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2011年10月31日月曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 正歌

KBS WORLD放送の「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/26)に、「身分の高い人々の手で伝えられた、整えられて洗練された音楽である正楽(정악)グループの声楽曲、正歌(정가)」について紹介された。

「詩として書かれたものを歌として歌う形式」の声楽曲の「正歌」には、次の3つがあるということから始まった。
・「歌曲(가곡)」
・「時調(시조)」
・「歌辞(가사)」

<歌曲>
▼イ・ドンギュ(重要無形文化財第30号)による、歌曲羽調(우조)、「初數大葉(초삭대엽)」の「東窓(동창)이 )」を聴く。漂うような緩やかさのなのに、ちょっと重々しく・・・始まる。

歌曲のテンポについて次の通り説明があった。
・昔の音楽「大葉(대엽)」に、テンポについて速い順に、「慢大葉」<「中大葉」<「數大葉(삭대엽)」があったが、現在は數大葉が主流。
・男女が交互に歌う。
・最初の歌は「初」の字が付いて「初數大葉」、二番目の歌は「2」を当て「二數大葉」といい、以降数字と関係なく多様なメロディーの歌が続く。

歌曲の音階について次の通り説明があった。
・西洋音楽の長調と短調のように、国楽にも「羽調(우조)」と「界面調(계면조)」があり、歌曲を歌う時どちらの調かを曲名に表示する。
・歌曲は歌う形式が複雑で楽器も多用なため、簡略化させ比較的簡単な伴奏にのせて詩を歌う、「時調(시조)」という形式の音楽がよく歌われるようになった。

<時調>
▼イ・ジュナによる羽時調(우시조)の「月正明(월정명)」を聴く。以前(7/10)、時調の解説で聞かせていただいた美しい歌だ。月の光りの音が届くようだ。

◆ソリとノレの違い
ちょうど知りたかった、ことがわかりましたよ!感謝。ソリとノレの違いを次のように説明された。
・昔の人々は、庶民が歌う民謡などは、音という意味合いの「ソリ(소리)」を使い、歌曲や時調のような音楽のみを「ノレ(노래 )」、つまり歌(唄)と呼んでいた。ノレと呼ばれるこれらの音楽が、正しい歌、正歌だというわけ。
・歌曲は、重要無形文化財、第30号に指定され、去年ユネスコ人類の無形遺産に登録された。

(付記)
パンソリのパン(판)は、多くの人々が集まる<場所>を意味し、ソリ(소리)は<音>を意味する。(Wikipediaより)

<歌辞>
歌辞について次の通り説明があった。
・時調よりももう少し長い詩を歌うのがこの歌辞で、時調と同様に簡単な伴奏を添える。
・現在まで、全12曲が伝えられていて、「十二歌辞(십이가사)」とも言われる。

▼イ・ヤンギョによる歌辞「梅花歌(매화가)」 を聴く。繰り返しがのどかな感じがするが・・・物語はいかに。

2016年5月25日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 瀟灑園ほか

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/18)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、代表的な「瀟灑(しょうしゃ)園(소쇄원)」の園林のほかに関連した3曲を紹介した。

始めに、「朝鮮時代の園林中、最高と評される『瀟灑園』」について次のように紹介された。
・家の庭や花壇を「庭園」というが、昔は「園林」の表現をよく使った。庭園は、人工的に整備した庭を意味し、園林は自然のままに、もともとあったかのように自然に溶け込んだ場所を指す。朝鮮時代、最高の園林と評される「瀟灑園」は、全羅南道の潭陽地域にある。竹林を抜けて園に入ると小さな東屋が目に入る。管理が届き、自然の美しさが際立つ。土と石を積んだ程よい高さの仕切り、小川の上に設けられたでこぼこ石の橋脚、小川の水は、竹で作った水路に沿って流れ池になり、やがて滝になるようだ。

▼ テグムとシンセサイザー演奏で「瀟灑園」を聴く。まるで朝霧に浮かぶ景観がしのばれるよう。今様である。

次に、瀟灑園近くにある「息影亭(식영정)」で活動した鄭澈(정철、1536年~1593年)について次のように紹介された。
・瀟灑園が位置する潭陽は、昔から竹が知られ、東屋も有名。園の中に「光風閣(광풍각)」、「霽月堂(제월당)」の東屋があり、園の向かいに「環碧堂(환벽당)」、近くに「息影亭」もある。環碧堂は四方が青の意、息影亭は影も休む場所の意を持つ。特に、息影亭は、朝鮮中期の文人、鄭澈が活動した場所と知られる。彼の代表作「星山別曲(성 산별곡)は、ここを素材に、季節ごとに移り変わる景色を表現したこの作品だ。この山のおもむきを音楽にしたものがある。

▼黄秉冀(황병기)作曲の「山韻(산운)」をコムンゴとテグム演奏で聴く。古い器で新酒を飲むような風情がする。

最後に、朝鮮時代発生した(始め両班女性の間で流行した)「歌辞(가사)文学」について次のように紹介された。
・学者ソンビが数人集まると、東屋を囲んで座り、茶と酒を楽しんだ。自然や彼らの暮らしについて談話したことだろう。また、詞や作品を作ることもあった。中でも代表的なものが「歌辞(가사)文学」だ。歌辞とは、朝鮮時代の代表的な詩歌形式で、韻律を生かし、自然と人の心を歌った。上記の「星山別曲」も歌辞文学に含まれる。これから、歌辞文学は潭陽で生まれたともいわれる。

▼ 風流に女唱歌曲(여창가곡)の伝統歌曲「界楽(계락)」の「青山島(청산도)」を聴く。(軽快に歌うものもあるが)

・青山島は、全羅南道の莞島地域の島で、四季を通じて、青い島の意から、青い島、青山島と名付けられた。物寂しい姿が美しいと評される島だが、一度は訪れてみたい・・・という。

2016年8月17日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 山雲

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/10)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、東屋や蝉に関連した3曲を紹介した。

始めに、学者ソンビが風流を楽しんだ、潭陽(담양)にある東屋「息影亭(식영정)」について次のように紹介された。
・暑い日が続く。そんな日に、景色の良い東屋で涼み、横笛のテグムの音色を楽しみたい。聴くうちに眠りに誘われれば最高だろう。南の全羅南道潭陽には、学者ソンビが風流を楽しんだ著名な東屋が多く、その中に雲が休んでいく東屋の意の「息影亭」がある。星山(성산)の麓に建つ小さな東屋だ。光州湖の向かいに見える無等山は絶景。その周りを囲む杉、竹林、夏には華やかに咲く百日紅の花も美しい。

▼ 息影亭の景色を描く 「山雲(산운)」(作曲 黄秉冀(황병기)、1936年~)を聴く。風に流れる雲を今様に描写する。

次に、上記の曲「山雲」の元になった、歌辞作品が「星山別曲(성산별곡)」について次のように紹介された。
・朝鮮中期のソンビ、金成遠(김성원)が建てた息影亭に、歌辞(가사)文学、詩歌の大家の正哲(정철)がよく訪ねて風流を楽しんだ。その景色を表した歌辞作品が「星山別曲」だ。<夜間に降った雨のおかげで蓮の花が咲くと、山中が香りで満たされた>という内容の詞から始まる。先に聞いた「山雲」は、この「星山別曲」の山の景色を表現した曲だ。息影亭を建てた金成遠は、亭の名を影に例えた。影は原形を追いかけるように、人も自然の法則に従う、だから喜ぶことも、悲しみ怒ることもない。世に拘束されぬソンビの自由な様子が垣間見られる。

▼ 蝉の方言を使った「メアミ(매아미)」という蝉の歌を聴く。蝉のざわめきが返って辛さを薄めるというのか?

