NATEニュース掲載の「ウイークリー朝鮮(위클리조선)」(8/18)の記事「〔文化〕上半期 歌謡界の決算_ガールグループは上限値、男性アイドルは横這い」によれば、歌謡界の2009年上半期の状況を次のように述べている。
・<ガールグループ>の活躍がより一層目立った。そのうちでも少女時代(소녀시대)、2NE1、カラ(카라)などの活動が眩しかった。
・<女性歌手>ではソンダビ(손담비)が善戦した。
・<男性アイドルグループ>のスーパージュニア(슈퍼주니어)、2PM、東方神起(동방신기)、ビッグバン(빅뱅)なども拮抗した接戦を行った。
・例年と違った最も独特な現象の中の一つは、インディーバンド『チャン・ギハと顔たち(장기하와 얼굴들)』の急浮上だった。
・<中堅歌手>のイ・スンチョル、イ・ソラ、インスニらも粘り強く好まれた。
<中堅歌手>について見ると、「中堅歌手の『底力』 イ・スンチョル、インスニ、イ・ウンミ、イ・ソラの『ロングセラー(스테디셀러)』」として、次のように解説している。
「イ・スンチョルの『そんな人他にいません(그런 사람 또 없습니다)』は、故ノ・ムヒョン前大統領の追慕UCC(User Created Content)のバックミュージックで好まれて使われた。イ・ウンミは『恋人います(애인 있어요)』、『別れるところです(헤어지는 중입니다)』などで人気を集めた。 6年前歌謡界を引退したイム・チャンジョンが『久しぶりだね(오랜만이야)』で復帰したし、ソン・ジチャンとキム・ミンジョンも14年ぶりに 『The Blue(더 블루)』を再結成した。これ以外にも、イ・ムンセ、ユン・ドヒョンバンド、イ・ソラ、インスニ、イ・ソンヒ、キム・ジャンフン、キム・ゴンモ、シン・スンフン、チョー・ヨンピルなどの曲等がライブ公演とともに『ロングセラー』としての人気を維持している。」
(YouTubeに登録のsment、prot0980、karanicolforever、hkey21、sment、2pm、crj305、eltype1、woobers79、mobsters2008、mykorus、k54821、chaoga、ohgoodmanに感謝)
2009年8月19日水曜日
2010年12月16日木曜日
イ・ソンヒ誕生日
イ・ソンヒは、陽暦の今日、陰暦の1964年11月11日に、(本籍地)忠清南道保寧郡(現在は市)珠山面篁栗里に生まれた。今年、満46歳になる。ニュース記事では、彼女の属する40代を中堅歌手と呼んだりすることがあるようだが、歌手として力量は大ベテランに在るといえる。
来年、2月にニューヨークのカーネギーホールのメインホールで、5月にソウルの世宗文化会館の大劇場でコンサートを開く。まさに国民歌手として不動の地位を極めている。
彼女の誕生年が1967年とされたいきさつ、彼女の漢字名”李仙姫”の由来などについて、下記の本ブログ関連の日付リンク先に記している。
(本ブログ関連:”中堅”、”カーネギーホール1、2”、”2009年6/20、2010年1/11、5/1、5/22”)
来年、2月にニューヨークのカーネギーホールのメインホールで、5月にソウルの世宗文化会館の大劇場でコンサートを開く。まさに国民歌手として不動の地位を極めている。
彼女の誕生年が1967年とされたいきさつ、彼女の漢字名”李仙姫”の由来などについて、下記の本ブログ関連の日付リンク先に記している。
(本ブログ関連:”中堅”、”カーネギーホール1、2”、”2009年6/20、2010年1/11、5/1、5/22”)
2013年10月25日金曜日
歳月が流れても変わらぬ歌唱力と高い音楽的完成度を見せる女性歌手
JKSTARS.COMの記事(10/24)は、昨年10月に調査した、若い世代が「歳月が流れても変わらぬ歌唱力と高い音楽的完成度を見せる女性歌手」として選んだ中に、歌手イ・ソンヒの名をあげている。
記事は、関心となる歌手を見つめる、若い2030世代(20~30代)と中年の4050世代(40~50代)ファン層の見方(世代観)について解説している・・・のだが、ここではイ・ソンヒにかかわる部分だけ焦点を合わせ抜粋する。感謝。
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メンズウェアの代表ブランド第一毛織ギャラクシーが、「世代を越えて世代に(Generation to Generation)」との変わらぬ価値を伝える「タイムレス・クラシック」キャンペーンを展開して、昨年10月の世論調査専門機関のOPENSURVEYを通じて、「世代を超えても変わらない価値」について調査した内容によれば、4050世代に最も愛される女性アイドルグループはシスターだった。
また、2030世代は「歳月が流れても変わらない実力を誇る歌手は誰ですか?」という質問に、女性歌手ではイン・スニ(인순이)、イ・ソンヒ(이선희)、イ・ウンミ(이은미)を選択し、男性歌手ではイジョク、ユン・ミンス、キム・ゴンモを選んだ。
この調査は、(2012年)10月4日から5日まで、(韓国)国内に居住している、2030〜4050世代の500人を対象に実行された。
「おじさんファン」、 「おばさんファン」などはもう知らない単語ではない。4050世代は、積極的にアイドル文化を享受しており、逆に2030世代は、これまで活発に活動している中堅歌手たちの音楽に触れ、親の世代が感じる香りに共感する。音楽を通して世代間のギャップが狭くなっているのである。
一方、2030世代は「歳月が流れても変わらぬ歌唱力と高い音楽的完成度を見せて依然として実力を誇っている女性歌手は?」という質問で、
・1位(36%)に、イン・スニを挙げた。
・2位(23.5%)は、小さな体躯でほとばしるエネルギーと歳月を重ねる声色のイ・ソンヒが占めており、
・3位(19%)は、「私は歌手だ」などで完成度の高い歌唱力で大衆に感動を与えるイ・ウンミが選ばれた。
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(Youtubeに登録のBong Jae Kim、doll4021に感謝)
記事は、関心となる歌手を見つめる、若い2030世代(20~30代)と中年の4050世代(40~50代)ファン層の見方(世代観)について解説している・・・のだが、ここではイ・ソンヒにかかわる部分だけ焦点を合わせ抜粋する。感謝。
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メンズウェアの代表ブランド第一毛織ギャラクシーが、「世代を越えて世代に(Generation to Generation)」との変わらぬ価値を伝える「タイムレス・クラシック」キャンペーンを展開して、昨年10月の世論調査専門機関のOPENSURVEYを通じて、「世代を超えても変わらない価値」について調査した内容によれば、4050世代に最も愛される女性アイドルグループはシスターだった。
また、2030世代は「歳月が流れても変わらない実力を誇る歌手は誰ですか?」という質問に、女性歌手ではイン・スニ(인순이)、イ・ソンヒ(이선희)、イ・ウンミ(이은미)を選択し、男性歌手ではイジョク、ユン・ミンス、キム・ゴンモを選んだ。
この調査は、(2012年)10月4日から5日まで、(韓国)国内に居住している、2030〜4050世代の500人を対象に実行された。
「おじさんファン」、 「おばさんファン」などはもう知らない単語ではない。4050世代は、積極的にアイドル文化を享受しており、逆に2030世代は、これまで活発に活動している中堅歌手たちの音楽に触れ、親の世代が感じる香りに共感する。音楽を通して世代間のギャップが狭くなっているのである。
一方、2030世代は「歳月が流れても変わらぬ歌唱力と高い音楽的完成度を見せて依然として実力を誇っている女性歌手は?」という質問で、
・1位(36%)に、イン・スニを挙げた。
