1984年、20歳になるのを控えてデビューしたイ・ソンヒは、すぐさま歌謡界で初めて女学生だけのファン組織を持った。親しみを込めてお姉さん(언니)と呼ぶ「姉さん部隊(언니부대)」が登場した。女性を前に出すのを躊躇する、そんな世代に特有な心理に合致したのかもしれない。当時のイ・ソンヒは、ズボンスタイルでボーイッシュなイメージがある一方で、発声は強力なパワーを持ち、しかも高音は清く澄んでいた。
第1集アルバムに収録の「少女の祈り(소녀의 기도)」(1985年、作詞ソン・スウク、作曲ソン・ジュホ)は、女学生ファンの想いと、イ・ソンヒの特質にぴったり合ったものといえるかもしれない。
(本ブログ関連:”少女の祈り”)
ところで、このブログに触れたことだが、「少女の祈り」のタイトルは、日本で知られたピアノ曲「乙女の祈り」とハングル表示(소녀의 기도)が同じである。昔、ピアノを習っている(腕に覚えのある)子女が、学校の音楽室でそれとなくピアノに向かって弾いてみせる曲だった。(「乙女の祈り」 ”소녀의 기도” でYoutubeを検索すると、日本に似て韓国でも人気が高い)
(本ブログ関連:”乙女の祈り”)
「乙女の祈り」の作者について、昨日貸してもらった「中欧 ポーランド・チェコスロバキア・ハンガリー」(沼野充義監修、新潮社)に、次のような紹介(執筆:宮山幸久)がある。(抜粋)
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・ポーランド人は『乙女の祈り』なる曲が日本でショパン以上に愛好されているのに驚く。自分たちでさえよく知らない曲なのだから。
・『乙女の祈り』は、一般にバダジェフスカとかバダルジェフスカと表記されるが、正しくはテクラ・ボンダジェフスカと発音する二二歳のポーランド女性の手により、一八五六年に生み出された。三年後にフランスの「音楽時報」誌に掲載されて大ヒットとなり、世界中に広まることになった。この曲について、専門家は「素人臭い」とか「内容がない」などといつも否定的で、・・・(彼女は)一八三四年ワルシャワに生まれ、六一年に二七歳の若さで夭折した・・・
・『乙女の祈り』はごく基本的な音しか使われていないにもかかわらず、強いポーランドの香りに満ちている。
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風吹けば散る、寂しい落葉が みな
おぼろな露のよう、揺らぎます
その声耳にして 空しく歩く うつろな心は
*
離れた人 なつかしむ、切ない心だけれど
一人残り 守ればならぬ、 孤独なわたしを泣かすよ
引き留められぬ 未練さに
落葉の季節に わたしを埋めて
春がまた訪れを 祈ります、この夜が明けたら
(*以下繰り返し)
この夜が明けたら
(2004年、20周年記念コンサートから)
(Youtubeに登録のrosamin2に感謝)
2018年4月27日金曜日
2014年11月11日火曜日
乙女の祈り、少女の祈り
子どものころ、初めて買ったクラシックのレコードは、演奏家も知らぬピアノ小品集だった。その「JOEL ROSEN PIANO ENCORES」のレコードについて、以前、本ブログでも記したが、レコードジャケットに次のような解説があった。
(本ブログ関連:”レコード盤”)
日本のコロンビアレコードが、このアルバムにバダルチェフスカの「乙女の祈り(A Maiden's Prayer)」(1856年)を加えて欲しいと希望したところ、彼(Joel Rosen)は承知しなかった。困った顔をして次のように断ったという。
----------------------------------------------
・日本ではたしかに有名な曲かもしれないが、この曲には芸術音楽としての価値が全然ない。この曲を録音するということは、真のピアノ愛好家の耳を穢すだけのことである。私は弾く気がしない・・・
-----------------------------------------------
Wikipediaに、「乙女の祈り」の評価を知る朝日新聞記事(「『乙女の祈り』を探して」、2007年10月23日)が引用されている。このピアノ曲は、日本では知られていたが(現在はどうだろうか)、世界的にも、作曲者の故国ポーランドでも、ポピュラーでないという理由を、ソース記事は次のように報じている。(抜粋)
-----------------------------------------------
・ピアノを習いたてのころ、だれもがあこがれる曲といえば「乙女の祈り」だろう。どこかはかなげな響きが胸にしみる。
・なぜポーランドで忘れられたのか。「その原因は、当時の評論家の偏見にあったと思う」とドロタ*。19世紀の音楽事典は「乙女」の作者をこう酷評していた。「浅薄な素人くささを超えられなかった」。音楽に高い精神性や芸術性を求めるあまり、音楽教育を受けていない少女の、独白のような小品を見下したのだろうか。
-----------------------------------------------
(*)ドロタ:来日中のポ-ランド女性で、「乙女の祈り」について調査した。
イ・ソンヒに、「少女の祈り(소녀의 기도)」(1985年、作詞ソン・スウク、作曲ソン・ジュホ)があって、風に舞い散る落ち葉の季節にひとり寂しさにふけりながら、春の訪れを待つ少女を歌っている。イ・ソンヒの清らかに澄んだ少女のような声が耳に残る。ところで韓国では、上記ピアノ曲「乙女の祈り」に、この題名と同じ「소녀의 기도」が使われているようだ。
(本ブログ関連:”レコード盤”)
日本のコロンビアレコードが、このアルバムにバダルチェフスカの「乙女の祈り(A Maiden's Prayer)」(1856年)を加えて欲しいと希望したところ、彼(Joel Rosen)は承知しなかった。困った顔をして次のように断ったという。
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・日本ではたしかに有名な曲かもしれないが、この曲には芸術音楽としての価値が全然ない。この曲を録音するということは、真のピアノ愛好家の耳を穢すだけのことである。私は弾く気がしない・・・
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Wikipediaに、「乙女の祈り」の評価を知る朝日新聞記事(「『乙女の祈り』を探して」、2007年10月23日)が引用されている。このピアノ曲は、日本では知られていたが(現在はどうだろうか)、世界的にも、作曲者の故国ポーランドでも、ポピュラーでないという理由を、ソース記事は次のように報じている。(抜粋)
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・ピアノを習いたてのころ、だれもがあこがれる曲といえば「乙女の祈り」だろう。どこかはかなげな響きが胸にしみる。
・なぜポーランドで忘れられたのか。「その原因は、当時の評論家の偏見にあったと思う」とドロタ*。19世紀の音楽事典は「乙女」の作者をこう酷評していた。「浅薄な素人くささを超えられなかった」。音楽に高い精神性や芸術性を求めるあまり、音楽教育を受けていない少女の、独白のような小品を見下したのだろうか。
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(*)ドロタ:来日中のポ-ランド女性で、「乙女の祈り」について調査した。
イ・ソンヒに、「少女の祈り(소녀의 기도)」(1985年、作詞ソン・スウク、作曲ソン・ジュホ)があって、風に舞い散る落ち葉の季節にひとり寂しさにふけりながら、春の訪れを待つ少女を歌っている。イ・ソンヒの清らかに澄んだ少女のような声が耳に残る。ところで韓国では、上記ピアノ曲「乙女の祈り」に、この題名と同じ「소녀의 기도」が使われているようだ。
2015年8月24日月曜日
イ・ソンヒの「少女の祈り」
イ・ソンヒの美しく透き通る結晶のような声は、どこまでも澄んで響く。彼女の初めてのアルバムに収録した「少女の祈り(소녀의 기도)」(1985年)は、当時、彼女が少女たちに支持され、受け入れられ、そして共振された理由がうかがえる。いわば意図的なテーマであり旋律でもあるだろうけれど、今も彼女のカラオケ曲の上位にリストされる美しい曲だ。
(本ブログ関連:”少女の祈り”)
イ・ソンヒは手記に、この第1集アルバムの反響について次のように記している。
├-----------------------------------------------------------
・1985年2月、私は初めて第一アルバムを世の中に出した。1集に収録されたすべての曲は、全てソン・ジュホ氏が作曲した歌だ。高校時代、チャン・ウクチョ音楽室での出会いが縁だった。
・<少女の祈り(소녀와 기도)>と<女心(여심)>をそれぞれ(レコード)裏表面のタイトル曲として載せた1集アルバムはあきれるほどとても売れた。ソウルでは、「あ! 昔よ(아! 옛날이여)」と「葛藤(갈등)」が人気であり、地方では「また咲く愛のために(다시 필 사랑위해)」、「光の子ら(빛의 자손들)」、「愛の約束(사랑의 약속)」、「少女の祈り(소녀의 기도)」などが強い勢いを見せた。(レコード)盤一つで、何と六曲もヒットしたのだ。ファンは、レコードの入手が難しいと不平を言うほどであった。
-----------------------------------------------------------┤
風吹けば散る、寂しい落葉が みな
おぼろな露のよう、揺らぎます
その声耳にして 空しく歩く うつろな心は
*離れた人 なつかしむ、切ない心だけれど
一人残り 守ればならぬ、 孤独なわたしを泣かすよ
引き留められぬ 未練さに
落葉の季節に わたしを埋めて
春がまた訪れを 祈ります、この夜が明けたら
(*以下繰り返し)
この夜が明けたら
(Youtubeに登録のrosamin2に感謝)
(本ブログ関連:”少女の祈り”)
イ・ソンヒは手記に、この第1集アルバムの反響について次のように記している。
├-----------------------------------------------------------
・1985年2月、私は初めて第一アルバムを世の中に出した。1集に収録されたすべての曲は、全てソン・ジュホ氏が作曲した歌だ。高校時代、チャン・ウクチョ音楽室での出会いが縁だった。
・<少女の祈り(소녀와 기도)>と<女心(여심)>をそれぞれ(レコード)裏表面のタイトル曲として載せた1集アルバムはあきれるほどとても売れた。ソウルでは、「あ! 昔よ(아! 옛날이여)」と「葛藤(갈등)」が人気であり、地方では「また咲く愛のために(다시 필 사랑위해)」、「光の子ら(빛의 자손들)」、「愛の約束(사랑의 약속)」、「少女の祈り(소녀의 기도)」などが強い勢いを見せた。(レコード)盤一つで、何と六曲もヒットしたのだ。ファンは、レコードの入手が難しいと不平を言うほどであった。
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風吹けば散る、寂しい落葉が みな
おぼろな露のよう、揺らぎます
その声耳にして 空しく歩く うつろな心は
*離れた人 なつかしむ、切ない心だけれど
一人残り 守ればならぬ、 孤独なわたしを泣かすよ
引き留められぬ 未練さに
落葉の季節に わたしを埋めて
春がまた訪れを 祈ります、この夜が明けたら
(*以下繰り返し)
この夜が明けたら
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2015年6月16日火曜日
イ・ソンヒの「少女の祈り」
イ・ソンヒのコンサートに必須な曲の一つに、初めてのアルバムに収録した「少女の祈り(소녀의 기도)」(1985年)がある。デビュー時のアピールである、高音で元気良く溌剌とした、パワフルな歌い方とは若干違って、いかにも少女らしい雰囲気する曲だ。
(本ブログ関連:”少女の祈り”)
イ・ソンヒの声の特質に、高音部で一瞬反り返ったようなところがあるが、そこに幼い少女のような響きがして、デビューすぐに女子学生たちに受け入れられ要素の一つではなかったかと推測する。この「少女の祈り」は、まさに特徴的である。甘くて、清くて、可愛らしいこの曲に、おじさんの心も洗われそう。
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(本ブログ関連:”少女の祈り”)
イ・ソンヒの声の特質に、高音部で一瞬反り返ったようなところがあるが、そこに幼い少女のような響きがして、デビューすぐに女子学生たちに受け入れられ要素の一つではなかったかと推測する。この「少女の祈り」は、まさに特徴的である。甘くて、清くて、可愛らしいこの曲に、おじさんの心も洗われそう。
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2016年7月29日金曜日
イ・ソンヒの「少女の祈り」
イ・ソンヒの初めてのアルバムに所収の、「少女の祈り(소녀의 기도)」(1985年)は、2011年の世宗文化会館のコンサートでも、彼女のイメージそのままに新鮮で、声質は少女のようで愛らしい。ちょっといい過ぎかも知れないけれど。特に、高音で醸し出す独特の雰囲気は、ファンにとって引き込まれる部分だろう。
(本ブログ関連:”少女の祈り”)
歌詞の舞台は秋のようだが、「梅雨明け」の暑い夏でも、夜とはなれば少しヒンヤリする。その気になって聴けば酔いしれるというもの。近々の彼女のコンサート(9月4日)で、きっと歌われるだろうことを期待する、美しい名曲だ。楽しみだ。
風吹けば散る、寂しい落葉が みな
おぼろな露のよう、揺らぎます
その声耳にして 空しく歩く うつろな心は
*離れた人 なつかしむ、切ない心だけれど
一人残り 守ればならぬ、 孤独なわたしを泣かすよ
引き留められぬ 未練さに
落葉の季節に わたしを埋めて
春がまた訪れを 祈ります、この夜が明けたら
(*以下繰り返し)
この夜が明けたら
(Youtubeに登録のKwiYeol Parkに感謝)
(本ブログ関連:”少女の祈り”)
歌詞の舞台は秋のようだが、「梅雨明け」の暑い夏でも、夜とはなれば少しヒンヤリする。その気になって聴けば酔いしれるというもの。近々の彼女のコンサート(9月4日)で、きっと歌われるだろうことを期待する、美しい名曲だ。楽しみだ。
風吹けば散る、寂しい落葉が みな
おぼろな露のよう、揺らぎます
その声耳にして 空しく歩く うつろな心は
*離れた人 なつかしむ、切ない心だけれど
一人残り 守ればならぬ、 孤独なわたしを泣かすよ
引き留められぬ 未練さに
落葉の季節に わたしを埋めて
春がまた訪れを 祈ります、この夜が明けたら
(*以下繰り返し)
この夜が明けたら
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2015年11月30日月曜日
イ・ソンヒの「少女の祈り」
