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2015年7月31日金曜日

ある講演会の感想

ある講演会に参加したが、感想だけ語る。

新羅・百済時代の韓国寺院跡を紹介する、市民講座「映像でめぐる韓国の古代寺院」に出かけた。韓流ブームが一段落したにもかかわらず、聴講者が予想の数以上に参加したとのこと、主催者・講師の方ともに驚いた様子だった。

恐らく熱狂的な韓国ファンであろう講師の方が、実際に歩いた現地寺院跡の写真(景観、石塔、礎石など)をまじえて、旅語り風に話された。旅行者すなわち講師が、現地の友人や管理人・作業員とやり取りした思い出話しも紹介された。

どちらかといえば講演時間に比して、紹介された寺院が多数のため駆け足となり、各時代(新羅、百済)での個々の寺院の役割、盛衰、主要な教義、および遺跡再建など史実紹介する時間が足りなかったのが残念。聴講者には、新羅・百済時代遺跡の観光旅行のきっかけになるかもしれない。


(付記)
神田神保町の古書街には、古書以外に絵葉書をも揃えた古書店がある。ふらりと立ち寄り、何となく古い絵葉書写真を見ていると、当時の様が眼前に広がる気がする。
日本の多くの鉱山が閉山して時間がたった。その歴史を遡るのに、絵葉書写真で研究されている方がいる。絵葉書が発行された当時、鉱山事業がいかに盛況であったかうかがい知られる。研究者の充分な考証により、写真は歴史的な史実として見ることができるだろう。
このネット時代、わたしたちは過去の絵葉書写真を閲覧できるようになった。そして、多くの事実を知るようになった。

2015年7月30日木曜日

通り雨

近隣の街に出て、通り道で強雨に会う。いきなりの土砂降り、大粒の雨滴が道面に叩きつけられた。一粒一粒、跳ね返って水の棘を作る。開店前の軒先を借りて遣り過ごそうとしたが、いっこうに衰える気配がない。ひとブロック先に喫茶店があるというに、そこまで駆け込むのに躊躇する。小一時間して、ようやく普通の雨に変わった。

雨が上がってしまえばいつもの空。さっきの豪雨が嘘のよう。そ知らぬ顔して空は晴れ渡った。

どんなに降っても、雨が永遠に続くわけではない。しばらく待てば必ず止む。しかし、日頃の時間間隔と大違い。恐ろしく待ち続けた気がした。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 赤壁歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/22)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「三国志」を題材にしたパンソリ(판소리)「赤壁歌(적벽가)」にかかわる3曲を紹介した。

(本ブログ関連:”三国志”、”パンソリ”)

始めに、パンソリの概要と、作品のひとつである「赤壁火戦(적벽화전)」を次のように紹介された。
・戦争は、人々に大きな被害を与え、いったん始まると勝たぬ限り被害はふくらむ。対岸の火事として、争いを見ることもあるが、当事者となれば話は変わる。
・パンソリは、歌い手が太鼓の拍子に合わせて、物語りを歌う伝統芸能だ。本来、十二のパンソリがあったといわれるが、今は五つだけ伝わる。その一つに、三国志の一部をパンソリにした「赤壁歌」がある。中でも、「赤壁火戦」はよく知られている。戦いに、訳も分からず連れてこられた兵卒。名も知られぬ彼らと大将の姿をユーモアに表現する。

▼ 「赤壁歌」から「赤壁火戦」を聴く。テンポよく、畳み掛けるようにコスとの掛け合いよく歌い展開する。

次に、赤壁の戦いで焼き払われて敗北した曹操と部下兵士の関係を次のように紹介された。
・パンソリ「赤壁歌」は、208年冬、中国の赤壁の戦いを素材にしている。この戦いは、後に小説「三国志演義」でさらに有名になる。小説が英雄中心としたら、パンソリの「赤壁歌」は庶民に注目している。犠牲を強いられた人々の話だ。無理やり戦わされる兵卒の悔しさを歌う場面もある。この戦いが、ただの戦いではなく、犠牲になった一人一人がいることを悟らせる。自信満々に戦争を始めて敗北した武将「曹操」が、部下を率いて逃げる。つまらぬプライドで兵士の数を数えたり、怪我をした兵士と口喧嘩したりする場面もある。平然とした大将をいじめる姿も面白い。

▼ 「赤壁歌」からコムンゴ、太鼓演奏と歌による「鳥打令(새타령)」を聴く。静かに雪降る中、黙々と敗走の列が続くよう。

最後に、「赤壁歌」の別名に「華容道(화용도)」があることについて次のように紹介された。
・戦いに敗れた曹操は良心の呵責があったのだろう。森で鳥の鳴き声を聞き、死んだ兵士を申し訳なく思う場面がある。赤壁歌は、別名「華容道」ともいう。曹操が兵士を率いて、やっと命を拾ったのが華容道の渓谷だ。そこで将軍関羽と出会い、助けを求めて逃れられる。歌の華容道の意味にも通じる。赤壁歌は、パンソリ以外に、多様な形で歌われた。

▼ 「京畿十二雑歌(십이 잡가)から赤壁歌」の歌を聴く。<淡々として>歌う、窮状を見せぬ曹操の矜持だろうか。

2015年7月29日水曜日

イ・ソンヒの家で、デビュー前のイ・スンギ

K-POPでいう韓国のスターシステム(養成方法)は、音楽教育(歌、ダンス、語学など)、および生活(住居、食事など)を含めて全費用を事務所が負担する、といわれる。養成、歌手候補者の選別を重ねる投資事業でもある。デビュー成功後、事務所は投資分を回収する名目で相当な取り分を得る。音楽事務所は、このような連続した量産システムの上に成り立っている。

一方、音楽祭やオーディションなどで発見した才能を磨き上げていく師弟スタイルもある。昔はそのようだった。イ・ソンヒとイ・スンギの関係はそうである。その分、指導者に覚悟が必要だし、度量もいる。イ・スンギの成功は、強力な師弟関係の成果であり、母親代わりとなったイ・ソンヒの慈愛の賜物である。

東亜日報に掲載のニュースエンの記事「イ・スンギ、『デビュー前 イ・ソンヒの家で合宿、こっそり外出してプデ・チゲ爆食い」(7/26)では、イ・ソンヒが見出し育てたイ・スンギ自身の姿が語られている。

(本ブログ関連:”イ・スンギ”)

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・イ・スンギがデビュー前(について)、イ・ソンヒとエピソードを公開した。

・7月26日放送されたMBC「ハッピータイム」では、デビュー前にイ・ソンヒの家に寝泊りして歌手デビューの準備をしたイ・スンギのエピソードが公開された。

・この日、1984年「Jへ」で「江辺歌謡祭」の大賞受賞したイ・ソンヒ。そんなイ・ソンヒがプロデュースをして育てた歌手がいたが、まさにイ・ソンヒこそである。

・これに対し、デビュー前イ・ソンヒの家に寝泊りしていたイ・スンギは、2011年のトーク番組「遊びにおいで」に出演して、「イ・ソンヒの家で過ごしたのが幸いで幸運だった。ただし、イ・ソンヒ先生は肉をよく食べないし、ご飯が少食だ。食べ物もホウレンソウ、ニンニクの芽、こういうのを食べる」と話した。

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「3.宗教家である父と、自然とともに過ごした幼い子供」”)

・育ち盛りの年齢で食欲が旺盛だったイ・スンギは、「それで先生に漢江へ行って運動してくるといって出て行き、こっそりプデ・チゲを食べたりした」と話して笑いを誘った。

(以下略)
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2015年7月28日火曜日

イ・ソンヒの「この歌をかりて」

イ・ソンヒの12集所収の「この歌をかりて(이 노래를 빌려서)」(2001年、作詞カン・ウンギョン、作曲ユ・ヨンソク)は、若い心が織りなすだろう、そんな世界に引き込むような響きがする。イ・ソンヒには珍しいドラマ性の濃い曲だ。

投稿サイトの”トゥデイ・ユーモア”に、「この歌は、実話を基に作った歌だそうです・・・聴覚障害のある方が障害のために、愛する人を去り、別れるしかなかった痛みを表現した」という伝聞を紹介している。感謝。

分かってよ、多分私もそうしたわ
私に反対の家族は もう許してくれたの
あなたもおそらく親になれば、その心分かるわ
あなたを惜しんで そういうのを

幸せでなければならない、私の掌(てのひら)に書かいて
走って行ったあなたに 電話しようとしたの
そんなにも あなたのために練習した言葉
あなたを愛してる、私の声で

