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2015年7月22日水曜日

イ・ソンヒの「思い出のページをめくれば」

イ・ソンヒが、昨年(2014年)のデビュー30周年記念コンサート(世宗文化会館)で歌った、6集所収の「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年、作詞・作曲ソン・シヒョン)は、彼女の音楽人生の深さを示すものだが、研ぎ澄まされ、洗練された響きを感じさせる。歌の終わりとともに会場から湧き上がるどよめきは、熱狂するためでなく、感動を受けるために来た観客のものだ。

(本ブログ関連:”思い出のページをめくれば”)

この歌には、始めから彼女の思い入れがある。27歳当時の彼女の回想録、「(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー『10.それが歌なの 発声練習では』」から、歌手としての自覚と試行を感じとることができる。・・・2014年1月15日の本ブログに掲載。
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・時折、私に向かって「それが歌か、発声練習では」と厳しく批判する人もいる。認める。(イ・ソンヒの歌唱の特徴として)私の歌が主に高音域中心であるから。

・それで、6集「思い出のページをめくれば」では、トーンをかなり低く下げた。偏狭な考えかも知れないが、6集くらいで満足できなければ、私は致し方ない。世の中のすべての人を満足させる能力は私にはないので。

・私はそれなりに情熱と誠意を尽くして歌う。全身に力を集中して「熱唱」する数年・・・いつのまにか私の手の平にはタコができた。私も知らない新しいマイクを握った掌中に力が入っていたようだ。

・私の名前の前に「歌手」という接頭辞がつき始めて以来、私は実に多くの仕事を経験した。
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「思い出のページをめくれば」は大変美しい曲だ。Daumミュージックに掲載のスペシャル企画連載「レジェンド・プロファイル16弾-イ・ソンヒ」(ムン・ジョンホ、2011年12月8日)は、その音楽性の高さについて次のように語っている。・・・2012年10月24日の本ブログに掲載。
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・1990年代にイ・ソンヒが残した成果の中で最も素晴らしいアルバムは1980年代の方法論をより一層完成度あるように実現した「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年、6集)である。クラシックの旋律を加味して気品を高めることに肯定的な影響を及ぼした 「思い出のページをめくれば」とブルースを試みた「懐かしさは去って」、イ・ソンヒ特有の迫力を感じることができる「懐かしい国」などが入れられた「思い​​出のページをめくれば」は1990年代だけでなく、全体の結果を見てみても断然引き立って見える。
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ゆらぐる、思い出のページをめくれば
ああ、遂に果たせなかった悔しさと侘しい贖罪が

*むかしのことのように、ぼんやりとかすむ窓枠の塵(ちり)のように
ああ、胸に積もるよ、今は遠ざかったあなたの微笑みのように

雨風がなくても春は来て夏は行く
ああ、あなたよ・・・涙がなくても、花は咲き葉はやがて散る

ああ、あ~、わたしに残った懐かしい、歳月を浮かべて、眠りにつくよ、夢を見るよ

(* 以下繰り返し)

眠りにつくよ、夢を・・・見るよ・・・

(Toutubeに登録の도미정に感謝)

2015年12月10日木曜日

イ・ソンヒの「思い出のページをめくれば」

ホワイトペーパー記事、「【ウォークマン ◀ プレイ】 イ・ソンヒなしに 8090を論ずるな! 『思い出のページをめくれば』」(12/7、パク・ジンヒ記者)は、イ・ソンヒの6集に所収の「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年)が、懐古ドラマ(「応答せよ1988」)の舞台や他歌手(リナ・パークなど)にカバーされたことを通して、時代を戻りながら次のように触れている。(抜粋)

(本ブログ関連:”思い出のページをめくれば”)

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16枚の正規アルバムと18枚の非正規アルバム。各種編集アルバム参加のみ69回。デビュー30年目の歌手イ・ソンヒの数字だ。1980~1990年代の大衆文化でイ・ソンヒを抜きにして指標はないほどだ。

「思い出のページをめくれば」は、1990年8月に発売したイ・ソンヒ6集タイトル曲である。イ・ソンヒのヒット曲「懐かしい国(그리운 나라)」も同アルバムの収録曲である。当代最高の作曲家ソン・シヒョンが作詞・作曲にすべて参加した。イ・ソンヒはこの曲でロック唱法を完全に除いた。歌唱力が要求される(この)曲だが、後輩たちの(歌いこなそうとする)挑戦も絶え間なく続いた。
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ゆらぐる、思い出のページをめくれば
ああ、遂に果たせなかった悔しさと侘しい贖罪が

むかしのことのように、ぼんやりとかすむ窓枠の塵(ちり)のように
ああ、胸に積もるよ、今は遠ざかったあなたの微笑みのように

雨風がなくても春は来て夏は行く
ああ、あなたよ・・・涙がなくても、花は咲き葉はやがて散る

ああ、あ~、わたしに残った懐かしい、歳月を浮かべて、眠りにつくよ、夢を見るよ

眠りにつくよ、夢を・・・見るよ・・・

(Youtubeに登録のJTBC Entertainmentに感謝)

2016年8月25日木曜日

イ・ソンヒの「思い出のページをめくれば」

台風が過ぎ去った今日、まだ暑い夏が続く。季節は、しかし、あっという間に変わる。そうなるだろうという予報はあっても、木々の葉が落ちるのを見てようやく気付くものだ。

イ・ソンヒには、心の季節の変化を追想する、6集所収の「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年、作詞・作曲ソン・シヒョン)がある。多くの歌手たちに歌い継がれている名曲だ。季節の変わり目に相応しい曲かもしれない。

(本ブログ関連:”思い出のページをめくれば”)

SBSの番組「ヒーリングキャンプ」(2014年4月7日)に出演したイ・ソンヒは、ステージとは違った場所で、この「思い出のページをめくれば」を歌い上げた。繊細で美しい歌唱に、後輩歌手たち(ペク・ジョン、イ・スンギ)は、唯々酔いしれ感動するばかり。


ゆらぐる、思い出のページをめくれば
ああ、遂に果たせなかった悔しさと侘しい贖罪が

むかしのことのように、ぼんやりとかすむ窓枠の塵(ちり)のように
ああ、胸に積もるよ、今は遠ざかったあなたの微笑みのように

雨風がなくても春は来て夏は行く
ああ、あなたよ・・・涙がなくても、花は咲き葉はやがて散る

ああ、あ~、わたしに残った懐かしい、歳月を浮かべて、眠りにつくよ、夢を見るよ

眠りにつくよ、夢を・・・見るよ・・・

(Youtubeに登録のSBSNOWに感謝)

2012年10月24日水曜日

(資料)レジェンド・プロファイル16弾-イ・ソンヒ

Daumミュージックに掲載のスペシャル企画連載「レジェンド・プロファイル16弾-イ・ソンヒ」(ムン・ジョンホ、2011年12月8日)に、イ・ソンヒのデビュー(1984年)から2000年に至るアーティスト(音楽家)としての変遷を、1990年代の変換に焦点をあて相当辛口ながら次のように記している。感謝。

(1980年代)
・イ・ソンヒといえば、常に少年のような顔とズボンだけに固執する特有の衣装スタイル、小さな体躯にもかかわらず客席の規模を問わず聴衆を圧倒させるすっきりした歌唱力などが思い浮かぶ。これは、ほとんど1980年代に確立され、今日まで続いているものである。俗に言うイ・ソンヒの黄金時代も1980年代に集中している。
1984年、第5回MBC「江辺歌謡祭」で大賞を受賞し、彗星のように登場したイ・ソンヒは、文字通り時代を代表するに不足ない活動を示した。特にヒット・ソングを量産して送り出す能力だけ見れば、同時代にイ・ソンヒより優位を占めることができる名前はほとんどない。いちいち羅列するのが難しい(音楽)チャートの成績や受賞歴がこれを代弁する。その中のいくつかは単発のヒットにとどまらず、時間と世代を超えた国民歌謡の位相さえ獲得した。
大衆にはじめてイ・ソンヒを刻印させた「Jへ」が代表的だ。「あ! 昔よ」と「ヨン」、「私はいつもあなたを」なども美しい曲だ。TVアニメ「走れハニー」の主題歌も欠かすことができない。真にすべて、時代が要求する健全さの標本であったし、イ・ソンヒもまたそのような役割を厭わず、国民の自負心を鼓吹させる歌もよく歌った。
今でこそ「美しい江山」を聞いて、果たしてこれが原作者の意図を十分に反映した再解釈か疑問を持つが、当時国民学校低学年子供の胸まで食い込んだ痛快さを、熱心でなかった感情で片付けたくない。思い出をちょっと美化したいのに、窮屈にしてるんじゃないではないかと?