総じて暖冬。昼の日向の温もりも、日陰に入ればヒンヤリする。月面であれ、宇宙であれ、太陽光のあたる部分とそうでない部分の温度差は想像以上。地上でも、砂漠の昼夜で随分と差がでる。そう考えると、この寒暖に不平もいえない。
紅葉は温度差が激しいほど美しいという。最盛期は過ぎたが、高尾山の紅葉はまだ見ごろとのこと。行ってみようかと思案するが、寒さと人の混み合いを想像するだけで足が遠のく。詩情がわかないが、近場の紅葉でおさめる。それにしても、紅葉を愛でるにふさわしい(人生の)時期もあるようだ。
イ・ソンヒの初めてのアルバムに収録の「少女の祈り(소녀의 기도)」(1985年)は、思い出が落葉のように重なる乙女の歌だ。次のYoutubeの歌声は、20周年コンサートのものだろうか。高音につやが加わって、なめらかに響く。たぶん、最も美しい紅葉だろう。
(本ブログ関連:”少女の祈り”)
風吹けば散る、寂しい落葉が みな
おぼろな露のよう、揺らぎます
その声耳にして 空しく歩く うつろな心は
*
離れた人 なつかしむ、切ない心だけれど
一人残り 守ればならぬ、 孤独なわたしを泣かすよ
引き留められぬ 未練さに
落葉の季節に わたしを埋めて
春がまた訪れを 祈ります、この夜が明けたら
(*以下繰り返し)
この夜が明けたら
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紅葉は温度差が激しいほど美しいという。最盛期は過ぎたが、高尾山の紅葉はまだ見ごろとのこと。行ってみようかと思案するが、寒さと人の混み合いを想像するだけで足が遠のく。詩情がわかないが、近場の紅葉でおさめる。それにしても、紅葉を愛でるにふさわしい(人生の)時期もあるようだ。
イ・ソンヒの初めてのアルバムに収録の「少女の祈り(소녀의 기도)」(1985年)は、思い出が落葉のように重なる乙女の歌だ。次のYoutubeの歌声は、20周年コンサートのものだろうか。高音につやが加わって、なめらかに響く。たぶん、最も美しい紅葉だろう。
(本ブログ関連:”少女の祈り”)
風吹けば散る、寂しい落葉が みな
おぼろな露のよう、揺らぎます
その声耳にして 空しく歩く うつろな心は
*
離れた人 なつかしむ、切ない心だけれど
一人残り 守ればならぬ、 孤独なわたしを泣かすよ
引き留められぬ 未練さに
落葉の季節に わたしを埋めて
春がまた訪れを 祈ります、この夜が明けたら
(*以下繰り返し)
この夜が明けたら
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2011年9月24日土曜日
少女の祈り
イ・ソンヒの声の魅力は、押し出すような力強さとか透き通るような高音と語られることが多い。さらに、独特な若々しい声質がある。少女のような初々しい響きが聞こえてくることがあるからだ。
イ・ソンヒのデビューアルバムの第1集に収められた「少女の祈り(소녀의 기도)」(歌詞、1985年)は、秋に、失った悲しみを埋め合わせることのできない寂しさを想いながらも、いつか春の訪れを待つという(可愛らしい)少女の歌だ。彼女は、デビュー時に、女子中高生に大いに迎え入れられている。
次のYoutubeの音源は、もしかしたら2004年の20周年記念コンサートのものだろうか。いつまでも変わらぬ、あどけない声が聞こえてくるような気がする。
(Youtubeに登録のseony7676に感謝)
(本ブログ関連:”少女の祈り”)
★★★★★ 孫たちが、日よけテントを用意して、公園で両親と一緒に遊んでいる写真が届いた ★★★★★
イ・ソンヒのデビューアルバムの第1集に収められた「少女の祈り(소녀의 기도)」(歌詞、1985年)は、秋に、失った悲しみを埋め合わせることのできない寂しさを想いながらも、いつか春の訪れを待つという(可愛らしい)少女の歌だ。彼女は、デビュー時に、女子中高生に大いに迎え入れられている。
次のYoutubeの音源は、もしかしたら2004年の20周年記念コンサートのものだろうか。いつまでも変わらぬ、あどけない声が聞こえてくるような気がする。
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(本ブログ関連:”少女の祈り”)
★★★★★ 孫たちが、日よけテントを用意して、公園で両親と一緒に遊んでいる写真が届いた ★★★★★
2016年11月29日火曜日
イ・ソンヒの「少女の祈り」
1985年にリリースしたイ・ソンヒの記念碑的な初アルバムは、最近(2014年10月28日)でも「リマスター版」が出るほど。その第1集所収曲に 「少女の祈り(소녀의 기도)」 がある。心の痛手を歌う、デビューしたばかりのイ・ソンヒの力いっぱいの発声に、まるで恋に恋するような初々しさを感じる。
(本ブログ関連:”少女の祈り”)
少女は気付かないかもしれないが、時間を限られていないという若さの特権が、この曲からほとばしるようだ。残り時間を勘定しないでよい若さは素晴らしい。歳をとれば残り時間のふるまいに、自ずと賢明さを要求されるのだが。
風吹けば散る、寂しい落葉が みな
おぼろな露のよう、揺らぎます
その声耳にして 空しく歩く うつろな心は
*離れた人 なつかしむ、切ない心だけれど
一人残り 守ればならぬ、 孤独なわたしを泣かすよ
引き留められぬ 未練さに
落葉の季節に わたしを埋めて
春がまた訪れを 祈ります、この夜が明けたら
(*以下繰り返し)
この夜が明けたら
(Youtubeに登録のKBS Mediaに感謝)
(本ブログ関連:”少女の祈り”)
少女は気付かないかもしれないが、時間を限られていないという若さの特権が、この曲からほとばしるようだ。残り時間を勘定しないでよい若さは素晴らしい。歳をとれば残り時間のふるまいに、自ずと賢明さを要求されるのだが。
風吹けば散る、寂しい落葉が みな
おぼろな露のよう、揺らぎます
その声耳にして 空しく歩く うつろな心は
*離れた人 なつかしむ、切ない心だけれど
一人残り 守ればならぬ、 孤独なわたしを泣かすよ
引き留められぬ 未練さに
落葉の季節に わたしを埋めて
春がまた訪れを 祈ります、この夜が明けたら
(*以下繰り返し)
この夜が明けたら
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2016年9月9日金曜日
【大衆音楽家列伝】 イ・ソンヒ
釜山日報の連載の「大衆音楽家列伝(대중음악가 열전)」は、まさにイ・ソンヒのコンサート(9/2~4)直前の絶妙なタイミング(9/2)に、彼女の音楽活動を振り返る、「【大衆音楽家列伝】25.イ・ソンヒ」(チェ・ソンチョル、ペーパー・クリエイティブ代表)の記事を掲載した。
内容は、イ・ソンヒが歌謡界にデビュー以来、現在にいたる音楽活動の小史であり、正規アルバムをもとに彼女の代表的な曲目を網羅している。コンサート後になったが、次に載せさせていただく。感謝。
次の記載の曲目と、今回9月のコンサート曲目を合わせて聴けば、イ・ソンヒの全体像を素早く理解することができるでしょう!
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小さい体躯で爆発的歌唱力… 「Jへ」ただ一曲でスターダム
(写真:略) ▲ 私たち大衆音楽の「ガール・クラッシュ」の元祖、イ・ソンヒは歌を運命のように思って生きてきた(デビュー以来)32年、この時代の名歌手だ。
・最近、よく話題になる単語の中に、「ガール・クラッシュ」(Girl Crush)という言葉がある。少女(Girl)と、「惚れる」意のクラッシュ・オン(Crush On)を合成した言葉で、女性が同性に感じる、性的な感情を伴わない強い好感と定義する。かくのごとくクラッシュの魅力に陥ったせいだろうか。最近、音源チャートの上位圏、および長期ランク(イン)の女性歌手だけで何と100人余りに達する。私たちの大衆音楽のガール・クラッシュ(一目惚れした少女)の元祖は、イ・ソンヒだ。
ゴールデン ディスク、5連覇の「珍記録」
ソン・シヒョンと出会って、4、5集で音楽的変化
香港俳優の張國榮(レスリー・チャン)とデュエット・コンサート
「その中であなたに出会って」、感性際立つ
内容は、イ・ソンヒが歌謡界にデビュー以来、現在にいたる音楽活動の小史であり、正規アルバムをもとに彼女の代表的な曲目を網羅している。コンサート後になったが、次に載せさせていただく。感謝。
次の記載の曲目と、今回9月のコンサート曲目を合わせて聴けば、イ・ソンヒの全体像を素早く理解することができるでしょう!
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小さい体躯で爆発的歌唱力… 「Jへ」ただ一曲でスターダム
(写真:略) ▲ 私たち大衆音楽の「ガール・クラッシュ」の元祖、イ・ソンヒは歌を運命のように思って生きてきた(デビュー以来)32年、この時代の名歌手だ。
・最近、よく話題になる単語の中に、「ガール・クラッシュ」(Girl Crush)という言葉がある。少女(Girl)と、「惚れる」意のクラッシュ・オン(Crush On)を合成した言葉で、女性が同性に感じる、性的な感情を伴わない強い好感と定義する。かくのごとくクラッシュの魅力に陥ったせいだろうか。最近、音源チャートの上位圏、および長期ランク(イン)の女性歌手だけで何と100人余りに達する。私たちの大衆音楽のガール・クラッシュ(一目惚れした少女)の元祖は、イ・ソンヒだ。
■ 「姉さん(オンニ)部隊」、追いかけ回しクラッシュ
・仏教音楽「梵唄」の伝授者の父をもつイ・ソンヒは、幼い時から歌手の才質(才能と気質)を見せた。大学1年のとき、「4幕5場」という校内音楽サークルに入り、父が反対した歌を思う存分歌うことができるようになったし、<江辺歌謡祭>に出場する冒険も敢行する。1984年夏、MBC江辺歌謡祭に、パーマヘアーに角(つの)製の枠メガネをかけた少女が登場する。イム・ソンギュンと共に「4幕5場」という混成デュエットで参加した彼女は、小さい体躯に似合わない爆発的な歌唱力で大賞を射止める。受賞曲は、「Jへ」であった。その日を起点に、歌謡界は波打つ。 イム・ソンギュンの入隊で、ソロとして本格活動に乗り出したイ・ソンヒの人気は想像を超越した。
(本ブログ関連:”イ・ソンヒと仏教音楽”、”梵唄”)
・仏教音楽「梵唄」の伝授者の父をもつイ・ソンヒは、幼い時から歌手の才質(才能と気質)を見せた。大学1年のとき、「4幕5場」という校内音楽サークルに入り、父が反対した歌を思う存分歌うことができるようになったし、<江辺歌謡祭>に出場する冒険も敢行する。1984年夏、MBC江辺歌謡祭に、パーマヘアーに角(つの)製の枠メガネをかけた少女が登場する。イム・ソンギュンと共に「4幕5場」という混成デュエットで参加した彼女は、小さい体躯に似合わない爆発的な歌唱力で大賞を射止める。受賞曲は、「Jへ」であった。その日を起点に、歌謡界は波打つ。 イム・ソンギュンの入隊で、ソロとして本格活動に乗り出したイ・ソンヒの人気は想像を超越した。
(本ブログ関連:”イ・ソンヒと仏教音楽”、”梵唄”)
江辺歌謡祭の大賞受けて、ソロ活動
大規模の「姉さん部隊」で、時代のアイコンゴールデン ディスク、5連覇の「珍記録」
ソン・シヒョンと出会って、4、5集で音楽的変化
香港俳優の張國榮(レスリー・チャン)とデュエット・コンサート
「その中であなたに出会って」、感性際立つ
・当時、或る放送会社でデビューした歌手は、別の放送会社に出演できないという慣例を破って、「Jへ」は、KBSの「歌謡トップ・テン」で5週連続1位を占めており、1984年の最高のヒット曲になった。年末、KBS歌謡大賞と、MBC「10代歌手歌謡祭」の新人賞、やはりイ・ソンヒが占めた。当時、歌謡界の厚いファン層である女子中高生の愛を一人占めした男性歌手全盛の時代に、ディーバ(歌姫)の出現は歌謡界はもちろん、女学校にも新鮮な風になった。
・イ・ソンヒは、数多くの女学生ファンを同行するガール・クラッシュのアイコンで、爆発的な人気を享受した。チョー・ヨンピルの「兄さん(オッパ)部隊」を威嚇した「姉さん(オンニ)部隊」、幼い女子中高生が公演会場で兄さん(オッパ)の代わりに姉さん(オンニ)を叫ぶようにさせた主人公、イ・ソンヒの事務所から金を払って人を動員したという流言飛語(デマ)まで飛び交うほど、当時の「姉さん部隊」の火力は途方もなかった。
(本ブログ関連:”姉さん部隊”)
■ ソン・シヒョンと共に変曲点、確かに
・イ・ソンヒは、数多くの女学生ファンを同行するガール・クラッシュのアイコンで、爆発的な人気を享受した。チョー・ヨンピルの「兄さん(オッパ)部隊」を威嚇した「姉さん(オンニ)部隊」、幼い女子中高生が公演会場で兄さん(オッパ)の代わりに姉さん(オンニ)を叫ぶようにさせた主人公、イ・ソンヒの事務所から金を払って人を動員したという流言飛語(デマ)まで飛び交うほど、当時の「姉さん部隊」の火力は途方もなかった。
(本ブログ関連:”姉さん部隊”)
■ ソン・シヒョンと共に変曲点、確かに
・「Jへ」ただ一曲で、1984年を自身の年にしてしまったイ・ソンヒの正規1集「イ・ソンヒ1集」(1985)は、(江辺歌謡祭の)翌年の1985年初め(1/25)に現れた。ここで、「あ! 昔よ」、「葛藤」、「少女の祈り」などが相次いでヒットし、彼女は自身の人気が「Jへ」の一回だけで終わらないことを立証した。その年が過ぎ行く前(11/25)に、再び出した2集「イ・ソンヒ Vol.2」(1985)では、「秋の風」、「ケンチャナ(大丈夫)」、「そう誤りは私にあります」などのヒット曲が引き続き出ており、1986年に出した3集「イ・ソンヒ3集」(1986)でも、「分かりたいです」、「暗闇は晴れて」、「ヤング」などが多く愛(=支持)を受けた。
・ゴールデン・ディスクの5連覇を始めとして、国内にある全部門の賞を全て受賞する珍記録をたてたりもする。以後、「イ・ソンヒ4集」(1988)は、イ・ソンヒのディスコグラフィーで非常に重要な位置を占める。彼女の音楽が意味ある変曲点を迎えたためだ。その変化の端緒を説明する(人物の)名は、ソン・シヒョン(송시현)だ。
・ゴールデン・ディスクの5連覇を始めとして、国内にある全部門の賞を全て受賞する珍記録をたてたりもする。以後、「イ・ソンヒ4集」(1988)は、イ・ソンヒのディスコグラフィーで非常に重要な位置を占める。彼女の音楽が意味ある変曲点を迎えたためだ。その変化の端緒を説明する(人物の)名は、ソン・シヒョン(송시현)だ。
(写真:略) イ・ソンヒの音楽世界で意味ある変曲点になったアルバム「イ・ソンヒ4集」
・1987年、「夢みるような世界」のヒットで名を告げたシンガー・ソングライターのソン・シヒョンは、この時からイ・ソンヒのアルバム作業に参加し始める。4集で、A面のタイトル曲「愛が散るこの場所で」と、B面タイトル曲「私はいつもあなたを」を含めて、全て4曲が彼の作品だ。二人の出会いは成功した。ソン・シヒョン特有の感受性と叙情性は、イ・ソンヒの声とよく交わったし、以後も彼はしばらくイ・ソンヒと共に行動することになる。翌年、「イ・ソンヒ5集」(1989)で、イ・ソンヒはアルバムのここかしこに社会性の濃厚な曲を配置した。「五月の陽差し」は1980年の光州民主化運動の犠牲者の英霊を慰める曲であったし、「ひとしきり笑いに」も、やはり時代的痛みが滲んだ曲だった。通常の民衆歌謡に劣らず、深くやさしいものだった。