この歌をかりて、ほかの人をかりて
こんなにも あなたに 伝えたいひとこと

この歌を聞いたら、いつか聞いたら
あなたを愛していた心を分かってよ

私は祈って、またこの世に来るなら
その時はこのようにどうか生まれないように
誰かをただ愛することさえ
罪にならねばならぬ自分が嫌いです

この歌をかりて、ほかの人をかりて
こんなにも あなたに 伝えたいひとこと

*この歌を聞いたら、いつか聞いたら
あなたを愛していた心を分かってよ

(*以下繰り返し)


(Youtubeに登録のwallace6813に感謝)

2015年7月27日月曜日

イ・ソンヒのファッション、スタイル

中央日報に掲載のニュースエンの記事「イ・ソンヒ  31年前の昔の姿、姉さん部隊導いたボーイッシュな魅力 (【MBC番組】ハッピータイム)」(7/26、 イ・ソダム記者)は、イ・ソンヒのデビュー時の人気と、ファッションやスタイルについて、次のようにいくつかの逸話を紹介している。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒ「私がスカートを着る日には観客が涙涙となる」”、”ズボン”、”スカート”)

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・イ・ソンヒ、デビュー時代の昔の姿(=写真)が公開された。

・7月26日放送されたMBCの(番組)「ハッピータイム」では、姉さん部隊(언니부대)を率いて回った歌手イ・ソンヒの昔の姿が公開された。

・この日公開された昔の映像で、イ・ソンヒは、「学生時代、演技や絵画にもたくさん凝った。それでも、やはり音楽に対する考えはあったと思う」と、昔から歌に対する情熱を持っていたことを明らかにした。

(本ブログ関連:”●資料:이선희 Profile (自伝~1991年、27歳まで)”)

・これにより、1984年「江辺歌謡祭」の大賞をとったイ・ソンヒの姿が公開されて関心を集めた。大賞以後、イ・ソンヒは高い関心の中で、歌手としてデビューし、当時(歌謡祭で受賞した)「Jへ」は、ラジオで一日16回放送され、新記録を立てた。ここに、10代歌手賞と新人歌手賞、最高人気歌謡賞の受賞により、最初の3冠王に上がった。

・以後、1985年、イ・ソンヒは正規(アルバム)1集を発表して、歌謡チャート5週連続1位を占めた。また、イ・ソンヒのヘアースタイルとメガネは女子学生の間で流行になった

・そのようなイ・ソンヒが、ズボンだけはく理由があったと、イ・ソンヒは「脚が大根足だ。わたしは足首がない。公演会場で真っ赤なドレスを着て、S字階段を降りて歌を歌うことがあったが、近くの客席で観客が、『これはないだろう』といっていた」と語って笑いを誘った。

(以下略)
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上記について、イ・ソンヒは照れることも恥ずかしがることもしない。自分の音楽人生を通して、素直に淡々と振り返る自信があるのだ。普通の女の子に受け入れられたゆえんでもある。

2015年7月26日日曜日

(雑談) 狼 ⇒ 犬、狐 ⇒ ?

思いきり暑い一日だった。近在の街で、最高気温が36.2℃に達したようだ。猛暑日が続いている。そんな今日、隣り町の公共施設に出かけた。図書館やスタディールームが充実しているせいか、子どもたちで溢れていた。考えてみれば、もう夏休が始まっているのだ。それに日曜日せいか、社会人も押しかけていた。
安楽な館内から外に出て驚いた。太陽光の圧に負けて、すぐに喫茶店に飛び込んだ。

(本ブログ関連:”猛暑日”)

帰り道、垣根越しに咲く、百日紅(さるすべり)の薄紅や白色の小さな花の塊りが気になった。このブログで百日紅の花について記したのは、例年8月頃のこと。今年は少し早い気がする。

(本ブログ関連:”百日紅”)

ところで、また狐の話しについてだ。ネットに、狐を家畜化する話題が様々ある。その中に、ロシア滞在経験のある方のサイトに、「動物好きな研究者の夢 -- 40年の研究からペットギツネが誕生」という大変分かりやすい記事がある。感謝。
40年かけて研究した動物学者(リュドミラ・ニコラエブナ・トルット氏)を紹介している。果たしてキツネは人間のペットになれるだろうか。次のような興味深いポイントがある。
 - 野生のキツネで、人懐っこいものを代を重ねて(ケージ飼育のまま)選別したら、イヌのような従順な行動をとるようになったという。イヌがオオカミから枝分かれしたように、キツネにもその可能性がある。
 - 家畜化したキツネは、体臭も少なく、トイレなどのしつけもこなすけれど、人間のペットにはなれないという。家畜化した彼らには、夜行性のままという最大の難点があるからだそうだ。

狐の嫁入り」伝説(伝承)には、嫁入り行列に提灯が灯され、狐火が輝くという。まさに、キツネの夜行性から伝説がうまれたようで、狐はやっぱり夜に戻って行ってしまうようだ。

(本ブログ関連:”狐の嫁入り”、”稲荷”)

2015年7月25日土曜日

砂金採り

来月、砂金採りに行く予定だ。

(本ブログ関連:”砂金”)

川の流れに運ばれて、岸辺の草の根に砂金が集まる。草を根ごと掘り返し、付着の砂土を篩(ふるい)にかける。砂金マニアの場合、それを持ち返って自宅で砂金を取り出したりするようだ。日曜砂金採りは、川岸で探すことになる。

砂金は比重が大きい。その性質を利用して、他の砂土を取り除いて析出する。フライパンのパン(皿)のような皿に、篩で集めた砂土を入れ、水を加える。それを川の流れを利用して、両手でパン皿を左右回転させ、相対的に比重の軽い砂土を川水に流れ出すようにする(コツがあるのだが)。パン皿を使って、水中で砂金採りする動作を、パンニングという。

砂金採りの道具には、パン皿(鉄orプラスティック製)、(園芸用品売り場にある)篩やスコップ、小型のバケツがあればいい。

能書きは済んだ。後は実績だ。で?・・・以前、荒川上流で1回(超微小な2粒、小さ過ぎて現在行くへ不明)、茨城の久慈川とその支流で数回(完敗)。後は山梨の川に一度(完敗)。つまり成果はないに等しい。

だから、今度の8月は、何度目かのリベンジだ。北海道並みの砂金を採りたい。

2015年7月24日金曜日

もくもく雲

今日も暑い。(そういえば、昨日は二十四節気の十二番目、つまり一年の半分、「大暑」だった)
梅雨明けの暑さは収まらず、このまま突っ走って行くようだ。週間天気予報は不順な空模様だが、気温はほぼ猛暑日とのこと。

この時期の雲を、天気予報で「もくもく雲」と呼んでいる。「積乱雲」の方が、天気の急変しやすさと合わせて、何となくわかりやすい気がする。「もくもく」という言葉に柔らかく穏やかな感じして、小動物を愛玩する「もふもふ」を連想してしまう。

夏の高原で、(まるで、ジブリのアニメのように)真っ青な空に浮かぶ白い入道雲を見て、ああ夏だなと思うのは、夏休みのよい思い出になるだろう。また、低速度撮影(インターバル撮影)による、入道雲の成長に雄雄しさを感じたりもする。

自然現象は人知を超えるもので、驚異と呼んだり、神秘と受けとめたりする。街中で、土砂降りの夕立に会ったりすると難儀なものだ。もくもく雲も、思ったほど優しくない。

2015年7月23日木曜日

油井宇宙飛行士 ソユーズでISS国際宇宙ステーショ­ンに到着

JAXAは、油井宇宙飛行士が、今朝発射したソユーズ宇宙船(43S/TMA-17M)に同乗して、昼過ぎに国際宇宙ステーション(ISS)に到着したと次のように発表した。(JAXA、7/23)

ISSの搭乗員が待つYoutube映像の6分過ぎ、ようやくハッチ・オープンして挨拶を交わす様子が見られる。
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油井宇宙飛行士、国際宇宙ステーションでの長期滞在を開始!
7月23日(木)6:02(日本時間)に、(カザフスタン共和国バイコヌール宇宙基地から)打ち上げられた、油井亀美也宇宙飛行士が搭乗するソユーズ宇宙船は、
・11:45に、国際宇宙ステーション(ISS)と結合しました。
・13:56に、ソユーズ宇宙船とISS間のハッチがオープンし、油井宇宙飛行士の長期滞在が始まりました。
油井宇宙飛行士は第44次/第45次長期滞在クルーとしてISSに約5ヶ月間滞在し、宇宙ステーション補給機「こうのとり」5号機*の把持や、ISS各システムの運用、宇宙環境を利用した科学実験などを行います。
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(*)宇宙ステーション補給機「こうのとり」5号機(HTV5)・H-IIBロケット5号機の打ち上げ日時は、2015年8月16日(日)22時01分頃(日本時間)の予定

(Youtubeに登録のantonsandayoに感謝)

