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2015年7月1日水曜日

笑う門には福来たる

昔のことで曖昧だが、笑いの構造について、「笑い=恐怖+攻撃 」というのを聞いた記憶がある。多分、博物学隆盛の時代の分類学的な観察から出たものだろう。もしかしたら、ダーヴィンとローレンツの考えを、一緒くたにしてしまったからかもしれない。

とはいえ、何となく分かるような気もする。笑いは、出会いを調整する。まさに初原的な、赤ちゃんの笑い顔に心が緩まぬ人はいない。赤ちゃんにとっては、すべてが新しい世界との出会いである。

(同時に、赤ちゃんは驚きにも笑う ⇒ Youtube「FUNNY BABIES COLLECTION 2」、登録者に感謝)

世間に出て知恵を蓄えた大人になると、笑いもどうやら変質して、嘲笑や恫喝をも含んだものまでになる。その最たるは、いじめ芸を見るときの、もしかしたら人間の最も残酷な笑いかもしれない。

(余談だが、他人に対する最大の敵対表情は<侮蔑>だと、TEDで聞いたような記憶がある)

のどかな笑いは、いいものだ。勘違いによる笑い、無垢な心で本質を指摘されること、そして日常の些細なズレによるもの。とりわけ、生活の中で感じる笑いがいい。

以前、お笑い劇場としてテレビ中継されたものがあった。記憶に残るものに、藤山寛美の新喜劇、大宮敏充のデン助劇団の芝居がある。学校から帰って一人のとき、しょっちゅう見ていたものだ。

エノケンこと榎本健一のお笑い芝居を残念ながらテレビで見ることはできなかったが、ずっと昔に、メリーさん、メリーさんで有名な「最後の伝令」の再現芝居(NTV)を見たとき、腹を捻らせて笑い転げた。

韓国語教室で、昔の韓国お笑い番組に「笑う門には福来たる(웃으면 복이와요)」があったと聞き、さっそく、Youtubeで見ると、吉本風なアドリブを効かせた、役者たちの素朴な間合い(掛け合い)によるもののようだ。庶民にとって身近に感じられる笑いは、浸透力があって底堅いもの。