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2019年10月21日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)-3

先週月曜日(10/14)は、祝日の「体育の日」だったため、毎週月曜日開催の市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)」は休講となった。今日、久し振りの受講になる。セミナー会場のある「武蔵小杉駅」に電車に揺られながら向かった。

講座開始前に講師を紹介される方がいつもと違って、別の方がマイクを握った。なんと、いつもの方の自宅マンションが、先日の台風19号により被災して、その後始末に追われて休まれたというのだ。あの武蔵小杉駅周辺を冠水してタワーマンションを麻痺させた騒動を思い出した。

本日の講演のテーマは、早稲田大学名誉教授大内宏一氏による、ドイツを中心に見た「近現代の政治的イデオロギー・運動としての反ユダヤ主義」についてだ。開始前に配られた資料から、内容がヘビーなだけにどうお話されるのか気になったが、淡々としたものだった。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

反ユダヤ主義」に2つある
・1879年にドイツに出現した(宗教的な観点でない)人種的批判として:「反セム主義」
・ユダヤ教に対する宗教的批判として:「反ユダヤ主義」

「反セム主義」による反ユダヤ主義のイデオロギー性(近代化への危機対応・・・「文化闘争」と反「社会主義」)
・「反セム主義」出現以前
   - 中欧・西欧は「ユダヤ人解放」の傾向にあった
   - 東欧・ロシアは反ユダヤ運動(ポグロム:1881年ロシア皇帝暗殺以降)が起った
・1870年代に政府・自由主義派とカトリック教会の「文化闘争」(カトリックは、背後にユダヤ人の存在を疑う)
・1873年の世界恐慌の結果
   - ユダヤ資本に対する反発が目立つようになる
   - 左翼思想としての社会主義政党の拡大とユダヤ人の関わりへの疑心

ユダヤ人が近代化を代表する(目立つ)存在になる
・金融業・商業、大都市集住、高学歴(大学医学部・法学部への高進学率)、高収入
・ジャーナリズム、大手出版社の経営

ドイツにおけるユダヤ人
・19世紀のドイツのユダヤ人は、ドイツに同化したユダヤ人
・彼らは、東欧から流入したユダヤ人に対して、しばしば「よそ者」扱いをした

ユダヤ人に対する様々な流言、憶測および批判
・手続き的な論証スタイルもあった

第一次大戦後のドイツ
・(口頭で語られたが)戦中・戦後のドイツ人餓死者は驚くべき数いた:70数万人(除兵士)
・(語られていないが)ドイツの戦後賠償額は、Wikipediaによれば「総額は1320億金マルク(約66億ドル、純金47,256トン相当)という1913年のドイツ国民総所得の2.5倍という莫大なもの」だった

現代のドイツでのユダヤ人問題
・元々いたユダヤ人はアメリカなどへ渡り、現在のユダヤ人は東欧から来た人たち
・労働移民のトルコ人・難民のイスラム人問題が主となり、ユダヤ人問題は低まる傾向にある

現代のイスラエルに対して
・ドイツでは、イスラエル批判は「反セム主義」のレッテルが貼られる
・一般にイスラエル批判は左派的傾向が強い

(感想)
・説明はなかったが、第一次大戦後のドイツ賠償に、ユダヤ人がどう関わったか興味深い。
・ドイツのユダヤ人と東欧(ロシア)のユダヤ人との関係が一筋縄ではいかないようだ。結果として、ドイツのユダヤ人はアメリカへ移民したのではないか? そして、東欧(ロシア)のユダヤ人こそ「反セム主義」の直接の対象になってしまったのではないか?
以前受講したときに資料で知らされた、ハインリッヒ・ハイネのドイツのユダヤ人と比較して、ポーランドのユダヤ人に対しての思いが想起される。

2019年6月24日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ-10 、地震さまざま

朝方、小さな地震があった。気象庁の地震情報によれば次のように発表された。なお当地は「震度2」であった。
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24日9時11分ころ、地震がありました。/ 震源地は、千葉県南東沖(北緯34.9度、東経140.0度)で、震源の深さは約60km、地震の規模(マグニチュード)は5.5と推定されます。/ この地震により観測された最大震度は4です。 (千葉、東京、神奈川の各都市)
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小雨ぱらつく中、市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ」へ出かけた。第10回の今日、東京大学大学院博士課程の青木良華氏から「近代西欧社会へ参入するユダヤ人:ドイツ・ユダヤ人が見た光と影」の解説をいただいた。

① 18世紀頃から19世紀にかけて、欧州で行なわれたユダヤ人の(伝統からの)解放の動き
・当時「国民国家」が成立する中での、ユダヤ人(ユダヤ教)の自らの変革・解放であった
・国家に対して、ユダヤ教がキリスト教(プロテスタント)と同じ立場に立つことを目的にした
  - 「ユダヤ教は国家に従属する」(ユダヤ教優先する立場からの変更)

② 解放の過程
 ・ユダヤ人が居住する国家の側からきっかけが与えられる
   - 米国で早く、その後ドイツ(プロイセン)、フランス革命後のフランスで始まる

③ ユダヤ人による解放にさまざまな立場があった
 ・キリスト教への改宗
 ・ユダヤ教の改革あるいは伝統を保守すること
  - 改革派: ユダヤ教聖書を批判的に理解
  - 正統派: ユダヤ教改革への反発
  - 東欧での正統派: シュテトル(シュテットルユダヤ人小規模コミュニティー)を基礎とした伝統的ユダヤ教

(本ブログ関連:”シュテットル”)

④ ユダヤ教改革に関わったひとびと
 ・モーゼス・メンデルスゾーン(哲学者)
  - ユダヤ教を独自性のある調和する宗教として説いた
  - 音楽家フェリクス・メンデルスゾーンの祖父
 ・ハインリッヒ・ハイネ(詩人でありジャーナリスト)
  - (ある意味、流浪する文化人のよう)東欧ポーランドのユダヤ人への評価と共感
  - ユダヤ教から、プロテスタント ⇒ カゾリックへと改宗する

④ 社会情勢の変化(三月革命など)にユダヤ人参加とともに、新たな反ユダヤの萌芽
 ・ドイツロマン主義: ドイツ民族意識・・・対立
 ・シオニズム: イスラエルの回帰運動・・・回避

配布資料に、ハイネがポーランドのユダヤ人に触れているところがある。イディッシュ文化の原典(真髄)を知るようでとても納得する。
汚い皮帽子をかぶり、シラミの住みついた髭を垂らし、にんにくの臭をただよわせ、ユダヤことばを話すポーランド・ユダヤ人の方が、いまなお私には札びらの神々しい輝きに包まれた(ドイツ・)ユダヤ人より好ましいのである


(追記)
夕方のTVニュースで、上記の地震報道をまさに解説しようとしたとき、TV画面に地震速報が表示された。一瞬なんのことか戸惑ったが、このタイミングで新たな地震が発生したと理解した(当地では体感はなかったが)。
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24日19時22分ころ、地震がありました。/ 震源地は、伊豆半島東方沖(北緯35.0度、東経139.1度)で、震源の深さは約10km、地震の規模(マグニチュード)は4.1と推定されます。/ この地震により観測された最大震度は4です。(熱海市)
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2019年11月25日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)-7