KBS WORLD「国楽の世界へ」 黄真伊

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/15)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、朝鮮時代の妓生「黄真伊」(황진이、1506年?~1567年?)に関わる3曲を紹介した。

(本ブログ関連:”黄真伊”、”황진이”)

始めに、開城の地に伝わる「松都三絶(송도삼절)」について次のように紹介された。
・北の黄海道開城は、別名松都と呼び、三つの優れた「松都三絶」がある。① 朴淵瀑布(박연폭포)の滝は、高さ37m、幅は1.5mもあり、金剛山の九龍瀑布(구룡폭포)、雪岳山の大勝瀑布(대승폭포)と共に三大滝といわれる。② 学者徐敬徳(서경덕、1489年~1546年)だ。独学で学問の境地に達し、官職に就かず一生ソンビとして隠遁した。③ 妓生の黄真伊だ。妓生の身分だが、文芸、音楽に才があり、堂々と人生を生きたと伝えられる。松都三絶は、彼女が直接付けたという。

▼ 黄真伊詩による、冬至の夜に人を待ち望みながら歌う時調(시조)「冬至の月(동짓달)」を聴く。まるで詩吟のよう。

截取冬之夜半強    冬至の長い夜を少し切り取って
春風被裡屈幡倉    春風の布団の下にしまっておいて
有燈無月郎來夕    恋しいあの方がいらっしゃる夜に
曲曲鋪舒寸寸長    曲げたものを広げたいものだ

次に、金剛山へ行った黄真伊とソンビの関係について次のように紹介された。
・黄真伊には、親しいソンビも少なくなかった。中には、ソンビの威厳を捨て、大胆に風流を楽しむ者もいたという。金剛山に行きたいという黄真伊に同行したソンビがいた。二人は、使いを連れて輿に乗ることなく、粗末な格好で、食糧を背負って出かけた。一万二千もあるという金剛山の峰を見て回った。食糧が底をつく頃、黄真伊は人々の前で歌を歌い、その後食べ物を注文した。、同行のソンビを、自分の使いと紹介して養ったという。

▼ 黄真伊とソンビが旅立った、「金剛山打令(금강산타령)」を聴く。天下名山、見晴るかす光景が浮かぶよう。歌謡的。

最後に、黄真伊の生い立ちや生き方を語る伝説について次のように紹介された。
・黄真伊は、朝鮮初期の1500年頃の人物だ。ある両斑の妾の子であった、盲人の娘であった、あるいは黄真伊を片思いした青年が亡くなり、自ら妓生になったともいわれる。また、長い時間、修行した「生きた仏」と言われる老僧を訪ね、戒律を破らせたりもした。徐敬徳にも同じように試みたが失敗し、彼の弟子になったという。今に至るまで、彼女の話は尽きないが、どれが真実かはっきりしていない。彼女が残した詩を通じて、推測するだけである。

▼ 互いに思慕する 男女が夢で出会う、コムンゴ他演奏の「相思夢(상사몽)」を聴く。どこからか風が吹いてくる。今様である。

相思相見只憑夢   あなたに会えるのは夢の中だけ 
儂訪歡時歡訪儂   おなじ道をたどり、ふたたび会うことができた
願使遙遙他夜夢   願えばいつも夢の中で
一時同作路中逢   いつもあの道で会える

2015年7月22日水曜日

イ・ソンヒの「思い出のページをめくれば」

イ・ソンヒが、昨年(2014年)のデビュー30周年記念コンサート(世宗文化会館)で歌った、6集所収の「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年、作詞・作曲ソン・シヒョン)は、彼女の音楽人生の深さを示すものだが、研ぎ澄まされ、洗練された響きを感じさせる。歌の終わりとともに会場から湧き上がるどよめきは、熱狂するためでなく、感動を受けるために来た観客のものだ。

(本ブログ関連:”思い出のページをめくれば”)

この歌には、始めから彼女の思い入れがある。27歳当時の彼女の回想録、「(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー『10.それが歌なの 発声練習では』」から、歌手としての自覚と試行を感じとることができる。・・・2014年1月15日の本ブログに掲載
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・時折、私に向かって「それが歌か、発声練習では」と厳しく批判する人もいる。認める。(イ・ソンヒの歌唱の特徴として)私の歌が主に高音域中心であるから

・それで、6集「思い出のページをめくれば」では、トーンをかなり低く下げた。偏狭な考えかも知れないが、6集くらいで満足できなければ、私は致し方ない。世の中のすべての人を満足させる能力は私にはないので。

・私はそれなりに情熱と誠意を尽くして歌う。全身に力を集中して「熱唱」する数年・・・いつのまにか私の手の平にはタコができた。私も知らない新しいマイクを握った掌中に力が入っていたようだ。

・私の名前の前に「歌手」という接頭辞がつき始めて以来、私は実に多くの仕事を経験した。
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「思い出のページをめくれば」は大変美しい曲だ。Daumミュージックに掲載のスペシャル企画連載「レジェンド・プロファイル16弾-イ・ソンヒ」(ムン・ジョンホ、2011年12月8日)は、その音楽性の高さについて次のように語っている。・・・2012年10月24日の本ブログに掲載
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・1990年代にイ・ソンヒが残した成果の中で最も素晴らしいアルバムは1980年代の方法論をより一層完成度あるように実現した「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年、6集)である。クラシックの旋律を加味して気品を高めることに肯定的な影響を及ぼした 「思い出のページをめくれば」とブルースを試みた「懐かしさは去って」、イ・ソンヒ特有の迫力を感じることができる「懐かしい国」などが入れられた「思い​​出のページをめくれば」は1990年代だけでなく、全体の結果を見てみても断然引き立って見える
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ゆらぐる、思い出のページをめくれば
ああ、遂に果たせなかった悔しさと侘しい贖罪が

*むかしのことのように、ぼんやりとかすむ窓枠の塵(ちり)のように
ああ、胸に積もるよ、今は遠ざかったあなたの微笑みのように

雨風がなくても春は来て夏は行く
ああ、あなたよ・・・涙がなくても、花は咲き葉はやがて散る

ああ、あ~、わたしに残った懐かしい、歳月を浮かべて、眠りにつくよ、夢を見るよ

(* 以下繰り返し)

眠りにつくよ、夢を・・・見るよ・・・

(Toutubeに登録の도미정に感謝)

2015年7月21日火曜日

イ・ソンヒの「狐の嫁入り」

イ・ソンヒが、SBSテレビドラマ「僕のガールフレンドは九尾狐(내 여자친구는 구미호)」(2010年)のOSTとして歌った「狐の嫁入り(여우비)」は、彼女のヒット曲である「因縁(인연)」とともに、広い範疇で東洋的な色彩の濃い曲である。

(本ブログ関連:”天気雨狐の嫁入り)”、”稲荷”)

この曲名は「狐雨」であり、天気雨(日照り雨)について民俗的呼称でもある。興味深いことに、「天気雨」の現象には、世界的に動物の婚姻をたとえる語彙が多数ある。ただし、動物同士のものであって、人間と狐の婚姻という、即ち<異類婚姻譚>にまで及んではないようだ。

このドラマのおもしろさは、人間と(九尾)狐の化身とが、天気雨を通じて互いに清められ成長する若者として描かれていることにある。イ・ソンヒの持つ清雅さは、この曲に最もかなっている。

(Youtubeに登録のentertainmentSBSに感謝)

2015年7月20日月曜日

土用の入り、海の日 2015

今日は、「土用の入り」、今週土曜日の「丑」の日まで後6日間ある。土用の丑といえば鰻だが、年々<鰻重>への関心が薄らいでいる。暑い日が続けばなおさらだ。

土用の丑の日に、鰻を食べるキャンペーンをしたのが平賀源内という。よほどにタフな人だろう、秩父鉱山まで足を運び鉱山開発したり、秋田藩に出かけて蘭画の指導をしたり、方々におもむいている。実感するのは、秩父鉱山へつづく中津川沿いをたどっていた途中、江戸市中からここまでよくぞ歩いて来たものだということだ。

(本ブログ関連:”平賀源内”)

もちろん、泊まりなくずっと歩き通したわけではなかろうが、よほど信念がなければこんな手間は選ばない。源内のエネルギーの源に、もしかしたら本当に鰻があったのではと思えなくもない。

源内の一族は信濃の出とのこと。彼は、近くに小豆島をながめる、讃岐の志度湾沿いに生まれた。出自の自負か、海への進展に関心は薄かったように思われる。むしろ、細部に真実が宿るといった考えの持主だったのかもしれない。