(1990年代)
・2000年代を生きていくということがちょっとうんざりされる頃、1990年代の音楽は豊かさに満ちていた時代の産物と格上げされた。しかし、1990年代に全盛期を享受した音楽家たちの大部分は、2000年代に入ってネームバリューのみ残しただけで、実質的に影響力を行使できなかった。
イ・ソンヒには1990年代がそれにあたる。1990年代がとうてい理解できないラップとダンス音楽であふれるロマンも何もない時代と呼ばれた時、イ・ソンヒは1980年代に全盛期を送った昔の人というだけだった。発表するに従い、誰でも歌える流行歌で作った1980年代のイ・ソンヒは最早存在していなかった。
しかし1990年代は、イ・ソンヒが最も意欲的に正規アルバムを作業していた時期でもある。当時、発表された結果を見れば、いかなる意味では1980年代よりさらに興味深い内奥がある。事実イ・ソンヒが1980年代に発表したアルバムは、流行歌の歌集としては優秀かも知れないが作品としての満足感はとても低い方だ。しかし1990年代のアルバムは、作品単位で何か残そうとする意志が強くうかがえる。例えば、本格的に国楽を試みた「小船(조각배)」(1992年、8集)と、はじめて自作曲で満たした「First Love」(1996年、10集)、はじめて1990年代(音楽)語法を受け入れ始めた「Dream of Ruby」(1998年、11集)などは、以前と差別される内容で面白味を与えた。微弱なチャート成績により大きく注目をあびられなかったが、イ・ソンヒそれなりに、絶えず新しさを追求して変化を模索したのだ。 これはボーカリストを越えた音楽家としての可能性である。

(1990年代から2000年代へ)
・もちろん、そのような試みが完全に優れた結果を残したわけではない。「小船」での国楽の導入はボーカリストとしての地位が再確認させてくれただけで継続的な成果につながれなかったし、「First Love」は、唱法の変化と多様なジャンルの選択(権)を提示したが、開始段階以上ではなかった。メガネをはずし撮ったジャケット写真が印象的な「Dream of Ruby」は、1990年代に流行した作法とラップを導入するなど、視覚的な部分で予告されたように、非常に破格的な変身を込めたがあまり似合わなかった。
1990年代にイ・ソンヒが残した成果の中で最も素晴らしいアルバムは1980年代の方法論をより一層完成度あるように実現した「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年、6集)である。クラシックの旋律を加味して気品を高めることに肯定的な影響を及ぼした 「思い出のページをめくれば」とブルースを試みた「懐かしさは去って」、イ・ソンヒ特有の迫力を感じることができる「懐かしい国」などが入れられた「思い​​出のページをめくれば」は1990年代だけでなく、全体の結果を見てみても断然引き立って見える。

(本ブログ関連:"思い出のページをめくれば")

しかし、イ・ソンヒが1990年代に果敢に試みていた、残りの方法論が無意味に終わったわけではない。 これは、イ・ソンヒが再び成長する過程であった2000年代を準備する心強い足場となった。出発はやや揺れた。2000年代に入ってはじめて発表した「My Life + Best」(2001年、12集)は、「Dream of Ruby」の延長でユ・ヨンソクとパク・チニョンなどの曲を受けゴスペル的な要素とアフリカのリズムを取り入れたいくつかの試みはユニークたが、アルバムを主導した催涙性(感傷的な)バラードとの出会いは確かにぎこちなかった。

(2000年代)
結実が現れたのは「四春期(사춘기)」(2005年、13集)だ。 「First Love」から久し振りに自作曲で満たした「四春期」は、1990年代に試みとしてとどまっていた部分が最終的に自分の枠組みの中で成果を収めたことを証明する結果である。結局、整理と補完だ。
「因縁(縁)」から漂う東洋的な色彩は、国楽に没頭した「小船」時期を連想させるアプローチの違いを見せ、(さらに)「なぜ?」という初期から試みたロック的な要素をもっとモダンに整えた曲だ。「First Love」が、他人の曲を受けたときよりも、直接曲を書いたときに魅力的にアピールすることができるかも知れないという余地を残したアルバムだったとしたら、「四春期」は、これを実現させたという点で意味を付与することができる。「ひまわり」と 「あなたの街」が収録された(現在の最新アルバムである)「愛よ...(사랑아...)」(2009年、14集)では、安定圏に入った作法とは別に依然として新しいスタイルに対する好奇心が感じられる。歌の感情線もさらに深まった。

(これから)
・イ・ソンヒを言うとき、高音と声量を根拠に、1980年代から今日まで何の変化なしに一貫した歩みを繰り返した歌手と規定することは適切ではない。特定の結果の達成に代弁されていないため、アルバム単位のアクセスを基本とする評価対象には退屈だが、流行歌をはき出した1980年代はもちろん、様々な変化を模索していた1990年代、試行に伴う結実を収めた2000年代、どの時代を振り返ってみても歌手らしい歌手として残るための努力を怠らなかった時がない。他人の歌で歌手としての能力の検証を受けることも重要だが、私にはイ・ソンヒの道がより貴重にせまる。

2013年9月25日水曜日

(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「1.余裕のアピール力を持った歌手」

先日(9/27)、「スポーツ韓国」の紙面(1991年3月8日~4月5日)に連載された、イ・ソンヒ27歳当時の「スター・ストーリー」記事の目次を紹介したが、その第1回目をここに載せたい。感謝。

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ(27歳当時)の「スター・ストーリー」”、”資料:이선희 Profile”)


[1] 余裕のアピール力を持った歌手
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ゆらぐる思い出のページをめくれば
ああ、遂に果たせなかった悔しさと侘しい贖罪が

むかしのことのように、ぼんやりとかすむ窓枠の塵(ちり)のように
ああ、胸に積もるよ、今は遠ざかったあなたの微笑みのように

雨風がなくても春は来て夏は行く
ああ、あなたよ・・・涙がなくても、花は咲き葉はやがて散る

ああ、わたしに残った懐かしい歳月を浮かべて、眠りにつくよ、夢を見るよ・・・


私の6集アルバムに入っている、ソン・シヒョン(송시현)作詞・作曲の「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」の歌詞である。今、私の心境はこの歌の歌詞とほとんど差がない。1984年MBC FMの「江辺歌謡祭」で大賞を受賞して以来、過去7年間の歳月は、国内外での数々のコンサート、アルバム発表、ミュージカル出演、そして自作詩集の出版などで息つまるように突き進んだ日々だった。

今しばらく自分自身を整理してみる機会を持たなければならない。ただ音楽に対する熱い情熱一つで声を限りに歌い続けながら、マスコミによって一日で「歌謡界のシンデレラ」になった気持ちを満喫していた当時、ちょうど二十歳の年齢は、いつのまにか27才の女性に成長した。

周りの環境も色々な変化があった。デビュー当時、余裕がなかった家の暮らしも、今はかなり豊かになった。少年少女の歓声と拍手喝采の中にひたすら自惚れていた私はその間に、「公人」としての大衆歌手の役割を考えてみるようになった。それで、今盛んに進めているのが北朝鮮でのコンサートである。叶うなら、平壌の舞台の上で倒れることがあっても、全てを注いでしまうだろう・・・

私を大切にしてくださるファンも、むかしは青少年層一色だったが、今はその方が結婚もして職場も持ち、また、大学に進学したりしているからか、10代から30代に至るまでまんべんなくファンレターを送っていただいている。

その間、私は「歌唱力が優れた歌手」という評をしばしば聞いてきた。そうするうちに、いつからか私はダイナミックでパワーあふれる歌がまさに私だけの個性だと信じるようになった。

だが、6集アルバム「思い出のページをめくれば」では、成人趣向だがスローな味の歌が主流をなす新しい試みでファンに「イ・ソンヒも余裕のアピール力を持つ歌手だ」という認識を一新したことは大切な収穫だ。

今後もずっと、既存の人気に安住せず、冒険になるとしても明るくて希望に満ちたメッセージを歌に入れる作業を継続しようと思う。

今後、この欄を通じて、はじめて私の存在が世の中に知らされた後の7年. そしてそれ以前の20年を淡々と書いていく。まだ多くの人生経験をしたとはいえない私だが、歌謡生活を中間決算するという心掛けで私が過ぎた27年を飾り気なく告白しようと思う。
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2017年4月21日金曜日