・この「メアミ」の曲には、山菜や粗酒が登場する。富裕層が普段食べる油っこい食物や良酒ではなく、山菜と味の劣る酒だ。民と同じく、名の知れぬソンビの普通の生活だ。美味くないと不満を抱くこともなく、素朴でも食べられることへの感謝。この曲は、素朴な暮らしを称える歌であり、人生の辛さを歌うものでもある。

最後に、北方地域の蝉の方言を使った「サルム打令(싸름타령)」について次のように紹介された。
・北の地域の民謡 「サルム打令」にも蝉が登場する。上記の蝉の歌とは全く違って、自分を去っていった恋人を想う、ある悲しい女性の心が込められた愛しい歌だ。

▼ 北方地域の蝉の方言を使った「サルム打令」の歌を聴く。蝉の声、鳴き声が人に泣くことを誘うのだろうか?

2018年7月25日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 酒

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/18)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、酒にまつわる話を紹介した。

始めに、陰陽五行説に基づく「三伏(복날)」について次のように紹介された。
・7月~8月にかけて、陰陽五行説に基づく「三伏」(初伏、中伏、末伏)がある。昔、三伏に田の稲が歳を取るといい、初・中・末伏ごと稲に節ができ、三つできて稲穂になると考えた。一年で一番暑い時期、稲が育つ間、農村ではしばらく仕事を休み、涼しい郊外に出かけて体に良いものを食べた。酒を飲み、歌まであれば、それ以上の幸せもない。

▼ 長寿を願う定型詩の平時調(평시조)による「萬壽山(만수산)」を聴く。永遠に続くかのよう朗々と。

次に、パンソリ「春香歌(춘향가)」に登場する李夢龍(이몽룡)活躍について次のように紹介された。
・相手の長寿を願い、酒を勧める歌に「勧酒歌(권주가)」がある。妓生の娘の春香と、高官になった李夢龍の愛の物語パンソリ「春香歌」にも勧酒歌が登場する。李夢龍は、不正な官吏を探す任を受け、官吏たちの内情を探るため、物乞いに扮して宴会へ行く。民は食に窮し苦しむのに、彼らは馳走を前に楽しむ。李夢龍は機嫌よくなくて宴会を乱し、妓生に勧酒歌を歌わせた。妓生は、長寿を祈るではなく、彼をあざけり呪い歌ったが、李夢龍は引き下がることはなかった。

▼ パンソリ「春香歌」から、王の勅命を受けた「(暗行)御史出頭(어사출도」を聴く。
     金樽美酒千人血
     玉盤佳肴萬姓膏
     燭淚落時民淚落
     歌聲高處怨聲高

最後に、朝鮮中期の文人「鄭澈(정철、1536~1594)」の「将進酒辞(장진주사)」について次のように紹介された。
・朝鮮中期の文人「鄭澈」は、酒好きでも知られる。酒のため会議に出られず、非難を浴びたこともある。王は、そんな彼に小さな銀杯をひとつ渡し、今後は一日に一度、酒は一杯にしておくという命令だ。すると、彼は、杯を伸ばして、容量を増やして飲んだという。鄭澈の作品に、酒好きな文人だっただけに、勧酒歌の「将進酒辞」*がある。「飲まんかな 飲まんかな 一杯また一杯」で始まる、終末を想像し、みな泣き悲しんで送っても、世を去った私に誰が酒を交わすというのか・・・という内容。
(*「朝鮮の詩ごころ」(講談社学術文庫)に紹介されているとのこと)

▼ 「将進酒辞」にもとづいた「将進酒」を聴く。ゆるりと歌い流れる。

2017年12月20日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 自然を友に生きる

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(12/13)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、自然を友に生きる人生に関連する曲を紹介した。
(未聴のため他言語放送の解説をもとに記す)

始めに、「伯夷と叔斉(백이와 숙제)」兄弟の話で始まる「首陽山歌(수양산가)」について次のように紹介された。
・「歌辞(가사)」は、時調(시조)詩と合わせて歌う「歌曲(가곡)」で、支配階層が楽しんだ。全12曲が伝えられ、「十二歌辞」ともいわれ、長い歌詞を大笒(テグム:擦弦楽器)や奚琴(ヘグム:管楽器)などの伴奏で歌う。
・「首陽山歌」は、過去の王朝への節義を守るため、< 首陽山 > に入ってワラビだけ食べ、飢えて死んだという「伯夷・叔斉」兄弟の話で始まるため「首陽山歌」の名がついた。全体的には多様な故事を引用して、自然を友に生きる願望を込めた歌だ。

次に、パンソリを歌う前に喉を整える「短歌(단가)」のひとつ「竹杖芒鞋(죽장망혜)」について次のように紹介された。
・パンソリの前に、歌い手が喉を整えるため歌った「短歌」の一曲に、< 竹杖芒鞋と単瓢子だけで千里山川に入る > という一節で始まる「竹杖芒鞋」がある。「竹杖」は竹のツエ、「芒鞋」は麻や大麻を材料にした「わらじ」だ。そして「単瓢子」は瓢箪(ひょうたん)をいう。見せかけ(虚飾)をすべて捨て、簡素な格好で山川遊覧に出ることをあらわす。

最後に、識者(ソンビ)たちが隠居の代表に <漁師> をあげたことについて次のように紹介された。
・「竹杖芒鞋」に歌われた山は、(中国の江西省北部)「廬山」で、唐代の詩人「李白」に歌われた。高麗・朝鮮時代の謹厳な識者ソンビは、隠居の代表的な人生に <漁師> をあげた。生活のために漁をする漁師でなく、自然と交わりながら悠悠自適に過ごす人生として、漁をする漁師であり、多くのソンビが「漁父辭」を作って残した。

2016年10月5日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 神仙、仙女

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/28)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、<神仙(신선)>、<仙女(선녀)>に関連する3曲を紹介した。

(本ブログ関連:”神仙”)

始めに、「神仙」の「神人」と「真人」、その体現者「崔致遠(최치원)」と「玉寶高(옥보고)」について次のように紹介された。
・東洋では、人に生まれながら不老不死の神通力がある「神仙」の存在を信じた。荘子は、神仙を、神と人の「神人」と、真(まこと)と人の「真人」に区分した。神人は、初めから神仙となる素質を持って生まれた人であり、真人は、修行を通じて神仙となった人だ。神仙は、水中にいても死ぬことなく、燃える火中でも熱さを感じない。統一新羅時代の学者「崔致遠」や、弦楽器コムンゴの名人「玉寶高」などが神仙になったと伝わる。神仙は、細かなことに干渉せず、自然の中で囲碁や楽器演奏など風流を楽しんだ。

▼ 朝鮮時代のソンビが楽しんだ伴奏曲を管楽器(タンソとセンファン)用にした「水龍吟(수룡음)」を聴く。青秋に相応しく響く。

次に、神仙の絵に登場する「仙童(선동)」、定型詩「時調(시조)」の「辞説頭学(사설지름)時調」にある「鶴に乗って、笛を吹いて(학타고 저불고)」について次のように紹介された。
・ソンビの作品に、神仙を描いた絵があり、楽器を演奏する姿も少なくない。ソンビの楽器といわれるコムンゴもあり、(横笛)ゾッテやセンファンを奏する神仙が多く見られる。また、神仙を世話する子どもの「仙童」がよく登場する。子供らしい顔に髪を両側に結び、桃を持つことが多い。定型詩「時調」に、「辞説頭学時調」があり、「鶴に乗って、笛を吹いて」は、そんな神仙の生活を表現した曲だ。神仙中、最高の女神「西王母」が開く宴に、誰が参加するか尋ねる歌詞に、神仙を世話する仙童が仙女の名を挙げる。そんな宴に行ってみたい、ソンビの思いがこもった歌のようだ。

