ブログ関連:”地蔵”)

その他、「鬼」と火の関係など、しろうとにとって偏ったことだが興味・関心がうずうずと湧いてくる話題が多々あった。

2011年6月26日日曜日

キツネの信仰

「日本動物民俗誌」(中村禎理著:海鳴社、1987年)は、日本の諸動物について信仰や伝説などを紹介している。
キツネの項に、狐信仰の経緯が、山の神の使い⇒田の神の使い⇒商業神信仰、へと変遷していると次のように説明している。
・山の神に関連していえば、キツネは同じく山の神に帰属するサルと対抗するもので、稲荷神社は東北日本に多く、後者につながる日吉(日枝)神社は西南日本に多いという。(⇒北日本≒縄文的な見方をすれば古い信仰につながるようだ。)
山という場所がらイヌ(オオカミ)と関連して、例えばキツネの嫁入りとオオカミの産見舞いというひとつの信仰の範疇でとらえられるようだ。
・田の神に関連していえば、田の神の祭場(未開地)に棲むからとか、毛と穀物の色の関連などと諸説あるそうだが。(⇒稲荷の字義のごとく、田の神に直結するようだ。)
・商業神信仰、すなわち稲荷信仰は、キツネの変幻自在に通じる流通過程で利潤を追う職業に近づいたという説がある。(⇒商家の庭先に稲荷信仰の祠が鎮座しているのを多く見られるが、勧請の容易さがあったのではないだろうか。)

キツネの嫁入りは山の神の使者の信仰につながるようで、キツネの不思議な存在を受け入れる余地をわたしたちは古来持ち合わせているのだろう。

(本ブログ関連:”お稲荷さん”、”狐の嫁入り”)

ところで、上記書の著者は、わたしが若いころ、日本の科学者運動について著述していたことを覚えている。生物学史の研究者だった。

2018年11月20日火曜日

狐(キツネ)と人と北海道

北海道のキツネといえば「キタキツネ」を思い出す。私の若いころ、フィールドに入ってキタキツネを観察した獣医師がおり、結果としてキタキツネの写真家となった竹田津実氏の写真集がなつかしい。当時、キタキツネはブームになり、親子のふれあい、幼い子キツネの成長など原野をバックに美しい写真におさまっていた。

(本ブログ関連:”キツネ”)

そのころからキタキツネに一種ロマンのようなものがあった。「キツネ」は、ヨーロッパや日本の民話に見られるような、ずるくて人をだますといった生き物ではなく、いってみれば、自然保護の指標として、動物愛護の先鞭となったのかも知れない。

インバウンドで、欧米人の観光客が増えて訪れるという「キツネ村」が東北にあって、今の時代だからだろう、やたら愛情いっぱい接して自撮りする様子をテレビなどで目にする。本来野生の動物であり、人間と敵対していた関係なのに不思議な光景だ。ロシアの実験で、キツネの飼育(家畜化)を繰り返すと、中にイヌのような毛並みに変わり、色違いの模様をするものが出現して、人になつくという。飼育者に、愛されることを無上の喜びにするという。

(本ブログ関連:”キツネにかかわる伝承の分布”、”(雑談) 狼 ⇒ 犬、狐 ⇒ ?”)

ところで、山の神信仰について、東北へ行くほど「稲荷信仰(稲荷神)」が多いという。書籍「山怪」(田中康弘)によれば、北(=東北)へ行くほどキツネの話題(怪異譚)が同様に多いそうだ。その「山怪」シリーズの「参」に、北海道の場合を次のように説明している。
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北海道では狐に類する話はほとんど聞くことが出来ないようだ。キタキツネは悪さをしないのだろうか。
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(本ブログ関連:”稲荷信仰”)

北海道とお稲荷さんの関係について、朝日新聞に、米作普及の歴史的観点から説明した記事「神仏編 狐とお稲荷さん」(2017年2月24日、文と写真・塚田敏信)がある。同社らしい表現もあるが、時代経過からそうだろという感がする。(抜粋)
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稲荷を追っていたら気になることが出てきた。道内で稲荷神社の名が多いのは、道南から日本海を北上するラインと胆振日高などの沿岸部。つまり海沿いの町なのだ。稲荷の原点は“田”。なのに現在稲作が盛んな空知や上川にはむしろ少ない。どうしてだろう。

水田が北に広まったのは開拓からしばらくしてのこと。それらの土地では別の神がまつられ、稲荷が根づいたのは、比較的早い時期に和人が入った海沿いの地域だった。思わぬところからも見えてくる北海道の姿。だからまち歩きは面白い。
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2025年1月14日火曜日

笠森お仙

きのう(1/13)の「成人の日」について記したブログの末尾に、江戸の美人として有名だった「笠森お仙」(1751年:宝暦元年~1827年2月24日:文政10年1月29日)について触れた。お仙は、現代風の成人にあたる20歳近くに嫁いだことになると記した。むかしの「嫁入り時」の16~17歳より少し歳を経てのことかな。

