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2026年7月27日月曜日

(Gemini)記憶の芸人たち、いつから高給取りになったか ①

このところ既視感にとらわれて、お笑い番組を見ることはない。お笑い界の、有吉弘行(元「猿岩石」)、大悟(「千鳥」)がなぜか両雄のような存在になっているが、正直、彼らの笑いに追いつけないでいる。

考えてみれば、ラジオや映画、テレビの時代を経て、お笑いを意識付けられたような気がする。夏の夜、「蚊帳(かや)」の中でラジオの「お父さんはお人好し」を聞いた記憶から始まる。親に連れられて見た映画の「社長シリーズ」で大人のとぼけた味わいを知るようにもなったし、テレビで日曜夕方の音楽ショー「シャボン玉ホリデー」を楽しみにしていた。

ここらあたりまでに、お笑いの基本を身に付けたと思う。それ以降は、少し遠くから見るようになったし、次第に既視感を深めていった・・・、それだけでない、芸人たちが芸人を起点に、存在を変質させたことに気づき始めた。お笑い芸そのものを楽しむ(楽しめる)といったことがなくなったからかもしれない。

(本ブログ関連:”(Gemini)記憶の芸人たち”)

以下、生成AIの Gemini に確かめながら、お笑い芸人の記憶を整理した。
これまで経験した、お笑い芸に次のような芸人・役者がいる。(伝説のエノケン(榎本健一)は申すまでもないのだが)

(本ブログ関連:”エノケン”、”落語”)


「花菱あちゃこ、伴順三郎」(戦前からの寄席・浅草軽演劇)
    ↓
「森繁久彌、三木のりへい」(昭和の映画黄金期・劇場喜劇)
    ↓
「植木等、ハナ肇とクレイジーキャッツ」(高度経済成長期の象徴、音楽と映画の融合)
    ↓
「コント55号、ザ・ドリフターズ」(1970年代、お茶の間のテレビバラエティ完成期) ← 既視感をぼつぼつ感じ始めた。
    ↓
「ビートたけし、明石家さんま、タモリ」(1980年代、漫才ブームと個人のトークの時代)

ペンキ屋の息子を謳(うた)い文句にしながら、超高級車を乗りまわしたり、黒澤風映画造りに邁進したかと思いきや、文化人語りをしてしまう豹変ぶりにいささか戸惑う。

■ Gemini

Q.いつごろから、芸人が高給取りになりましたか。むかしの芸人は、NHKに出演してもアナウンサーから正直、(露骨に)軽く扱われたことがありましたし、落語の師匠が裏長屋に住んでいたという話がありましたが。
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A.まさに仰る通りで、昭和初期や戦前・戦後の芸人さんは「一芸に秀でていても社会的地位は低く、宵越しの金は持たない」「NHKに出てもどこか端役に扱われる」というのが当たり前の時代がありました。

芸人が本当の意味で「夢のある高給取り」「世間が憧れる花形職業」になったのは、結論から言うと1980年代前半の「漫才ブーム」および「オレたちひょうきん族」の時代(昭和50年代後半)が決定的なターニングポイントです。

どのようなプロセスで芸人の待遇と社会的地位が上がっていったのか、3つの時代的ステップで紐解くとすっきり見えてきます。

1. 【昭和30〜40年代】映画とテレビ草創期:スターにはなったが「興行の世界」
映画黄金期の森繁久彌さんや、テレビ創世記の植木等さん(クレイジーキャッツ)、ザ・ドリフターズは大変な稼ぎ頭でした。しかし、この時代の高給はまだ「映画会社やプロダクション、あるいは興行(舞台)の取り分」が大きく、芸人個人の社会的な位置づけは「一ツの芸を売る河原乞食(かわらこじき)」という古くからの偏見を完全に脱せていませんでした。