(本ブログ関連:”ソン・シヒョン”)
(本ブログ関連:”ソン・シヒョン”)
・ソン・シヒョンは、5集でも中枢的な役割をした。アルバムの代表曲である「ひとしき笑いで」と、「冬哀傷」は彼が作った曲だ。同年、チョコレートCFで最高の人気を謳歌した香港の故張國榮(レスリー・チャン)が初めての来韓する。張國榮は、イ・ソンヒと「Jへ」をデュエットで熱唱して、デュエット・コンサートを開いた。
・その縁で、張國榮は、後日イ・ソンヒを香港に招待する格別な親交を誇示したりもする。この時期に、香港BMGレコードを通じて、「It's Original Songs」というアルバムに、「Jへ」を収録発表し、英語で自身のヒット曲を翻案して歌った「Where The Love Falls..」(1989)などのアルバムも発表する。
(本ブログ関連:”張國榮 (レスリー・チャン)”)
・1990年の6集「イ・ソンヒ Ⅵ」(1990)では、「思い出のページをめくれば」が愛(支持)を受けたし、「去る者だけが愛の夢を見ることができる」という自作詩朗唱集と、カナダのモントリオール室内楽団と世宗文化会館で共演後、その実況アルバム「Lee Sun Hee ; Montreal Chamber Orchestra」(1990)を発表する。7集の「思い出の中を歩くのね」(1991)、キム・ヨンドンの国楽的な要素をたっぷり入れた8集の「李仙姫 八」(1992)、「イ・ソンヒ愛唱童謡」(1993)、9集の「イ・ソンヒ 9」(1994)、そして、多くの曲を自ら作詞/作曲したアルバム10集「First Love」(1996)を着実にリリースして、以前とは違った成熟した歌をリリースし始める。
(本ブログ関連:”張國榮 (レスリー・チャン)”)
・1990年の6集「イ・ソンヒ Ⅵ」(1990)では、「思い出のページをめくれば」が愛(支持)を受けたし、「去る者だけが愛の夢を見ることができる」という自作詩朗唱集と、カナダのモントリオール室内楽団と世宗文化会館で共演後、その実況アルバム「Lee Sun Hee ; Montreal Chamber Orchestra」(1990)を発表する。7集の「思い出の中を歩くのね」(1991)、キム・ヨンドンの国楽的な要素をたっぷり入れた8集の「李仙姫 八」(1992)、「イ・ソンヒ愛唱童謡」(1993)、9集の「イ・ソンヒ 9」(1994)、そして、多くの曲を自ら作詞/作曲したアルバム10集「First Love」(1996)を着実にリリースして、以前とは違った成熟した歌をリリースし始める。
■ あらゆる悪材料の中、挑戦は続く
・人気の下落と激しい浮上など、悪材料の中でも彼女の努力は続いた。11集以後、3年振りに発表した12集の「E Sunhee My Life + Best」(2001)で、自作曲「離別小曲」と、パク・チニョンの「生きてみると」、ユ・ヨンソクの「この歌をかりて」、キム・ジョンソの「多分(アマ)」など、11曲の新曲とベスト16曲を入れて新しい活動の序幕を知らせた。2005年、<四十代に迎える春>の意を暗に盛り込まれている13集の「四春期」(2005)は、イ・ソンヒの自作曲である「因縁」をはじめとして、9曲の新曲と20周年ライブ コンサート実況の17曲を入れた。10集から始まったシンガー・ソングライターの面目が、円熟の段階に入り込んだことを意味する真の傑作と評価を受けた。
・1990年代以後、7集から始まったやむ得ない大衆的反応の退潮にも、イ・ソンヒは堅忍主義的姿勢で、自身の音楽的内容を執拗に発展させる。2009年、デビュー25周年を迎えて、新しい音楽的感性の10曲をアップグレードした自作曲で満たした14集「愛よ…」(2009)を発表し、活動を再開した。
・1990年代以後、7集から始まったやむ得ない大衆的反応の退潮にも、イ・ソンヒは堅忍主義的姿勢で、自身の音楽的内容を執拗に発展させる。2009年、デビュー25周年を迎えて、新しい音楽的感性の10曲をアップグレードした自作曲で満たした14集「愛よ…」(2009)を発表し、活動を再開した。
・5年後、正規15集アルバムであると同時に、デビュー30周年記念スペシャルのアルバムである、「セレンディピティ Serendipity」(2014)を通じて、「女王の帰還」を知らせた。
・彼女の音楽的力量が最高に発揮された今回のアルバム(15集)、果たせるかな、11曲中9曲が自作曲だ。「その中であなたに出会って」など、より一層円熟した深みある音楽と、限りなく繊細で感性的なボーカルを披瀝し、専らイ・ソンヒだけが出すことのできる感性を表わした。偶然を通じて運命に出会うという<セレンディピティ>の意のように、音楽に出会って歌を運命のように感じて生きてきた32年目の私たちの時代の名歌手イ・ソンヒ、どんな音楽においても輝く彼女の声と表現は拒否できない永続の美学であろう。
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2013年12月19日木曜日
(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「8.夜の舞台時代の警備員の話」
先日(9/27)、「スポーツ韓国」の紙面(1991年3月8日~4月5日)に連載された「イ・ソンヒ27歳当時のスター・ストーリー」記事の目次を紹介したが、その第8回目をここに載せたい。感謝。
イ・ソンヒが、デビュー初期の待遇や環境の変化への戸惑いと驚き、いわゆる夜営業(ステージのある店)に出演する際に直面したそして軋轢をガードした警備員の存在などを知ることができた。
(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ(27歳当時)の「スター・ストーリー」”、”資料:이선희 Profile”)
[8] 夜の舞台時代の警備員の話
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1985年2月、私は初めて第一アルバムを世の中に出した。1集に収録されたすべての曲は、全てソン・ジュホ氏が作曲した歌だ。高校時代、チャン・ウクチョ音楽室での出会いが縁だった。
<少女の祈り(소녀와 기도)>と<女心(여심)>をそれぞれ(レコード)裏表面のタイトル曲として載せた1集アルバムはあきれるほどとても売れた。ソウルでは「あ! 昔よ(아! 옛날이여)」と「葛藤(갈등)」が人気であり、地方では「また咲く愛のために(다시 필 사랑위해)」、「光の子ら(빛의 자손들)」、「愛の約束(사랑의 약속)」、「少女の祈り(소녀의 기도)」などが強い勢いを見せた。(レコード)盤一つで、何と六曲もヒットしたのだ。ファンは、レコードの入手が難しいと不平を言うほどであった。
ただ一つ、今でも予測するのが難しいのは、特定の歌に対するファンの反応だ。作曲家や歌手が(レコードの)A、B面の頭の曲なら明らかに最も自信がある歌であるのに間違いないはずなのに、ファンはほとんど期待もしなかった歌をもっと好きだったりする。6集アルバム中の「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」もやはりタイトル曲ではないのだから。
とにかく、1集の大ヒットは、私を「マイカー族」の隊列に立たせた。今でも忘れることはできない、私の一番の車、(現代製の)白色のポニー2。
私は、レコードがよく売れて、自家用車を運転する厳然とした歌手だった。歌が下手な歌手は、もう歌手ではない。私はデビュー直後から、そうそうたる先輩歌手を追いかけて行くのではなく、「正面対決」を繰り広げて、私の道を歩んできたと思う。
歌唱力を評価する基準は、他の人の歌をどれくらい上手く歌うかにかかっていると私は信じる。
私は、デビュー当初や今も、放送に出演して他の歌手の曲をたくさん歌う方だ。私の歌があまり多くなかった新人時代には、70年代のフォークソングと先輩歌手の歌をたくさん歌った。チョー・ヨンピル、キム・スヒ、ユン・シネ、キム・ヨンジャさんなど当時最高歌手と舞台に一緒に立って、内心競争的に相手の方の歌を熱唱したその時の経験が、今日の私に多いに役に立ったと思う。
私も自分の声が高いと感じている。キー(Key)がハイ(high)なため、私は歌わねばならない相手歌手の歌が低音を中心にしている場合には、ちょっと苦労しなければならなかった。寝る間を惜しんで、歌詞を諳んじて、私の声をその歌手の声に合わせて・・・
先に話したように、デビュー初め、私はしばらく夜営業の所(キャバレー・酒場など)に出演した時期があった。ところで、行く所ごとに、どこでどのように聞いてきたのか、青少年のファンたちまで未成年者の立入禁止場所である酒場の中に入ってこようと出入口前でもめごとをしたりした。また、客は、客なのに「いくら芸能人でも『ちっちゃな』学生がこのように出てはいけないよ」と、隙さえあれば意見しようとした。
「いや、私も法的には完全な成人なのに、なんでこのように・・・」 しかし、何となく「突っ張って」自然に夜営業の所には往来を控えるようになった。
(この)夜営業の出演と関連して、ほとんど伝説的な話で、チェ・ヒジュン先輩が酔客から白のスーツに酒とおつまみの洗礼を受けた時、気まずくなった雰囲気を淡々として余有ある態度で、それ以上悪化させなかったという話がある。
反面、ある女性歌手は、意地悪な客にあらゆる悪口を浴びせまくることによって、禍を自ら招いたという話も聞いた。
私は、幸い酒に酔った客に辱めに会ったことが一度もなかった。恐らく、放送などを通して映った幼いイメージのおかげでないかと思う。その上、私は舞台の上に釘付けされたように、本来の場所で歌を歌うスタイルでない。客席と客席の間、テーブルとテーブルの間の通路をうんと歩き回る方だった。できるだけ多くの人々と握手もしながら・・・
荒いことで有名な永登浦地域の夜営業で2ヶ月間歌を歌う時、私はウェイターから感謝の言葉をしばしば聞いた。普段あまり目立たないが、円形舞台の周囲にはウェイターの「きらりと光る」視線がある。舞台上の芸能人が、警備員の役割まで兼ねているのだ。
ところが、私が出演してからは、荒い客よりネクタイ姿の会社員が多くなって仕事をするのがはるかに楽というのだった。あたかも「剣道館」や(学級委員の中から選ばれる)「善導部長」になったように、得意になった瞬間だった。
そのようなある日、舞台下に降りて握手するのを楽しむどころか、絶対に夜営業には途絶する事件が起きた。
ある夜の舞台だったか、「あ、昔よ」を歌っている時だった。
その日に限って、客席には荒っぽい男が多かった。突然どこかで何かが壊れる音が聞こえたのに続き、舞台の下が騒がしかった。 私を「警備」していた方々と、頭を剃ってズボンの胴には刃物までさげた、ある輩と喧嘩が起こったのだ。
事件の発端はこうだ。
歌手が舞台上で歌っていたら、握手するつもりで舞台の真ん前に出てくる客がいる。数ある中には、握手すると歌手を舞台の下に引っ張るやっかいな人もいる。それで、舞台周りには客を「装った」歌手のマネジャーや警備員が常に緊張の中で待機している場合が多い。
その日も、舞台上にぴたっと寄り添い座って「万が一の事態」に備えていた私の警備員(私が属したプロダクションの職員)を、その不良たちが、熱心な「イ・ソンヒ ファン」と誤認して、不正をはたらいたのだ。私に会わせてくれといって.。
イ・ソンヒが、デビュー初期の待遇や環境の変化への戸惑いと驚き、いわゆる夜営業(ステージのある店)に出演する際に直面したそして軋轢をガードした警備員の存在などを知ることができた。
(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ(27歳当時)の「スター・ストーリー」”、”資料:이선희 Profile”)
[8] 夜の舞台時代の警備員の話
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1985年2月、私は初めて第一アルバムを世の中に出した。1集に収録されたすべての曲は、全てソン・ジュホ氏が作曲した歌だ。高校時代、チャン・ウクチョ音楽室での出会いが縁だった。
<少女の祈り(소녀와 기도)>と<女心(여심)>をそれぞれ(レコード)裏表面のタイトル曲として載せた1集アルバムはあきれるほどとても売れた。ソウルでは「あ! 昔よ(아! 옛날이여)」と「葛藤(갈등)」が人気であり、地方では「また咲く愛のために(다시 필 사랑위해)」、「光の子ら(빛의 자손들)」、「愛の約束(사랑의 약속)」、「少女の祈り(소녀의 기도)」などが強い勢いを見せた。(レコード)盤一つで、何と六曲もヒットしたのだ。ファンは、レコードの入手が難しいと不平を言うほどであった。
ただ一つ、今でも予測するのが難しいのは、特定の歌に対するファンの反応だ。作曲家や歌手が(レコードの)A、B面の頭の曲なら明らかに最も自信がある歌であるのに間違いないはずなのに、ファンはほとんど期待もしなかった歌をもっと好きだったりする。6集アルバム中の「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」もやはりタイトル曲ではないのだから。
とにかく、1集の大ヒットは、私を「マイカー族」の隊列に立たせた。今でも忘れることはできない、私の一番の車、(現代製の)白色のポニー2。
私は、レコードがよく売れて、自家用車を運転する厳然とした歌手だった。歌が下手な歌手は、もう歌手ではない。私はデビュー直後から、そうそうたる先輩歌手を追いかけて行くのではなく、「正面対決」を繰り広げて、私の道を歩んできたと思う。
歌唱力を評価する基準は、他の人の歌をどれくらい上手く歌うかにかかっていると私は信じる。
私は、デビュー当初や今も、放送に出演して他の歌手の曲をたくさん歌う方だ。私の歌があまり多くなかった新人時代には、70年代のフォークソングと先輩歌手の歌をたくさん歌った。チョー・ヨンピル、キム・スヒ、ユン・シネ、キム・ヨンジャさんなど当時最高歌手と舞台に一緒に立って、内心競争的に相手の方の歌を熱唱したその時の経験が、今日の私に多いに役に立ったと思う。
私も自分の声が高いと感じている。キー(Key)がハイ(high)なため、私は歌わねばならない相手歌手の歌が低音を中心にしている場合には、ちょっと苦労しなければならなかった。寝る間を惜しんで、歌詞を諳んじて、私の声をその歌手の声に合わせて・・・
先に話したように、デビュー初め、私はしばらく夜営業の所(キャバレー・酒場など)に出演した時期があった。ところで、行く所ごとに、どこでどのように聞いてきたのか、青少年のファンたちまで未成年者の立入禁止場所である酒場の中に入ってこようと出入口前でもめごとをしたりした。また、客は、客なのに「いくら芸能人でも『ちっちゃな』学生がこのように出てはいけないよ」と、隙さえあれば意見しようとした。
「いや、私も法的には完全な成人なのに、なんでこのように・・・」 しかし、何となく「突っ張って」自然に夜営業の所には往来を控えるようになった。
