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2010年10月16日土曜日

ソロ歌手の復活

NEMOPANの演芸イシューに掲載の「アイ・ユーを中心に行きましょう!」(10/15)には、例えば「スーパースターK」ブームの背景にあるような女性ソロ歌手の復活を望む声に応えて、IU(아이유)が登場した要因を詳細に説明している。

女性アイドルグループ全盛の2010年現在とは異なり、女性ソロ歌手のポジションを、「韓国歌謡界を主導したのは伝統的にソロ歌手だった。 特に、女性ソロは、その時代の『歌姫(DIVA)』であり、『女神』と呼ばれ、大衆文化界では特別の位置を占めてきた」と述べて、変遷を次のように記している。
・1980年代前半期は、歌唱力で勝負する模範生イメージのイ・ソンヒ。
・1980年代〜1990年代中期は、カリスマ的なセクシーな美しさを誇ったキム・ワンソン(김완선)。
・1990年代後半期は、優雅なジャズ風のイ・ソラ(이소라)...セクシーさを前面に押し出したオム・ジョンファ(엄정화)などが代表的だ。
・そして、2000年を前後しては、歌唱力、或いはセクシーさを前面に打ち出したBoA(보아)、チャン・ナラ(장나라)、イ・スヨン(이수영)、イ・ヒョリ(이효리)などが抜きつ抜かれつの舞台を掌握してきた。

イ・ソンヒは、その正統的な、健全なイメージを歌唱だけでなく、生き方にも努めてきた。今も、ソロ歌手としての地位は不動であり、多くの聴衆をひきつけていることを誰も知っている。

2012年12月30日日曜日

(資料)K-Gallup「2012年今年を輝かせた10代歌手と歌謡 」

韓国ギャラップによる「2012年 今年を輝かせた10代歌手と歌謡」調査結果(11/30、PDF)が報告された。ここでは、上位5位までの歌手を次の通り記す。

・韓国ギャラップは、2005年から毎年末、その年を輝かせた各分野の「今年の人物」を調査して発表しました。今回*の結果は、去る4月、9月、11月の調査結果を合算したもので、名実共2012年を代表する歌手と歌謡を確認することができます。
(*)分野としては歌手以外に、コメディアン/お笑い芸人、映画俳優、タレント、スポーツ選手など。

【調査の概要】
- 調査対象: 全国(済州島を除く)、満13〜59歳の男女、4,157人
- 調査方法: 個別面接調査(調査員が直接対面インタビュー)
- 調査期間: 2012年5月2~16日、9月12~26日、11月15~30日
- 標本抽出: 2段層化クラスター抽出法
- 標本誤差: ±1.5%ポイント(95%信頼水準)
- 依頼機関: 韓国ギャラップ独自の調査

今年を輝かせた歌手-最近6年の推移(3人まで自由回答、%:支持率)
順位 2007 2008 2009 2010 2011 2012
1 Wondergirls
 28.2%
Wondergirls
 22.2%
少女時代
 29.8%
少女時代
 31.5%
少女時代
 26.1%
PSY
 24.4%
2 BigBang
 16.8%
BigBang
 21.2%
BigBang
 21.1%
2PM
 12.5%
BigBang
 8.2%
少女時代
 19.8%
3 チャン・ユンジョン
 11.0%
チャン・ユンジョン
 9.9%
2PM
 12.5%
チャン・ユンジョン
 11.6%
チャン・ユンジョン
 6.9%
BigBang
 9.5%
4 少女時代
 9.9%
少女時代
 7.8%
Wondergirls
 10.4%
テ・ジナ
 8.4%
キム・ボムス
 6.3%
IU
 6.9%
5 SGワナビ
 9.8%
イ・ヒョリ
 6.5%
チャン・ユンジョン
 9.6%
KARA
 7.7%
IU
 6.0%
チャン・ユンジョン
 6.6%

(本ブログ関連:"2009年歌手好感度"、"2010年、今年の10代歌手と歌謡曲"、"昨年(2011)のトップ5の歌手(グループ)"、"2009-韓国人が好きな歌手")


上記5位までの順位(支持率も!)の推移に着目すると、アイドルグループとソロ歌手の勢力が徐々に変化しているように見えるが・・・。

(本ブログ関連:"韓国アイドルグループ歌手の今後の動向")

2011年11月2日水曜日

イ・ソンヒの「分かりたいです」、そして漢詩

週刊韓国のカバーストーリー「〔名盤名曲〕 イ・ソンヒ3集『分かりたいです』」(11/1)は、イ・ソンヒの名曲のひとつである「分かりたいです(알고 싶어요)」誕生のいきさつを次のように語っている。(チェ・ギュソン大衆文化評論家)
(驚きの事実にあふれた内容で、興奮すること間違いありません。いやぁ、知らなかった!)
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・イ・ソンヒは、「江辺歌謡祭」(1984年)大賞受賞後、1985年のソロ1集から1990年の6集まで発表するアルバムごとに、ヒットパレードを繰り広げた、当代大衆音楽界のブルーチップ(優良銘柄)だった。

・小柄で、爆発的な歌唱力を駆使した彼女は、数多くのヒット曲を量産した。特に、「ヒット曲製造機」で名声が高かったヤン・インジャ(양인자)、キム・フイガプ(김희갑)コンビが作詞、作曲した、1986年の3集収録曲「分かりたいです」は、エキサイティングな事情をもった彼女のビッグヒット曲だ。

・この歌は、聞く人の胸にしっとりと染みとおる素敵なメロディーと、恋に落ちた女性の感性を可愛く表現した歌詞が耳に差しこまれる印象的な歌だ。絶えず愛情を確認したい、女性特有の情緒をよく表わしたこの歌の歌詞は、当代最高の歌手に浮上したイ・ソンヒの優しいボーカルに乗って、実に大きな波紋を起こしたし、今も多くの大衆が愛唱する名曲として遜色ない。

・ところで、私たちが知っているヒット曲には、先に歌ったオリジナル歌手が別にいる場合が多い。誰もイ・ソンヒがオリジナル歌手と信じて疑わないこの歌も、実は彼女よりも2年前に最初に発表したオリジナル歌手がいる。

・初めて発表されたとき、この歌は男性歌手の曲であったし、題名と歌詞も違った。オリジナルの歌手は誰であろうか?
80年代の大衆に、「瞳(눈동자)」、「遥か遠いところ(아득히 먼 곳)」としてよく知られたイ・スンジェ(이승재)が主人公だ。原曲のタイトルは「秋の木々の間で(가을나무 사이로)」だ。イ・ソンヒの「分かりたいです」が、1984年に発表されたイ・スンジェのソロ(アルバム)に収録された曲という事実を知る国民はあまり多くないようだ。

・キム・フイガプが作詞作曲したこの曲は、イ・ス​​ンジェのソロ1集のタイトル曲「遥か遠いところ」の大ヒットにより廃れた悲運の歌だ。

・実は、作曲家キム・フイガプのヒット曲中には、オリジナル歌手とヒット歌手が共存する曲が結構ある。(略)

・題名と歌詞が違う、イ・ス​​ンジェのオリジナルバージョンは、イ・ソンヒの「分かりたいです」と同じくらい、今のような晩秋の季節秋にぴったりだ。しかし、秋に感傷的になる人の心を歌ったオリジナルバージョンの歌詞は極めて常套的だった。死蔵された歌をそのまま捨てることを惜しんだ作曲家キム・フイガプは、江辺歌謡祭の大賞以後ソロとして独立して、トップ歌手にのぼったイ・ソンヒに注目した。そこで1986年に歌の題名と歌詞を修正して、イ・ソンヒに吹き込みをさせて再誕生した曲が初めて途方もない大ヒットを放ち、生命力を獲得した。

・「分かりたいです」のビッグヒットの原動力は、歌詞にある。作詞家ヤン・インジャ(양인자)と再婚した作曲家キム・フイガプは、結婚前に、意中の彼女に自分が書いた平凡な歌詞をまた使うように頼んだ。メロディーを聞いてみた、ヤン・インジャは、男性的視点の歌詞を、「自分」の心を表現するように切ない歌詞に変身させ、イ・ソンヒの優しい音色にのせられて、名曲で面目を一新した。興味深いのは、二人の結婚式場に来たイ・ソンヒに祝歌に願った歌が「分かりたいです」という点だ。これは修正された歌の歌詞が、結婚(する)自分たちの恋愛感情を反映した歌であることを、容易に気付くことができる。

・「分かりたいです」は、3集のタイトル曲でなくても、KBS「歌謡トップ10」の5週連続1位となり、イ・ソンヒに、2回目のゴールデンカップを抱かせたし、一ヶ月の放送回数107回、MBCラジオの音楽チャート15週1位の記録を創り出し、その年のゴールデンディスク賞まで与えた。
イ・ソンヒの最大の魅力は、パワフルな歌唱力に起因する。しかし、「分かりたいです」で聞かせた叙情的な彼女のバラードの歌唱法は、長い余韻を抱かせてボーカリストとしての価値を加える。
驚異的なヒット曲らしく歌の歌詞は、かつて「黄真伊(ファン・ジニ:황진이)が蘇世讓(ソ・セヤン:소세양)を誘惑するために書いた漢詩」という誤解を受けたりした。1995年、朝鮮日報に「靑史紅史」というコラムを連載した作家のイ・ジェウンは、ヤン・インジャの了解を得て歌詞を漢詩で作成し発表したのが原因だった。
この歌は、大衆歌謡の歌詞の書き込み操作の重要性を証明している、80年代最高の恋歌(ラブソング)だった。
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「分かりたいです」とイ・ソンヒの出会いは、大ヒット曲「Jへ」と似た感じがする。忘れられたもの、消されようとしたものに陽をあてたのだから。そして見事に名曲に育て上げたのだ。
ところで、「分かりたいです」の歌詞が、黄真伊(ファン・ジニ)とは全く関係ないということを、今回知り驚きましたよ。つまり、ニワトリと卵の順番がはっきりしたことになるのだが、インターネットには、黄真伊の漢詩をモデルに「分かりたいです」の歌が作られたと誤解しているひとたちがいっぱいいる。わたしも、そのひとりで・・・なんてことだろう。

2012年12月12日水曜日

大衆は"100%本物の音楽"を望む

ヘラルド経済の記事「大衆は"100%本物の音楽"を望む」(12/10、ソ・ビョンギ選任記者)は、今年の大衆音楽の動向を次のように論評している。抜粋。

・「パフォーマンス、歌、容貌(ルックス)が合わさったコンテンツ」による「韓国アイドルの音楽を(国内だけでなく海外でも)たくさん聞いてみると、疲れのようなものが生じた。」

・「まず国内でアイドルグループの活動が大いに弱まった。それで、グループ全体よりもユニット活動を強化する。」・・・「ソロ歌手が善戦しているのも、音楽消費トレンドの変化を暗示する一つの現象だ。」
・「(大衆の)音楽オーディションを見る視線と歌手を見る視線も変わっていっている。ますますミュージシャン、アーティストのユニーク(unique)ながらも自然な魅力を好む。」

・・・で、今後どうあるべきかと「アイドルとアーティストの共生構造」が述べられる。

・「アイドル歌手のパワーは過小評価されることができない。アイドル歌手は韓国大衆音楽のコアコンピタンスの一つだ。」と、経済紙ならではの視点で語られる。

・「アーティストとして成長する可能性が高い歌手」のために、「歌手がしたいことをできる環境を提供しなければならない。」・・・「大衆はますます唯一無二にして率直で、100%本物の音楽を望む。そのためには、歌手が自由に生活するように解放しなければならない。」と、これこそ本旨が示される。

(付記)
アイドルグループの中心線を走ってきた少女時代がデビューして、今年で5年目である。芸能事務所YGエンターテインメントのヤン・ヒョンソク代表が、韓国日刊スポーツの取材に対して、歌謡界の「5年周期論」である「歌謡界ではパターンが繰り返される。5年周期で市場の流れが変わる」と述べたように、いよいよ周期の変換点に突入したようだ。

(本ブログ関連:"韓国アイドルグループ歌手の今後の動向"、"オーディション"、昨年(2011)のトップ5の歌手(グループ):2011.12.26 Gallup Korea発表"、"韓国ギャラップ調査")

2013年3月3日日曜日

(資料)アイドルの脱アイドル化

韓国音楽業界の「(年度別)その年を輝かせた歌手」の調査や報告など動向を見ると、アイドルグループに徐々に地殻変動が起きているようだ。朝鮮日報の記事「K-POPアイドル、生き残りかけた『脱アイドル化』」(3/3、鄭智燮記者)は、変革の必要性を次のように報じている。いずれ、ファン層の関心の向け方にも影響が出るだろう。
(抜粋・・・アイドルグループ固有名称など削除)

・<記事論旨>今年はアイドルが「変身」に苦心/昨年音楽配信100位以内の新人はたった3人/ユニット・コラボ・演技に活路さぐる/事務所「ファン層拡大のため苦肉の策」/一部に「脱アイドル現象始まった」「いろいろな試みで音楽の質を上げて」との声も

・くっついて、離れて、変身して・・・。アイドル歌手たちは「生き残り」のためもがいている。 「アイドル市場はピークに達し、今や下降に入っている。無限の生存競争が始まったのだ」というのだ。

・最近のアイドルの動きで最も顕著なのは「ユニット(チーム内の小グループ)」活動だ。女性アイドルグループ、男性アイドルグループでユニットを作り、先月一斉に新曲をリリースした。

・グループの垣根を越えた「コラボ」も盛んだ。新曲にフィーチャリングしたり、新曲でデュエットを披露している。新人グループのメンバーが、グループがポピュラーになる前に一人で別の歌手のアルバムに参加するケースも登場した。

