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2012年9月15日土曜日

キム・ジョンホの「見知らぬ少女」

心と体を深く病んだ歌手キム・ジョンホ(김정호、1952年3月27日生まれ)が、肺結核のため短い生涯を終えたのは33歳と8ヶ月の1985年11月29日のことだ。その彼の代表曲「見知らぬ少女」(1974年)を知ったのは、ケイ・ウンスクのコンサートビデオ(1997年、新宿厚生年金会館)の中で歌われたことからだった。

(本ブログ関連:"キム・ジョンホ")

耳にいつまでも残る、しっとりとした憂いのある曲調のこの「見知らぬ少女(이름모를 소녀」を、Youtubeにある彼の声で聴いてみよう。
(Youtubeに登録のshvalueに感謝)

キム・ジョンホについて、Daumミュージックに掲載のユン・ホジュン(윤호준)の「世界を変えた歌9弾 -キム・ジョンホの"見知らぬ少女"」(2011.9.20)に次のように語られている。(一部抜粋)
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・「見知らぬ少女」には、実にキム・ジョンホの全てが含まれていた。ポップの一般的な進行形式に従わぬ曲構造、ギターのゆるやかなリズム、曖昧ながらも神秘的なバース(verse:節(ふし))のメロディ、途切れそうな切々たるリフレイン、うっすら感じさせる民謡あるいは国楽の香りが、互いを密かに共有した。曲をこのように切なくさせた彼は、舞台の上で大きな目をそっと閉じた。自分への没入、悲しみの極限に向かって突き進む姿であったし、今まで歌謡史で見られなかった姿だった。ビョン・ジンソプとシン・スンフンとユン・ジョンシンの音楽的先祖にキム・ジョンホを直ちに結びつけるのは無理があるだろうが、少なくとも情緒的側面で彼は韓国バラードの原形を提示した人物であることに間違いない。

・曲の前奏をあふれ満たす弦楽合奏が最近バラードにも同じように使われるという事実を勘案する時、「見知らぬ少女」は音楽的にもバラードの先輩の役割をする。・・・
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(本ブログ関連:"バラード"、"(資料)ユン・ホジュン「世界を変えた歌36弾-イ・ソンヒ"Jへ」")

2012年9月14日金曜日

天地真理の「恋する夏の日」

秋に入ったというのに、最高気温は30℃を下る気配はない。夏はとうに過ぎても、真夏日というこの名の暑さは一体いつまで続くのだろう。
近所にある植木園のサルスベリ(百日紅)は、なんとも中国風の紅紫の花弁が密集する時期は過ぎて、白く脱色されたような花が強い陽射しにもめげず所々に残っている。もしかすると、残暑に咲く種類なのかもしれないが。

まぶしい陽射しは健康的だし、そんな夏を歌った曲も健康的だ。
天地真理の「恋する夏の日」(1973年、作詞:山上路夫、作曲:森田公一)は、若さと健康さが同等であった時代の歌だ。テレビのブラウン管に映し出された彼女の溌剌とした姿は、近所のお嬢さんであり、お姉さんであった。新鮮で愛くるしかったその声は暖かく、まるで幼稚園の先生でもあり、保育園(所)の保育士でもあった。
今の彼女は、ヘウニ以上に変貌したけれど・・・。

(Youtubeに登録のtippu1958に感謝)

2012年9月13日木曜日

(資料)486世代

イ・ソンヒが当てはまる韓国の386世代について関心を持っている。ただし、彼女の行動と、386世代の持つ独特のイメージが同じであるというつもりはない。あくまで、世代の区切りとして見てみたい。

386世代には先鋭的なイメージがあったが、現在は社会的な中心に位置づけられている。彼らの動向は、今後の政治、経済に大きな影響を与える基点となるだろう。彼らは486世代と呼び変えられ、その存在について朝鮮日報は次のように報じている。

記事「働き盛りなのになぜ?職場追われる韓国の40代」(パク・ユヨン記者、2012/09/13)より。
・(40代社員のリストラと再就職から起業計画への事例)
・韓国社会の主軸だった「486世代」(40代で、80年代に大学に通い、60年代生まれの人)が景気低迷のあおりで職場を追われている。統計庁は(9月)12日、8月の就業者数が前年同月比で36万4000人増えたが、40代は7000人減少し、3カ月連続の落ち込みとなったことを明らかにした。