(この)夜営業の出演と関連して、ほとんど伝説的な話で、チェ・ヒジュン先輩が酔客から白のスーツに酒とおつまみの洗礼を受けた時、気まずくなった雰囲気を淡々として余有ある態度で、それ以上悪化させなかったという話がある。
反面、ある女性歌手は、意地悪な客にあらゆる悪口を浴びせまくることによって、禍を自ら招いたという話も聞いた。
私は、幸い酒に酔った客に辱めに会ったことが一度もなかった。恐らく、放送などを通して映った幼いイメージのおかげでないかと思う。その上、私は舞台の上に釘付けされたように、本来の場所で歌を歌うスタイルでない。客席と客席の間、テーブルとテーブルの間の通路をうんと歩き回る方だった。できるだけ多くの人々と握手もしながら・・・
荒いことで有名な永登浦地域の夜営業で2ヶ月間歌を歌う時、私はウェイターから感謝の言葉をしばしば聞いた。普段あまり目立たないが、円形舞台の周囲にはウェイターの「きらりと光る」視線がある。舞台上の芸能人が、警備員の役割まで兼ねているのだ。
ところが、私が出演してからは、荒い客よりネクタイ姿の会社員が多くなって仕事をするのがはるかに楽というのだった。あたかも「剣道館」や(学級委員の中から選ばれる)「善導部長」になったように、得意になった瞬間だった。
そのようなある日、舞台下に降りて握手するのを楽しむどころか、絶対に夜営業には途絶する事件が起きた。
ある夜の舞台だったか、「あ、昔よ」を歌っている時だった。
その日に限って、客席には荒っぽい男が多かった。突然どこかで何かが壊れる音が聞こえたのに続き、舞台の下が騒がしかった。 私を「警備」していた方々と、頭を剃ってズボンの胴には刃物までさげた、ある輩と喧嘩が起こったのだ。
事件の発端はこうだ。
歌手が舞台上で歌っていたら、握手するつもりで舞台の真ん前に出てくる客がいる。数ある中には、握手すると歌手を舞台の下に引っ張るやっかいな人もいる。それで、舞台周りには客を「装った」歌手のマネジャーや警備員が常に緊張の中で待機している場合が多い。
その日も、舞台上にぴたっと寄り添い座って「万が一の事態」に備えていた私の警備員(私が属したプロダクションの職員)を、その不良たちが、熱心な「イ・ソンヒ ファン」と誤認して、不正をはたらいたのだ。私に会わせてくれといって.。
歌っている私に向かって、彼らは「ソンヒよ、後で・・・」、何とかしてと、とても近い仲であるかのようにほらを吹いたし、これに対していきり立った私の「保護者」たちと言い争いを繰り広げることになったのだ。
今日、突然に「警備員」という言葉が登場するようになったのは、記憶も生々しい85年3月20日の脅迫事件がその根元になっている。
当時、私は一日平均7百~8百通ずつ押し寄せるファンレターで、集配人のおじさんの顔色をうかがわなければならない程大変な苦労をしていた。今でも一日に4百通余りの手紙を受けているが、返事はほとんどできない。デビュー初めから今まで、着実に便り伝える方々だけでも1千人近くなる。顔は分からないが名前と字体だけ見てもうれしい方々だ。
話が横道にそれたが、とにかくその頃30代初めぐらいに見える険しい若者3人が訪ねてきた。熱狂ファンなのを自任しながら。
なんだかんだとつまらぬことの末に、結論は「おれたちの店にも出演しないで、他の夜舞台をあちこち出ては『面白く』ないことと思え」と言うのだった。
実際には、一箇所と2ヶ月出演契約を結んだら、1年契約したのと変わらない。放送出演とか練習とかで言って見ると、出演キャンセルすることが多く、約束は約束だから2ヶ月間60回の舞台に立つという契約を守ろうとするなら、およそ1年ほどかかるからだ。
私を連れて行こうとしていた店は、いつのまにか「お連れ」参りし始めたし、当時では破格的な1ヶ月に7百万ウォンという最高水準の待遇を提示する所もあった。
怖いし、また昼間と夜を変えて生きるということに体質的に拒否感もあって、ずっと断ったところ「鼻っぱしらを高くふるまうな。二度と歌を歌えないようにする」という威嚇を受けたりもした。
だが、「お茶を一杯一緒に飲む機会をくれ。そうでなければ拉致する」と見えすいた脅しをする子どもっぽい少年の電話声には「ふざけているのね」といいながら、たいしたことないと思ったりもした。
しかし、私は彼らの顔が分からないが、私の一挙手一投足は完全に公開されたも同然だったので、結局、私の乗用車には警備員2人が同乗することになったのだ。
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今日、突然に「警備員」という言葉が登場するようになったのは、記憶も生々しい85年3月20日の脅迫事件がその根元になっている。
当時、私は一日平均7百~8百通ずつ押し寄せるファンレターで、集配人のおじさんの顔色をうかがわなければならない程大変な苦労をしていた。今でも一日に4百通余りの手紙を受けているが、返事はほとんどできない。デビュー初めから今まで、着実に便り伝える方々だけでも1千人近くなる。顔は分からないが名前と字体だけ見てもうれしい方々だ。
話が横道にそれたが、とにかくその頃30代初めぐらいに見える険しい若者3人が訪ねてきた。熱狂ファンなのを自任しながら。
なんだかんだとつまらぬことの末に、結論は「おれたちの店にも出演しないで、他の夜舞台をあちこち出ては『面白く』ないことと思え」と言うのだった。
実際には、一箇所と2ヶ月出演契約を結んだら、1年契約したのと変わらない。放送出演とか練習とかで言って見ると、出演キャンセルすることが多く、約束は約束だから2ヶ月間60回の舞台に立つという契約を守ろうとするなら、およそ1年ほどかかるからだ。
私を連れて行こうとしていた店は、いつのまにか「お連れ」参りし始めたし、当時では破格的な1ヶ月に7百万ウォンという最高水準の待遇を提示する所もあった。
怖いし、また昼間と夜を変えて生きるということに体質的に拒否感もあって、ずっと断ったところ「鼻っぱしらを高くふるまうな。二度と歌を歌えないようにする」という威嚇を受けたりもした。
だが、「お茶を一杯一緒に飲む機会をくれ。そうでなければ拉致する」と見えすいた脅しをする子どもっぽい少年の電話声には「ふざけているのね」といいながら、たいしたことないと思ったりもした。
しかし、私は彼らの顔が分からないが、私の一挙手一投足は完全に公開されたも同然だったので、結局、私の乗用車には警備員2人が同乗することになったのだ。
2011年5月21日土曜日
ソウル2日目:2011イ・ソンヒ コンサート
昨日来の小雨は、昼を過ぎてもまばらに降り続き、夕方ようやくおさまった。
朝から光化門広場を散策し、ときに傘を差しながらソウル市内をシティーツアーバスを利用して巡る。国立中央博物館の先史・古代館をじっくり見学した後、遠く霞んで見える南山タワーに独り登る。雨雲にけぶるソウル市内を眺望する。
会館の前の入り口近くに、大きな祝いの飾りがいくつも並び、なかに日本のイ・スンギ(後述)ファンのJapan Cafeかららしいものまであるのに驚く。1階ロビーには、イ・ソンヒと時代を共有した女性を中心に男性もまじえて、多くの人が開場を待ち、あふれていた。
其処で、今回の公演チケット入手に大変お世話になった、イ・ソンヒのファンクラブ幹事のKさんにお会いする。最高の座席を確保していただいたことに感謝しつつ席に着く。公演終了後、ご挨拶にうかがうと、この後設けるファンクラブのミーティングにお誘いをあらためて受ける。ミーティング会場前でメンバー各位と一緒に写真を撮る。これ以上、ご厚意に甘えては申し訳なくお礼を伝え、おいとましたが、帰路、ご好意に対する機微(積極さ)に欠けた点を反
省。
開演前の舞台前面を覆うスクリーンに、公演タイトルおよび桜の花吹雪の動画が投影されている。
まず、女性アナウンサーによる朗読からはじまった。
コンサートで、イ・ソンヒとゲストたちが歌った曲中から任意に選び次の通り概要を記す。
・イ・ソンヒは、コンサートの最初に「私はいつもあなたを(나항상 그대를)」を選んだ。
・「少女の祈り(소녀의기도)」などバラードを続けて聴かせた後、管楽器編成をバックに歌う「ケンチャナ(괜찮아)」に会場が盛りあがる。
・パティ・キムの「離別(이별)」をしっとりと余情をもってカバーする。
・少女のような横顔をスクリーンに映し、「僕のガールフレンドは九尾狐<クミホ>」のテーマ曲「狐の嫁入り(여우비)」を歌う。
・もちろん「因縁(언연)」を美しく優雅に聴かせてくれる。
・イ・ソンヒに、ひざまずき一輪のバラを差し出すイ・スンギの登場に会場は騒然。1曲目は何?(おじさんには?)。2曲目はチョー・ヨンピルの「旅に出よう(여행을 떠나요)」をカバー。最後まで会場は(彼を恋人にしたい、息子にしたい女性たちの)歓喜と熱狂の渦。
・ゲストとして次に登場した、キム・ボムニョン(김범룡)が代表曲「パラム、パラム、パラム」(1985年)他を歌う。80年代をイ・ソンヒとのデュエットで、パワフルにそして軽快に駆ける。
・コンサート終盤に至り、イ・ソンヒの「ああ!昔よ(아, 옛날이여)」、「美しい江山(아름다운 강산)」に、会場総立ち、大盛況となる。ファンたちのライブライトの明りが会場を大きく揺れる。
・そして、アンコールに応えて、イ・ソンヒは「Jへ(J에게)」を歌った。
終演後、会場に名残り惜しむように、観客がしばし、まばらに残っていた。ロビーでも、互いに興奮を冷ますように、あちこちに観客グループたまっていた。
お世話になったファンクラブから、イ・ソンヒの写真付カレンダーや多数のシールなどをいただきましたこと、重ねて感謝します。これは宝物です。
また、会館ロビーで、イ・ソンヒのサイン入りアルバム14集を見つけ!直ぐに入手した。
(Youtubeに登録のLehrbuecher、leeseunggi01、naragoyに感謝)
(参考)
前回2009年のコンサートは、「イ・ソンヒ コンサート 」に報告。
2015年1月7日水曜日
(資料)イ・ソンヒ「1集(REMASTERING ALBUM)」の紹介
イ・ソンヒが1984年の「江辺歌謡祭」に登場して翌年発表した第1集アルバム「あ! 昔よ」(1985年)のリマスター版(JCDS0824)が、今月発売されることを知った。先週、CDショップで確認したところ未だ扱っていないといわれたけれど・・・。
(本ブログ関連:”イ・ソンヒ 1集(Lee Sun Hee Remastered)”)
ネットの「シンナラ・レコード」に掲載されている、大衆音楽評論家・ジャーナリストのパク・ソンソによる「アルバム紹介」は、1集発売当時の様子を次のように記している。
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イ・ソンヒ 1集Remastered、アルバム
韓国「最高のディーバ(歌姫)」、イ・ソンヒ Story
デビュー30周年を迎えるイ・ソンヒのデビュー初のソロアルバム「あ! 昔よ」
・デビュー30周年を迎える、今もまだ「少女」のような姿に清く透明な音色、そして一層深くなった感性・・・イ・ソンヒは、ますます関心が高まる不思議な魅力の持ち主だ。現在、韓国で活動する「最高のディーバ」、イ・ソンヒ初のソロアルバムのリマスタリング(Remastering)作業は、だから意味がより一層大きい。
・メディアに近況が全く知らされなかった去る2009年*、「助け合い公演」が繰り広げられていた汝矣島のKBSホール、予告なしに舞台にイ・ソンヒがサプライズ出演した。アメリカからまさに帰ってきて初めて立つ舞台と言ったし、非公式に立つ舞台だけに、本格的に活動を始める時、再び正式にごあいさつするとも言った。この舞台で、彼女が歌った歌は「あ! 昔よ」であった。少し短いコメントも(次のように)付け加えた。
(*)イ・ソンヒの第2の人生の始まりにおける一つのできごとである。
・「私が初めてデビューして、この歌を歌う時、ネクタイ部隊(中堅サラリーマン)のおじさんファンたちが一言一言(ぶうぶつ)いいましたよ。小さいのがもう『昔よ』を歌うのかと・・・その言葉の意味を、そしてこの歌の真の意味を今になって少しずつ分かる気がします。時間が過ぎれば過ぎるほど、私にはより一層大切に感じられる歌です」と。
・今でも7080世代に思い出という名で広く知られるMBC-FM主催「江辺歌謡祭」が論ざれるたび、一番最初に登場する名前がイ・ソンヒだ。「江辺歌謡祭」が輩出した最高のスター、そして彼女が歌った「Jへ」は最高の名曲として挙げられる。
(本ブログ関連:”7080世代”、”江辺歌謡祭”、”Jへ”)
・1984年、江辺歌謡祭の舞台に初めて立ったイ・ソンヒの姿を、まだはっきりと記憶している人々が多いだろう。それだけ印象的だった。混成デュエット(「4幕5場」)であるだけに、スカートを着るのが良いという放送局側の勧めにより即席で借りて着た、からきし大きな紺色のスカート姿の、腕白小僧のようなパンク頭のわきまえぬ姿・・・しかし、その小さい体躯から吹き出る澄んだパワフルな歌唱力は、皆を驚かせるに十分だった。結局、大賞を手にした「Jへ」は、翌日から人気集めを始めたし、この歌を歌った主人公には各種マスコミのフラッシュ洗礼が集中した。
・しかし、いざ注目を浴びたのは混成デュエットの「4幕5場」でなく、イ・ソンヒであった。「特に注目を浴びるほどのルックスではないので、さらに注目を浴びた」この手つかずの地味な姿は、かえって誰にも親近感を与え、若者たちは誰も彼も「J」になりたいと自らた請(こ)うただけに「Jへ ブーム」はすごかった。
(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「Jへ」”)
・「Jへ」より爆発的な歌唱力を生き生きと見せた歌が、まさにこの初ソロアルバムのタイトル曲「あ! 昔よ」だ。今は過ぎ去った日を回顧する代名詞である単語として位置づけられた「あ!昔よ」は発表されるやいなや、KBS「歌謡トップ10ゴールデン・カップ(5週連続1位)」を占めており、収録曲中の「葛藤」、「少女の祈り」、「私は恋に落ちました」など、何と七曲がチャートに同時進入する話題を集めた。
・トレードマークである丸いメガネとカット頭(ヘヤースタイル)が女子学生の間で大流行したほど、「イ・ソンヒ シンドローム」はすごかった。
・今は女性的にスタイルが変わって、「万人の恋人」として愛されているけれど、デビュー当時は中性的なボーイッシュな魅力と歌唱力で、女性歌手として珍しくハイティーン雑誌とレコードに実物サイズのブロマイドを入れて制作されるほど愛される「下敷スター」*であり、「姉さん部隊」(女性ファン)の元祖であった。
(*)ラミネート加工の写真入りの下敷きで、80年代、元祖下敷スターはイ・ミヨンだそうで・・・「80年代を最後に徐々に下敷きが消えた。下敷きは、単に学用品ではなく、スターといつも会う場所だった」(TVdaily、オ・スジョン記者)
・当時、ある雑誌との「100問100答(100문100답)」で打ち明けた「Jへ」の誕生背景も話題になった。作曲家イ・セゴン(李世建)の楽譜「Jへ」が、ある作曲家事務所*でゴミ箱に捨てられるのを見てその中ですくい出したというエピソードがそれ. 結果的に「捨てられた歌」を捜し出して「宝物」に作ったわけだ。
(*)チャン・ウクチョ音楽室、”イニシャルJ”