・「副業」を始めたアイドルも多い。演技もするアイドル、つまり「演技ドル」だ。地上波テレビ局のドラマに登場する。歌手デビューと同時に女優デビューも果たした新しいケース・・・

・一方、所属グループでの活動がしばらくない中で地上波ドラマに出演、歌手ではなく女優として認知度を上げる・・・。

・このような現象については「飽和状態に達したアイドル市場で何とか名前と顔を売ろうという切迫した状況がもたらしたもの」との見方もある。事実、この1年間にデビューしたアイドルは少なくとも30組以上あるが、総合音楽チャート「gaonチャート」の年末総合音楽配信ランキングで100位以内に入った新人は、オーディション番組で準優勝したソロ女性シンガー3人だけだった。いわゆる「アイドルグループ」は一つもない。アイドルが歌手として生き残ることはそれほど難しくなっているのだ。

・韓国音楽コンテンツ産業協会のチェ・グァンホ事務局長は「投資しているだけに、最大限の収益を上げなければならないと考える芸能プロダクション側としては、なるべく多くの活動をさせて採算を取らざるを得ない。ユニットに分けたりソロ活動をしたりすれば音楽配信収益も上げられるのでは」と語った。

・こうした「サバイバル合戦」が激化するにつれ、アイドルの所属事務所側の悩みも深まっている。昨年、大手芸能プロダクションのマネジメントでデビューした男性アイドルグループの関係者は「これといった成果はなかった。メンバーたちは地道にドラマのオーディションを受けているが、まだ良い結果が出ないので悩んでいる」と話す。事務所関係者は「グループの将来のためには、現在10代に固定されているファン層を広げるのが生き残りへの道だと判断、メンバーそれぞれが持つコンテンツを最大限に引き出し、ユニット・ソロ・演技活動を展開している。うちだけでなく、ほかのグループも同じ立場なので、今後は競争がますます激しくなるだろう」と語った。

・現在の状況は「避けて通れない生みの苦しみ」という声も多い。「脱アイドル系の音楽の流れを誰がつかむかにより、若いアイドルたちのサバイバルが決まるかもしれない」(ポピュラー音楽評論家イ・ギョンジュン氏)という意見がある一方で、「アイドルたちがいろいろと試みたり努力したりすれば音楽の質が高まり、韓流の影響力が続くきっかけになる可能性もある」(MBC『音楽中心』イ・チョルミン・プロデューサー)という意見もある。

(本ブログ関連:"(資料)アイドル過剰時代"、"大衆は「100%本物の音楽」を望む"、"韓国アイドルグループ歌手の今後の動向"、"(資料)K-Gallup「2012年今年を輝かせた10代歌手と歌謡 」"、"オーディション"、"アイドルブームに陰り"、"昨年のトップ5の歌手(グループ):2011.12.26 Gallup Korea発表"、"韓国ギャラップ調査")

2010年10月18日月曜日

チャン・ジェイン

TV読み(티비 읽기)の記事「SSK(スーパースターK)脱落したジェイン、しかし真のスーパー歌手」(10/16)によれば、挑戦者のチャン・ジェイン(장재인)が、「スーパースターK」の準決勝で脱落したことから、現在の音楽状況を次のように報じている。
・「非主流音楽の限界」という疑問を提示した言論もあるように、わが国の大衆音楽界はものすごい偏食現象(편식현상)に閉じ込められている。
・本当に優れた音楽性と歌唱力などを持った、歌手らしい歌手たちがいるにもかかわらず、アイドル・ダンスグループが勢力を伸ばした以降、その他ジャンルの歌手たちはやっと隙間市場を占めるのに満足しなければならない状態になった。
・果してこんな環境で、過去のチョー・ヨンピルやイ・ソンヒみたいなソロ歌手たちが誕生することができるかが疑問である状況だ。

なお、同記事は最後に彼女について、音楽関係者の発言を踏まえて次のように評価している。
・チャン・ジェインは、(彼女の実力において)「スーパースターK」のスタイルではない。 しかし本物の音楽活動する歌手だ。

(追記)
休みのとれた映画好きの息子と、シルヴェスター・スタローンの主演映画「エクスペンダブルズ(Expendables)」を有楽町の「丸の内ピカデリー1」で観た。
アメリカの公開で、シルヴェスター・スタローンの監督および主演作品として、最高の興行成績だったそうだ。これでもかと暴力と銃の乱射が連続するこの映画が、果たして日本でどの程度受け入れられるだろろうか。

2014年6月2日月曜日

(資料)K-POP Archive 1984年 : イ・ソンヒの誕生

「K-POP Archive」は、20世紀(1907年)以降の韓国歌謡界の動向を記している。特に、1980年代以降については、その内容が、評論もまじえた年代記風になっており、鳥瞰に最適である。
といっても、イ・ソンヒに関わるところを見つ続けているわけだが、彼女が登場した1984年について、「Year1984. 新しい英雄キム・スチョル、イ・ソンヒの誕生」*の文に、次のように解説している。(抜粋)
(*)KMDC ARCHIVE:「時代別大衆音楽史」1980年代
    ー https://www.k-pop.or.kr/history/history/1980

1984年を、歌王チョー・ヨンピルに迫る若い才能が生まれた年と記している。まさにイ・ソンヒを象徴する、歌謡界の水準が向上した年であった。

(本ブログ関連:”1984年”)
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・・・、(1984年)7月29日開かれた第5回「江辺歌謡祭」を通じて登場したイ・ソンヒは、大賞曲「Jへ」でこの年のシンデレラになった。本来、「4幕5場」という混成デュエットの一員で歌謡祭に参加したイ・ソンヒは、圧倒的な歌唱力でチームの大賞を導いた。歌謡祭後、足早くソロでデビューした彼女は、結局「Jへ」一曲でMBC「10代歌手歌謡祭」の3冠王(10代歌手賞、女新人歌手賞、最高人気歌謡賞)になる。男性の新人のうちでは、ハンサムな容貌に独特の唱法が印象的だったボリビア僑胞(海外在住韓国人)歌手イム・ビョンス(임병수)が注目された。特に、彼の独特のバイブレーションは、「ヤギ唱法」という新造語まで作り出した。

この年、男性歌手のうちユン・スイル(윤수일)の活躍も眩しかった。年初「アパート」の熱気を下半期、軽快なロック ナンバー「美しくて」に継続した。彼は、当時我が国では試みたことがない、いわゆるシティ・ロック音楽で自分だけの牙城を構築した。
女性新人歌手のうちには、たとえイ・ソンヒの突風で色があせたのだが、清純で可愛いイメージのチェ・ヘヨン(최혜영)も人気であった。1月1日「若さの行進]」をデビュー舞台で活動を始めた彼女は、「それは人生」で一気にスターダムに上がった。もし、イ・ソンヒが登場しなかったら、彼女の新人歌手賞受賞は当然の結果だっただろう。
最後に、1984年歌謡界で表面的には眺望されなかった最も大きい変化であり特徴は、歌手の上向き平準化現象だ。すなわち、全般的に歌手の水準が向上したのだ。例えば、以前には誰もチョー・ヨンピルの牙城に届かなかった。大衆的な人気だけでなく音楽的にもそうだった。それだけ、チョー・ヨンピルは先んじていた。だが、この年を基点にして、チョー・ヨンピルとはまた他の、個性と音楽性を持つ歌手が、次から次へ登場し始めた。

それと共に歌謡界は、また他のルネサンスを迎える準備をしていた。
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(Youtubeに登録のwindmillsofmusic、soya iに感謝)

2010年3月29日月曜日

80年代のトップ3女性歌手

MLBPARKのBULLPENに、「80年代の男女のソロ歌手No 3は誰だと思いますか?」(3/22)という問いかけの投稿があり、投稿者は女性歌手について次の名を挙げている。
ほとんどの意見の相違なく、女性歌手No1、2は、イ・ソンヒ、チュ・ヒョンミ(주현미)が数えられているが、No3はちょっと曖昧です。女性歌手は、キム・ワンソン(김완선)、チョン・スラ(정수라)とイ・ウンハ(이은하)などが可能なようだ・・・としている。

(Youtubeに登録のpbo3536に感謝)

★★★★★ 孫が、こちらに向いて、はにかむように「こんにちは」のご挨拶をする動画が届いた ★★★★★

2016年9月4日日曜日

イ・ソンヒのコンサート「The Great Concert」

今夕(9/4)のコンサート観覧から帰宅後、9/5に追記します。
⇒ しかし、9/5帰宅のつもりが、9/6の午前0時04分に着きましたので、9/6に追記します。

カメラをホテルに忘れた(もちろんスマホは持っていません)ので、会場の映像はありません。

(本ブログ関連:”●資料:이선희 Concert”)


開場1時間前、世宗文化会館大劇場のロビーはすでにひとびとであふれていた。前回、2014年のコンサートと比べて、若者客が若干少ないよう。イ・ソンヒが出演したCFではないが、歳月に合わせた客層主体になっていた。何となく感じたことに、そこかしこに彼女に似た髪型とメガネ姿の女性たちがいる。イ・ソンヒの持つ普通らしさと、まるで申し合わせたように。

(本ブログ関連:”The Great Concert”)

今回は、<四季>をテーマにしているという。まさに、秋に相応しい彩が舞台にあふれた。春夏秋冬そして秋、かもしれない。

イ・ソンヒを紹介するアナウンスにつづき、舞台袖でスポットライトがあたったのは、テレビドラマ「茶母(다모、邦題:”チェオクの剣”)」で、渋さと聡明さを演じたイ・ソジンだ。このドラマにインスピレーションを得て作られたのが、イ・ソンヒのヒット曲「因縁(인연)」である。

(以下、イ・ソンヒが歌った曲について記す)


イ・ソンヒのコンサート「The Great Concert」はこの「因縁」の歌から始まった。もうこのときから、会場はペンライトで揺れる。

東洋的な旋律の余韻に続くように、映画「炎のように蝶のように(불꽃처럼 나비처럼)」の同名主題曲を歌った。舞台は、東洋画一色に染まる。

その後、代表曲の「少女の祈り(소녀의 기도)」、「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」と続く。

しっとりした懐旧の歌、15集収録の「今になって(이제야)」をライブで聞くとは、胸に沁みます。

突然、舞台に雪が降る。何なのかと期待すれば、2013年に幼い少女たちを熱狂させた、あの雪の世界のアニメから・・・お分かりでしょう。

そして冬には、代表曲の「冬哀傷(겨울애상)」だ。冬なのに、彼女の歌声にはほっとする。

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アコーディオン(小型の「コンサーティーナ」のような)を中心に、ヴァイオリン、コントラバス、ピアノ編成の四人組による伴奏で、ときにタンゴ風に。(15集収録メンバーと同じ?)

まな弟子イ・スンギが主役の一人を演じた、テレビドラマ「僕の彼女は九尾狐(내 여자친구는 9미호)」のテーマ曲「狐の嫁入り(여우비、天気雨)」を歌った。

まるでヨーロッパの街を眺めるように、15集収録の「街の眺め(거리구경)」を歌う。

次に、「あなたが私を愛されるなら(그대가 나를 사랑하신다면)」をタンゴ風に軽快に、愛の確信を得たい心情を歌う。
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15集収録の、さまざまな人生を感動的に歌った、「その中であなたと出会って(그 중에 그대를 만나)」は、世界に感情の渦を巻き起こした。その名曲を会場で再び聞く事ができるとは。


【イ・ソンヒがしばらく退場する幕間】
・若い女性歌手(ソロ歌手とガールズ・グループ(LABOUM?)歌手)たちの歌。イ・ソンヒの昔の映像、詞など。


先輩歌手ソン・チャンシクが歌う彼の「私たちは(우리는)」(1986年)の投影が始まると、イ・ソンヒが登場して、画面に向かってデュエットを始める。以前、デュエット番組の紹介に、この二人による同じ構図のものがあった。感動的だった。

そのデュエット番組の本放送で歌った、名曲「分かりたいです(알고싶어요)」を、そのときのデュエット相手のイェジン嬢と共に歌う。番組とは違い、イ・ソンヒはプロの舞台を教えてくれたようだ。

「ケンチャナ(괜찮아)」を歌うと、この頃から観客は沸き、総立ちになる。熱狂は止まず終わりへと流れ込む。圧巻のまま、「ひとしきり笑いに(한바탕 웃음으로)」を歌う。

怒涛の勢いは続く。「炎のように(불꽃처럼)」、「葛藤(갈등)」。いよいよ終わりを迎えて、この国の人々を最大に熱狂させる曲、「美しい江山(아름다운 강산)」が歌われ、クライマックスを迎えた。

静かに暗転する舞台。会場のアンコールに応えて歌われたのは、まさにイ・ソンヒを示す、「Jへ(J에게)」だった。歌の始め、マイクを会場へむけると、観客は一斉に声をあげて歌いだした。そして、コンサートの本当の終わりを告げるように、彼女の歌声が会場に響いた。

2010年11月2日火曜日

ウ・ウンミ(2)

e-Today(이투데이)の記事「ウ・ウンミ、新しい歌『捕まえて(잡아줘요)』ちゃんと見て~」(10/27)は、「カリスマに満ちたイソンヒ先輩のような歌手になりたい」の書き出しのもとに、ウ・ウンミの二番目のシングル・アルバム「Evolution」と彼女の今後の計画について紹介している。
そのなかで、イ・ソンヒについて、次のようにリスペクトしている。
・「どのような歌手としてファンに記憶されたいか」と尋ねると、「イ・ソンヒ先輩のようなカリスマに満ちた歌手になりたい」と力強い抱負を明らかにした。
・イ・ソンヒと世代間のギャップが多少あるけれど、彼女は「いつも先輩の歌をよく聴いて歌う。『Jへ』、『私はいつもあなたを』、『美しい江山』などが好きだ」と述べた。

(Youtubeに登録のJuhonnaに感謝)

(本ブログ関連:”ウ・ウンミ”、”ソロ歌手”)

2013年12月11日水曜日

(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「7.『江辺歌謡祭』の裏話」

先日(9/27)、「スポーツ韓国」の紙面(1991年3月8日~4月5日)に連載された「イ・ソンヒ27歳当時のスター・ストーリー」記事の目次を紹介したが、その第7回目をここに載せたい。感謝。

イ・ソンヒが、いよいよ才能が世に見出される瞬間の「江辺歌謡祭」での大賞受賞にかかわる数々のエピソード、あるいは出場したときの名前のセンシティブな情報など・・・まさに数々の裏話を知ることができた。(今回、原文中に特定字句の脱字がいくつか見られた:表示上の理由か?)