・2位(23.5%)は、小さな体躯でほとばしるエネルギーと歳月を重ねる声色のイ・ソンヒが占めており、
・3位(19%)は、「私は歌手だ」などで完成度の高い歌唱力で大衆に感動を与えるイ・ウンミが選ばれた。
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(Youtubeに登録のBong Jae Kim、doll4021に感謝)
2011年10月30日日曜日
(資料)ソウル市長選挙に見る世代別背景
今回のソウル市長選挙(10/26)を通じて、世代別の特徴(投票の背景)をマスコミ各紙が(社会科学風に)分析している。各世代の一側面だろうけれど、下記のようにまとまったものを、今まで他に見ていない。
(参考)イ・ソンヒファンの世代構成
2010年1月時点の、彼女のファンサイト「SunnyLoveCarrot(써니사랑 홍당무)」会員について調査母数n=77であるが、10代(0%)、20代(9%)、30代(44%)、40代(39)、50代以上(8%)という、世代構成の公開情報を本ブログに記している。・・・30代を中心にしているが、1964年生まれの彼女と同世代の40代が潜在的に厚いファン層だろう。
<東亜日報の解説>
東亜日報の「[オピニオン]若者の支持獲得」(10/28)は、当選者側に支持の多かった、40代、30代、20代を次のように解説している。(支持陣営などの情報について一部省略した)
◆40代(新旧世代の間にいる)は、62~71年生まれで、80年代に大学に通った386世代だ。
87年の民主化デモを記憶している抗争世代だが、景気の好況期に難なく職に就き、しばらく生活水準の向上を体感した。97年の通貨危機当時、高い地位にいなかったので構造調整も避けられた。しかし、数年前から、子どもの教育費の高騰と高い大学授業料に苦しみ、老後の備えができない人が多かった。中年以降が不安だと感じる人が変化に票を入れたようだ。
⇒40代をつかむには教育費の軽減の解決が急務だ。
◆30代は、72~81年に生まれで、90年代が大学入学年度だ。
彼らは、学生時代からコンピュータを使用した世代なので、ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)適応力が高い。97年の通貨危機を体験し、就職の時から苦労し、まだマイホームのない人が多い世代で、チョンセ(高額の保証金を預ければ、その運用益で家賃負担が不要となる賃貸方式)価格の上昇に苦しんでいる。子どもが幼く、無償給食、無償保育の公約にも敏感だ。選挙日の終盤に投票所に走っていくネクタイ、ハイヒール部隊が主にこの世代と分析される。
⇒30代をつかむにはチョンセ価格の引き下げと無償給食・無償保育の解決が急務だ。
◆20代は、82~91年に生まれで、2000年代が入学年度だ。
多くの人が大学に進学する高学歴時代を生きているが、雇用のない成長の中で就職難に苦しんでいる。授業料半額公約に共感し、若年失業の解消を望んでいる。
⇒20代をつかむには若年失業の解決が急務だ。
<朝鮮日報の解説>
① 記事「ソウル市長選:世代間交流の途絶」(10/29、chosuncom)によれば、(「情報収集や交流の手法が完全に異なっている」)世代間の違いを次のようにネーミングしている。
・金文朝(김문조)高麗大学教授(社会学科)は「50‐60代が理性的な<談論世代>だとすれば、SNSを積極的に活用する20‐30代は感情的な<トーク(対話)世代>として、両者は文化的に大きく異なる別の種族」と語った。
② 記事「ソウル市長選:現在の40代、87年当時の30代と同じ地位」(10/29、chosuncom)によれば、40代の地位が大きく変わったことを次のように説明している。
・87年当時の40代は、企業で部長以上の中堅クラスに昇進し、安定的な階層となっていたのに対し、今年の40代は、87年当時の30代と同じく、課長クラス程度の不安定な階層で苦闘を強いられている・・・、現在の40代が、以前のような「安定的な階層」から「不安定な階層」に転落したという現実があるものとみられる。
(参考)イ・ソンヒファンの世代構成
2010年1月時点の、彼女のファンサイト「SunnyLoveCarrot(써니사랑 홍당무)」会員について調査母数n=77であるが、10代(0%)、20代(9%)、30代(44%)、40代(39)、50代以上(8%)という、世代構成の公開情報を本ブログに記している。・・・30代を中心にしているが、1964年生まれの彼女と同世代の40代が潜在的に厚いファン層だろう。
<東亜日報の解説>
東亜日報の「[オピニオン]若者の支持獲得」(10/28)は、当選者側に支持の多かった、40代、30代、20代を次のように解説している。(支持陣営などの情報について一部省略した)
◆40代(新旧世代の間にいる)は、62~71年生まれで、80年代に大学に通った386世代だ。
87年の民主化デモを記憶している抗争世代だが、景気の好況期に難なく職に就き、しばらく生活水準の向上を体感した。97年の通貨危機当時、高い地位にいなかったので構造調整も避けられた。しかし、数年前から、子どもの教育費の高騰と高い大学授業料に苦しみ、老後の備えができない人が多かった。中年以降が不安だと感じる人が変化に票を入れたようだ。
⇒40代をつかむには教育費の軽減の解決が急務だ。
◆30代は、72~81年に生まれで、90年代が大学入学年度だ。
彼らは、学生時代からコンピュータを使用した世代なので、ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)適応力が高い。97年の通貨危機を体験し、就職の時から苦労し、まだマイホームのない人が多い世代で、チョンセ(高額の保証金を預ければ、その運用益で家賃負担が不要となる賃貸方式)価格の上昇に苦しんでいる。子どもが幼く、無償給食、無償保育の公約にも敏感だ。選挙日の終盤に投票所に走っていくネクタイ、ハイヒール部隊が主にこの世代と分析される。
⇒30代をつかむにはチョンセ価格の引き下げと無償給食・無償保育の解決が急務だ。
◆20代は、82~91年に生まれで、2000年代が入学年度だ。
多くの人が大学に進学する高学歴時代を生きているが、雇用のない成長の中で就職難に苦しんでいる。授業料半額公約に共感し、若年失業の解消を望んでいる。
⇒20代をつかむには若年失業の解決が急務だ。
<朝鮮日報の解説>
① 記事「ソウル市長選:世代間交流の途絶」(10/29、chosuncom)によれば、(「情報収集や交流の手法が完全に異なっている」)世代間の違いを次のようにネーミングしている。
・金文朝(김문조)高麗大学教授(社会学科)は「50‐60代が理性的な<談論世代>だとすれば、SNSを積極的に活用する20‐30代は感情的な<トーク(対話)世代>として、両者は文化的に大きく異なる別の種族」と語った。
② 記事「ソウル市長選:現在の40代、87年当時の30代と同じ地位」(10/29、chosuncom)によれば、40代の地位が大きく変わったことを次のように説明している。
・87年当時の40代は、企業で部長以上の中堅クラスに昇進し、安定的な階層となっていたのに対し、今年の40代は、87年当時の30代と同じく、課長クラス程度の不安定な階層で苦闘を強いられている・・・、現在の40代が、以前のような「安定的な階層」から「不安定な階層」に転落したという現実があるものとみられる。
2015年1月7日水曜日
(資料)イ・ソンヒ「1集(REMASTERING ALBUM)」の紹介
イ・ソンヒが1984年の「江辺歌謡祭」に登場して翌年発表した第1集アルバム「あ! 昔よ」(1985年)のリマスター版(JCDS0824)が、今月発売されることを知った。先週、CDショップで確認したところ未だ扱っていないといわれたけれど・・・。
(本ブログ関連:”イ・ソンヒ 1集(Lee Sun Hee Remastered)”)