イ・ソンヒの「思い出のページをめくれば」

イ・ソンヒのデビュー曲である「Jへ」を初めて聞いたのは、ミン・へギョンだったか、ケイ・ウンスクだったか、K-POPのずっと以前のこと。当時、(日本で聞く)韓国歌謡にはなぜかアルコールの匂いがしていたとき、異質といっていい自然な旋律、曲調だった。というのも、韓国歌手のカバー曲はオリジナルを尊重し、自分の色を強調することが少なかった(最近まではそうだったと思う)。後に、彼女の透明感あふれる声を聞き、驚きが増したのはいうまでもない。

イ・ソンヒの凄さは、高音、透明な声質だけでなく、選曲があたかも彼女に生まれるべくして生まれたように、6集所収の「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年、作詞・作曲ソン・シヒョン)を聞けば、いかに調和しているか分かる。

(本ブログ関連:”思い出のページをめくれば”)

イ・ソンヒ礼賛は、彼女の歌を聞くたび深まり、尽きることはありません。


ゆらぐる、思い出のページをめくれば
ああ、遂に果たせなかった悔しさと侘しい贖罪が

*むかしのことのように、ぼんやりとかすむ窓枠の塵(ちり)のように
ああ、胸に積もるよ、今は遠ざかったあなたの微笑みのように

雨風がなくても春は来て夏は行く
ああ、あなたよ・・・涙がなくても、花は咲き葉はやがて散る

ああ、あ~、わたしに残った懐かしい歳月を浮かべて、眠りにつくよ、夢を見るよ

(* 以下繰り返し)

眠りにつくよ、夢を・・・見るよ・・・


(Youtubeに登録の김현진に感謝)

2014年6月16日月曜日

イ・ソンヒの「思い出のページをめくれば」

イ・ソンヒが、SBSの番組「ヒーリングキャンプ」(4/14)に出演したとき、彼女の6集所収の「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年、作詞・作曲ソン・シヒョン)を歌う様子をYoutubeで見ることができる。魂を込めるように歌うイ・ソンヒを見つめる、若い歌手ペク・チヨンとイ・スンギの姿がそこにある。歌手として聞き、聴衆として酔い、アーティストとしてリスペクトしていることを想像する。そして、圧倒的な歌唱力を持ち、よき師としてのイ・ソンヒを見ることができる。

(本ブログ関連:”思い出のページをめくれば”) ← この曲は、彼女の音楽上の重要な変曲点となる。


ゆらぐる、思い出のページをめくれば
ああ、遂に果たせなかった悔しさと侘しい贖罪が

*むかしのことのように、ぼんやりとかすむ窓枠の塵(ちり)のように
ああ、胸に積もるよ、今は遠ざかったあなたの微笑みのように

雨風がなくても春は来て夏は行く
ああ、あなたよ・・・涙がなくても、花は咲き葉はやがて散る

ああ、わたしに残った懐かしい、歳月を浮かべて、眠りにつくよ、夢を見るよ
眠りにつくよ、夢を・・・見るよ・・・


(Youtubeに登録のSBS NOWに感謝)

2012年10月26日金曜日

イ・ソンヒの「思い出のページをめくれば」

ひとは夏の終わりに過ぎ去った物語に気付き、葉の落ちる秋にようやく思い出のページをめくるようになる。
イ・ソンヒは、2003年のインタビューの中で、自身の曲から40代が記憶する「Jへ」(1984年)と、30代が(記憶する)「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年、6集)を最も印象的な歌に選んだという。後者はファンが「最もイ・ソンヒらしい曲」と感じるという説明を付け加えたそうだ。

この「思い出のページをめくれば」こそ、彼女の音楽家として大きな変曲点となった作品である。

(本ブログ関連:"思い出のページをめくれば")



(Youtubeに登録のsunnyfan100に感謝)

2014年1月18日土曜日

イ・ソンヒの「思い出のページをめくれば」

イ・ソンヒの成熟を象徴する意味で、彼女の分岐点ともなった作品である、6集所収の「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年、作詞・作曲ソン・シヒョン)は、彼女が述懐するように、一方で「ファンはほとんど期待もしなかった歌をもっと好きだった」、まさにその曲でもあった。音楽において、彼女は常に幸運に恵まれた歌手だ。

(本ブログ関連;”(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「1.余裕のアピール力を持った歌手」”)
(本ブログ関連;”(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「8.夜の舞台時代の警備員の話」”)
(本ブログ関連;”「思い出のページをめくれば」”)


ゆらぐる思い出のページをめくれば
ああ、遂に果たせなかった悔しさと侘しい贖罪が

むかしのことのように、ぼんやりとかすむ窓枠の塵(ちり)のように
ああ、胸に積もるよ、今は遠ざかったあなたの微笑みのように

雨風がなくても春は来て夏は行く
ああ、あなたよ・・・涙がなくても、花は咲き葉はやがて散る

ああ、わたしに残った懐かしい歳月を浮かべて、眠りにつくよ、夢を見るよ・・・


(Youtubeに登録のJzongwに感謝)

2017年3月16日木曜日

イ・ソンヒの5月、米ロスアンゼルス公演

中央日報のLA版の記事、「国民のディーバ(歌姫)イ・ソンヒ『The Great Concert』LAコンサート開催」(3/13)は、昨年9月にソウル*を起点にして、その後、全国12都市**で開催されたイ・ソンヒの「The Great Concert」を、米国ロスアンゼルス***で単独公演すると次のように記している。

(*) 昨年9月にソウルで開催した「The Great Concert」: コンサート・レポート
(**) 記事入力が3月13日となっているが、本文最後に、「The Great Concert」の国内最終日(慶山:3月4、5日)をこれからのように記しているので、記事はそれ以前に作成されたものと考えられる 。
(***)「The Great Concert」は、米ロスアンゼルスに次いで、9月に豪シドニーでも単独公演を予定している。

(本ブログ関連:”The Great Concert”)

ところで、3年前のことだが、コンサート(「歌う イ・ソンヒ」)の全国ツアーを終えたばかりの頃、スターニュース記事(2014年11月17日)は、「(イ・ソンヒの所属事務所の)フックエンターテインメント関係者は、17日のスターニュースに『全国ツアーを有する間にも、国内で公演した都市はもちろん、しなかった都市で年末コンサートなどアンコール公演を持つという提案を多数受けた』とし、『韓国を越えて、アメリカとオーストラリアなど海外でも単独コンサートをして欲しいという要望が殺到し、今も同じ』と伝えた。」と伝えている。
もしかしたら、今回の米・豪コンサートは、このような流れの中で計画、実現の運びになったのかもしれない。

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・「J 撫でる風に..J あなた想えば..」 そのとき、ラジオから流れ出た繊細ながらも切なかったその声。清く澄んでいるが心の琴線に響く声。このような修飾語を、一度にすべて持つことができる歌手は、大韓民国でイ・ソンヒしかいない。

(参考)イ・ソンヒのデビュー曲 「Jへ(J에게)」

(Youtubeに登録のjustine kellyに感謝)

・いよいよイ・ソンヒの声をLAで来る5月20日初めて直接聞くことができるようになった。デビューから30年を過ぎたイ・ソンヒだが、既成世代(社会の中心世代)には、いまだに彼女の初デビュー舞台がずっと鮮やかなままである。奇妙なギャザースカートに、やぼったかったポグルパーマ。顔の半分を覆ってしまうサングラスまで。歌唱力同様に、彼女のファッションは大衆に新鮮な衝撃を与えた。心地よいながら切ない声で聴衆の心をひたらせてしまったイ・ソンヒは、結局、1984年のMBC「江辺歌謡祭」で優勝を射止めた。

・そんな風にデビューしたイ・ソンヒは、歌謡界で新しいパラダイム(規範)を引き起こし始めた。正規(公式)アルバム*ただ一枚なくて、歌謡祭の出場曲だった「Jへ(J에게)」一曲で、その年の新人賞、人気歌謡賞などを含むすべての賞をさらった。保守的だった当時の放送界では、他放送会社でデビューした歌手に、その他の放送会社の活動を許諾しなかったにもかかわらず、MBC出身であるイ・ソンヒがKBSの新人賞を受賞する奇跡に近い歴史を記録した。

