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2019年4月4日木曜日

母語、イディッシュ語の場合

人は「大地」という言葉を聞くと感情が高まるようだ。洋の東西を問わず、一大叙事詩の舞台となり、長編小説が描かれた。その根底に、「大地」のイメージとして「母なる大地」があるわけで、苦難の中で土地に住み、世代をつなぐ。

言葉についても「母なる言葉」がある。「母語」を指すが、この母語という響きには、母語で語れる自然さと、柔和さを感じる。例えば、日本では、母語はまさしく日本語である。あえていえば大和ことばだろうか。それに対比して、漢語を父語とはいわない。「父たる言葉」が見当たらないのだ。

昨日(4/3)、本を購入し直しに出かけた際、個性的な古本屋があった。若い主人の選択だろうか、書棚が独特に配列されていた。そんな中、たまたま見つけた「エッセイの小径」シリーズの「屋根の上のバイリンガル」(沼野充義著 白水uブックス、1998年2刷)に、著者が米ボストンで(大人向け)イディッシュ語教室へ通ったときの話が紹介されている。

教室の受講は、著者を除いて女性ばかりだったという。なぜなのかと、男性講師にたずねたところ、(ユダヤ人の)「男は普通言葉になんか興味を持たない」という答えだったそうだ。
言葉への関心として、ユダヤ教の経典の言葉であるヘブライ語を学べるのは男だけで、ゆえにヘブライ語を「父の言葉」とか「聖なる言葉」というそうだ。一方、女性が子どもたちに語りかける言葉はイディッシュ語で、「母の言葉(mame-loshen)」と呼ばれた。「マメ・ロシェン」の「ロシェン」は、ヘブライ語で「舌、言葉」にあたる。

「イディッシュ語教室」で使用したテキスト「Colloquial Yiddish」に、このmame-loshenがしきりに出てきたが、一般的な「母語」として了解しただけで、「父の言葉」との対比にまで気付かなかった。(とはいえ、ユダヤ人たるには「母親がユダヤ人」であることが必要だ)