ネットの「シンナラ・レコード」に掲載されている、大衆音楽評論家・ジャーナリストのパク・ソンソによる「アルバム紹介」は、1集発売当時の様子を次のように記している。
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イ・ソンヒ 1集Remastered、アルバム
韓国「最高のディーバ(歌姫)」、イ・ソンヒ Story
デビュー30周年を迎えるイ・ソンヒのデビュー初のソロアルバム「あ! 昔よ」
・デビュー30周年を迎える、今もまだ「少女」のような姿に清く透明な音色、そして一層深くなった感性・・・イ・ソンヒは、ますます関心が高まる不思議な魅力の持ち主だ。現在、韓国で活動する「最高のディーバ」、イ・ソンヒ初のソロアルバムのリマスタリング(Remastering)作業は、だから意味がより一層大きい。
・メディアに近況が全く知らされなかった去る2009年*、「助け合い公演」が繰り広げられていた汝矣島のKBSホール、予告なしに舞台にイ・ソンヒがサプライズ出演した。アメリカからまさに帰ってきて初めて立つ舞台と言ったし、非公式に立つ舞台だけに、本格的に活動を始める時、再び正式にごあいさつするとも言った。この舞台で、彼女が歌った歌は「あ! 昔よ」であった。少し短いコメントも(次のように)付け加えた。
(*)イ・ソンヒの第2の人生の始まりにおける一つのできごとである。
・「私が初めてデビューして、この歌を歌う時、ネクタイ部隊(中堅サラリーマン)のおじさんファンたちが一言一言(ぶうぶつ)いいましたよ。小さいのがもう『昔よ』を歌うのかと・・・その言葉の意味を、そしてこの歌の真の意味を今になって少しずつ分かる気がします。時間が過ぎれば過ぎるほど、私にはより一層大切に感じられる歌です」と。
・今でも7080世代に思い出という名で広く知られるMBC-FM主催「江辺歌謡祭」が論ざれるたび、一番最初に登場する名前がイ・ソンヒだ。「江辺歌謡祭」が輩出した最高のスター、そして彼女が歌った「Jへ」は最高の名曲として挙げられる。
(本ブログ関連:”7080世代”、”江辺歌謡祭”、”Jへ”)
・1984年、江辺歌謡祭の舞台に初めて立ったイ・ソンヒの姿を、まだはっきりと記憶している人々が多いだろう。それだけ印象的だった。混成デュエット(「4幕5場」)であるだけに、スカートを着るのが良いという放送局側の勧めにより即席で借りて着た、からきし大きな紺色のスカート姿の、腕白小僧のようなパンク頭のわきまえぬ姿・・・しかし、その小さい体躯から吹き出る澄んだパワフルな歌唱力は、皆を驚かせるに十分だった。結局、大賞を手にした「Jへ」は、翌日から人気集めを始めたし、この歌を歌った主人公には各種マスコミのフラッシュ洗礼が集中した。
・しかし、いざ注目を浴びたのは混成デュエットの「4幕5場」でなく、イ・ソンヒであった。「特に注目を浴びるほどのルックスではないので、さらに注目を浴びた」この手つかずの地味な姿は、かえって誰にも親近感を与え、若者たちは誰も彼も「J」になりたいと自らた請(こ)うただけに「Jへ ブーム」はすごかった。
(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「Jへ」”)
・「Jへ」より爆発的な歌唱力を生き生きと見せた歌が、まさにこの初ソロアルバムのタイトル曲「あ! 昔よ」だ。今は過ぎ去った日を回顧する代名詞である単語として位置づけられた「あ!昔よ」は発表されるやいなや、KBS「歌謡トップ10ゴールデン・カップ(5週連続1位)」を占めており、収録曲中の「葛藤」、「少女の祈り」、「私は恋に落ちました」など、何と七曲がチャートに同時進入する話題を集めた。
・トレードマークである丸いメガネとカット頭(ヘヤースタイル)が女子学生の間で大流行したほど、「イ・ソンヒ シンドローム」はすごかった。
・今は女性的にスタイルが変わって、「万人の恋人」として愛されているけれど、デビュー当時は中性的なボーイッシュな魅力と歌唱力で、女性歌手として珍しくハイティーン雑誌とレコードに実物サイズのブロマイドを入れて制作されるほど愛される「下敷スター」*であり、「姉さん部隊」(女性ファン)の元祖であった。
(*)ラミネート加工の写真入りの下敷きで、80年代、元祖下敷スターはイ・ミヨンだそうで・・・「80年代を最後に徐々に下敷きが消えた。下敷きは、単に学用品ではなく、スターといつも会う場所だった」(TVdaily、オ・スジョン記者)
・当時、ある雑誌との「100問100答(100문100답)」で打ち明けた「Jへ」の誕生背景も話題になった。作曲家イ・セゴン(李世建)の楽譜「Jへ」が、ある作曲家事務所*でゴミ箱に捨てられるのを見てその中ですくい出したというエピソードがそれ. 結果的に「捨てられた歌」を捜し出して「宝物」に作ったわけだ。
(*)チャン・ウクチョ音楽室、”イニシャルJ”
・「あ! 昔よ」も他の歌手によって先に発表されたが、埋れていた歌であった。歌手チン・ピレによって1年余り前の83年5月に発表された当時、歌の題名は「その時と今」(パク・ゴンホ作詞、ソン・ジュホ作曲)」。この歌もまた、イ・ソンヒによって始めて光を見た歌だ。このようなエピソードは単に偶然な幸運でなく、多少運命的だと見なされる。はじめて歌が主人に会ったことと解釈される部分でもある*。
(*)韓国民歌ともいえるイ・ソンヒの「美しい江山」(4集、1988年所収)も同様なケースだろう。
・逆境は彼女をより一層輝かせる。「最高の最高のディーバ」という賛辞を受けて、韓国を代表する歌手として、そしてシンガーソングライターに変身して、第2の全盛期を謳歌しているイ・ソンヒのきらめく力作、この初のソロアルバムが吹き込み当時の原音そのままリマスタリングされたというのは非常に喜ばしいことだ。宝石以上の貴重な価値を持った原石をそっくり鑑賞することができるからである。 あたかも今歌うために、当時吹き込んでおいたようなこのアルバムは、そのためより多くの人々に感動させるだろう。
------------------------------------------------------------
(付記)
今日1月7日は、「七草の節句」ということで、無病息災を祈って寺院で七草粥をふるまう行事があるようだ。では、自宅で食べるにはどうすればいいのか、食材として売られているだろうか。はたまた、七草粥を食事できる店があるだろうか。結局、今年も無縁に終わってしまいそうだけど。
(本ブログ関連:”イ・ソンヒ 1集(Lee Sun Hee Remastered)”)
ネットの「シンナラ・レコード」に掲載されている、大衆音楽評論家・ジャーナリストのパク・ソンソによる「アルバム紹介」は、1集発売当時の様子を次のように記している。
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イ・ソンヒ 1集Remastered、アルバム
韓国「最高のディーバ(歌姫)」、イ・ソンヒ Story
デビュー30周年を迎えるイ・ソンヒのデビュー初のソロアルバム「あ! 昔よ」
・デビュー30周年を迎える、今もまだ「少女」のような姿に清く透明な音色、そして一層深くなった感性・・・イ・ソンヒは、ますます関心が高まる不思議な魅力の持ち主だ。現在、韓国で活動する「最高のディーバ」、イ・ソンヒ初のソロアルバムのリマスタリング(Remastering)作業は、だから意味がより一層大きい。
・メディアに近況が全く知らされなかった去る2009年*、「助け合い公演」が繰り広げられていた汝矣島のKBSホール、予告なしに舞台にイ・ソンヒがサプライズ出演した。アメリカからまさに帰ってきて初めて立つ舞台と言ったし、非公式に立つ舞台だけに、本格的に活動を始める時、再び正式にごあいさつするとも言った。この舞台で、彼女が歌った歌は「あ! 昔よ」であった。少し短いコメントも(次のように)付け加えた。
(*)イ・ソンヒの第2の人生の始まりにおける一つのできごとである。