(*)彼女の正式アルバム第1集は、1984年のMBC「江辺歌謡祭」の翌年にリリースされた。

・のみならず、「女性歌手には男性ファンが多い」という偏見を打ち破ることで、チョー・ヨンピル(조용필)の「兄さん部隊」に次ぐ、イ・ソンヒの(女子学生だけのファンフループ)「姉さん部隊(언니부대)」を誕生させた。彼女のマスコットであった丸いメガネと、(ショート)カット・ヘヤスタイルは女子学生たちの間でとんでもない人気とともに、「イ・ソンヒ症候群(シンドローム)」を引き起こした。イ・ソンヒらしいボーイッシュな魅力で、彼女は男性ファンだけでなく、トムボーイ(Tomboy、おてんば娘)ファンたちを引き連れて全盛期を享受した。

・今とは違って、リップ・シンク(くちパク)が存在しなかったその時期、イ・ソンヒは澄んで力ある声で、多くの名曲を誕生させた。「Jへ」、「分かりたいです(알고 싶어요)」、「私いつもあなたを(나 항상 그대를)」、「秋の風(갈바람)」、「ヤング(영)」など、今聞いても全く野暮ったくない名曲は、いまも多くの愛(支持)を受けている。そのうちの1集に収録されている、はやいビートの曲である「あ! 昔よ(아 옛날이여)」を完ぺきに消化して、ジャンルがない(こだわらない)歌手であることを証明した。その他にも、シン・ジュンヒョン(신중현)の「美しい江山(아름다운 강산)」をリメークしてパワフルなボーカルを披露した。

・彼女の伝説は今なお書きつがれている。世界的な歌手たちにだけ与えられる栄光を、イ・ソンヒは、2011年、ニューヨークのカーネギーホールのメイン公演会場「アイザック・スターン オディトリアム」で享受した*。

(*)2011年2月3日夜、ニューヨークのカーネギー・ホールの全席完売している。

・イ・ソンヒは、2014年、(アルバム14集以来)5年という空白を破って、正規アルバム15集を発表した。デビュー30周年を記念するスペシャル アルバムでもって、イ・ソンヒはファンたちに「歌を聞く楽しみ」*を分かつために、5年の間、アルバムを準備したと明らかにした。そのうちの、タイトル曲「その中であなたに出会って(그 중에 그대를 만나)」は、曲は楽器配列(編成)を最小化して、イ・ソンヒのアピール力の濃厚な音色をそのままに再現した。

(*)2014年のコンサートタイトルは、「歌うイ・ソンヒ」だった。

・甘美なバラードから軽快でパワフルな音楽まで問題なく消化するイ・ソンヒならばこそ、ドラマと映画のO.S.Tでももれなく名をあげている。イ・ソンヒの初O.S.Tの開始点は、ドラマでも映画でもない、アニメ主題曲だった。80年代の老若男女漏れなく好きだった、国民漫画「走れハニー(달려라 하니)」の主題曲は、彼女の澄んで軽快な声で全国路地にこだました。

・2005年度に発表したイ・ソンヒの「因縁(인연)」という曲は、一千万の観客を動員した(映画)「王の男」に挿入され、多くの愛(支持)を受けた。彼女が直接作詞、作曲をした曲を以って、歌だけうまく歌う歌手ではない、シンガーソングライターの面目を見せたりもした。

・のみならず、視聴率21.0%(ニールセンコリア提供)で、盛況裡に放映を終えたSBSの水木ドラマ「青い海の伝説(푸른 바다의 전설)」 (イ・ミンホ、チョン・ジヒョン主演)のO.S.T 「風花(바람꽃)」を歌って各種音源チャート上位圏に進入した。ドラマと映画に出てくる主人公たちの感情を視聴者に伝達して「O.S.Tの女王」というタイトルを再度確実にした。

・最近では、芸能を通じてもファンとコミュニケートしている。(SBSの)サバイバル音楽番組「ファンタスティック・デュオ」に出演したイ・ソンヒは、一般人「朗朗18歳 イェジンお嬢さん」と共に舞台を作り上げて、5連勝を達成して名誉の卒業をした。最高の賛辞を受けたイ・ソンヒとイェジンお嬢さんの(歌う)「私はいつもあなたを」、「美しい江山」と、「思い出のページをめくれば」は、いまだ番組のレジェンド舞台として残っている。

・小さい体格にもかかわらず、パワフルな歌唱力のために、「小さな巨人」というニックネームを持っているイ・ソンヒは、本人自らも彼女の声は「天がくださった贈り物」と表現した。そんな夢のようなイ・ソンヒの声を、目前で聞くことができる機会がついに来たのだ。

・イ・ソンヒは、昨年9月、ソウルを始め大邱、全州、光州、(大田 )、釜山、仁川、高陽、昌原、水原、議政府、清州など、6ヶ月を経た全国ツアーを持っており、来る3月慶北(慶尚北道)の慶山を最後に国内公演を盛況裡に終了した。全国ツアーを終えたイ・ソンヒは、デビュー32周年をむかえて、(米国)LAの公演を始め、9月には豪州シドニーのオペラハウスでも公演を繰り広げ、本格ワールドツアーを上がる予定だ。

・現在、国内ツアー中の「The Great Concert 」(を含めて)イ・ソンヒは、2006年、(2009年)、2011年、2014年の公演で、4千席余の(ソウル)「世宗文化会館」が全回売り切れる記録的な名品コンサートの記録を立てた。音楽はもちろん、ファンに最高の舞台を見せようとするティーバ(歌姫)の情熱と細心ながらもダイナミックである舞台と演出は観客の胸に長らく残るだろう。そのお目見えが、来る5月20日の夕方7時、LA近郊のパーム スプリングスに位置したファンタジー・スプリングス リゾートで開かれる。

・イ・ソンヒは、「2017 The Great Concert イ・ソンヒ」 LA公演で、「分かりたいです」、「私たちは」*をはじめとして、「因縁」、「思い出のページをめくれば」、「美しい江山」などの珠玉のようなヒット曲を聞かせて、LAの米州韓人に思い出の旅行をプレゼントする予定だ。

(*)「私たちは(우리는)」(1986年)は、ソン・チャンシクの代表曲である。
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2015年1月9日金曜日

イ・ソンヒ<チケットパーク・ゴールデンチケット・アワード作品賞の栄誉>

韓国ではイ・ソンヒを「国民歌手」と讃える他にいろいろな表現があって、「ディーバ(歌姫)」に始まり、「(女性)歌王」、「ライブ女帝」、「歌手クイーン」などある。昨年の彼女の実績は、<帰還>とも呼ばれるように多数に認知されたし、ニュース記事のタイトルに「大韓民国歌手」とまでいわれたりした。

韓国ギャラップが昨年(2014年)調査の「2014年を輝かせた歌手」では、人気曲で3位、歌手ランクで5位(世代別40、50代では1位)に輝いた。

歌手がファンに支持される評価に、当然ながら経済的な面も考慮すべきだろう。その基準に、コンサート公演(回数やチケット数など)の結果がある。つまり、コンサートに出向いて、歌手に対して(きちんと)経済的な対価を投じられる層の厚さを知ることができる。

昨年のインターパークの実績を要素に入れて集計したランクが発表され、そのトップにイ・ソンヒが上った。大韓日報の記事「歌謡界最高の『ディーバ』、ライブ女帝 - 歌手イ・ソンヒ」(1/7、ユ・ヨンミ記者)は次のように報じている。(ちなみに、2013年はチョー・ヨンピルだった)

(参考)昨年までの「一目で見るゴールデンチケットアワード10年」(インターパーク)
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チケットパーク・ゴールデンチケット・アワード作品賞の栄誉

・歌手イ・ソンヒは、デビュー30周年を記念するコンサート<歌う イ・ソンヒ>を通じて、2014年4月から11月まで全国13都市27回公演を進める間、すべて全席売り切れの神話を記録した。

・全国ツアーを通じて7万余の観客と出会った歌手イ・ソンヒのコンサートは、2014年最高のプレミアム公演で観客から熱い支持を受けた。

・そして2014年、サイ、イ・スンチョル、ソテジ、GODなど多くの歌手の公演中で、2014年のチケットパークが選定した大韓民国最高のコンサートで、<歌う イ・ソンヒ>コンサートが作品賞を受賞した。