今日は「海の日」なれど、源内と結びつくのは、日本の南の海で産れた<鰻>くらいしかないようだ。

2015年7月19日日曜日

梅雨明け 2015 / 「武蔵国とは何ぞや」

こんなに晴れて、これだけ暑けりゃもう充分。ついにというか、とうとう「関東甲信」も今日、<梅雨明け>したとみられると気象庁が発表した。平年、昨年とも<梅雨明け>は7月21日だったので、今年は2日程度前倒しになった。例年並みというべきか。

(本ブログ関連:”梅雨明け”)

今日の気温は、Weathernewsの近在の観測点で、34.7℃だったので、30℃以上の「真夏日」だが、35℃以上の「猛暑日」には及ばなかった。それほどの熱気と湿気の一日だった。


講演会: 「武蔵国とは何ぞや」
地元で、「武蔵国とは何ぞや - その成立と変遷」(川口順啓氏)の講演会があった。元鉄道会社役員をした方の談話で、地名について漠然と思っていた日頃の疑問を整理する良い機会に恵まれた。

気になる話題をピックアップすると。
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・武蔵国(むさしのくに)の名の由来は不明。「大宝律令」(701年)の頃成立している・・・(万葉仮名表示による)「牟邪志(むさし)」、「胸刺(むさし)」、「知々夫(ちちぶ)」が統合されたもの。

・「武蔵国」は、奈良時代末期に、「」で示される地域単位の、「東山道」(東北~関東~中部(内陸)~関西)から「東海道」(伊勢~関東~中部(海側))に編入された。

・群馬県、栃木県の一帯を、「毛野国(けぬのくに)」(「毛」=一毛作、二毛作に通じる産物の豊かさを示す)と呼んだ。これを二つに分け、「上毛野(かみつけぬ)」、「下毛野(しもつけぬ)」としたが、国名を2文字制限することから、「上野」(かみつけぬ⇒こうずけ)、「下野」(しもつけぬ⇒しもつけ)となった。ちなみに、都に近い方を「上」、遠い方を「下」と区別した。

(本ブログ関連:「下野」 ⇒ ”(資料) 那須野の殺生石”、”玄翁(げんのう)”)
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その他、地名の変遷について、関東、江戸・東京だけでなく、全国各地について、旧国名の付いた鉄道線名まで興味深い話をされ、しばらく外の熱気を忘れさせていただいた。

2015年7月18日土曜日

「夏の思い出」

子どものころ、学校で習った「夏の思い出」(作詞:江間章子、作曲:中田喜直)は、唱歌と違って合唱コンクールに歌われるような、教科書的な上品さが気になった。それが、何年も何十年もたつうちに、この曲から、湿原の夏風と陽のまぶしさを、あたかも居合わせたかのように感じられるようになった。少なくとも、おじさんの心に自然に馴染んでいる。

この歌が世に出たのは、Wikipediaによれば、「1949年(昭和24年)6月13日にNHKのラジオ番組『ラジオ歌謡』にて石井好子の歌で放送され」たとのこと。新しい空気に時代を満たしたいという、そんな欲求があったのではないだろうか。

「唱歌・童謡ものがたり」(読売新聞社文化部)を見ると、作詞者の江間章子が、「私は疎開から戻ってきたばかり、内幸町のNHKに呼ばれて、『荒廃した国土に暮らす日本国民に夢と希望を与える歌を流したい』と協力をお願いされました」と語っている。作詞のヒントになったのが、彼女が終戦の前年、1944年に群馬県片品村で見た水芭蕉の花だったという。この本には、作曲者の中田喜直、「ラジオ歌謡」で歌った石井好子の思いで深い話しも載っている。

(本ブログ関連:”「唱歌・童謡ものがたり」”)

(Youtubeに登録のTVTBCに感謝)

2015年7月17日金曜日

接続

男女が語り合うのに、歌や文を届ける古風な時代もあったが、技術の進歩に合わせて、電話やネット・メールで交わすようになった。モデムを使ったパソコン通信時代に、チャットで見知らぬ出会い楽しみ胸をときめかした人もいたようだ。

そんな男女が成就するかは、直接の出会いで確認するしかないけれど、そこにも物語は生じる。戦争という不幸な時代を経て知る、映画「哀愁」やラジオドラマ「君の名は」に、もしかしたら人々は浄化を求めたのかもしれない。でも、時代が下れば、ハッピーエンドをどうしても期待したくなる。

ところで随分以前のこと、ハリウッドばりのアクションシーンに目を見張らされた韓国映画「シュリ(쉬리)」に主演したハン・ソッキュ(한석규)の姿を、(多分NHK)テレビで放送された映画「接続(접속)」で見つけた。いってみれば男女のすれ違いを描いたものだ。チャットを使うシーンがあって、時代の先を行ってると思いつつ 見た。その中に、気になる女優がいた。おでこの可愛い華奢な感じする(今や最高の実力派)チョン・ドヨン(전도연)である。彼女のデビュー作品だった。

物語の展開で、いつのまにか主人公が変わってしまったような気がしたが・・・そうなるべきだったのでしょうね。(鈍感なもので)

ヘラルド経済の記事「二十歳になったミョン・フィルム、再び見たい映画の1位は、『接続』」(7/17、イ・ヘミ記者)は、映画「接続」の当時の反響を次のように伝えている。

(本ブログ関連:”チョン・ドヨン”、”ソン・ジイェ”)
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・韓国映画界の発展と共にしてきた映画会社「ミョンフィルム」が20周年を控えている。ネチズンは、ミョンフィルムが残した名作の中で再び見たい映画の1位に、ハン・ソッキュ、チョン・ドヨン主演の「接続」(1997年)を挙げた。

・ミョンフィルムは、去る1日から15日まで、映画前売りサイト「YES24」を通じて、「最も再び見たいミョンフィルムの映画」アンケート調査を進めた。

・合計2,332人が応募した中で、映画「接続」が363票で最も多い票を得た。1997年に封切りした「接続」は、パソコン通信で出会った男女の話を扱ったミョンフィルムの二番目の作品で、その年最高の興行記録を立てた意味のある作品中の一つだ。特に、メイン・テーマ曲だったSarah Vaughanの「A Lover’s concerto」が大きく人気を呼び、OSTアルバム販売量80万枚という空前絶後な記録を立てた。

(以下、2位「共同警備区域JSA」(2000年)339票、3位「建築学概論」(2012年)290票について語られている)
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(Youtubeに登録のMIRUCAFEに感謝)

2015年7月16日木曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 三伏

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/8)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、夏の最も暑い時期、旧暦6月から7月の間に入る雑節「三伏삼복)」に関わる3曲を紹介した。

始めに、雑節「三伏」の字義と、それに関連する諺(ことわざ)について次のように紹介された。
・「三伏」は、夜が最も短い「夏至」から、2~3週間経つと初伏。その十日後が中伏、秋が始まる立秋が過ぎると末伏の三伏を指す。三伏の「伏」は、伏せるの意で人が犬のように伏せる姿に見える。また、あまりに暑いので秋の気運が伏している意もある。三伏の暑さに牛の角も曲がるとか、唇についた飯粒も重く感じるといった諺もある。今年の初伏は7月13日だ。

▼ 笛テグムとソグム、ピアノなど演奏の「太陽を呑み込む(태양을 삼키다)」を聴く。ケーナの乾いた雰囲気する今様だ。

次に、三伏の時期、魚獲りを題材にした歌「フィモリ雑歌 六七月(휘모리잡가 육칠월)」について次のように紹介された。
・三伏の暑さは、農作物にとって最適で、稲は三伏に歳を取るという。暑いから不満と思うわけにはいかない。暑さを乗り切るため、昔は渓谷に足をひたしたり、海辺の砂で体を温めたりした。熱を熱でもって治める方法だ。鶏肉を蒸した参鶏湯(삼계탕)やスイカを食べたり、川辺で魚を獲り直ぐに食べたりした。晴れた日より曇りの日に魚がよく獲れる。「フィモリ雑歌 六七月」には、両班にもかかわらず職も無く遊び暮らす、閑良(한량)身分の男が登場する。ある曇った夏の日、閑良は魚を獲り、通りがかった男の子に、魚を家まで運び、調理しておくよう伝えて欲しいと頼む。男の子は口をとがらせ、自分も雇われ人で、できるか分からないと答える。そんなやり取りをユーモアに歌う。

(参考:”キム・ウンハPDの音楽喫茶”に感謝)

