▼▼ 青字下線付語句のリンク先は、マウス右クリック+<新しいタブ>で進んでください。(本ブログ関連)の最下段に「次の投稿ホーム」があるとき次ページがあります。▼▼
検索キーワード「昔よ」に一致する投稿を関連性の高い順に表示しています。 日付順 すべての投稿を表示
検索キーワード「昔よ」に一致する投稿を関連性の高い順に表示しています。 日付順 すべての投稿を表示

2015年1月7日水曜日

(資料)イ・ソンヒ「1集(REMASTERING ALBUM)」の紹介

イ・ソンヒが1984年の「江辺歌謡祭」に登場して翌年発表した第1集アルバム「あ! 昔よ」(1985年)のリマスター版(JCDS0824)が、今月発売されることを知った。先週、CDショップで確認したところ未だ扱っていないといわれたけれど・・・。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒ 1集(Lee Sun Hee Remastered)”)

ネットの「シンナラ・レコード」に掲載されている、大衆音楽評論家・ジャーナリストのパク・ソンソによる「アルバム紹介」は、1集発売当時の様子を次のように記している。
---------------------------------------------------
イ・ソンヒ 1集Remastered、アルバム

韓国「最高のディーバ(歌姫)」、イ・ソンヒ Story
デビュー30周年を迎えるイ・ソンヒのデビュー初のソロアルバム「あ! 昔よ」

・デビュー30周年を迎える、今もまだ「少女」のような姿に清く透明な音色、そして一層深くなった感性・・・イ・ソンヒは、ますます関心が高まる不思議な魅力の持ち主だ。現在、韓国で活動する「最高のディーバ」、イ・ソンヒ初のソロアルバムのリマスタリング(Remastering)作業は、だから意味がより一層大きい。

・メディアに近況が全く知らされなかった去る2009年*、「助け合い公演」が繰り広げられていた汝矣島のKBSホール、予告なしに舞台にイ・ソンヒがサプライズ出演した。アメリカからまさに帰ってきて初めて立つ舞台と言ったし、非公式に立つ舞台だけに、本格的に活動を始める時、再び正式にごあいさつするとも言った。この舞台で、彼女が歌った歌は「あ! 昔よ」であった。少し短いコメントも(次のように)付け加えた。

(*)イ・ソンヒの第2の人生の始まりにおける一つのできごとである。

・「私が初めてデビューして、この歌を歌う時、ネクタイ部隊(中堅サラリーマン)のおじさんファンたちが一言一言(ぶうぶつ)いいましたよ。小さいのがもう『昔よ』を歌うのかと・・・その言葉の意味を、そしてこの歌の真の意味を今になって少しずつ分かる気がします。時間が過ぎれば過ぎるほど、私にはより一層大切に感じられる歌です」と。

・今でも7080世代に思い出という名で広く知られるMBC-FM主催「江辺歌謡祭」が論ざれるたび、一番最初に登場する名前がイ・ソンヒだ。「江辺歌謡祭」が輩出した最高のスター、そして彼女が歌った「Jへ」は最高の名曲として挙げられる。

(本ブログ関連:”7080世代”、”江辺歌謡祭”、”Jへ”)

・1984年、江辺歌謡祭の舞台に初めて立ったイ・ソンヒの姿を、まだはっきりと記憶している人々が多いだろう。それだけ印象的だった。混成デュエット(「4幕5場」)であるだけに、スカートを着るのが良いという放送局側の勧めにより即席で借りて着た、からきし大きな紺色のスカート姿の、腕白小僧のようなパンク頭のわきまえぬ姿・・・しかし、その小さい体躯から吹き出る澄んだパワフルな歌唱力は、皆を驚かせるに十分だった。結局、大賞を手にした「Jへ」は、翌日から人気集めを始めたし、この歌を歌った主人公には各種マスコミのフラッシュ洗礼が集中した。

・しかし、いざ注目を浴びたのは混成デュエットの「4幕5場」でなく、イ・ソンヒであった。「特に注目を浴びるほどのルックスではないので、さらに注目を浴びた」この手つかずの地味な姿は、かえって誰にも親近感を与え、若者たちは誰も彼も「J」になりたいと自らた請(こ)うただけに「Jへ ブーム」はすごかった。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「Jへ」”)