・ゴールデンチケット・アワードは、一年間のインターパークで販売された公演の販売量とランキング、観客の投票を合算して選定する信頼性が高い国内最高のチケット・アワードで、2014年選定基準は「観客オンライン投票」40%+「チケット販売枚数」30%+「ランキング(順位)加算点」30%で点数を合算して発表した。

・「観客オンライン投票」は、インターパーク会員を対象に、2014年12月18日から31日まで投票を進め、投票参加者数は合計24,257人(モバイル16,083人含む)だ。

・2013年の公演部門作品賞受賞者は、歌手チョー・ヨンピルであった。

・2014年最高のコンサートとして支持された<2014歌う イ・ソンヒ>を見た観客は、一様に歌手イ・ソンヒの変わらぬ声と感性、彼女の真心ある歌のおかげで暮らしの疲れを癒され、慰めを得て、再び新らたに始められる力と勇気を得た公演だったと評価した。

・国内女性歌手では空前絶後な独歩的な記録を立てて、韓国最高のティーバとして存在感をもう一度確認させた歌手イ・ソンヒのコンサート。

・話題のコンサートは、彼女のデビュー曲であり、1984年最高の人気歌謡であった「Jへ」から、2014年最高のヒット曲である15集タイトル曲「その中であなたに出会って」をはじめ、去る30年間の粘り強い支持を受けてきた点が功を奏した。

・彼女のヒット曲「分かりたいです」、「思い出のページをめくれば」、「愛が散るこの場所」、「いつもあなたを」、「ひとしきり笑いで」、「ライラックが散るとき」、「思い出のページをめくれば」、「因縁」、「あ!昔よ」、「美しい江山」など、彼女の最高ヒット曲に巡り会える公演だった。

・現在(発売中の)、コンサートの感動をそのまま感じられる「30周年記念ライブ ベスト・アルバム」も、観客に支持を受けている。
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2013年8月8日木曜日

(資料)Mnet アーティスト・レビュー「イ・ソンヒ」

Mnetのアーティスト・レビューは、イ・ソンヒについて次のような紹介をしている。内容からこの記事の作成時期は、2011年に彼女のニューヨークのカーネギーホール公演(2月3日)直前のようだ。
(来年2014年は、イ・ソンヒのデビュー30周年にあたるのでいろいろと追記されるだろう)

(本ブログ関連:”資料:이선희 Reviewal (仕掛かり中)”

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イ・ソンヒは、1984年歌謡界にデビュー、以後立て続けに急成長して人気を享受し、90年代初めまで最も人気ある女性歌手であった。
80年代後半まで、彼女は全盛期には、どんな男性歌手よりも女学生ファンを多く引き連れたし、特に可愛いらしいイメージとボーイッシュなイメージを同時に持つ、彼女の容貌と服装は女性たちの熱狂的な支持を勝ち取った。彼女はまた、小柄に似合わない最高の歌唱力を持つという評価を得る。

1984年
イ・ソンヒは1984年の「江辺歌謡祭」で、イム・ソンギュンと共に「4幕5場」チームで出場、「Jへ」で大賞を受ける。この歌は、歌謡祭以後にも全国的なヒットを記録、イ・ソンヒというスターを誕生させる。男性歌手の人気が事実上歌謡界を牛耳っている頃に、ズボン姿でショートカットのイ・ソンヒは新鮮な風を巻き起こした。 

1985年-1986年
彼女は、1985年「4幕5場」チームが事実上瓦解して単独でデビューする。デビューアルバムは、「Jへ」、「ああ!昔よ」、「葛藤」が収録、大成功を記録する。イ・ソンヒの人気はまさに爆発的だった。 各種歌謡祭とランキング歌番組をさらったし、その人気は2集につながった。
1985年2集には、「秋の風」、「ケンチャナ」などが収録、ヒットし彼女は最高の女歌手の地位を占める。
1986年には、3集が持続的な愛(支持)を受けた。「ヨン」、「分かりたいです」が引き続きヒットし、再び主な賞と順位を占めた。 

1988年、1989年、1990年
イ・ソンヒの音楽に変化が起き始めたのは4集アルバムからだった。「愛が散るこの場所」・「私はいつもあなたを」(1988)、「私の街」・「五月の陽射し」(1989)、「なぜ私だけ」・「思い出のページをめくれば」(1990)に続く4、5、6集は、全て大衆的に良い反応を得たが、以前と同じ程ではなかった。
だが、作曲家ソン・シヒョンに出会い、歌詞とメロディでずっと叙情性を追求し、一層成熟した音楽への意欲を見せる。当時のヒット曲である「愛が散るこの場所」、「ひとしきり笑いで」、「私の街」、「思い出のページをめくれば」などは、そういったスタイルを反映する。
その上、シン・ジュンヒョンの原曲である「美しい山河」は、原曲とはまた違ったすがすがしく軽快な味をプレゼント、国民歌謡と認められていまだに彼女の各種行事でこの曲を熱唱するのを見ることができる。

1990年代-2001年
イ・ソンヒの人気は、90年代に入ってくると、その程度がかなり弱くなる。8集から10集まで、ほとんど2年に一度の割合でアルバム発表しながら、活発なライブ活動も続けるが、ただ一曲のヒット曲がないのは残念な部分である。
イ・ソンヒ個人的には、結婚と離婚が続きながら、難しい時期を送った。だが、着実にライブとミュージカルなどの領域で活動してきた彼女は、2001年には自身の歌手生活を振り返って新しい作業を兼ねた12集「My Life + Best」を発表し、このアルバムにはパク・チニョン、キム・ジョンソのような後輩ミュージシャンが参加した。

2011年
2011年2月3日に世界的な歌手だけが立つことのできるというニューヨークのカーネギーホールの中でも最も大きいメイン公演会場である「アイザック・スターン オーディトリウム」で韓国の大衆歌手では3番目に単独公演を持った。2800席余に達する座席が皆売り切れという大記録を立てて、韓国人で最多観客動員でニューヨークの韓人史のある一線を引くことになった。
国内では2011年5月21日と22日、ソウル世宗文化会館での公演を始め全国巡回公演に出る。
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2014年1月30日木曜日

イ・ソンヒの「思い出のページをめくれば」

イ・ソンヒの、6集所収の「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年)の映像はネット上で数々見てきたが、秋の枯葉が敷き詰められた木々の下で彼女が歌う珍しいビデオがYoutubeに登録されている。やわらかな西陽に照らされながら、いかにも彼女らしいズボン・スタイルで、樹間を歌い逍遥する。音量がやや小さいが、それを次に埋め込む。

(本ブログ関連:”Youtubeでイ・ソンヒを見たという友に返信”、”イ・ソンヒの「思い出のページをめくれば」”)

Youtubeに記載の<概要>によれば、MBCテレビの音楽番組「土曜日土曜日は楽しくて(토요일 토요일은 즐거워)」(357回、1993年8月21日)のもので、画面表示に、撮影場所は、ソウル市北東にある京畿道抱川市に位置する「光陵樹木園(광릉수목원)」(現「国立樹木園(국립수목원)」)としている。撮影は1990年10月、ちなみに6集アルバムは同年8月20日リリースしている。
(登録者:MBCfestival)

 

2013年7月12日金曜日

イ・ソンヒとシン・スンフンの「思い出のページをめくれば」

90年代、イ・ソンヒの完成度を高めたといわれる名曲「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年、6集)を、シン・スンフンとデュエットする珍しい映像をYoutubeで見た。ともにバラード歌手として、(韓国の)国民歌手の名を冠しているだけに大いに期待して・・・といっても、随分と古い画面だ。

(本ブログ関連:"思い出のページをめくれば")

一体いつ頃のものだろうか。1990年デビューした頃のシン・スンフンだろうか。正直なところ、イ・ソンヒの歌に対して、音程、貫禄で対等ではない・・・そんな時期のもののようだ。
とはいえ、現在のシン・スンフンは、アルバム枚数、コンサート回数など飛び抜けた存在である。



(Youtubeに登録のsunnyfan100に感謝)

2015年5月9日土曜日

イ・ソンヒの「お姉ちゃん」

イ・ソンヒの5集(1989年)は、ある意味若さの瞬発といったスタイルと違って、今になおつながる豊かさを持っているように思う。「私の街」、「五月の陽差し」、「ひとしきり笑いで」、「貴方よ」、「水仙」、「冬哀傷」、「花火のように」、「海になって」、「お姉ちゃん」、「心のように、貴方のそばに」が並ぶ珠玉集だ。

