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2025年1月14日火曜日

笠森お仙

きのう(1/13)の「成人の日」について記したブログの末尾に、江戸の美人として有名だった「笠森お仙」(1751年:宝暦元年~1827年2月24日:文政10年1月29日)について触れた。お仙は、現代風の成人にあたる20歳近くに嫁いだことになると記した。むかしの「嫁入り時」の16~17歳より少し歳を経てのことかな。

そこで、彼女が働いた水茶屋が笠森稲荷社のそばだったことから、稲荷に関連して触れてみたい。以前から、キツネと関わりのある「九尾の狐」から「稲荷信仰」へと興味が広がり、かつ近在の稲荷神社が「笠森稲荷」系であることを知り、興味が尽きない。

(本ブログ関連:”キツネ”、”稲荷信仰”、”笠森稲荷”)

江戸の時代、谷中の福泉院境内に笠森稲荷社があった。門前に水茶屋「鍵屋」があり、「明和三美人」の一人として知られる美貌で話題になった <看板娘> の「お仙(笠森お仙)」がいた。当時のブロマイドにあたる「錦絵」(浮世絵の中で多色刷りの絵)に、鈴木晴信作の「お仙茶屋」がある。すっきりして柔らかな眼差しと、細身の着物の裳裾から足袋を履いた足先をのぞかせている。

鈴木春信「お仙茶屋」(Wikipedia)

ネットに、お仙の賛歌ともいえる「小唄」があり、Youtube映像もあるので見てみよう。

■ 東京小唄・清元・三味線教室
歌詞集「笠森おせん」
https://kiyuumi.com/archives/2014/10/post_833.php
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鐘一つ売れぬ日もなし* 江戸の春 花の噂の高さより
土の団子の願事(ねぎごと)を かけた渋茶の おせん茶屋
あたしゃ見られて恥ずかしい 掛行燈(かけあんどん)に灯を入れる
入相(いりあい)桜ほんのりと 白きうなじの立ち姿
春信**描く一枚絵

朧(おぼろ)夜や 木の間にゆらぐ ぼんぼりの 灯影(ほかげ)まばゆき櫻花
手拍子打てば ちらちらと 散るを惜しまん 春の宵
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(*)鐘: 滅多に売れないものでもあるが、それも毎日売れる
(**)春信: 鈴木春信


■ Youtube(登録:春日とよ喜裕美)
「笠森おせん(鐘一つ)東京小唄清元三味線教室」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=V4BavOuNFR8

2013年4月12日金曜日

稲荷神社

地元図書館の駐車場に隣接して、小さな稲荷神社がある。参道は、いくつも並ぶ鳥居をくぐるようにして社殿へつづく。
鳥居の赤い色と、花弁を重ねて今を盛りに咲く八重桜の薄紅色のコントラストが美しい。まさに西陽が射して、その色合いを互いに強調していた。奥の簡素な社殿に参拝して家内安全を祈ったのはもちろんだ。

総本社は、京都府京都市伏見にある伏見稲荷大社とのこと。そして、入り口の石(花崗岩)の鳥居の額束には、笠森稲荷神社の額が掲げてある。また、「笠森稲荷の『かさ』の音は『瘡』に通じることから疱瘡や皮膚病除けの流行神としても知られている。」(神社文化振興評議会)という。以前、郷土史家の方から、江戸期には遠く川崎(宿)からもこの稲荷を訪ねてくる女性たちがいたという。

薩長による明治以降の官製文化に対して、江戸風を期待するものもあるが、決して洒落た粋な世界だけだった訳ではなかったことを忘れてはならないだろう。

(本ブログ関連:"稲荷神社")

2024年12月4日水曜日

市民講座「身近な民間信仰」 ❶

公開講座の「身近な民間信仰」第1日目にあたるきょう、❶「家に祀(まつ)る神様仏様」の講演があった。講師は、府中市「郷土の森博物館」の学芸員、佐藤智敬氏である。(以下聞き間違えがありましたら、ご容赦を)

(本ブログ関連:”市民講座「身近な民間信仰」”)

多摩川の北側にある府中市から、北上して国分寺崖線にいたるまでの小金井市との両エリアにおける、「稲荷信仰」、「講」の2つの伝承について語られた。稲荷信仰は、私にとってかなり興味深いテーマだ。講は、今回初めて聞くことになる。
- 古い2万5千分の一地図上、上記エリアに桑の木が広く栽培されていたのに驚く。

(本ブログ関連:”稲荷”)

