野鳥観察(探鳥会)で「ホトトギス」は、鳴き声はすれど、その姿はベテランの方の指先にしかない。そこで、ベテランの方がアップした写真を見て姿を納得しても、野鳥図鑑を見るのと同様の感覚になる・・・現場で直に、ホトトギスを見たいのだが。探鳥会に参加しながら、実力はいつまでも低空しか飛べない。
俳諧(俳句)の夏の季語「ホトトギス」について、ブログに繰り返し記してきた。鳴き声を主にして夜に(夜陰に紛れて)とか、山奥に隠れているとかで姿が見えぬことから、元禄の俳諧では、ほととぎすがあえて飛ぶ姿に焦点を与えようとしてきたことを綴った。
(本ブログ関連:”ホトトギス”)
ユニークな経歴を持ち、漱石や子規に傾倒した柴田宵曲(明治30年⁅1897年] ~ 昭和41年⁅1966年])の「古句を観る」*(岩波文庫)の <夏> の項に、夏の季語「ホトトギス(時鳥)」について、下記のごとく解説している。抜粋。
(*)古句を観る: 江戸時代前期の元禄時期の俳諧を対象にしている。
ホトトギスについて
ほととぎすの句は、習慣的に夜を主とするようになってしまったが・・・元禄人は伝統に拘泥せず、昼の句がある。しかし、昼のほととぎすであるにかかわらず、一向、句の表(おもて)に姿を現してない
結局、昼の句に、ほととぎすをとり上げているので、姿を意識(イメージ)するという解釈になったようだ。
<まったくの雑談>