そこで、彼女が働いた水茶屋が笠森稲荷社のそばだったことから、稲荷に関連して触れてみたい。以前から、キツネと関わりのある「九尾の狐」から「稲荷信仰」へと興味が広がり、かつ近在の稲荷神社が「笠森稲荷」系であることを知り、興味が尽きない。

(本ブログ関連:”キツネ”、”稲荷信仰”、”笠森稲荷”)

江戸の時代、谷中の福泉院境内に笠森稲荷社があった。門前に水茶屋「鍵屋」があり、「明和三美人」の一人として知られる美貌で話題になった <看板娘> の「お仙(笠森お仙)」がいた。当時のブロマイドにあたる「錦絵」(浮世絵の中で多色刷りの絵)に、鈴木晴信作の「お仙茶屋」がある。すっきりして柔らかな眼差しと、細身の着物の裳裾から足袋を履いた足先をのぞかせている。

鈴木春信「お仙茶屋」(Wikipedia)

ネットに、お仙の賛歌ともいえる「小唄」があり、Youtube映像もあるので見てみよう。

■ 東京小唄・清元・三味線教室
歌詞集「笠森おせん」
https://kiyuumi.com/archives/2014/10/post_833.php
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鐘一つ売れぬ日もなし* 江戸の春 花の噂の高さより
土の団子の願事(ねぎごと)を かけた渋茶の おせん茶屋
あたしゃ見られて恥ずかしい 掛行燈(かけあんどん)に灯を入れる
入相(いりあい)桜ほんのりと 白きうなじの立ち姿
春信**描く一枚絵

朧(おぼろ)夜や 木の間にゆらぐ ぼんぼりの 灯影(ほかげ)まばゆき櫻花
手拍子打てば ちらちらと 散るを惜しまん 春の宵
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(*)鐘: 滅多に売れないものでもあるが、それも毎日売れる
(**)春信: 鈴木春信


■ Youtube(登録:春日とよ喜裕美)
「笠森おせん(鐘一つ)東京小唄清元三味線教室」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=V4BavOuNFR8

2015年8月15日土曜日

近くの民家にある稲荷

近所を散策すると、不思議なことに、あちこちの民家に小さな稲荷を目にする。ある民家は塀の中に道路と平行に区画された柵の中に、しっかりした造りの鳥居と稲荷堂が建っている。また、ある民家の稲荷は道路と直角にじかに参ることができる、こじんまりした鳥居と稲荷堂が置かれている。不思議なものもある。ある民家は低い柵の中に、腰高の赤い鳥居だけあがあって稲荷堂はない。

(本ブログ関連:”稲荷”)

江戸期、稲荷信仰は商人に受け入れられた。人々の祈り場であったのだろう。近くに、江戸の記録を持つ昔ながらの稲荷神社がある。数多くの鳥居が並び、それなりに大きな境内と稲荷堂が立つ。この辺りは江戸期に新田開発された農業地帯だった。

近所の民家に稲荷をしっかり探せば、さらに見つかるだろう。昔の新田(麦や陸稲など)地帯の農家が稲荷を持っていたのだろうか。あるいは、江戸というより、以降の宅地化のなか、飛び地のようにできた新造の住宅がそれを据えたのだろうか。

ところで、人々は、狐の持つ力にあやかりたい。稲にかかわる農業の神の使いとして。あるいは、夜に狐火を灯す不可思議さに。あるいは、狐の憑依という最も原始的、心的な霊力に感応したいという欲求があったのだろうか。誰にも、決して他人にいえないものがあるものだ。

狐のずる賢さに都会人は共感するかもしれない。しかし、昔は新田開発のもと農民による共同体であり、狐の裏をかくような豹変さは不適だったはず。それなのに、現在、民家に古ぼけた稲荷堂を多数見る。近くの稲荷はどのようないきさつがあってできたのか知りたいところだ。

2015年4月19日日曜日

(資料) 稲荷神社の鳥居はなぜ赤いか

稲荷神社には、朱色で小柄の鳥居が連なることがある。その下を潜り抜けるうち、不思議な高揚感に気付く。辺りが朱に染まったような錯視をする。社殿に近づくとき、朱は人の心に何かを共鳴させる。それが何か分からないが、合点させる力がある。

(本ブログ関連:”稲荷”)

国立国会図書館の「レファレンス共同データベース」(島根県立図書館提供)にQAがあって、「鳥居の起源や形、色について知りたい。稲荷神社の鳥居がなぜ赤なのか等。」の質問に次のように回答している。
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資料2: 「鳥居」 川口謙二ほか著、東京美術、1987.8
・p73「鳥居の色」では、「近藤喜博氏は『稲荷信仰』という著書のなかで、「朱塗の社殿には、実は原始神の一般的属性となっていた荒振るものの性格から考えられる色釈(朱塗)によるものがすでにあったと考え」られ「そうした性格の神々の上に寺院の朱塗が荒振るものの炎の怨念に結びつき、さらにそれを助長したのだと見る」ことができると述べており、鳥居の朱色もまた、このような信仰の上に立って成立しているものと考えることができるのでは」ないかとある。