▼ 辞説頭学時調の「鶴に乗って、笛を吹いて」を聴く。悠悠と空を浮かぶよう、何だか楽しいタイトルだ。

最後に、時調に登場する「仙女」、ソンビ「仙君(선군)」と仙女「淑英(숙영)」の愛を描いたパンソリ「淑英娘子伝(숙영낭자전)」について次のように紹介された。
・時調は、一定の文字数と並べ方をする定型詩だ。変形した形ができると、元の形式を「平時調(평시조)」と呼ぶ。先の辞説頭学時調から、辞説時調は、平時調より文字数が多いものを指し、頭学時調は、歌の前半を高く歌うという意だ。仙女は、昔話に神仙より頻繁に登場する。神仙は年寄りが多いが、仙女は若くて美しい女性として登場する。また、朝鮮時代、ソンビの「仙君」と、仙女「淑英」の愛を描いたパンソリ「淑英娘子伝」があった。この作品は、長い間歌われなかったが、朴松熙(박송희、1927年~)が復元(再創作)したという。「淑英娘子伝」は、男女の愛を描いた説話を基盤にしたもの。

▼ 「仙君と仙女が出会う場面(선군과 선녀 만나는 대목)」の歌を聴く。

2014年4月9日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 清明、寒食

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/5)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第50回として、二十四節気の「清明(청명)」と、同じ時期の「寒食(한식)」にまつわる話を紹介した。

まず、同時期の清明、寒食の語義、および植樹について、次のような紹介から始まった。
・諺に「清明に死のうが、寒食に死のうが(청명에 죽으나 한식에 죽으나)」がある。二十四節気の一つの「清明」(陽暦4月5、6日)から花冷えも収まり、気温も暖かくなる。一方、「寒食」は、冬至から105日目を指し、伝統的名節で、先祖の祭祀(제사.)をしたり、墓参りに行く。この日は火を使わず、冷たい料理を食べる。清明とほぼ同じ、陽暦4月5、6日になることから、上記の諺は、「これも、あれもたいした差はない」の意で使われる。また、毎年4月5日は、山に植樹する日でもある。朝鮮時代の成宗(성종)王が世子や臣下を連れ、農作業の神を祭る先農壇(선농단)で祭祀を行った。

▼ 「花柳東風(화류동풍)」を聴く。きらびやかな春の香りする・・・今様である。

次に、寒食と墓薙の風習について、次のように説明された。
・寒食の伝統はほぼ失われたが、旧正月(설날)、秋夕(추석、旧暦8月15日)、5月の端午の節句と並び、4大名節とされた。昔は、火の使用に手間取り、家々で火種を消さぬよう用心した。万物は、命を宿すと考えられ、火も古びると生命力が落ち、人に悪影響を与えると信じられた。新春を迎える時、古い火を消し、新しい火を点す作業が寒食だ。朝鮮時代、寒食の4日間、火の使用を禁じ、冷たい飯を食べた。宮中では柳の木で焚いた火を、官庁や臣下に分け与えた。
・植樹のころ、墓の草むしりの「墓薙(벌초)」や、補修したりする慣習だけは、今も残っている。
・次の曲目「西道雜歌」中の「祭奠」は、寒食に夫の墓前で、祭祀を行う女性を歌った曲だ。準備の供え物を一つ一つ並べ、心をこめて捧げ、先立った夫を偲んで歎き悲しむ。曲冒頭、祭祀の前に、墓前に幾重も紙を敷き、供え物を乗せる場所を作る様を歌う。

▼ 「西道雜歌(서도 잡가)」の中の「祭奠(チェジョン、제전)」を聴く。少ない音と震える声で悲しみを表現して・・・。

最後に、鄭澈(정철、1536年12月18日~1594年2月7日)の歌について、次のように解説された。
・この時期、祭祀でなく、花見に山を訪れる人が少なくない。こうした風流を楽しむ様子を描いた歌に、朝鮮時代の歌辞(가사)文学の大家、号を松江(송강)、鄭澈の歌に「勧酒歌」がある。「この身は死んだ後、むしろで包まれ、きらびやかな輿に乗せられ山まで運ばれるのだろう。麻の服を着た人たちが歎き悲しみながら付いてくるだろうが、わびしい墓の中では誰も酒を勧めてくれることもない。せめて生きている間だけでも、心から楽しもう」という内容だ。

▼ 「勧酒歌(권주가)」を聴く。不老酒の効用をまず朗詠して・・・ゆるり酔ってみよう。

2013年7月17日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 東屋(あずまや)

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/10)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第14回として、風流を感じながら涼をとることのできる「東屋(あずまや、정자)」について紹介された。

まず川遊びの話題や曲紹介から始まり、東屋と楼閣について次のような解説があった。

▼フュージョン国楽グループThe林による「夏の眠り(여름잠)」を聴く。古趣を残しながらも今様である。

・美しい山川を背景に「東屋」は、壁のない柱に屋根をのせただけで、床に木板を敷いた建屋である。私有の場合、冬にも利用できるよう中央に小さなオンドル部分を設けたという。東屋より若干大きなものを「楼閣」と呼び、ほとんどが高い丘の上や、土石で固めた土台上に建てたため「楼台」ともいう。今も、江原道江陵市の鏡浦臺や、慶尚南道晋州市の矗石樓の楼閣は全国的に知られる。
・東屋や楼閣は主に両班が使用して、詩を読み、絵を描き、音楽を聴くといった風流を楽しんだ。竹で有名な全羅南道潭陽は、東屋文化で最も有名で、都落ちしたソンビたちが集まり、各々東屋(俛仰亭、息影亭、瀟灑園、環碧堂など)を建て、「歌辞(가사)」と呼ぶ独特な詩文化を育てた。歌辞文学の大家、鄭澈(정철、1536年~1593年)も、この地で「星山別曲」、「思美人曲」など代表作を書いたといわれる。

▼「瀟灑園(소쇄원)」を聴く。風流を意識した描写的な音色・・・今様である。

代表的な庭園の瀟灑園について次のように紹介された。
・紹介曲のタイトルに使われた「瀟灑園(소쇄원)」は、16世紀に梁山甫(양산보)によって作られた庭園で、生い茂った竹道を入ると、待鳳臺、光風閣、霽月堂の小さな東屋が配置され、その間を渓流が流れ、小さな滝がある。大きくはないが、自然をそのままに生かし、空間を有効に利用して、必要に応じて手が加えられた。梁山甫は子孫に、この場所を売り渡したり、またむやみに手を加えてはならぬと遺言した。

▼江原道の「江陵鏡浦臺(강릉 경포대)」を聴く。砂洲に封されたのか、鏡浦湖の水面は静に、歌も穏やかに流れる。

2017年1月11日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 酒

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1月4日)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、酒に関連した3曲を紹介した。放送未聴のため英語版より抜粋した。

⇒ キム・ボエさんの解説が登録されましたので、[  ] で追記しました。

始めに、朝鮮中期の官吏「盧禛(노진、1518年~1578年)」と王宣祖(선조)にまつわる詩について次のように紹介された。
・朝鮮中期に清廉潔白な官吏だった盧禛が、高齢な母のため都を去ったとき、王宣祖は失望し詩に表わした[御製歌(어제가)]。また、盧禛の定型詞調 「平時調 万寿山(평시조 만수산)」には、王の長寿へ願いを込めた献杯に、王への心からの忠誠心を見ることができる。

▼ 平時調 「万寿山」を聴く。厳かにそして高貴に歌う。

・この「万寿山」を作詞した詩人は、慶尚道咸陽から来た盧禛に他ならない。その地には、2つの詩碑がある。ひとつは盧禛への宣祖の詩であり、もうひとつは盧禛の「万寿山」の詩である。酒は王への忠誠心を示すといわれる。

次に、若い頃に人生を楽しむことを奨める「四季歌(단가 사철가)」について次のように紹介された。
・人生は束の間である、若いときに人生を楽しめと奨めることから、短歌の「四季歌」はインスピレーションを得た。生きて飲む酒は死後の祝祭で飲むよりもっとよい。

▼ 「短歌 四季歌」を聴く。こちらは地の声がしてたくましい。

最後に、朝鮮中期の学者「鄭澈(정철、1536年~1594年)」の「将進酒辞(장진주사)」について次のように紹介された。
・昔、旧正月の後に、薬草で作られた「屠蘇酒(도소주)」を飲み、年初に悪鬼払いして、家族全員の健康と幸せを願った。朝鮮中期の学者「鄭澈」が書いた「将進酒辞」がある。

▼ 鄭澈の辭說時調「将進酒辞」にもとづいた「将進酒(장진주)」を聴く。長々と伸びる言葉に酔う?