■486世代の就業者、金融危機以来の減少
・8月の就業者の増減を年齢別に見ると、30代、50代、60代以上は前年同月に比べ増えたが、20代(9万8000人減)と40代は減少した。20代の減少は既に傾向として定着し社会問題になっているが、40代の減少は新たな現象だ。

(本ブログ関連:"(資料)40代の変化"、"(資料)40代の変化-2"、"(資料)ソウル市長選挙に見る世代別背景")

バナナオーレ

きのう、これもスーパーいなげやで購入した、伊藤園の190mg缶ジュース「バナナオーレ」(乳飲料、果汁1%)については、既にブログに記したと思っていたが、夕方冷蔵庫から取り出して飲みながら、ブログを確認したら未だなのに気付いて、あわてて記載する。

手のひらサイズの金属缶に入ったバナナオーレは、生乳(70%使用)のまろやかさもあり、甘過ぎず、濃すぎず調度よい。何より適当にバナナ風味もあり、量も(物足りないかなと次を期待したくなるように)ほどよい。
飲んだ後、喉の奥をイガイガさせるバナナ独特の食味もあってなかなかリアルだ。

バナナ味の巡礼はまだまだ続く。

(本ブログ関連:"バナナ味")

バナナアイスバー

バナナ味の出会いは続く。昨日、農工大前にあるスーパーいなげやで買った森永社製アイスバー「チェリオCheerioチョコバナナ」(アイスミルク、果汁5%)を冷蔵庫から取り出す。よく冷えている。
朝っぱらからアイスバーを食うのは、このブログの<バナナ味の巡礼>のためで・・・。

さて、このアイスバーは、3層構造で中心に生チョコ(「隠し味にブランデーをいれたやわらかいチョコ」)、その周りをバナナ味のアイス(「チョコとの組み合わせがおいしいバナナアイス」)、そして外側を固いチョコ(「ピーナッツを混ぜ込んだビターチョコ」)でコーティングした、手の込んだものだ。
バナナ味は口にした最初だけ感じるものの、次第にチョコの甘さに頭がキンキンしてくる。まさに子ども菓子にピッタリ・・・子どもって相変わらず、こんなに甘~いのが好きなんだろうね。
このバナナアイスバー、生チョコとピーナッツチョコの挟み撃ちじゃ~!って感じだ。

バナナ味の巡礼はまだ続く。

(本ブログ関連:"バナナ味")

(付記)
ところで、このアイスバーの名前に「チェリオCheerio」が使われているが、むかし懐かしい学生時代にお世話になった、安くて量に富んだ飲料水を思い出す。こんなことがあった。学生会館にいたとき、突然サイレン音がした。何事かと騒がしい現場をのぞくと、ある学生がチェリオの自動販売機の取り出し口に手を突っ込んで抜けなくなったらしい。消防隊、救急隊に助け出されたのだろうけど、結末は知らない。
アイスバーと飲料水が同じ名前ということから、両者に何か関係でもあるのだろうか。

2012年9月12日水曜日

思い出のページをめくれば

今から10年ほど前の2003年、当時の30代が記憶する最も印象的な歌であり、ファンが「最もイ・ソンヒらしい曲」と感じるという、彼女のアルバム6集(1990年)に所収の「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(作詞・作曲:ソン・シヒョン)を聴こう。

2004年、デビュー20周年を記念して世宗文化会館大劇場でイ・ソンヒの歌う姿は、Youtubeの数々の映像の中で最も輝かしいものである。

(本ブログ関連:"思い出のページをめくれば")



(Youtubeに登録のpops8090に感謝)

2012年9月11日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 趙相賢

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/5)に、人物シリーズ44回目としてパンソリ(판소리)の名唱、趙相賢(チョ・サンヒョン、조상현、1939年~)を紹介した。
(ところで番組ホームページにあるリンク先音源は「人物シリーズ」#39のもののようだが・・・)