▼ 歌「フィモリ雑歌 六七月」を聴く。語りに節を付けたようで素朴な感じする。パンソリよりは少しだけ具体的。

最後に、ソンビの体面と、あるときそれを越える話題について次のように紹介された。
・身分制社会では、暑さをしのぐ方法も身分によって違った。体面を保つことを自分の命より重視したソンビは、どんなに暑くても服を脱ぐことはなかった。ただ、扇子をあおぎ、読書したり詩作した。音楽の演奏や鑑賞もそのひとつだった。
・成大中(성대중、1732年~1809年)に、洪大容(홍대용)の別荘<留春塢(유춘오)>で開かれた音楽会の記録「記留春塢樂會」がある。洪大容はカヤグムを、洪景性(홍경성)はコムンゴを、李漢鎭(이한진)はテュンソを取り出すことから始まる。弦楽器ヤングムや、鳳凰を象徴する管楽器センファンも登場する。歌を歌う者の姿、また上座に座った年長者の様子もある。馳走と酒、多様な楽器の演奏、雰囲気も真っ盛りになる。すると、年長の金用譲(김용겸)が急にお辞儀をした。素晴らしい音楽を聴かせてもらい、年長の自分が辞儀をするのは当然なことではないかといった。

▼ ソンビが風流を楽しむ曲「短い霊山会上(짧은 영산회상)」を聴く。悠然とすれば自ずと時と風は通り過ぎる感じ。・・・<この曲は元々仏教音楽に由来する>とのこと。

(参考: ”トゥルムェ文学(들뫼 문확)”に感謝)

2015年7月15日水曜日

冥王星への接近

NASAの探査機「ニューホライズンズ」が撮影した、冥王星の鮮明な画像が公開されている。<接近するニューホライズンズから見た冥王星の光景>として、<約10年をかけた30億マイルの旅、最後の一週間に、ニューホライズンズが見た冥王星の一連の光景>を見てみよう。

見事なハート模様。随分白いので、氷原だったらおもしろい・・・サンタの村発見!何てのはどうだろうか。脇にクジラの頭もあるようだが。探査機ニューホライズンズはこのまま通り過ぎて、カイパーベルトを目指す。

(本ブログ関連:”ニューホライズンズ”、”NASA”)

イ・ソンヒ所属事務所「フックエンターテインメント」の拡張

イ・ソンヒは、昨年デビュー30周年を記念して、ソウルおよび全国のコンサートツアーを成功裡におさめた。昨年の主な活躍についてまとめたものを、本ブログの次の関連先に記載した。

(① 本ブログ関連:”(まとめ)2014年のイ・ソンヒについて”)

結果、彼女の所属事務所フックエンターテインメント(후크엔터테인먼트)の業績にも大きく貢献したことはいうまでもない。

(② 本ブログ関連:”(資料) 昨年(2014年)のイ・ソンヒ所属事務所の業績)”、”フックエンターテインメント”・・・ちなみに同事務所は現在、社員募集中のよう)

同事務所は、歌手として彼女の次代を担うイ・スンギが、俳優としてドラマ「チェオクの剣(茶母)」、「イ・サン」などで主演したイ・ソジンが所属している。

今回、同所属事務所の業績が好調なことから、ソウル特別市江南区の清潭洞に150億ウォンの不動産を購入するという。クッキーニュースの記事「イ・ソンヒ - イ・スンギ所属事務所*、清潭洞に150億ウォンの不動産買い入れ…昨年(2014年)だけで110億ウォンの収益*」(7/15、イ・ウンジ記者)で、次のように報じている。

(*)「昨年(2014年)だけで110億ウォン収益」について、上記「② 本ブログ関連」情報では、「金融監督院によれば、フックエンターテインメントは、昨年(2014年)の売上高が159億3,500万ウォンで前年対比61.8%増加した。営業利益は、46億8,000万ウォンで218.1%増えた。」(=JOBKOREAの”후크엔터테인먼트”情報と一致)とあり、預かり知らぬ隔たりがある・・・他業務部門として不動産、金融資産などがあるのかもしれないが・・・記事にちょっと心配する。

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・歌手イ・ソンヒ、イ・スンギなどが所属するフックエンターテインメント(代表クォン・ジンヨン)が、ソウル、清潭洞に約150億ウォン相当の不動産を購入した。

・15日午後のスターニュースは、「フックエンターテインメントが、最近清潭洞に位置する某化粧品会社所有のビルディング(地下2階、地上6階、延面積2380㎡)を買収した」と報道した。報道によれば、フックエンターテインメントは、去る2004年にクォン・ジンヨン代表が購入した清潭洞に所在の社屋で、新しく購入したビルディング*に社屋を拡張する計画だ。

(*)隣接建物なのだろうか?

・フックエンターテインメントの清潭洞の不動産購入は、今回が三回目。去る2011年にも清潭洞所在の5階ビルディングを約100億ウォンで購入した。現在は時価140億相当と伝えられる。

・フックエンターテインメントは、去る2002年クォン・ジンヨン代表が設立した会社で、歌手イ・ソンヒが社内理事で在職中であり、イ・スンギ、イ・ソジンなどが所属する。昨年だけで110億ウォンの純利益を出すなど良い結果を出している、充実した所属事務所だ。
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JOBKOREAのフックエンターテインメント(후크엔터테인먼트)情報から、「企業沿革」を転載。
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2002年07月02日 公演企画アップを目的とし代表取締役イ・ソンヒによって
・ソウル鍾路区東崇洞1-94大学路ライブ劇場地下3階の所在地に設立(払込資本金50百万ウォン)

(本ブログ関連:”イ・ソンヒと小劇場とフックエンターテインメント”)

2004年06月22日 商号(社名)を「(株)フックエンターテインメント」に変更
代表取締役イ・ソンヒ辞任、クォン・ジンヨウン就任
本店をソウル市江南区清潭洞104-15番地に移転
2009年03月03日 不動産賃貸業音楽著作権管理業」を事業目的に追加
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2015年7月14日火曜日

冥王星フライバイ

今晩、太陽系惑星の果て、準惑星の冥王星にNASA探査機ニューホライズンズが最接近(フライバイ)する。

(本ブログ関連:”ニューホライズンズ”、”NASA”、”探査機”、”衛星”)

フライバイ時刻は、日本時間14日午後8時49分57秒(米:14日午前11時49分57秒)。といって、夜空を見上げてもわからぬ遥か彼方のことだが、夢はふくらむ。今夜の経験で、将来の宇宙研究者になる子どもたちが生まれることだろう。これは、もっと楽しいことだ。ニューホライズンズは確実に種を撒いた。

NHK NEWSwebは、「NASAによりますと、探査機が14日夜、冥王星への接近に予定どおり成功したかどうかが分かるのは、およそ13時間後の日本時間15日午前で、さらに最も接近したときに撮影した画像が地球に届くのは、16日の未明以降になります。」と報じた。

さて、冥王星の表面模様(AstroArtsによると、クジラ、ドーナツ、ハート)の詳しい様が観測されるのが待ち遠しい。氷の星か? 強風の星か? 砂漠の星か? 一体どんな星なのだろう。

毎日新聞の「余禄」で、「▲ニューホライズンズはその後太陽系外縁の天体を観測し、搭載メモリーに人類からのメッセージを記録させて太陽系の外へ旅立つ。中には冥王星の発見者(米国の天文学者C・)トンボーの遺灰の一部も納められている。」と語られている。遺灰と魂は別のものといわれるが、そうじゃない、ニューホライズンズに納められた遺灰は、この天文学者の魂だ。託されたものだと思ってしまう。

探査機の孤独な旅程に人間味を感じる。ボイジャーのことも、はやぶさのことも忘れちゃいないよ。(日本人は機械にも魂を感じる)

2015年7月13日月曜日

とりあえず地元は「猛暑日」

今日は暑かった。そして思いっきり汗をかいた。家に帰ればまるで恒温槽。陽が沈んでも熱気はおさまらない。Weathernewsによると、近在の観測地点の最高気温は、35℃(午後2~3時)まで達したという。やった!地元、今年最初の「猛暑日」だ。

気象庁の用語説明(「ホーム」>「知識・解説」>「天気予報等で用いる用語」>「気温、湿度」)を参照すると、最高気温によって日を次のようにクラス分けしている。

             日最高気 ≦ 25℃(「夏日」) ≦ 30℃(「真夏日」) ≦ 35℃(「猛暑日」)

人間の心は不思議なもので、せっかくここまで暑いのなら「真夏日」よりも、「猛暑日」の方がよいと思う。何もある訳ではないのだけれど。エアコン苦手の私は、除湿機能を入れたり消したり繰り返している。

いずれ、日最高気 ≦40℃ の事態もあるやもしれず、そのときは「熱帯日」とでもいうのだろうか。

2015年7月12日日曜日

イ・ソンヒ「ヒマワリ」

近くにあるこじんまりとした農地に、例年ひまわりの種が撒かれ、次第に成長して畑いっぱいに黄色の花を咲かせる。黄に塗られた景観に、素人考えだが、苗どきに間引きなど調整をしなかったのではないかと思うほど密だ。畑を埋める黄色い花のにぎやかさに誘われて、幼い子どもと一緒に写真を撮ろうと親子連れが集まって来る。