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ(27歳当時)の「スター・ストーリー」”、”資料:이선희 Profile”)


[7] 「江辺歌謡祭」の裏話
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私は一人でソロとして、<4>はグループとして、江辺歌謡祭に参加した。

私は(ソ)ロの決選にのぼったが、<4>は予選で脱落した。私は、学校の名誉のために決選で「イ・ソンヒ」の代わりに<4>というチーム名の中に私の名前を埋めてほしいという、先輩の提案を受け入れた。決選で、サークルの先輩イム・ソンギュンさんが、その他伴奏と和音を合わせてくれた。

純粋な気持ちで、私が属した音楽サークルを助力しようとしたことなのに、後日あたかも私が<4>の知名度にタダ乗り(無賃乗車)したように知られたのは、今考えてもとんでもないことだ。

私は、84年の「江辺歌謡祭」もまたTVに中継がないと思っていた。例年は、確かにFMラジオでだけ放送されたのを記憶していたから。さらに、生放送で中継されるのをあらかじめ知ったならば、私は多分参加願書も出さなかっただろう。大学入学後にも、私が勉強よりは歌に陥っている姿を父は極めて不満だった。内心、頑固な父を説得できる「締切期日」を、その年の秋ぐらいに捉えていたので、私はまず父に「バレ」ないことが急務であった。

「江辺歌謡祭」の1、2次予選はソウルで執り行なったが、最終予選と決選は南怡島で寝泊りしながら進行した。「これは困った。家に何か言い訳して抜け出すか。数日だが・・・」

結局、私はちょっと無理をしなければならなかった。ムシムシする7月の蒸し暑さの中で、私は往復5時間の距離の、家と南怡島の間を三日間毎日行き来したのだ。

待望の「江辺歌謡祭」決選の前日、私は「変装」した。ひょっとして父や知り合いがTVを見ても、私が誰なのかを見間違えるようにしようと。まず、頭をチリチリにパーマしたし、メガネも視力が似た友人のものと替えて使った。その上、行事当日の演出者シン・スンホ先生の強要(?)で、着ていたジーンズをスカートに着替えたので、それなりにほとんど完ぺきな変装をしたわけだ。

その時借りてはいたスカートの持ち主は春川から来たオ・ヘウォンという女子中学生だった。余裕がなくて返すことができなかったが、今も家に保管している。この記事を読むことになれば、その時の私のジーンズとヘ・ウォンさんのスカートを交換をする心の準備はないのだろうか・・・。

「江辺歌謡祭」TV生放送時間のカウントダウンが始まった時、私は瞬間的に現場から逃げるところだった。父が近づいて来たのだ。叔父と叔母も一緒に。

叔母はMBC FMを通じて江辺歌謡祭の案内放送で私の名前を確認し、直ちに父に連絡して私を「捕らえに」「出動」したのだった。

私を一時見おろした父の口から想像もできない言葉が流れて出た。「せっかくこのようになったこと、必ず1等になりなさい、学生時代の良い思い出を作ると思って・・・」

夢にも見られなかった「応援団」が現れたのだ。あらためて決意を固めて舞台に上がった。観客席の中の父と目を合わせて呼吸を整えた。

それなりに最善を尽くしてを歌ったが、「大賞」を授かるなんて想像さえしなかった。

私が心の中で「1等」と目をつけたチームは、「アダダ」という歌を歌ったあるデュエットだった。彼らがどの順位にも入ることが出来なかった事実は、今も理解することができない。

(「Jへ」)で、大賞を獲得した後、私はあらゆる流言に苦しめられなければならなかった。いったい「J」が誰なのかということだった。ある新聞か雑誌は、「J」の仮想図をカラフルに載せたりもした。長身に俊秀な容貌だが、洋服の上着に韓服のズボンを好んで着る変わり者の文学青年とか、実名は「ノ・ソクヒョン」なのに「ノ・ソクチン」というペンネームを使うとか、「J」というイ・ソンヒの祥明女子高時代の片想いとか・・・。

    (注)歌「Jへ」に登場する「J」については、作者のイ・セゴンの言葉から知ることができる。

あまりにも問い質すので、ある席だったか「J」という私の甥(姪)の「ジェヒ」を意味すると話してしまった。その声を聞けなかったある記者は、「ジェヒ」が誰かとまた何度も尋ねた。「ジェヒはわが家の子犬の名前です」

冗談で発した返事だったが、いやはてさて、その記者はその話をそのまま記事にしてしまった。「『J』は、イ・ソンヒが飼っている犬の名前だ」と。

誓って、特定の「J」は、この世界にいない。子どもも、青少年も、また中年層さえも口ずさみながら歩いたように、「J」という、誰もが自分の胸中深く大事におさめている思い出の恋人であることもあれば、また、幼なじみであることもあるのだ。チャン(Jang、장)さん、チョ(Jo、조)さん、チョン(Jeon、전)さん、チュ( Ju、주)さんなどが、自分を忘れられないという歌詞を聞いて、非常にうれしがるという話も聞いた。

(「Jへ」)は、私としては信じられないほど大ヒットをした。1985年1月には、放送回数95回で、最も放送された曲になるほどだった。その時、2位はナミ(나미)氏の「クルクル(빙글빙글)」、3位はイ・ウンハ(이은하)氏の「恋もしたことない人は(사랑도 못해본 사람은)」であったと記憶する。

(「Jへ」)の人気は、MBCとKBS両放送局の間の見えなかった「壁」を崩したという話も聞いた。その前までは、MBCの歌謡祭の出身歌手がKBSに出演するということはほとんど想像も出来ないことだったので、私は今でもその時「糸口」をつけたのをこころよく思っている。

さらに、その年12月30日には、KBS「放送歌謡大賞」の新人賞まで受賞した。MBC側で、それとなく期待を抱いていたが、ライバルの放送会社から賞まで与えるとは・・・私もうれしかったが、MBCのシン・スンホ先生は私よりもっと喜ばれた。「ソンヒ(ソニ)よ、きみ、堰の水を切ったね」

MBCでは、その翌日(12月31日)、私は10代歌手に選ばれたし、新人賞に加え最高人気歌手賞まで上乗せてくれた。 3冠王・・・江辺歌謡祭(7/29)以後、ぴったり五月ぶりにあげた収穫だった。

TVをつけたりラジオをつけるたびに響き渡る私の歌に父は慌てた。仕事がそんなに大きくなるとは(?) そこまで予想できなかったのだ。「おまえ、それは趣味でやったことではなかったのかい?」

しばらく歌って彷徨(?)していれば、再び勉強するだろうだと信じた父は、日ごとに職業歌手になっていく私の姿に、ある危機感を感じたようだ。

芸能人に対してはいつも否定的な見解を持っている父との「暗闘」は、かなり長い間持続した。しかしながら、「子どもに勝つ親がいるだろうか」。結局、父は条件付きで、私の歌手活動を許諾した。

「醜聞を起こして、マスコミの噂にのぼる歌手にはならないこと。外ではお前がスターかも知らないけれど、家に帰れば私の子どもであり、私にとってまだ子どもでしかないことを肝に銘じること。 少しでも様子がおかしいなら、再び歌を歌えないようにするぞ。」 おおまかにそのような言葉だった。

今は、TV画面に映った私の姿と歌をモニターしてくれるほど私の生活を理解している父に、私はなかなか歌謡界の暗い面を話せない。私自身に関しては、常に恥じることがない生活をしてきたので、父の前でいつも堂々ととしていることができる。

私に対する周りの評価はどうだか分からないし、また別に耳をかたむけたい気もないが、私の両親に関する「悪評流言」(デマ)は断じて説明しておかなくちゃいけない。

父は僧侶であるから、言うまでもなく母もまた僧侶を夫としているので、勤倹節約する生活が体質化した人たちである。

したがって、娘ひとりの(おかげ)で贅沢な暮らしをしながら、貴族生活をしているという噂は、話にもならないことだ。歌手が歌数曲ヒットさせると、まず「夜の舞台」(マイナーイメージの舞台)を流れることがわたしたちの現実だが、両親は酒場で歌を歌うことだけは口を極めて止める。最も簡単に大金を握ることができる所なので色々な誘惑も多いが、私自身「夜の仕事」に出て行くことはいやだ。デビュー当初、何も分からない状態で「先輩歌手もみな出て行くので・・・」という考えで、いくつかの営業場所を転々としていた事実を今でも恥ずかしく思っている。

父は、私のために気苦労をたくさんした。娘の有名税を元手に宗団の要職に座ろうという誤解が嫌で、何と2年も寺院を離れていたりもした。

母は今でも、市場の床に散らばっているハクサイのくずやカブなどを拾ってくる。節約が習慣になったのだ。周りではこのような母を巡って、井戸端会議がはなはだしい。「外車に運転手まで置いて通う娘、恥ずかしくもないのか。どういうショーだ。貧乏たらしい様をあらわにしているね。ケチん坊。」 後生だから、「スター・ママ」と色眼鏡で見ないで、家庭を築いていく「主婦」としての私たちの母にきれいな視線を送ってくれるのをお願いする。

私は、(「Jへ」)を歌った時から、歌唱力はいい歌手という評価を受けてきた。私も認める私の歌の実力は、1984年11月、チョ・ヨンナム(조영남)氏が進めていた(KBSの)「ナイト・ショー」に招待されて、その場で初めて接したノ・サヨン氏の「あなたの影(님 그림자)」を歌った時、そしてMBCの「ショー2000」に出て行って「キャンパス ベスト10」の曲をひきつづき歌った時、完全に「公認」された。

前回、うっかり忘れて落とした話がある。江辺歌謡祭の決選で、<4>のメンバーで共に歌ったイム・ソンギュンさんとの関係についてのことだ。

江辺歌謡祭で大賞を受賞した後約3ケ月の間は、イム・ソンギュンさんとデュエットで活動した。デュエットという性格上、私は彼に付いて歩く時が多かったし、周囲では私たちの二人の間を恋人関係まで歪曲したりした。

私はそのような視線が負担だったし、また江辺歌謡祭に当初ソロで参加したように、再び一人で歌いたい欲が出た。それで、私が先に決別を宣言したいきがかりで、ソロアルバムを出すことになったのだ。「<4>の名前を借りて優勝しておいて、なぜお前一人だけスターの振舞いをするのか」という当時の一部難詰に対しては、「歌に対する欲念」のためだったと答えれば十分説明できるだろう。

なおかつ、<4>のメンバーや学校の中では、私のソロ活動に何の反感もなかった。おだてたり、けなしたりして愚弄した人たちは、私たちのグループや私とは何ら関連ない人物たちだけだった。

(「Jへ」)で、1等を「食べた」(受賞した)直後、私は地球レコード社と専属契約を結んだ。その時、契約金の名目で受けた金があれこれ差し引けば、5百万ウォン。生まれて初めてつかんでみた「大金」だった。その金は、全額父の白内障治療費に使われた。これまで、「芸能人」になろうと決意した娘のためにかなりひそひそ言われた父に、少しでも報いたというやりがいを感じる一方、何か相殺されたような妙な快感(?)も味わったことを告白する。
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2015年1月7日水曜日

(資料)イ・ソンヒ「1集(REMASTERING ALBUM)」の紹介

イ・ソンヒが1984年の「江辺歌謡祭」に登場して翌年発表した第1集アルバム「あ! 昔よ」(1985年)のリマスター版(JCDS0824)が、今月発売されることを知った。先週、CDショップで確認したところ未だ扱っていないといわれたけれど・・・。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒ 1集(Lee Sun Hee Remastered)”)

ネットの「シンナラ・レコード」に掲載されている、大衆音楽評論家・ジャーナリストのパク・ソンソによる「アルバム紹介」は、1集発売当時の様子を次のように記している。
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イ・ソンヒ 1集Remastered、アルバム

韓国「最高のディーバ(歌姫)」、イ・ソンヒ Story
デビュー30周年を迎えるイ・ソンヒのデビュー初のソロアルバム「あ! 昔よ」

・デビュー30周年を迎える、今もまだ「少女」のような姿に清く透明な音色、そして一層深くなった感性・・・イ・ソンヒは、ますます関心が高まる不思議な魅力の持ち主だ。現在、韓国で活動する「最高のディーバ」、イ・ソンヒ初のソロアルバムのリマスタリング(Remastering)作業は、だから意味がより一層大きい。

・メディアに近況が全く知らされなかった去る2009年*、「助け合い公演」が繰り広げられていた汝矣島のKBSホール、予告なしに舞台にイ・ソンヒがサプライズ出演した。アメリカからまさに帰ってきて初めて立つ舞台と言ったし、非公式に立つ舞台だけに、本格的に活動を始める時、再び正式にごあいさつするとも言った。この舞台で、彼女が歌った歌は「あ! 昔よ」であった。少し短いコメントも(次のように)付け加えた。