メディアの中での国楽の現状について紹介から始まった。
・最近の韓国は、国楽を扱うテレビ番組はほとんど見当たらない。ラジオ番組も数えるほどしかなく、唯一国楽専門のラジオ局があるだけで、そこで細々と国楽の伝統を守っているのが現状である。30年ほど前には、テレビやラジオで毎日のように興甫伝(フンブジョン)や春香伝(チュニャンジョン)など伝統的なパンソリを物語とした唱劇が、連続ドラマのように何回にも分けて放送されたという。
・メディアでパンソリが華やかな時代に活躍した歌い手の一人に趙相賢がいた。

▼趙相賢によるパンソリ「春香歌(춘향가)」の中から「赤城歌(チョクソンガ(적성가)」を聴く。李夢龍(이몽룡)が南原の楼閣(広寒桜)で景色を眺めて・・・熱く熱く語る。

パンソリのよい歌い手の条件について解説された。
・昔、パンソリを体系化した学者申在孝(シン・ジェヒョ、신재효、1812年~1884年)が、よい歌い手の条件として次の4つを挙げた。
▽ 一つ目は「人物」。歌い手の見目形の意ではなく、観衆が好感を持てる顔であったり、パンソリの内容に合わせて、自由自在に表情を変えらるといった面で、人物が重要という。
▽ 二つ目は「語り」。
▽ 三つ目は「声や歌い方の美しさ」。パンソリの物語を、歌詞やメロディー、長短(リズム)で、正確に声で表現することは当然、登場人物の心情変化などをその中に込めることが重要という。
▽ 四つ目は「演技力」。パンソリは一人音楽劇であるため、演技力は無視できない重要なポイントという。
・趙相賢は、この4つの条件を全て備えた歌い手で、背が高く、がっしりとした体型で、春香歌の李夢龍役にまさにぴったりだったという。

次のように趙相賢のプロフィールが紹介された。
・10歳から歌を習う傍ら、近くのソダン(서당:寺子屋)で漢文を学ぶ。その結果、漢文の多い難しいパンソリの歌詞を正確に、その意味を理解し、伝えるように歌うと評価されている。

▼趙相賢によるパンソリ「沈清歌(심청가)」の中から「沈清の盲いた父が慟哭する題目(심봉사 통곡하는 대목)」を聴く。失意に唸り振り絞るように歌う。

プロフィール(続き)
・その後、赤壁歌(チョクビョッカ、적벽가)、興甫歌(フンボガ、흥보가)を学ぶ。趙相賢がパンソリを学んでいた時代、全国的に普及し始めたテレビではパンソリを放送する固定番組が多かったという。

▼趙相賢による短歌(단가)「四季歌(사철가)」を聴く。 漢詩的世界、素養がなければ意はつくせそうもないのかな・・・。

2012年9月10日月曜日

日没

東京天文台の歴計算によれば、東京の日没は最遅くて19:01。それが次第に時間が上る。つまり暗くなるのがはやくなるわけで、今日も気付けば夕方に慌てて玄関の明かりをつけた。
昼間は相変わらず夏の陽射しを残して、気温も30度を下がらずにいる。一見夏が続いているようだが、すでに秋なのだ。だから、それに気付いたときに驚くことになる・・・いつものことながら。

東京(東京都):Tokyo
2011___________  2012__________
2011.07.01  19:01  2012.07.01  19:01
2011.07.10  18:59  2012.07.10  18:59
2011.07.20  18:55  2012.07.20  18:54
2011.08.01  18:46  2012.08.01  18:45
2011.08.10  18:37  2012.08.10  18:36
2011.08.20  18:25  2012.08.20  18:25
2011.09.01  18:10  2012.09.01  18:09
2011.09.10  17:57  2012.09.10  17:56

2012年9月9日日曜日

サマータイム

先日(8/19)、本ブログでコーラスグループ、サーカスの「Mr.サマータイム」(1978年)を聴いた。そこで、今日はサマータイムに合わせて、ジョージ・ガーシュウィン(George Gershwin、1898年9月26日~1937年7月11日)のオペラ「ポーギーとベス(Porgy and Bess)」(1935年)から「サマータイム(Summertime)」を聴こう。