太陽の光を浴び、熱い風に身を任せ揺れるひまわりの佇まいを見るとき、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが主演した、映画「ひまわり(I Girasoli)」(1970年日本公開)で、(物語上)ウクライナの大地に広がるひまわり畑の光景が浮かぶ。人の歴史も悲しみも知らず、ひまわりの花は、自然のままに畑を黄色に染める。それに感応する者に、自身が自然の存在であることを知らせる。そして、永遠に続くものにこそ託すべきものがあることに気付かせる・・・癒えぬことのない悲劇に対置して、ひまわりの意味が描かれているようだ。

以前、ソウルの音楽ショップで購入した、8090の中高年向けアンソロジーのCD全集に、音楽グループ「ひまわり해바라기)」の歌が入っていた。残念ながら彼らの代表曲「愛のままに(사랑으로)」 (1989年)が選ばれてなかったが。ひたすらに未来を信じる若者たちの純な心する作品で、その点において、なんとも郷愁を誘われる。(Youtubeに登録のpops8090にいつもながら感謝)

さて、イ・ソンヒについても、14集に「ひまわり(해바라기)」(2009年)の歌がある。女性らしい愛の心残りを揺り戻すようにして歌う。ドラマチックな展開をする。降りそそぐ愛を永遠に待ち続けるよう(おんな心は難解すぎて・・・)。この作品を含めて同アルバムについて、「安定圏に入った作法とは別に依然として新しいスタイルに対する好奇心が感じられる。歌の感情線もさらに深まった」(ムン・ジョンホ)という評論が聞かれた。


(Tvポットに登録のKnightmareに感謝)

2015年7月11日土曜日

(資料) 韓国の勤労者高齢化

今日は、「世界人口デー」(World Population Day)だ。昨日に続き、以前発表されたものだが、韓国の勤労者人口構成が高齢化していることについて、聯合通信の記事「勤労者も老いていく…昨年平均年齢44.2歳」(2/27、パク・チョロン記者)は次のように報じている。
・勤労者人口が高齢化は、朝鮮戦争(1950年6月25日~1953年7月27日休戦)後のベビーブーム世代(1955~1963年生まれ)の存在と少子化が起因している。
・勤労者人口が高齢化することは、その先に雇用の鈍化につながり、人材問題専門家は、新たな人材需要が発生したとき課題が生じると警告している。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒが合唱団審査委員に立つこと”)

(本ブログ関連:”高齢化”、”ベビーブーマー”)

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- 65歳以上の勤労者、初めて200万人突破
- 就業者の63%が40代以上・・・「労働力不足になる時期くる」

・韓国の勤労者平均年齢が、44.2歳まで高まったことが分かった。

・「四五定(45歳になると定年)」という言葉があるが、周囲を見回せば仕事をする人の大部分が40歳以上の中高年層という意だ。

・(韓国の)ベビーブーム世代(1955~1963年生まれ)が老後の準備のために、定年以後も労働市場を離れないばかりか、人口高齢化が進んだ余波だ

(本ブログ関連:”ベビーブーム世代”)

・(2月)27日、統計庁「経済活動人口調査」を基に、年間勤労者の平均年齢を集計した結果、昨年の勤労者平均年齢は44.2歳で、1年間に0.2歳増えた

・1999年に初めて40歳代に入った勤労者平均年齢は、2004年41.1歳2006年420歳2010年43.1歳など引き続き上昇した。

・勤労者平均年齢は、40年ぶりに8歳ほど多くなった。1974年平均年齢は36.3歳であった。当時は、30代青年層が勤労者の大部分を占めた。

・ここ数年間、勤労者が急速に老化したのは、最も大きい人口集団であるベビーブーム世代が仕事を止められずにいるためだ。 老後の備えが不充分なこれら世代勤労者数は20代青年層をふわりと跳び越える。

・昨年、20~29歳の就業者は362万5千人で、前年より5万6千人増加した。同じ期間に、55~64歳の就業者は406万2千人で、1年間に28万4千人も増えた

・昨年には、65歳以上の就業者数が史上初めて200万人を越えた。 去る2000年、100万人だった高齢層勤労者が14年ぶりに2倍になったのだ。

・雇用は青年層より、壮年と高齢層中心になされている。

・昨年一年間に増加した就業者53万3千人のうち、55歳以上が73%を占めた

・就業者数が最も多く増えた区間は、55~59歳(18万8千人)であり、65歳以上(10万5千人)、60~64歳(9万6千人)が後に続いた。

・青年層である25~29歳の就業者は、2万5千人減り、30~34歳は1万2千人増に終わった。

・労働市場の主軸は、すでに40歳以上の中高年層に移動した。

・就業者数で、40歳以下が占める比重は、1980年に61%だったが昨年は37%に低下した。 反面、40歳以上は39%から63%に拡大した

・ベビーブーム世代の高齢化少子化せいで、今後勤労者平均年齢はさらに高まって雇用増加傾向も持続的に鈍化すると展望されている。

・イ・シギュン韓国雇用情報院人材需給の予測センターは、「ベビーブーム世代が活躍する期間は雇用指標が良いですが、彼らがさらに歳を取って労働市場から抜け出始めると問題が深刻化するだろう」と憂慮した。

・イ・センター長は、「少子化と高齢化が今の水準で持続するならば、(新たに)追加で発生する人材需要を満たす労働力が不足するようになる時期が来ることであり、この時期には経済成長も持続可能でない可能性が大きい」と話した。
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2015年7月10日金曜日

(資料) 韓国統計庁「世界と韓国の人口現況・展望」 2060年に向けて

将来を予言することはできないが、かなり精度の高い予測に人口動態推計がある。歴史は人口の船に乗って動く。明日、7月11日は「世界人口デー」(World Population Day)だそうだ。

中央日報の記事、「韓国、2060年には『最も老いた国』…人口の40%65歳以上」(7/97/9:キム・ミンサン記者) は、「統計庁(통계청)が国連統計を基礎に作成して8日に発表した『世界と韓国の人口現況・展望』」によると、「人口500万人以上の国の中で」、45年後の韓国が高齢者世界になると次のように報じている。(抜粋)

韓国は、日本と比べて、高齢化(生産可能人口、高齢者扶養)と少子化(出生率)が今後大きな課題となる。現在20歳の両国若者が直面する課題だが、実感をもって受け止められるだろうか。

(本ブログ関連:”高齢化”、”ベビーブーマー”)

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・2060年の韓国人口の10人中4人は、65歳以上の高齢者になる・・・出産率が低い上に高齢化のスピードは、ますます加速している
今年5100万人である韓国の人口は、2030年に5,200万人とピークに達して2060年には4,400万人に減少する
・全体人口で65歳以上の高齢者が占める割合は急激に高まる。今年13.1%である65歳以上の人口比率は、2060年には40.1%に高まる

・調査対象201(?)カ国中、高齢者の人口比率順位は、今年の51位から2030年は15位、2060年には2位に上がる・・・(1位は人口の少ないカタール)

働くことのできる生産可能人口(15~64歳)対比の、高齢者人口も急激に増加する・・・今年15~64歳の人口100人が扶養しなければならない65歳以上は、17.9人で全世界54位

・人口問題を解決するためには、出産率を引き上げなければならない
1990~95年に韓国(1.67人)よりも出産率が低かった日本(1.48人)は、2010~2015年には1.41人で韓国を上回った日本の高齢者人口の割合は2030年まで世界1位(30.7%)を記録するが、2060年には韓国よりも低い6位(36.9%)に下がる
・KDI国際政策大学院のチェ・スルギ教授(人口学)は・・・「短期的には移民拡大などを検討すべき・・・(長期的には)女性の就職率を高め退職年齢を引き上げなければならない」と提案した

・一方、世界の人口は、2015年73億2,000万人で、2060年には99億6,000万人に増加する見通し・・・今年、世界で人口が最も多い国である中国は、2028年にはインドに世界1位の座を譲ると予想
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2015年7月9日木曜日

イ・ソンヒのファン

亜洲経済の記事「【韓流スターCEO列伝3] ソルト イ・ウンヨン取締役」(7/8、キム・ウンハ記者)に、SALTエンターテインメントのイ・ウンヨン(女性)取締役が、学生時代にイ・ソンヒのファンだったと次のように語っている。(抜粋)

(本ブログ関連:”ファン”)
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・学生時代、かなり勉強をハードにしたが、理由が何だか分かります? 歌手イ・ソンヒさんです。高校の時からイ・ソンヒさんのファンなのですが、当時、(イ・ソンヒの)『私は歌を一生懸命するつもりなので、学生さんは勉強を熱心にしなさい』という言葉に勉強をしたんです。
・・・
・(女優パク・シネが所属する、)塩を意味する会社名ソルト(SALT)は、シェアリング(Sharing・分かち合い)、アミューズメント(Amusement・楽しい)、ラブ(Love・愛)、トラスト( Trust・信頼)の頭文字を取ったもの。
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KBS WORLD「国楽の世界へ」 時調

