スーパーの商品棚は、幼い子どもにとって、高く平行に並ぶ、視線をさえぎる迷路の壁かもしれない。だから、こんな光景を目にする。親から離れたのはいいが、急に心配になって、「お母さん、どこ?」と呼びかける。すると、棚の向こうから、母親が「は~い」と応える。これがなんとも微笑ましい。子どもの心の中で、母親との距離はどうなっているのか想像し、きっと一時も離れられない距離なんだろうと合点する。
子どもが親の手をほどいて離れるのはいつ頃か、親の手前を走っては振り返り確認するのはいつまでか考えるだけでも楽しい。わが子の経験で、それがいつだったか、すっかり忘れているからこそ、懐かしく気になる。
ところで、我が子に対する親の慈しみについて何度か触れたことに、40万年前から2万年前まで存在したネアンデルタール人が幼くして亡くした子を「埋葬」したと思われる跡がある。その証拠に、何かにくるまれたらしい子の周りから花粉が発見されている。宗教以前の、共感できる素朴な感情の発露だ。美しい花に囲んで送り出したいという想いの痕跡だろう。子を亡くした親の悲しみはいかばかり、忘れないために墓はそのように作られたに違いない。
幼くして死んだ子どもたちが、「一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため・・・」と石積みをうたう「地蔵和讃」がある。賽の河原で石を積みあげては、鬼にそれを崩されて、また繰り返す。この「和讃」は、幼子があの世との境で、哀れに苦しんでいるのではないかと嘆く親の悲しみを癒し、救いを与えるもののようだ。不思議なことに、仏教界で正式なものでなく、むしろ民間信仰に近い要素を持つという。
「地蔵和讃」はバリエーションが多様で、ここでは「国立国会図書館」収蔵のデジタル古書「西院河原地蔵和讃」(1884年《明17年9月》、出版社:別宮又四郎(出版地:石川県小松町))で見ることにする。 庶民が手にした15cmの小さな和装古書だ。
「サイノカワラヂゾウワサン」(「賽の河原の地蔵和讃」)
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コレハコノヨノコトナラズ。シデノヤマジノスソノナル、サイノカワラノモノガタリ。
キクニツケテモアワレナリ。二ツヤ三ツヤ四ツ五ツ。十ニモタラヌミドリ子ガ、サイノカワラニアツマリテチヽコヒシハヽコヒシ。コヒシコヒシトナクコエハコノヨノコエトハコトカワリ、カナシサホネミヲトオスナリカミノミドリコノシヨサトシテ、カハラノイシヲトリアツメ、コレニテエカフノトウヲクム。一ジウクンデハチヽノタメ、ニジュウクンデハハヽノタメ、三ジュウクンデハ フルサトノ、・・・
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昔、貧しい時代の庶民が理解できたカタカナ文字による「賽の河原の地蔵和讃」は、ご詠歌のように詠まれたのだろう。現代人には読み続けるのが辛い。そこで、仏教雑誌「大法輪」(2016年7月号)掲載の「特集 仏教と世界の《地獄事典》」の中から、「『賽の河原地蔵和讃』現代語訳と解説」(花岡博芳 熊谷市・松岩寺住職)に紹介された漢字混じり文を少々長いが転載させていただく。
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これはこの世のことならず
死出(しで)の山路の裾野なる
さいの河原の物語
聞くにつけても哀れなり
二つや三つや四つ五つ
十にも足らぬおさなごが
父恋し母恋し
恋し恋しと泣く声は
この世の声とは事変わり
悲しさ骨身を通すなり
かのみどりごの所作として
河原の石をとり集め
これにて回向(えこう)の塔を組む
一重(いちじゅう)組んでは父のため
二重組んでは母のため
三重組んではふるさとの
兄弟我身と回向して
昼は独りで遊べども
日も入り相いのその頃は
地獄の鬼が現れて
やれ汝らは何をする
娑婆(しゃば)に残りし父母(ちちはは)は
追善供養の勤めなく
(ただ明け暮れの嘆きには)
(酷(こく)や可哀(かあい)や不憫(ふびん)やと)