NHKの番組などでも、落語家や漫才師は「余興(演芸)のゲスト」であり、アナウンサーや制作側が「正統な文化・報道」、芸人は「あくまてお慰み」という一線を画した扱いをされることが多くありました。

2. 【1980年代】決定打:「漫才ブーム」と「ひょうきん族」
芸人の収入とステータスが一気に跳ね上がったのは、1980年〜1982年頃の漫才ブームです。

過密スケジュールと高額ギャラ
B&B、ツービート(ビートたけし)、島田紳助・松本竜介、明石家さんまさんらが日替わりでヘリコプター移動をするほどの空前絶後のブームが起きました。ここでテレビ局間の争奪戦が起き、ギャラが跳ね上がります。

「タレント」から「番組の主役・文化人」へ
それまで「用意された台本通りに演じる」存在だった芸人が、自らの言葉(フリートーク)で番組を動かすようになります。たけしさんやさんまさんがテレビだけでなく深夜ラジオ(オールナイトニッポン等)で若者のカリスマとなり、文化人・ベストセラー作家としても扱われ始めました。

「芸人は儲かる」という認知
たけしさんらがテレビで「最高月収」や高級外車の話ネタをフランクに話し始めたことで、世間一般に「お笑い芸人は夢のように稼げる職業だ」という強烈なイメージが定着しました。

3. 【1990年代】「億単位」の定着と事務所のシステム化
1990年代に入ると、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン(第三世代)が20代〜30代前半で爆発的な人気を得ます。

この時期、大手芸能事務所(吉本興業や太田プロダクションなど)によるタレントマネジメントやCM契約のビジネスモデルが完全に確立されました。一組の芸人が冠番組を何本も持ち、大手企業のCMに起用されることで、「億単位の年収」が一部のトップ芸人だけでなく、売れっ子中堅層にまで広がる構造が完成したのです。

【まとめ】
裏長屋で貧乏に耐えながら芸を磨く「師匠と弟子」の世界から、テレビという巨大メディアの最高権力者(MC)へ。
芸人が高給取りになり、社会的な地位を一変させた最大の分岐点は、間違いなく <1980年代初頭(漫才ブーム〜ひょうきん族の時代)> でした。
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■ Youtube(登録: 長谷川良品「テレビ悲報ch」)
「タモリさん面白くない【批判が殺到する理由】ヒカル氏 カジサック 教養ない」(2026/04/26 )
    ー https://www.youtube.com/watch?v=KUDEERKVRjI


その後について:
    ↓
【1990年代前半】メガヒット番組の誕生(お笑い第三世代)
    ・とんねるず(石橋貴明、木梨憲武)
    ・ダウンタウン(浜田雅功、松本人志)
    ・ウッチャンナンチャン(内村光良、南原清隆)
    ↓
【1990年代後半〜2000年代前半】マルチ展開と雛壇(ひなだん)の完成
    ・ナインティナイン(岡村隆史、矢部浩之)
    ・くりぃむしちゅー、ネプチューン、ロンドンブーツ1号2号
    ↓
【2000年代後半〜2010年代】賞レースの権威化と多様化
    ・中川家、サンドウィッチマン、ブラックマヨネーズ
    ・千鳥、かまいたち

2022年12月30日金曜日

(資料)エノケンの「最後の伝令」に雪が降る

喜劇王エノケン(榎本健一、1904年~1970年)が出演した軽演劇「最後の伝令」について知りたくネット上を探した。

子どものころ、父親からエノケンといえば「最後の伝令」だと聞かされたことがある。その後、夜遅くにテレビ(もしかしたら4チャンネルの日本テレビだったか)で、偶然にも「最後の伝令」の芝居(スタジオ撮影版だったか?)と巡りあった。

芝居は米国の南北戦争下、若い男女の悲恋物語のはずが、役者や裏方の手違いが連続して舞台がハチャメチャになってしまう。まさに抱腹絶倒、腹がよじれて笑いが止まらなかったよう記憶している。「メリーさん、メリーさん」のセリフも、父から聞いた通り発せられたし、紙製の雪が降ったし・・・。