・「私が初めてデビューして、この歌を歌う時、ネクタイ部隊(中堅サラリーマン)のおじさんファンたちが一言一言(ぶうぶつ)いいましたよ。小さいのがもう『昔よ』を歌うのかと・・・その言葉の意味を、そしてこの歌の真の意味を今になって少しずつ分かる気がします。時間が過ぎれば過ぎるほど、私にはより一層大切に感じられる歌です」と。
・今でも7080世代に思い出という名で広く知られるMBC-FM主催「江辺歌謡祭」が論ざれるたび、一番最初に登場する名前がイ・ソンヒだ。「江辺歌謡祭」が輩出した最高のスター、そして彼女が歌った「Jへ」は最高の名曲として挙げられる。
(本ブログ関連:”7080世代”、”江辺歌謡祭”、”Jへ”)
・1984年、江辺歌謡祭の舞台に初めて立ったイ・ソンヒの姿を、まだはっきりと記憶している人々が多いだろう。それだけ印象的だった。混成デュエット(「4幕5場」)であるだけに、スカートを着るのが良いという放送局側の勧めにより即席で借りて着た、からきし大きな紺色のスカート姿の、腕白小僧のようなパンク頭のわきまえぬ姿・・・しかし、その小さい体躯から吹き出る澄んだパワフルな歌唱力は、皆を驚かせるに十分だった。結局、大賞を手にした「Jへ」は、翌日から人気集めを始めたし、この歌を歌った主人公には各種マスコミのフラッシュ洗礼が集中した。
・しかし、いざ注目を浴びたのは混成デュエットの「4幕5場」でなく、イ・ソンヒであった。「特に注目を浴びるほどのルックスではないので、さらに注目を浴びた」この手つかずの地味な姿は、かえって誰にも親近感を与え、若者たちは誰も彼も「J」になりたいと自らた請(こ)うただけに「Jへ ブーム」はすごかった。
(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「Jへ」”)
・「Jへ」より爆発的な歌唱力を生き生きと見せた歌が、まさにこの初ソロアルバムのタイトル曲「あ! 昔よ」だ。今は過ぎ去った日を回顧する代名詞である単語として位置づけられた「あ!昔よ」は発表されるやいなや、KBS「歌謡トップ10ゴールデン・カップ(5週連続1位)」を占めており、収録曲中の「葛藤」、「少女の祈り」、「私は恋に落ちました」など、何と七曲がチャートに同時進入する話題を集めた。
・トレードマークである丸いメガネとカット頭(ヘヤースタイル)が女子学生の間で大流行したほど、「イ・ソンヒ シンドローム」はすごかった。
・今は女性的にスタイルが変わって、「万人の恋人」として愛されているけれど、デビュー当時は中性的なボーイッシュな魅力と歌唱力で、女性歌手として珍しくハイティーン雑誌とレコードに実物サイズのブロマイドを入れて制作されるほど愛される「下敷スター」*であり、「姉さん部隊」(女性ファン)の元祖であった。
(*)ラミネート加工の写真入りの下敷きで、80年代、元祖下敷スターはイ・ミヨンだそうで・・・「80年代を最後に徐々に下敷きが消えた。下敷きは、単に学用品ではなく、スターといつも会う場所だった」(TVdaily、オ・スジョン記者)
・当時、ある雑誌との「100問100答(100문100답)」で打ち明けた「Jへ」の誕生背景も話題になった。作曲家イ・セゴン(李世建)の楽譜「Jへ」が、ある作曲家事務所*でゴミ箱に捨てられるのを見てその中ですくい出したというエピソードがそれ. 結果的に「捨てられた歌」を捜し出して「宝物」に作ったわけだ。
(*)チャン・ウクチョ音楽室、”イニシャルJ”
・「あ! 昔よ」も他の歌手によって先に発表されたが、埋れていた歌であった。歌手チン・ピレによって1年余り前の83年5月に発表された当時、歌の題名は「その時と今」(パク・ゴンホ作詞、ソン・ジュホ作曲)」。この歌もまた、イ・ソンヒによって始めて光を見た歌だ。このようなエピソードは単に偶然な幸運でなく、多少運命的だと見なされる。はじめて歌が主人に会ったことと解釈される部分でもある*。
(*)韓国民歌ともいえるイ・ソンヒの「美しい江山」(4集、1988年所収)も同様なケースだろう。
・逆境は彼女をより一層輝かせる。「最高の最高のディーバ」という賛辞を受けて、韓国を代表する歌手として、そしてシンガーソングライターに変身して、第2の全盛期を謳歌しているイ・ソンヒのきらめく力作、この初のソロアルバムが吹き込み当時の原音そのままリマスタリングされたというのは非常に喜ばしいことだ。宝石以上の貴重な価値を持った原石をそっくり鑑賞することができるからである。 あたかも今歌うために、当時吹き込んでおいたようなこのアルバムは、そのためより多くの人々に感動させるだろう。
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(付記)
今日1月7日は、「七草の節句」ということで、無病息災を祈って寺院で七草粥をふるまう行事があるようだ。では、自宅で食べるにはどうすればいいのか、食材として売られているだろうか。はたまた、七草粥を食事できる店があるだろうか。結局、今年も無縁に終わってしまいそうだけど。
2016年4月5日火曜日
イ・ソンヒ所属事務所「フックエンターテインメント」の2015年業績
イ・ソンヒは、自分の歌を歌うため、ライブ劇場を買収したことがある(2002年)。そのいきさつのなか、彼女が現在所属する音楽事務所「フックエンターテインメント」の母体が誕生する。初期に、その経営に(役員として)関わったともいわれる。
(本ブログ関連:”フックエンターテインメント(후크엔터테인먼트)”、”ライブ劇場買収”)
その後、彼女に人生の大きな変転があり、渡米のため一切を放棄したようだ。帰国後、同フックエンターテインメントとの関係が復活され、現在に至っている。
(本ブログ関連:”渡米”、”(資料)イ・ソンヒが再婚した夫”)
マネートゥデイの記事、「イ・スンギ、イ・ソンヒの所属事務所、不動産だけ244億(ウォン)保有・・・賃貸収益が?」(4/4、中堅中小企業部キム・ゴンウ記者)は、フックエンターテインメントの昨年(2015年)の業績を報じている。2014年と2015年の対比から、業績をイ・ソンヒ、イ・スンギ、イ・ソジンの三人に依存すること、主な収益源であるイ・スンギが今年入隊したことによる売上減、それを補う不動産投資・賃貸業などの話題を紹介している。
(本ブログ関連:”イ・スンギ(이승기)の入隊”)
(参考)
2014年度の業績について、JobCoreaは、「金融監督院によれば、フックエンターテインメントは、2014年の売上高が159億3,500万ウォンで前年対比61.8%増加した。営業利益は、46億8,000万ウォンで218.1%増えた。」と紹介している。
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昨年の営業利益、6億1,700万ウォン「前年比 86.8%↓」 … イ・スンギ入隊で収益悪化の可能性
・イ・ソンヒ、イ・スンギ、イ・ソジンの所属事務所フックエンターテインメントの昨年の営業利益が、前年対比 86.8%急減した。今年は、主な売上(収益)源であるイ・スンギの軍入隊で収益がさらに悪化する見通しだ。
・ただし、244億ウォンを越える(江南)清潭洞の建物が強固なつっかい棒だ。賃貸収益だけ昨年営業利益を上まわる 7億ウォンに達すると推定される。
・4日、金融監督院によれば、フックエンターテインメント(以下フック・エンター)は、2015年の営業利益が 6億1700万ウォンで、前年対比 86.8%減った。 売上額は同期間、32.8%減の 93億5,300万ウォンだった。
・フック・エンターの営業利益が一桁の数を記録するのは、2012年監査報告書を提出した以後初めてだ。 これは売上が減った中で人件費が大きく増えたためと分析される。
・昨年、人件費は 8億4,200万ウォンで、前年対比 34.5%増加した。 旅費交通費と福利厚生費などが減った反面、人件費が増加したという点で役職員(役員と職員)の年俸が大きく上昇したと推測される。