快調に歩けるようになった。健康体操教室のトレーニングの成果だろう・・・負荷の少ない地味なストレッチ運動中心のおかげか、歩きに疲労感がなくなったのだ。遠くの街で開かれている市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)」へ通いながら実感した。
(ところで帰りの電車で、若者が席を譲ってくれた・・・最近、歳相応に感謝して座るようにしている)

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

今年前期の「ユダヤの歴史を学ぶ(第1部)」(7/8)で 、<アメリカへ渡ったユダヤ人>を解説をされた、東京大学准教授の鶴見太郎氏から「ソ連におけるユダヤ人の生き方」についてうかがった。

帝政ロシア・ソ連時代に、ユダヤ人がどのように生き抜いたかを次のように紹介された。

ポグロム: ロシア革命内戦期に発生したユダヤ人排斥の結果
・ユダヤ人はボリシェヴィキ支持へと傾倒していった
  - 1919年、キエフのチェーカー(秘密警察)の75%がユダヤ人だったという推計も
・一方、ユダヤ人に「シオニズム運動」を招くことになる

ソ連体制下: 民族政策の変転
・帝政時代の居住制限から、ソ連時代の当初、移動の自由があった
  - イディッシュ語(文化)の普及政策
    a.ボリシェヴィキのユダヤ人セクションにいた女性エステル・フルムキン(Esther Frumkin)は忠実に実施
      ⇒ 1940年、シベリアの収容所に送られ粛清される
    b.ユダヤ人自身は、ソ連社会との融和が難しいと判断して敬遠する傾向にあった
    c.ユダヤ自治州(州都ビロビジャン)に定着させる: 防衛上、農業定着
      ⇒ WWⅡ後、3万人に達したが、現在は2,000人程度
・WWⅡ
    a.「ホロコースト」(略)
    b.1942年、西側ユダヤ人に対し、ソ連支援のため「ユダヤ人反ファシスト委員会」を結成
・WWⅡ後
    a.スターリン時代
      ⇒ 上記ユダヤ人反ファシスト委員会関係者の暗殺・逮捕
      ⇒ 反ユダヤ主義の立場から、ユダヤ人の活動を「ブルジョワ民族主義」と呼んだ
    b.スターリン以降
      ⇒ イディッシュ語(文化)の名目上の復帰
・1967年「第3次中東戦争」、アラブ支持のソ連でイスラエル・シオニズム批判が起る
・海外(イスラエルおよび諸外国)への移住希望者が増大
    a.1989~98年、ソ連圏から120万人(内実質のユダヤ人は80万人)が出国
      ⇒ 1970~97年、ロシアから30万人が出国
      ⇒ 1970~97年、ウクライナから42万人が出国

(感想)
イスラエルにおける、ロシア語話者*のユダヤ人が多数いるという。
(*)Russia Beyond「さまざまな情報源によると、ソ連・ロシアからイスラエルに移住した人でロシア語を話すのは、25万〜50万人だ。米フォーブス誌の試算では、2017年時点でイスラエルのロシア語人口は150万だった(同国の総人口は約860万人)」(  https://jp.rbth.com/lifestyle/80162-sekai-no-roshiago-jinkou-wa-dono-kurai )
彼らがイスラヘル移住を決めた理由を知りたい。ソ連時代のロシア人だって大変な経験をしているのだから、ユダヤ人はもっと厳しい経験をしただろう。
東欧のポーランドの田舎町や村(シュテットル)にユダヤ人が多数いたことは、ポーランドやリトアニアの歴史から推察できるが、ロシアにどうして住むようになったのかも知りたい。

2019年5月13日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ-5

先週の今日は、二十四節気の「立夏」だった。気分は初夏だ。寒いのが苦手だったのを忘れて、陽気に誘われて歩き回ったところ、調子に乗りすぎたのか「ふくらはぎ」がつり気味になった。よい天気の今日、用心しながら、市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ」に出かけた。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

5回目の今日は、「『ユダヤ教』とはどのような宗教か: キリスト教と異なる道を歩んだユダヤ教」について、前回に引き続きユダヤ宗教史学者の市川裕氏(東京大学教授)に解説いただいた。

1.ローマに神殿を破壊されて流浪の民となった、ユダヤ人のその後をたどった。
  ① エルサレム神殿の概観(動画や写真を交えて紹介)
   ・ヘロデ王大改造時の神殿の姿と、現在の「なげきの壁」の位置
   ・(現在の旧市街の区割り <ユダヤ教、キリスト教、イスラム教[岩のドーム]> )
  ② ローマによる神殿の破壊
   ・あえて強大なローマと戦ったのは、よほどのことがあった
   ・ローマに残る凱旋門に、戦利品としてのユダヤの燭台のレリーフがある
  ③ ローマとの戦いに敗れた後の「持ち運びできる国家」としてのユダヤ教
   ・ユダヤ人は国を失い流浪の民となりながらも、ユダヤ人として生きた
   ・ラビとユダヤ教は、離散後のユダヤ人として生き方(共通認識)をまとめて示した
     - 神と向き合う生き方: 神とつながればどこででも生きられる
     ー 神の教え(トーラー)を「成文トーラー」(モーセ五書)、「口伝トーラー」(ミシュナ)にまとめた

2.ユダヤ人とイスラム世界の関係が、(欧州のユダヤ観と違って)密接であったことを紹介をされた。
  ① ユダヤ教とイスラム教は、律法主義という点で似ている(連続性がある)
  ② イスラム世界で、ユダヤ人は「啓典の民」として保護され、活躍した

ユダヤ人とイスラム世界の交流について、市川氏が著した岩波新書の「ユダヤ人とユダヤ教」(第一章二節)に、イスラム世界との関係を吟味する必要性が語られている。私たちが知る欧州・中東の歴史が、実は欧州のキリスト教的な歴史観によるものということを気付かせてくれる。(ギリシャ文化の伝播にしても、イスラムのアラビア語翻訳を通じてローマに伝わったのだから)

2019年4月8日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ-1

イディッシュ語の教室が、今年は休講になった。素人学習ゆえ、休止は即=揮発に通じる(忘れてしまう)。そこでユダヤの歴史や文化の理解とからめて、イディッシュ語への意欲を維持できればと願っている。

元々は、ユダヤ人の日常で育まれた庶民らしさに興味がある。作家の描く庶民像はあっても、庶民が口にする素朴な言葉を知る機会が少ないような気がする。あえていえば、少々刺激の強い「ユダヤジョーク」くらいで、そこから大衆らしさを感じたり、その諧謔さの源泉を想像するくらい。風習、因習を詰め込んだ濃縮な共同体について、それもロシア革命以前の古いシュテットルに遡って知れたらどんなに楽しいだろう。

今回、市民カルチャーセンター(生涯学習)の「かわさき市民アカデミー」で、「ユダヤ人、ユダヤ教、イスラエル」の連続講演が開かれるという。講演では、ユダヤとイスラム世界との関係まで含めて歴史をたどることができるようだ。しっかりしたものを知りたく参加した。