親の嘆きは汝らの
苦患(くげん)を受くる種となる
我を恨むる事なかれと
くろがねの棒をのべ
積みたる塔を押し崩す
その時能化(のうけ)の地蔵尊
ゆるぎ出させたまいつつ
汝ら命短くて
冥土(めいど)の旅に来るなり
娑婆と冥土はほど遠し
我を冥土の父母と
思うて明け暮れ頼めよと
幼き者を御衣(おころも)の
もすその内にかき入れて
哀れみたまうぞ有難き
いまだ歩まぬみどりごを
錫杖(しゃくじょう)の柄(え)に取り付かせ
忍辱(にんにく)慈悲の御肌(みはだ)へに
いだきかかえなでさすり
哀れみたまうぞ有難き
南無延命地蔵大菩薩
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解説によると、お地蔵様は、「『あの世』の入り口で、行き先をしめす神」である「道祖神」の化身でもあり、特別の意味を持つ。「賽の河原の地蔵和讃」は、今も心奥深く流れるものを浮きあがらせ、それを遡上する誘惑にかられる。私たちの心情は、その水脈を通じて古としっかりと結びついている。
辻角に見るお地蔵様は、呼べば応えてくれる存在だ。幼子がふと気付いて母親を確認するように、宗教的な環境と離れて、日常、暖かく見守ってくれる存在だ。日本人の琴線でもある。
2017年7月1日土曜日
2021年12月22日水曜日
冬至 2021、民間信仰
きょうは、二十四節気の「冬至」で、日の出から日の入りまでの昼(日照)時間が一年中で最も短い日だ。東京天文台から見た日の出は 6:47、日の入りは 16:32になり、昼時間は 9時間45分となる。一方、昼時間が最も長い「夏至」(6月21日)の場合、日の出は 4:25、日の入りは 19:00になり、昼時間は 14時間35分となる。
(本ブログ関連:”冬至”)
冬至の昼時間が夏至のときと比べて、約5時間も短いのは驚きだ・・・一年中、昼時間が長ければ活気あふれそうだが、北極圏の「白夜」のように日没がないのはどうなんだろう。逆に冬至の前後に起こるという「極夜」では一日中太陽が昇らないわけで・・・憂鬱なことだろうなんて想像するが、そんなことをいうとトナカイを飼っている民族や、子どもたちへのクリスマスプレゼント準備に忙しいサンタクロースに失礼になる。
幸い、ほどよい緯度に住んでいるおかげで、冬至が生活の一区切りになる。これも体調が揃ってのことで、このところ右膝の調子がおもわしくなく日常の範囲が狭まった。外出も野外散歩から、座ってできることへと移っている。
■ 民間信仰
先日、2回(12/11、18)に渡って市民講座「日本人の民間信仰 - その起源と八百万(やおよろず)の神たち」(久保田裕道氏、東京都文化財研究所 無形民俗文化財研究室長)が開催された。民間行事や芸能、信仰などの精神的な回路(位置取り)として、次のような図解を中心に解説された。(柳田国男の「遠野物語」や折口信夫の「まれびと」の考えも紹介されつつ)
集落(民間信仰の主な場所) - 田畑 - 里山 - 山(神がいる、山岳信仰の場所)
網羅的に整理・理解できないしろうとは、ある局面について関心がいくもの。本ブログでは、民間信仰に近いテーマの一つとして「お稲荷さん(稲荷信仰)」の話題を渉猟したりしている。稲荷信仰について、どのように触れられるか期待しつつ出かけた。
「家の神」として、<屋敷神>の紹介で久保田氏が調査対象にした東京都東村山市の例として「屋敷内に祠が設けられる(屋敷神は)、300軒以上で稲荷神。弁天・霊神が2ケタ、1ケタ台で水天宮・御嶽・八幡・観音・地蔵など」とのこと。
① 圧倒的に「稲荷神」が多い。屋敷神は転居してもそこに残るという。経済と結びつきの多いことから、東村山市は繁栄していたのだろう(稲荷神が武蔵野の新田開発時代のものか、維新以後の商業関連のものかうかがわなかったけれど)。
(本ブログ関連:”稲荷信仰”)
② 「地蔵」が1ケタ台というのもうなづける気がした。土地柄がよければ、疫病とも縁が薄いだろうし、子どもを捨てたり水子にすることも少なかったのだろう。(地蔵は、屋敷より地域の境界や外れに置かれたろうから)