資料3: 「狐」 吉野裕子著、法政大学出版局、1980
・p117~119「稲荷と朱」のなかにp117「朱の鳥居」があり、なぜ鳥居が赤く塗られなければならないかの明確な理由づけは今日なおされていないとしながら、私見として、「狐は土徳の持主である。陰陽五行思想において、土を生じるものは火でなければならない。「火生土」「火、土を生ず」の理である。火の色はもちろん赤色である。そこで稲荷祭祀の始まる場所、つまりその入口には何を措いてもまず火気の象徴である朱の鳥居をもうけることになったと思われる」とある。
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なかなか難題なようで、起源は相当根が深いのかもしれない。土俗的で直截な、感覚的・感性的な起源を、具体的なもので知るのは容易でないようだ。

鳥居の朱色の顔料は、本来何を原料にしているのだろうか。社寺建造物美術協議会のホームページの「丹塗」のページに、「鳥居でおなじみの朱色を建造物装飾の言葉では丹塗り(にぬり)といいます。・・・鉛丹(えんたん、金属鉛を加熱し酸化させて作る赤色の顔料)の粉を膠水で溶いた丹で塗り上げます」と説明されている。

鉛丹は、wikipediaによれば、「四酸化三鉛 (Pb3O4) を主成分とする赤色の無機顔料」とのこと。

以前、本ブログで紹介したように、山師が座に坐るのに、「(「山例五十三条」には)山師の座席までも規定し、「山師金掘師の筋糺は金山師正面次は銀山師次は(・・・この間に鉛山師・・・)銅山師と順列たるべし」と言ふた」そうで、「鉛」の扱いは「銅」より重視されたようだ。

2013年9月14日土曜日

(資料)狐、托枳尼天、稲荷

稲荷の成立について、狐と托枳尼(ダキニ)の関係について。

(本ブログ関連:”稲荷”)

折口信夫「信太妻」
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・日本の狐も、上古と近世には、やさしい感じを持つて語られて居るが、平安朝から後久しく、恐しくて執念深いものとなつたのは、托枳尼(ダキニ)の修法の対象として使はれたせゐであらうと想像してゐる。
・稲荷の狐は、南方熊楠翁の解説によれば、托枳尼修法の対象なる托枳尼(ダキニ)と言ふ狼の様な獣の、曲解せられた物だと言ふ事である。其は、外来のものであるが、固有の使はしめと思はれて居るものにも、此類の役獣がありさうな暗示にはなる。

J-Wikipedia「托枳尼天(ダキニテン)」
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・習合: 狐は古来より、古墳や塚に巣穴を作り、時には屍体を食うことが知られていた。また人の死など未来を知り、これを告げると思われていた。あるいは狐媚譚などでは、人の精気を奪う動物として描かれることも多かった。荼枳尼天はこの狐との結びつきにより、日本では神道の稲荷と習合するきっかけとなったとされている。なお、狐と荼枳尼の結びつきは既に中国において見られるが、狐(野干)に乗る荼枳尼天の像というのは中世の日本で生み出された姿であり、インド・中国撰述の密教経典・儀軌には存在しないものである。

<検討>
稲荷の起源と隆盛、発展と分岐は注意を要する。現在の稲荷信仰には、仏教系(托枳尼)と神道系があるが、どちらが歴史的に先に成立したのか。稲荷と狐の関係は成立と同時期か、それとも成立後に付け加えられたものか・・・知りたいところだ。

2020年1月2日木曜日

ねずみさんの失敗

今年の干支が「子」なので、ネズミの登場する話をネットに探したら、青空文庫に村山籌子(むらやまかずこ)の「ねずみさんの失敗」があった。童話の一口ばなしというべきものだが、「油揚げ(あぶらあげ)」の臭いに誘われて、ネズミ夫婦が出かけてみたものの、結局口にできなかったという内容だ。

正月早々になんだが、稲荷信仰の「キツネ」はネズミを油で揚げをたものを食べるという。稲荷は米作に通じ、ネズミは米を盗み喰う害獣にあたる。そんなネズミから米作を守るキツネは「稲荷神」の使いとなる。キツネがどうしてネズミの油揚げを好むのかよくわからない。油っぽいものがキツネの嗜好に合っているのだろうか。

(本ブログ関連;”お稲荷さんと油揚げ”)

「稲荷ずし」は、油揚げを醤油で甘辛く煮て、すし飯を詰めたもの。稲荷と油揚げはつながりが深い。(「キツネうどん」は、温かい「かけうどん」に稲荷ずしの包みをそのまま載せたようなものだし)