(*)イ・ソンヒの第2の人生の始まりにおける一つのできごとである。

・「私が初めてデビューして、この歌を歌う時、ネクタイ部隊(中堅サラリーマン)のおじさんファンたちが一言一言(ぶうぶつ)いいましたよ。小さいのがもう『昔よ』を歌うのかと・・・その言葉の意味を、そしてこの歌の真の意味を今になって少しずつ分かる気がします。時間が過ぎれば過ぎるほど、私にはより一層大切に感じられる歌です」と。

・今でも7080世代に思い出という名で広く知られるMBC-FM主催「江辺歌謡祭」が論ざれるたび、一番最初に登場する名前がイ・ソンヒだ。「江辺歌謡祭」が輩出した最高のスター、そして彼女が歌った「Jへ」は最高の名曲として挙げられる。

(本ブログ関連:”7080世代”、”江辺歌謡祭”、”Jへ”)

・1984年、江辺歌謡祭の舞台に初めて立ったイ・ソンヒの姿を、まだはっきりと記憶している人々が多いだろう。それだけ印象的だった。混成デュエット(「4幕5場」)であるだけに、スカートを着るのが良いという放送局側の勧めにより即席で借りて着た、からきし大きな紺色のスカート姿の、腕白小僧のようなパンク頭のわきまえぬ姿・・・しかし、その小さい体躯から吹き出る澄んだパワフルな歌唱力は、皆を驚かせるに十分だった。結局、大賞を手にした「Jへ」は、翌日から人気集めを始めたし、この歌を歌った主人公には各種マスコミのフラッシュ洗礼が集中した。

・しかし、いざ注目を浴びたのは混成デュエットの「4幕5場」でなく、イ・ソンヒであった。「特に注目を浴びるほどのルックスではないので、さらに注目を浴びた」この手つかずの地味な姿は、かえって誰にも親近感を与え、若者たちは誰も彼も「J」になりたいと自らた請(こ)うただけに「Jへ ブーム」はすごかった。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「Jへ」”)

・「Jへ」より爆発的な歌唱力を生き生きと見せた歌が、まさにこの初ソロアルバムのタイトル曲「あ! 昔よ」だ。今は過ぎ去った日を回顧する代名詞である単語として位置づけられた「あ!昔よ」は発表されるやいなや、KBS「歌謡トップ10ゴールデン・カップ(5週連続1位)」を占めており、収録曲中の「葛藤」、「少女の祈り」、「私は恋に落ちました」など、何と七曲がチャートに同時進入する話題を集めた。

・トレードマークである丸いメガネとカット頭(ヘヤースタイル)が女子学生の間で大流行したほど、「イ・ソンヒ シンドローム」はすごかった。

・今は女性的にスタイルが変わって、「万人の恋人」として愛されているけれど、デビュー当時は中性的なボーイッシュな魅力と歌唱力で、女性歌手として珍しくハイティーン雑誌とレコードに実物サイズのブロマイドを入れて制作されるほど愛される「下敷スター」*であり、「姉さん部隊」(女性ファン)の元祖であった。

(*)ラミネート加工の写真入りの下敷きで、80年代、元祖下敷スターはイ・ミヨンだそうで・・・「80年代を最後に徐々に下敷きが消えた。下敷きは、単に学用品ではなく、スターといつも会う場所だった」(TVdaily、オ・スジョン記者)

・当時、ある雑誌との「100問100答(100문100답)」で打ち明けた「Jへ」の誕生背景も話題になった。作曲家イ・セゴン(李世建)の楽譜「Jへ」が、ある作曲家事務所*でゴミ箱に捨てられるのを見てその中ですくい出したというエピソードがそれ. 結果的に「捨てられた歌」を捜し出して「宝物」に作ったわけだ。

(*)チャン・ウクチョ音楽室、”イニシャルJ”

・「あ! 昔よ」も他の歌手によって先に発表されたが、埋れていた歌であった。歌手チン・ピレによって1年余り前の83年5月に発表された当時、歌の題名は「その時と今」(パク・ゴンホ作詞、ソン・ジュホ作曲)」。この歌もまた、イ・ソンヒによって始めて光を見た歌だ。このようなエピソードは単に偶然な幸運でなく、多少運命的だと見なされる。はじめて歌が主人に会ったことと解釈される部分でもある*。

(*)韓国民歌ともいえるイ・ソンヒの「美しい江山」(4集、1988年所収)も同様なケースだろう。

・逆境は彼女をより一層輝かせる。「最高の最高のディーバ」という賛辞を受けて、韓国を代表する歌手として、そしてシンガーソングライターに変身して、第2の全盛期を謳歌しているイ・ソンヒのきらめく力作、この初のソロアルバムが吹き込み当時の原音そのままリマスタリングされたというのは非常に喜ばしいことだ。宝石以上の貴重な価値を持った原石をそっくり鑑賞することができるからである。 あたかも今歌うために、当時吹き込んでおいたようなこのアルバムは、そのためより多くの人々に感動させるだろう。
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(付記)
今日1月7日は、「七草の節句」ということで、無病息災を祈って寺院で七草粥をふるまう行事があるようだ。では、自宅で食べるにはどうすればいいのか、食材として売られているだろうか。はたまた、七草粥を食事できる店があるだろうか。結局、今年も無縁に終わってしまいそうだけど。

2026年4月21日火曜日

ラジオや蓄音機で聴かれた最初の「Are You Lonesome Tonight?」

バラードの名曲「Are You Lonesome Tonight?(今夜はひとりかい?)」といえば、エルヴィス・プレスリーの歌が印象に残る・・・60年代の彼を知っているだけに。エルヴィスの甘い声のトーンを耳にして、こんな風に囁くことができたらどんなに恰好良いだろうと、羨ましく空想したものだ。

(本ブログ関連:”エルヴィス・プレスリー”)

■ Youtube(登録: ewjvideo)
「(歌詞対訳付き)Are You Lonesome Tonight? - Elvis Presley(1960)」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=rtjbJXqWHk8

この曲の誕生は古く、1926年にロイ・ターク(作詞)とルー・ハンドマン(作曲)によって書かれたという・・・随分と昔の曲だったなんて知らなかった。私には、プレスリーのものとして今でも深くとどまっている。

リリースは、1927年にチャールズ・ハートが最初に録音したものだそうだ。その盤をYoutubeで探した。

■ Youtube(登録: ElvisKlan)
「Charles Hart - Are You Lonesome Tonight - 1927 (Original)」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=wo-CcjPpE4Y



歌手のチャールズ・ハートについて、ネットで調べたが詳しいことが分からない。そこでGoogleの生成AI Gemini に問うてみた。

■ Gemini
Q.「Are You Lonesome Tonight?」を歌った Charles Hart について教えてください。
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A.「Are You Lonesome Tonight?(今夜はひとりかい?)」といえばエルヴィス・プレスリーの歌唱があまりにも有名ですが、その歴史を遡ると、1927年にテナー歌手の <チャールズ・ハート(Charles Hart)> が吹き込んだバージョンが、この曲の最も初期の録音の一つとして知られています。

チャールズ・ハートとこの楽曲について、いくつかのポイントに分けてご紹介します。

1. 「Are You Lonesome Tonight?」の誕生
この曲は1926年にロイ・ターク(作詞)とルー・ハンドマン(作曲)によって書かれました。チャールズ・ハートは翌年の1927年、ハーモニー・レコード(Harmony Records)にてこの曲を録音しています。

エルヴィスのバージョンにある有名な「語り(台詞)」*のパートは、1927年当時のハートの録音には含まれていません。あの演出は、後に別のアーティスト(アル・ジョルソンなど)が取り入れたスタイルが定着したものです。

2. チャールズ・ハートという歌手
チャールズ・ハート(1884年 - 1965年)は、20世紀初頭の「アコースティック録音時代」から「電気録音時代」への過渡期に活躍したアメリカのテナー歌手です。
● 幅広い録音:  オペレッタ、バラード、賛美歌、そして当時のポピュラーソングなど、非常に多岐にわたるジャンルを録音しました。
● アンサンブルでの活躍:  ソロだけでなく、<ステラー・クァルテット(The Stellar Quartet)やシャノン・フォア(The Shannon Four)> といった当時の人気コーラス・グループの一員としても数多くの音源を残しています。
● 歌唱スタイル:  当時のテナー歌手らしい、非常に明瞭な発音と、クラシックの基礎を感じさせる端正な歌い方が特徴です。

3. 歴史的な位置づけ
ハートの録音した1927年当時は、ラジオや蓄音機が一般家庭に普及し始めた時期でした。彼の「Are You Lonesome Tonight?」は、この曲がスタンダード・ナンバーとして歩み出す最初の一歩といえる貴重な記録です。
現代の耳で聴くと、エルヴィスの甘く切ないロッカ・バラード**とは異なり、どこか懐かしく、ノスタルジックな「古き良きアメリカ」の調べを感じることができます。

ちなみに、1920年代の録音としては、ヴォーン・デ・リース(Vaughn De Leath)という女性歌手によるバージョンも有名です。当時の流行歌が、数十年を経てエルヴィスによって世界的大ヒットになったという経緯は、音楽史上でも非常に興味深いエピソードですね。
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(*)上掲Youtubeを登録のElvisKlanによれば、台詞は「シェイクスピアの『お気に召すまま』第2幕第7場のジャックのセリフをに大まかに引用して、『この世はすべて舞台であり、男も女も役者に過ぎない。彼らには退場と登場があり、一人の人間は生涯で多くの役を演じるのだ』」とのこと。

(**)ロッカ・バラード(Rock-a-ballad): (いわゆる4/4のバラードと異なり)主に3連符を基調としたスローテンポのロック・バラード

2015年3月20日金曜日

(資料)「【パク・ソンソ評論】 韓国最高のディーヴァ、イ・ソンヒを再び聞く」

今年1月、イ・ソンヒが1984年の「江辺歌謡祭」に登場して翌年発表した第1集アルバム「あ! 昔よ(아! 옛날이여)」(1985年)のリマスター版(JCDS0824)が発売された。そのとき、このアルバムについて解説された記事がネットにあって、本ブログに紹介させていただいた。

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ「1集(REMASTERING ALBUM)」の紹介”)

大衆音楽評論家・ジャーナリストのパク・ソンソ氏の評論で、リマスター版登場の意義を、彼女の衝撃的なデビューとその才能、国民からの支持について、振り返る意味で記されたものだ。

イ・ソンヒの初期アルバムが、続けてリマスタリングされている2集、3集についても、以下の記事のようにパク・ソンソ氏の評論がなされている。イ・ソンヒの2集以降、デビュー当時の活躍も含めて論評が、NewsMakerの記事、「【パク・ソンソ評論】現 大韓民国 最高のディーヴァ(歌姫)、イ・ソンヒを再び聞く」(3/5)として掲載されている。

特に、イ・ソンヒ最大級のヒット曲である「分かりたいです」登場に直接関わった作詞家、作曲家とのインタビューもあり大変興味深い記事になっている。

(重複部分である第1集リマスター版の解説部分は上記リンク先を示してあるので、後述部分を次のように載せていただく。感謝)
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「8090熱風(80年代、90年代ブーム)」と共に「イ・ソンヒ再び聞くブーム」 - デビュー30年、イ・ソンヒのデビュー当時のレコードを再び聞き直す

改めて、「8090熱風」に加え、「イ・ソンヒの再リスニング」ブームである。
再び、歌謡界の原動力となっている、8090曲の単純な記憶の中の歌ではなく、
実際に、多くのオールドファンに思い出という新たな響きを満たしてくれている、
デビュー30年、しかし今も相変らず「少女」のような姿に透明な音色の、
そして、一層深くなった感性・・・イ・ソンヒは、ますます音楽愛好家の関心が高まる不思議な魅力の所有者だ。

特に、最近の世界的な傾向である、リマスタリング(Remastering)アルバムの発売ラッシュに合わせて、イ・ソンヒのデビュー当時のアルバム1、2、3集もすべてリマスタリング、再発売されるところになった。
このアルバムが発表された1980年代、わが国の大衆音楽界にも新しい変化を繰り返していた。
特に、当時の男女歌手の最高のスター、チョー・ヨンピルとイ・ソンヒによって、わが国大衆音楽の地図が「ポップの時代」から「歌謡の時代」に転換し始めたのがそれ。
最近のある調査で、40~50代中高年のための「土土歌(MBC「土曜日、土曜日は歌手だ」)」を作成するならば、最も見たい歌手Top3に、チョー・ヨンピル、イ・ムンセ、イ・ソンヒがそれぞれ選ばれた。
かように、彼らのその何がオールドファンを今でも熱狂させるのだろうか。
デビュー当時の、イ・ソンヒのアルバムを探して、再び聞いてみる。

(文、パク・ソンソ大衆音楽評論家、ジャーナリスト)

■ イ・ソンヒ1集、デビュー30周年を迎えるイ・ソンヒ 初のソロアルバム「あ!昔よ」

(略)本ブログ掲載の”(資料)イ・ソンヒ「1集(REMASTERING ALBUM)」の紹介”に相当します。


■ イ・ソンヒ2集  イ・ソンヒ再発見、10代若者のスターから万人の恋人に浮上する

「イ・ソンヒ2集」は、無限の変化を繰り返している、現在のイ・ソンヒに最も近いアバター(avatar)だ。現在のイ・ソンヒの歌には慣れ親しんでいるものの、初期の歌が多少馴染み薄い今の世代、すなわちニンジン(イ・ソンヒのファンクラブ)たちには、「デジャヴ(既視感、deja vu)」が強く感じられそうだ。様々なジャンルの歌でも、「絶対音感の所有者」という評価とともに、シンガーソングライターとしての第一歩を踏み出したアルバムだからである。