・「Jへ」より爆発的な歌唱力を生き生きと見せた歌が、まさにこの初ソロアルバムのタイトル曲「あ! 昔よ」だ。今は過ぎ去った日を回顧する代名詞である単語として位置づけられた「あ!昔よ」は発表されるやいなや、KBS「歌謡トップ10ゴールデン・カップ(5週連続1位)」を占めており、収録曲中の「葛藤」、「少女の祈り」、「私は恋に落ちました」など、何と七曲がチャートに同時進入する話題を集めた。

・トレードマークである丸いメガネとカット頭(ヘヤースタイル)が女子学生の間で大流行したほど、「イ・ソンヒ シンドローム」はすごかった。

・今は女性的にスタイルが変わって、「万人の恋人」として愛されているけれど、デビュー当時は中性的なボーイッシュな魅力と歌唱力で、女性歌手として珍しくハイティーン雑誌とレコードに実物サイズのブロマイドを入れて制作されるほど愛される「下敷スター」*であり、「姉さん部隊」(女性ファン)の元祖であった。

(*)ラミネート加工の写真入りの下敷きで、80年代、元祖下敷スターはイ・ミヨンだそうで・・・「80年代を最後に徐々に下敷きが消えた。下敷きは、単に学用品ではなく、スターといつも会う場所だった」(TVdaily、オ・スジョン記者)

・当時、ある雑誌との「100問100答(100문100답)」で打ち明けた「Jへ」の誕生背景も話題になった。作曲家イ・セゴン(李世建)の楽譜「Jへ」が、ある作曲家事務所*でゴミ箱に捨てられるのを見てその中ですくい出したというエピソードがそれ. 結果的に「捨てられた歌」を捜し出して「宝物」に作ったわけだ。

(*)チャン・ウクチョ音楽室、”イニシャルJ

・「あ! 昔よ」も他の歌手によって先に発表されたが、埋れていた歌であった。歌手チン・ピレによって1年余り前の83年5月に発表された当時、歌の題名は「その時と今」(パク・ゴンホ作詞、ソン・ジュホ作曲)」。この歌もまた、イ・ソンヒによって始めて光を見た歌だ。このようなエピソードは単に偶然な幸運でなく、多少運命的だと見なされる。はじめて歌が主人に会ったことと解釈される部分でもある*。

(*)韓国民歌ともいえるイ・ソンヒの「美しい江山」(4集、1988年所収)も同様なケースだろう。

・逆境は彼女をより一層輝かせる。「最高の最高のディーバ」という賛辞を受けて、韓国を代表する歌手として、そしてシンガーソングライターに変身して、第2の全盛期を謳歌しているイ・ソンヒのきらめく力作、この初のソロアルバムが吹き込み当時の原音そのままリマスタリングされたというのは非常に喜ばしいことだ。宝石以上の貴重な価値を持った原石をそっくり鑑賞することができるからである。 あたかも今歌うために、当時吹き込んでおいたようなこのアルバムは、そのためより多くの人々に感動させるだろう。
------------------------------------------------------------

(付記)
今日1月7日は、「七草の節句」ということで、無病息災を祈って寺院で七草粥をふるまう行事があるようだ。では、自宅で食べるにはどうすればいいのか、食材として売られているだろうか。はたまた、七草粥を食事できる店があるだろうか。結局、今年も無縁に終わってしまいそうだけど。

2018年2月27日火曜日

イ・ソンヒの本歌取り

ファンながら、イ・ソンヒのコンサートで、観客の気質が日本とだいぶ違うことを意識することがある。韓国らしい、地から押し出すように彼女が歌うときだ。

イ・ソンヒのコンサート後半に歌われる曲がある。そのとき、会場は熱狂し沸騰する。(最近にいたり)四、五十代中心の観客にもかかわらず、彼らは席を立ち、ペンライトを振って一緒に歌う。そんな光景が毎回見られる。

彼女の第1集所収の「あ! 昔よ(아! 옛날이여)」(1985年)、第4集所収の「美しい江山(아름다운 강산)」(1988年)がそれだ。面白いことに、これらには原曲があって、彼女に < 本歌取り > されたといってよい。今では彼女の持ち歌となり、国民歌謡的な存在でもある。