上記童話のネズミ夫婦が油揚げに相伴できなかったのは、もしかしたら幸いだったかもしれない。

2013年5月4日土曜日

稲穂神社

ゴールデンウィーク後半の今日、小金井公園を起点にしたウォーキングに参加する。例年のイベント(「ウォーキングフェスタ東京」)で、いくつかのコースから選択するのだが、年毎にだんだん歩く距離の短いものになる。暖かい陽射しを受けてゆるり、のんびり、散策を楽しんだ。

5kmのコースの途中、「(山王)稲穂神社」があって、その縁起が次のように紹介されている。
「江戸城の守護神として三百年あまり天下安泰の江戸麹町(東京 赤坂:日枝神社)山王宮より承応3年(1654)下小金井の新田開発のため、御分霊を祭る。/御神祭の大山咋神(おおやまくいのかみ)は開拓の神として古来より新天地への社業繁栄、家運隆昌の御神徳あり。/また山王の紳使(御神猿)は古くから魔が去る「まさる」と呼ばれ、 厄除、魔除の信仰を受け、犬と共に分娩の軽き安産の神とし信仰されている。 /境内に疱瘡神社、稲荷神社があり、病気平癒、縁結び、商売繁盛の御神徳。 」(宮司:渡邊陽正)

祭神は大山咋神で、江戸徳川家の氏神であり、比叡山延暦寺、そして中国の天台山の鎮守につながるという。まあ、そんな公的なものとは違って、ちゃんと庶民のための祈り場所もある。
それは本殿脇に設けられた小さな社の「疱瘡神社」と「稲荷神社」だ。疱瘡神社は、悪病の疱瘡に対する恐れから神頼みになったのだろう。興味深いのは、猿や犬とは関係のない稲荷神社だ。稲穂神社の名にある<稲穂>と縁のある<狐>から稲荷神社へ続くのは決して突飛ではないだろう。
江戸期の町に稲荷神社が次々置かれたそうなので、そんな風潮の中、この神社にも稲荷神社が置かれたのかもしれないが。

そんなわけで、ウォーキングに参加した幼子と一緒の家族連れがお参りしているのを見ながら、ゴールへむけてのんびり歩を進めた。

2012年6月29日金曜日

お稲荷さんと油揚げ

SBSが放送した「僕のガールフレンドは九尾狐」のOST「狐の嫁入り(여우비)」をイ・ソンヒが歌ったこともあって、狐にからめていろいろと気にかけている。

(本ブログ関連:”狐の嫁入り”)

最近、地元の笠森稲荷神社にある赤い鳥居が続く光景を、携帯の待ち受け画面にしたりしている。
以前聞いた郷土史の解説で、この神社、皮膚病に効能があるとのこと、江戸期に遠く川崎の宿場町から女たちが訪れたという。

ところで、韓国語教室の宿題に、愛知県の豊川稲荷について記されていたので調べてみると、こちらは神社ではなく、曹洞宗の寺院である。インターネットの豊川稲荷略縁起は次のように記している。
・一般的に「稲荷」と呼ばれる場合は「狐を祀った神社」を想像される方が多数であると思われますが、当寺でお祀りしておりますのは鎮守・(とよかわだきにしんてん)です。が稲穂を荷(にな)い、白い狐に跨(またが)っておられることからいつしか「豐川稲荷」が通称として広まり、現在に至っております。

そういえば、日曜登山で知られる高尾山にある真言宗智山派の髙尾山薬王院の、髙尾山薬王院飯縄権現(いづなごんげん)も白狐の上に姿を見せている。こちらも神道とは別で仏教である。

(本ブログ関連:”お稲荷さん”)

さて、宿題の豊川稲荷の話題には、油揚げが名産というので、狐との関係を調べてみると、古いインドの信仰につながるそうだ。それはそれで良いが、中身は知らぬ方がよかったかもしれない・・・。

2017年9月19日火曜日

雑談、雑談、山怪 [弐]

① いずれの本で読んだか、その本が見当たらぬ。「Jアラート」がうるさいという話から思い出したこと。昔、WWⅡでノルマンディ上陸作戦の死線を越えた連合軍兵士たちが、意気揚々とフランスの田舎路を通り抜けていたとき、農家の窓が開き老婦人が「うるさい」と叫んだという。いつの世にも日常を最優先する人がいる。

② テレビの美術番組で、徳川家光のころの絵図、<狩野探幽(1602~74)が描いた幻の作品「八尾狐図(やおのきつねず)」が、京都市内で(2015年に)発見された(参照: Art Annual Online)>と紹介されていた。
このブログでは、「九尾狐」について話題にしてきたこともあり、尾が八つなのはなぜか気になる。妖狐の尾は、最終九本まで増え続ける、丁度その手前という説があるようだが・・・。一方で、狐は稲荷神の使いでもある。

(本ブログ関連:”九尾狐”)