1984年、デビュー初年、MBC 10代歌手賞、新人賞、最高人気歌謡賞を総なめし、3冠王に上がったイ・ソンヒ、これに対し専属会社<地球(レコード)>は、「10代だけのスター」から「全国民的に愛を受ける歌手」にするために、ソン・ジュホ作曲の歌で満ちあふれた「1集」からの軌道を旋回、当時のヒットメーカー作家を大挙参加させて、二番目のレコード制作に入る。

「秋の風(갈바람)」(チョン・ウンイ作詞、ナム・グクイン作曲)、「ケンチャナ(괜찮아、大丈夫)」(パク・ゴンホ、イ・ボムヒ)、「貧しい恋人のために(가난한 연인을 위하여)」(イ・ギョンミ、イ・ヒョンソプ)、「ソウルの夜(서울의 밤)」(ハ・ジヨウン、イ・ホジュン)、「そうです、誤りは私にあります(그래요, 잘못은 내게 있어요)」(チュ・セホ、チョン・ギョンチョン)などをはじめとして、イ・ソンヒ本人作曲の「風の中で(바람 속에서)」まで。

「デビューから5ヶ月だけで、10代歌手賞を受賞するほどの大型歌手としての力量が十分だったんですよ。音感も非常に良かったし。そして、『江辺歌謡祭の1等』より、『歌謡界全体の1等』を作らなければならないという考えでヒットメーカーを動員、様々なジャンルで幅を広げましたよ。また、本人が直接作った曲はもちろん、(イ・ソンヒ)本人が歌いたいと持ってきた『後悔(후회)』まで多様に収録しました。」と、アルバムA&R(Artist&Repertoire)を務めたイム・ソクホ、当時文芸部長の言葉だ。このように幅広いジャンルを試みた「イ・ソンヒ再誕生プロジェクト」は、すぐに続く3集の収録曲「分かりたいです(알고 싶어요)」(ヤン・インジャ作詞、キム・ヒガプ作曲)などで絶頂に達する。

去る2012年、イ・ソンヒはある媒体とのインタビューでこのように明らかにした。 「これ(2012年)まで、音楽的関心や趣向がずっと変わってきましたよ。子供の頃は、音楽の海が無尽蔵なことをそこまで知らなかった。しかし、デビュー以来、私が手にしたものが全てではないということに気づいたでしょう。意地がちょっと強いけれど、心を開いて受け入れるのも分かります。他の人たちがこの音楽が好きだ、あなたのものにしてみろ・・・ そのように薦めれば、ためらわず受け入れました。」

作曲家なら誰も曲を与えたいこのシンデレラについて、「2集」参加の作家はこのように評価する。

「声において非常に原則的な歌手です。基本的な発声、正確な拍子はもちろん、感情を節制しながらも、音そのものを堅固に出す、きれいな声を持った歌手でしょう。そういう少女的感性を生かしたくて『そうです、誤りは私にあります』の歌詞を書きましたよ。」 - 作曲家チュ・セホ。

「歌詞と意を正確に伝達する優れた歌手です。歌詞の感情を適切に表現する点も高く評価したいです。」 - 作詞家イ・ギョンミ。

「音色自体に豊かな感性が含まれている不思議な魅力の所有者でしょう。中 - 低 - 高音域、どの音域でもブレのない歌唱力、そのような利点を生かしてあげたくて、『貧しい恋人のために』と『希望(소망)』を作りましたよ。」 - 作曲家イ・ヒョンソプ。

今から30年前の85年11月に発売された、このレコードジャケットとジャケットに入っているブロマイドも当時話題になった。俗称「おばさん(アジュンマ)パーマ」という、いわゆる「滝(폭포)パーマスタイル」で、<江辺歌謡祭>に初めて姿を現したイ・ソンヒが、いつのまにか10代の少女たちに「イ・ソンヒそっくり(따라하기)ブーム」を起こらせた、「トンボ眼鏡にカットヘヤのキャラクター」を存分に誇ったアルバムだからである。この写真は、現在のドキュメンタリー写真家キム・ヨンボムが当時ファッションとロマンのメッカであった梨大(梨花女子大)入口を巡って撮影したものである。

純粋さ、それ以上この歌に込められてまだドキドキがそのまま感じられる、イ・ソンヒだけのアナログ的感性、その深い響きがファンにどのような感動的に近付くかとても気になる。


■ イ・ソンヒ3集、最高のArtistが集まって作ったイ・ソンヒの力作、その美しいラブソング

新たに「8090熱風」と共に、「イ・ソンヒの再リスニング」ブームだ。耳を傾けるほど、清らかで透明な音色に盛り込められている感性の深さが違うためだ。再び歌謡界の原動力となっている8090曲の、単純な記憶の中の歌ではなく、実際に多くの人々にとって思い出となり、80年代と90年代をまた他の響きで満たしてくれている。

このアルバムが初めて発売された1986年11月、大衆音楽界も新しい変化を重ねていた。特に、当時の男女歌手最高のスター、チョー・ヨンピルとイ・ソンヒなどによって、韓国大衆音楽の支配権が「ポップの時代」から「歌謡の時代」に転換し始めたのがそれ。

「イ・ソンヒブーム」を起こしたこのアルバムは、当時の最高のアーティストたちが大挙参加した力作である。そのラインナップを見ると、「A&R(Artist&Repertoire)_イム・ソクホ/ Violin_キム・ドンソク/キム・ジョンサン、イ・グァンイル、チョン・ミョンジャ、キ・ムユソン、シン・ユミ/ Cello_クォン・スミ、ペク・ンオク/ Guitar_イ・ユシン、キム・グァンソク/ Keyboard&Synthesizer_キム・ヨンニョン、キム・ジョンテク/ Bass_イ・スヨン/ Drums_ペ・スヨン/指揮_オ・チス/ Recording&Mixing_イ・テギョン、チャン・インソク/ Cutting_チャン・ジョングァン/ Photo_ホ・ジョンテ/ Design_ファン・チョルジュン」。

「10代スター」から「万人の恋人」として位置づけになる2集に続き、3集も当時のヒットメーカーたちが大挙アルバムに参加した。作曲家キム・ヒガプ、ナム・ククイン、イ・ボムヒ、チェ・ジョンヒョクを始め、ロックスタイルの実験的な音楽を追求していたキム・ホンタク、ユン・フイジュンはもちろん、「大学歌謡祭」出身の大学生作曲家まで、例えば、プロからアマチュアまでの様々な音楽ジャンルが共存するアルバムなのである。

「Young(영)」、「涙(눈물)」に加え、イ・ソンヒ3集の中で最も注目された曲は、やはり「分かりたいです(알고 싶어요)」だ。今でも最もソンヒらしいという評価を受けるの歌でもある。


■ 名コンビ「ヤン・インジャとキム・ヒガプのカップル」が歌詞とメロディーでやりとりした世紀のラブレター、「分かりたいです」

▼先に発表した「Jへ(J에게)」と「あ!昔よ」がそうであったように、「分かりたいです」もイ・ソンヒにに来て新たに生まれた歌だ。この歌は、これより先に1978年、「秋の木々の間で(가을나무 사이로)」(キム・ヒガプ作詞・作曲、キム・イルウ*歌)というタイトルで、すでに発表された歌だ。題名と歌詞を変えて「分かりたいです」に再誕生させた作詞家ヤン・インジャさんに、当時の逸話を聞いてみた。

(*)「秋の木々の間で」を歌った歌手を、1984年にイ・スンジェ(이승재)と紹介する記述がある(チェ・ギュソン大衆文化評論家)。上記によれば、1978年発表とのことで更に以前になる。

(本ブログ関連:”分かりたいです”)

「1985年、仕事のためにキム・ヒガプ先生のお宅に行くことになりました。その日、音楽を一つ聞かせてくれましたが、『秋の木々の間で』という歌でしたね。メロディーが美しくて寂しい歌詞と合わないようだといったところ、それでは歌詞を新しく書いてみろとおっしゃったのです。それで歌詞を書こうと、あれこれと思って考えているちょうど、ラジオでエルヴィス・プレスリーの「Are You Lonesome Tonight」が流れて出てきました。注意深く聞いてみたら、歌詞が最初から最後まで、質問形式ですよね。だから私も質問だけの歌詞を一度作ってみよう、と思って作った歌です。」

しかし、しばらくの間、「分かりたいです」の歌詞は、キム・ヒガプ先生の引き出しの中でただ眠っていた。 「わけもなく一人で恥ずかしかったんですって。本当にまれことでしょうか? そうなのかも知らずに、私は、なぜ吹き込まないかとずっと尋ねたところ、そのたびに『しなければならないですね・・・』といって言葉を濁したんですね。」

▼歌詞を歌詞以上に考えたためなのか、当時の状況をキム・ヒガプ先生に直接聞いてみた。

「歌詞を受けてみると、率直な感情のままに直接的話法で表現しましたよ。なぜか瞬間恥ずかしい思いをした。何か一言いわなければならないではないか、という考えにぎこちない気分にもなって・・・だから、慌てて引き出しの中のうち閉じ込めて置きましたよ。そうしている間、イ・ソンヒの新しいアルバムに入れる曲を頼まれ、ヤン・インジャさんに歌を作ろうといったところ、「分かりたいです」こそイ・ソンヒにぴったり、なのに何をまたか・・・ってね。そして、しぶしぶ持っていった楽譜でした。最初はアルバムの裏に、それも三番目に挟んで入れたが皆がこの曲が良いということでしょう。いやはや・・・」

歌詞が、歌の理性ならばメロディーは歌の感性だ。その感性と理性に、イ・ソンヒのいきいきとして暗い影のない感情がさらに作用して、この歌は、発表直後の1987年当時、KBS「歌謡トップ10」の5週連続1位を取ってゴールデンカップを占めており、「You」、「闇は晴れて(어둠은 걷히고)」、「清らかな愛(청아한 사랑)」などと一緒に、イ・ソンヒに1987年ゴールデン・ディスク賞を与えた。

瞬く間に「万人の恋歌」に位置したこの歌(「分かりたいです」)は、その後、おしどり夫婦であり名コンビの「キム・ヒガプ - ヤン・インジャカップル」の結婚式の祝歌でも歌われた。新郎側の祝歌はブルーベルジュの「私の人生後悔はありませんが(내 인생 후회는 없지만)」、そして新婦側の祝歌がまさにこの歌「分かりたいです」であった。祝歌は、イ・ソンヒが直接歌った。

「イ・ソンヒを念頭に置いた歌詞とメロディー・・・イ・ソンヒは、私が望んだ私の姿の完成でした。歌が良いだけ考えも正しくて尊敬すべき部分が多い歌手ですよ。」ヤン・インジャさんのイ・ソンヒの評価がそうであるよう結論的に、この歌は、歌詞とメロディーでやりとりした「世紀のラブレター」であり、両方の結婚式場で祝歌に歌われた「愛のセレナーデ」になったわけである。一方、裏面のタイトル曲「遅れました(늦었어요)」は、ヤン・インジャさんが執筆したラジオドラマ「朝霧(아침안개)」の主題歌だ。

パワフルなロックスタイルの唱法がそっくりそのまま盛られている曲「もう離れなくちゃ(이제는 떠나야지)」と「暗闇を経て(어둠은 거치고)」もやはり、イ・ソンヒのもう一つの魅力が存分に引き立つ曲だ。

「歌唱力とフィーリング、そしてあや(彩)という三拍子を兼ね備えた歌手ですよ。特にイ・ソンヒのパワフルな歌唱力を生かすために、ソウル・シンガーのアレサ​・​フランクリン(Aretha Franklin)の歌を集中して聞きました。もちろん、イ・ソンヒはその時も見事だったが、時間が経つにつれ、より良い歌手になるだろう、こういう考えたこと思い出します。」 -「もう離れなくちゃ」の作曲家キム・ホンタク(He5、He6のリーダー)の言葉だ。

また、「その表情の意味(그 표정의 의미)」と「別れは本当に難しいです(이별은 정말로 어려워요)」は、1980年の「大学歌謡祭」に「厄払い(푸닥거리)」で参加した「ジプシー」のメンバーのヤン・シチュンが作った曲である。そのように、このアルバムを通じて当時の最高のヒットメーカーと、純粋な大学生作曲家たちが一緒に参加し、イ・ソンヒの隠れた魅力を多様に表出させている。

トップ・アーティストたちが参加したこのアルバムがリマスター作業を経て、原音そのままの音が蘇ったことも意味が大きい。まるで虫眼鏡で見るように声が、そして歌うシーンが歳月の厚さを退けて、まるで目の前に見えるようだ。アナログ的感性をそっくりそのまま再現した、30年前のこの曲は、母と娘の世代を分ける境界線ではなく、一緒に聞いても良い曲に生まれ変わるだろう。

デビュー30周年を経た今もまだ「少女」のような姿にきれいな透明な音色、そしてさらに深くなった感性・・・ますます関心が高まる不思議な魅力の持ち主、イ・ソンヒ。

「思い出はすべてを記憶できるが、記憶は全て思い出しきれない・・・」とか。しかし、長年の記憶の中で蘇る深い響き、鮮やかな現場の音を通じて、単に記憶される歌ではなく、多くの人々に、より大切な思い出としての地位になることを期待してみる。NM(NewsMaker)
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(付記)
イ・ソンヒの1集リマスタリングアルバムを手にしていた・・・ところ、なんと2集、3集もリマスタリングしているというではないか。ネットで調べると確かにある・・・また、新宿に行かねばならない。

2016年9月9日金曜日

【大衆音楽家列伝】 イ・ソンヒ

釜山日報の連載の「大衆音楽家列伝(대중음악가 열전)」は、まさにイ・ソンヒのコンサート(9/2~4)直前の絶妙なタイミング(9/2)に、彼女の音楽活動を振り返る、「【大衆音楽家列伝】25.イ・ソンヒ」(チェ・ソンチョル、ペーパー・クリエイティブ代表)の記事を掲載した。

内容は、イ・ソンヒが歌謡界にデビュー以来、現在にいたる音楽活動の小史であり、正規アルバムをもとに彼女の代表的な曲目を網羅している。コンサート後になったが、次に載せさせていただく。感謝。

次の記載の曲目と、今回9月のコンサート曲目を合わせて聴けば、イ・ソンヒの全体像を素早く理解することができるでしょう!