① 家の神様(仏様): 稲荷様について
・府中・小金井のエリアにおける、「屋敷神」(個人敷地内)の信仰は、ほぼ稲荷信仰だった。(府中市: 8割)
    ー 村共同体の稲荷信仰は、屋敷神から成長(引き継いだり)したものと考えられる。
・屋敷神としての稲荷様の神体は、藁(わら)で作った社(やしろ)や祠(ほこら)の中に置かれた丸い石だったりした。
・屋敷神は、有名な神社・寺院から、分祀・勧請(かんじょう: 分霊をいただいてくる)。
    ー 平安時代に、関東エリアに稲荷神はない。
    ー 江戸時代中期の新田開発に伴い、村の鎮守として登場。
・朱鳥居は、明治以降に登場したようだ。・・・?
・狐の上にいる稲荷の姿
    ー 神道の神体は、稲を背負う。仏教では、守護神の荼枳尼天(だきにてん)。
・家の神様から、効用を持つ神へ変わる。笠森稲荷=笠(皮膚病の瘡(かさ)ぶた)の平癒。
・「稲荷」の前に「~稲荷」と(正一位など)格付けは、近世中に行なわれた。

② 講(こう):宗教的な講(遠隔地への参詣のための集まり)
・農村にとって、天候は神頼みであり、お参りに行くため「講」が作られた。
    ー 講の発達:「御師」・「先達」と呼ばれる宗教者により流布され確立していった。
    ー 御師の札配りは、大正ごろまでつづいた。
・集団の参詣:ア)日帰りなど全員で行く、イ)代表者が行く(代参)などがある。
    ー 遠隔地へ行くのは金持ちだけ。
・宗教的な講であっても、途中あるいは参詣後、旅行の要素を含む行動があった。
・講の減少:ア)農業人口/田畑の面積の減少、イ)天気予報技術の発達などあって、参詣の必要性が減ったことによる。
    ー 郷土史: 民家の屋根裏から参詣の証である「お札(ふだ)」が大量に発見されることがある。


(付記)
民間信仰と関係ないが。早朝5:00の「NHK NEWS おはよう日本」に、気象予報士の近藤奈央さんが復帰しているのに気づいた。12/2からとのこと。

2012年6月29日金曜日

お稲荷さんと油揚げ

SBSが放送した「僕のガールフレンドは九尾狐」のOST「狐の嫁入り(여우비)」をイ・ソンヒが歌ったこともあって、狐にからめていろいろと気にかけている。

(本ブログ関連:”狐の嫁入り”)

最近、地元の笠森稲荷神社にある赤い鳥居が続く光景を、携帯の待ち受け画面にしたりしている。
以前聞いた郷土史の解説で、この神社、皮膚病に効能があるとのこと、江戸期に遠く川崎の宿場町から女たちが訪れたという。

ところで、韓国語教室の宿題に、愛知県の豊川稲荷について記されていたので調べてみると、こちらは神社ではなく、曹洞宗の寺院である。インターネットの豊川稲荷略縁起は次のように記している。
一般的に「稲荷」と呼ばれる場合は「狐を祀った神社」を想像される方が多数であると思われますが、当寺でお祀りしておりますのは鎮守・(とよかわだきにしんてん)です。が稲穂を荷(にな)い、白い狐に跨(またが)っておられることからいつしか「豐川稲荷」が通称として広まり、現在に至っております。

そういえば、日曜登山で知られる高尾山にある真言宗智山派の髙尾山薬王院の、髙尾山薬王院飯縄権現(いづなごんげん)も白狐の上に姿を見せている。こちらも神道とは別で仏教である。

(本ブログ関連:”お稲荷さん”)

さて、宿題の豊川稲荷の話題には、油揚げが名産というので、狐との関係を調べてみると、古いインドの信仰につながるそうだ。それはそれで良いが、中身は知らぬ方がよかったかもしれない・・・。

2025年1月13日月曜日

成人の日 2025

冬の朝は、起床するのにパワーがいるが、きょうは意外と楽だった。1/10~1/13の午前4時の時点の気温を見ると*、いったん下降したが少し持ち直している。おかげで底冷え感が薄く、スムーズに布団から抜け出せた。

(*)1/10~1/13: 午前4時の気温
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月日     気温℃
1/10     2.3
1/11     -0.5
1/12     1.3
1/13     2.0
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さて、今朝のテレビニュースの話題は、国民の祝日「成人の日」についてだ。むかしは 1月15日を定例としていたが、現在は「ハッピーマンデー制度により、1月の第2月曜日があてられている」(Wikipedia)。