③ 以前紹介した山の奇談を収集、紹介した「山怪」(田中康弘、山と渓谷社)の第二弾ともいうべき「山怪 [弐]」を読んでいる。最初の「山怪」は主に猟師から話題を収集している。さらに、山と縁のある人まで広げたのが「山怪 [弐]」だ。
<山の神は女性だといわれている>、<嫉妬深く><若い男を好む>とか生臭い面もある。さて、武蔵御嶽神社は修験の場でもある。山犬(ニホンオオカミ)が眷属(神の使い)として有名だそうだ。同神社の護符は山犬の姿を刷ったもの。その護符を実家で見つけて、関係する人々を訪ねた「オオカミの護符」(小倉美恵子、新潮社)と出会った。これも次のお楽しみ。
ところで、狐信仰は、イヌ(オオカミ)との親和性が強いようであり、山の神の使い ⇒ 田の神の使い ⇒ 商業神信仰へと変遷したという話もある。

(本ブログ関連:”(稲荷信仰)神の使い”)

2012年8月11日土曜日

豊川稲荷東京別院散歩

イ・ソンヒの、SBSドラマ「僕のガールフレンドは九尾狐(내 여자친구는 구미호)」(2010年、日本2011年放送)のOST「狐の嫁入り(여우비))」のヒット以来、狐⇒お稲荷さんに関連づけてブログに記してきた。

(本ブログ関連:"狐の嫁入り(日照り雨、天気雨、Fox Rain、여우비)") ← 画面右下「前の投稿」も

そんなわけで日中暑い陽射しの昼前に、昔の仕事仲間と一緒に、四谷見付にある豊川稲荷東京別院に行く。

本殿にお参りした後、思いの他狭い境内を巡る。まずは文化会館という名の古い土産物屋(3軒が間口を並べる)で、稲荷ずしを頼む。まだ暖かくてけっこう大きいものを2個食って一息つく。

・江戸将軍吉宗の懐刀で享保改革の立役者、大岡越前守が本院の設立に由来していることを説く碑文の後ろに、「開基大岡越前守忠相公御廟」が 囲いの中に座している。大岡越前守の下屋敷に元々まつられた豊川稲荷社が、歴史の中で移転してこの地にある。

・正門から奥まったところに「霊狐塚」がある。豊川稲荷の本尊である豊川吒枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)に仕える狐の小さな像がペアになって、所狭しと並べられている。そこだけ静かで独特な気配を感じさせる場所・・・のような気がしてくる。狐の顔は穏やかな母性を浮かべるものから、怒気や妖気を見せるものまで様々だ。

(本ブログ関連:"オリンピック開会式・・・眠たい"、"お稲荷さんと油揚げ"、"府中市郷土の森博物館"、"キツネの信仰")

2017年2月23日木曜日

キツネにかかわる伝承の分布

キツネは、日本人にとって身近な生き物で、昔話や「稲荷神社」などの伝承で知られた存在だが、欧米では狡猾な害獣として扱われているようだ。英国貴族にいたっては、スポーツ感覚でキツネ狩り(Fox hunting)を楽しんだ。

(本ブログ関連:”稲荷神社”)

欧米人にとって、てなづける対象でもないキツネたちを、日本で飼育している場所がある。東北、宮城県白石市の「宮城蔵王キツネ村」がそれだ。来日の欧米人観光客に、(キツネと親しむ)驚きと日本旅行の話題(思い出)となっている。(以前、同施設に興味・関心があって、私も一度行って見たいと思ったことがあるが・・・)

ロシアには、学術的な目的で、キツネの家畜化*を(オオカミからイヌが家畜化したのと対照して)研究している施設があるという。上記「キツネ村」は、放し飼いの観光施設といったところだろうけれど。
(*)家畜化:ナショナルジオグラフィック誌「特集:野生動物 ペットへの道」(2011年3月号)

ところで、中高年のおじさんたち中心に読まれている、<山にまつわる不思議な話や体験談を集めた>書籍「山怪(さんかい)」(田中康弘著、山と渓谷社)があり、ネットで書評をよく見かける。(図書館でも人気で、いつも貸し出し中である)

YOMIURI ONLINE(読売新聞)の記事、「日本の山には『何か』がいる! ・・・ 続く『山怪』ブーム」(2/17、伊藤譲治)は、著者とのインタビューを通じて、山での怪異を演じるキツネとタヌキの地理的分布(特性)を次のよう紹介している。
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・(著者が)日本各地を回って分かったのは、北に行けば行くほど、狐に関する話が多くなるということ。西に行くほど狐の影響が薄れる。なぜか四国はほとんどが狸の話で、狐は出てこないのだという。「山怪は、姿は確認できないが、音のみ、気配のみという場合が多い。目に見えないもの、何だか分からないものは身近なもののせいにしてきた。狐や狸は山では身近な存在だから、狐や狸のせいにしてきたのではないか」と推測。「山の怪異は、現象ではなく心象だと思う。脳内に浮かび上がる風景だと思うが、その風景を浮かび上がらせる何かが、間違いなく山にはある」と語る。
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「日本動物民俗誌」(中村禎理著、海鳴社、1987年)は、キツネの信仰の代表である「稲荷神社」の分布が東北日本に偏在していることを次のように解説している。
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・山の神に関連していえば、キツネは同じく山の神に帰属するサルと対抗するもので、稲荷神社は東北日本に多く、後者(サル)につながる日吉(日枝)神社は西南日本に多いという。
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2025年7月23日水曜日