(本ブログ関連:”ユダヤ”)

講演会の第1回目は「序論 -『ユダヤ人』とは誰のことか - 」で、ユダヤ宗教史学者の市川裕氏(今年3月に東京大学宗教学研究室の教授を退官されたばかり)が語られた。ちょうど今年の1月22日に出された、岩波新書の「ユダヤ人とユダヤ教」が参考になる。

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・ユダヤ人の規準   ユダヤ人は母親から生まれた者
・ユダヤ人らしさ   ユダヤ教は幼子にとって母の手
・ラビ(律法の解釈者)により律法(国境を超えてユダヤ人に共通する)が定まる
・ユダヤ人の移動の経路
   イスラエル → 地中海(スペイン)→ アルプス越え(西欧)→ 東欧 → 西欧/ロシア/アメリカ/イスラエル
           ‖                  ‖                                                     ‖
   ミズラヒーム    スファラディーム                                アシュケナジーム
 
ユダヤ人にとって、母と子の関係は密接で、言語もそうだ(⇒ マメ・ロシェン)。
(人間の先祖をアフリカまで遡れるのは、母親の卵子中のミトコンドリア遺伝子のおかげだ。父親はどこの馬の骨かも分からぬ。ユダヤ教の系統であるキリスト教でも、キリストの父親は役割が低い気がする。)


講演会場へ行く途中、小さな水路「二ヵ領用水」があって、その岸に桜が咲いていた。街の賑わいを横切る用水路で地味なため、その先がどうなっているのか・・・気になる。

今日は寒の戻りになってしまったが、春の遠出ができたのは幸い。しかし、知らないところの街歩きは、気持だけでなく足腰も疲れる。おかげで帰りの電車で、1/f の揺らぎにすっかり寝込んでしまった。

これから暖かさが増してくれば、元気に動き回ることだろう。

2019年10月28日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)-4

毎週月曜日開催の市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)」へ通う。今日で4回目になる。私にとって少々長旅?で、ようやく体が慣れてきた感じがする。帰りの電車で転寝したことはいうまでもない・・・いい按配で心地よい。頭だけでなく、体も解きほぐしてくれる。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

今回は、内容がヘビーさを増す中で、相当に厳しいテーマ <ホロコースト> について、学習院女子大学教授の武井彩佳氏から「ナチスの時代のユダヤ人」の講演があった。サブタイトルは「ホロコーストの展開と現在に残る『爪痕』」だった。
武井氏の専門分野は、<戦後のホロコーストの補償としての財産問題> とのこと。実は、来週も担当され、次回のテーマ(「ナチスの時代のユダヤ人」について」)にもつながる。

講演で個人的に関心のあったところに絞って記す。

言葉としての「ホロコースト
・ギリシャ語を語源として、ユダヤ教の「燔祭(はんさい)」(宗教的捧げ物する)の意
・ナチスによる虐殺についてフランス語の「ショアー」が使われる
・イディッシュ語で「フルブン(khurbn‎、חורבן)」

ユダヤ人の犠牲について
・ナチスの人種的優位性の理解: アーリア人 > スラブ人 > ユダヤ人
・東欧:ドイツ軍侵攻とともに殺戮が開始される(ポーランド、リトアニア、ウクライナなどで)
   西欧:ドイツ支配下(民政移行=対独強力)の国(ユダヤ人が少数)では、比較的に緩やかに進行
・ドイツ国内:ドイツ在住のユダヤ人は金があって脱出可能だった
   - 戦前在住 56万人 ⇒ 30万人が移民(逃避)、死亡14万人
   - 戦後在住 3.7万人 ⇒ 戦後も移民が止まなかった

ホロコーストの構造
・加害者: ドイツ、オーストリアの20万人
・傍観者(対独協力者): ポーランド、ウクライナ、ラトヴィア、その他(ユダヤ人不在により利益を得た者)
・犠牲者: ユダヤ人の600万人

ホロコーストの実行
・ヒトラーから直接命令の資料はないが、1941年夏ころ口頭指示があったといわれる
行動部隊: 1941年設立、親衛隊(SS)+ 通常(普通)の警察官

強制収容所
ラインハルト計画: ユダヤ人絶滅だけを目的にした絶滅収容所、トレブリンカなど
・強制労働+絶滅: アウシュビッツなど

戦後の東欧の収容所跡地の扱い
・共産党政権下: ユダヤ人を捨象して、収容民を被害者大衆として扱ったが
   自由主義化後: ユダヤ人に注視した再定義が行なわれている
・研究手法: ホロコーストの分析だけでなく、<法>考古学的な発掘調査


(感想)
なにより、ドイツ在住のユダヤ人の行動に注目した。
・ドイツを脱出したユダヤ人はどこへ行ったのだろう? アメリカではなかったのか?
   - 情勢の変化を事前にどのように察知(階層ごと情報収集)したのだろう?
・他方で、多数の犠牲者を占めた東欧のユダヤ人こそ、ユダヤ社会から置き去りにされた人びとだったのではないか?

2025年5月18日日曜日

(ChatGPT)ブロードウェイ、ハリウッドを発展させたのは

映画製作の独占を目論んだエジソンから逃れるようにして、米国東部の映画関係者が西部のハリウッド移動したといわれる。その役割を果たしたのは、どんな人たちだったのだろうか調べてみた。
  • 東部の「ブロードウェイ」には、ショービジネス(舞台公演)を仕切る先発のユダヤ系移民がいて、後発のユダヤ系移民による映画産業と共存がむつかしかったという話があるが・・・。
  • 西部「ハリウッド」の映画ビジネスの先駆けも同じくユダヤ系の人びとだったことになる。
そこで、ユダヤ系の人びとが果たした役割について、ChatGPT にQ&Aを求めたので結果を載せる。

Q - ①.ブロードウェイを劇場街に仕立て上げたのは、どこからの移民でしょうか?
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A - ①.ブロードウェイを現在のような「劇場街(シアター・ディストリクト)」として発展させた中心的な役割を果たしたのは、<ユダヤ系移民(特に東欧からのユダヤ人> です。

背景と経緯:
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパ(特にロシア帝国ポーランドオーストリア=ハンガリー帝国など)から多くのユダヤ人がアメリカに移住しました。
多くはニューヨークに定住し、その一部が演劇音楽出版といった文化産業に関わるようになりました*。

(*)ブロードウェイのショービジネスが立ち上がったのは、19世紀半ば~後半(1850年代〜1880年代ころ

主な貢献:
興行師プロデューサーとして成功したユダヤ系移民**(例:フローレンツ・ジーグフェルドなど)は、ショービジネスの仕組みを整備し、商業演劇の発展を促しました。
作詞家作曲家としても多くのユダヤ人が活躍し、ブロードウェイのミュージカル文化の土台を築きました。たとえば:
    ー ジョージ・ガーシュウィン(作曲家)
    ー アーヴィング・バーリン(作詞・作曲家)
    ー リチャード・ロジャース(ロジャース&ハマースタインの一人)