(本ブログ関連:”成人の日”、”成人式”)

「成人」の境界(成年)を、従来は20歳としていたが、選挙権など含めて現在は 18歳となっている。むかし、暴走族のアンちゃんが「20歳超えて、いつまでもやってられませんよ」とあっさり方向転換していたものだが、いまは 18歳が境い目となり、世間の目もだんだんと厳しくなっているのを感じていることだろう。

あらゆる情報がネット上を水平に流れ(IT:情報技術)て来る現在、その内容についてポジもネガも自分で判別できるようになっている。いってみれば、聖書がラテン語から、庶民の言葉のドイツ語に変わり、印刷技術が広範に配布したようなもの。

今の若者は、偏(かたよ)った情報、限られた情報から自由になり、情報源(ニュースソース)に直接手が届くようになっている。情報を、特定の集団に編集されたり、意図的に選別されることなく、知ることができるようになった。そして、情報が短期間で消えてしまうことなく、自分の手元に保存することができるようになった。・・・凄い時代になったと思う。


笠森お仙
ところで、江戸の三大美女といわれ、鈴木春信の錦絵に描かれた「笠森お仙」(1751年:宝暦元年~1827年2月24日:文政10年1月29日)は、笠森稲荷の茶屋の看板娘であった。今風に満年齢でいう二十歳の直前(1770年:明和7年2月ごろ)に結婚したそうで**、彼女目当ての男客たちを残念がらせたようだ。
(**)江戸時代の女性の結婚年齢:(Google 生成AI Gemini)
「早い結婚が一般的: 町人の娘の場合、16、7歳で嫁入り時と言われ、20歳を過ぎると「年増」24、5歳で「中年増」28、9歳では「大年増」と言われるなど、現代よりもかなり早い年齢で結婚することが一般的でした。」

2015年4月14日火曜日

(資料)岡本綺堂「中国怪奇小説集-酉陽雑爼(唐)」の九尾狐

青空文庫に岡本綺堂の「中国怪奇小説集-酉陽雑爼(唐)」に、「九尾狐」の項があって、その超越する力について次のように記している。日本の九尾狐の妖艶な化身というより、隠し持った妖気の強さを知ることになる。

(本ブログ関連:”九尾狐”)

「中国怪奇小説集」で、「酉陽雑俎」について次のように説明している。「この作者は唐の段成式であります。彼は臨淄の人で、字を柯古といい、父の文昌が校書郎を勤めていた関係で、若いときから奇編秘籍を多く読破して、博覧のきこえの高い人物でありました。官は太常外卿に至りまして、その著作は『酉陽雑爼』(正編二十巻、続集十巻)をもって知られて居ります」
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 むかしの説に、野狐の名は紫狐といい、夜陰に尾を撃つと、火を発する。怪しい事をしようとする前には、かならず髑髏をかしらに戴いて北斗星を拝し、その髑髏が墜ちなければ、化けて人となると言い伝えられている。

 劉元鼎が蔡州を治めているとき、新破の倉場に狐があばれて困るので、劉は捕吏をつかわして狐を生け捕らせ、毎日それを毬場へ放して、犬に逐わせるのを楽しみとしていた。こうして年を経るうちに、百数頭を捕殺した。

 後に一頭の疥のある狐を捕えて、例のごとく五、六頭の犬を放したが、犬はあえて追い迫らない。狐も平気で逃げようともしない。不思議に思って大将の家の猟狗を連れて来た。監軍もまた自慢の巨犬を牽いて来たが、どの犬も耳を垂れて唯その狐を取り巻いているばかりである。暫くすると、狐は跳って役所の建物に入り、さらに脱け出して城の墻に登って、その姿は見えなくなった。

 劉はその以来、狐を捕らせない事にした。道士の術のうちに天狐の法というのがある。天狐は九尾で金色で、日月宮に使役されているのであるという。
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先日のブログ((資料) 那須野の殺生石)で、古に「犬追物」という、囲いのなかで犬を射る式法の話しを記したが、その由縁は九尾狐を射落としたことにある。犬と狐が登場するのは因果かもしれない。とはいえ、狐の霊力は高く、犬を凌駕することになる。

また、物語りに「疥のある狐」が登場するが、稲荷に笠森盛稲荷がある。同稲荷は、「瘡守(かさもり)に通じて、瘡平癒から、皮膚病、梅毒に至るまで霊験ある」(Wikipedia)とのこと。近在の稲荷も、江戸期に川崎宿から参りに来たという。

極にあるものは、その対極に変身する底知れぬ霊力を宿しているのかもしれない。