童謡のような響きで、遠くへ行った姉を懐かしむ、幼い妹の歌「お姉ちゃん(누나야)」は、聴くものの心を澄ますようだ。童謡の「兄を思うと(오빠생각)」とか「愛しい(私の)妹」(보고픈 내 누이)」に通じる、兄弟姉妹の切ない思慕や情愛が感じられる美しい曲だ。

(本ブログ関連:”お姉ちゃん”)

5集について音楽評論は、この「お姉ちゃん」に視点をあてながら、次のように語っている。

Mnetのアーティスト・レビューは、イ・ソンヒのアルバム4集から6集について、次のような紹介をしている。
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・イ・ソンヒの音楽に変化が起き始めたのは4集アルバムからだった。「愛が散るこの場所」・「私はいつもあなたを」(1988)、「私の街」・「五月の陽射し」(1989)、「なぜ私だけ」・「思い出のページをめくれば」(1990)に続く4、5、6集は、全て大衆的に良い反応を得たが、以前と同じ程ではなかった。
だが、作曲家ソン・シヒョンに出会い、歌詞とメロディでずっと叙情性を追求し、一層成熟した音楽への意欲を見せる。当時のヒット曲である「愛が散るこの場所」、「ひとしきり笑いで」、「私の街」、「思い出のページをめくれば」などは、そういったスタイルを反映する。
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イ・ソンヒの「4集+5集(All That Masterpiece)」(24bit-remastering版)について、チョン・イルソ(정일서)KBSラジオPDは、アルバム紹介を次のように記している。
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・5集は・・・、グループ「山びこ(산울림)」のキム・チャンワン(김창완)が作詞、作曲した二曲が収録されていて目を引くだけでなく、同年イム・ジフン(임지훈)によっても歌われた「お姉ちゃん(누나야)」と、ハミングとナレーションが続く独特の雰囲気の曲「水仙(수선화)」がそれで、キム・チャンワン特有の歌詞とイ・ソンヒのしなやかでしっかりした声が調和する「水仙」は多少実験的な曲だ。
・ソン・シヒョンは、4集に続き5集でも中枢的な役割をしている。アルバムの代表曲の「ひとしきり笑いで」と「冬哀傷」は、まさに彼が作った曲だ。
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2014年3月16日日曜日

イ・ソンヒ15集タイトルは「セレンディピティ(세렌디피티)」

SPORTSQの記事「イ・ソンヒ15集発表に、後輩歌手による献呈公演を用意」(3/13、キム・ナラ記者)に、イ・ソンヒの曲をカバーしたこともある歌手たちが献呈(トリビュート)公演を用意していると次のように報じている。
今回の新しい15集アルバムのタイトルは「セレンディピティ」で、10余曲が収集されているとのこと。なにより、同記事に掲載された彼女の写真(所属会社フックエンターテインメント提供)が素晴らしい。

(本ブログ関連:”セレンディピティ”)
(本ブログ関連:「Jへ」、「美しい江山」、「私はいつもあなたを」、「葛藤」、「ひとしきり笑いで」、「ああ!昔よ」、「因縁(絆)」、「思い出のページをめくれば」、「少女の祈り」、「狐の嫁入り(天気雨)」)

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国民歌手イ・ソンヒ
「小さな巨人」イ・ソンヒが5年ぶりにカムバックする。

イ・ソンヒは、2009年正規14集「愛よ...」の発表後、デビュー30周年を記念して、正規15集「セレンディピティ(세렌디피티)」を発売する。一層成熟した感性で、彼女の音楽人生30年を総決算する今回のアルバムに、10余曲を自分だけの色が盛られた自作曲で収録した。また、わが国最高の作曲家、ダブル・キック(이단옆차기)、パク・グンテ(박근태)、ミス・ケイ(미스케이)、エピトンプロジェクトなどとの共同作業を通じて、音楽の新鮮さと深みに新譜の完成度を高めた。

来る25日、アルバム発売に合わせて開催されるイ・ソンヒのショーケースには、いつもイ・ソンヒを尊敬してきた後輩歌手ユン・ドヒョンが「私はいつもあなたを」、グミ(거미)は「分かりたいです」、イム・ジョンヒは「美しい江山」、タカピ(TACAPY)は「ひとしきり笑いで」、イ・スンギは「Jへ」をそれぞれのスタイルで再解釈して場を輝かせる予定だ。特に、今回のショーケースは、ポータルサイトDaumを通じて生中継され、イ・ソンヒの新曲をライブで鑑賞することができる。

大衆音楽評論家ガンホンは「イ・ソンヒは、女性ミュージシャンが弱者にならざるをえなかった音楽産業界で、堂々と両足で自分の歴史を自分で作った最初の人物だ」と絶賛した。

1984年「江辺歌謡祭」で大賞を受賞して、歌謡界に進出した歌手イ・ソンヒは、清らかな声を誇り、「Jへ」、「美しい江山」、「私はいつもあなたを」、「葛藤」、「ひとしきり笑いで」、「ああ!昔よ」、「因縁(絆)」、「思い出のページをめくれば」、「少女の祈り」、「狐の嫁入り(天気雨)」など数多くのヒット曲を量産した。
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2012年9月12日水曜日

思い出のページをめくれば

今から10年ほど前の2003年、当時の30代が記憶する最も印象的な歌であり、ファンが「最もイ・ソンヒらしい曲」と感じるという、彼女のアルバム6集(1990年)に所収の「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(作詞・作曲:ソン・シヒョン)を聴こう。

2004年、デビュー20周年を記念して世宗文化会館大劇場でイ・ソンヒの歌う姿は、Youtubeの数々の映像の中で最も輝かしいものである。

(本ブログ関連:"思い出のページをめくれば")



(Youtubeに登録のpops8090に感謝)

2010年11月30日火曜日

思い出のページをめくれば

一年がもうじき終わろうとしている。明日から、せわしさだけで億劫な12月が待っている。

イ・ソンヒの変換点ともいえる「思い出のページをめくれば」(歌詞)を、赤いドレス姿で歌う映像がYoutubeに登録されている。雨風と関わりなく春は訪れ夏は去る、涙を知らず花は咲き落葉散るように、思い出はいつか和らぎ懐かしさのなかにいる。紅葉の最後の今こそ、この「思い出のページをめくれば」が似つかわしい時期なのかも知れない。

ここでは、イ・ソンヒは赤いドレス姿で歌っている。歌だけでなく、会場をどよめかす女性らしい衣装もよいものだ。

(本ブログ関連:”変換点”、”ドレス”、”スカート”)

(Youtubeに登録のdove2727に感謝)

2016年9月9日金曜日

【大衆音楽家列伝】 イ・ソンヒ

釜山日報の連載の「大衆音楽家列伝(대중음악가 열전)」は、まさにイ・ソンヒのコンサート(9/2~4)直前の絶妙なタイミング(9/2)に、彼女の音楽活動を振り返る、「【大衆音楽家列伝】25.イ・ソンヒ」(チェ・ソンチョル、ペーパー・クリエイティブ代表)の記事を掲載した。

内容は、イ・ソンヒが歌謡界にデビュー以来、現在にいたる音楽活動の小史であり、正規アルバムをもとに彼女の代表的な曲目を網羅している。コンサート後になったが、次に載せさせていただく。感謝。

次の記載の曲目と、今回9月のコンサート曲目を合わせて聴けば、イ・ソンヒの全体像を素早く理解することができるでしょう!