(”あ! 昔よ”、”美しい江山”)


<あ! 昔よ>
以前、ブログに紹介した一部を抜粋する。(大衆音楽評論家・ジャーナリストのパク・ソンソによる、第1集リマスター版「アルバム紹介」より)
-----------------------------------------------------
・「あ! 昔よ」も他の歌手によって先に発表されたが、埋れていた歌であった。歌手チン・ピレによって1年余り前の83年5月に発表された当時、歌の題名は「その時と今」(パク・ゴンホ作詞、ソン・ジュホ作曲)」。この歌もまた、イ・ソンヒによって始めて光を見た歌だ。このようなエピソードは単に偶然な幸運でなく、多少運命的だと見なされる。はじめて歌が主人に会ったことと解釈される部分でもある。
-----------------------------------------------------

(原曲)

(Youtubeに登録のUnInvited Guestに感謝)


(Youtubeに登録のAlejandro Kimに感謝)


<美しい江山>
ある意味、時の政権への反抗を秘めたといわれる、原曲作者シン・ジュンヒョン(申重鉉、신중현、1938年1月4日~)を象徴的な存在にした「美しい江山」は、思いっきり官能的に仕上げられた。
これも以前、ブログに紹介したことだが、1973年「NOW」に収録されている官能的なキム・ジョンミ(김정미)の歌をサイケデリック ロックの観点から、大衆音楽評論家カンホン(강헌)は、次のように解説している。(一部抜粋)
-----------------------------------------------------
・「美しい江山」のオリジナルボーカルがキム・ジョンミということは、大衆的にあまり知られていない。(バンドThe Men(더멘)と共による版とソロの版がある )
・キム・ジョンミの「美しい江山」を聞けば、今までの「健全歌謡」のサウンドが完全にひっくり返る破格的な響きに聞こえてくると記している。
-----------------------------------------------------

それが、イ・ソンヒの手にかかると、彼女の特徴である健全さ、清潔さと融合して、国民に浸透する歌謡になる。

(原曲)

(Youtubeに登録のSeoul GigCamに感謝)


(Youtubeに登録のwallace6813に感謝)

2015年1月8日木曜日

イ・ソンヒの「私は恋に落ちました」

1985年にリリースしたイ・ソンヒの初めてのアルバムがリマスタリングされて、今月(韓国では先月)お目見えする。1集「あ! 昔よ」(JCDS0824)について、大衆音楽評論家・ジャーナリストのパク・ソンソが「アルバム紹介」したものを、昨日の本ブログに掲載させていただいている。その中で、1集の驚異的ヒットについて次のように述べているヶ所がある。

-----------------------------------------------------
・「Jへ」より爆発的な歌唱力を生き生きと見せた歌が、まさにこの初ソロアルバム(第1集)のタイトル曲「あ! 昔よ」だ。今は過ぎ去った日を回顧する代名詞である単語として位置づけられた「あ!昔よ」は発表されるやいなや、KBS「歌謡トップ10ゴールデン・カップ(5週連続1位)」を占めており、収録曲中の「葛藤」、「少女の祈り」、「私は恋に落ちました」など、何と七曲がチャートに同時進入する話題を集めた。
-----------------------------------------------------
上記紹介の曲目中にある、「私は恋に落ちました(나는 사랑에 빠졌어요)」(作詞・作曲ソン・ジュホ)をYoutubeで視聴したい。
いかにも少女らしい恋に恋する曲であり、イ・ソンヒの特徴を最も示す、爆発的ではち切れんばかりの高音の絶唱を聞くことができる。あっけらかんとした初々しさもあって、どこか楽天的な曲ともいえる。(歌詞にある사랑を、「恋」と「愛」に使い分けてみた)


私は恋に落ちたみたい
私は恋に落ちたみたい

愛が何だかよく知らなくても
なぜか胸がドキドキします
*
しきりに誰か恋しくて
しきりに誰か会いたくて

ときめく心はなぜか
あなたを見れば細るこの心
この心、この心

私は恋に落ちました
私は恋に落ちました

愛が何だかよく知らなくても
なぜか胸がドキドキします

(*以下繰り返し)