2014年1月15日水曜日

(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「10.それが歌なの 発声練習では」

先日(2013/9/27)、「スポーツ韓国」の紙面(1991年3月8日~4月5日)に連載された「イ・ソンヒ27歳当時のスター・ストーリー」記事の目次を紹介したが、その第10回目をここに載せたい。感謝。

イ・ソンヒの、ヒットの数々とトラブル、慈善活動、海外とのかかわり(マイケル・ジャクソン、レスリー・チャン)、ファンクラブ誌(ニンジン)などを知ることができた。

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ(27歳当時)の「スター・ストーリー」”、”資料:이선희 Profile”)

[10] それが歌なの 発声練習では
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・1985年11月、私の2集アルバムが出た。タイトル曲は「秋の風」。

・ところで、この歌が盛んに電波に乗っている頃、盗作の是非にまきこまれて、すぐさま放送停止にあってしまった。公演倫理委員会が立てた理由は、キム・ヨンジャさんが1983年発表した「愛の迷路」中の「あぁ、私たちの愛のロウソクの灯り/消えて道に迷ったね」の部分をそのまま盗作したというのだ。私が作曲した歌でなく、何か抗弁する立場ではなかったが、ちょっとくやしかった。メロディが全く同じならばともかく.・・・結局、私は「秋の風」を再録音しなければならなかった。それでも若干惜しくなかったのは、「ケンチャナ(大丈夫)」が「秋の風」に劣らずヒットしたという事実だ。慰めはなった。

・3集の「分かりたいです」を準備しながら、私は最初のリサイタルを持った。それが1986年7月26日、 収益金は全額「恵まれない学生家長*助け合い」募金に出した。奨学金形式で渡されたお金の中には、新光女子中と祥明女子高の後輩に与えられたのもある。最初の数回は、学校に直接訪ねて行って、奨学金を学校に寄託したが、そのたびに校長先生が学生たちに紹介してほめるお言葉がなぜか過分で照れくさくて、この頃は人伝に学校に送っている。

    (*)学生家長: 家長の役割を合わせ持つ学生 (本ブログ関連:”学生家長”)

・当時は、「学生家長」という概念さえ曖昧な時だったので、私は「有名税」を利用したいわゆる、「マスコミ・プレー」をよくした。広告費はとても高くて、また往来にポスター貼りは不法で・・・したがって、私は放送に出演するたびに、私の慈善公演日程を大々的に「広報」したりした。

・実際にチャリティー・コンサートを準備しながら、後悔(?)もたくさんある。準備期間が3ヶ月ほどかかるからだ。普通のファンは、TVに映らなければ「あの子、もう終わった」といいながら速断することが常なので、コンサート準備期間中には、かなり大きい打撃を甘受しなければならないのだ。

・とにかく、困難を訴える学生家長の手紙を知らない振りすることもできなくて、収益金を狙った(?)慈善公演を今まで40回余り行った。手に余っても、引き続き強行しようとしている。

3集では「分かりたいです」が最も多い愛を受けた(人気があった)曲だ。1987年4月の一ヶ月間、放送回数107回を記録したので、いつでもどこででも聞こえる歌だったと言える。「やはり」タイトル曲でないこの歌が大ヒットした原因は、ヤン・インジャ先生*の歌詞のためのようだ。「忙しい時、電話しても私の声うれしいんですか」などの歌詞は、女性心理を見抜いたという評を聞いて、それゆえに男性ファンからは「男に疲れさせる(重い)歌」という愚痴も聞こえてきた。

    (*)本ブログ関連:”ヤン・インジャ”

時折、私に向かって「それが歌か、発声練習では」と厳しく批判する人もいる。認める。私の歌が主に高音域中心であるから。

それで、6集「思い出のページをめくれば」では、トーンをかなり低く下げた。偏狭な考えかも知れないが、6集くらいで満足できなければ、私は致し方ない。世の中のすべての人を満足させる能力は私にはないので。

私はそれなりに情熱と誠意を尽くして歌う。全身に力を集中して「熱唱」する数年・・・いつのまにか私の手の平にはタコができた。私も知らない新しいマイクを握った掌中に力が入っていたようだ。

私の名前の前に「歌手」という接頭辞がつき始めて以来、私は実に多くの仕事を経験した。

日刊スポーツのゴールデン・ディスク賞5連覇*をはじめとして、歌謡と関連した賞ほぼ一度ずつは全て取ってみた。そして望んだだけファンから愛も受けている。今でもファンレターと一緒に熊のぬいぐるみなど様々なプレゼントの包が、1年なら小型トラック2台分位ずつ家に舞い込む。

    (*)ゴールデン・ディスク賞5連続受賞、1990年12月9日(イ・ソンヒ公式ホームページより)

外国にも何度も出かけたし、私の歌が香港映画「野生の花」*の主題歌で歌われることもあった。 また、つぎつぎ翻案して歌った外国の歌手もかなり多くて、誰が誰なのか確かに分からないほどだ。

    (*)香港映画「野生の花」・・・未確認

あの有名なマイケル・ジャクソンも、私とともにデュエット・アルバムを吹き込もうと申し入れて来たりした。ところで問題は「踊り」だった。レコードと同時に、ミュージックビデオまで作るつもりだったジャクソンは、テープに録音された「私はいつもにあなたを」など数曲を聞いてみて極めて満足したのか、私自身の振りつけ担当まで付けてやると米国に来ないかなど、積極性を見せたが私は断った。理由は、ただ一つ。 自尊心(プライド)が傷つけられたためだ。

「時価いくらの世界的なスターでも、私に2年も踊りを習えだって? フン、素晴らしいね、このひとは。 私、そんなに暇な女ではないね」

香港の歌手、張國榮(レスリー・チャン)とも共に舞台に立ったことがある。彼のステージ・マナーは本当に良かった。かなり多くの曲を歌ったが、そのうちの二曲だけがライブであった。放送でもないコンサートなのに・・・それは香港式、いや英国式なのか?