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/1)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、定型詩「時調시조)」に関わる3曲を紹介した。

始めに、時調の詩形式と、時調による歌について次のように紹介された。
・時調は、高麗末期に完成し、朝鮮時代に流行った。45文字内外で作られ、初章(초장,)、中章(중장)、終章(종장)の3章から成る。基本的に、各章は3または4文字の2句で構成され、3章6句と呼ぶ。時代とともに字数を増やしたものもある。時調は文芸であり、歌(管弦楽に合わせて歌う歌曲(가곡)が代表的)である。

▼ 愛する人と別れを名残惜しむ女性歌曲「平弄(평롱)」から、「北斗七星북두칠성)」を聴く。なぜか煌びやかに聞こえる。

次に、時調による代表的な歌「ノレッカラク(노랫가락)」の成立について次のように紹介された。
・時調は、新羅時代の「郷歌향가)」や高麗時代の歌謡から影響を受けたという。歌詞は簡潔で深い意味がある。朝鮮時代初期、ソンビにより厳格で教訓的な詩が作られた。その中期、妓女も加わり、男女の愛の詩が多くなる。後期には、庶民の暮らしを表現した詩になる。歌の形式も歌曲より自由で民謡のリズムに合わせたりした。歌のリズムの意の「ノレッカラク」が代表的な時調で、妓女黄真伊(황진이)がソンビ李渾源(벽계수)との別れに作った。水が海に流れると元には戻れない、だから月の明かりが照らすうちに留まっていくよう勧めている。この歌に明月(명월)の名が登場するが、黄真伊を指したもの。
・昔、ソンビが楽しんだ歌曲や時調などの歌は「ノレ(노래=人の声)」といい、一方、庶民が楽しんだパンソリや民謡などの歌は、「ソリ(소리=人の音)」と呼ばれた。民謡「ノレッカラク」は、時調に民謡のリズムを付したものといえる。テーマを定めず、その都度多様な時調を繋ぎ歌うのが特徴。時調の歌詞は簡潔ながら、しっかりと意味を含むため、今も多様な形で歌われる。

▼ 京畿地域の民謡「ノレッカラク」を聴く(リンク先解説に感謝)。旋律は聞き慣れたよう、世俗的な響きもする。

最後に、朱子学の原理主義者宋時烈(송시열)の時調「青山島自ず自ず(청산도 절로절로)」について次のように紹介された。
・宋時烈は儒学者で、宋子と呼ばれ、自然と共に生きよとした。

▼ 青山島の自然を歌った、山や水が自然のように道理に従って生きるという「青山島自ず自ず」を聴く。今様に歌う。

2015年7月8日水曜日

(雑談) 歌詞カード

昔、流行り歌のLPレコード盤は、歌詞カードと一緒にジャケットに入り、曲解説はジャケットの裏に印刷されていた。LPはサイズ(31.5×31.5cm)があるので、充分大きな歌詞カードや解説ができた。また、(ミサ曲のような)重厚なクラシック音楽の場合、レコード盤が複数枚となり、箱型ケースに解説冊子と共に収まったりした。CDになってからは、その習慣がサイズに合わせて簡略化される傾向にあるようだ。

(本ブログ関連:”LPレコード”、”歌詞カード”)

余談だが、中学時代、友人の家で見たクラシック(それもオペラの)の古びたSPレコード盤が、山のように積まれていたのを思い出す。そのとき、(クラシック総譜冊子)スコアを初めて見た・・・各パートのポイントにマーキングまでしていたので驚いた。

ところで、韓国では歌謡曲歌手の全集CDに、歌詞カードが付いていないことがある。安価のせいもあるが、若者たちにはダウンロード販売が主流のようだし、中高年には孝行ラジオという数千曲をSDカードに収めたミニラジオが売られたりした。ダウンロード時代に、歌詞カード無しという習慣が定着しているようだ。

音楽をネットで購入したことがない。調べてみると、ダウンロードでは歌詞カードが、当然?ながら付いていない・・・ツールを使えば補うことができるというが、どんなものだろう。

それより、歌詞カードがなくていいのか、なぜ活字で歌詞を読まないのか気になる。文字を通して、或いはその行間に、イメージをふくらませることができるというのに。例えば、こんな経験がある。中島みゆきの歌詞集の単行本を読んでいたら、紙の上にある歌詞が、いつもの歌とは違って、独立した世界を作るのに気付いた・・・文字世界に入り込んでしまったといっていいかもしれない。

最近のPOP作品は、音作りが先で、後から歌詞を付けることが多いそうだ。そのため、言葉が楽器化しているといわれる。それぞれの言語が持つ固有のスタイルに合わせてこそ、音楽空間の共有が深く厚くなるのではないかと、おじさんはため息つく。

(参考: オリコン記事 「音楽における『歌詞』の重要性が低下? メロディとの親和性や語感を重要視」(4/24))

そういえば、遠に吟遊詩人も門付けもいない。

2015年7月7日火曜日

七夕、小暑 2015

今日は「七夕」、かつ二十四節気の「小暑」である。あいにくの曇り空、ときたま小雨がぱらついた。織女と牽牛の、年に一度の再会がどうなるか気掛かりだ。

(本ブログ関連:”七夕”、”小暑”)

今年の<関東甲信>の「梅雨入り」は、平年と同じ6月8日だった。一方、「梅雨明け」は平年7月21日なので、今週いっぱいに明けそうもない。

おまけに、南の海で台風が次々と発生して、北上に従って湿気を大量に運んでくるという。

今晩、帰り道で空を見上げても、星明りはなかった。ただ、小雨が止み道が乾いていたので一安心。

2015年7月6日月曜日

なでしこジャパン

FIFA女子ワールドカップ2015(カナダ バンクーバー)の決勝戦は、日米両チームで行なわれた。惜しくも、5-2の結果になったが、多くの子どもたち女子サッカー選手に素晴らしい贈り物をしてくれた。

(本ブログ関連:”なでしこ”)

テレビインタビューで語った宮間選手の「日本の女子サッカーをブームでなく文化にしたい」という言葉に深く感銘を受けた。

若い命につづくものほど美しいものはない。

ニューホライズンズ

正直、何~んにも知らなかった。2006年に打ち上げられた、(太陽系外縁天体)カイパーベルト・ミッションのNASA探査機が、7/14に、(惑星仲間から外されたあの)「冥王星」をフライバイ(接近通過)して撮影する。

「冥王星(Pluto)」の名は、ローマ神話の地獄神だそうだ。ポパイの敵役「Bluto(Brutus)」とは違う。日本語名「冥王星」は、星についての随筆家野尻抱影の名付けという・・・昔、同氏がご近所にいらしたが、子どもだったので気難しげなおじさんにしか見えなかった。子どもなんて、そんなものだ。

この探査機「ニューホライズンズ(New Horizons)」、どこかで聞いたような名前だが・・・中学の英語教科書「New Horizon」ではない。(私の中学時代の教科書は、開隆堂「Jack and Betty」だったけれど)

NASAによれば、冥王星は、48億Km(3億マイル)離れているため、電波(光速)で片道4.5時間かかる(ラウンドトリップで9時間)。また、お騒がせの故障は原因解明されて今後に支障ないそうだ。

いかにも今様で、Appleのコマーシャルような、NASA紹介「New Hrizons's Mission」ビデオを見よう。
音楽は、X Ambassadorsの ”Renegades” とのこと。


(Youtubeに登録のNASA.gov Videoに感謝)

2015年7月5日日曜日

梅雨

実りにつながるとはいえ、「梅雨」を曲名に含む歌は少ないようだ。ネットの「歌詞サーチ」を見ると、曲名に「梅雨」を入れたものは4曲。もっぱら歌詞中(140曲)にとり入れられているのが分かる。

梅雨は背景であって雨の一部、時期を示すものでしかないのかもしれない。梅雨そのものには詩情がわかないのだろう。ちなみに、同サーチで、「雨」を検索すると、曲名1460曲、歌詞中31,397曲となる。「雨」については、アジアモンスーン地域に住むわたしたち日本人好みの気がする。(「晴れ」については、曲名224曲、歌詞中6,137曲だ。)

降っているのか、そうでないのか。窓越しの細雨は、微かに雨音して降り続く。湿気もあって、この雨に寄せるものは豊穣への期待しかないのだろうけれど、都市生活者は、我ながらわがままだ。