・「あ! 昔よ」も他の歌手によって先に発表されたが、埋れていた歌であった。歌手チン・ピレによって1年余り前の83年5月に発表された当時、歌の題名は「その時と今」(パク・ゴンホ作詞、ソン・ジュホ作曲)」。この歌もまた、イ・ソンヒによって始めて光を見た歌だ。このようなエピソードは単に偶然な幸運でなく、多少運命的だと見なされる。はじめて歌が主人に会ったことと解釈される部分でもある*。
(*)韓国民歌ともいえるイ・ソンヒの「美しい江山」(4集、1988年所収)も同様なケースだろう。
・逆境は彼女をより一層輝かせる。「最高の最高のディーバ」という賛辞を受けて、韓国を代表する歌手として、そしてシンガーソングライターに変身して、第2の全盛期を謳歌しているイ・ソンヒのきらめく力作、この初のソロアルバムが吹き込み当時の原音そのままリマスタリングされたというのは非常に喜ばしいことだ。宝石以上の貴重な価値を持った原石をそっくり鑑賞することができるからである。 あたかも今歌うために、当時吹き込んでおいたようなこのアルバムは、そのためより多くの人々に感動させるだろう。
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(付記)
今日1月7日は、「七草の節句」ということで、無病息災を祈って寺院で七草粥をふるまう行事があるようだ。では、自宅で食べるにはどうすればいいのか、食材として売られているだろうか。はたまた、七草粥を食事できる店があるだろうか。結局、今年も無縁に終わってしまいそうだけど。
(本ブログ関連:”イ・ソンヒ 1集(Lee Sun Hee Remastered)”)
ネットの「シンナラ・レコード」に掲載されている、大衆音楽評論家・ジャーナリストのパク・ソンソによる「アルバム紹介」は、1集発売当時の様子を次のように記している。
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イ・ソンヒ 1集Remastered、アルバム
韓国「最高のディーバ(歌姫)」、イ・ソンヒ Story
デビュー30周年を迎えるイ・ソンヒのデビュー初のソロアルバム「あ! 昔よ」
・デビュー30周年を迎える、今もまだ「少女」のような姿に清く透明な音色、そして一層深くなった感性・・・イ・ソンヒは、ますます関心が高まる不思議な魅力の持ち主だ。現在、韓国で活動する「最高のディーバ」、イ・ソンヒ初のソロアルバムのリマスタリング(Remastering)作業は、だから意味がより一層大きい。
・メディアに近況が全く知らされなかった去る2009年*、「助け合い公演」が繰り広げられていた汝矣島のKBSホール、予告なしに舞台にイ・ソンヒがサプライズ出演した。アメリカからまさに帰ってきて初めて立つ舞台と言ったし、非公式に立つ舞台だけに、本格的に活動を始める時、再び正式にごあいさつするとも言った。この舞台で、彼女が歌った歌は「あ! 昔よ」であった。少し短いコメントも(次のように)付け加えた。
(*)イ・ソンヒの第2の人生の始まりにおける一つのできごとである。
・「私が初めてデビューして、この歌を歌う時、ネクタイ部隊(中堅サラリーマン)のおじさんファンたちが一言一言(ぶうぶつ)いいましたよ。小さいのがもう『昔よ』を歌うのかと・・・その言葉の意味を、そしてこの歌の真の意味を今になって少しずつ分かる気がします。時間が過ぎれば過ぎるほど、私にはより一層大切に感じられる歌です」と。
・今でも7080世代に思い出という名で広く知られるMBC-FM主催「江辺歌謡祭」が論ざれるたび、一番最初に登場する名前がイ・ソンヒだ。「江辺歌謡祭」が輩出した最高のスター、そして彼女が歌った「Jへ」は最高の名曲として挙げられる。
(本ブログ関連:”7080世代”、”江辺歌謡祭”、”Jへ”)
・1984年、江辺歌謡祭の舞台に初めて立ったイ・ソンヒの姿を、まだはっきりと記憶している人々が多いだろう。それだけ印象的だった。混成デュエット(「4幕5場」)であるだけに、スカートを着るのが良いという放送局側の勧めにより即席で借りて着た、からきし大きな紺色のスカート姿の、腕白小僧のようなパンク頭のわきまえぬ姿・・・しかし、その小さい体躯から吹き出る澄んだパワフルな歌唱力は、皆を驚かせるに十分だった。結局、大賞を手にした「Jへ」は、翌日から人気集めを始めたし、この歌を歌った主人公には各種マスコミのフラッシュ洗礼が集中した。
・しかし、いざ注目を浴びたのは混成デュエットの「4幕5場」でなく、イ・ソンヒであった。「特に注目を浴びるほどのルックスではないので、さらに注目を浴びた」この手つかずの地味な姿は、かえって誰にも親近感を与え、若者たちは誰も彼も「J」になりたいと自らた請(こ)うただけに「Jへ ブーム」はすごかった。
(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「Jへ」”)
・「Jへ」より爆発的な歌唱力を生き生きと見せた歌が、まさにこの初ソロアルバムのタイトル曲「あ! 昔よ」だ。今は過ぎ去った日を回顧する代名詞である単語として位置づけられた「あ!昔よ」は発表されるやいなや、KBS「歌謡トップ10ゴールデン・カップ(5週連続1位)」を占めており、収録曲中の「葛藤」、「少女の祈り」、「私は恋に落ちました」など、何と七曲がチャートに同時進入する話題を集めた。
・トレードマークである丸いメガネとカット頭(ヘヤースタイル)が女子学生の間で大流行したほど、「イ・ソンヒ シンドローム」はすごかった。
・今は女性的にスタイルが変わって、「万人の恋人」として愛されているけれど、デビュー当時は中性的なボーイッシュな魅力と歌唱力で、女性歌手として珍しくハイティーン雑誌とレコードに実物サイズのブロマイドを入れて制作されるほど愛される「下敷スター」*であり、「姉さん部隊」(女性ファン)の元祖であった。
(*)ラミネート加工の写真入りの下敷きで、80年代、元祖下敷スターはイ・ミヨンだそうで・・・「80年代を最後に徐々に下敷きが消えた。下敷きは、単に学用品ではなく、スターといつも会う場所だった」(TVdaily、オ・スジョン記者)
・当時、ある雑誌との「100問100答(100문100답)」で打ち明けた「Jへ」の誕生背景も話題になった。作曲家イ・セゴン(李世建)の楽譜「Jへ」が、ある作曲家事務所*でゴミ箱に捨てられるのを見てその中ですくい出したというエピソードがそれ. 結果的に「捨てられた歌」を捜し出して「宝物」に作ったわけだ。
(*)チャン・ウクチョ音楽室、”イニシャルJ”
・「あ! 昔よ」も他の歌手によって先に発表されたが、埋れていた歌であった。歌手チン・ピレによって1年余り前の83年5月に発表された当時、歌の題名は「その時と今」(パク・ゴンホ作詞、ソン・ジュホ作曲)」。この歌もまた、イ・ソンヒによって始めて光を見た歌だ。このようなエピソードは単に偶然な幸運でなく、多少運命的だと見なされる。はじめて歌が主人に会ったことと解釈される部分でもある*。
(*)韓国民歌ともいえるイ・ソンヒの「美しい江山」(4集、1988年所収)も同様なケースだろう。
・逆境は彼女をより一層輝かせる。「最高の最高のディーバ」という賛辞を受けて、韓国を代表する歌手として、そしてシンガーソングライターに変身して、第2の全盛期を謳歌しているイ・ソンヒのきらめく力作、この初のソロアルバムが吹き込み当時の原音そのままリマスタリングされたというのは非常に喜ばしいことだ。宝石以上の貴重な価値を持った原石をそっくり鑑賞することができるからである。 あたかも今歌うために、当時吹き込んでおいたようなこのアルバムは、そのためより多くの人々に感動させるだろう。
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(付記)
今日1月7日は、「七草の節句」ということで、無病息災を祈って寺院で七草粥をふるまう行事があるようだ。では、自宅で食べるにはどうすればいいのか、食材として売られているだろうか。はたまた、七草粥を食事できる店があるだろうか。結局、今年も無縁に終わってしまいそうだけど。
2016年9月4日日曜日
イ・ソンヒのコンサート「The Great Concert」
今夕(9/4)のコンサート観覧から帰宅後、9/5に追記します。
⇒ しかし、9/5帰宅のつもりが、9/6の午前0時04分に着きましたので、9/6に追記します。
カメラをホテルに忘れた(もちろんスマホは持っていません)ので、会場の映像はありません。
(本ブログ関連:”●資料:이선희 Concert”)
開場1時間前、世宗文化会館大劇場のロビーはすでにひとびとであふれていた。前回、2014年のコンサートと比べて、若者客が若干少ないよう。イ・ソンヒが出演したCFではないが、歳月に合わせた客層主体になっていた。何となく感じたことに、そこかしこに彼女に似た髪型とメガネ姿の女性たちがいる。イ・ソンヒの持つ普通らしさと、まるで申し合わせたように。
(本ブログ関連:”The Great Concert”)
今回は、<四季>をテーマにしているという。まさに、秋に相応しい彩が舞台にあふれた。春夏秋冬そして秋、かもしれない。
イ・ソンヒを紹介するアナウンスにつづき、舞台袖でスポットライトがあたったのは、テレビドラマ「茶母(다모、邦題:”チェオクの剣”)」で、渋さと聡明さを演じたイ・ソジンだ。このドラマにインスピレーションを得て作られたのが、イ・ソンヒのヒット曲「因縁(인연)」である。
(以下、イ・ソンヒが歌った曲について記す)
イ・ソンヒのコンサート「The Great Concert」はこの「因縁」の歌から始まった。もうこのときから、会場はペンライトで揺れる。
東洋的な旋律の余韻に続くように、映画「炎のように蝶のように(불꽃처럼 나비처럼)」の同名主題曲を歌った。舞台は、東洋画一色に染まる。
その後、代表曲の「少女の祈り(소녀의 기도)」、「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」と続く。
しっとりした懐旧の歌、15集収録の「今になって(이제야)」をライブで聞くとは、胸に沁みます。
突然、舞台に雪が降る。何なのかと期待すれば、2013年に幼い少女たちを熱狂させた、あの雪の世界のアニメから・・・お分かりでしょう。
そして冬には、代表曲の「冬哀傷(겨울애상)」だ。冬なのに、彼女の歌声にはほっとする。
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アコーディオン(小型の「コンサーティーナ」のような)を中心に、ヴァイオリン、コントラバス、ピアノ編成の四人組による伴奏で、ときにタンゴ風に。(15集収録メンバーと同じ?)
まな弟子イ・スンギが主役の一人を演じた、テレビドラマ「僕の彼女は九尾狐(내 여자친구는 9미호)」のテーマ曲「狐の嫁入り(여우비、天気雨)」を歌った。
まるでヨーロッパの街を眺めるように、15集収録の「街の眺め(거리구경)」を歌う。
次に、「あなたが私を愛されるなら(그대가 나를 사랑하신다면)」をタンゴ風に軽快に、愛の確信を得たい心情を歌う。
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15集収録の、さまざまな人生を感動的に歌った、「その中であなたと出会って(그 중에 그대를 만나)」は、世界に感情の渦を巻き起こした。その名曲を会場で再び聞く事ができるとは。
【イ・ソンヒがしばらく退場する幕間】
・若い女性歌手(ソロ歌手とガールズ・グループ(LABOUM?)歌手)たちの歌。イ・ソンヒの昔の映像、詞など。
先輩歌手ソン・チャンシクが歌う彼の「私たちは(우리는)」(1986年)の投影が始まると、イ・ソンヒが登場して、画面に向かってデュエットを始める。以前、デュエット番組の紹介に、この二人による同じ構図のものがあった。感動的だった。
そのデュエット番組の本放送で歌った、名曲「分かりたいです(알고싶어요)」を、そのときのデュエット相手のイェジン嬢と共に歌う。番組とは違い、イ・ソンヒはプロの舞台を教えてくれたようだ。
「ケンチャナ(괜찮아)」を歌うと、この頃から観客は沸き、総立ちになる。熱狂は止まず終わりへと流れ込む。圧巻のまま、「ひとしきり笑いに(한바탕 웃음으로)」を歌う。
怒涛の勢いは続く。「炎のように(불꽃처럼)」、「葛藤(갈등)」。いよいよ終わりを迎えて、この国の人々を最大に熱狂させる曲、「美しい江山(아름다운 강산)」が歌われ、クライマックスを迎えた。
静かに暗転する舞台。会場のアンコールに応えて歌われたのは、まさにイ・ソンヒを示す、「Jへ(J에게)」だった。歌の始め、マイクを会場へむけると、観客は一斉に声をあげて歌いだした。そして、コンサートの本当の終わりを告げるように、彼女の歌声が会場に響いた。
⇒ しかし、9/5帰宅のつもりが、9/6の午前0時04分に着きましたので、9/6に追記します。
カメラをホテルに忘れた(もちろんスマホは持っていません)ので、会場の映像はありません。
(本ブログ関連:”●資料:이선희 Concert”)
開場1時間前、世宗文化会館大劇場のロビーはすでにひとびとであふれていた。前回、2014年のコンサートと比べて、若者客が若干少ないよう。イ・ソンヒが出演したCFではないが、歳月に合わせた客層主体になっていた。何となく感じたことに、そこかしこに彼女に似た髪型とメガネ姿の女性たちがいる。イ・ソンヒの持つ普通らしさと、まるで申し合わせたように。
(本ブログ関連:”The Great Concert”)
今回は、<四季>をテーマにしているという。まさに、秋に相応しい彩が舞台にあふれた。春夏秋冬そして秋、かもしれない。
イ・ソンヒを紹介するアナウンスにつづき、舞台袖でスポットライトがあたったのは、テレビドラマ「茶母(다모、邦題:”チェオクの剣”)」で、渋さと聡明さを演じたイ・ソジンだ。このドラマにインスピレーションを得て作られたのが、イ・ソンヒのヒット曲「因縁(인연)」である。
(以下、イ・ソンヒが歌った曲について記す)
イ・ソンヒのコンサート「The Great Concert」はこの「因縁」の歌から始まった。もうこのときから、会場はペンライトで揺れる。
東洋的な旋律の余韻に続くように、映画「炎のように蝶のように(불꽃처럼 나비처럼)」の同名主題曲を歌った。舞台は、東洋画一色に染まる。
その後、代表曲の「少女の祈り(소녀의 기도)」、「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」と続く。
しっとりした懐旧の歌、15集収録の「今になって(이제야)」をライブで聞くとは、胸に沁みます。
突然、舞台に雪が降る。何なのかと期待すれば、2013年に幼い少女たちを熱狂させた、あの雪の世界のアニメから・・・お分かりでしょう。
そして冬には、代表曲の「冬哀傷(겨울애상)」だ。冬なのに、彼女の歌声にはほっとする。
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アコーディオン(小型の「コンサーティーナ」のような)を中心に、ヴァイオリン、コントラバス、ピアノ編成の四人組による伴奏で、ときにタンゴ風に。(15集収録メンバーと同じ?)