「張國榮」といえば思い浮かぶ気が乗らない記憶一つがある。彼は若くも老いもない女性を自分の母親と紹介したが、その女性は私が張國榮と話すたびにとても気遣う様子だった。「チェッ」誰が自分の息子、なんという大儺(鬼払い)。*

    (*)世間で言われるような関係はなかったのだろうか

ところで後ほど分かってみれば、彼女がまさに張國榮の隠した「スポンサー」とか。だが確認する方法はない。

ファンが声援してくださることにはいつも感謝するが、できるならあまり興奮はしないようにされたら良いだろう。特にコンサート現場では。

1987年の冬、63ビルディングで公演を持った時、女子学生4人が気絶したことがある。病院に移す途中、靴までなくしたそのうちのある少女に私の履き物を履かせてあげて、私はスリッパ姿で帰宅したりした。弱り目にたたり目で、その日、汝矣島(ヨイド)広場ではある政党の群衆(大衆)集会があったので、そこでケガした人々に、私のコンサートで過度に興奮した少女4人まで加勢して、近所の病院は時ならぬ好況(?)を向かえ、汝矣島一帯の交通はしばらくの間麻痺したようなものだった。

熱狂ファンに自ら少しでも誠意の表示をするという気持ちで始めたのが、1年に四回ずつ直接お送りするファンクラブ誌「ニンジン」である。ファンクラブの会員数が1万5千人ほどだから、一度発送するには、それこそ私の周辺には「大騒ぎ」がある。

「ニンジン」の内容は、「イ・ソンヒは、その間何をしながら過ごしたか」が主流をなしてファンたちの各種「称賛」と「抗議」、そして「悩みの相談」も多く入っている。 懸賞クイズもある。「イ・ソンヒ姉さんが一番明るく笑う時は、歯が最大限でいくつ見えでしょうか?」
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2011年12月13日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 洪元基

KBS WORLD放送の「国楽の世界へ」は、先週水曜日(12/7)に、人物シリーズ5回目として歌曲(가곡)の名人、洪元基(ホン・ウォンギ、홍원기:1922年2月10日~1997年1月26日)が紹介された。

まず、以前紹介(10/26)された、「正楽(정악)」のなかで歌の入る「正歌(정가)」の復習から始まった。
・正歌には、「歌曲(가곡)」、「時調(시조)」、「歌詞(가사)」の3種類があること。
・洪元基は、管弦楽の伴奏に合わせて詩をメロディーにのせて歌う音楽である「歌曲」を最も得意とした。

▼洪元基の歌による正歌の中から辞説時調(사설시조)「夢は故郷へ行っても(꿈은 고향 가건마는)」を聴く。朗々として、余韻を響かせながら歌う・・・遠い故郷も、夢では近くしのばれる。

国楽について、次の説明があった。(復習であるが)
・庶民たちが親しんだもの(=民俗(音)楽(민속 음악)のことか)は、その喜怒哀楽を音楽を通して発散させることが多かったため、いわゆる歌詞も直接的だったり、多少誇張された表現が多く見られる。
・両班たちなどは、正歌(<正楽)に親しみ、自らの感情を表現するよりも、それを抑え込むことを美徳としていたため、いわゆる歌詞も控えめなものが多いようだ。

次のように洪元基のプロフィールが紹介された。
・1922年、ソウルに生まれる。
・小学校卒業後、李朝(王)職雅楽部員養成所に入所。
・1981年、「男女唱歌曲譜(남녀창가곡보)」の学術書を出版。
・1989年、文化勲章受章。

▼洪元基の伽耶琴(가야금)による柳初新之曲(유초신지곡)の中から「細霊山(세령산)」(<霊山会相)を聴く。伽耶琴の独奏は、奥ゆかしく幽玄な響きがする。

▼洪元基の歌による男唱歌曲「言楽(언락)」を聴く。ゆるりとして・・・風流なのかな。

2013年11月27日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 風流

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/20)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第32回として、「風流(풍류)」について紹介した。

まず、統一新羅時代(676年~935年)末の文人崔致遠(최치원、858年~?)による、「風流」の紹介から次のように始まった。
・崔致遠は、まだ12歳の頃に一人、唐に留学して勉学に励み、(874年)18歳で外国人のための科挙試験に合格した。その後、「黄巣(こうそう)の乱」の討伐軍軍師として従軍する。その折、黄巣が掌握した地域に、非難の文書を書いて撒いた。その文書の素晴らしさに、黄巣が驚いたという逸話がある。黄巣の乱を治めたのは、刀の力でなく、崔致遠の文章力だったといわれるほど、彼の文書の影響が強く認識された。
・後に、新羅に帰国した崔致遠は、有名な人物の碑文など多く書き残した。「鸞郞碑序」に、花郎(화랑)に関する一節、「國有玄妙之道曰風流~」(国には玄妙な道理があり、これを風流という~」がある。(同文は、高麗時代の「三国史記」(作成:1143年~1145年)に記載されている)

▼ 「霊山会相(영산회상)」の中から「細霊山(세령산)」を聴く。そこかしこに、アリランの風味がしてくる風流音楽。

次に、「花郎」の教えでもあったといわれる、「風流」と音楽について次のように解説された。
・花郎は、新羅の貴族子息の教育機関、或いはそこで教育を受けた人たちを指す。 「鸞郞碑序文」にある風流は、花郎の道(教え)のひとつと言われる。花郎は、「国仙」と言いい、言葉の通り、仙人のように景色のよい場所を訪ねては修練に励み、そこで、歌や音楽を楽しんだとも言われる。風流という言葉が今日、粋に遊ぶこと、麗しい情緒、俗なことを避け、高尚な遊戯にふけることといった、意味を持つようになった理由も、こうした過程から来たといわれる。
・朝鮮時代となると、ソンビ(博識な学者)たちが「舎廊房(사랑방)」に集い、音楽を聴いたり、絵を描いたり、詩をしたため、互いに意見を言い合った。こうした空間を「風流房(풍류방)」と呼び、そこで演奏しあった音楽を「風流音楽」と呼ぶ。酒のたしなみもその一つのよう。

▼ 酒を勧める「歌辞 勧酒歌(가사 권주가)」を聴く。酒杯ゆらり時に任せ、香りと味を楽しみたくなる・・・このまま酔いどれて。

最後に、風流音楽の種類とその意義を次のように説明された。
・風流音楽を、単に「風流」と呼ぶこともある。(朝鮮時代後期の)曲目「霊山会相」や、「ドドゥリ(도드리)」といった音楽は、弦楽器を中心に構成される演奏曲で、弦を表す「ジュル(줄)」をつけて「ジュル風流」という。また管楽器がメインとなる構成の場合は、その演奏を「テ風流」と呼ぶ。「テ」とは、管楽器の原材料の竹(テナム、대나무)の「テ」にちなむ。
・風流音楽は、楽器の構成を単純化し、ゆったりとした、観照的なメロディーを持つという特徴がある。淡々としていているが、心身の緊張を解きほぐし、自分自身に没頭する瞬間を作る。

▼ 「新水龍吟(신수룡음)」、「副題、還生(환생)」を聴く。基調に硬く・・・今様である。

2017年2月1日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 梅

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/25)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、梅(매화)に関連した3曲を紹介した。

始めに、朝鮮時代を代表する学者の一人、退渓李滉(이황、1501年~1570年)と梅について次のように紹介された。
・南部の地は、もう梅が咲き始める頃。朝鮮時代の儒学者、李滉は、千ウォン紙幣に描かれていて、その中央に花を咲かせた梅の枝が見える。彼が大事にした梅だ。遺言も「梅に水をやってくれ」だった。それには特別な逸話がある。彼が丹陽郡主に赴任したとき、官庁所属の妓生、杜香(두향)と出会う。李滉48歳、杜香18歳のときだ。彼が妻と息子を相次いで亡くした後のこと。詩才のあった杜香は、彼の心を慰め、梅の木を贈った。以来、彼は梅を大事にしたという。丹陽を去る時も梅の木を携え、後日、書院に植え替えたという。
・李滉が丹陽で別れて以来、69歳でこの世を去るまで、二人は二度と会うことはなかったという。杜香がくれた梅に花が咲くたび、李滉の枯れた心にも愛が咲いたことだろう。