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小さい体躯で爆発的歌唱力… 「Jへ」ただ一曲でスターダム

(写真:略) ▲ 私たち大衆音楽の「ガール・クラッシュ」の元祖、イ・ソンヒは歌を運命のように思って生きてきた(デビュー以来)32年、この時代の名歌手だ。

・最近、よく話題になる単語の中に、「ガール・クラッシュ」(Girl Crush)という言葉がある。少女(Girl)と、「惚れる」意のクラッシュ・オン(Crush On)を合成した言葉で、女性が同性に感じる、性的な感情を伴わない強い好感と定義する。かくのごとくクラッシュの魅力に陥ったせいだろうか。最近、音源チャートの上位圏、および長期ランク(イン)の女性歌手だけで何と100人余りに達する。私たちの大衆音楽のガール・クラッシュ(一目惚れした少女)の元祖は、イ・ソンヒだ。

■ 「姉さん(オンニ)部隊」、追いかけ回しクラッシュ

・仏教音楽「梵唄」の伝授者の父をもつイ・ソンヒは、幼い時から歌手の才質(才能と気質)を見せた。大学1年のとき、「4幕5場」という校内音楽サークルに入り、父が反対した歌を思う存分歌うことができるようになったし、<江辺歌謡祭>に出場する冒険も敢行する。1984年夏、MBC江辺歌謡祭に、パーマヘアーに角(つの)製の枠メガネをかけた少女が登場する。イム・ソンギュンと共に「4幕5場」という混成デュエットで参加した彼女は、小さい体躯に似合わない爆発的な歌唱力で大賞を射止める。受賞曲は、「Jへ」であった。その日を起点に、歌謡界は波打つ。 イム・ソンギュンの入隊で、ソロとして本格活動に乗り出したイ・ソンヒの人気は想像を超越した。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒと仏教音楽”、”梵唄”)

江辺歌謡祭の大賞受けて、ソロ活動
大規模の「姉さん部隊」で、時代のアイコン
ゴールデン ディスク、5連覇の「珍記録」

ソン・シヒョンと出会って、4、5集で音楽的変化
香港俳優の張國榮(レスリー・チャン)とデュエット・コンサート
「その中であなたに出会って」、感性際立つ

・当時、或る放送会社でデビューした歌手は、別の放送会社に出演できないという慣例を破って、「Jへ」は、KBSの「歌謡トップ・テン」で5週連続1位を占めており、1984年の最高のヒット曲になった。年末、KBS歌謡大賞と、MBC「10代歌手歌謡祭」の新人賞、やはりイ・ソンヒが占めた。当時、歌謡界の厚いファン層である女子中高生の愛を一人占めした男性歌手全盛の時代に、ディーバ(歌姫)の出現は歌謡界はもちろん、女学校にも新鮮な風になった。

・イ・ソンヒは、数多くの女学生ファンを同行するガール・クラッシュのアイコンで、爆発的な人気を享受した。チョー・ヨンピルの「兄さん(オッパ)部隊」を威嚇した「姉さん(オンニ)部隊」、幼い女子中高生が公演会場で兄さん(オッパ)の代わりに姉さん(オンニ)を叫ぶようにさせた主人公、イ・ソンヒの事務所から金を払って人を動員したという流言飛語(デマ)まで飛び交うほど、当時の「姉さん部隊」の火力は途方もなかった。

(本ブログ関連:”姉さん部隊”)

■ ソン・シヒョンと共に変曲点、確かに

・「Jへ」ただ一曲で、1984年を自身の年にしてしまったイ・ソンヒの正規1集「イ・ソンヒ1集」(1985)は、(江辺歌謡祭の)翌年の1985年初め(1/25)に現れた。ここで、「あ! 昔よ」、「葛藤」、「少女の祈り」などが相次いでヒットし、彼女は自身の人気が「Jへ」の一回だけで終わらないことを立証した。その年が過ぎ行く前(11/25)に、再び出した2集「イ・ソンヒ Vol.2」(1985)では、「秋の風」、「ケンチャナ(大丈夫)」、「そう誤りは私にあります」などのヒット曲が引き続き出ており、1986年に出した3集「イ・ソンヒ3集」(1986)でも、「分かりたいです」、「暗闇は晴れて」、「ヤング」などが多く愛(=支持)を受けた。

・ゴールデン・ディスクの5連覇を始めとして、国内にある全部門の賞を全て受賞する珍記録をたてたりもする。以後、「イ・ソンヒ4集」(1988)は、イ・ソンヒのディスコグラフィーで非常に重要な位置を占める。彼女の音楽が意味ある変曲点を迎えたためだ。その変化の端緒を説明する(人物の)名は、ソン・シヒョン(송시현)だ。

(写真:略) イ・ソンヒの音楽世界で意味ある変曲点になったアルバム「イ・ソンヒ4集」

・1987年、「夢みるような世界」のヒットで名を告げたシンガー・ソングライターのソン・シヒョンは、この時からイ・ソンヒのアルバム作業に参加し始める。4集で、A面のタイトル曲「愛が散るこの場所で」と、B面タイトル曲「私はいつもあなたを」を含めて、全て4曲が彼の作品だ。二人の出会いは成功した。ソン・シヒョン特有の感受性と叙情性は、イ・ソンヒの声とよく交わったし、以後も彼はしばらくイ・ソンヒと共に行動することになる。翌年、「イ・ソンヒ5集」(1989)で、イ・ソンヒはアルバムのここかしこに社会性の濃厚な曲を配置した。「五月の陽差し」は1980年の光州民主化運動の犠牲者の英霊を慰める曲であったし、「ひとしきり笑いに」も、やはり時代的痛みが滲んだ曲だった。通常の民衆歌謡に劣らず、深くやさしいものだった。

(本ブログ関連:”ソン・シヒョン”)

・ソン・シヒョンは、5集でも中枢的な役割をした。アルバムの代表曲である「ひとしき笑いで」と、「冬哀傷」は彼が作った曲だ。同年、チョコレートCFで最高の人気を謳歌した香港の故張國榮(レスリー・チャン)が初めての来韓する。張國榮は、イ・ソンヒと「Jへ」をデュエットで熱唱して、デュエット・コンサートを開いた。

・その縁で、張國榮は、後日イ・ソンヒを香港に招待する格別な親交を誇示したりもする。この時期に、香港BMGレコードを通じて、「It's Original Songs」というアルバムに、「Jへ」を収録発表し、英語で自身のヒット曲を翻案して歌った「Where The Love Falls..」(1989)などのアルバムも発表する。

(本ブログ関連:”張國榮 (レスリー・チャン)”)

・1990年の6集「イ・ソンヒ Ⅵ」(1990)では、「思い出のページをめくれば」が愛(支持)を受けたし、「去る者だけが愛の夢を見ることができる」という自作詩朗唱集と、カナダのモントリオール室内楽団と世宗文化会館で共演後、その実況アルバム「Lee Sun Hee ; Montreal Chamber Orchestra」(1990)を発表する。7集の「思い出の中を歩くのね」(1991)、キム・ヨンドンの国楽的な要素をたっぷり入れた8集の「李仙姫 八」(1992)、「イ・ソンヒ愛唱童謡」(1993)、9集の「イ・ソンヒ 9」(1994)、そして、多くの曲を自ら作詞/作曲したアルバム10集「First Love」(1996)を着実にリリースして、以前とは違った成熟した歌をリリースし始める。

■ あらゆる悪材料の中、挑戦は続く

・人気の下落と激しい浮上など、悪材料の中でも彼女の努力は続いた。11集以後、3年振りに発表した12集の「E Sunhee  My Life + Best」(2001)で、自作曲「離別小曲」と、パク・チニョンの「生きてみると」、ユ・ヨンソクの「この歌をかりて」、キム・ジョンソの「多分(アマ)」など、11曲の新曲とベスト16曲を入れて新しい活動の序幕を知らせた。2005年、<四十代に迎える春>の意を暗に盛り込まれている13集の「四春期」(2005)は、イ・ソンヒの自作曲である「因縁」をはじめとして、9曲の新曲と20周年ライブ コンサート実況の17曲を入れた。10集から始まったシンガー・ソングライターの面目が、円熟の段階に入り込んだことを意味する真の傑作と評価を受けた。

・1990年代以後、7集から始まったやむ得ない大衆的反応の退潮にも、イ・ソンヒは堅忍主義的姿勢で、自身の音楽的内容を執拗に発展させる。2009年、デビュー25周年を迎えて、新しい音楽的感性の10曲をアップグレードした自作曲で満たした14集「愛よ…」(2009)を発表し、活動を再開した。

・5年後、正規15集アルバムであると同時に、デビュー30周年記念スペシャルのアルバムである、「セレンディピティ Serendipity」(2014)を通じて、「女王の帰還」を知らせた。  

・彼女の音楽的力量が最高に発揮された今回のアルバム(15集)、果たせるかな、11曲中9曲が自作曲だ。「その中であなたに出会って」など、より一層円熟した深みある音楽と、限りなく繊細で感性的なボーカルを披瀝し、専らイ・ソンヒだけが出すことのできる感性を表わした。偶然を通じて運命に出会うという<セレンディピティ>の意のように、音楽に出会って歌を運命のように感じて生きてきた32年目の私たちの時代の名歌手イ・ソンヒ、どんな音楽においても輝く彼女の声と表現は拒否できない永続の美学であろう。  
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2016年4月2日土曜日

ヤン・ヒウン、イ・ソンヒ、イ・サンウン、エンバ

イ・ソンヒに対するファンの気質にも関心がある。特に、彼女のファン層の中心である女性ファンの心理といっていいかもしれない。それは、いわゆる「女性的」なものを取り除いたところでの好意、憧れだろうか。一種、宝塚ファンに見られる深層を垣間見る気がする。(あくまでも、男の側からの視点に過ぎないが)

(3月30日、宝塚音楽学校の合格発表の様子をテレビニュースで見た)

イ・ソンヒの大衆音楽界デビューにともない登場したのが、歳下の若い女性が歳上の若い女性に対する憧れを込めた「姉さん(オンニ、언니)」の言葉を持つ、「姉さん部隊(언니부대)」(=若い女子学生のファングループ)だった。初の女学生ファン層である。評論風にいえば、当時の大衆音楽界の女性歌手が、女性を前面に出すことでファンを獲得していた(そうさせられた)ところに、新しいタイプの、女性歌手と女学生ファンが出現したことになる。

若いイ・ソンヒの紹介に使われた言葉に、<小さな体躯>で<独特な力強い、押し出すような、爆発的な高音>とか、<少年のような>という表現がある。彼女の26歳にしても初々しい姿を、モントリオール室内楽団との共演映像を見ると納得できるかもしれない。現在も若々しい<童顔>と形容される。

ところで、ハンギョレ紙の記事、「ヤン・ヒウン、イ・ソンヒ、イ・サンウン(Lee-tzsche)、エンバ* (양희은, 이선희, 이상은, 엠버)」(3/25、26修正、イ・スンハン:テレビコラムニスト)は、4人の女性歌手の持つ、(女性的なものと離れた)雰囲気を解説している。それは、トムボーイ(Tomboy)**と呼ばれる、ボーイッシュな要素だ。話題の中心は、ガールグループ f(x)メンバーのエンバについてだが、彼女の歌に込められたものを通じて、世界が固執する境界とそれに抗することについて記している。
(Youtubeに登録のquark2930、대중가요 1988、SMTOWNに感謝)

(*)エンバ(AMBER): Wikipediaによれば、「台湾系アメリカ人であり、韓国のガールズグループ f(x)のメインラッパーである。」とのこと。f(x)のメンバー構成から、中国市場を意識した戦略が見えてくる。
(**)トムボーイ: Wikipediaによれば、「Tomboy(トムボーイ)は英語でお転婆やボーイッシュの意。 元々は騒がしい男性という意味の言葉で、男性に対して使われる言葉であったが、次第に女性に対して使われるようになり、現在では完全に女性に対してのみ使われる言葉となっている。」とのこと。

(追記) もしエンバが韓国人歌手だったとしたら、韓国紙にこのような論調のコラムが書けるか、大きな関心がある。

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[土曜版](TVコラムニスト)イ・スンハンの ”スルタン オブ ザ TV”

(写真) ガールグループ、f(x)(エフエックス)メンバーであるエンバ
顧みると、韓国大衆音楽界に、「トムボーイ」がいなかったこともない。しかし、最近のエンバに対する韓国社会の視線は、イ・ソンヒとイ・サンウンを経験した国にしては、暴力的であることこの上ない。(エスエム・エンターテインメント提供)

