祝日「こどもの日」は、子どもたちがすくすく成長するのを、感謝し願う日だ。この歳になると、公園や広場で遊ぶ幼い子どもたちの姿に癒される。それぞれ名前を持っ存在であるが、この世界で最も大切な存在・・・という見方ができるようになる。社会性を前提にする女性ならば、とっくに了承済みのことと笑われるかもしれないが。
(本ブログ関連:”こどもの日”)
Wikipediaで知ったことだが、「国民の祝日に関する法律」(昭和二十三年法律第百七十八号)の、「こどもの日」について、「母に感謝する」の記載がある。
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第二条 「国民の祝日」を次のように定める。
「こどもの日 五月五日 こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。」
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「母に感謝する」という言葉について、あまり注目されていない気がするけれど、幼い子どもにとっては、母親は感謝以前の存在、無くてはならない存在である。町でよく見かける光景だが、ママチャリの自転車上で、母親と子どもの会話が素晴らしい。ひとつに、次々と質問を投げかけて言葉を増やしているように見えること。もうひとつに、会話が対等な関係に聞こえることだ。子どもを一人の人格として接しているように見える。せっかちな父親に案外難しいことかもしれない。
また、休日(祝日)の公園で、よちよち歩きの幼子の手を握って歩く父子の前を、ちょっと意地悪に母親が先へ進むとき、父親の手を振りほどいて母親にすがろうと小走りする子どものなんと可愛らしいこと。これこそ「母に感謝する」ことに他ならない。母親も、その気配にニンマリしていることだろう。
この時代に、「こどもの日」を過ごせることは、本当にありがたいことだ。
(本ブログ関連:”ラファエロ《 大公の聖母 》”、”賽の河原地蔵和讃”)