(**)Googleの生成AI Gemini は「ユダヤ系移民 」について、次のように回答している。「イディッシュ劇場から発展し作曲家作詞家劇作家プロデューサーとして、ブロードウェイの黄金時代を築き上げました

影響:
彼ら(東欧系ユダヤ移民)の努力によって、ブロードウェイはアメリカ文化の中心として栄え、演劇・ミュージカルのメッカへと成長しました。

要約すると、
東欧系ユダヤ人移民が、ブロードウェイを現在のような劇場街に仕立て上げた主な担い手です。
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Q - ②.アメリカの映画産業が、「ブロードウェイ」のショービジネスと共存せず、米国西部の「ハリウッド」にあるのはどうしてですか?
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A - ②.(回答より抜粋

4. ハリウッドに集まった移民と企業家たち
・ユダヤ系移民の影響:
映画産業の初期、特にニューヨークから移住***したユダヤ系移民が重要な役割を果たしました。彼らはブロードウェイに加えて映画業界でも積極的に関与し、ハリウッドに映画スタジオを設立しました。例えば、パラマウント(ユダヤ系のアドルフ・ザカリー)やMGM(ユダヤ系のルイス・B・メイヤー)など、初期の映画スタジオの設立者たちニューヨークのユダヤ系移民が多かったです。

(***)20世紀初頭(1910年)エジソンが映画権独占を目論んだ東部から西部へ移動して製作。

・実業家たちの集まり:
ハリウッドには、映画産業を商業的に成長させるために集まった実業家や投資家が多くいました。彼らは、ブロードウェイと同じようにショービジネスを扱っていましたが、映画という新しいメディアの商業化に取り組んだため、ブロードウェイのような舞台公演とは異なるアプローチを取ることになりました。
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2019年6月10日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ-8

朝から一日中雨が降りつづいた。梅雨冷えのなか、昼近くに、先週(6/3)休講を経て、久し振りに市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ」に出かけた。前回(5/27)に引き続き、東京工科大学講師の志田雅宏氏による、「『ヴェニスの商人』の舞台とその周辺: ルネサンス時代のユダヤ人」の解説をいただいた。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

前回の、中世におけるキリスト教社会からユダヤ人への「保護」と、ユダヤ人からキリスト教社会への「奉仕」の関係について、具体的に中世都市ベネツィアなどでの状況・事例を紹介された。

1.キリスト教徒とユダヤ人との文化的交流
  ① ユダヤのヘブライ語文献の活版印刷
   ・ベルギー生まれのキリスト教徒「ダニエル・ボンベルグ(Daniel Bomberg)」(1549年没)による
    - 「聖書」、「タルムード」の印刷
    - アドバイザイーにキリスト教に改宗したユダヤ人が参加
    - 印刷、校正にユダヤ人職人が従事

  ② ユダヤのラビとキリスト教徒の学者との研究上の交流
   ・聖書を従来のラテン語訳からではなく、ヘブライ語原典に遡って研究が進められた

  ③ キリスト教徒によるユダヤの神秘主義思想「カバラー」の研究
   ・キリスト教徒のピコ・デラ・ミランドラヨハネス・ロイヒリンによる研究

2.ユダヤ人の経済的な位置づけ
  ① ユダヤ人が金利を持った金貸しに従事した
  ② ユダヤ人の居住を特定の場所(ゲットー)に固定した

見えるようで見えないのは、ユダヤ人の金融商的役割だろう。果たして、ユダヤ商人がどれくらいの規模(例えばベネツィア市の財政での取引規模の割合)でビジネスをしていたのかとか、イタリアの豪商にどのように貸し付けをしていたのかなど知りたい。同様に地方の人びとへの貸付はどのように行なわれたのかも知りたい。貸付証文の書面・内容を見たい・・・などあるが、講師の方が「宗教哲学」の研究者の方のようなので、以上の点について聞くのをはばかれた。

2018年12月13日木曜日

Yiddish語 2018秋-11

かげった体調にようやく明かりが射してきた。この坂、越すに越されぬ難儀坂だ。

気合を入れて体を動かし、勢いづけて、イディッシュ語教室へと向かった。

今日も理解を共有できるよう、読み・書き・読解に工夫を重ねて指導いただいた。
・ダイアログ: ベジタリアンの若者と、善意のおじさん・おばさんとの丁々発止。
・ミュージカル: 舞台映像を一部参照しながら、貴重な台本を紹介いただいた。
・案内: 12月24日(月)午前0時~、NHK BS「プレミアムシアター」でユダヤ文化関連の音楽が紹介される。
     ◇ ドキュメンタリー
        「クリスマス・ソング 知られざる物語」(2017年 カナダ)(1:57:00~2:49:30)
     ◇ 映画音楽の巨匠 ジョン・ウィリアムズ
         名曲コンサート(2:50:30~4:25:00)

(本ブログ関連:”Yiddish語 2018秋”)

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(付記)
クリスマス・ソングを書いたユダヤ人

ユダヤ教徒と異教徒間のカップル(結婚)や家族を支援するアメリカの全国組織「InterfaithFamily」のサイトに、「クリスマス・ソングを書いたユダヤ人」(Nate Bloom、2006年12月)という記事が掲載されている。

記事タイトルに、キリスト教徒でないユダヤ人が一体なぜクリスマス・ソングを作ったのかと疑問が浮かぶだろう。米国でラジオ放送されたクリスマス曲から、「アメリカ作曲家協会(ASCAP)」が選曲した上位25曲中、12曲にユダヤ人が関連しているというのだ。(当初2006年の記事ながら、その後更新され、2008年現在のデータで紹介されている)

第1位曲は、「Winter Wonderland」(作曲: Felix Bernard, 作詞:Richard B. Smith)である。InterfaithFamilyに掲載の記事によれば、作曲者Felix Bernard(Bernhardt)(1897年〜1944年)の父親はドイツ出身、母親はロシア出身であり、彼らの母語はイディッシュ語だったと記している。記事が更新される中で、一般のコメント(情報)にも目を通し、Felix Bernardがユダヤ人であることを確信したようだ。
ちなみに、「Bernardは、ロサンゼルスの非宗教墓地に埋葬されている」とのこと。

(その他の人気曲についても、ユダヤ関係者を探している。例えば、誰もが知る「White Christmas」の作詞・作曲者である、Irving Berlinにしてもそうだ)

ところで、アメリカの映画産業がなぜ西海岸(ハリウッド)なのかという話題がある。この産業を作り上げたのはユダヤ人だったが、映画技術の特許権をおさえたエジソンに牛耳られ、それがいやさにハリウッドへ逃げたといわれる。確かに電送技術でも、ニコラ・テスラとの交流・直流の争いで、エジソンの独占欲をうかがい知ることができる。

それじゃ、ニューヨークのブロードウェイにショービジネスが今も残っているが、そこで活躍するユダヤ系と、映画産業のユダヤ系との間にどんな違いがあるのだろうか。アメリカで生まれた者と移民の者・・・といった微妙で大きな違いか。部外者にはこころ及ばぬものがあるのかもしれない。