・2002年設立したフック・エンターは、歌手イ・ソンヒのマネージャー出身であるクォン・ジンヨン代表が持分(株式)100%を保有している。所属芸能人は、イ・ソンヒ、イ・スンギ、イ・ソジンなどである。
・フック・エンターは、サービス収入の91億ウォンのうち、(アーティストに)71億ウォンを手数料で支給した。 アーティストの収益配分率は8対2の水準であると推定される。これは、昨年収益配分がアーティストに有利なコンサート売り上げ比重が高かったためと見える。
・フック・エンターは、去る2月1日に、主な売上(収益)源であるイ・スンギが軍に入隊し、2016年の営業活動が大きく萎縮している。イ・ソンヒはコンサート中心で、イ・ソジンはドラマ「結婚契約」出演が活動の大部分であるためだ。
・このため、攻撃的な企業営業よりは、安定した建物賃貸業で事業方向をかえたと推定される。フック・エンターは、昨年7月に138億ウォンを投資して江南区清潭洞の建物を買い取った。 2011年にも100億ウォン台の建物を買いとって話題になった。
・今回の建物買取で、フック・エンターの賃貸料収入は、年7億ウォンに達する見込みである。 だが、86億ウォンを国民銀行から借入、年間利子が2億ウォン水準で、実際の収益は5億ウォンと予想される。
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(本ブログ関連:”フックエンターテインメント(후크엔터테인먼트)”、”ライブ劇場買収”)
その後、彼女に人生の大きな変転があり、渡米のため一切を放棄したようだ。帰国後、同フックエンターテインメントとの関係が復活され、現在に至っている。
(本ブログ関連:”渡米”、”(資料)イ・ソンヒが再婚した夫”)
マネートゥデイの記事、「イ・スンギ、イ・ソンヒの所属事務所、不動産だけ244億(ウォン)保有・・・賃貸収益が?」(4/4、中堅中小企業部キム・ゴンウ記者)は、フックエンターテインメントの昨年(2015年)の業績を報じている。2014年と2015年の対比から、業績をイ・ソンヒ、イ・スンギ、イ・ソジンの三人に依存すること、主な収益源であるイ・スンギが今年入隊したことによる売上減、それを補う不動産投資・賃貸業などの話題を紹介している。
(本ブログ関連:”イ・スンギ(이승기)の入隊”)
(参考)
2014年度の業績について、JobCoreaは、「金融監督院によれば、フックエンターテインメントは、2014年の売上高が159億3,500万ウォンで前年対比61.8%増加した。営業利益は、46億8,000万ウォンで218.1%増えた。」と紹介している。
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昨年の営業利益、6億1,700万ウォン「前年比 86.8%↓」 … イ・スンギ入隊で収益悪化の可能性
・イ・ソンヒ、イ・スンギ、イ・ソジンの所属事務所フックエンターテインメントの昨年の営業利益が、前年対比 86.8%急減した。今年は、主な売上(収益)源であるイ・スンギの軍入隊で収益がさらに悪化する見通しだ。
・ただし、244億ウォンを越える(江南)清潭洞の建物が強固なつっかい棒だ。賃貸収益だけ昨年営業利益を上まわる 7億ウォンに達すると推定される。
・4日、金融監督院によれば、フックエンターテインメント(以下フック・エンター)は、2015年の営業利益が 6億1700万ウォンで、前年対比 86.8%減った。 売上額は同期間、32.8%減の 93億5,300万ウォンだった。
・フック・エンターの営業利益が一桁の数を記録するのは、2012年監査報告書を提出した以後初めてだ。 これは売上が減った中で人件費が大きく増えたためと分析される。
・昨年、人件費は 8億4,200万ウォンで、前年対比 34.5%増加した。 旅費交通費と福利厚生費などが減った反面、人件費が増加したという点で役職員(役員と職員)の年俸が大きく上昇したと推測される。
・2002年設立したフック・エンターは、歌手イ・ソンヒのマネージャー出身であるクォン・ジンヨン代表が持分(株式)100%を保有している。所属芸能人は、イ・ソンヒ、イ・スンギ、イ・ソジンなどである。
・フック・エンターは、サービス収入の91億ウォンのうち、(アーティストに)71億ウォンを手数料で支給した。 アーティストの収益配分率は8対2の水準であると推定される。これは、昨年収益配分がアーティストに有利なコンサート売り上げ比重が高かったためと見える。
・フック・エンターは、去る2月1日に、主な売上(収益)源であるイ・スンギが軍に入隊し、2016年の営業活動が大きく萎縮している。イ・ソンヒはコンサート中心で、イ・ソジンはドラマ「結婚契約」出演が活動の大部分であるためだ。
・このため、攻撃的な企業営業よりは、安定した建物賃貸業で事業方向をかえたと推定される。フック・エンターは、昨年7月に138億ウォンを投資して江南区清潭洞の建物を買い取った。 2011年にも100億ウォン台の建物を買いとって話題になった。
・今回の建物買取で、フック・エンターの賃貸料収入は、年7億ウォンに達する見込みである。 だが、86億ウォンを国民銀行から借入、年間利子が2億ウォン水準で、実際の収益は5億ウォンと予想される。
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2009年6月30日火曜日
イ・ソンヒの影響力は続く
以前の記事だが、京郷新聞(5月8日)の「イ・ソンヒの影響力は続く」によれば、マーケティング調査機関「リースPR研究所」が、最近1ヶ月間に全国5大都市の13~65才の男女1,334人を対象に行った芸能人人気集計の結果、イ・ソンヒが高い人気を競っていることに関心を呼んでいる。
・女性歌手の1位は少女時代(소녀시대)で、イ・ヒョリ(이효리)が3位、ソン・ダンビ(손담비)が7位、その後に続いて、イ・ソンヒがボア(BoA)とともに共同9位を占めた。10位圏内に入った歌手の中でイ・ソンヒは最古参歌手である。イ・ソンヒ側は、「このように後輩歌手らと肩を並べて40代中堅歌手が大きく注目されるのは、今までに本当に珍しい現象」とし、「それでより一層うれしい」と話した。
・イ・ソンヒは、3月に14集「愛よ...」を発表以後粘り強いアルバム販売を記録。現在2万枚以上販売している。
(YouTubeに登録のKPOPSTAR、hkey21に感謝)
・女性歌手の1位は少女時代(소녀시대)で、イ・ヒョリ(이효리)が3位、ソン・ダンビ(손담비)が7位、その後に続いて、イ・ソンヒがボア(BoA)とともに共同9位を占めた。10位圏内に入った歌手の中でイ・ソンヒは最古参歌手である。イ・ソンヒ側は、「このように後輩歌手らと肩を並べて40代中堅歌手が大きく注目されるのは、今までに本当に珍しい現象」とし、「それでより一層うれしい」と話した。
・イ・ソンヒは、3月に14集「愛よ...」を発表以後粘り強いアルバム販売を記録。現在2万枚以上販売している。
(YouTubeに登録のKPOPSTAR、hkey21に感謝)
2012年10月1日月曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 スルギドゥン
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/26)に、人物シリーズ47回目としてフュージョン国楽演奏集団スルギドゥン(슬기둥)を紹介した。
(ところで番組ホームページにあるリンク先音源は「人物シリーズ」#46のもののようだが・・・)
はじめに、スルギドゥン誕生の経緯について次のような紹介があった。
・1980年代 民主化運動盛んな中、大学では民衆運動の一環として、人々の記憶の端に追いやられていた国楽に注目が集まるようになった。
・1978年 初めて登場した<サムルノリ(사물놀이)>が瞬く間に人気を集め、国楽家の間で新しい音楽を作ろうという動きが活発化した。
