イ・ソンヒの音楽的な才は、伽耶琴(カヤグム)と唱を楽しみ、こよなく彼女を慈愛した祖父、そして声がよく通り、仏教音楽の梵唄(ボンバイ:범패)指導に長くたずさわった父親の影響を大きく受けたようにみえる。
(資料)「梵唄」の解説(「NAVER百科事典」)
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・寺院で主に斎を上げるとき歌う歌。
・「梵音」(ぼんおん、ボムウム)、「魚山」(オサン)とも呼ばれている。仏の功徳を賛美する歌で、「梵唄」は、インドの声という意味だ。荘重で厳粛、「和請」(화청)を除いては声に意味が含まれていないことが特徴だ。
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梵唄、梵音ともいうこの仏教の詠唱を、俗人に果たしていかに聞こえたか。まれに葬儀のときにしか聞かない、仏僧の読経に、意味も分からずいささか眠く惑わしくなる、かも知れない。
昔、中国の唐の時代に、商人が < 玄陰池(げんいんち) > で経験した不思議なできごとも、眠りに誘われてのことのようだ。(岡本綺堂「中国怪奇小説集 宣室志」の < 玄陰池 >)
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商いに出かけた商人が大樹の下で眠っていたとき、一人の僧が現れて、五台山の麓に居をかまえているのでと誘われ付いて行く。大勢の僧が、玄陰池にひたり暑気をしのぎながら、< 梵音 > を始めた。商人は、なかば強引に冷たい水中に引き込まれる。・・・夢が覚めた商人は、元の木の下で、びしょ濡れになって眠っていたのである。(以下略)
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ありがたい梵音も、実は蛙の鳴き声だったというわけだが、単調な繰り返しは宗教的な表現にありがちで、歌であれ動作であれ共通して見られるようだ。(シャーマニズムにおいては、繰り返しの回転、跳躍、あるいは前後の揺すりがあって、ある種境地へ到達する手段のようにもみられる)