小さな漁労の船着き場で、夫の帰りを待ちながら赤子に歌う母親の子守唄。Youtubeに登録の映画(Samuel Goldwyn、1959年)版は画面の色調が暗く、歌は切ない。明るい陽を浴びて底抜けに陽気な夏のイメージとはほど遠く、その日その日を精一杯働くひとびとの生活を想い感じさせる・・・といっても、この映画を見たわけではないので、安易な感情移入はご法度。

昨晩、NHKの番組「SONGS」で、ノラ・ジョーンズ(Norah Jones)が特集された。生い立ち、デビューそのものがドラマチックだし、独特な発声にひかれる。番組では歌われなかったが、彼女の「サマータイム」を聴いてみる。先日のラジオ番組では、カントリーとの関係が強調されていたが、この歌のように、ちょっと甘くてアンニュイなジャズがいいかもね。

(Youtubeに登録のlomonacodimitri、westdensに感謝)

2012年9月8日土曜日

イ・ソンヒの「少女と街灯り」

舌癌に倒れた兄(歌手チャン・ヒョン)の看病に疲れた、シンガーソングライター、チャン・ドク(장덕:1962年4月21日~1990年2月4日)は、兄より半年先に悲しい最後を遂げた。

彼女の追悼記念LPアルバム(1990年6月)に収録された、彼女の作詞・作曲した「少女と街灯り(소녀와 가로등)」を、Youtubeに登録されているイ・ソンヒの歌で聴いてみよう。

< 星ひとつない静かな夜、街灯の青白い明かりに少女は何を想うのだろうか >

なお、アルバム「イ・ソンヒ/チャン・ドク/チャン・ヒョン競唱(이선희/장덕/장현히트곡경창)」(1993年)にも同曲が収められている。


(Youtubeに登録のcarcass1178に感謝)

2012年9月7日金曜日

白露2012

今日は、二十四節気の(立春から数えて)15番目の「白露(はくろ)」である。白露の時季といっても露が草葉に着いた光景を、正直思い出せない。露といえば、むしろ夏の高原で、早朝の朝陽を受けて草花の上で輝いている記憶の方が強いかもしれない。

まだまだ暑さが残る小金井公園で、木立の合間を通り抜ける風に涼をとりながら、ベンチに座って書を読む。のんびりと緑陰の読書なのだが・・・やがて、知らぬ間に薮蚊が肘を刺す。そうなれば退散の時期だ。遠目には穏やかな読書姿に見えるかもしれないが、結構虫に襲われる。

ところで、小金井公園にはどうしてカラスが多いのだろう。野川公園では僅かしか目にしない(鳴き声も聞こえない)のに。

2012年9月6日木曜日

竹刀(しない)

天気予報によれば、熱暑はまだ続くようだが、ツクツクボウシの声が聞こえなくなったし、朝晩の水道水もヒンヤリしてきた。そろそろ夏は終わりのようだ。

武蔵小金井駅そばの農工大通りに、前から気になっていた剣道の武具店がある。実は、竹刀の小刀がないものかと先日のぞいてみたが、残念ながら置いてないという話だった。ありがたいことに何とその場で、竹刀の先端を切り落として小刀を作ってくれたのだ。感謝。

ところで、なぜ竹刀かって。実は、家にあった掃除に使う棒を竹刀のように上下に素振りしたところ、よろよろと揺れながら下りたのだ。いうまでもなく、筋力のバランスがとれなくなっていたのだ。そこで、家の中で素振りしても大丈夫な小刀の竹刀を探した・・・というわけだ。

持ち帰って、部屋の中で振り回しているが、いつまで続くものか。庭に出てやってもいいのだが、ちょっとはずかしい?