ヨーロッパで音楽に従事したユダヤ人が、米国の東岸にたどり着く。そこには先着のユダヤ人がいる。あらためて新天地を求めて西海岸へ移る。なんだか、そんな流れを想像してしまう。

(参考)
・ブログ「Love world neighbors(the rule of law )」に掲載の「クリスマスソングとユダヤ人」に、< ユダヤ人作曲のクリスマスソング > のリスト(出典不明)がある。

・The Starsの記事「Why many classic Christmas songs were written by Jewish composers」(Rob Kapilow、2017年11月30日)は、ユダヤ人の同化(移民の子がアメリカ社会へ参加する)という歴史的な過程の観点で、作曲家たちを列伝風に紹介している。

2019年6月17日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ-9

燦燦たる陽光、都心の最高気温は 28.7℃(13:15)に達したが、北北西の風に熱気は吹き飛んだよう。景色は澄んで鮮明、実に爽やか。そんな昼ころに、市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ」に出かけた。

第9回の今日、東京理科大学講師 山本伸一氏から「オスマン帝国 のユダヤ人とユダヤ神秘主義:ユダヤ社会の変容」の解説をいただいた。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

ユダヤ人は、ポーランドを中心に中欧に拡散したアユケナジム、スペインを基点に地中海(トルコを含む)に拡散したスファラディム、(キリスト教へ改宗した)マラーノなどがいる。その中で、オスマントルコに定住したユダヤ人について紹介された。

① ユダヤ教の伝統回帰
 ・ユダヤ人はオスマントルコ帝国で安定した生活を送る
   - 非トルコ系・非ムスリムに対する「ミッレト制」によりユダヤ人自治が認められた
   - 宮廷に従えたり、商人、医師、貿易商などに従事する
 ・安定した中から、ユダヤ教の伝統へ回帰する
   - ユダヤ人の「シャブタイ・ツヴィ」は自らをメシアと語る
   - イスラエルのガザの「預言者ナタン」は、ツヴィを原理的に最後(死後)まで支援した
   - ツヴィはイスラムに改宗する(アルバニアに流罪の末、そこで亡くなる)
 ・ツヴィの継承者に、ポーランドの「ヤコブ・フランク」がいる

② ユダヤ教の神秘主義(カバラー)
 ・カバリストは、口伝聖書に隠れた10個の神の力を探求した
   - ツヴィ亡き後、ムスリムになった(改宗した)ユダヤ人(ドンメ)たちの末裔が、後の「青年トルコ革命」に関わる
   - トルコ建国の父「ムスタファ・ケマル・アタテュルク」は、かつてドンメの学校で学んだという

ある意味熱狂的な中で変遷したツヴィ、いつまでも彼を見守り肯定したナタンといった、両者の関係は、キリスト教世界にも見られそうだし、今の時代から見ても興味深い。小説家がインスピレーションを受けたというのも分かる気がする。また、ツヴィの流れが、トルコの近代化にどこかでつながっているような、ドラマチックな紹介にも関心が湧いた。

2019年8月27日火曜日

ユダヤ教の現代がわかる 2019-1、ロシア無頼

素人の横好きというか歳相応の冷や水というか、夏の終わりを好奇心で満たしてみたく、一般公開講座の第2弾に出かけた。今日から3日間、「ユダヤ教の現代がわかる - 宗教と言語の観点から -」を聴講する。

(本ブログ関連:”ユダヤ教の現代がわかる 2019”)

第1回目の今日は、早稲田大学産業経営研究所研究員の志田雅宏(まさひろ)氏による、「ユダヤ教文化の歴史性と多様性」について、ユダヤ教の理解(解釈)の仕方の歴史性や、ユダヤ教の宗派の多様性について紹介があった。
以前、他所の一般公開講座「ユダヤの歴史を学ぶ」*で、志田雅宏氏の回を聴講したことがある。

(本ブログ関連:”志田雅宏氏の「ユダヤの歴史を学ぶ」”)

ユダヤ教
・ユダヤ聖書の理解に2つのトーラー(律法)がある。
  - 成文トーラー: モーセが文書(文字化)したとされるものに従う
  - 口伝トーラー: モーセの口伝したとされるものに従う、ラビによる解釈の集大成にタルムードがある
・神の信仰の仕方に、人間の自由意志が認められる面がある

ユダヤ教の宗派
・ユダヤ教の伝統をどのように守るかによっていろいろな宗派が存在
  - 超正統派: 東欧のアシュケナームの伝統を持つ
                      イスラエル(メアシュリーム)と米(NY ブルックリン)に居住       
  - 正統派: 西欧(ドイツ)起源で、イスラエルで最大勢力
  - 保守派: 米最大の宗派、女性ラビが存在し礼拝時に男女同席もする
  - 改革派: さらに現代的価値観に合わせ、米西海岸に多い
  - 他にパレスチナで入植活動する宗教シオニズムがある


(付記)
昨日(8/26)のブログで、ロシアの詩人「エセーニン」について触れたつながりで次に記す。「エセーニン詩集」の訳者内村剛介氏が著した書籍がAmazonから、今日の講座に出かける直前にタイミングよく届いた。さっそく電車の中で読んだところ、気になった部分があった。

(本ブログ関連:”エセーニン”、”内村剛介”)

書名は「ロシア無頼」(内村剛介著。高木書房)、1980年に発行されたもので、ソ連崩壊の10年ほど前のこと。ここでいう「ロシア」はその意味で、ソ連時代の根の深いところにある原初的意味合いである。なお、内村氏は戦後にシベリア抑留を経験している。
書名にある「無頼」の徒について、旧いロシアに誕生した(農奴や奴隷から導き出された)彼ら「ブラトノイ」の語源を紹介している。
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ブラトノイ」=またの名を「ヴォール」ともいう。この語は「ブラートの人」「結び合った人」「血盟の人」を意味する。
ブラート」=コネ。有用な結びつき。おそらくイディシ(ユダヤ人のことば)が起こりである。十九世紀からオデッサで用いられはじめたが、その後「一般」のロシア語にも用いられるようになる。オデッサは古来ロシア犯罪人たちの故郷、犯罪人たちの首都でこの状態は二十世紀三〇年代の終わりまでつづいた。この犯罪者たちの頭目に伝統的英雄が多々あり、それはしばしばユダヤ人であった。イディシの「ブラート」が採りあげられるようになるのは自然の成りゆきであろう。
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2019年5月27日月曜日

最高気温32.4℃、ユダヤの歴史を学ぶ-7

今日の都心の最高気温は 32.4℃(13:32)、日連続の「真夏日」となった。5月として観測史上初とのこと。それにしても暑い。天気予報は、明日から最高気温が 30℃をきるという。ようやく落ち着きを取り戻しそう。

(本ブログ関連:”真夏日”)

そんな真夏日、また右のふくらはぎがつり気味の中、市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ」へ出かけた。7回目の今日は、「中世キリスト教世界のユダヤ人:共生と対抗」について、東京工科大学講師の志田雅宏氏に解説いただいた。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