・1940年代以前だけとしても、薄紅(以下「ピンク」)色は男子禁制の色ではなかった。フランス作家グザヴィエ・ドゥ・メストレ(Xavier de Maistre)は、自身の著書、「私の部屋旅行する方法(Voyage autour de ma chambre)」(1794年)で、部屋の雰囲気を改善したい男たちに部屋をピンク色に塗りなさいと薦めた。決闘をして逮捕され、42日間の自宅軟禁刑を受けた血気盛んな二十七の青年が、男たちに自信を持って推薦した色がピンク色だったのだ。
・ピンク色にジェンダー区分がつき始めたのは、20世紀初頭だったが、それにもまして最初は男性的な色と見なされた。1918年のアメリカの子供ファッション紙「アーンショウ インファンツ デパートメント(Earnshaw’s Infants’ Department)」に掲載された説明を見てみよう。「きっぱりとしていて、さらに力強い色であるピンク色が男の子に最も適した反面、女の子は繊細で可愛らしい色である青色を着た時さらにきれいに見えます。」と。 ピンク色が女性的な色の扱いを受け始めた歴史が、未だ100年にならないという意だ。

・かなり最近まで、男が耳に穴を開けて通すのは奇怪なこと扱いされたが、この風潮も事実そんなに古いものではない。三国時代と高麗を経て朝鮮中期に至るまで、長年、耳輪(以下「イヤリング」)は性別の区分なしに幅広く愛された。韓半島の男たちの間でイヤリング文化が一段と弱まったのは、1572年に宣祖(선조)が「身體髮膚 受之父母(신체발부 수지부모)」に言及して、イヤリング禁止令を下した以後であった。イヤリング禁止令も一挙に効き目は挙がらなかった。
・禁止令を下してから25年後の1597年、「丁酉再乱」(=慶長の役)の時、朝鮮に派兵された明軍の経理(경리)の楊鎬(양호)が「朝鮮の軍隊が戦功を水増しするため、むやみに朝鮮人を殺しては倭賊(日本)に見せかけることがある」と追及すると、すぐに接伴使(접반사、外国使臣を接待した官職)の李德馨(이덕형)は、イヤリングの穴跡の有無で倭賊と朝鮮人を区別することができると答えた。当代、朝鮮の男たちの間では耳に穴を開けるのが王命でも、鎮めるのが難しい圧倒的な流行だったのを推し量ることができる要(かなめ)だ。

・突然、ピンク色やイヤリングの話を取り出したのは、「男らしさ」でも「女らしさ」を規定することの歴史が意外にそれほど長くなくて、それさえも自然な選択の結果でなく、色々な理由で数度人為的に変わってきたことを語るためであった。
・服飾やアクセサリー、色と趣向などの基準として、特定の性別を規定しようとする動きというのは、何とはかないことか。それでも、新しい商品や流行が登場するたびに、世の中はそれが男性的なのか女性的なのかをあえて問い詰めて、その基準に合わせて、あえて自身の男性性/女性性を積極的にアピールしない人たちは、性的指向を疑念されるのもしばしば経験している。「ひょっとして、指向がそうした側(の人)ではないだろうか?」という質問の後には、「ゲイ/レズビアンでもないが、なぜ女/男のようにふるまうのか」という問い、なぜ暗黙的である規範に従わないかという追及が隠れているのだ。語り口や行動様式、服を着る好みなどが、性的指向、性的同一性(アイデンティティ)とセットにして変わらないという事実に対する人々の無知は言うまでもなく。


・トムボーイキャラクターである、f(x)のエンバ
・男装女性という偏見
・ソロ曲「Beautiful」、「Borders」で
・自伝的な話、解き明かして
・「私を押さえ付ける圧迫に抗して」
・世間の批判に堂々としていて


・平凡な身分も名もない人々(張三李四)は、それでも目が向けられない方だ。大衆の前で、いかなる役割モデルになることが強要される芸能人の場合は、世界の視線を避けるのはさらに難しい。
・f(x)(エフ エックス)の「エンバ」は、同時代の韓国ガールグループでは簡単に見つけるのが難しかったトムボーイ(中性的で闊達な女性)キャラクターで、多くの女性ファンを引きつけたが、同時にデビューするやいなや彼女を「男装女性」というキーワードで修飾する人々とも向き合わなければならなかった。
・2009年韓国放送「ギャグコンサート」で、「ワン・ビホ」キャラクターで活動した(コメディアン)ユン・ヒョンビンは、エンバを指して「ガールグループというけれど男がいる。ハ・リスのような子」と話した。放送後、多くの視聴者からエンバとハ・リスの共に礼を欠くという批判を受けたにもかかわらず、そのような冗談がディレクター(PD)の事前検査でふるいにかけることも、編集過程で脱落することもなかったというのは、人々の偏見がどれくらい強いことか端的に見せる。

・顧みると、エンバが韓国の大衆音楽界に、初めて登場したトムボーイのキャラクターであることもなかった。
- ギターとフォーク、ジーンズ(青ズボン)の時代だった1970年代のヤン・ヒウンは、白いシャツにジーンズ(青ズボン)姿でギターを弾き、
- ミュージカルでスカート(チマ)を着たことがマスコミに特筆大書されるほどズボンを固執したイ・ソンヒは、「姉さん部隊」を率いて歩き回ることで有名だった。
- 「タムダディ」で一躍スターダムに上がったイ・サンウンはまた、大きな身長と短い髪、ジーンズ姿で女性ファンを魅了した。
・あまりにも長い間、華奢だったり可愛らしいイメージで大衆を相手にするガールグループにだけ慣れて、そうなのか? エンバに対する韓国社会の視線は、イ・ソンヒとイ・サンウンを経験した国にしては暴力的であることこの上なかった。もちろん、1980年代は、世界的にトムボーイ熱風が吹いた時期だったとの点も考慮するべきだが、時代が過ぎて流行が変わったといって、他人の好みや身なりなどを指摘して「模範的な」女性像あるいは男性像の中に相手を閉じ込めようとする試みが正当化されるわけではない。

・エンバは、このような世界の偏見に着実に反問してきた。2015年2月発表した、ソロアルバム「Beautiful」に収録されたタイトル曲「SHAKE THAT BRASS」のミュージックビデオもまた、友達とにぎやかに遊んでバスケットボールを楽しむ姿を入れたし、同名の自作曲「Beautiful」では、「鋭いことばが私の気持ちを深く切って」、世の中は、「狭い鳥かごのよう」だが、自身は他のどんなものでない自分自身になることであり、自身が自身たりえて幸せだと歌った。
・同年7月、自身のインスタグラムにあげた文では、メッセージが一層もっと鮮明になった。
「私は、女と男が、ある一つの外観に拘束されないと思います。美しさというのは、すべての形と大きさから出てきます。私たちはすべて違いますね。もし、私たちが皆同じメロディで歌うなら、どういうふうにハーモニーが存在することができるでしょうか? 他の人々と違うという理由だけで他の人をむやみに判断しないでください。私たち皆お互いの差異を尊重して成長できることを願います。」 嫌いな人たちはずっと嫌いだろうが、自分の面前で自身を冒とくすることは全然違うことなので、一つはっきりしておきたい言葉で始めたこの丁寧な文は、このように終了する。
「いつでも、自分自身になってください。自分自身に真正真実に生きることが、自らのためにできる最も大きなことです。」

・去る3月24日、公開されたソロ音源「Borders(境界)」でも、彼女は同じ話をする。1節で、エンバは世界の指差しに苦しむ。「ここに皆が私を眺めて、首を横に振るよ。私に何が問題なのか・・・(中略) 彼らが言う『完璧』に届くことができるならば、何でもするだろう。その後、多分、私が居る場所も見つけることができるだろう」。
All these people here staring and looking at me
Shaking their heads eyes down strong on me
What's wrong with me?
・・・
And I'd do anything to be what they call perfect
Then maybe I could find a place to call my own and belong

・しかし、すぐ次の小節から、彼女は違う可能性を思い浮かべて、違う歌を歌い始める。「だが、もし私が十分に強いならば、目を足元に置いて黙々と歩いていくだろうに。なぜなら、母さんが語ったよ。境界を越える時、窮地に追い込まれても、決して恐れるなと。真っすぐ立って、あなたの道のため戦えと。立ち上がって倒れて、再び立ち上がって。私を押さえ付ける圧迫に抗して」。
But if only I was strong
I'll be walking with my eyes down
eyes down eyes down
I'll keep my eyes down
eyes down eyes down

’Cause mom said I'd be crossing borders
Never be afraid even when you're cornered
Stand up straight fight your way
Fight your way fight your way

Stand up, fall down, up again
Up against the pressure I am in

・そうしては、世界に向かっていう。「見せ掛けしないのだ。はるかに多いことが前にあるから」。
No I won't play pretend
There's so much more ahead

・ソロで曲を発表する機会があるたび、エンバは自伝的な話を引き出して、世界の不当な偏見に抗して負けないことを誓った。

・そのメッセージは、もうエンバ本人だけでなく、他の人々と違うという理由で苦しむこれらみなのものとになった。エムネットに出演した時、エンバはこのように話した。「私の考えで、歌手はメッセージを伝達しなければならないのです。音楽で。 自分がいじめだと思う人たち、心が痛む人たち. 勝ち抜くことができます。そんなメッセージを伝達したいです。『エンバも勝ち抜いたので、あなたも勝ち抜くことができます』、そんな話をしてあげたいです」。数多くの基準として、他人の人生を裁いて、指差しするのが好きな世界で、その偏見は不当なことであり、美しさはあらゆる形態と大きさから来て、これ以上他の人々が望む姿を真似ないというメッセージを、世界に伝えるのが使命と考えた歌手が錐(きり)のように鋭く(境界を)突き抜いた。
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(Youtubeに登録のSMTOWNに感謝)

2010年12月25日土曜日

うたのちから

例年、大晦日のNHK「紅白歌合戦」の視聴をさぼっている私の耳に、テレビから布を柔らかく折り返すようなフレーズが繰り返し聞こえてきた。「うたのちから」(楽譜:制作・作曲久石譲)というタイトルだそうだ。
今日、インターネットで初めて知りましたよ、昨年の「紅白歌合戦」から歌われたテーマソングなんですね。視聴者に募集のワンフレーズをもとにして制作されたそうですが、同局の音楽番組「みんなのうた」で流しても良いような優しさがあり、寒さが滲みる時期にほんのり暖かくなる曲です。

ところで、韓国の大晦日の歌謡番組は、「2010 MBC歌謡大祭典」(21:55~01:40)があるようだ。しかも番組中継が越年するとは・・・。
(参考)これも視聴していないが「スカパー!e2」で、年末にかけてSBS(12/29)、KBS(12/30)、MBC(12/31)各局の歌謡番組を生中継をするそうだ。

(追記)上記スカパーのサイトに、K-POPジャーナリスト古家正亨氏が、コラム「I LOVE POP 韓」で今年のK-POPシーンを、「オーディション番組」など3つのキーワードで解説している。たしかに、イ・ムンセやイ・ソンヒを敬愛するという若い歌手たちのコメントをしばしば記事に見ることがあるが、指摘のようにソロ歌手復活の機運が高まってきているのだろう。潮流が変わりはじめているか・・・。

2015年10月29日木曜日

(資料) 「イ・ソンヒの4集と5集(アルバム) - 『Jへ』 彼女を除いて80年代歌謡を語るな」

久し振りに、イ・ソンヒについての評論記事がネットを飾った。釜山日報(BUSAN.com)の「ウィークエンジョイ」(10/28)の記事、「【8090 この歌この名盤】17.イ・ソンヒの4集と5集(アルバム) - 『Jへ』 彼女を除いて80年代歌謡を語るな」(チェ・ソンチョル ペーパーレコード代表)は、80年代に登場したイ・ソンヒの席捲と躍進について次にように語っている。

イ・ソンヒの4集、5集アルバムは、1988年、89年と連続リリースされた。これをリマスター版「ALL THAT MASTERPIECE LEE SUN HEE 4+5」として、2011年に再発行されている。昔からのファンの支持が、このような形に再結晶化したのだろう。本ブログで以前にも触れたが、名曲が網羅されている。記事では、ソン・シヒョンとの関わりが興味深い。

(本ブログ関連:”「ALL THAT MASTERPIECE LEE SUN HEE 4+5」”)

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1984年前半期、歌謡界最高のヒロインは、断然チェ・ヘヨン(최혜영)だった。彼女のデビューアルバム収録曲「それは人生(그것은 인생)」は、当時最高の人気曲であったし、後続曲の「水のような愛(물같은 사랑)」の人気も侮れなかった。そのままならば、年末の各種新人賞は、文字通り確実なものだった。

ちょうどその時、一瞬に地図をひっくり返してしまった問題ある、その人が忽然と登場する。彼女の名前はイ・ソン・ヒだった。 1984年夏、仁川専門大学生だったイ・ソンヒは、同じ学校のイム・ソンギュンと一緒に「4幕5場」という混成デュエットで、江辺歌謡祭に参加し、大賞を握った。受賞曲は「Jへ(J에게)」だった。その日を起点として歌謡界の人気版図は、荒波の中に巻き込まれていった。

江辺歌謡祭大賞後、ソロとして本格的な活動
84年の最高のヒット歌謡・・・各種賞獲得
ソン・シヒョンと出会って4・5集の付き合い、音楽も変化
5集には「五月の陽射し」など社会性の濃い曲

■ 歌謡界の地図塗り変えた「4幕5場」の登場 (1984年)

イム・ソンギュンの入隊のため、ソロで本格的な活動に乗り出したイ・ソンヒの人気は、想像を超越した。 「Jへ」は、KBS歌謡トップテンで5週連続1位を占めるなど、絶大な人気を得て、1984年最高のヒット曲となり、年末のKBS歌謡大賞とMBC10代歌手歌謡祭の新人賞も、当然イ・ソンヒの獲得だった。個人的な感想を言えば、当時、私は、チェ・ヘヨンと「それは人生」が好きだった。イ・ソンヒと「Jへ」の登場は、少なくとも彼女(チェ・ヘヨン)には不運だった。「Jへ」の人気がどれだけすごいといったら、しばらくして「J あなたは」という類似品が出たこともあった。 (両方の曲とも、イ・セゴン(이세건)が作詞、作曲した歌だ)