▼ 歌辞(가사)という詩歌「梅歌(매화가)」を聴く。人生いかであれ、決まって春季は梅に訪れ来るもの。

次に、李滉亡き後、杜香のその後について次のように紹介された。
・李滉の訃報を聞いた杜香は、4日間彷徨し、安東の地まで行ったという。そして、丹陽に戻り、川に身を投じた。

▼ 恋人を懐かしむ想いを明るく演奏した「梅が良いな(좋구나 매화로다)」を聴く。どこか西域アジアの香りする。

最後に、梅の花を一番最初に咲かす巨濟島の舊助羅(구조라)小学校(廃校)について次のように紹介された。
・冬は終わる頃、梅の花を咲かせる。冷たい風と雪にもかかわらず、華やかに花を開き、ほのかな香りを漂わす。学者ソンビは、梅を「四君子(사군자)」の一つとして大事にした。ところで、普通の梅より早く、旧正月前の旧暦12月に花開く梅がある。2月初めから中旬に咲く、慶尚南道の南海岸にある巨濟島、舊助羅小学校にある白梅のことだ。また、その次に花を咲かす梅は、全羅南道の紅梅で、もともと違う場所にあったが枯れかかり、枝を植え替えたという。

▼ 京畿民謡の「梅打令(매화타령)」を聴く。<男女間の切ない愛の物語を楽しく歌う歌>という。

キム・ボエさんの声とともに穏やかな春風が吹いてきます。

2015年7月22日水曜日

イ・ソンヒの「思い出のページをめくれば」

イ・ソンヒが、昨年(2014年)のデビュー30周年記念コンサート(世宗文化会館)で歌った、6集所収の「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年、作詞・作曲ソン・シヒョン)は、彼女の音楽人生の深さを示すものだが、研ぎ澄まされ、洗練された響きを感じさせる。歌の終わりとともに会場から湧き上がるどよめきは、熱狂するためでなく、感動を受けるために来た観客のものだ。

(本ブログ関連:”思い出のページをめくれば”)

この歌には、始めから彼女の思い入れがある。27歳当時の彼女の回想録、「(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー『10.それが歌なの 発声練習では』」から、歌手としての自覚と試行を感じとることができる。・・・2014年1月15日の本ブログに掲載。
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・時折、私に向かって「それが歌か、発声練習では」と厳しく批判する人もいる。認める。(イ・ソンヒの歌唱の特徴として)私の歌が主に高音域中心であるから。

・それで、6集「思い出のページをめくれば」では、トーンをかなり低く下げた。偏狭な考えかも知れないが、6集くらいで満足できなければ、私は致し方ない。世の中のすべての人を満足させる能力は私にはないので。

・私はそれなりに情熱と誠意を尽くして歌う。全身に力を集中して「熱唱」する数年・・・いつのまにか私の手の平にはタコができた。私も知らない新しいマイクを握った掌中に力が入っていたようだ。

・私の名前の前に「歌手」という接頭辞がつき始めて以来、私は実に多くの仕事を経験した。
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「思い出のページをめくれば」は大変美しい曲だ。Daumミュージックに掲載のスペシャル企画連載「レジェンド・プロファイル16弾-イ・ソンヒ」(ムン・ジョンホ、2011年12月8日)は、その音楽性の高さについて次のように語っている。・・・2012年10月24日の本ブログに掲載。
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・1990年代にイ・ソンヒが残した成果の中で最も素晴らしいアルバムは1980年代の方法論をより一層完成度あるように実現した「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年、6集)である。クラシックの旋律を加味して気品を高めることに肯定的な影響を及ぼした 「思い出のページをめくれば」とブルースを試みた「懐かしさは去って」、イ・ソンヒ特有の迫力を感じることができる「懐かしい国」などが入れられた「思い​​出のページをめくれば」は1990年代だけでなく、全体の結果を見てみても断然引き立って見える。
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ゆらぐる、思い出のページをめくれば
ああ、遂に果たせなかった悔しさと侘しい贖罪が

*むかしのことのように、ぼんやりとかすむ窓枠の塵(ちり)のように
ああ、胸に積もるよ、今は遠ざかったあなたの微笑みのように

雨風がなくても春は来て夏は行く
ああ、あなたよ・・・涙がなくても、花は咲き葉はやがて散る

ああ、あ~、わたしに残った懐かしい、歳月を浮かべて、眠りにつくよ、夢を見るよ

(* 以下繰り返し)

眠りにつくよ、夢を・・・見るよ・・・

(Toutubeに登録の도미정に感謝)

2014年10月15日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 尹善道

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/8)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第75回として、朝鮮中期の文臣兼詩人の「尹善道(윤선도)」(1587年6月22日~1671年6月11日)」にまつわる話を紹介した。

始めに、尹善道が島流しの中にあって残した「漁夫四時詞(어부사시사)」について、次のように紹介された。
・尹善道は65歳で官職を退き、済州島へ向かう途中、全羅南道にある美しい風景の甫吉島(보길도)に出会い定住した。そこで風流を楽しみながら数々の傑作を残した。
・尹善道の傑作の一つに、「漁夫四時詞」がある。世俗を離れて、釣りを楽しむソンビの春、夏、秋、冬を表したものだ。

▼ 「漁夫四時詞」から歌「水国に秋が(수국에 가을이)」を聴く。秋に澄んだ海を、漁師船が軽やかに進むを眺めるよう。

次に、「漁夫四時詞」がどのように作られたのかについて、次のように解説された。
・漁夫には、魚労で生計の道をはかる漁師と、自然を楽しんで歳月を釣りする人もいて「漁夫四時詞」の中の漁夫はソンビを指す。
・漁夫を賛美する文学に、戦国時代の屈原の「漁夫辞」に遡る。高麗時代に「漁夫詞」の短歌があった。朝鮮初期、聾巖 李賢輔(농암 이현보)が高麗時代の「漁夫詞」を詩歌「漁夫詞」に改作し、後に尹善道が漢詩から韓国語で楽しめるよう「漁夫四時詞」とした。尹善道の「五友歌(오우가)」は、我が友と聞かれれば、水と石、松と竹、そして昇る月、それ以外に何があるのかと・・・。

▼ 尹善道の歌「五友歌」から「我が友は何人だろう(내 벗이 몇이냐)」を聴く。・・・う~ん、静かにソンビの諦観なのか。

最後に、尹善道とコムンゴ(거문고、「玄琴」)の関わりについて、次のような説明された。
・尹善道は70歳を過ぎて、北方の地、咸鏡道北青(북청)の辺鄙な場所に流される。そこで持ち主のない1つのコムンゴを知った彼が探し見つけた
ところ、意外にも郷里全羅南道海南の時代、同僚に貸したものだった。その音は慰めになったことだろう。
・尹善道が実際に演奏したという孤山遺琴(고산유금)は、住んでいた家に保存されているという。

▼ 演奏「コムンゴを弾きながら(거문고를 타면서)」を聴く。新酒の香りがする軽快な曲。

(付記)
流れに掉さして無理するよりも、時に滄浪之水にまま漬かってみるのも必要ではと感じる次第。

2013年9月3日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 酒

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/28)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第21回として、「酒(술)」について紹介された。

まず酒にまつわる詩人の解説から次のように始まった。
・韓国の代表的な酒には、相性の良いつまみも決まっていて、マッコリにはチヂミ、焼酎には海鮮もの、ビールにはチキンがある。ところで、今も昔も酒席が重視され、朝鮮時代のカサ(歌辞、가사)文学で知られる松江鄭澈(송강정철、1536年~1593年)は、政治に力があったが、風流もこよなく愛した人物と知られる。松江鄭澈が残したシジョ(時調、시조)に、酒をモチーフにしたものが残されている。