8世紀にユダヤ人の90%近くがイスラム世界にいたが、11世紀に入って徐々にヨーロッパに広がった。中世ヨーロッパにおいて、ユダヤ人の立ち位置がどのようであったかについて、大枠(ある意味教科書的)に整理された。

① キリスト教世界から見たユダヤ人との関係
  ・ キリスト教世界 ― 保護 → ユダヤ人 (土地を持たない宗教的共同体を認める)
  ・ キリスト教世界 ← 奉仕 ― ユダヤ人 (金銭的納税的な関係を含めて協力する)

② ユダヤ人から見たキリスト教世界との関係
  ・ユダヤ人 ← 共生 → キリスト教世界 (宗教的に関わらない、アラビア語の共同翻訳)
  ・ユダヤ人 ← 対抗 ― キリスト教世界 (改宗の強要への抵抗、教理的反論・論争文学)

③ 十字軍によるユダヤ人への迫害の理由
  ・十字軍の宗教的熱狂・経済的な理由などによる襲撃
  ・民衆も(わけもわからず?)加わった

ただし、どうしても分からないことがある。なぜユダヤ人がそこに(場所であれ地位であれ)いたのか、最初からいたわけではないのだから。そのことについて知りたい。

2019年5月20日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ-6

空は日が射して気分も軽く、昼前に市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ」へ出かけた。6回目の今日は、「イスラーム世界の形成とユダヤ人の繁栄:地中海とインド洋交易」について、立教大学講師の嶋田英晴氏に解説いただいた。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

少々足早のため、理解が追いつけないところがあったが、次の資料を紹介された。イスラムとユダヤの共存した時代を知るのに参考になるという。(前回(5/13)の講演で少し予告的な話題があったが・・・現状では、ユダヤ社会とイスラム社会の(歴史的な)関係があまり語られていない)
「ユダヤ教徒に見る生き残り戦略」(嶋田英晴著、晃洋書房)

1.イスラム世界の通史
    - ウマイヤ朝 ⇒ アッバース朝(中東地域)
    - 後ウマイヤ朝(イベリア半島:スペイン)
    - ファーティマ朝(北アフリカ)

2.イスラムのイベリア半島まで地中海の展開に合わせたユダヤ社会の拡充
    - 10,11C全般: ユダヤ教徒は地中海交易で活躍
    - 11C末以降: 十字軍襲来、活躍の場を紅海経由でインド洋に移す
    - 12C後半~13C半ば: 徐々に衰退

3.イスラム圏内で主として商業活動をした要因
    - 地租税は重く、人頭税はそれに比べて軽いため、9C初頭に農業従事から撤退を完了

4.アッバース朝下のラビ・ユダヤ教中央指導集団体制
    - ガオン: 各地のユダヤ共同体からの立法について宗教的規範に即して回答
    - レシュ・ガルータ: イスラム圏下ユダヤ教徒の自治の代表(バビロン捕囚時のユダヤ国王の系図)
    - ジャフバズ: 宮廷銀行家としての特権を付与された

昔、イスラムの経済圏下で、各地の有力ユダヤ商人は、婚姻を通して連係をはかった。

夕方になっての帰宅道、空を見上げればねずみ色の雲が小走りするよう。今にも雨が降るのではないかと急いだ。

(付記)
市民高座は、講演という形式で、口頭による要約を聴き概要を知るわけで、素人には受け身の(ある意味気楽に)聴講することになり、なんだか知った気(その気)になるが、研究者は実際に現地に出向き資料を読み解くという、多言語な作業をされている。そんな話題もちらりと聞かせていただき、学術研究とは本当に大変な仕事だと感服した。

2019年9月30日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)-1

今年4月~7月にかけて開催された市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ」*の後期編にあたる、第2部(9月30日~来年1月)の講座が今日から始まった。久し振りに会場に着いて驚いた。開講30分前というに、今回も前回同様にすしずめ状態だったのだ。潜り込むようにして着席した。(講師の方も盛況振りに感心していたことはいうまでもない)
(*)市民講座の正式名称:「ユダヤ人、ユダヤ教、イスラエル」

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

平日昼過ぎもあって、講座の参加者は高齢者ばかり。よく、来日した欧米人が空港の入国審査の列を見て <何と黒髪が多いことか> と感心するという。今回の市民講座の場合は、さしずめ <何と白髪が多いことか> といったところだろう。

前編にあたる講演(6/17)「オスマン帝国 のユダヤ人とユダヤ神秘主義:ユダヤ社会の変容」で <シャブタイ派のメシア運動> を解説された東京理科大学講師 山本伸一氏から、今回は(趣向を変えて?)「日本におけるユダヤ人論の系譜、ユダヤ人イメージの変遷」について紹介された。

最初に、講師の山本氏から「歴史」について次のようなポイントが語られた。薀蓄に富んできわめて納得できる気がする。
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歴史は事実の集積ではない。歴史は思惑の化合物である。
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(これってインテリジェンスの鉄則「情報源に決して惚れ込んではならない」に通じる)

① 1930~40年代の日本人のユダヤ観
  ・1937年:「オトポール事件」、 樋口季一郎(陸軍少将:当時)によるユダヤ人へ土地を与える検討
  ・1930年代後半:「河豚(ふぐ)計画」、満州にユダヤ人を移住させる計画
  ・満鉄調査部:「米国猶太人社会とその団体」など

② ユダヤ人について書かれた日本での書物・人物
  ・1872年:「西洋今昔袖(そで)鏡」(百科事典に記載)>国会図書館デジタルコレクション
  ・内村鑑三:< 2つのJ >(JapanとJesus)
  ・矢内原忠雄: シオニズムへの関心

③ その他人物列伝
  ・酒井勝軍
  ・ニコラス・マクラウド(別名 Norman McLead)
  ・佐伯好郎

2019年10月7日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)-2

朝方のヒンヤリした涼しさと、昼間の陽射しの暖かさとの落差に驚く。秋は確実に深まった。町を歩けば、来年のカレンダーが店頭に並んでいたり、あるいは町の貴重な本屋が店仕舞いしたり、あっけない変化に気付かされる。

市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)」の2回目の今日は、時代の変化を捉える経済史の立場から「資本主義経済興隆と成熟においてユダヤ人の果たした役割」について、学習院大学准教授の竹原有吾氏の解説があった。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

ユダヤ人の、中世から資本主義興隆(すなわち都市経済から国民経済へと規模を拡大する)までの経済活動を、ドイツ(プロイセン)の歴史(18~19c)を通じて追った。

① 中世都市の中での経済発展として商業ギルドの形成
  ・キリスト教社会へと変化する中で、都市部でユダヤ教徒も金融面で発展する
② 宮廷商人として国王(王朝)に認められる
  ・国際ネットワークを通じて、絹織物などの交易に従事する(重商主義の時代)
③ 啓蒙思想による立場の変化・確立
  ・裕福なユダヤ商人(宮廷商人のユダヤ教徒など)は、(特権を持つ)キリスト教徒とほぼ対等な権利を持った(1812年)
  ・ナポレオン戦争の戦費や賠償金の調達へ関与する
  ・商業ギルドを解散して、ベルリンの商業会議所へ参加する(1820年)
④ 工業化への進展
  ・鉄道建設(背景となる産業勃興を含めて)のため、信用銀行を設立する(19c半ば)