(本ブログ関連:”地蔵”)
その他、「鬼」と火の関係など、しろうとにとって偏ったことだが興味・関心がうずうずと湧いてくる話題が多々あった。
2009年10月4日日曜日
秋夕
「jo!ns」の「Special Reports(第134号)」(10/2)に、50人の女性が50歳をむかえて思うことが載っている。記事の最後に、「秋夕」について彼女たちの次のようなコメントがある。
・秋夕の意味も以前と少し変わった。前は秋夕に親戚達が集まるのも嫌いで、たくさんの祭事の食べ物を作ることが嫌だったが、今は家族が交わり騒がしく話を交わして人情を感じるのが良い。
・もしかしたら、両親や舅姑と共にする秋夕が、今回が最後かも知れないと思うと、そのような考えがさらに切実になる。
・以前より感謝して懐かしかった。中秋のお盆の十五夜月のように満杯になった感じ。
・秋夕の豊かさを本当に感じることになった。
家族を中心に子育てを一段落した女性は強い。50歳にして以上のような余裕が出ているのだから。これからを生きていく強さ(ある意味でしたたかさ)を感じる。日本も・・・同じだろう。
(付記)
今日、家族と一緒に、初めて巣鴨の「とげぬき地蔵」(高岩寺)に行く。寺までの通りや境内の人混みの多さに驚く。街行くひとたちは、おおかた上記アジュンマ世代より上の、歴戦のつわものたちだ。次に、「巣鴨地蔵通商店街」を抜けて、都電荒川線の庚申塚(こうしんづか)駅で都電に乗り、鬼子母神前駅に行く。法明寺の鬼子母神をお参りする。孫のためにお守りと土鈴をいただく。
最後に池袋まで歩き、ジュンク堂書店で「韓国の巫 シャーマニズム」(趙興胤著)を購入した。
(追記)今朝、孫宅に届けた月見団子を、孫がうれしそうに触っている写真が送られてきた。今夜も月がきれいに見えますとお嫁さんがメールにしたためていたので、外に出て仰ぐと、雲ひとつない空に月のひかりが冴え渡っていた。
・秋夕の意味も以前と少し変わった。前は秋夕に親戚達が集まるのも嫌いで、たくさんの祭事の食べ物を作ることが嫌だったが、今は家族が交わり騒がしく話を交わして人情を感じるのが良い。
・もしかしたら、両親や舅姑と共にする秋夕が、今回が最後かも知れないと思うと、そのような考えがさらに切実になる。
・以前より感謝して懐かしかった。中秋のお盆の十五夜月のように満杯になった感じ。
・秋夕の豊かさを本当に感じることになった。
家族を中心に子育てを一段落した女性は強い。50歳にして以上のような余裕が出ているのだから。これからを生きていく強さ(ある意味でしたたかさ)を感じる。日本も・・・同じだろう。
(付記)
今日、家族と一緒に、初めて巣鴨の「とげぬき地蔵」(高岩寺)に行く。寺までの通りや境内の人混みの多さに驚く。街行くひとたちは、おおかた上記アジュンマ世代より上の、歴戦のつわものたちだ。次に、「巣鴨地蔵通商店街」を抜けて、都電荒川線の庚申塚(こうしんづか)駅で都電に乗り、鬼子母神前駅に行く。法明寺の鬼子母神をお参りする。孫のためにお守りと土鈴をいただく。
最後に池袋まで歩き、ジュンク堂書店で「韓国の巫 シャーマニズム」(趙興胤著)を購入した。
(追記)今朝、孫宅に届けた月見団子を、孫がうれしそうに触っている写真が送られてきた。今夜も月がきれいに見えますとお嫁さんがメールにしたためていたので、外に出て仰ぐと、雲ひとつない空に月のひかりが冴え渡っていた。
2011年5月15日日曜日
滄浪泉園緑地
昼過ぎ、夏のような強い陽ざしをうけ、小金井市役所前の連雀通りを新小金井街道との交差点方向に進むと、多摩科学技術高校と道路をはさんだ(進行方向)左手先に滄浪泉園(そうろうせんえん)緑地がある。初めて訪ねる。
多摩川が南下して段丘あとに残った崖(国分寺崖線)に水が湧くところがあり、その斜面をハケとよぶ。この景観を利用して、明治以降財豪たちが作った庭園あとが、現在管理のいきとどいた小公園となっている。国分寺駅そばにある殿ヶ谷戸庭園も、その一つであり数度訪れたことがある。