まな弟子イ・スンギが主役の一人を演じた、テレビドラマ「僕の彼女は九尾狐(내 여자친구는 9미호)」のテーマ曲「狐の嫁入り(여우비、天気雨)」を歌った。
まるでヨーロッパの街を眺めるように、15集収録の「街の眺め(거리구경)」を歌う。
次に、「あなたが私を愛されるなら(그대가 나를 사랑하신다면)」をタンゴ風に軽快に、愛の確信を得たい心情を歌う。
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15集収録の、さまざまな人生を感動的に歌った、「その中であなたと出会って(그 중에 그대를 만나)」は、世界に感情の渦を巻き起こした。その名曲を会場で再び聞く事ができるとは。
【イ・ソンヒがしばらく退場する幕間】
・若い女性歌手(ソロ歌手とガールズ・グループ(LABOUM?)歌手)たちの歌。イ・ソンヒの昔の映像、詞など。
先輩歌手ソン・チャンシクが歌う彼の「私たちは(우리는)」(1986年)の投影が始まると、イ・ソンヒが登場して、画面に向かってデュエットを始める。以前、デュエット番組の紹介に、この二人による同じ構図のものがあった。感動的だった。
そのデュエット番組の本放送で歌った、名曲「分かりたいです(알고싶어요)」を、そのときのデュエット相手のイェジン嬢と共に歌う。番組とは違い、イ・ソンヒはプロの舞台を教えてくれたようだ。
「ケンチャナ(괜찮아)」を歌うと、この頃から観客は沸き、総立ちになる。熱狂は止まず終わりへと流れ込む。圧巻のまま、「ひとしきり笑いに(한바탕 웃음으로)」を歌う。
怒涛の勢いは続く。「炎のように(불꽃처럼)」、「葛藤(갈등)」。いよいよ終わりを迎えて、この国の人々を最大に熱狂させる曲、「美しい江山(아름다운 강산)」が歌われ、クライマックスを迎えた。
静かに暗転する舞台。会場のアンコールに応えて歌われたのは、まさにイ・ソンヒを示す、「Jへ(J에게)」だった。歌の始め、マイクを会場へむけると、観客は一斉に声をあげて歌いだした。そして、コンサートの本当の終わりを告げるように、彼女の歌声が会場に響いた。
2014年3月16日日曜日
イ・ソンヒ15集タイトルは「セレンディピティ(세렌디피티)」
SPORTSQの記事「イ・ソンヒ15集発表に、後輩歌手による献呈公演を用意」(3/13、キム・ナラ記者)に、イ・ソンヒの曲をカバーしたこともある歌手たちが献呈(トリビュート)公演を用意していると次のように報じている。
今回の新しい15集アルバムのタイトルは「セレンディピティ」で、10余曲が収集されているとのこと。なにより、同記事に掲載された彼女の写真(所属会社フックエンターテインメント提供)が素晴らしい。
(本ブログ関連:”セレンディピティ”)
(本ブログ関連:「Jへ」、「美しい江山」、「私はいつもあなたを」、「葛藤」、「ひとしきり笑いで」、「ああ!昔よ」、「因縁(絆)」、「思い出のページをめくれば」、「少女の祈り」、「狐の嫁入り(天気雨)」)
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「小さな巨人」イ・ソンヒが5年ぶりにカムバックする。
イ・ソンヒは、2009年正規14集「愛よ...」の発表後、デビュー30周年を記念して、正規15集「セレンディピティ(세렌디피티)」を発売する。一層成熟した感性で、彼女の音楽人生30年を総決算する今回のアルバムに、10余曲を自分だけの色が盛られた自作曲で収録した。また、わが国最高の作曲家、ダブル・キック(이단옆차기)、パク・グンテ(박근태)、ミス・ケイ(미스케이)、エピトンプロジェクトなどとの共同作業を通じて、音楽の新鮮さと深みに新譜の完成度を高めた。
来る25日、アルバム発売に合わせて開催されるイ・ソンヒのショーケースには、いつもイ・ソンヒを尊敬してきた後輩歌手ユン・ドヒョンが「私はいつもあなたを」、グミ(거미)は「分かりたいです」、イム・ジョンヒは「美しい江山」、タカピ(TACAPY)は「ひとしきり笑いで」、イ・スンギは「Jへ」をそれぞれのスタイルで再解釈して場を輝かせる予定だ。特に、今回のショーケースは、ポータルサイトDaumを通じて生中継され、イ・ソンヒの新曲をライブで鑑賞することができる。
大衆音楽評論家ガンホンは「イ・ソンヒは、女性ミュージシャンが弱者にならざるをえなかった音楽産業界で、堂々と両足で自分の歴史を自分で作った最初の人物だ」と絶賛した。
1984年「江辺歌謡祭」で大賞を受賞して、歌謡界に進出した歌手イ・ソンヒは、清らかな声を誇り、「Jへ」、「美しい江山」、「私はいつもあなたを」、「葛藤」、「ひとしきり笑いで」、「ああ!昔よ」、「因縁(絆)」、「思い出のページをめくれば」、「少女の祈り」、「狐の嫁入り(天気雨)」など数多くのヒット曲を量産した。
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今回の新しい15集アルバムのタイトルは「セレンディピティ」で、10余曲が収集されているとのこと。なにより、同記事に掲載された彼女の写真(所属会社フックエンターテインメント提供)が素晴らしい。
(本ブログ関連:”セレンディピティ”)
(本ブログ関連:「Jへ」、「美しい江山」、「私はいつもあなたを」、「葛藤」、「ひとしきり笑いで」、「ああ!昔よ」、「因縁(絆)」、「思い出のページをめくれば」、「少女の祈り」、「狐の嫁入り(天気雨)」)
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![]() |
| 国民歌手イ・ソンヒ |
イ・ソンヒは、2009年正規14集「愛よ...」の発表後、デビュー30周年を記念して、正規15集「セレンディピティ(세렌디피티)」を発売する。一層成熟した感性で、彼女の音楽人生30年を総決算する今回のアルバムに、10余曲を自分だけの色が盛られた自作曲で収録した。また、わが国最高の作曲家、ダブル・キック(이단옆차기)、パク・グンテ(박근태)、ミス・ケイ(미스케이)、エピトンプロジェクトなどとの共同作業を通じて、音楽の新鮮さと深みに新譜の完成度を高めた。
来る25日、アルバム発売に合わせて開催されるイ・ソンヒのショーケースには、いつもイ・ソンヒを尊敬してきた後輩歌手ユン・ドヒョンが「私はいつもあなたを」、グミ(거미)は「分かりたいです」、イム・ジョンヒは「美しい江山」、タカピ(TACAPY)は「ひとしきり笑いで」、イ・スンギは「Jへ」をそれぞれのスタイルで再解釈して場を輝かせる予定だ。特に、今回のショーケースは、ポータルサイトDaumを通じて生中継され、イ・ソンヒの新曲をライブで鑑賞することができる。
大衆音楽評論家ガンホンは「イ・ソンヒは、女性ミュージシャンが弱者にならざるをえなかった音楽産業界で、堂々と両足で自分の歴史を自分で作った最初の人物だ」と絶賛した。
1984年「江辺歌謡祭」で大賞を受賞して、歌謡界に進出した歌手イ・ソンヒは、清らかな声を誇り、「Jへ」、「美しい江山」、「私はいつもあなたを」、「葛藤」、「ひとしきり笑いで」、「ああ!昔よ」、「因縁(絆)」、「思い出のページをめくれば」、「少女の祈り」、「狐の嫁入り(天気雨)」など数多くのヒット曲を量産した。
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2014年4月19日土曜日
行ってきました! イ・ソンヒ コンサート(ソウル1日)
イ・ソンヒのデビュー30周年記念「歌う イ・ソンヒ」コンサートに行ってきました!
昼前、金浦空港に着き、光化門駅を降りてすぐに世宗文化会館の前を行ったり来たりした。すでに同館の大劇場が開いているわけではないのだが・・・玄関前に並んだベンチに、おじさん、おばさんが坐っていて、違和感なく同席していると、目の前を若い人たちがチェックを受けて入館しているのが見えた。そう、彼らは、今回のコンサートを支えた管弦楽オーケストラのメンバー達のようだ。
開演(19:00)の3時間前には、写真の通り、観客が次々と大劇場に入り、ロビーは混み合い始めた。目ざとく、イ・ソンヒのサイン入り15集アルバム「Serendipity」を見つけて早速求める。
会場入場できるまで、玄関口に近い場所に立っていたら、年配の係の方に、受付横にある椅子(彼らの椅子)に坐るよう勧められた。感謝しつつ丁重に遠慮したが、やっぱり、そんな風?に見られたわけで・・・。
テレビで繰り返し報道される悲報もあり、今回のコンサートはそれを十分配慮した”追慕形式”で実施されることになった。観客は、おばさんと少しのおじさんがメインだが、若い男女も多い。それに、親子らしい観客もあって、デビュー30周年記念に相応しい。
コンサート開演。イ・ソンヒのデビュー30周年を語るように、オーボエの響きに合わせてクラシックスタイルの管弦楽オーケストラの演奏から始まった。
やがてステージに、オーケストラを従えるように、イ・ソンヒが「Jへ」を歌いながら登場する。彼女の出発点であり、かの国で知らぬ人のない名曲「Jへ」に、会場は最初のどよめきをする。
続いて代表曲、「少女の祈り」、「愛が散るこの場所で」、「分かりたいです」、「思い出のページをめくれば」、「あなたが私を愛されるなら」、「私はいつもあなたを」、「ひとしきり笑いで」、(「走れハニー」)、「狐の嫁入り」、「因縁」を、そして、今回の15集アルバム「Serendipity」のタイトル曲「その中であなたに出会って」がMVを背景に歌われた。
ゲストに2人の男女歌手が登場。女性は、元SESの方だろう・・・エネルギッシュにJazzアレンジの「私はいつもあなたを」、男性は・・・えぇっと、ごめんなさい?
ビデオで関係者が、イ・ソンヒについて語るコーナーがあり、何度も記事を拝見している大衆音楽評論家カンホン氏の映像が・・・大衆的風貌で一安心。
その後、イ・ソンヒは、米の女性歌手WH、Mの代表曲を圧倒的な変わらぬ迫力で歌いきる。
新作アルバム「Serendipity」からイ・ソンヒが作詞・作曲した「Someday」を、引き込まれるような不思議な映像を背景に聴かせる。次にラストに向けて、代表曲を歌い継いだ。
「ライラックが散るとき」、「私の街」、「ケンチャナ」、「葛藤」、「ああ昔よ」、そして「美しい江山」(これはかの国の人々にとって母国歌に近い)に会場は総立ちでライトペンが揺れる・・・いつもながら、この熱気に圧倒される。
アンコールは、イ・ソンヒがまさに幼さ全開のスタイルで登場した、1984年の江辺歌謡祭で大賞受賞したときの映像を背景に、「Jへ」を観客をいざないながら唱和した。
この雰囲気を作り出し、演出したイ・ソンヒは、3時間を全力で歌いきったのだ。これを3日間連続のコンサートで演じる、30周年ながらのイ・ソンヒに驚嘆する。
コンサートの終りには、会場の迫力もあって、私はへとへとになった。でも、イ・ソンヒがこのままの勢いで次回のコンサートするときは、また訪れてみたい。
| 開演3時間前のロビー |
開演(19:00)の3時間前には、写真の通り、観客が次々と大劇場に入り、ロビーは混み合い始めた。目ざとく、イ・ソンヒのサイン入り15集アルバム「Serendipity」を見つけて早速求める。
会場入場できるまで、玄関口に近い場所に立っていたら、年配の係の方に、受付横にある椅子(彼らの椅子)に坐るよう勧められた。感謝しつつ丁重に遠慮したが、やっぱり、そんな風?に見られたわけで・・・。
テレビで繰り返し報道される悲報もあり、今回のコンサートはそれを十分配慮した”追慕形式”で実施されることになった。観客は、おばさんと少しのおじさんがメインだが、若い男女も多い。それに、親子らしい観客もあって、デビュー30周年記念に相応しい。
やがてステージに、オーケストラを従えるように、イ・ソンヒが「Jへ」を歌いながら登場する。彼女の出発点であり、かの国で知らぬ人のない名曲「Jへ」に、会場は最初のどよめきをする。
続いて代表曲、「少女の祈り」、「愛が散るこの場所で」、「分かりたいです」、「思い出のページをめくれば」、「あなたが私を愛されるなら」、「私はいつもあなたを」、「ひとしきり笑いで」、(「走れハニー」)、「狐の嫁入り」、「因縁」を、そして、今回の15集アルバム「Serendipity」のタイトル曲「その中であなたに出会って」がMVを背景に歌われた。
ゲストに2人の男女歌手が登場。女性は、元SESの方だろう・・・エネルギッシュにJazzアレンジの「私はいつもあなたを」、男性は・・・えぇっと、ごめんなさい?
ビデオで関係者が、イ・ソンヒについて語るコーナーがあり、何度も記事を拝見している大衆音楽評論家カンホン氏の映像が・・・大衆的風貌で一安心。
その後、イ・ソンヒは、米の女性歌手WH、Mの代表曲を圧倒的な変わらぬ迫力で歌いきる。
新作アルバム「Serendipity」からイ・ソンヒが作詞・作曲した「Someday」を、引き込まれるような不思議な映像を背景に聴かせる。次にラストに向けて、代表曲を歌い継いだ。
「ライラックが散るとき」、「私の街」、「ケンチャナ」、「葛藤」、「ああ昔よ」、そして「美しい江山」(これはかの国の人々にとって母国歌に近い)に会場は総立ちでライトペンが揺れる・・・いつもながら、この熱気に圧倒される。
アンコールは、イ・ソンヒがまさに幼さ全開のスタイルで登場した、1984年の江辺歌謡祭で大賞受賞したときの映像を背景に、「Jへ」を観客をいざないながら唱和した。
この雰囲気を作り出し、演出したイ・ソンヒは、3時間を全力で歌いきったのだ。これを3日間連続のコンサートで演じる、30周年ながらのイ・ソンヒに驚嘆する。
コンサートの終りには、会場の迫力もあって、私はへとへとになった。でも、イ・ソンヒがこのままの勢いで次回のコンサートするときは、また訪れてみたい。
2015年10月29日木曜日
(資料) 「イ・ソンヒの4集と5集(アルバム) - 『Jへ』 彼女を除いて80年代歌謡を語るな」
久し振りに、イ・ソンヒについての評論記事がネットを飾った。釜山日報(BUSAN.com)の「ウィークエンジョイ」(10/28)の記事、「【8090 この歌この名盤】17.イ・ソンヒの4集と5集(アルバム) - 『Jへ』 彼女を除いて80年代歌謡を語るな」(チェ・ソンチョル ペーパーレコード代表)は、80年代に登場したイ・ソンヒの席捲と躍進について次にように語っている。
イ・ソンヒの4集、5集アルバムは、1988年、89年と連続リリースされた。これをリマスター版「ALL THAT MASTERPIECE LEE SUN HEE 4+5」として、2011年に再発行されている。昔からのファンの支持が、このような形に再結晶化したのだろう。本ブログで以前にも触れたが、名曲が網羅されている。記事では、ソン・シヒョンとの関わりが興味深い。
(本ブログ関連:”「ALL THAT MASTERPIECE LEE SUN HEE 4+5」”)
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1984年前半期、歌謡界最高のヒロインは、断然チェ・ヘヨン(최혜영)だった。彼女のデビューアルバム収録曲「それは人生(그것은 인생)」は、当時最高の人気曲であったし、後続曲の「水のような愛(물같은 사랑)」の人気も侮れなかった。そのままならば、年末の各種新人賞は、文字通り確実なものだった。
ちょうどその時、一瞬に地図をひっくり返してしまった問題ある、その人が忽然と登場する。彼女の名前はイ・ソン・ヒだった。 1984年夏、仁川専門大学生だったイ・ソンヒは、同じ学校のイム・ソンギュンと一緒に「4幕5場」という混成デュエットで、江辺歌謡祭に参加し、大賞を握った。受賞曲は「Jへ(J에게)」だった。その日を起点として歌謡界の人気版図は、荒波の中に巻き込まれていった。
江辺歌謡祭大賞後、ソロとして本格的な活動
84年の最高のヒット歌謡・・・各種賞獲得
ソン・シヒョンと出会って4・5集の付き合い、音楽も変化
5集には「五月の陽射し」など社会性の濃い曲
■ 歌謡界の地図塗り変えた「4幕5場」の登場 (1984年)