・1985年 スルギドゥンが結成され、「コップンネヤ(꽃분네야)」、「サンジュモシムギ(상주모심기)」、「サントッケビ(산도깨비)」などふるさとの匂いを感じさせる国楽歌謡で注目を浴びた。以来、国楽の魅力を伝え続ける、まさにフュージョン国楽の歴史と言っても過言ではない。
▼スルギドゥン(カン・ホジュンの歌)による「コップンネヤ(꽃분네야)」を聴く。まさに民謡のゆるやかな素朴な響きそのものである・・・発声、演奏ともにメディアの流れに沿っているようで。
次のようにスルギドゥンのプロフィールが紹介された。
・1985年6月 ある放送局主催の青少年音楽会で、歌を担当した青年カン・ホジュンが歌った「コップンネヤ」が話題となり、これをきっかけに国楽室内楽団スルギドゥンが正式誕生する。
・結成当時のメンバー(8人)は、 KBS国楽管弦楽団員を中心に、テグムとソグムはイ・ジュノ、ピリと歌はカン・ホジュン、カヤグムはミン・イシク、ピリはムン・ジョンイル、カヤグムとヤングムはノ・ブヨン、ヘグムはチョン・スニョン、アジェンはオギョンヒ、そしてシンセサイザーをジョ・グァンジェが担当した。
(参考)ハンギョレニュース「国楽整形術師 "スルギドゥン" 25年の內功(内的進化?)を見て」(2010年2月17日、チョン・サンヨウン記者)
(スルギドゥンのプロフィール続き)
・伝統楽器にシンセサイザーが加わり、現代的な雰囲気を醸し出すと同時に表現の幅を広げた。当時の社会を反映した曲を多数発表し、国楽は昔の音楽ではなく、現代まで続く伝統文化と強調した。
▼スルギドゥン(カン・ホジュンの歌)による「君のために歌う歌(그대를 위해 부르는 노래)」を聴く。のんびりと漂うような旋律は、古い皮袋に入れたまだ新しい葡萄酒のようで・・・。
(スルギドゥンのプロフィール続き)
・スルギドゥンの曲で、「サントッケビ」や「ケグリソリ」は小学校教科書に載り話題となった。創作国楽が音楽のひとつのジャンルとして受け入れられたのでは・・・。この音楽団体が結成されて、すでに30年近く経ち、初期メンバーは中堅演奏者、指揮者や大学の教授などになりグループを去った。
・現在のメンバーには、KBS国楽管弦楽団の常任指揮者である初期メンバーのイ・ジュノが団長として残り、新しい若い後輩たちと活動を続けている。
▼スルギドゥン演奏による「新船歌(シンペンノリ신뱃놀이)」を聴く。東洋的叙情を西洋的編曲で覆うとこうなるのだろうか・・・。
(ところで番組ホームページにあるリンク先音源は「人物シリーズ」#46のもののようだが・・・)
はじめに、スルギドゥン誕生の経緯について次のような紹介があった。
・1980年代 民主化運動盛んな中、大学では民衆運動の一環として、人々の記憶の端に追いやられていた国楽に注目が集まるようになった。
・1978年 初めて登場した<サムルノリ(사물놀이)>が瞬く間に人気を集め、国楽家の間で新しい音楽を作ろうという動きが活発化した。
・1985年 スルギドゥンが結成され、「コップンネヤ(꽃분네야)」、「サンジュモシムギ(상주모심기)」、「サントッケビ(산도깨비)」などふるさとの匂いを感じさせる国楽歌謡で注目を浴びた。以来、国楽の魅力を伝え続ける、まさにフュージョン国楽の歴史と言っても過言ではない。
▼スルギドゥン(カン・ホジュンの歌)による「コップンネヤ(꽃분네야)」を聴く。まさに民謡のゆるやかな素朴な響きそのものである・・・発声、演奏ともにメディアの流れに沿っているようで。
次のようにスルギドゥンのプロフィールが紹介された。
・1985年6月 ある放送局主催の青少年音楽会で、歌を担当した青年カン・ホジュンが歌った「コップンネヤ」が話題となり、これをきっかけに国楽室内楽団スルギドゥンが正式誕生する。
・結成当時のメンバー(8人)は、 KBS国楽管弦楽団員を中心に、テグムとソグムはイ・ジュノ、ピリと歌はカン・ホジュン、カヤグムはミン・イシク、ピリはムン・ジョンイル、カヤグムとヤングムはノ・ブヨン、ヘグムはチョン・スニョン、アジェンはオギョンヒ、そしてシンセサイザーをジョ・グァンジェが担当した。
(参考)ハンギョレニュース「国楽整形術師 "スルギドゥン" 25年の內功(内的進化?)を見て」(2010年2月17日、チョン・サンヨウン記者)
(スルギドゥンのプロフィール続き)
・伝統楽器にシンセサイザーが加わり、現代的な雰囲気を醸し出すと同時に表現の幅を広げた。当時の社会を反映した曲を多数発表し、国楽は昔の音楽ではなく、現代まで続く伝統文化と強調した。
▼スルギドゥン(カン・ホジュンの歌)による「君のために歌う歌(그대를 위해 부르는 노래)」を聴く。のんびりと漂うような旋律は、古い皮袋に入れたまだ新しい葡萄酒のようで・・・。
(スルギドゥンのプロフィール続き)
・スルギドゥンの曲で、「サントッケビ」や「ケグリソリ」は小学校教科書に載り話題となった。創作国楽が音楽のひとつのジャンルとして受け入れられたのでは・・・。この音楽団体が結成されて、すでに30年近く経ち、初期メンバーは中堅演奏者、指揮者や大学の教授などになりグループを去った。
・現在のメンバーには、KBS国楽管弦楽団の常任指揮者である初期メンバーのイ・ジュノが団長として残り、新しい若い後輩たちと活動を続けている。
▼スルギドゥン演奏による「新船歌(シンペンノリ신뱃놀이)」を聴く。東洋的叙情を西洋的編曲で覆うとこうなるのだろうか・・・。
2013年7月14日日曜日
「【萬物相】大学歌謡祭」
先月(6月)の2日に発表された、MBCの「大学歌謡祭(대학가요제)」(1977年~)の中止について、朝鮮日報の記事「【萬物相】大学歌謡祭」(7/14、呉太鎮(오태진)首席論説委員)は、大学歌謡際前後に出身の歌手たちと、歌謡祭の終焉を次のよう紹介している。
(本ブログ関連:"大学歌謡祭")
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・1970年代の『KBS杯争奪全国のど自慢(KBS배 쟁탈 전국노래자랑)』は土曜日の夜、人々の目を白黒テレビにくぎ付けにした。韓国初のテレビ歌謡コンテストということで、ものすごい人気だった。71年の第1回大会年末決戦のことは40年以上も前だがはっきりと覚えている。勝者は18歳のキム・ミョンヒだった。ギターを弾きながら、細かく震えるビブラートで「セノヤ セノヤ」を歌った。現在は中堅ジャズシンガー、ユン・ヒジョンとして活躍している。丸刈りの頭を毛糸の帽子で隠した高校生チョン・ヨンノクは「デュオ」というグループで出場して奨励賞を手にした。
・この番組は70年代末に一度なくなり、80年に『全国のど自慢』として復活したが、新人歌手発掘ではなく、地域の人々が集うのど自慢大会になった。77年にMBCが始めた「大学歌謡祭」に人気を奪われたためだ。そのころの大学生たちはロックバンドに夢中だった。ソウルだけでも20を超えるバンドが毎年集まり、腕を競った。大学歌謡祭は若者文化を自作曲コンテストへと導き入れ、維新体制(朴正煕〈パク・チョンヒ〉大統領による独裁体制)に息を詰まらせていた若者たちに熱狂的に支持された。
・初期の大学歌謡祭は歌手のイ・スマン(이수만)が司会をした。ソウル大学農学部に通う大学生のバンド「サンド・ペブルス(샌드페블즈)」にいたイ・スマンは、今やK-POP界を担う大手事務所SMエンターテインメントの会長だ。第1回大賞は、イ・スマンの4年後輩のサンド・ペブルスが「僕、どうしたら(나 어떡해)」で獲得した。このグループの1年先輩に当たるキム・チャンフンが作詞・作曲した。兄のキム・チャンワンと共に「サンウルリム(こだま)」を結成した、あのキム・チャンフンだ。釜山大学合唱団「引き潮(썰물)」の「押し寄せる波の音に(밀려오는 파도소리에)」が優勝した第2回大会も話題になった。