空間を広くとり手入れのいきとどいた殿ヶ谷戸庭園に比べると、この滄浪泉園緑地は、池を囲むほぼ全園が木立に埋もれている。木々の葉ずれの音がカーテンとなって外界を遮断する。それが、かえって静謐を覚ます。盛夏には、避暑も兼ねて静けさを求めるに最適な場所といえそうだ。
木陰にひっそりたたずむおだんご地蔵に、孫たちの健康と無事の成長を、その家族に安寧をお願いした。
多摩川が南下して段丘あとに残った崖(国分寺崖線)に水が湧くところがあり、その斜面をハケとよぶ。この景観を利用して、明治以降財豪たちが作った庭園あとが、現在管理のいきとどいた小公園となっている。国分寺駅そばにある殿ヶ谷戸庭園も、その一つであり数度訪れたことがある。
空間を広くとり手入れのいきとどいた殿ヶ谷戸庭園に比べると、この滄浪泉園緑地は、池を囲むほぼ全園が木立に埋もれている。木々の葉ずれの音がカーテンとなって外界を遮断する。それが、かえって静謐を覚ます。盛夏には、避暑も兼ねて静けさを求めるに最適な場所といえそうだ。
木陰にひっそりたたずむおだんご地蔵に、孫たちの健康と無事の成長を、その家族に安寧をお願いした。
2018年5月5日土曜日
こどもの日 2018
祝日「こどもの日」は、子どもたちがすくすく成長するのを、感謝し願う日だ。この歳になると、公園や広場で遊ぶ幼い子どもたちの姿に癒される。それぞれ名前を持っ存在であるが、この世界で最も大切な存在・・・という見方ができるようになる。社会性を前提にする女性ならば、とっくに了承済みのことと笑われるかもしれないが。
(本ブログ関連:”こどもの日”)
Wikipediaで知ったことだが、「国民の祝日に関する法律」(昭和二十三年法律第百七十八号)の、「こどもの日」について、「母に感謝する」の記載がある。
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第二条 「国民の祝日」を次のように定める。
「こどもの日 五月五日 こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。」
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「母に感謝する」という言葉について、あまり注目されていない気がするけれど、幼い子どもにとっては、母親は感謝以前の存在、無くてはならない存在である。町でよく見かける光景だが、ママチャリの自転車上で、母親と子どもの会話が素晴らしい。ひとつに、次々と質問を投げかけて言葉を増やしているように見えること。もうひとつに、会話が対等な関係に聞こえることだ。子どもを一人の人格として接しているように見える。せっかちな父親に案外難しいことかもしれない。
また、休日(祝日)の公園で、よちよち歩きの幼子の手を握って歩く父子の前を、ちょっと意地悪に母親が先へ進むとき、父親の手を振りほどいて母親にすがろうと小走りする子どものなんと可愛らしいこと。これこそ「母に感謝する」ことに他ならない。母親も、その気配にニンマリしていることだろう。
この時代に、「こどもの日」を過ごせることは、本当にありがたいことだ。
(本ブログ関連:”ラファエロ《 大公の聖母 》”、”賽の河原地蔵和讃”)
(本ブログ関連:”こどもの日”)
Wikipediaで知ったことだが、「国民の祝日に関する法律」(昭和二十三年法律第百七十八号)の、「こどもの日」について、「母に感謝する」の記載がある。
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第二条 「国民の祝日」を次のように定める。
「こどもの日 五月五日 こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。」
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「母に感謝する」という言葉について、あまり注目されていない気がするけれど、幼い子どもにとっては、母親は感謝以前の存在、無くてはならない存在である。町でよく見かける光景だが、ママチャリの自転車上で、母親と子どもの会話が素晴らしい。ひとつに、次々と質問を投げかけて言葉を増やしているように見えること。もうひとつに、会話が対等な関係に聞こえることだ。子どもを一人の人格として接しているように見える。せっかちな父親に案外難しいことかもしれない。