(資料)神社の神に従う生き物/ 仏教寺院についても

神社に祀られる、神に従う生き物*がいる。彼らの石像(あるいは実際の生き物)を参道に置いたり、境内・建築物に配置したりする。古来のひとびとが野生動物とどのように付き合い、神に従う(お使い)の「眷属(けんぞく)」とどう対応してきたのか興味深い。神社のケースについて、生成AIの Gemini に問うてみた。
(*)鳥類: 八幡神社のハト、熊野大社のカラスが見られる。

仏教寺院についても後段に記す・・・ただし仏教の場合、インドや中国由来の動物があるので参考としたい。

Googleの生成AIの Gemini

<神社関連>

Q-1.神社の神は、何かしらの動物(キツネ、コマイヌなど)を連れているといわれていますが、代表的な例を教えてください。
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A-1.神社の神様が動物を連れているという話は、神使(しんし)という考え方に基づいています。神使とは、神様の使いとして神意を代行し、人々と神様の間を取り持つと考えられている動物のことです。

代表的な例としては、以下のものがあります。

1.稲荷神社のキツネ: 
・稲荷大神の神使とされ、五穀豊穣、商売繁盛の神様として信仰されています。神社の境内には、鍵や宝珠などをくわえたキツネの像が置かれていることが多くあります。

     (本ブログ関連:”日本 キツネ”)

2.八幡神社のハト:  
・八幡大神の神使とされ、平和の象徴としても知られています。

3.春日大社のシカ:  
・春日大神の神使とされ、神聖な動物として大切にされています。奈良公園には多くの鹿が生息しており、春日大社の神鹿として保護されています。

4.日吉大社・日枝神社のサル:  
・大山咋神(おおやまくいのかみ)の神使とされ、「魔去る(まさる)」に通じるとして縁起が良いとされています。

5.熊野大社のカラス:  
・熊野大神の神使とされ、神武天皇を導いたとされる八咫烏(やたがらす)が有名です。

6.北野天満宮のウシ:  
・菅原道真公の神使とされ、道真公が丑年生まれであったことや、牛に乗り都へ向かったという伝説に由来するとされています。

また、神社の入り口などで見かける「狛犬(こまいぬ)」も、神を守る役割を持つとされています。狛犬は一対で置かれ、口を開けた像と閉じた像があるのが一般的です。その起源は、ライオンなどの想像上の動物であるという説があります。

このように、神社と動物の関係は深く、それぞれの動物が神様の使いとして、あるいは神域を守る存在として大切にされています。神社を訪れた際には、これらの動物たちの像にも注目してみると、より深く神社について理解することができるでしょう。
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<仏教関連>

Q-2.仏教寺院の参道・建物などに、何かしらの「動物(含む:架空の生き物)」が存在しますが、代表的なものを教えてください。
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A-2.仏教寺院の参道や建物に存在する動物や架空の生き物は多岐にわたりますが、代表的なものをいくつかご紹介します。これらは、単なる装飾としてだけでなく、仏教の教えや信仰、歴史、文化的な意味合いを強く持つものが多いです。

1. 狛犬(こまいぬ) / 獅子(しし)
・存在場所:  主に参道の入口や本堂の前に一対で置かれています。
・意味合い:   神社にも見られますが、もともとは古代インドや中国における獅子像が起源とされ、魔除けや聖域の守護者としての役割を担っています。仏教伝来とともに日本にも伝わり、寺院にも広まりました。

2. 龍(りゅう)
・存在場所:   天井画(特に本堂の天井)、彫刻(柱、軒下、欄間など)、手水舎の吐水口、鐘楼など。
・意味合い:   水神、雨乞いの神として古くから信仰され、仏教においては仏法を守護する八部衆の一つとしても位置づけられます。力強さ、威厳、そして慈悲の象徴でもあります。雲と一体となって描かれることが多く、その雄大な姿は見る者を圧倒します。

3. 象(ぞう)
・存在場所:   門の彫刻、本堂の装飾、普賢菩薩(ふげんぼさつ)の乗り物として描かれることもあります。
・意味合い:   仏教において非常に重要な動物で、悟りや智慧の象徴とされます。特に白い象は、釈迦の母マーヤー夫人が白い象が胎内に入る夢を見て釈迦を身ごもったという伝説があり、吉祥の印とされています。普賢菩薩が白い象に乗っている姿は有名です。

