イ・ソンヒについて語るとき、ネット記事に「清雅(청아)」という表現を目にすることがある。また、彼女の初期の歌で、3集所収の「清らかな恋(청아한 사랑)」(1986年)のようにタイトルにも使われている。昔風スタイルのイントロは、どこかで聞いたような懐かしさもある。いってみれば、見守る恋の歌である。
日本語の「清雅」は、「きよらかでみやびなこと」(広辞苑)。どちらかといえば日常あまり使わない、みやびな雰囲気する雅語だ。
イ・ソンヒについて一言でいえばということになって、「清雅(청아)」と表現したところ、この言葉は韓国でも余り使わないという。電子辞書に用例として、「清雅な笛の音」(Prime)という表現があった。
彼女のデビュー当時のイメージに、健全さがある。くしくも時代の風潮に適合した。結果として、歌謡界の<女性>を前に出す雰囲気にそぐわぬ女子学生たちに、すぐに受け入れられた。
彼女の、健全さは時代におもねたわけではなかったが、放って置かれなかった。一時期、時代の波に右に左に揺れた。今は、国民歌手として存在を自ら認めているようだ。
彼女の清雅さのベースには、健全さ、健康さがある。デビュー当時、ボーイッシュなと表現されたが、今は少女のような童顔と形容される。これは、彼女とともに時代を経た、現在のアジュンマたち(かつての女高生たち)が求める理想の姿かもしれない。