2012年9月5日水曜日

イ・ソンヒの「離別小曲」

イ・ソンヒが、1998年のアルバム11集以来3年振りに、2001年3月26日リリーズした12集「MY LIFE」所収の名曲「離別小曲(이별 소곡)」(歌詞)は、いつも常に傍らにいた人を失った想いを歌う、自伝的要素を持ったものともいわれている。

Youtubeの映像は、聴衆が舞台下の観客の立場から、彼女の歌の世界に引き込まれていった様が見受けられる。

(本ブログ関連:"離別小曲")



(Youtubeに登録のdove2727に感謝)

2012年9月4日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 クリム(The林)

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/29)に、人物シリーズ43回目としてフュージョン国楽グループ・クリム(그림)を紹介した。

クリム誕生の紹介から始まった。
・1985年、音楽団体スルギドゥン(슬기둥)が初めて、大衆歌謡形式の国楽曲の発表を機に、2000年代に入り若い音楽家たちの手で本格的に<フュージョン国楽>という分野が確立され、その流れの中でクリムが誕生した。

▼クリムの演奏による「路戯(길놀이)」*を聴く。洋楽(器)と融合すると、固有の大地の響きより広い響きがしてくる・・・聞く耳、聞きたい耳、聞かせたい耳が集まる。
(*)むかし、本格的に演奏を始める前に、関心を集めるため演じたものと解説が加えられた。

クリムというグループの説明の続き。
・2001年1月 打楽器演奏家兼、作曲家のシン・チャンニョルの呼びかけで、国立国楽高校の同級生の、コムンゴのパク・チャンユン、カヤグムのチョン・ヘシム、ヘグムのキム・ジュリなどにより結成された。
・伝統的音楽だけに没頭してきた演奏家たちにとって、全く新しい世界だった。
・伝統音楽を教えてきた先生たちからは激しく叱責され、その存続が危ぶまれる時期もあった。紆余曲折を乗り越え、伝統的な国楽公演ホールではなく、若者たちの集まる空間を主な演奏場所とて育った・・・という。

▼クリムの演奏による「歌客(가객)」を聴く。西洋宗教音楽風に響かせて始まる。やがて中東のイメージがして・・・いろいろ試行錯誤の一つだろう。

クリムの名称(語義)について次のように解説された。
・グループ名クリムの正式表記は、英語冠詞「The」と漢字「林」を合成した「The林」で、「その林」を意味する。韓国語「その=ク(그)」と漢字「林=リム(림)」を合わせて「クリム」と呼んでいる。
・伝統音楽の<林>の中で、若者たちの感性に合った音楽を生み出し、そこから新しい<林>を作り出す若い演奏家たちをイメージした名前・・・とのこと。

▼クリムの演奏による「Cool Running」を聴く。若者に受け入れられる音楽、新しい音楽、として聞かせていただいた。

(補足)
・現在メンバーは、シン・チャンリョル(신창렬:作曲、パーカッション)、コ・ソクジン(고석진:作曲、ギター)、キム・ジュリ(김주리:ヘグム)、パク・ウジン(박우진:ベースギター)、シン・ヒョンジョン(신현정:作曲、ピアノ、シンセサイザー)、チョン・ヘシム(정혜심:カヤグム)、チョン·ジンウ(정진우:テグム、テピョンソ)が一緒に活動している。

2012年9月3日月曜日

ドルニエ228の鼻先

ほんのちょっと似てるだけのはなし・・・。
調布飛行場で見たNCA(新中央航空)所有の高翼双発機ドルニエ228の鼻先が妙に気になって・・・何んだか似てるなあと思ったのが、新幹線700系先頭車両のノーズ形状だ。

(本ブログ関連:”調布飛行場”)

地上から見上げて気付かないが、Youtubeの映像では、若干俯角にドルニエ228の鼻先が見えるのでわかりやすい。
(Youtubeに登録のzakianateiに感謝)

今日はそれだけのはなしです。

2012年9月2日日曜日

イ・ソンヒのプロフィール

イ・ソンヒのプロフィールについて、インターネット上に記された情報を紹介してきた。

そこで、本ブログ画面の左側にある「ブログ本文&資料」>「資料:이선희 Profile」のページに、関連する過去の本ブログ記事を転載した。
ただし、彼女の生い立ちを追って(情報源を確証しつつ)作成したわけではないので、内容に重複したり矛盾するところがあるかもしれない。