・第2回に準優勝に当たる金賞を受賞したのは、「曲がりくねった道(돌고 돌아가는 길)」を歌った檀国大学のノ・サヨン(노사연)だった。銀賞にはペ・チョルス率いる航空大学在学生によるバンド「滑走路」の「仮面劇」が選ばれた。だが、当時人気があったのは断然、明知大学のシム・ミンギョンだった。大学生お決まりのジーンズとTシャツではなく、きちんとした襟のある水色のワンピース姿でピアノの前に座った。歌もロックやフォークではなく、トロット(明るい歌詞やメロディーの演歌)だった。シム・ミンギョン(심민경)はピアノを弾きながら自作曲「あの時 あの人(그때 그 사람)」を情感豊かに歌った。間もなく「歌手シム・スボン(심수봉)」としてデビュー、この曲は歌謡ランキング番組を総なめにした。
・数々のスター歌手やヒット曲を生み出した大学歌謡祭が、その歴史にピリオドを打った。MBCは、「制作費がかなり掛かるのに視聴率は非常に低い。大衆と呼応できない『むなしいこだま』だった」と理由を説明した。2000年代になるとスター育成は芸能プロダクションが担うようになった。そして歌手の登竜門といえばオーディション番組に取って代わられた。昨年の大学歌謡祭の賞金は500万ウォン(約44万円)だったが、オーディション番組の賞金は5億ウォン(約4400万円)に達した。あらゆる分野間で壁が取り払われようとしている時代に、大学生という「くくり」があるのも感覚的に古かったのだろう。70-80年代に青春を過ごした世代にとってまた一つ、思い出が遠くなった。
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(本ブログ関連:"大学歌謡祭")
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・1970年代の『KBS杯争奪全国のど自慢(KBS배 쟁탈 전국노래자랑)』は土曜日の夜、人々の目を白黒テレビにくぎ付けにした。韓国初のテレビ歌謡コンテストということで、ものすごい人気だった。71年の第1回大会年末決戦のことは40年以上も前だがはっきりと覚えている。勝者は18歳のキム・ミョンヒだった。ギターを弾きながら、細かく震えるビブラートで「セノヤ セノヤ」を歌った。現在は中堅ジャズシンガー、ユン・ヒジョンとして活躍している。丸刈りの頭を毛糸の帽子で隠した高校生チョン・ヨンノクは「デュオ」というグループで出場して奨励賞を手にした。
・この番組は70年代末に一度なくなり、80年に『全国のど自慢』として復活したが、新人歌手発掘ではなく、地域の人々が集うのど自慢大会になった。77年にMBCが始めた「大学歌謡祭」に人気を奪われたためだ。そのころの大学生たちはロックバンドに夢中だった。ソウルだけでも20を超えるバンドが毎年集まり、腕を競った。大学歌謡祭は若者文化を自作曲コンテストへと導き入れ、維新体制(朴正煕〈パク・チョンヒ〉大統領による独裁体制)に息を詰まらせていた若者たちに熱狂的に支持された。
・初期の大学歌謡祭は歌手のイ・スマン(이수만)が司会をした。ソウル大学農学部に通う大学生のバンド「サンド・ペブルス(샌드페블즈)」にいたイ・スマンは、今やK-POP界を担う大手事務所SMエンターテインメントの会長だ。第1回大賞は、イ・スマンの4年後輩のサンド・ペブルスが「僕、どうしたら(나 어떡해)」で獲得した。このグループの1年先輩に当たるキム・チャンフンが作詞・作曲した。兄のキム・チャンワンと共に「サンウルリム(こだま)」を結成した、あのキム・チャンフンだ。釜山大学合唱団「引き潮(썰물)」の「押し寄せる波の音に(밀려오는 파도소리에)」が優勝した第2回大会も話題になった。
・第2回に準優勝に当たる金賞を受賞したのは、「曲がりくねった道(돌고 돌아가는 길)」を歌った檀国大学のノ・サヨン(노사연)だった。銀賞にはペ・チョルス率いる航空大学在学生によるバンド「滑走路」の「仮面劇」が選ばれた。だが、当時人気があったのは断然、明知大学のシム・ミンギョンだった。大学生お決まりのジーンズとTシャツではなく、きちんとした襟のある水色のワンピース姿でピアノの前に座った。歌もロックやフォークではなく、トロット(明るい歌詞やメロディーの演歌)だった。シム・ミンギョン(심민경)はピアノを弾きながら自作曲「あの時 あの人(그때 그 사람)」を情感豊かに歌った。間もなく「歌手シム・スボン(심수봉)」としてデビュー、この曲は歌謡ランキング番組を総なめにした。
・数々のスター歌手やヒット曲を生み出した大学歌謡祭が、その歴史にピリオドを打った。MBCは、「制作費がかなり掛かるのに視聴率は非常に低い。大衆と呼応できない『むなしいこだま』だった」と理由を説明した。2000年代になるとスター育成は芸能プロダクションが担うようになった。そして歌手の登竜門といえばオーディション番組に取って代わられた。昨年の大学歌謡祭の賞金は500万ウォン(約44万円)だったが、オーディション番組の賞金は5億ウォン(約4400万円)に達した。あらゆる分野間で壁が取り払われようとしている時代に、大学生という「くくり」があるのも感覚的に古かったのだろう。70-80年代に青春を過ごした世代にとってまた一つ、思い出が遠くなった。
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2017年6月2日金曜日
(雑談)見えないものが見えること
眼力のある人が、あるいは直観力のある人が素晴らしい鉱物を発見する。ズリを掘り返して探し出すこともあれば、岩塊を叩き割って見つけることもある。それもこれも、背景に鉱物への深い関心と素養があってのこと。もっといえば、経験を忘れていないことだろう。これは全てあてはまるにちがいない。研究者から職人、マニアにいたるまで。
昔、CG創成期のころ、期待されながらも亡くなった中堅の研究者からこんな夢を直接聞いたことがある。子どものころ見た、手作業で撮った(コマ撮り)恐竜映画をCGで再現したいというのだ。ジュラシックパークのはるか以前のこと。
その研究者が、一般向けにCG作りの擬似体験をする機会を設けてくれたので参加した。とはいえ、動画以前の写真一枚分の作業だったが。ワイヤーフレームから作りこむことはなく、モジュール化した立体部品を使い、空間に配置するだけなのだが・・・。
基本の立体モジュールを変形・合体し、表面の材質をパラメーターで決める。空間配置は頭の中に座標を作って決めよというのだ。そのとき作ってみたい画像は、「金属の飛行船に突き破られたガラス片が散る様子」だった。(紙飛行機のほうが面白いかとも思ったが・・・)
真っ暗闇に浮かぶ飛行船と散乱するガラス片を見えるようにすることから始まる。まず、見えないものが見えるには、光源(複数)が必要だと知った。当り前だが、カメラの位置(アングル)も。そして、空中に浮かんでいるというのは、下側があるから・・・ということも。
次に、ガラス片は厚さがあって初めて光線を屈折して輝くことも知った。ガラス片はどれくらいの数量定義すればいいのか・・・。ガラス表面にあたった光がしっかり反射するよう、三角形にした。力の限り大小おりまぜて書き出した。
できあがった写真は、恥ずかしいものだった。そして思った、これを一体どうすれば動くように見せられるのだろうかと。それ以来、見える意味について考えるようになった。つまり、見えるというのは、光源と視点があるということなのだと。多分、何ごとにも通じるのではないかと思う。
そしてCG動画に対する関心も大きく変わった。
昔、CG創成期のころ、期待されながらも亡くなった中堅の研究者からこんな夢を直接聞いたことがある。子どものころ見た、手作業で撮った(コマ撮り)恐竜映画をCGで再現したいというのだ。ジュラシックパークのはるか以前のこと。
その研究者が、一般向けにCG作りの擬似体験をする機会を設けてくれたので参加した。とはいえ、動画以前の写真一枚分の作業だったが。ワイヤーフレームから作りこむことはなく、モジュール化した立体部品を使い、空間に配置するだけなのだが・・・。