イム・ソンギュンの入隊のため、ソロで本格的な活動に乗り出したイ・ソンヒの人気は、想像を超越した。 「Jへ」は、KBS歌謡トップテンで5週連続1位を占めるなど、絶大な人気を得て、1984年最高のヒット曲となり、年末のKBS歌謡大賞とMBC10代歌手歌謡祭の新人賞も、当然イ・ソンヒの獲得だった。個人的な感想を言えば、当時、私は、チェ・ヘヨンと「それは人生」が好きだった。イ・ソンヒと「Jへ」の登場は、少なくとも彼女(チェ・ヘヨン)には不運だった。「Jへ」の人気がどれだけすごいといったら、しばらくして「J あなたは」という類似品が出たこともあった。 (両方の曲とも、イ・セゴン(이세건)が作詞、作曲した歌だ)
■ 1985年、正式デビューとヒットパレード (1集、2集)
「Jへ」ただ一曲で、1984年を自分の年してしまったイ・ソンヒの正規1集は、翌年の1985年の初めに出た。ここで、「ああ!昔よ(아! 옛날이여)」、「葛藤(갈등)」、「少女の祈り(소녀의 기도)」などが相次いでヒットし、彼女は自分の人気が「Jへ」の一回で終わらないことを立証した。その年が経つ前(同1985年)に再度出した2集では、「秋の風(갈바람)」、「ケンチャナ(괜찮아)」、「そうよ過ちは私にあります(그래요 잘못은 내게 있어요)」などのヒット曲が続けて出たし、1986年出した3集でも「分かりたいです(알고 싶어요)」、「暗闇は晴れて(어둠은 걷히고)」、 「Young(영)」などが多くの愛(支持)を受けた。
(□ 1986年 3集)
■ イ・ソンヒ+ソン・シヒョン(송시현)、発展の証明書 4集、そして5集 (4集:1988年)
1988年2月に出た4集は、イ・ソンヒのディスコグラフィーで非常に重要な位置を占めている。ここから彼女の音楽が意味のある変曲点を迎えたのだ。ところで、その変化の糸口を説明する名前の一つがある。まさにソン・シヒョンだ。
1987年「夢みるような世界(꿈결같은 세상)」のヒットで名前を知らせたシンガーソングライター、ソン・シヒョンはこの時からイ・ソンヒのアルバム作業に参加を始めたが、4集でLPのA面タイトル曲である「愛が散るこの場所(사랑이 지는 이 자리)」と、B面タイトル曲「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」を含めて、全4曲が彼の作品である。二人の出会いは成功だった。ソン・シヒョン特有の感受性と叙情性は、イ・ソンヒの声とよく調和たし、以後も、彼はしばらくの間、イ・ソンヒと共にすることになる。
4集で最も高い関心が集まった曲は、「美しい江山(아름다운 강산)」である。韓国ロックの巨人シン・ジュンヒョン(신중현)の名曲をリメイクした「美しい山河」の評価は、多少分かれてるが、概ね編曲と演奏面ではそれほど高い点数を得ることができない。しかし、この曲でさえもイ・ソンヒの歌唱力だけは、非の打ち所がない。また、それまでは大衆的にそれほど大きく知られていなかった同名曲が、イ・ソンヒのリメイクによって、多くの人々から愛(支持)されるようになったので、その功労もまた小さいということはできないだろう。個人的には、4集でユン・テヨン(윤태영)作詞、作曲の「歳月は流れても(세월은 흘러도)」を最も好む。容易で平易なメロディーを持ったこの歌は、たとえ大ヒットではなかったが、ボサノバ風の洗練された編曲が直ちに耳をひきつける曲だ。
■ あちこちに社会性の濃い曲配置した5集 (1989年)
5集は、1989年に出たが、イ・ソンヒはここでまた一歩進んだ姿を見せてくれた。アルバムのあちこちに社会性の濃い曲を配置したのだ。「五月の陽射し(오월의 햇살)」は、80年光州民主化運動(光州事件)の犠牲者の英霊を慰める曲であり、「ひとしきり笑いで(한바탕 웃음으로)」もまた時代の痛みが滲んでいる曲だった。直接的ではないが、歌詞の中に比喩的に隠されたメッセージは、通常の民衆歌謡に劣らず深くおぼろげだった。この他にも、5集は、(ロックバンド)「山鳴り(산울림)」のキム・チャンワン(김창완)が作った二つの曲が収録されており、目を引くのが、同年イム・ジフン(임지훈)によっても発表された「お姉ちゃん(누나야)」と、ハミングとナレーションが続く独特の雰囲気(独白調)の曲「水仙(수선화)」がそれで、キム・チャンワン特有の歌詞とイ・ソンヒの若い張りのある声が調和した「水仙」は、やや実験的な曲である。ソン・シヒョンは4集に続き、5集でも極めて重要な役割を果たしている。アルバムの代表曲である「ひとしきり笑いで」と「冬哀傷(겨울애상)」がまさに彼が作った曲である。
■ 80年代を貫いた名・歌・手 李・仙・姫(イ・ソンヒ)
最近、「私は歌手だ(나는 가수다)」に続いて「覆面歌王(복면가왕)」というTV番組が首都の話題だ。この番組に対して、好き嫌いが交錯しており、個人的には、他の長所・短所を離れて、多くの人々が、次のような点をもう一度考えてみることができようになったのは、大いに励みになる。歌手とミュージシャンは違う。したがって歌が上手なのと音楽を上手なことも全く違う次元の問題だ。もちろん、優れたソング・ライティング能力と歌唱力を兼ね備えて両方をうまくこなした場合、是非の余地はないが、天才的ソングライターだが、歌ができない人もいるだろうし、逆にソング・ライティング能力がないが、歌だけは最高に上手くすることもまたありだろう。私たちは、どちらか一方を無視したり、けなす必要なく、それぞれを認めればそれまでだ。
この大きな課題で、歌が上手ということも一つで定義されるものではないと、異議を申し立て方があることが分かる。正しい。筆者もやはり賛成する。歌手はそれぞれの個性があり、またそれぞれの歌にふさわしい声やボーカルスタイルもある。唯一の爆発的な声量を持って、高音領域でクールなシャウトを聞かせてくれることだけが歌の上手なわけではない。時には低めの口ずさむことがより優れた瞬間もある。
しかし、すべてのものを考慮しても、これだけは明らかである。イ・ソンヒは、優れた歌手であり、彼女なしでは決して80年代の歌謡を話すことができない。このシリーズを介して再び紹介されるイ・ソンヒの4集と5集は、彼女が活き活きしていた初期を過ぎて、本当によく似合う組み合わせだったソン・シヒョンと会って成し遂げられた発展的成果であり、80年代を貫いた彼女の明確な足跡を確認する、最も明澄な(明るく澄みわたった)証明書だ。
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イ・ソンヒの4集、5集アルバムは、1988年、89年と連続リリースされた。これをリマスター版「ALL THAT MASTERPIECE LEE SUN HEE 4+5」として、2011年に再発行されている。昔からのファンの支持が、このような形に再結晶化したのだろう。本ブログで以前にも触れたが、名曲が網羅されている。記事では、ソン・シヒョンとの関わりが興味深い。
(本ブログ関連:”「ALL THAT MASTERPIECE LEE SUN HEE 4+5」”)
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1984年前半期、歌謡界最高のヒロインは、断然チェ・ヘヨン(최혜영)だった。彼女のデビューアルバム収録曲「それは人生(그것은 인생)」は、当時最高の人気曲であったし、後続曲の「水のような愛(물같은 사랑)」の人気も侮れなかった。そのままならば、年末の各種新人賞は、文字通り確実なものだった。
ちょうどその時、一瞬に地図をひっくり返してしまった問題ある、その人が忽然と登場する。彼女の名前はイ・ソン・ヒだった。 1984年夏、仁川専門大学生だったイ・ソンヒは、同じ学校のイム・ソンギュンと一緒に「4幕5場」という混成デュエットで、江辺歌謡祭に参加し、大賞を握った。受賞曲は「Jへ(J에게)」だった。その日を起点として歌謡界の人気版図は、荒波の中に巻き込まれていった。
江辺歌謡祭大賞後、ソロとして本格的な活動
84年の最高のヒット歌謡・・・各種賞獲得
ソン・シヒョンと出会って4・5集の付き合い、音楽も変化
5集には「五月の陽射し」など社会性の濃い曲
■ 歌謡界の地図塗り変えた「4幕5場」の登場 (1984年)
イム・ソンギュンの入隊のため、ソロで本格的な活動に乗り出したイ・ソンヒの人気は、想像を超越した。 「Jへ」は、KBS歌謡トップテンで5週連続1位を占めるなど、絶大な人気を得て、1984年最高のヒット曲となり、年末のKBS歌謡大賞とMBC10代歌手歌謡祭の新人賞も、当然イ・ソンヒの獲得だった。個人的な感想を言えば、当時、私は、チェ・ヘヨンと「それは人生」が好きだった。イ・ソンヒと「Jへ」の登場は、少なくとも彼女(チェ・ヘヨン)には不運だった。「Jへ」の人気がどれだけすごいといったら、しばらくして「J あなたは」という類似品が出たこともあった。 (両方の曲とも、イ・セゴン(이세건)が作詞、作曲した歌だ)
■ 1985年、正式デビューとヒットパレード (1集、2集)
「Jへ」ただ一曲で、1984年を自分の年してしまったイ・ソンヒの正規1集は、翌年の1985年の初めに出た。ここで、「ああ!昔よ(아! 옛날이여)」、「葛藤(갈등)」、「少女の祈り(소녀의 기도)」などが相次いでヒットし、彼女は自分の人気が「Jへ」の一回で終わらないことを立証した。その年が経つ前(同1985年)に再度出した2集では、「秋の風(갈바람)」、「ケンチャナ(괜찮아)」、「そうよ過ちは私にあります(그래요 잘못은 내게 있어요)」などのヒット曲が続けて出たし、1986年出した3集でも「分かりたいです(알고 싶어요)」、「暗闇は晴れて(어둠은 걷히고)」、 「Young(영)」などが多くの愛(支持)を受けた。
(□ 1986年 3集)
■ イ・ソンヒ+ソン・シヒョン(송시현)、発展の証明書 4集、そして5集 (4集:1988年)
1988年2月に出た4集は、イ・ソンヒのディスコグラフィーで非常に重要な位置を占めている。ここから彼女の音楽が意味のある変曲点を迎えたのだ。ところで、その変化の糸口を説明する名前の一つがある。まさにソン・シヒョンだ。
1987年「夢みるような世界(꿈결같은 세상)」のヒットで名前を知らせたシンガーソングライター、ソン・シヒョンはこの時からイ・ソンヒのアルバム作業に参加を始めたが、4集でLPのA面タイトル曲である「愛が散るこの場所(사랑이 지는 이 자리)」と、B面タイトル曲「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」を含めて、全4曲が彼の作品である。二人の出会いは成功だった。ソン・シヒョン特有の感受性と叙情性は、イ・ソンヒの声とよく調和たし、以後も、彼はしばらくの間、イ・ソンヒと共にすることになる。
4集で最も高い関心が集まった曲は、「美しい江山(아름다운 강산)」である。韓国ロックの巨人シン・ジュンヒョン(신중현)の名曲をリメイクした「美しい山河」の評価は、多少分かれてるが、概ね編曲と演奏面ではそれほど高い点数を得ることができない。しかし、この曲でさえもイ・ソンヒの歌唱力だけは、非の打ち所がない。また、それまでは大衆的にそれほど大きく知られていなかった同名曲が、イ・ソンヒのリメイクによって、多くの人々から愛(支持)されるようになったので、その功労もまた小さいということはできないだろう。個人的には、4集でユン・テヨン(윤태영)作詞、作曲の「歳月は流れても(세월은 흘러도)」を最も好む。容易で平易なメロディーを持ったこの歌は、たとえ大ヒットではなかったが、ボサノバ風の洗練された編曲が直ちに耳をひきつける曲だ。
■ あちこちに社会性の濃い曲配置した5集 (1989年)
5集は、1989年に出たが、イ・ソンヒはここでまた一歩進んだ姿を見せてくれた。アルバムのあちこちに社会性の濃い曲を配置したのだ。「五月の陽射し(오월의 햇살)」は、80年光州民主化運動(光州事件)の犠牲者の英霊を慰める曲であり、「ひとしきり笑いで(한바탕 웃음으로)」もまた時代の痛みが滲んでいる曲だった。直接的ではないが、歌詞の中に比喩的に隠されたメッセージは、通常の民衆歌謡に劣らず深くおぼろげだった。この他にも、5集は、(ロックバンド)「山鳴り(산울림)」のキム・チャンワン(김창완)が作った二つの曲が収録されており、目を引くのが、同年イム・ジフン(임지훈)によっても発表された「お姉ちゃん(누나야)」と、ハミングとナレーションが続く独特の雰囲気(独白調)の曲「水仙(수선화)」がそれで、キム・チャンワン特有の歌詞とイ・ソンヒの若い張りのある声が調和した「水仙」は、やや実験的な曲である。ソン・シヒョンは4集に続き、5集でも極めて重要な役割を果たしている。アルバムの代表曲である「ひとしきり笑いで」と「冬哀傷(겨울애상)」がまさに彼が作った曲である。
■ 80年代を貫いた名・歌・手 李・仙・姫(イ・ソンヒ)
最近、「私は歌手だ(나는 가수다)」に続いて「覆面歌王(복면가왕)」というTV番組が首都の話題だ。この番組に対して、好き嫌いが交錯しており、個人的には、他の長所・短所を離れて、多くの人々が、次のような点をもう一度考えてみることができようになったのは、大いに励みになる。歌手とミュージシャンは違う。したがって歌が上手なのと音楽を上手なことも全く違う次元の問題だ。もちろん、優れたソング・ライティング能力と歌唱力を兼ね備えて両方をうまくこなした場合、是非の余地はないが、天才的ソングライターだが、歌ができない人もいるだろうし、逆にソング・ライティング能力がないが、歌だけは最高に上手くすることもまたありだろう。私たちは、どちらか一方を無視したり、けなす必要なく、それぞれを認めればそれまでだ。
この大きな課題で、歌が上手ということも一つで定義されるものではないと、異議を申し立て方があることが分かる。正しい。筆者もやはり賛成する。歌手はそれぞれの個性があり、またそれぞれの歌にふさわしい声やボーカルスタイルもある。唯一の爆発的な声量を持って、高音領域でクールなシャウトを聞かせてくれることだけが歌の上手なわけではない。時には低めの口ずさむことがより優れた瞬間もある。
しかし、すべてのものを考慮しても、これだけは明らかである。イ・ソンヒは、優れた歌手であり、彼女なしでは決して80年代の歌謡を話すことができない。このシリーズを介して再び紹介されるイ・ソンヒの4集と5集は、彼女が活き活きしていた初期を過ぎて、本当によく似合う組み合わせだったソン・シヒョンと会って成し遂げられた発展的成果であり、80年代を貫いた彼女の明確な足跡を確認する、最も明澄な(明るく澄みわたった)証明書だ。
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2009年10月15日木曜日
女高卒業班(クラス)
イ・ソンヒの「少女の祈り(소녀의 기도)」をキーワードにして、インターネットで言葉つながりを遊んでみた。
まず、Daum映画の「少女の祈祷・祈り(소녀의 기도):1976」に行きつく。この映画は、「女高卒業班シリーズ第2篇」のようで、主演は、当時ハイティーン映画につづけて出演して、爆発的な人気を得たイム・イェジン(임예진)だそうだ。
ポスターの彼女は実に愛らしく古風で、どこか吉永小百合に似ている。映画「女高卒業班」では、担任の先生を愛する純真と多情多感な女子高生を演じたようだ。なお彼女は多数の映画出演で高収を得たという。現在は、TVドラマを通じて、成人の演技者に変貌することにも成功したとのこと。
ところで、「女高卒業班」といえばチャン・ユンジョン(장윤정)が歌う「女高卒業班(여고 졸업반)」があるが、キム・インスン(김인순)の1975年曲のカバーのようだ。LPレコードの針音がするような、何とも長閑なよい歌だ。 (なお、キム・インスンは、1981年に不慮の交通事故で亡くなった。:[weiv〕vol.11/no.17より)
(YouTube登録のrosamin2、naragoyo、BuSanYoungDoBridge、およびブログ「韓国俳優DATABASE」、[weiv〕に感謝)