彼女の生い立ちに沿って、過去の本ブログ記事を修正することなく、順次記事を転載していく予定。


(付記)
東大駒場の博物館で、展示「石の世界」(7月21日~9月17日)を開催している。昼に田園都市線に乗るため、昼前の30分ほどの短時間で観覧しようとしたが・・・1階の岩石展示場を見るだけで終わってしまった。あらためて、2階の鉱物展示場を訪れなければならない。
・展示品(岩石・鉱物)一覧のプリントが置いてあった。
・展示パネル内容のプリントが置いてあった。・・・他の博物館でも願いたいサービスだ。

2012年9月1日土曜日

Those Lazy-Hazy-Crazy Days of Summer

朝から曇り空。あやしい天候は、やがて昼頃に通り雨となって、辺りに激しい雨音を繰り返し響かせた。いっとき涼むものの、湿気の多い蒸し暑い空気が戻ってくる。

さて、今日も「クレイジー」でいきましょう。ナット・キング・コール(Nat King Cole、1919年~1965年)が没2年前にヒットを飾ったうちのひとつである、「Those Lazy-Hazy-Crazy Days of Summer」(1963年)はどうだろうか。

若いってクレイジーだから、だらだらと、ぼ~っとした夏の陽射しの中に飛び込んでいく・・・めざす娘(こ)がいれば最高。そんな夏がいつでもいてくれたらなんて願ったりして。このくそ暑い夏にだよ。

いっそ冷や水を浴びたいね。いつまでもだらだらとこんな夏が続くなんて。・・・でも、冬はもっといやだよ。

(Youtubeに登録のchargertomに感謝)

(本ブログ関連:"ナット・キング・コール")

2012年8月31日金曜日

クレイジーラブ

最近、トタン屋根を見ない。陽に焼けた屋根の上で泣く猫を見ることもない。暑さにみんな逃げ出した。わたしも、駅のそばのマクドナルドで涼をとることにする。ここは冷風がきついので、ホットコーヒーのMサイズを頼む。店内に親子連れが、それも父と子が結構いた。幼い子の「おいしいねえ」という声が聞こえてくると、何だか心が和む。そんな、のんびりした避暑とは別に・・・。

昨日の「クレイジーホース」のクレイジーつながりで、今日は恋狂い(恋に夢中)の歌、ポール・アンカ(Paul Anka)の「クレイジーラヴ(Crazy Love)」(1958年)を聴こう。ああ歳をとると、このクソ暑いときに、クレイジーラブといっても暑苦しい・・・と思うようになってしまった。他方、若者は元気で良い。

ポール・アンカは視覚的というより、どちらかといえばラジオで聞いた聴覚的な存在だった。だから、この歌はYoutubeで、静止画の方が似合っている。
ところで昔、写真で見た彼の容姿から、てっきりイタリア系だと思っていた・・・。

(Youtubeに登録のJunievelascoに感謝)

2012年8月30日木曜日

クレイジーホース

今日も一日暑く、外出すれば吹き出る汗でシャツが濡れてしまい、乾かす場所を探すのに大変だった。
 
最近、外出のヒントをいろいろと与えてくれる親類の紹介で、今夕Bunkamuraのル・シネマに映画「クレイジーホース・パリ」(監督フレデリック・ワイズマン:Frederick Wiseman)を見に出かけた。
 
谷底にある渋谷の街は、暑いうえに若者たちの人混みと熱気で息苦しい・・・本当に。
 
上映時間まで間があるので、Bunkamuraのザ・ミュージアムで開催のロシア革命前の画家「(イリヤ・)レーピン(Илья́ Ефи́мович Ре́пин)」展を観覧する。惜しいことに、彼の代表作*のほとんどは出展されていない。せめて今回提携のトレチャコフ美術館所蔵の(まるで広角レンズで映じたような大衆のどよめきが聞こえる)ダイナミックな「クルスク県の復活大祭の十字行」が展示されていたら。
(*)「ヴォルガの舟曳き」、「トルコのスルタンへ手紙を書くザポロージャ・コサック」(共にロシア美術館所蔵)
 とはいえ、現物のデッサンを間近に見て、どうしてこんな筆致に描けるのだろうと感嘆するばかり。
 