「まとめとして、ユダヤ教徒は経済活動の担い手の宗教を問わない国民経済の形成・発展に向けて努める中で、結果的に会社や銀行の経営者として(すなわち経営者の役員にユダヤ教徒が多くなって)経済的に目立って活躍することになる」

(感想)
歴史の中で「国家」という言葉ひとつにしても、現在の意味での「国家」とは大いに違うわけで、漠然と聞いていると読み違えることになる。
・国王(王朝)が、ユダヤ人の金融を使うメリットはどこにあったのか?
  - 国民(キリスト教徒)の金融を利用しない理由は?
  - 従って、ユダヤ教徒はどのようにして王権へ取入ったのか?
 ・経済史ならば、ユダヤ教徒が持つ金融力を<数字>で示して欲しかった。

2019年12月16日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)-9

市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)」の第9回目に出かけた。最近、この講座で聞いた話題の映画を見たり(12/10)して、少々充実してきた感じ・・・。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

余談から先に記す。
・講座の帰り道、例によって駅前にある魚料理屋で食事を終えて立ち上がろうとしたとき、眼鏡が見当たらないのに気付いた(食事の際、うるさいので眼鏡はずしている)。不思議に思いながら帰宅したところ、上着のポケットから出てきた・・・散々探したのに!
・駅近くの本屋で、漫才コンビ「ナイツ」の塙宣之の「関東芸人はなぜ M-1で勝てないのか 言い訳」(集英社新書)を求める。これは面白い。QAの聞き書きスタイルだが、まさに真剣白刃取りの感がする。「関東芸人」が気になる、テレビを通じてでのファンでしかないが、最近の芸人魂(関西も含めて)を教えてくれる・・・。

さて、いよいよ本題。
今回は「現代アメリカとユダヤ人 ― 米国ユダヤ社会とイスラエルとの関係を軸に ―」について、防衛大学校名誉教授の立山良司氏から、米国とイスラエルの関係を宗教的側面から教えていただいた。そこで、日頃興味をひいている話題についてのみ次に記したい。

トランプ政権の中東政策(略)

米国のユダヤ人社会
・米国のユダヤ人の人口
   - ポグロム迫害から避難してきた以外、特別な流入人口増はない
   - ただし、ナチス迫害時に移住者が少ないのは、危機感が広がってなかったからという
   - 米国の移民局は移住受付時に、ユダヤ人としてカウントしていないという
   - 米国内ユダヤ人の人口調査は、研究機関によるもので、シナゴーグの資料ではない

米国ユダヤ人の政治傾向:強いリベラルな傾向(略)

米国とイスラエル:(支援関連:略)

イスラエル・ロビーの活動
・ロビー団体: 「AIPAC(米イスラエル交響問題委員会)」対「J Street

白人の「キリスト教福音派」の影響の拡大
・キリスト教福音派が政治的な影響力を持ったのは
   -1960年代: 価値観が多様化した時代
   -1980年代: キリスト教右派が人工中絶などに批判的になる(モラル・マジョリティ)
   -1990年代: ワシントンで活動開始 ⇒ 共和党支持となる

イスラエル側から見た:変わる米国
・イスラエルにとって、2019.12.6の米国下院(民主党多数)での決議のショック
   - イスラエルによる「西岸併合」に対して反対を決議
   - イスラエル支持傾向のある民主党が、反イスラエルの投票をした

(感想)
国家を持たない(時代の)ユダヤ民族と、国家(イスラエル)を持った(時代の)ユダヤ民族を、どのように切り分けるか。ユダヤ人自身が、どのように整理しているかを聞いてみたい。まして、遠い国にいる者が、勝手に推測したり論理化できるはずもないのだから。

2020年1月20日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)-11、 大寒 2020

きょうは、二十四節季の「大寒(だいかん)」。以前のブログ(1/6)に、大寒よりも「小寒」の方が寒さが厳しいといわれると記した。しかし、東京都心の最高気温の「平年値」を見ると、今年の小寒にあたる1/6は 9.9大寒にあたる1/20は 9.3で、大寒にあたる1/20の方が低い(9.9>9.3)ことになる。まったく逆の話だった。
(怪しい情報をブログに記載してしまったこと訂正します)

そこで、今月の都心の最高気温「実測値」を比較してみると、小寒にあたる1/6(13:10、10分目盛観測より)は 11.7℃大寒にあたる1/20は 14.1℃(12:57)となり、大寒のきょうの方が温かい結果になった・・・今月,たまたま以前のブログに書いた通りになっただけのようだ。

(本ブログ関連:”大寒”)

ところで、久しぶりに市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ」へ出かけた。昨年末(12/23)の第10回を欠席したため、正月休講を含めて5週間振りの聴講になる。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

この講座の昨年前期と後期を合わせて構想された東京大学名誉教授の市川裕氏より「21世紀の世界でユダヤ人とイスラエル国家はどう生きるのか(総まとめ)」の話があった。関心・興味のあった話題にポイントを絞って次に記す。

・ユダヤ人は、1948年5月にイスラエルを建国したことにより、それ以前の「領土を持たず、宗教的紐帯によってのみ統合がなされ、世界中にその民族が点在しているような社会集団」(A.J.トインビーの「ユダヤ・モデル」)から、近代国民国家としての市民となる。

・ユダヤ人は、イスラエル国家が成立することで、トインビーのユダヤ・モデルとは違った存在、Majorityの立場となる。2018年7月の「基本法ーユダヤ民族国家法」でそれが明確になる。国内のMinorityの存在を認めるが、決定するのはユダヤ人であるという立場をとる。

・その他(省略)

(感想)
国家を持った現代のユダヤ人と持てなかった以前のユダヤ人が果たして同じに連続するのか。ユダヤ民族の過去史だけで正当性を維持できるのか難しい問題だ。そして誰もが、日常でさえ、MajorityとMinorityの立場を繰り返して生きている。
私のもっぱらの関心は、古き良き時代のポーランドあったという「おばか村ヘルム」のひとびとのことだけなのだから。

(本ブログ関連:”ヘルム”)

2019年5月6日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ-4

10連休(4/27~4/6)の最終日、世間はどう過ごしているだろう。ネジを撒き戻したり、タキシング・モードに入ったり、明日から始まる日常へ戻る準備をしていることだろう。わたしの場合、常に日常なので気持を入れ替える必要はないのだ。

月曜日に開催の市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ」(これまで3回開講)は、長い連休の余波で 4/29の月曜日が休講になったが、(5/5の「こどもの日」が日曜日だったことによる)「振替休日」の今日は休講にならなかった。大部分を占める年配受講者にとって、休日・祝日が無縁だからと合点している。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