4. 鳳凰(ほうおう)
・存在場所:   堂宇の屋根、彫刻、絵画など。
・意味合い:   中国の伝説上の瑞鳥(ずいちょう)であり、平和と繁栄、そして不死や再生の象徴とされます。仏教では、仏の慈悲や智慧が及ぶところに現れるとされ、極楽浄土の鳥としても描かれます。

5. 迦陵頻伽(かりょうびんが) / 緊那羅(きんなら)
・存在場所:   天井画、壁画、彫刻、仏具など。
・意味合い:   どちらも仏教における想像上の鳥または半人半鳥の生物で、極楽浄土に住むとされます。美しい声で歌い、人々を魅了すると言われています。仏の教えの素晴らしさを表現するために用いられます。

6. 亀(かめ)
・存在場所:   石碑の台座(亀趺:きふ)、手水舎、庭園の池など。
・意味合い:   長寿、不老不死の象徴とされます。仏教においては、古くから霊獣として尊ばれ、特に大きな石碑の台座に用いられる亀趺は、その重みに耐え、永続性を願う意味合いがあります。

7. 魚(特に鯉:こい)
・存在場所:   庭園の池、絵画(特に禅画)、彫刻など。
・意味合い:   鯉は生命力、立身出世(登竜門の故事から)の象徴とされます。また、仏教においては、解脱や悟りへの道を意味することもあります。

8. 猿(さる)
・存在場所:   庚申堂(こうしんどう)に関連する場所、あるいは単なる飾り。
・意味合い:  「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿は特に有名で、これは仏教の教えである「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言」(礼にあらざるは見るなかれ、聞くなかれ、言うなかれ)に通じるものがあります。

その他:
・兎(うさぎ):   月との関連で、豊穣や再生の象徴として描かれることがあります。
・鹿(しか):   奈良の寺院などで見られるように、神の使いや聖獣として扱われることがあります。

これらの動物や架空の生き物は、それぞれが独自の意味を持ち、寺院の歴史や信仰、建築様式と深く結びついています。寺院を訪れる際には、これらの存在にも注目してみると、より深くその魅力を感じることができるでしょう。
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2022年12月12日月曜日

狐は冬の季語

「キツネ(狐)」が、冬の季語という。寒い北国に生きるキツネたちの生態が浮かんでくる。北海道に棲息する「キタキツネ」の写真集(竹田津実氏が撮影したキタキツネの親子の情愛を撮った写真)が、以前、話題になったことがある。竹田津氏は、獣医師の仕事の傍ら、北の原野でキタキツネの行動を撮影した。ちなみに鳥でいえば、愛らしい目をしたまるで白い菓子姿のような、「エナガ」の北方系亜種「シマエナガ」の写真集(小原玲氏などによる撮影)だろうか。

(本ブログ関連:”キツネ”)

さっそく「合本 俳句歳時記」(第三版、角川書店)の「狐」の項を見ると、次のように記してある。
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・・・ 十二月下旬から一月ごろに交尾し、四月ごろ三-五頭の子を産む。北海道には北狐が生息する。「きつ」は狐の古名で「ね」は美称ともいわれる。
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(参考)「日本の文化における狐」Wikipedia

他方、狐の読みについて、「来つ寝(きつね)」を源にしているという語りがある。以前のブログにも記したことだが、「日本霊異記」上巻第二話に、狐を妻として子を産ませた・・・、次に再掲する。
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古代の欽明天皇の時代に、嫁探しに出かけた男が女と巡り合い結婚する。一男をもうけたが、実は女は狐の化身であり、飼い犬に気付かれその身をあらわにしたのを見て男は、「汝と我との中に子を相生めるが故に、我は忘れじ。毎(つね)に来りて相寝よ」という。ゆえに、また来て寝ることから、妻に「来つ寝(きつね)」の名がつく。
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(本ブログ関連:”来つ寝(きつね)”)

キツネと人との関係は、人をだましたり、農業神の使いとしての稲荷信仰だけでなく、異類婚姻譚といった男と(異類としての)女との関係まで幅広い。異類婚姻には断絶といった越えられぬ悲しみさえ感じる(上記の日本霊異記にはそれを越えるものがあるが、人目を忍ぶ二人だけの秘匿した契りかもしれない)。

このブログでは素人テーマであるが、狐について、歌手イ・ソンヒの歌「狐の嫁入り(여우비)」からキツネにまつわる奇譚とかキツネの家畜化まで広く話題を渉猟している。一点深く追求するには息がないため、あちらこちらへと関心が飛んでいく。

2013年7月5日金曜日

「第20回 東京国際ブックフェア」と芝居「プライド[傲慢]」

今日は一日中、汗をかきながら有明と池袋の2ヶ所を巡った。

午前から昼をまたいで、東京ビッグサイトで開かれた「第20回 東京国際ブックフェア」に行く。まず、2つのセミナー、韓国の出版業界の現状と翻訳出版事情について日韓関係者の話しを聴く。
講演録に相当する冊子が事前に配布されたので、両国の出版事情が理解しやすい。例えば、取り次ぎという管理システムの有無、再販制度の有無、日韓・韓日翻訳点数などについて日韓に大きな違いがあるが、何が売れるかという出版ビジネスの課題は双方同様である。
2012年度の出版売り上げ、日本(雑誌9,385.4億円+書籍8,012.9億円)、韓国(5兆6,754億ウォン≒5,675億円)。
さらに、電子書籍マーケットについて、日本(730億円)、韓国(60億円)という市場規模に大小の差はあるものの、今後の影響について語られた。