最近になって、ネットのYoutubeや「国立映画アーカイブ」サイトで、「最後の伝令」の動画情報がないか検索したがたどり着けなかった。そこで<映画>や<芝居>についての文字情報を検索したところ、次のような記事を見つけることができた。


<映画についての文字情報>

① 映画評があるブログ「幻想館」*
映画「極楽大一座 アチャラカ誕生」のストーリー紹介・・・より抜粋
・「最後の伝令」を劇中劇にした映画(1956年、東宝、白坂依志夫脚本、小田基義 監督)
・ストーリーを、詳細に記述している。雪降りの場面もしっかり描写されている。感謝。
(*)「幻想館」: http://www.ne.jp/asahi/gensou/kan/eigahyou59/gokurakudaiichizaatyarakatanjou.html
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・軍隊内で芝居を演じた戦友が、戦後も旅回り一座で役者を続けている。
・一座で脚本化志望の若者と、町の娘との恋物語り。
・演目にリアリズムが必須といわれ、米国の南北戦争を素材にする(・・・とは?)
・劇中劇「最後の伝令」は、エノケンの口上で始まる。
・雪の舞う舞台・・・舞台・裏舞台でドタバタが始まる。
・普段おんな方を演じる役者が、軍人姿となって「メリーさん、メリーさん、大変だ!」という所作の怪しさ。
・ラストに雪がどさっと落ちてくるなど・・・まだまだある。
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② 神保町シアターのフィルム情報
映画「極楽大一座  アチャラカ誕生」(S31('56)/東宝/白黒/スタンダード/53分)・・・より抜粋
https://www.shogakukan.co.jp/jinbocho-theater/program/kigeki.html
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・ 映画制作・俳優陣の情報(略)
・エノケンの「メリーさん、メリーさん」で知られる、伝説のアチャラカ劇「最後の伝令」(菊谷栄 作、1902年~1937年)が観られるのはこの映画だけ! 
・柳家金語楼、古川ロッパ、トニー谷、三木のり平ら、日本の喜劇人たちが勢揃い。
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③ MOVIEWALKER PRESS
映画「極楽大一座 アチャラカ誕生」(1956年6月1日公開、53分、コメディ)・・・より抜粋
https://moviewalker.jp/mv24688/
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・昭和七年(1932年)、浅草玉木座**で公演して好評を博し、昨年秋に日劇、同年暮にも東京宝塚劇場で上演された同名喜劇の映画化である。
・芝居、南北戦争余話大悲劇(「最後の伝令」)の幕は切って落されたが、稽古不十分で舞台上のケンカが持ち上り、場内は爆笑の連続となった。だが観客の爆笑に気をよくした荒金興行主と古沢閣下は大喜び。かくて中久保と真知子の恋人同士も目出度く結ばれることになった。
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(**)昭和五年(1930年)浅草の玉木座・・・という記述もある。


<論文・レポート>

① 「演劇研究 : 演劇博物館紀要」(中野正昭、43, 99-122、2020年)
「エノケン喜劇『最後の伝令』(1931)とフランク・キャプラ映画『陽気な踊り子』(1928) -喜劇にみるアメリカ映画のアダプテーション(脚色)-」
https://waseda.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=58090&file_id=162&file_no=1
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・「最後の伝令」の原案が、映画「陽気な踊り子(The Matinee Idol)」の劇中劇「アーロンに帰れ(Come Back to Aaron)」であることの分析。
ー (本来、旅芸人のヒロインとブロードウェイの一流コメディアンのメロドラマであるはずの)映画の劇中劇で演じられる、旅芸人一座の演目「アーロンに帰れ」のドタバタといい、映画全体を通じての男女のおさまり具合といい、「最後の伝令」はうまく吸収している。
・後半を「最後の伝令」と「アーロンに帰れ」の展開ごと、詳細に比較している。
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(参考)
映画「The Matinee Idol(陽気な踊り子)」(1928年)
■ Youtube (登録:Steve Miller Talks)
「THE MATINEE IDOL (1928) - Starring Bessie Love and Johnnie Walker」(降雪場面  46:10)
https://www.youtube.com/watch?v=mKz3MVre99o