基本の立体モジュールを変形・合体し、表面の材質をパラメーターで決める。空間配置は頭の中に座標を作って決めよというのだ。そのとき作ってみたい画像は、「金属の飛行船に突き破られたガラス片が散る様子」だった。(紙飛行機のほうが面白いかとも思ったが・・・)
真っ暗闇に浮かぶ飛行船と散乱するガラス片を見えるようにすることから始まる。まず、見えないものが見えるには、光源(複数)が必要だと知った。当り前だが、カメラの位置(アングル)も。そして、空中に浮かんでいるというのは、下側があるから・・・ということも。
次に、ガラス片は厚さがあって初めて光線を屈折して輝くことも知った。ガラス片はどれくらいの数量定義すればいいのか・・・。ガラス表面にあたった光がしっかり反射するよう、三角形にした。力の限り大小おりまぜて書き出した。
できあがった写真は、恥ずかしいものだった。そして思った、これを一体どうすれば動くように見せられるのだろうかと。それ以来、見える意味について考えるようになった。つまり、見えるというのは、光源と視点があるということなのだと。多分、何ごとにも通じるのではないかと思う。
そしてCG動画に対する関心も大きく変わった。
2012年5月30日水曜日
(資料)「Jへ」を歌う歌手
2026年7月27日月曜日
(Gemini)記憶の芸人たち、いつから高給取りになったか ①
このところ既視感にとらわれて、お笑い番組を見ることはない。お笑い界の、有吉弘行(元「猿岩石」)、大悟(「千鳥」)がなぜか両雄のような存在になっているが、正直、彼らの笑いに追いつけないでいる。
考えてみれば、ラジオや映画、テレビの時代を経て、お笑いを意識付けられたような気がする。夏の夜、「蚊帳(かや)」の中でラジオの「お父さんはお人好し」を聞いた記憶から始まる。親に連れられて見た映画の「社長シリーズ」で大人のとぼけた味わいを知るようにもなったし、テレビで日曜夕方の音楽ショー「シャボン玉ホリデー」を楽しみにしていた。
ここらあたりまでに、お笑いの基本を身に付けたと思う。それ以降は、少し遠くから見るようになったし、次第に既視感を深めていった・・・、それだけでない、芸人たちが芸人を起点に、存在を変質させたことに気づき始めた。お笑い芸そのものを楽しむ(楽しめる)といったことがなくなったからかもしれない。
以下、生成AIの Gemini に確かめながら、お笑い芸人の記憶を整理した。
これまで経験した、お笑い芸に次のような芸人・役者がいる。(伝説のエノケン(榎本健一)は申すまでもないのだが)
「花菱あちゃこ、伴順三郎」(戦前からの寄席・浅草軽演劇)
↓
「森繁久彌、三木のりへい」(昭和の映画黄金期・劇場喜劇)
↓
「植木等、ハナ肇とクレイジーキャッツ」(高度経済成長期の象徴、音楽と映画の融合)
↓
「コント55号、ザ・ドリフターズ」(1970年代、お茶の間のテレビバラエティ完成期) ← 既視感をぼつぼつ感じ始めた。
↓
「ビートたけし、明石家さんま、タモリ」(1980年代、漫才ブームと個人のトークの時代)
ペンキ屋の息子を謳(うた)い文句にしながら、超高級車を乗りまわしたり、黒澤風映画造りに邁進したかと思いきや、文化人語りをしてしまう豹変ぶりにいささか戸惑う。
■ Gemini
Q.いつごろから、芸人が高給取りになりましたか。むかしの芸人は、NHKに出演してもアナウンサーから正直、(露骨に)軽く扱われたことがありましたし、落語の師匠が裏長屋に住んでいたという話がありましたが。
---------------------------------------------
A.まさに仰る通りで、昭和初期や戦前・戦後の芸人さんは「一芸に秀でていても社会的地位は低く、宵越しの金は持たない」「NHKに出てもどこか端役に扱われる」というのが当たり前の時代がありました。
芸人が本当の意味で「夢のある高給取り」「世間が憧れる花形職業」になったのは、結論から言うと1980年代前半の「漫才ブーム」および「オレたちひょうきん族」の時代(昭和50年代後半)が決定的なターニングポイントです。
どのようなプロセスで芸人の待遇と社会的地位が上がっていったのか、3つの時代的ステップで紐解くとすっきり見えてきます。
1. 【昭和30〜40年代】映画とテレビ草創期:スターにはなったが「興行の世界」
映画黄金期の森繁久彌さんや、テレビ創世記の植木等さん(クレイジーキャッツ)、ザ・ドリフターズは大変な稼ぎ頭でした。しかし、この時代の高給はまだ「映画会社やプロダクション、あるいは興行(舞台)の取り分」が大きく、芸人個人の社会的な位置づけは「一ツの芸を売る河原乞食(かわらこじき)」という古くからの偏見を完全に脱せていませんでした。
NHKの番組などでも、落語家や漫才師は「余興(演芸)のゲスト」であり、アナウンサーや制作側が「正統な文化・報道」、芸人は「あくまてお慰み」という一線を画した扱いをされることが多くありました。
2. 【1980年代】決定打:「漫才ブーム」と「ひょうきん族」
芸人の収入とステータスが一気に跳ね上がったのは、1980年〜1982年頃の漫才ブームです。
過密スケジュールと高額ギャラ
B&B、ツービート(ビートたけし)、島田紳助・松本竜介、明石家さんまさんらが日替わりでヘリコプター移動をするほどの空前絶後のブームが起きました。ここでテレビ局間の争奪戦が起き、ギャラが跳ね上がります。
「タレント」から「番組の主役・文化人」へ
それまで「用意された台本通りに演じる」存在だった芸人が、自らの言葉(フリートーク)で番組を動かすようになります。たけしさんやさんまさんがテレビだけでなく深夜ラジオ(オールナイトニッポン等)で若者のカリスマとなり、文化人・ベストセラー作家としても扱われ始めました。
「芸人は儲かる」という認知
たけしさんらがテレビで「最高月収」や高級外車の話ネタをフランクに話し始めたことで、世間一般に「お笑い芸人は夢のように稼げる職業だ」という強烈なイメージが定着しました。
3. 【1990年代】「億単位」の定着と事務所のシステム化
1990年代に入ると、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン(第三世代)が20代〜30代前半で爆発的な人気を得ます。
この時期、大手芸能事務所(吉本興業や太田プロダクションなど)によるタレントマネジメントやCM契約のビジネスモデルが完全に確立されました。一組の芸人が冠番組を何本も持ち、大手企業のCMに起用されることで、「億単位の年収」が一部のトップ芸人だけでなく、売れっ子中堅層にまで広がる構造が完成したのです。
【まとめ】
裏長屋で貧乏に耐えながら芸を磨く「師匠と弟子」の世界から、テレビという巨大メディアの最高権力者(MC)へ。
芸人が高給取りになり、社会的な地位を一変させた最大の分岐点は、間違いなく <1980年代初頭(漫才ブーム〜ひょうきん族の時代)> でした。
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■ Youtube(登録: 長谷川良品「テレビ悲報ch」)
「タモリさん面白くない【批判が殺到する理由】ヒカル氏 カジサック 教養ない」(2026/04/26 )
ー https://www.youtube.com/watch?v=KUDEERKVRjI
その後について:
↓
【1990年代前半】メガヒット番組の誕生(お笑い第三世代)
・とんねるず(石橋貴明、木梨憲武)
・ダウンタウン(浜田雅功、松本人志)
・ウッチャンナンチャン(内村光良、南原清隆)
↓
【1990年代後半〜2000年代前半】マルチ展開と雛壇(ひなだん)の完成
・ナインティナイン(岡村隆史、矢部浩之)
・くりぃむしちゅー、ネプチューン、ロンドンブーツ1号2号
↓
【2000年代後半〜2010年代】賞レースの権威化と多様化
・中川家、サンドウィッチマン、ブラックマヨネーズ
・千鳥、かまいたち
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