雨に、いつものように牽強付会して、イ・ソンヒの9集所収の「雨降る街に立って(비오는 거리에 서서)」(1994年)を聴こう。雨の後は晴れ、夜はやがて明ける、いっときの辛抱。

(本ブログ関連:”雨降る街に立って”)

(Youtubeに登録のkoreanballadsに感謝)

2015年7月4日土曜日

ノウゼンカズラ

通りに面した垣根越しに、「ノウゼンカズラ(凌霄花)」がオレンジ色の花を次々湧き出すように咲き誇らせている。この花を最近よく見かけるようになった・・・実は、古く渡来した庭木だという。

(本ブログ関連:”ノウゼンカズラ”)

夕暮れ時の淡い光に、オレンジ色が一層浮かび上がり目を奪われる。が、毎年繰り返される花の絢爛に、どこか違うものを感じるようになった。花を瀑布に飾るがごとき蔓(ツル)の姿に、鉱物採集の山中でしばしば目にする蔓の強力な生命力が重なる。

蔓はやがて侵食するもの。ノウゼンカズラも、その美しさに反して、いずれ野生の本性を見せるのではないか。果たして、園芸用の植物なのか。それは、艶やか過ぎるものへの、一種の疑心かもしれない。

以前触れたことだが、よく似たオレンジ色の可愛らしい花がある。路地塀の下によく見られる、特定外来植物と指定された「ナガミヒナゲシ」だ。野生の正体を知ってから、不思議なことに、近所で見かけなくなった。

2015年7月3日金曜日

第22回 東京国際ブックフェア

最近、年を飛び飛びに出かけている東京国際ブックフェアに行く。10時過ぎ、埼京線の国際展示場前に着いたとき、激しく雨が降っていた。今日の金曜日に見に行くと宣言したわけだが、こんなに雨降りになろうとは思いもよらなかった。ちなみに、昼過ぎ帰るとき、雨足は一層強まり、まるで夕立の土砂降りのようだった。
ブックフェアは、今日明日の土・日曜日、一般公開される。予想以上に駅から会場の東京ビッグサイトまで大行列だった。会場に至る、雨よけ屋根の通路には人があふれた。

(本ブログ関連:”東京国際ブックフェア”)

目的は2つ。日本の科学読み物の入手と、韓国産鉱物図鑑の情報を入手すること。

目的の前者では、① 鉱物採集でお世話になる、産地情報が載った「鉱物 ウォーキングガイド 関東甲信越版」(松原聰著)。実は、鉱物採集の際、いつもS氏からコピーをいただいてる。同書の旧版は持っているが、なぜか採集場所が、新しい「関東甲信越版」のものしかないのだ。これ以上は申し訳なく思い購入した。 ② アリ(蟻)の社会性からイソップ風の話題探しをしているが、今回、アリ研究者(採集者)の情熱ほとばしる「フィールド生物学 アリの巣をめぐる冒険」(丸山宗利著)と巡りあった。主に東南アジアのアリの生態という本論とは別に、トピックがちりばめられており、その情熱の源も後述されている。拝読が楽しみだ。

目的の後者では、韓国出版関係のブースに押しかけて、<韓国産>鉱物を記載した(一般向け)鉱物図鑑はないものか相談したところ、教育科学技術部(교육과학기술부)(の頃)から「韓国動植物図鑑(한국동식물도감)」のシリーズが出ているので、それに関連してあるかもしれないということだった・・・さっそく調べたが、今のところ未見。

ところで、韓国の鉱物図鑑を探しているとき、ネットに「鉱物·岩石の用語の語源の国際比較研究(광물·암석 용어의 어원에 대한 국제 비교 연구)」(イ・チョンジ他、2011年)があり、付録に鉱物と岩石名称について、韓国語・朝鮮語・中国語・日本語・英語の一覧が載っている。

韓国のブースで、文学と縁遠いけれど、長編小説「なき王女のためのパヴァーヌ」(パク・ミンギュ著、吉原育子訳)を、勢いで求めてしまった。さて、どんな風に読んだらいいものだろうか。

2015年7月2日木曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 機織りの歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/24)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、機織りに関わる3曲を紹介した。

始めに、機織り仕事で女性が歌った「機織り歌(베틀가)」について次のように紹介された。
・昔、機織りして布を作り、縫って服を作ったが、女性の仕事だった。年に一度、七夕の日にだけ出会う、彦星と織姫の伝説で、彦星は農作を、織姫は機織りをする。新羅時代に、女性が二組に分かれて機織りを競った。一ヵ月間競争をして、勝敗を決めた。負けた方が酒や馳走を用意して、勝った方をもてなした。現在の「秋夕(추석)」の由来という説もある。
・昔、女性は、大家族のため毎日三食の膳立ても大仕事だった。食事の準備から家事、畑仕事までこなし、夜には機織りした。夜なべのため歌が、多様な民謡となり伝わった。糸を織りあげる織機をベトル(베틀)と言い、その仕事歌を「機織り歌」という。

ヘグムカヤグムコムンゴ他の演奏「機織り歌」編曲を聴く。回転の音、軋む音、仕上がる音が掛け合う、今様である。

次に、機織り歌の歌詞内容には、婚家への嫁の様々な思いや、噂話が歌われていると次のように紹介された。
・機織り歌の歌詞内容は様々だ。嫁入りした先の暮らしが大変で、愚痴をこぼす内容などで、姑の悪口や、親に対して貧しい家に嫁がせたことを恨むもの。親元を思うように訪ねられぬ自分を嘆くものがある。また、色々な噂を組み合わせたものもある。結婚を控えた男が、予め嫁の実家を訪ねると、嫁になるはずの女に既に赤ちゃんがいるのを目撃して、男は黙って帰ってきてしまうという内容の歌がある。

▼ 慶尚北道醴泉地域の「麻をより合わせて繋ぐ歌(삼삼는 소리)」の一部を聴く。同じ旋律を繰り返し、語るよう素朴に歌う。

最後に、糸車を回しながら歌う「糸車打令(물레타령)」について次のように紹介された。
・同じような噂話があって歌ができたのだろう。口から口へと伝えられ、誰かがリズムを付け、歌になり、ストーリーの主人公より歌が注目を浴びるようになった。やがて、それが民謡となった。機織りしながら歌う歌は、母から娘へと歌い継がれた。母の歌を娘は寝耳で聞いたのだろう、嫁に行ってからは、自分も同じように歌った。その時になってようやく、どうして母がこの歌を歌ったのかが分かるようになった。

▼ 「糸車打令」(歌詞)を聴く。ゆたりと聞こえるが、糸車はビュンビュン音をたてて回らせたのだろうか。

糸車には、母と娘をつなぐ絆も縒ったようだ・・・とのこと。

2015年7月1日水曜日

笑う門には福来たる

昔のことで曖昧だが、笑いの構造について、「笑い=恐怖+攻撃 」というのを聞いた記憶がある。多分、博物学隆盛の時代の分類学的な観察から出たものだろう。もしかしたら、ダーヴィンとローレンツの考えを、一緒くたにしてしまったからかもしれない。

とはいえ、何となく分かるような気もする。笑いは、出会いを調整する。まさに初原的な、赤ちゃんの笑い顔に心が緩まぬ人はいない。赤ちゃんにとっては、すべてが新しい世界との出会いである。

(同時に、赤ちゃんは驚きにも笑う ⇒ Youtube「FUNNY BABIES COLLECTION 2」、登録者に感謝)

世間に出て知恵を蓄えた大人になると、笑いもどうやら変質して、嘲笑や恫喝をも含んだものまでになる。その最たるは、いじめ芸を見るときの、もしかしたら人間の最も残酷な笑いかもしれない。

(余談だが、他人に対する最大の敵対表情は<侮蔑>だと、TEDで聞いたような記憶がある)

のどかな笑いは、いいものだ。勘違いによる笑い、無垢な心で本質を指摘されること、そして日常の些細なズレによるもの。とりわけ、生活の中で感じる笑いがいい。

以前、お笑い劇場としてテレビ中継されたものがあった。記憶に残るものに、藤山寛美の新喜劇、大宮敏充のデン助劇団の芝居がある。学校から帰って一人のとき、しょっちゅう見ていたものだ。

エノケンこと榎本健一のお笑い芝居を残念ながらテレビで見ることはできなかったが、ずっと昔に、メリーさん、メリーさんで有名な「最後の伝令」の再現芝居(NTV)を見たとき、腹を捻らせて笑い転げた。

教室で、昔あった韓国のお笑い番組に「笑う門には福来たる(웃으면 복이와요)」があったと聞き、さっそく、Youtubeで見ると、吉本風なアドリブを効かせた、役者たちの素朴な間合いによるもののようだ。庶民にとって身近に感じられる笑いは、浸透力があって、底堅い。