また、休日(祝日)の公園で、よちよち歩きの幼子の手を握って歩く父子の前を、ちょっと意地悪に母親が先へ進むとき、父親の手を振りほどいて母親にすがろうと小走りする子どものなんと可愛らしいこと。これこそ「母に感謝する」ことに他ならない。母親も、その気配にニンマリしていることだろう。
この時代に、「こどもの日」を過ごせることは、本当にありがたいことだ。
(本ブログ関連:”ラファエロ《 大公の聖母 》”、”賽の河原地蔵和讃”)
2021年5月9日日曜日
母の日2021、カーネーション
「母の日」のきょう、感謝を込めて母へ贈る花に「カーネーション」がある。まさにこの日を象徴する花で、その花言葉には色によって異なるが「純粋な愛」とか「無垢な愛」などあるという。子どもたちはこの日に我に返り、あらためて母との絆を確認する。
カーネーション(carnation)の花の名から、ことば遊び風に「転生」の意を持つ reincarnation の言葉が浮かんでくる。
・reincarnation = re(再)+ incarnation(肉体化、顕現)
・incarnation = in(中)+ caro(肉)
人はだれもが母から生まれる。男も女も、善人も悪人も。自分の存在を証明できるのは、唯一母しかいない。母なくしては、この世に生まれることはできなかったのだから。
寺院の観音菩薩像や教会の聖母子画の前で、母性を感じ救いを求める。そんな光景を思い浮かべるとき、祈る人々がいかばかりの人生を経てきたのか知ることはできない。ただ自分は偶然にも現在の日本で、幸運に生きていることに大いに感謝している。
(本ブログ関連:”賽の河原地蔵和讃”)
いつも考えることがある、数百年前の、数千年前の母が生きていたからこそいまの命があるのだと。
(付記)
昨日(9/8)につづき、公園併設の「自然観察園」にカメラを持って出かけた。地味な樹の花や、昨日のブログに記した野草(外来)を撮ったりした。
![]() |
| ガマズミ(樹) |
2026年4月6日月曜日
これはこれはとばかり花の芳野山(安原貞室)
今、奈良県の吉野山の斜面を這うように、「サクラ」(大部分が、白い花の「シロヤマサクラ」)の花が昇っているそうだ。観桜の機会がむつかしいので、ニュース映像で知ることになる。この地は、古来、桜の名所で、多くの人が訪れている。秀吉は、大層な花見の宴を催したという。
江戸時代、俳諧の貞門派、松永貞徳の高弟である「安原貞室(やすはら ていしつ)」(慶長15年(1610年)~ 延宝元年(1673年))も、爛漫の景色を見た。俳諧撰集「曠野(あらの)集 巻之一 」の巻頭句に「これはこれはとばかり花の芳野山」がある。
「これはこれは」と思わず口にした場面が浮かぶ。<これはこれは!> ふだん誰れもが口にする表現で技巧がないだけ、その感嘆振りに共感する。たぶん、おじさんがよく使いそうな言葉だけに・・・。
ー https://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/shitibusyu/arano10.htm
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よしのにて
これはこれはとばかり花の芳野山 ← 芳野山 = 吉野山
・・・
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(本ブログ関連:”八十村 路通”)
■ 朝日新聞
「空から見下ろす『一目千本』 山肌覆う桜が満開に 奈良・吉野山」(2026年4月5日)
ー https://www.asahi.com/articles/ASV4522RXV45UQIP00RM.html?ref=youtube