② ニッポンヲシロウ
「時代と戦い、激動を生きた、ニッポンの喜劇人たち」
https://www.tv-asahi.co.jp/ss/137/japan/top.html


<新たな劇団の演劇ガイド-文字情報>

① 劇団回帰線
「最後の伝令」(2013.10.24-27、シアターZOO)、舞台化の演出・西脇秀之
http://kaikisen.info/saigono/denrei.html
・「最後の伝令」単独の劇なのか未確認
・芝居の解説より・・・抜粋。
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・「最後の伝令」(原案・榎本健一、脚色・菊谷栄)
・舞台は、アメリカ南北戦争。若い兵士とその帰りを待つ恋人の物語。しかし女のもとには悲しい知らせが届く。「メリーさん、メリーさん、大変だ…」嗚呼!悲涙血涙の大悲劇……のはずが、セリフはとちる、出もとちる。
・座員たちはその場しのぎの連続で、舞台の上も裏もひっちゃかめっちゃ! 徹頭徹尾のデタラメ、貫徹するドタバタに笑った口がふさがらない!
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② その他
・「最後の伝令」の作家菊谷栄に焦点をあてたものがある。

2016年7月6日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 操り人形

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/29)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「操り人形(コクドュガクシ、꼭두각시)」に関連した3曲を紹介した。

始めに、「操り人形踊り(꼭두각시춤)」について、朝鮮末期の「男寺党牌(ナムサダンペ)」の演目から次のように紹介された。
・低学年の子どもたちがよく踊る「操り人形踊り」がある。保育園の発表会でも目にする。男女1組になりニコニコして顔を合わせながら踊る。床に座り込んで足を転がせる姿が可愛い。この踊りは、朝鮮末期の放浪芸人集団「男寺党牌(남사당패)」の人形劇、「操り人形遊び(꼭두각시놀음)」に登場する人物で、木製の胴にひもを繫げて操ることから、操り人形の意味で使われる。
・この人形劇に出てくる人物「操り人形(コクドュガクシ)」の夫、朴僉知(박첨지)が妾を作ったことで喧嘩をし、結局、金剛山に出家してしまう。「操り人形」は、目鼻や口がねじれ、顔にしわやそばかすがたくさんある。夫のせいで、どれだけ気苦労をしたかわかる。朴僉知と「操り人形」は、それほど仲の良い夫婦ではなかったが、子どもたちの舞踊で知られ、今も多くに記憶される。悔しい想いをした「操り人形」も、少しは恨みを晴らしたかもしれない。

▼ 「操り人形踊り」で二弦の擦弦楽器「奚琴(ヘグム、해금)」演奏、「操り人形」を聴く。今様に、おどけて可愛い響き。

次に、男寺党牌の「風物(풍물)」と女性リーダー「バウドクイ(바우덕이)」(1848年~1870年)について次のように紹介された。
・男寺党牌は、朝鮮時代末期に、放浪しながら公演して生計を営んだ、放浪芸人集団だ。村から、公演の許諾を得ると、歌と踊りの農楽、「風物」の出し物で人々を集めた。皿回しや綱渡りなど、六種類の代表的な芸がある。無形文化財に指定され、ユネスコ人類無形遺産に登録された。

▼ 演劇「男寺党の空」のための曲「男寺党の歌」の演奏と歌を聴く。シンフォニーと合唱が重々しく映画音楽のよう、今様である。

・男寺党牌は、本来男たちの集団だが、安城地域で活動した集団に、初の女性リーダーとなった伝説的な「バウドクイ」をテーマにしたのがこの作品だ。バウドクイは、特に綱渡りが達者だったと知られる。しかし朝鮮戦争後には男寺党牌は途絶える。