そんな、ボルガの船曳きに代表される、ロシア革命前の苦難の時代からいきなり、現在のパリの別世界「クレイジーホース」に飛び込んだわけだ。題名のクレイジーホースは、紳士淑女や観光客の目を楽しませるパリのナイトスポットである。
 
正直いって、イ・ソンヒとは全くの別世界で・・・戸惑いっぱなし。
 
映画の中のダンサーの会話、制作者たちの議論をとらえたドキュメンタリー手法は、観客にいろいろと考えさせるのだろうが・・・残像にあるのは、おじさんとしてはダンサーのヒップ(お尻)とウェスト(腰)だけだ、やっぱり。
 
クレイジーホースの総支配人は、シルクド・ソレイユで12年間働いたそうで、そのあたりから、同舞台の監督をつとめたフィリップ・ドゥクフレ(Philippe Decouflé)**との縁があったのだろうか。
(**)ドゥクフレは、何と31歳の若さで、1992年のアルベールビル・オリンピックの開会式・閉会式の演出を担当している。当時の映像をYoutubeで見ると、演出にシルクド・ソレイユのイメージが重なる。
(Youtubeに登録のplaythefutureに感謝)
なお、彼に関する情報および来日の契機と関わりについて、親類からいろいろ話を聞いている。
 
映画の前半に、ドゥクフレはおおいに持論を語っていたが、後半になるとそれがどんどん少なくなっていった。(単に編集の都合ということだけとは思えない)
ダンスの「演出」という監督者のドゥクフレと、若手の「芸術監督」のアリ・マフダビとの関係が気になる。それは、彼らの役割・仕事の分担というだけでなく、人生の立場と考え方について・・・。
 
ドゥクフレが、アルベール・オリンピックの開・閉会式の演出を周りから任されたときのように、若手の芸術監督に対するものがあったのではと推測したが考えすぎだろうか。現在、50歳のドゥクフレと38歳の芸術監督アリ・マフダビの間柄だ。
 
アートの現場と同時にいろいろな人生も垣間見えたようなドキュメンタリーだ。


(付記)
クレイジー・ホースの名から、米国のネイティブ・インディアンのオグララ・スー族の戦士で英雄である「クレイージー・ホース」(Crazy Horse、1843年~1877年)を思い出す。彼がシッティング・ブル(Sitting Bull)とともに、インディアン掃討を図る米国第7騎兵隊のカスター将軍(George Armstrong Custer)以下を、1876年6月25日にリトル・ビッグホーン(Little Bighorn)で全滅させたことは、子どもの頃に西部劇映画の洗礼をうけた者なら知らない者はいない。

(補足)
茶の間のテレビ番組でも西部劇中の騎兵隊は容赦なかった。それが道義上許されなくなると次に登場したのが、第二次大戦の戦争もの(例えば「コンバット」(Combat!、1962年~1967年))だった。そこでは、米兵の銃弾に ドイツ兵が、まるで西部劇を繰り返すように次々もんどりうって倒れた。
ちなみに、イ・ソンヒの生まれた1964年に上映された映画「シャイアン」(Cheyenne Autumn)は、時代の風潮をうけて、以前の西部劇とは違った視点で作られるようになった頃のものだ。

(本ブログ関連:"映画の記憶")

2012年8月29日水曜日

イ・ソンヒの「一輪菊」

イ・ソンヒのアルバム9集(1994年)の第一曲目に所収の、アルバムタイトル曲でもある「一輪菊(한송이 국화)」(作詞チェ・ユジョン、作曲ヤン・ムンソン)がYoutubeに登録されているので聞こう。

既に記したものと重複するが次に記す。
黄色い花びらの一輪の野菊を眺めるとあなたを想うよと、東洋的な余韻をもって始まるものの、すぐにロックスタイルに力強く展開する可愛らしくも元気な歌だ。そう、照明の色も・・・。
ある意味、彼女の変曲点でもあった、伝統音楽(国楽)と接点をもったアルバム8集の次にチャレンジしたのが、このアルバム(9集)だったわけだ。
ところで、彼女は高校時代にハードロックに凝っていたという・・・なるほど。

(本ブログ関連:"一輪菊")



(Youtubeに登録の526apolloに感謝)