昔、流行り歌のLPレコード盤は、歌詞カードと一緒にジャケットに入り、曲解説はジャケットの裏に印刷されていた。LPはサイズ(31.5×31.5cm)があるので、充分大きな歌詞カードや解説ができた。また、(ミサ曲のような)重厚なクラシック音楽の場合、レコード盤が複数枚となり、箱型ケースに解説冊子と共に収まったりした。CDになってからは、その習慣がサイズに合わせて簡略化される傾向にあるようだ。
(本ブログ関連:”LPレコード”、”歌詞カード”)
余談だが、中学時代、友人の家で見たクラシック(それもオペラの)の古びたSPレコード盤が、山のように積まれていたのを思い出す。そのとき、(クラシック総譜冊子)スコアを初めて見た・・・各パートのポイントにマーキングまでしていたので驚いた。
ところで、韓国では歌謡曲歌手の全集CDに、歌詞カードが付いていないことがある。安価のせいもあるが、若者たちにはダウンロード販売が主流のようだし、中高年には孝行ラジオという数千曲をSDカードに収めたミニラジオが売られたりした。ダウンロード時代に、歌詞カード無しという習慣が定着しているようだ。
音楽をネットで購入したことがない。調べてみると、ダウンロードでは歌詞カードが、当然?ながら付いていない・・・ツールを使えば補うことができるというが、どんなものだろう。
それより、歌詞カードがなくていいのか、なぜ活字で歌詞を読まないのか気になる。文字を通して、或いはその行間に、イメージをふくらませることができるというのに。例えば、こんな経験がある。中島みゆきの歌詞集の単行本を読んでいたら、紙の上にある歌詞が、いつもの歌とは違って、独立した世界を作るのに気付いた・・・文字世界に入り込んでしまったといっていいかもしれない。
最近のPOP作品は、音作りが先で、後から歌詞を付けることが多いそうだ。そのため、言葉が楽器化しているといわれる。それぞれの言語が持つ固有のスタイルに合わせてこそ、音楽空間の共有が深く厚くなるのではないかと、おじさんはため息つく。
(参考: オリコン記事 「音楽における『歌詞』の重要性が低下? メロディとの親和性や語感を重要視」(4/24))
そういえば、遠に吟遊詩人も門付けもいない。