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小さい体躯で爆発的歌唱力… 「Jへ」ただ一曲でスターダム

(写真:略) ▲ 私たち大衆音楽の「ガール・クラッシュ」の元祖、イ・ソンヒは歌を運命のように思って生きてきた(デビュー以来)32年、この時代の名歌手だ。

・最近、よく話題になる単語の中に、「ガール・クラッシュ」(Girl Crush)という言葉がある。少女(Girl)と、「惚れる」意のクラッシュ・オン(Crush On)を合成した言葉で、女性が同性に感じる、性的な感情を伴わない強い好感と定義する。かくのごとくクラッシュの魅力に陥ったせいだろうか。最近、音源チャートの上位圏、および長期ランク(イン)の女性歌手だけで何と100人余りに達する。私たちの大衆音楽のガール・クラッシュ(一目惚れした少女)の元祖は、イ・ソンヒだ。

■ 「姉さん(オンニ)部隊」、追いかけ回しクラッシュ

・仏教音楽「梵唄」の伝授者の父をもつイ・ソンヒは、幼い時から歌手の才質(才能と気質)を見せた。大学1年のとき、「4幕5場」という校内音楽サークルに入り、父が反対した歌を思う存分歌うことができるようになったし、<江辺歌謡祭>に出場する冒険も敢行する。1984年夏、MBC江辺歌謡祭に、パーマヘアーに角(つの)製の枠メガネをかけた少女が登場する。イム・ソンギュンと共に「4幕5場」という混成デュエットで参加した彼女は、小さい体躯に似合わない爆発的な歌唱力で大賞を射止める。受賞曲は、「Jへ」であった。その日を起点に、歌謡界は波打つ。 イム・ソンギュンの入隊で、ソロとして本格活動に乗り出したイ・ソンヒの人気は想像を超越した。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒと仏教音楽”、”梵唄”)

江辺歌謡祭の大賞受けて、ソロ活動
大規模の「姉さん部隊」で、時代のアイコン
ゴールデン ディスク、5連覇の「珍記録」

ソン・シヒョンと出会って、4、5集で音楽的変化
香港俳優の張國榮(レスリー・チャン)とデュエット・コンサート
「その中であなたに出会って」、感性際立つ

・当時、或る放送会社でデビューした歌手は、別の放送会社に出演できないという慣例を破って、「Jへ」は、KBSの「歌謡トップ・テン」で5週連続1位を占めており、1984年の最高のヒット曲になった。年末、KBS歌謡大賞と、MBC「10代歌手歌謡祭」の新人賞、やはりイ・ソンヒが占めた。当時、歌謡界の厚いファン層である女子中高生の愛を一人占めした男性歌手全盛の時代に、ディーバ(歌姫)の出現は歌謡界はもちろん、女学校にも新鮮な風になった。

・イ・ソンヒは、数多くの女学生ファンを同行するガール・クラッシュのアイコンで、爆発的な人気を享受した。チョー・ヨンピルの「兄さん(オッパ)部隊」を威嚇した「姉さん(オンニ)部隊」、幼い女子中高生が公演会場で兄さん(オッパ)の代わりに姉さん(オンニ)を叫ぶようにさせた主人公、イ・ソンヒの事務所から金を払って人を動員したという流言飛語(デマ)まで飛び交うほど、当時の「姉さん部隊」の火力は途方もなかった。

(本ブログ関連:”姉さん部隊”)

■ ソン・シヒョンと共に変曲点、確かに

・「Jへ」ただ一曲で、1984年を自身の年にしてしまったイ・ソンヒの正規1集「イ・ソンヒ1集」(1985)は、(江辺歌謡祭の)翌年の1985年初め(1/25)に現れた。ここで、「あ! 昔よ」、「葛藤」、「少女の祈り」などが相次いでヒットし、彼女は自身の人気が「Jへ」の一回だけで終わらないことを立証した。その年が過ぎ行く前(11/25)に、再び出した2集「イ・ソンヒ Vol.2」(1985)では、「秋の風」、「ケンチャナ(大丈夫)」、「そう誤りは私にあります」などのヒット曲が引き続き出ており、1986年に出した3集「イ・ソンヒ3集」(1986)でも、「分かりたいです」、「暗闇は晴れて」、「ヤング」などが多く愛(=支持)を受けた。

・ゴールデン・ディスクの5連覇を始めとして、国内にある全部門の賞を全て受賞する珍記録をたてたりもする。以後、「イ・ソンヒ4集」(1988)は、イ・ソンヒのディスコグラフィーで非常に重要な位置を占める。彼女の音楽が意味ある変曲点を迎えたためだ。その変化の端緒を説明する(人物の)名は、ソン・シヒョン(송시현)だ。

(写真:略) イ・ソンヒの音楽世界で意味ある変曲点になったアルバム「イ・ソンヒ4集」

・1987年、「夢みるような世界」のヒットで名を告げたシンガー・ソングライターのソン・シヒョンは、この時からイ・ソンヒのアルバム作業に参加し始める。4集で、A面のタイトル曲「愛が散るこの場所で」と、B面タイトル曲「私はいつもあなたを」を含めて、全て4曲が彼の作品だ。二人の出会いは成功した。ソン・シヒョン特有の感受性と叙情性は、イ・ソンヒの声とよく交わったし、以後も彼はしばらくイ・ソンヒと共に行動することになる。翌年、「イ・ソンヒ5集」(1989)で、イ・ソンヒはアルバムのここかしこに社会性の濃厚な曲を配置した。「五月の陽差し」は1980年の光州民主化運動の犠牲者の英霊を慰める曲であったし、「ひとしきり笑いに」も、やはり時代的痛みが滲んだ曲だった。通常の民衆歌謡に劣らず、深くやさしいものだった。

(本ブログ関連:”ソン・シヒョン”)

・ソン・シヒョンは、5集でも中枢的な役割をした。アルバムの代表曲である「ひとしき笑いで」と、「冬哀傷」は彼が作った曲だ。同年、チョコレートCFで最高の人気を謳歌した香港の故張國榮(レスリー・チャン)が初めての来韓する。張國榮は、イ・ソンヒと「Jへ」をデュエットで熱唱して、デュエット・コンサートを開いた。

・その縁で、張國榮は、後日イ・ソンヒを香港に招待する格別な親交を誇示したりもする。この時期に、香港BMGレコードを通じて、「It's Original Songs」というアルバムに、「Jへ」を収録発表し、英語で自身のヒット曲を翻案して歌った「Where The Love Falls..」(1989)などのアルバムも発表する。

(本ブログ関連:”張國榮 (レスリー・チャン)”)

・1990年の6集「イ・ソンヒ Ⅵ」(1990)では、「思い出のページをめくれば」が愛(支持)を受けたし、「去る者だけが愛の夢を見ることができる」という自作詩朗唱集と、カナダのモントリオール室内楽団と世宗文化会館で共演後、その実況アルバム「Lee Sun Hee ; Montreal Chamber Orchestra」(1990)を発表する。7集の「思い出の中を歩くのね」(1991)、キム・ヨンドンの国楽的な要素をたっぷり入れた8集の「李仙姫 八」(1992)、「イ・ソンヒ愛唱童謡」(1993)、9集の「イ・ソンヒ 9」(1994)、そして、多くの曲を自ら作詞/作曲したアルバム10集「First Love」(1996)を着実にリリースして、以前とは違った成熟した歌をリリースし始める。

■ あらゆる悪材料の中、挑戦は続く

・人気の下落と激しい浮上など、悪材料の中でも彼女の努力は続いた。11集以後、3年振りに発表した12集の「E Sunhee  My Life + Best」(2001)で、自作曲「離別小曲」と、パク・チニョンの「生きてみると」、ユ・ヨンソクの「この歌をかりて」、キム・ジョンソの「多分(アマ)」など、11曲の新曲とベスト16曲を入れて新しい活動の序幕を知らせた。2005年、<四十代に迎える春>の意を暗に盛り込まれている13集の「四春期」(2005)は、イ・ソンヒの自作曲である「因縁」をはじめとして、9曲の新曲と20周年ライブ コンサート実況の17曲を入れた。10集から始まったシンガー・ソングライターの面目が、円熟の段階に入り込んだことを意味する真の傑作と評価を受けた。

・1990年代以後、7集から始まったやむ得ない大衆的反応の退潮にも、イ・ソンヒは堅忍主義的姿勢で、自身の音楽的内容を執拗に発展させる。2009年、デビュー25周年を迎えて、新しい音楽的感性の10曲をアップグレードした自作曲で満たした14集「愛よ…」(2009)を発表し、活動を再開した。

・5年後、正規15集アルバムであると同時に、デビュー30周年記念スペシャルのアルバムである、「セレンディピティ Serendipity」(2014)を通じて、「女王の帰還」を知らせた。  

・彼女の音楽的力量が最高に発揮された今回のアルバム(15集)、果たせるかな、11曲中9曲が自作曲だ。「その中であなたに出会って」など、より一層円熟した深みある音楽と、限りなく繊細で感性的なボーカルを披瀝し、専らイ・ソンヒだけが出すことのできる感性を表わした。偶然を通じて運命に出会うという<セレンディピティ>の意のように、音楽に出会って歌を運命のように感じて生きてきた32年目の私たちの時代の名歌手イ・ソンヒ、どんな音楽においても輝く彼女の声と表現は拒否できない永続の美学であろう。  
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2013年12月19日木曜日