■ 1985年、正式デビューとヒットパレード (1集、2集)

「Jへ」ただ一曲で、1984年を自分の年してしまったイ・ソンヒの正規1集は、翌年の1985年の初めに出た。ここで、「ああ!昔よ(아! 옛날이여)」、「葛藤(갈등)」、「少女の祈り(소녀의 기도)」などが相次いでヒットし、彼女は自分の人気が「Jへ」の一回で終わらないことを立証した。その年が経つ前(同1985年)に再度出した2集では、「秋の風(갈바람)」、「ケンチャナ(괜찮아)」、「そうよ過ちは私にあります(그래요 잘못은 내게 있어요)」などのヒット曲が続けて出たし、1986年出した3集でも「分かりたいです(알고 싶어요)」、「暗闇は晴れて(어둠은 걷히고)」、 「Young(영)」などが多くの愛(支持)を受けた。

(□ 1986年 3集)

■ イ・ソンヒ+ソン・シヒョン(송시현)、発展の証明書 4集、そして5集 (4集:1988年)

1988年2月に出た4集は、イ・ソンヒのディスコグラフィーで非常に重要な位置を占めている。ここから彼女の音楽が意味のある変曲点を迎えたのだ。ところで、その変化の糸口を説明する名前の一つがある。まさにソン・シヒョンだ。

1987年「夢みるような世界(꿈결같은 세상)」のヒットで名前を知らせたシンガーソングライター、ソン・シヒョンはこの時からイ・ソンヒのアルバム作業に参加を始めたが、4集でLPのA面タイトル曲である「愛が散るこの場所(사랑이 지는 이 자리)」と、B面タイトル曲「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」を含めて、全4曲が彼の作品である。二人の出会いは成功だった。ソン・シヒョン特有の感受性と叙情性は、イ・ソンヒの声とよく調和たし、以後も、彼はしばらくの間、イ・ソンヒと共にすることになる。

4集で最も高い関心が集まった曲は、「美しい江山(아름다운 강산)」である。韓国ロックの巨人シン・ジュンヒョン(신중현)の名曲をリメイクした「美しい山河」の評価は、多少分かれてるが、概ね編曲と演奏面ではそれほど高い点数を得ることができない。しかし、この曲でさえもイ・ソンヒの歌唱力だけは、非の打ち所がない。また、それまでは大衆的にそれほど大きく知られていなかった同名曲が、イ・ソンヒのリメイクによって、多くの人々から愛(支持)されるようになったので、その功労もまた小さいということはできないだろう。個人的には、4集でユン・テヨン(윤태영)作詞、作曲の「歳月は流れても(세월은 흘러도)」を最も好む。容易で平易なメロディーを持ったこの歌は、たとえ大ヒットではなかったが、ボサノバ風の洗練された編曲が直ちに耳をひきつける曲だ。

■ あちこちに社会性の濃い曲配置した5集 (1989年)

5集は、1989年に出たが、イ・ソンヒはここでまた一歩進んだ姿を見せてくれた。アルバムのあちこちに社会性の濃い曲を配置したのだ。「五月の陽射し(오월의 햇살)」は、80年光州民主化運動(光州事件)の犠牲者の英霊を慰める曲であり、「ひとしきり笑いで(한바탕 웃음으로)」もまた時代の痛みが滲んでいる曲だった。直接的ではないが、歌詞の中に比喩的に隠されたメッセージは、通常の民衆歌謡に劣らず深くおぼろげだった。この他にも、5集は、(ロックバンド)「山鳴り(산울림)」のキム・チャンワン(김창완)が作った二つの曲が収録されており、目を引くのが、同年イム・ジフン(임지훈)によっても発表された「お姉ちゃん(누나야)」と、ハミングとナレーションが続く独特の雰囲気(独白調)の曲「水仙(수선화)」がそれで、キム・チャンワン特有の歌詞とイ・ソンヒの若い張りのある声が調和した「水仙」は、やや実験的な曲である。ソン・シヒョンは4集に続き、5集でも極めて重要な役割を果たしている。アルバムの代表曲である「ひとしきり笑いで」と「冬哀傷(겨울애상)」がまさに彼が作った曲である。

■ 80年代を貫いた名・歌・手  李・仙・姫(イ・ソンヒ)

最近、「私は歌手だ(나는 가수다)」に続いて「覆面歌王(복면가왕)」というTV番組が首都の話題だ。この番組に対して、好き嫌いが交錯しており、個人的には、他の長所・短所を離れて、多くの人々が、次のような点をもう一度考えてみることができようになったのは、大いに励みになる。歌手とミュージシャンは違う。したがって歌が上手なのと音楽を上手なことも全く違う次元の問題だ。もちろん、優れたソング・ライティング能力と歌唱力を兼ね備えて両方をうまくこなした場合、是非の余地はないが、天才的ソングライターだが、歌ができない人もいるだろうし、逆にソング・ライティング能力がないが、歌だけは最高に上手くすることもまたありだろう。私たちは、どちらか一方を無視したり、けなす必要なく、それぞれを認めればそれまでだ。

この大きな課題で、歌が上手ということも一つで定義されるものではないと、異議を申し立て方があることが分かる。正しい。筆者もやはり賛成する。歌手はそれ​​ぞれの個性があり、またそれぞれの歌にふさわしい声やボーカルスタイルもある。唯一の爆発的な声量を持って、高音領域でクールなシャウトを聞かせてくれることだけが歌の上手なわけではない。時には低めの口ずさむことがより優れた瞬間もある。

しかし、すべてのものを考慮しても、これだけは明らかである。イ・ソンヒは、優れた歌手であり、彼女なしでは決して80年代の歌謡を話すことができない。このシリーズを介して再び紹介されるイ・ソンヒの4集と5集は、彼女が活き活きしていた初期を過ぎて、本当によく似合う組み合わせだったソン・シヒョンと会って成し遂げられた発展的成果であり、80年代を貫いた彼女の明確な足跡を確認する、最も明澄な(明るく澄みわたった)証明書だ。
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2012年9月28日金曜日

サンレモ音楽祭

考えてみれば、イタリア好きな方が身近にいるもので、毎週通う健康体操クラスで唯一若いインストラクターはイタリア語を学んでいるという。来週イタリア旅行されるとのこと、何処を巡るのかを知らないけれどサンレモ音楽祭の街、サンレーモはどうなのだろう。
それから、鉱物仲間にも外面は日本人だが中身はイタリア人という人物がいて、イタリアの歌の話になると歌手の名前が次々挙がってくるけれどさっぱり記憶に残らない。

イ・ソンヒとからめて、彼女の誕生した1964年についてサンレモ音楽祭(冬季シーズン)を調べてみると、大賞は ジリオラ・チンクェッティ(Gigliola Cinquetti)とパトリシア・カルリ(Patricia Carli)の「Non ho l'età(夢みる想い)」だった。「ノノリター」の歌いだしの方が、題名よりも印象に残っている。

そうそう、同じく入賞者に「ほほにかかる涙(Una Lacrima Sul Viso)」を歌ったボビー・ソロ(Bobby Solo)、フランキー・レイン(Frankie Laine)がいる。ボビー・ソロの歌声が懐かしい。当時の日本では、ヨーロピアン・ポップが普通に流行っていたものだ。

(Youtubeに登録のyougakumusic1に感謝)

ところで、なぜ2人受賞なのだろうと同音楽祭の受賞者のリストを見れば、例年2人受賞が並んでいる。イタリア人と外国人歌手の組み合わせという*。

(*)参考:ブログ「cnz27hrio」、ブログ「日本盤ジャケット(ドーナツ盤)にみる Pops の歴史」に感謝。

(本ブログ関連:"イタリア")

2011年10月10日月曜日

「カンホンの歌手列伝」 イ・ソンヒ

東亜日報(donga.com)の記事「[カンホンの歌手列伝] <14>イ・ソンヒ」(10/10)には、大衆音楽評論家のカンホンが言葉をたくみに駆使して、イ・ソンヒの全貌を次のようにまとめている。

・(発声が)爆発的であると同時に魅力あふれる叙情性を兼ね備えた、当代のボーカリスト、イ・ソンヒは、1984年の江辺歌謡祭に「Jへ」でシンデレラの夢をかなえた後、2005年に13番目の正規アルバム「四春期」(現在14集「愛よ...(사랑아)」:2009年)に至るまで、チョー・ヨンピルの対称点に​​立って、韓国の主流大衆音楽の栄光を謳歌してきた。「思い出のページをめくれば」が収録された6集(1990年)を境に絶頂期を過ぎたというが、彼女が1990年代と2000年代に発表した7枚のアルバムは、"スター"イ・ソンヒから"音楽家"イ・ソンヒに成熟して行く意味深い足取りの片鱗を惜しみなく見せる。

・チョー・ヨンピルとキム・ヒョンシク、そしてイ・ムンセがそうであったように、イ・ソンヒに1980年代は絶頂の時代であった。・・・若い女性ミュージシャンを輩出した音楽の登竜門だった江辺歌謡祭が、やぼったいパーマ頭で背の低い(しかし大賞を受賞した)ボーカリストに驚きを禁じえない視線を送った1984年のその年に、イ・ソンヒは、すぐに頂上圏のスーパースターへと急上昇する。

・作曲家ソン・ジュホが全曲を担当し、「ああ!昔よ」と「葛藤」のようなヒット曲を放った彼女のソロ・デビューアルバムは、・・・若さの躍動とさっぱりしたテンポがいきいきする、当時の10代の感情を端的に代弁するアルバムに浮上した。

・「お姉さん部隊」と呼ばれた10代の受容層が、韓国の大衆音楽市場のヘゲモニーを掌握していった1980年代半ばに、少女ファンたちからの持続的な熱狂を受けることができたほぼ唯一無二の存在だったイ・ソンヒの武器は、平凡で身近な隣のお姉さんのようなボーイッシュなイメージの中に潜んでいるカリスマ濃厚なボーカルだった。1986年が暮れていった冬に発表した3集と、2年後の四番目のアルバムは、解放感とほのかな懐かしさを同時に描写することができるイ・ソンヒのボーカルの圧倒的な余韻をそのまま見せてくれる、彼女の初期の決定版だ。彼女は伝統的に韓国の女性ヴォーカリストたちが駆使してきた豊かな感情移入の歌唱法をもとに、バラードへ躍動する新しい時代の息吹を吹き込んだし、「ヨン」と「美しい江山」のリメークで示したように、ビートのあるロックンロールのシャウティング唱法まで効果的に駆使する。

・作詞作曲の名コンビであるヤン・インジャ - キム・ヒガプによって誕生した、「分かりたいです」という無駄のない簡潔な楽譜の行間で、幼い淑女が少女漫画のように抱いていた切ない感情をこのように切実に訴えるボーカルは、その前後(の時代)に見つけるのは難しいだろう。このパターンは、洗練された音楽のドラマツルギー(Dramaturgie、劇的構成法)を持つ「愛が散るこの場所」と「私はいつもあなたを」などの名曲を作曲したソン・シヒョンをともなって、絶頂の花を咲かせる。

・イ・ソンヒのボーカルは、暖かいながらも、強靭な女性のエネルギーを抱いており、西欧的な発声の中でも、東洋的な静寂美が流れる。彼女のディスコグラフィーで最も挑戦的だった8集でキム・ヨンドンの「小船」や「ハンネの別れ」をリメイクしたファン・チョンウォンの詩にキム・ヨンドンが曲を付けた「あなたに会いたい時は」や、キム・ジハの詩の「あるおばあちゃんの極楽」、そしてどのような愛の歌よりも美しく、親しみやすい「いつも愛してる」を歌った時のイ・ソンヒは、ブラウン管とコンサートのスーパースターの枠組みから抜け出して、より深く広い音楽の世界に飛翔する。

・イ・ソンヒという名前は、栄光と絶望が交差する韓国女性ミュージシャンの歴史の巨大な注釈点のようだ。1994年9集の興行惨敗は、彼女の音楽履歴で最も危機だったにもかかわらず、彼女は決して挫折しないで、「因縁」と「バラ」という傑作を作ったシンガーソングライターとして、そして、成熟した女性に衣替えした2005年の傑作「四春期」(13集)のアルバムを、私たちの手に抱かせてくれた。

・イソンヒ、彼女は歌手だ。いつかインタビューで言ったように、彼女は専門的な音楽人になる遥か前から、話よりも歌を通じて歌を歌って自分を表現し伝達することがより楽だと思っていたような人だ。彼女は言った。「同じ歌を歌っても、私には何か悲しい力のようなものがあった。」 かすかだが強力な悲しみの力。それがイ・ソンヒ音楽の要約だ。

イ・ソンヒの写真解説:
デビュー時からカリスマと柔らかさを同時に抱えたイ・ソンヒは、1980年代の"お姉さん部隊'を導いた、ほぼ唯一の歌手であった。彼女の声は、暖かいながらも、強靭なエネルギーが感じられるという評価を聞く。 東亜日報DB


(追記)
山中湖の湖畔南東側で地震が発生した。気象庁発表の【震源・震度に関する情報】(平成23年10月10日3時4分)によれば次の通り。(なんと、富士山の麓だ!)
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きょう10日03時00分ころ地震がありました。
震源地は、山梨県東部・富士五湖(北緯35.4度、統計138.9度)で、震源の深さは約10km、
地震の規模(マグニチュード)は3.3と推定されます。
[震度3以上が観測された地域] 震度3 山梨県東部・富士五湖
[震度3以上が観測された市町村] 震度3 山中湖村
この地震による津波の心配はありません。
情報第1号
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