「ソン・グォンノン*の家に酒が出来上がったという話を昨日聞き、牛に乗って駆けつけた。
おぉ、グォンノンはいるか、私が来たと伝えてくれ。」
(*)ソン・グォンノン(성궐롱)は、鄭澈と親しいソン・フンと言われる。

▼南道民謡「フンタリョン(흥타령)」を聴く。菊酒を月明かりに照らされて飲みあかそうか・・・ゆたりと時間が流れるよう。

伝統の酒について次のように紹介された。
・昔、酒は、よき人々と共に心酔うものと考えられ、名節や節気など先祖の祭祀を捧げるため、家々で作った酒を「家醸酒(가양주)」と呼んだ。家門、酒作りの腕、さらには地域によって多種多様な味と香りを醸し出した。名のある家門の酒は上等を表す「名家銘酒」といわれ、客も、先祖のための祭祀(제사)も多かった。自然、酒を造る頻度も多くなり腕が上がった。
今も各地に伝統酒が残されていて、慶州の法酒(ポプジュ)/全州の梨薑酒(イガンジュ)/京畿道のムンベ酒/済州島のオメガ酒/忠清南道沔川の杜鵑酒(トゥギョンジュ)/韓山の素穀酒(ソゴクジュ)/珍島の紅酒(ホンジュ)などがある。

▼朴木月(박목월、1916年~1978年)の詩、チャン・サイク(장사익、1949年~)が歌う「旅人(나그네)」を聴く。酒の香り引き寄せられ、漂う雲のように、いや月のように・・・酔っているかな。

高麗時代の文人と、仕掛けのある酒器について次のように語られた。
・高麗時代の文人李奎報(이규보、1168年~1241年)は、詩とコムンゴ、そして酒を楽しむことを日課とした。酒がないと詩を書くこともできず、「酒でほろ酔い気分となり、体の力が抜けると心が活発となり、踊りも踊り歌も歌う。これは全て酒がさせたことだ」といった。
昔の人も酒の良し悪しを知っていて、教訓を込めた「戒盈杯(계영배)」が残されている。この杯は、70%以上酒が注がれると、自動的に全ての酒が下へ流れ落ちる仕掛けになっている。

▼「倡夫打令(창부타령)」を聴く。まるで言葉を旋律のように、するすると入り込んでくるような、軽快さと摩訶不思議な・・・(俺は)酔っているのかなという感じ。

2017年12月14日木曜日

秋期イディッシュ語 2017-11th

2017年内のイディッシュ語授業は、今日でお終い。とはいえ、今年度の残りは、正月を明けてまだ6回残っている。やることがいっぱいある。気を引き締めて颯爽と出かける。
でも、ショーウィンドウのガラスに映った我が姿は、固くぎこちない。めっぽう寒いのだ。

今年の締めを飾るに十分な授業だった。

練習編(否定): נישט ,קײן を使った否定形
・.איך האָב אַ טיש. ← איך האָב נישט קײן טיש
  (I don't have a table. ← I have a table.)
      אַ טיש ←  קײן טיש (注:不定冠詞)  、 האָב ← האָב נישט
・.איך האָב דאָס בילד. ← איך האָב נישט דאָס בילד
   (I don't have the picture. ← I have the picture.)
      דאָס בילד = דאָס בילד (注:定冠詞) 、 האָב ← האָב נישט

練習編(会話練習、単語練習)

文法編(愛称): ① diminutive(指小辞):小さなものへの愛情を込めた愛称の接尾辞、② iminutive:diminutiveを更に強調した接尾辞
・iminutive  ← diminutive ← Orijinal
   האַנט ← הענטל ← הענטעלע  (hand)

文法編(名詞の複数)

その他の話題
今日初めて知った歌で、ハヌカ(ハヌカー)の時期(今年は、12月12日にあたる)に歌う「Maoz tzur(マーオーズ・ツール)」を教えてもらった。

(正統派の集団が歌う『マーオーズ・ツール(maoz tzur, 「砦の岩よ」』という)

(Youtubeに登録のHebrew Songs With English Subtitlesに感謝)

2013年6月25日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 神仙(仙人)

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/19)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第11回として、このシリーズでは珍しい(イ・ソンヒ(李仙姫)の「仙」の字につながる)、「神仙(仙人)」について紹介された。

(本ブログ関連:"李仙姫の名前")

まず仙人即ち神仙について次のように始まった。
・東洋には不老長寿の考えがあり、俗世を離れ、精神を磨き、境地に至る生き方が信じられた。韓国ではそれを手にした仙人を「神仙(신선)」と呼び、神仙の境地の歌や絵が数多く残っている。仙人を歌った「辞説頭学時調(サソルジルムシジョ、사설지름시조)」は、旋律が緻密の意の「サソル」、最初を高い声で叫ぶ意の「ジルム」が合わさっている。

▼辞説頭学時調の「鶴に乗って横笛を吹く(학타고 저불고)」を聴く。長いトーンが空を滑空する鶴のように響く。

仙人の役割について次のように解説した。
・紀元前5世紀に遡る中国に仙人の関心があり、半人半獣の姿で、理想郷(蓬莱など)に住む不死の超人と言われた。中国初代皇帝始皇帝は、仙人の話しを知って不老不死を得るため仙薬を捜した。当時、仙人になるには一定の素質があり、仙人の住む山に入って祭祀(제사 )をせねばならないと信じられた。数百年が流れ仙人は人間に近づき、人も特別な修行で仙人になれると信じられ、様々な術も語られた。
西洋錬金術が科学を発展させたように、仙人の道も人間の体と自然の調和をはかった。昔の仙人の絵に(日本の笙とよく似た)「笙簧(センファン:생황)」を演奏する姿がある。

▼笙簧、短箫に牙筝を加えた「水龍吟(수룡음)」を聴く。楽器の織り合い続く音がまるで水流のよう。

有名な仙人の姿について次のように紹介された。
・朝鮮時代の画家金弘道(김홍도)は、仙人の絵を多数残した。その中に、仙人が大きな松の木の下に座って笙を吹く「松下吹笙図(송하취생도)」がある。仙人は笙簧、笛、琵琶などの楽器を好み、鶴に乗って空を飛び回ったという。
仙人の長寿の秘訣は不老草や西王母の桃などを食べることだ。西王母の桃を盗んで食べた仙人東方朔は18万年の命を授かることになった。人々の寿命を司る仙人南極老人、男女の縁を司る仙人月下老人などが広く知られている。
また、韓国では、民族起源の檀君や新羅時代の学者崔致遠(최치원)も仙人になったといわれる。

▼The 林グループによる「天の川を見ていた日(은하수를 보던 날)」を聴く。・・・今様である。

岸さんの締めの言葉、「不老長寿を願うことは叶わぬことですが、仙人のように、人生を楽しむ余裕を持ちながら生活することはできそうですね」の通り、エンジョイできるもの探していますよ。

2022年9月27日火曜日

安倍元総理国葬儀の一般献花

本日(9月27日)、北の丸公園の日本武道館で午後2時より、元総理大臣の故安倍晋三氏の国葬儀がとり行われた。わたしたち一般の献花は、会場の外、靖国通りに沿った九段坂公園に張られたテントで受け付けられた。
(国葬の参列者4183人、一般献花者2万5889人 政府発表)

(本ブログ関連:”安倍総理、安倍首相”)

昼すぎ、献花に出かけた。膝痛を気にしつつ、一歩一歩気を付けながら電車を乗り継いだ。大変な混みようで、実際、半蔵門駅から人の流れが続き、内堀通りを南下し、半蔵門交差点で折り返して九段坂公園の献花台へたどり着いた。わたしには少々きつい道のりだったが・・・汗だらけになった。