(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「8.夜の舞台時代の警備員の話」

先日(9/27)、「スポーツ韓国」の紙面(1991年3月8日~4月5日)に連載された「イ・ソンヒ27歳当時のスター・ストーリー」記事の目次を紹介したが、その第8回目をここに載せたい。感謝。

イ・ソンヒが、デビュー初期の待遇や環境の変化への戸惑いと驚き、いわゆる夜営業(ステージのある店)に出演する際に直面したそして軋轢をガードした警備員の存在などを知ることができた。

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ(27歳当時)の「スター・ストーリー」”、”資料:이선희 Profile”)


[8] 夜の舞台時代の警備員の話
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1985年2月、私は初めて第一アルバムを世の中に出した。1集に収録されたすべての曲は、全てソン・ジュホ氏が作曲した歌だ。高校時代、チャン・ウクチョ音楽室での出会いが縁だった。

<少女の祈り(소녀와 기도)>と<女心(여심)>をそれぞれ(レコード)裏表面のタイトル曲として載せた1集アルバムはあきれるほどとても売れた。ソウルでは「あ! 昔よ(아! 옛날이여)」と「葛藤(갈등)」が人気であり、地方では「また咲く愛のために(다시 필 사랑위해)」、「光の子ら(빛의 자손들)」、「愛の約束(사랑의 약속)」、「少女の祈り(소녀의 기도)」などが強い勢いを見せた。(レコード)盤一つで、何と六曲もヒットしたのだ。ファンは、レコードの入手が難しいと不平を言うほどであった。

ただ一つ、今でも予測するのが難しいのは、特定の歌に対するファンの反応だ。作曲家や歌手が(レコードの)A、B面の頭の曲なら明らかに最も自信がある歌であるのに間違いないはずなのに、ファンはほとんど期待もしなかった歌をもっと好きだったりする。6集アルバム中の「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」もやはりタイトル曲ではないのだから。

とにかく、1集の大ヒットは、私を「マイカー族」の隊列に立たせた。今でも忘れることはできない、私の一番の車、(現代製の)白色のポニー2。

私は、レコードがよく売れて、自家用車を運転する厳然とした歌手だった。歌が下手な歌手は、もう歌手ではない。私はデビュー直後から、そうそうたる先輩歌手を追いかけて行くのではなく、「正面対決」を繰り広げて、私の道を歩んできたと思う。

歌唱力を評価する基準は、他の人の歌をどれくらい上手く歌うかにかかっていると私は信じる。

私は、デビュー当初や今も、放送に出演して他の歌手の曲をたくさん歌う方だ。私の歌があまり多くなかった新人時代には、70年代のフォークソングと先輩歌手の歌をたくさん歌った。チョー・ヨンピル、キム・スヒ、ユン・シネ、キム・ヨンジャさんなど当時最高歌手と舞台に一緒に立って、内心競争的に相手の方の歌を熱唱したその時の経験が、今日の私に多いに役に立ったと思う。

私も自分の声が高いと感じている。キー(Key)がハイ(high)なため、私は歌わねばならない相手歌手の歌が低音を中心にしている場合には、ちょっと苦労しなければならなかった。寝る間を惜しんで、歌詞を諳んじて、私の声をその歌手の声に合わせて・・・

先に話したように、デビュー初め、私はしばらく夜営業の所(キャバレー・酒場など)に出演した時期があった。ところで、行く所ごとに、どこでどのように聞いてきたのか、青少年のファンたちまで未成年者の立入禁止場所である酒場の中に入ってこようと出入口前でもめごとをしたりした。また、客は、客なのに「いくら芸能人でも『ちっちゃな』学生がこのように出てはいけないよ」と、隙さえあれば意見しようとした。

「いや、私も法的には完全な成人なのに、なんでこのように・・・」 しかし、何となく「突っ張って」自然に夜営業の所には往来を控えるようになった。

(この)夜営業の出演と関連して、ほとんど伝説的な話で、チェ・ヒジュン先輩が酔客から白のスーツに酒とおつまみの洗礼を受けた時、気まずくなった雰囲気を淡々として余有ある態度で、それ以上悪化させなかったという話がある。

反面、ある女性歌手は、意地悪な客にあらゆる悪口を浴びせまくることによって、禍を自ら招いたという話も聞いた。

私は、幸い酒に酔った客に辱めに会ったことが一度もなかった。恐らく、放送などを通して映った幼いイメージのおかげでないかと思う。その上、私は舞台の上に釘付けされたように、本来の場所で歌を歌うスタイルでない。客席と客席の間、テーブルとテーブルの間の通路をうんと歩き回る方だった。できるだけ多くの人々と握手もしながら・・・

荒いことで有名な永登浦地域の夜営業で2ヶ月間歌を歌う時、私はウェイターから感謝の言葉をしばしば聞いた。普段あまり目立たないが、円形舞台の周囲にはウェイターの「きらりと光る」視線がある。舞台上の芸能人が、警備員の役割まで兼ねているのだ。

ところが、私が出演してからは、荒い客よりネクタイ姿の会社員が多くなって仕事をするのがはるかに楽というのだった。あたかも「剣道館」や(学級委員の中から選ばれる)「善導部長」になったように、得意になった瞬間だった。

そのようなある日、舞台下に降りて握手するのを楽しむどころか、絶対に夜営業には途絶する事件が起きた。

ある夜の舞台だったか、「あ、昔よ」を歌っている時だった。

その日に限って、客席には荒っぽい男が多かった。突然どこかで何かが壊れる音が聞こえたのに続き、舞台の下が騒がしかった。 私を「警備」していた方々と、頭を剃ってズボンの胴には刃物までさげた、ある輩と喧嘩が起こったのだ。

事件の発端はこうだ。

歌手が舞台上で歌っていたら、握手するつもりで舞台の真ん前に出てくる客がいる。数ある中には、握手すると歌手を舞台の下に引っ張るやっかいな人もいる。それで、舞台周りには客を「装った」歌手のマネジャーや警備員が常に緊張の中で待機している場合が多い。

その日も、舞台上にぴたっと寄り添い座って「万が一の事態」に備えていた私の警備員(私が属したプロダクションの職員)を、その不良たちが、熱心な「イ・ソンヒ ファン」と誤認して、不正をはたらいたのだ。私に会わせてくれといって.。

歌っている私に向かって、彼らは「ソンヒよ、後で・・・」、何とかしてと、とても近い仲であるかのようにほらを吹いたし、これに対していきり立った私の「保護者」たちと言い争いを繰り広げることになったのだ。

今日、突然に「警備員」という言葉が登場するようになったのは、記憶も生々しい85年3月20日の脅迫事件がその根元になっている。

当時、私は一日平均7百~8百通ずつ押し寄せるファンレターで、集配人のおじさんの顔色をうかがわなければならない程大変な苦労をしていた。今でも一日に4百通余りの手紙を受けているが、返事はほとんどできない。デビュー初めから今まで、着実に便り伝える方々だけでも1千人近くなる。顔は分からないが名前と字体だけ見てもうれしい方々だ。

話が横道にそれたが、とにかくその頃30代初めぐらいに見える険しい若者3人が訪ねてきた。熱狂ファンなのを自任しながら。

なんだかんだとつまらぬことの末に、結論は「おれたちの店にも出演しないで、他の夜舞台をあちこち出ては『面白く』ないことと思え」と言うのだった。

実際には、一箇所と2ヶ月出演契約を結んだら、1年契約したのと変わらない。放送出演とか練習とかで言って見ると、出演キャンセルすることが多く、約束は約束だから2ヶ月間60回の舞台に立つという契約を守ろうとするなら、およそ1年ほどかかるからだ。

私を連れて行こうとしていた店は、いつのまにか「お連れ」参りし始めたし、当時では破格的な1ヶ月に7百万ウォンという最高水準の待遇を提示する所もあった。

怖いし、また昼間と夜を変えて生きるということに体質的に拒否感もあって、ずっと断ったところ「鼻っぱしらを高くふるまうな。二度と歌を歌えないようにする」という威嚇を受けたりもした。

だが、「お茶を一杯一緒に飲む機会をくれ。そうでなければ拉致する」と見えすいた脅しをする子どもっぽい少年の電話声には「ふざけているのね」といいながら、たいしたことないと思ったりもした。

しかし、私は彼らの顔が分からないが、私の一挙手一投足は完全に公開されたも同然だったので、結局、私の乗用車には警備員2人が同乗することになったのだ。
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