4回目の今日、「アレクサンドロス大王からローマ帝国へ:イエス時代のユダヤ世界」について、1回目を担当されたユダヤ宗教史学者の市川裕氏(東京大学教授)に解説いただいた。ユダヤ教(Judism)の成立を、次の政治的大事件でたどった。

① ギリシャ(ヘレニズム、Hellenism)の影響:英雄アレクサンドロス大王と後継のセレコウス朝
  a.アブラハムの移動経路(偶像の地のメソポタミアから)
     ・ウル -(北上)→ ハラン -(南下)→ カナン
  b.モーセ出エジプト(奴隷からの脱出)
      ・エジプト -(紅海)→ ネボ山
  c.上記a,bの中間に生まれた小国家は、ギリシャ文明の影響を受ける

② ローマ帝国の影響
  a.ユダヤ人は、エルサレムを中心に領土を拡大するものの
     ・海側、内陸側に住むユダヤ人以外の民に「ユダヤ教」を強要(改宗規定)
   b.ローマは、ヘロデ王死後にエルサレムを制服して「直接」支配する
     ・ローマと友好関係持ったヘロデ王は神殿などの土木建築をした
     ・ローマは、ユダヤよりシリアの方を重視した
  c.ローマに対するユダヤの抵抗とキリスト教の誕生
     ・メシア待望論
     ・ユダヤ教からキリスト教の誕生(別の意味でのメシア待望)

歴史はダイナミックで、変化し・変化させられる。その動きを、視点を変えてみる楽しみもある。

2019年11月18日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)-6

今月に入って日ごとの最高気温が大きく変動している。東京都心の最高気温を見ると、一番高いのは 23.9℃(11/1)、一番低いのは 16.1℃(11/13)。きょうの最高気温は 21.4℃(14:11)、少し緩んだ好天気でさしずめ「小春日和(インディアン・サマー)」といったところだろう。

遠くの街で開催される市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)」へ出向く途中の電車の中で、窓から差し込む暖かい日差しに眠気を誘われた。実に心地よかった。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

イスラエル建国後、イスラム世界との摩擦(中東戦争)に焦点をあてた「イスラエル国家の建設、数次の中東戦争とイスラエルの膨張」について、東洋英和女学院大学学長の池田明史氏から解説を受けた。

ところでお話は、中東戦争の空爆戦術とか戦車の防御構造とか、戦争談義に飛んだ気がする。さらには「六日間戦争」に勝利したことから、「六日間」を聖書的解釈に結びつける話題まで出てきた。そうなると、話を聞くほどに疑問が生じた。

(いつものような講義内容の要点記述を今回省略する)

① 疑問: イスラエル建国にいたる歴史的な経過を、具体的な<史実>で知りたい
  ・中東戦争を起点にしてしまうと、イスラエル国家ありきで始まるため
    - 初期シオニズム運動から、どのようにしてイスラエルの土地を入手できたのか
    - その当時のパレスチナ先住者たちとユダヤ人入植者との関係はどうだったのか

② 疑問: イスラエル国民、ユダヤ教徒、民族の定義を知りたい
  ・ヨーロッパのユダヤ人は民族か、イスラエルのユダヤ人は民族か
  ・イスラエル建国の後押しをした西欧の役割とその後の責任は

(感想)
シビアなテーマだけに、焦点の当て方に気配りされたのだろうけれど、歴史上のユダヤ人とイスラエルのユダヤ人がうまく結びつかない。ユダヤ教としてのユダヤ人、イスラエル国家としてユダヤ人について整理できないでいる。

2019年12月9日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)-8

先週(12/2)休講だった市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)」へ久し振りに出かけた。受講に遠出となるが、電車の心地よい <1/f> の揺れを体感できるよい機会でもある。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

きょうの講座は、東京外国語大学特任助教の細田和江氏から「現在のイスラエル② ―文化、文学、パレスチナとの関係を中心にー」について、イスラエルの文化(特に文学者や映画作品など)の紹介をいただいた。特に興味をひいた話題について次に記したい。

古い聖書の言葉(典礼語)の「ヘブライ語」を、現代イスラエルの口語として再生
・アイスクリーム(グリダー:גלידה) ← g-l-d(frost)アラム語
・映画(コルノア:קולנוע)← 声(コル:קול)+動作(ノア:נוֹעַ‎

イスラエルでヘブライ語定着のための文学潮流
・1920年代: 移民文学(ヨーロッパからパレスチナへの移民の寂しさ)
・(外国文学のヘブライ語翻訳出版も行なわれる)
・イスラエル建国(1948年)後、ヘブライ語の国語化のための政府助成
・1940-50年代: 社会派リアリズム、英雄譚(シオニズムでのユダヤ人の運命を誇る)
・1960年代以降: 私小説(中東戦争の恐怖から逃れて、私的な領域についての表現へ)
・1960年代以降: マアバラー文学(一時キャンプ文学)
                         ホロコーストを経験していない中東系出身のユダヤ人(ミズラヒーム)の文学
                         ヨーロッパ系ユダヤ人からの差別を受け、低い地位に置かれた
・1970年代: ホロコースト文学(ホロコースト経験者の子世代による文学)
                    イスラエルは教育に利用を始めた
・1980年代: パレスチナ人の文学、イスラエルへの移民2世の文学

イスラエル内の「アラブ」文学
ミズラヒームMizrahi_Jews、上掲)
・パレスチナ人: イスラエル人から見れば「スパイ」、アラブ人から見れば「裏切り者」
                        イスラエル建国時にパレスチナに移った人
・両者はともにヘブライ語、アラビア語の文学作品がある

イスラエル/パレスチナ映画
・ブレッカス映画: ミズラヒームの影響を受けたジャンクフード的(←ヨーロッパ目線だが)映画

ちなみに、
① ヨーロッパの啓蒙運動の時代(18C末~)に、イディッシュ語は一段低く見られていた。
② ホロコーストの生き残りに対して、戦前からイスラエル在住のユダヤ人は「それ見たことか」と言った冷淡さがあった。
一方、戦前のヨーロッパのユダヤ人は、イスラエル在住のユダヤ人を低く見ていた。
③ イスラエルの人口構成(2019.9発表)
                       人数            構成比
    -------------------------------------
    ユダヤ人   6,744,000人    74.2%  ← 内ミズラヒーム 2,655,800人(ユダヤ人の43.5%)
    アラブ人   1,907,000人    26.0%
        他           441,000人      4.8%
    (合計)   9,092,000人   100.0%
    -------------------------------------


(感想)
・ホロコースト文学の登場が時代を下ったこと、その執筆者がホロコースト経験者の子世代であったこと。
・イスラエルが国民国家として、多数の民族や多言語をどう調整していくのか興味深い。
・ブレッカス映画について、サイト「NOBODY」に次の記載がある。
  (出典) https://www.nobodymag.com/interview/hillamedalia/index1.html
   「ブレッカスというのは、チーズが入っている三角形のお菓子で、安くておいしいけれども身体に悪いものなんです。」

(ブレッカス映画として:コメディ映画「テルアビブ・オン・ファイア」予告編)

(Youtubeに登録のシネマトゥデイに感謝)