セミナーの次に、ブックフェアに出展の書店コーナーに欲しい書物との出会いを求めて会場を巡った。それは鉱物関連であり、稲荷信仰関連の分野だったが、残念ながら目ぼしい本は見つからなかった。あるいは高価すぎた。
今回、ブックフェアのテーマ国に韓国がなったが、販売してくれる本はなくて。随分以前、そんな機会もあったけれど。

(本ブログ関連:"第16回 東京国際ブックフェア"、"第17回東京国際ブックフェア"、"第18回東京国際ブックフェア"、第19回行かず残念)

それにしても、ブックフェア恒例のCD販売が、一般CDショップと変わらぬ価格帯になっているのが残念。
東京ビッグサイトの最後に、親類の紹介で、同館内別会場で開催中の「ナノ・マイクロビジネス展」を覗く。

3時過ぎ、東京ビッグサイトから池袋へ向かう。
昨年も観劇した、演劇レーベルBö-tanzの「七つの大罪シリーズ最終章 プライド[傲慢]」(作はなださとし)を見るためだ。今回はシリーズ最終に相当する7作目で、昨年6作目「スロウス[怠惰]」を初めて見てからの2回目だ。今回は親類と合流して・・・。

前回(6作目)は、緑の宝石エメラルドをストーリー展開のキーに使ったが、今回は青紫のカーネーションが素材に使われ・・・降りそそぐことになる。

(本ブログ関連:"芝居「Sloth-スロウス[怠惰]-」")

大音響と早い台詞廻しに、おじさんは追いつくのに大変だ・・・役者さんの舞台へ注ぎ込む情熱、そして熱演に圧倒される。

2015年6月27日土曜日

狐と玉

先日、「狐石」について触れたが、民間伝承的な名称でのようで、信仰と直接的な関わりはないようだ。地名についても、ネット上の情報だけで、所在地以上のことは不明。

では、狐と玉について進んでみたい。とはいえ、ほんの入り口に過ぎないが。

(以前、「那須野の殺生石」で触れた、宮中を騒がせて捕えられた狐の「猶額にありたる白玉」とは別のものとして)

稲荷神社の狐には、宝玉を口にくわえるものがある。「如意宝珠」のようだが、本来、菩薩や観音が持つものを、なぜ狐がくわえるようになったのか。

ところで、「韓国民族文化大百科事典」にある「狐玉説話(여우구슬설화)」では、神異譚として、狐の持つ如意宝珠を奪って、天地を見極めた話しがあるようだが、その如意宝珠の由来は触れていない。

稲荷の狐は、農業に関わるといわれているので、ここで夢想して地中の玉と結びつけるのは無理があるだろう。

いかにも霊験あらたかそうな気がする。あるいは、きらりと光らせて威嚇の効果もあるやもしれぬ。

2013年4月22日月曜日

(資料)きつね

「日本霊異記」上巻第二話に、狐を妻として子を産ませた話しがある。古代の欽明天皇の時代に、嫁探しに出かけた男が女と巡り合い結婚する。一男をもうけたが、実は女は狐の化身であり、飼い犬に気付かれその身をあらわにしたのを見て男は、「汝と我との中に子を相生めるが故に、我は忘れじ。毎(つね)に来りて相寝よ」といった。ゆえに、また来て寝ることから、妻に「来つ寝(きつね)」の名がつく。

上品な薄紅色の裾(すそ)を引きつつ来た妻も、やがていずこかへと去る。それを偲んだ男は、「恋は皆我が上に落ちぬ たまかぎる はろかに見えて去(い)にし 子(=あのかわいい人)ゆゑに」と歌った。これは、消え去った妻への思いを夫が歌ったものであり、人形浄瑠璃の「葛の葉」に見られるように去り行く妻が残す、「恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」とは逆だ。

日本霊異記のこの説話の最後には、彼ら(人と狐であるが)二人の間の息子の名と、その一族の姓の由来について書き加えられている。「葛の葉」で残された子が安倍晴明であるように、子孫を残す意味があることに、両説話には共通性がある。狐に、そのような時間をくだる霊力があって、信仰につながるのも分かるような気がする。

(本ブログ関連:"クミホ"、"(資料)「山海経」中の九尾狐のこと"、"お稲荷さんと油揚げ"、"玄翁(げんのう)"、"九尾の狐"、"豊川稲荷東京別院散歩"、"狐の嫁入り"、"府中市郷土の森博物館")