まず、Daum映画の「少女の祈祷・祈り(소녀의 기도):1976」に行きつく。この映画は、「女高卒業班シリーズ第2篇」のようで、主演は、当時ハイティーン映画につづけて出演して、爆発的な人気を得たイム・イェジン(임예진)だそうだ。
ポスターの彼女は実に愛らしく古風で、どこか吉永小百合に似ている。映画「女高卒業班」では、担任の先生を愛する純真と多情多感な女子高生を演じたようだ。なお彼女は多数の映画出演で高収を得たという。現在は、TVドラマを通じて、成人の演技者に変貌することにも成功したとのこと。
ところで、「女高卒業班」といえばチャン・ユンジョン(장윤정)が歌う「女高卒業班(여고 졸업반)」があるが、キム・インスン(김인순)の1975年曲のカバーのようだ。LPレコードの針音がするような、何とも長閑なよい歌だ。 (なお、キム・インスンは、1981年に不慮の交通事故で亡くなった。:[weiv〕vol.11/no.17より)
(YouTube登録のrosamin2、naragoyo、BuSanYoungDoBridge、およびブログ「韓国俳優DATABASE」、[weiv〕に感謝)
2011年3月5日土曜日
イ・ソンヒのカーネギーホール舞台の音響・映像・照明
2/3にカーネギーホールで開かれた、イ・ソンヒのコンサート舞台の音響・映像・照明を担当した企業が、当日の模様をニュースレターに次のように記している。
イ・ソンヒのカーネギーホールコンサート:
・2月3日、ニューヨーク韓人放送局KRBラジオコリアが主催した、イ・ソンヒのカーネギーホール公演にGenesis Technologyが演出(プロダクション)を引き受け、成功裏に公演を終えました。
・KRB創立14周年記念特別コンサートとして開かれたこの日の舞台は、特に俳優のイ・ソジンと青春スターのイ・スンギがスペシャル・ゲストとして登場し、多数のファンの熱い声援を得しました。韓国の大衆歌手がカーネギーホールの舞台に立ったのは、チョー・ヨンピルとパティ・キム、イン・スニに次いで4番目にイ・ソンヒがなりました。
・黄金のテラコッタ様式(装飾が施されている)のかすかにややもすると澱みやすいカーネギーホールにもかかわらず、雰囲気のある照明と力あるサウンドで、観客たちはイ・ソンヒの公演に熱狂して手を振って、わざわざニューヨークを訪れた国民歌手の熱唱にどっぷり漬かりました。
・今回の公演で、イ・ソンヒは「少女の祈り」、「私はいつもあなたを」、「美しい江山」、「ああ! 昔よ」、「ひとしきり笑いで」、「因縁」など、ファンに愛される歌を熱唱しました。
・Genesis Technologyは、Sound EngineerのMichael Yoo、Monitor EngineerのBrian Cassell、Lighting EngineerのDavid Garman、そしてVideo DirectorのJune Suhが参加しました。
・「美しい江山」を最後の曲に準備したイ・ソンヒは、アンコールを叫ぶ観客の拍手喝采に再び舞台に出て、自分のデビュー曲であり、今も変わらず愛される「Jへ」など二曲を熱唱することで、マンハッタンの真ん中で開かれた二時間余のコンサートを素敵に終えました。
率直な感想をいえば、Youtubeで視聴できたイ・ソンヒのカーネギーホールコンサートの音響は意外だった。上記の「かすかにややもすると澱みやすいカーネギーホール」という表現が当たっていたからだ。本ブログで、2/9に「カーネギーホールの音響」に素人ながら記述したことを思い返してしまった。
イ・ソンヒのカーネギーホールコンサート:
・2月3日、ニューヨーク韓人放送局KRBラジオコリアが主催した、イ・ソンヒのカーネギーホール公演にGenesis Technologyが演出(プロダクション)を引き受け、成功裏に公演を終えました。
・KRB創立14周年記念特別コンサートとして開かれたこの日の舞台は、特に俳優のイ・ソジンと青春スターのイ・スンギがスペシャル・ゲストとして登場し、多数のファンの熱い声援を得しました。韓国の大衆歌手がカーネギーホールの舞台に立ったのは、チョー・ヨンピルとパティ・キム、イン・スニに次いで4番目にイ・ソンヒがなりました。
・黄金のテラコッタ様式(装飾が施されている)のかすかにややもすると澱みやすいカーネギーホールにもかかわらず、雰囲気のある照明と力あるサウンドで、観客たちはイ・ソンヒの公演に熱狂して手を振って、わざわざニューヨークを訪れた国民歌手の熱唱にどっぷり漬かりました。
・今回の公演で、イ・ソンヒは「少女の祈り」、「私はいつもあなたを」、「美しい江山」、「ああ! 昔よ」、「ひとしきり笑いで」、「因縁」など、ファンに愛される歌を熱唱しました。
・Genesis Technologyは、Sound EngineerのMichael Yoo、Monitor EngineerのBrian Cassell、Lighting EngineerのDavid Garman、そしてVideo DirectorのJune Suhが参加しました。
・「美しい江山」を最後の曲に準備したイ・ソンヒは、アンコールを叫ぶ観客の拍手喝采に再び舞台に出て、自分のデビュー曲であり、今も変わらず愛される「Jへ」など二曲を熱唱することで、マンハッタンの真ん中で開かれた二時間余のコンサートを素敵に終えました。
率直な感想をいえば、Youtubeで視聴できたイ・ソンヒのカーネギーホールコンサートの音響は意外だった。上記の「かすかにややもすると澱みやすいカーネギーホール」という表現が当たっていたからだ。本ブログで、2/9に「カーネギーホールの音響」に素人ながら記述したことを思い返してしまった。
2011年7月11日月曜日
イ・ソンヒ ライブコンサート、SBSで(本日)放映
昨日記した未確認のSBS番組情報を、本日の10Asisaの記事「イ・ソンヒ ライブコンサート、SBSで放映」(7/11)で次のように知ることができる。
(今晩見たいし、その映像をDVD販売して欲しいのだが、どうすればよいのだろう)
・イ・ソンヒのライブ コンサートがSBSで放送される。去る5月21、22日の両日間、「ソウル世宗文化会館大劇場」で開かれた<2011イ・ソンヒ コンサート 五月の陽射し>が、(本日)11日夜11時15分から100分間に特集編成されたもの。全席が売り切れた、イ・ソンヒのコンサートには、ギターにハム・チュンホ、ピアノにチェ・テワン、ベースのイ・テユンなど数十年間イ・ソンヒと息の合った国内最上級のミュージシャンが演奏し、30人編成のオーケストラ、管楽器演奏、20人のダンサーなど100人余りがイ・ソンヒとピッタリと息を合せた。「少女の祈り(소녀의 기도)」、「いつもあなたを(나항상 그대를)」、「Jへ(J에게)」、「ひとしきり笑いで(한바탕 웃음으로)」、「生きてみると(살아가다 보면)」などが新しく編曲され、ショープログラムの<土曜日、土曜日は楽しくて>を再現したライブ公演をリリースするなど多様な構成でファンたちを楽しませた。
・現在、イ・ソンヒは去る(7月)3日水原(スウォン)コンサートを終えて、仁川(インチョン)、大田(テジョン)、釜山(プサン)地域のコンサートを控えている。
そうそう、5/21のコンサートを、しっかり見てきましたよ。
(追記)
見ましたよ!見ました、PCで。舞台下から見上げていたときとは違い、カメラが縦横に巡り、かつ俯瞰する映像と、イ・ソンヒのアップの映像など、臨場感を一層充実してくれます。
ゲストのキム・ボムニョン(김범룡)のステージは、後日イ・ソンヒもインタビューで主旨を語った<土曜日、土曜日は楽しくて>の再現だったのですが、少々端折りましたね。それに、コンサートの最後にアンコールに応えて彼女が歌った「Jへ」も。
PC上のテレビ画像でですが、イ・ソンヒを真近で見られるのが良かった。彼女は、本当に清雅で美しい。
(Youtubeに登録のnaragoyoに感謝) ← 彼がステージで歌った3曲が聴けますよ!
(息子家族が、お嫁さんのご両親と一緒に、山梨に”桃狩り”に行っている中継メールが届く。)
★★★★★ 孫が、談合坂インターで、満足気にブドウソフトクリームを食べている写真が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、桃狩りの木陰で手にした大きな桃に、いきなりかぶりついている写真が届いた ★★★★★
(今晩見たいし、その映像をDVD販売して欲しいのだが、どうすればよいのだろう)
・イ・ソンヒのライブ コンサートがSBSで放送される。去る5月21、22日の両日間、「ソウル世宗文化会館大劇場」で開かれた<2011イ・ソンヒ コンサート 五月の陽射し>が、(本日)11日夜11時15分から100分間に特集編成されたもの。全席が売り切れた、イ・ソンヒのコンサートには、ギターにハム・チュンホ、ピアノにチェ・テワン、ベースのイ・テユンなど数十年間イ・ソンヒと息の合った国内最上級のミュージシャンが演奏し、30人編成のオーケストラ、管楽器演奏、20人のダンサーなど100人余りがイ・ソンヒとピッタリと息を合せた。「少女の祈り(소녀의 기도)」、「いつもあなたを(나항상 그대를)」、「Jへ(J에게)」、「ひとしきり笑いで(한바탕 웃음으로)」、「生きてみると(살아가다 보면)」などが新しく編曲され、ショープログラムの<土曜日、土曜日は楽しくて>を再現したライブ公演をリリースするなど多様な構成でファンたちを楽しませた。
・現在、イ・ソンヒは去る(7月)3日水原(スウォン)コンサートを終えて、仁川(インチョン)、大田(テジョン)、釜山(プサン)地域のコンサートを控えている。
そうそう、5/21のコンサートを、しっかり見てきましたよ。
(追記)
見ましたよ!見ました、PCで。舞台下から見上げていたときとは違い、カメラが縦横に巡り、かつ俯瞰する映像と、イ・ソンヒのアップの映像など、臨場感を一層充実してくれます。
ゲストのキム・ボムニョン(김범룡)のステージは、後日イ・ソンヒもインタビューで主旨を語った<土曜日、土曜日は楽しくて>の再現だったのですが、少々端折りましたね。それに、コンサートの最後にアンコールに応えて彼女が歌った「Jへ」も。
PC上のテレビ画像でですが、イ・ソンヒを真近で見られるのが良かった。彼女は、本当に清雅で美しい。
(Youtubeに登録のnaragoyoに感謝) ← 彼がステージで歌った3曲が聴けますよ!
(息子家族が、お嫁さんのご両親と一緒に、山梨に”桃狩り”に行っている中継メールが届く。)
★★★★★ 孫が、談合坂インターで、満足気にブドウソフトクリームを食べている写真が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、桃狩りの木陰で手にした大きな桃に、いきなりかぶりついている写真が届いた ★★★★★
2018年1月3日水曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」罷経
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2017/12/27)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、念仏(罷経(파경))に関連する曲を紹介した。(キム・ボエさんによる、昨年最後の放送から)
始めに、昔から人びとは、その風土の中で、神を身近に暮らしていたことを次のように紹介された。
・世に、多くの人々が信じるさまざまな宗教がある。インドに3億もの神があり、ネパールに今も少女の生神がいる。日韓にも多様な神々がいる。山に山の神、家に家を守る神、家の中にも、敷地を守る神、子供を守る神、台所、井戸、ひいては手洗いにも神がいた。昔は、生まれてから死ぬまで神と一緒と考え、伝統的な日や誕生日に、神々に祈った。
・昔、盲(めいし)の人(僧)が<門付>しながら、経を唱えた。家族の平安を祈って歌う「罷経」で、あらゆる悪鬼をなだめ、家から追い払う内容で、目的なく彷徨う神や、悔恨を残して死んだ魂をなだめる。祭祀後、食物を少し器に入れて、屋外に置き、悪鬼がそれを食べると出て行くと信じた。悪鬼を呪うかわりに、食べさせてなだめようとした。
▼ <悪鬼を追い出す内容の歌>「罷経」を聴く。鼓の響きと合わせて、シャーマニズムの香りがしてくる。
次に、昔の人々の、神々との独特な関わり方について次のように紹介された。
・神は、全知全能で人々を見守ったり、罰を与える存在と思いがち。昔、人々は、神も人間と似て、先に心を開けば、神も自分に良くすると信じた。最善を尽くしても神が関心を示さねば、仕える必要がないと考えた。船が難破の危機にさらされて、海で溺れかけた船乗りは、神を象徴するものから先に捨てた。船を守らぬ神は要らぬと、神前で振舞った心境が分かる。
・「クッ(祭祀を捧げる、祭儀:굿)」の歌に「大監ノリ(대감놀이)」がある。本来、ソウルとその近郊の京畿道、今の黄海道地域で祭祀を捧げるとき歌った。「大監」は、巫女が神を祭る尊称で、大監を喜ばせると良いことがあると信じた。京畿地域の歌い手は巫女でないがうまく披露した。
▼ 「大監ノリ」を聴く( ← ノリ:놀이には「遊ぶ」の意もある)。楽しく神との対話、憑依を感じるよう。
最後に、布施の念仏の曲「報念(보렴)」について次のように紹介された。
・布施の念仏という意の曲「報念」がある。昔は、寺に住んで村を回りながら歌や踊りを披露した歌い手(寺堂牌(사당패))がいた。その時、人々を祝福するため歌った曲だ。
▼ <国の平安を祈り、全てのことが順調であることを祈る>から始まる「報念」を聴く。ありがたい言葉だろうな・・・。
始めに、昔から人びとは、その風土の中で、神を身近に暮らしていたことを次のように紹介された。
・世に、多くの人々が信じるさまざまな宗教がある。インドに3億もの神があり、ネパールに今も少女の生神がいる。日韓にも多様な神々がいる。山に山の神、家に家を守る神、家の中にも、敷地を守る神、子供を守る神、台所、井戸、ひいては手洗いにも神がいた。昔は、生まれてから死ぬまで神と一緒と考え、伝統的な日や誕生日に、神々に祈った。
・昔、盲(めいし)の人(僧)が<門付>しながら、経を唱えた。家族の平安を祈って歌う「罷経」で、あらゆる悪鬼をなだめ、家から追い払う内容で、目的なく彷徨う神や、悔恨を残して死んだ魂をなだめる。祭祀後、食物を少し器に入れて、屋外に置き、悪鬼がそれを食べると出て行くと信じた。悪鬼を呪うかわりに、食べさせてなだめようとした。
▼ <悪鬼を追い出す内容の歌>「罷経」を聴く。鼓の響きと合わせて、シャーマニズムの香りがしてくる。
次に、昔の人々の、神々との独特な関わり方について次のように紹介された。
・神は、全知全能で人々を見守ったり、罰を与える存在と思いがち。昔、人々は、神も人間と似て、先に心を開けば、神も自分に良くすると信じた。最善を尽くしても神が関心を示さねば、仕える必要がないと考えた。船が難破の危機にさらされて、海で溺れかけた船乗りは、神を象徴するものから先に捨てた。船を守らぬ神は要らぬと、神前で振舞った心境が分かる。
・「クッ(祭祀を捧げる、祭儀:굿)」の歌に「大監ノリ(대감놀이)」がある。本来、ソウルとその近郊の京畿道、今の黄海道地域で祭祀を捧げるとき歌った。「大監」は、巫女が神を祭る尊称で、大監を喜ばせると良いことがあると信じた。京畿地域の歌い手は巫女でないがうまく披露した。
▼ 「大監ノリ」を聴く( ← ノリ:놀이には「遊ぶ」の意もある)。楽しく神との対話、憑依を感じるよう。
最後に、布施の念仏の曲「報念(보렴)」について次のように紹介された。
・布施の念仏という意の曲「報念」がある。昔は、寺に住んで村を回りながら歌や踊りを披露した歌い手(寺堂牌(사당패))がいた。その時、人々を祝福するため歌った曲だ。
▼ <国の平安を祈り、全てのことが順調であることを祈る>から始まる「報念」を聴く。ありがたい言葉だろうな・・・。
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