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一目で千本の桜が見渡せることから「一目千本」と呼ばれ、約200種、3万本の桜がある。最も多いのは「シロヤマザクラ」で、「ソメイヨシノ」よりも白っぽい花が咲く。品種の違いや標高による寒暖差、日当たりなどが影響して、桜が咲く風景を長く楽しめる。
吉野山観光協会によると、標高*が低い場所では、4日までに満開を迎えた。一帯で標高が最も高い「奥千本」では、10日ごろ満開になると予想している。
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(*)標高: 下千本(しもせんぼん)、中千本、上千本、奥千本と標高の低い順に約1ヶ月かけて開花が山を昇る。
■ Youtube(登録: 朝日新聞)
「奈良・吉野山の桜 「一目千本」山肌覆う桜が満開に」(2026/04/05)
ー https://www.youtube.com/watch?v=DPzN7Uy_HcA
■ 公益社団法人 日本地震工学会【公式】
ー https://x.com/JAEEGAKKAI/status/2038081207733481981
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吉野の桜は「シロヤマザクラ」という古来種を主とし、後世普及用に品種改良した「ソメイヨシノ」に比べピンクが鮮やか**です。金峯山寺(きんぷせんじ)信仰から寄進されました。砂岩斜面に根を張る適応力があり平地に近い下千本から咲き始め1ヶ月見頃が続きます
「一目千本」の桜が著名な奈良県の858mの山。中央構造線南側***で隆起した砂岩の地形が水流で深く削られ、尾根と落差を形成。桜の古来種と平安以降の1000年の育成により、高度・場所ごとにのべ3万本の桜が咲き誇ります
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(**)シロヤマザクラの花の色合いが上記新聞記事と逆? → 白い色が鮮やかが正しいようだ。
(***)吉野山は、中央構造線の南側「三波帯」の更に南側の「秩父帯」に属し、チャートや石灰岩、砂岩泥岩互層などで構成する。
(参考)
■ 万葉百科 奈良県立万葉文化館
(万葉集)「歌詳細」 ー 山部赤人
ー https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/detailLink?cls=db_manyo&pkey=924
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み吉野の象山のまの木末にはここだも騒く鳥の声かも(巻6-924)
(み吉野の象山(きさやま)の辺りの枝の先には、多くさえずり合う鳥の声が響く)
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(追記)
■ Gemini
「中央構造線」:関東から九州まで約1,000km以上にわたって続く巨大な断層
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・徳島県から和歌山県、、伊勢湾にかけての区間は、現在も活発に動く「活断層」として知られています。
・現在、南から「フィリピン海プレート」が「ユーラシアプレート」の下に沈み込んでいます。この際、日本列島を西向きに押し出す力が加わっており、その歪みが中央構造線沿いの断層を動かす原因の一つとなっています。
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■ 国土交通省天竜川上流河川事務所
「中央構造線読み方案内 -諏訪から大鹿村地蔵峠まで ー」(河本和朗著)
ー https://mtl-muse.com/wp-content/uploads/2019/02/020328_yomikata.pdf
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