最後に、男寺党牌を受け継ぐ、1978年登場の「サムルノリ(사물놀이)」について次のように紹介された。
・昔のリズムを生かし、現代の若者にも親しまれる音楽を作り出したのが、サムルノリと呼ばれるもので、古くから伝わる農楽、つまり、「風物」を舞台音楽に再構成したもの。伝統音楽を現代風にアレンジして人気を博した。伝統を継承した良い例と言える。

▼ 湖南地域の農楽のリズム「農楽加楽(농악가락)」を聴く。新酒の香ばしさするリズム。

2014年7月14日月曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 葬儀と歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/9)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第63回として、死者を見送り家族を慰める「葬儀と歌(상례와 소리)」にまつわる話を紹介した。

初めに、棺を運ぶときに歌う「喪輿歌(상여소리)」について、次のような解説から始まった。
・昔は人が棺を運び、そのときの歌が今でも地域に伝わっている。町中の人々が棺を乗せた喪輿(もこし、상여)を肩にかつぎ、亡くなった者への願いと、残った家族を慰める気持ちを込めて一緒に歌を歌う。
・人は希望を持ち、明るい未来を夢見るが、叶えられたとしても、人生の最後に死が待っている。その事実を見つめられるとき、人生について語れるだろう。最後があるからこそ尊い。古くから、亡くなった者を見送る儀式に特に心を込める。この儀式に欠かせないものが音楽だ。西洋に死者のためのミサで歌う曲(レクイエム≒鎮魂歌)があるように、韓国には喪輿を運ぶときの歌「喪輿歌」が伝わっている。この音楽には、亡くなった者と生きている者に対する願いが込められている。

▼ 京畿地域(高陽)の「喪輿歌」を聴く。仏教的な響きがして、感情を包むような庶民の厳粛さを感じる。

次に、喪輿歌の意義について、次のように考察された。
・昔は、自分の家で生まれ自分の家で亡くなった。最近は、病院で生まれ病院で亡くなり、葬儀も簡単に行なうことが多くなった。葬儀が過ぎると、この世に死の存在を忘れて生きるため、死について考えたり、暮らしを振り返る機会は多くない。昔は、墓場に到着するまで町中の人々が喪輿を担ぎ、喪輿歌を歌った。それを聴き、子供たちは、この世に死の存在を自然に学び、若者も、いつか自分も老いることを悟り、今後どう生きるべきか考える機会になる。歌う人も聴く人も、一度聴けば胸に残り、その記憶が(民俗)芸術になる。

▼ パンソリ「沈清歌(심청가)」の中から「郭夫人の喪輿が出る」場面を聴く。靈軸旣駕 往卽幽宅 載陣遣禮 永訣終天 觀音菩薩・・・

最後に、全羅南道の珍島に伝わる、葬儀中に遊ぶ「ダシレギ(다시래기)」について、次のように解説された。
・死は悲しいことだが、生者はその後も生きていかなければならない。残された家族の心を慰めるため、珍島では、葬儀の中で「ダシレギ」という遊びをする。喪輿が出る前日の夜、歌を歌い、劇をしながら楽しむ。庭に集まった人々みなが歌を歌うと、芸人が登場してちょっとした笑劇をする。みなで笑い楽しんだ後、空の喪輿を担ぎ庭を一周し、実際喪輿が家を出発するかのように練習する。家族に心の準備をさせるし、翌日喪輿を担ぐ者に予行演習にもなる。愛する人を見送る最後の瞬間に、みな一緒にいるだけでも家族には慰めになっただろう。

▼ 遺族を慰める遊びに歌う「珍島ダシレギ」を聴く。葬儀って忙しく騒がしいほど、悲しみも吹っ飛んでしまう・・・本当に。