途中の駅で求めた献花を、献花台に供えることができた。

献花台付近の写真撮影は禁じられていたので、帰り道、九段下駅近くの坂道から武道館を背に「故安倍晋三国葬儀場」の案内が見える光景を撮った。


夕方、家に着いたとき、膝の調子に変化がなかった。ふだん、遠出をひかえていたのに、今回ばかり随分と気張ったせいだろうか。とにかく、一仕事したような安堵感がある。

(資料)
TBSテレビ
「『総理、あなたの判断はいつも正しかった』安倍元総理国葬 “友人代表” 菅義偉前総理の追悼の辞【弔辞全文】」(2022年9月27日(火) 15:07)
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/164404?display=1

“友人代表” 菅義偉前総理の弔辞
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七月の、八日でした。

信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい。

その一心で、現地に向かい、そして、あなたならではの、あたたかな、ほほえみに、最後の一瞬、接することができました。

あの、運命の日から、八十日が経ってしまいました。

あれからも、朝は来て、日は、暮れていきます。やかましかったセミは、いつのまにか鳴りをひそめ、高い空には、秋の雲がたなびくようになりました。

季節は、歩みを進めます。あなたという人がいないのに、時は過ぎる。無情にも過ぎていくことに、私は、いまだに、許せないものを覚えます。

天はなぜ、よりにもよって、このような悲劇を現実にし、いのちを失ってはならない人から、生命を、召し上げてしまったのか。

悔しくてなりません。哀しみと、怒りを、交互に感じながら、今日の、この日を、迎えました。

しかし、安倍総理…と、お呼びしますが、ご覧になれますか。

ここ、武道館の周りには、花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。

二十代、三十代の人たちが、少なくないようです。明日を担う若者たちが、大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。

総理、あなたは、今日よりも、明日の方が良くなる日本を創りたい。若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、毎日、毎日、国民に語りかけておられた。

そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ。―― これが、あなたの口癖でした。

次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、初めて、経済も成長するのだと。

いま、あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上に嬉しいことはありません。報われた思いであります。

平成十二年、日本政府は、北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。

私は、当選まだ二回の議員でしたが、「草の根の国民に届くのならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、自民党総務会で、大反対の意見をぶちましたところ、これが、新聞に載りました。

すると、記事を見たあなたは、「会いたい」と、電話をかけてくれました。

「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれれば嬉しい」と、そういうお話でした。

信念と迫力に満ちた、あの時のあなたの言葉は、その後の私自身の、政治活動の糧となりました。

その、まっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は、直感いたしました。この人こそは、いつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。

私が、生涯誇りとするのは、この確信において、一度として、揺らがなかったことであります。

総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。そのことを負い目に思って、二度目の自民党総裁選 出馬を、ずいぶんと迷っておられました。

最後には、二人で、銀座の焼鳥屋に行き、私は、一生懸命、あなたを口説きました。それが、使命だと思ったからです。

三時間後には、ようやく、首をタテに振ってくれた。私はこのことを、菅義偉 生涯最大の達成として、いつまでも、誇らしく思うであろうと思います。

総理が官邸にいるときは、欠かさず、一日に一度、気兼ねのない話をしました。いまでも、ふと、ひとりになると、そうした日々の様子が、まざまざと、よみがえってまいります。

TPP交渉に入るのを、私は、できれば時間をかけたほうがいいという立場でした。総理は、「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」という意見で、どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。

一歩後退すると、勢いを失う。前進してこそ、活路が開けると思っていたのでしょう。総理、あなたの判断はいつも正しかった。

安倍総理。日本国は、あなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など、難しかった法案を、すべて成立させることができました。

どのひとつを欠いても、我が国の安全は、確固たるものにはならない。あなたの信念、そして決意に、私たちは、とこしえの感謝をささげるものであります。

国難を突破し、強い日本を創る。そして、真の平和国家 日本を希求し、日本を、あらゆる分野で世界に貢献できる国にする。

そんな、覚悟と、決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは、常に笑顔を絶やさなかった。いつも、まわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。

総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした七年八か月。私は本当に幸せでした。

私だけではなく、すべてのスタッフたちが、あの厳しい日々の中で、明るく、生き生きと働いていたことを思い起こします。何度でも申し上げます。安倍総理、あなたは、我が国日本にとっての、真のリーダーでした。

衆議院 第一議員会館、千二百十二号室の、あなたの机には、読みかけの本が一冊、ありました。岡 義武 著『山県有朋』です。

ここまで読んだ、という、最後のページは、端を折ってありました。そしてそのページには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。

しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。

総理、いま、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。


かたりあひて 尽し丶人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

かたりあひて 尽し丶人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ


深い哀しみと、寂しさを覚えます。総理、本当に、ありがとうございました。

どうか安らかに、お休みください。

令和四年九月二十七日 前 内閣総理大臣、友人代表 菅義偉
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朝日新聞Digital(抜粋)
「国葬の参列者4183人、一般献花者2万3千人 政府発表」(2022年9月27日 20時00分)
https://www.asahi.com/articles/ASQ9Q5J5PQ9QDIFI009.html
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19:10 国葬の参列者4183人、一般献花者2万3千人 政府発表
政府の「国葬儀事務局」は国葬の参列者が4183人、一般献花者が約2万3千人(午後6時時点)と発表した。いずれも速報値。
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(一般献花者数は、次の「時事ドットコムニュース」の通り更新)


時事ドットコムニュース
「安倍氏国葬、2万5889人が献花 政府」(2022年09月28日12時02分)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022092800509&g=pol
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磯崎仁彦官房副長官は28日の記者会見で、安倍晋三元首相の27日の国葬をめぐり、一般献花に2万5889人が訪れたと発表した。献花台は、国葬会場の日本武道館に近い九段坂公園に設置され、午前9時半から午後7時ごろまで受け付けた。
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NHK NEWS WEB(抜粋)
「安倍元首相「国葬」一般向け献花 午後7時半ごろに終わる」(2022年9月27日 21時10分)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220927/k10013838811000.html
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四ツ谷駅近くまで長い列 “献花まで3時間以上”
午後2時半の時点で、列の最後尾は献花台からおよそ3キロ離れた東京 新宿区の四ツ谷駅の近くまで続いていました。
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2012年11月1日木曜日

陶淵明-1

中国六朝時代の詩人陶淵明(365年~427年)の描いた世界について、市民講座があり出かけた。今日は講義の初回で、全5回を予定している。

漢詩・漢文は、高校時代の授業が最後で素養もないにもかかわらず、今回受講した目的は、先日ブログに記した通り、イ・ソンヒの歌「分かりたいです(알고싶어요)」に付された漢詩について知りたいからだ。
(この漢詩の由来は承知のうえで・・・)

さて、地元公民館の教室は、多数の聴講者が集まり埋まっていた。講師は、入門書「MY古典 陶淵明のことば」(斯文会)をテキストに同著者の田部井文雄氏が解説された。(以下同書より)

初回講義は、「帰りなんいざ、田園 将(まさ)にあれなんとす・・・」で有名な「帰去来の辞」だ。詩四段の書き下し文、語句について順に解釈された。陶淵明が職を辞して帰郷するという意気盛んなイメージがあったが、人生の有限を嘆じていることまで含まれていたとは知らなかった(忘れていた)。
すなわち、「已(や)んぬるかな/形を宇内(うだい)に寓すること復た幾時ぞ」(ああ、もう終わりなのだなあ/この身をこの世に生き続けさせるのも、これからどれほどの間のことであろうか。)とうたいながらも最後に、天命にまかせて疑いを持たず生きようとする。けれど・・・。

それはそうと、これからイ・ソンヒの「分かりたいです」の漢詩(蕭寥月夜思何事 ~)を調べてみようかな。