愛が何だかよく知らなくても
なぜか胸がドキドキします

(Youtubeに登録のkang yeol jungに感謝)

2011年5月12日木曜日

ユ・ヒヨルのスケッチブック:ああ!昔よ

韓国経済の記事「『ユ・ヒヨルのスケッチブック』 イ・ソンヒ ヒット曲熱唱に観客ら催眠状態」(5/7)に、5/6放送されたKBS2の番組「ユ・ヒヨルのスケッチブック」で、イ・ソンヒが歌った曲が紹介されている。

Youtubeに登録されている最終4曲目は、国民歌手となるイ・ソンヒのデビュー第1集アルバムのタイトルであり、ミュージックビデオの走りでもあった、コンサート終盤に(今回はアンコールで)歌われる「ああ!昔よ(아! 옛날이여)」。


(Youtubeに登録のrosamin2に感謝)

(本ブログ関連:”ああ!昔よ” ← 表示後、画面右下の”前の投稿”で継続参照します)

2014年3月16日日曜日

イ・ソンヒ15集タイトルは「セレンディピティ(세렌디피티)」

SPORTSQの記事「イ・ソンヒ15集発表に、後輩歌手による献呈公演を用意」(3/13、キム・ナラ記者)に、イ・ソンヒの曲をカバーしたこともある歌手たちが献呈(トリビュート)公演を用意していると次のように報じている。
今回の新しい15集アルバムのタイトルは「セレンディピティ」で、10余曲が収集されているとのこと。なにより、同記事に掲載された彼女の写真(所属会社フックエンターテインメント提供)が素晴らしい。

(本ブログ関連:”セレンディピティ”)
(本ブログ関連:「Jへ」、「美しい江山」、「私はいつもあなたを」、「葛藤」、「ひとしきり笑いで」、「ああ!昔よ」、「因縁(絆)」、「思い出のページをめくれば」、「少女の祈り」、「狐の嫁入り(天気雨)」)

---------------------------------------------------------
国民歌手イ・ソンヒ
「小さな巨人」イ・ソンヒが5年ぶりにカムバックする。

イ・ソンヒは、2009年正規14集「愛よ...」の発表後、デビュー30周年を記念して、正規15集「セレンディピティ(세렌디피티)」を発売する。一層成熟した感性で、彼女の音楽人生30年を総決算する今回のアルバムに、10余曲自分だけの色が盛られた自作曲で収録した。また、わが国最高の作曲家、ダブル・キック(이단옆차기)、パク・グンテ(박근태)、ミス・ケイ(미스케이)、エピトンプロジェクトなどとの共同作業を通じて、音楽の新鮮さと深みに新譜の完成度を高めた。

来る25日、アルバム発売に合わせて開催されるイ・ソンヒのショーケースには、いつもイ・ソンヒを尊敬してきた後輩歌手ユン・ドヒョンが「私はいつもあなたを」、グミ(거미)は「分かりたいです」、イム・ジョンヒは「美しい江山」、タカピ(TACAPY)は「ひとしきり笑いで」、イ・スンギは「Jへ」をそれぞれのスタイルで再解釈して場を輝かせる予定だ。特に、今回のショーケースは、ポータルサイトDaumを通じて生中継され、イ・ソンヒの新曲をライブで鑑賞することができる。

大衆音楽評論家ガンホンは「イ・ソンヒは、女性ミュージシャンが弱者にならざるをえなかった音楽産業界で、堂々と両足で自分の歴史を自分で作った最初の人物だ」と絶賛した。

1984年「江辺歌謡祭」で大賞を受賞して、歌謡界に進出した歌手イ・ソンヒは、清らかな声を誇り、「Jへ」、「美しい江山」、「私はいつもあなたを」、「葛藤」、「ひとしきり笑いで」、「ああ!昔よ」、「因縁(絆)」、「思い出のページをめくれば」、「少女の祈り」、「狐の嫁入り(天気雨)」など数多くのヒット曲を量産した。
---------------------------------------------------------

2010年6月4日金曜日

ミュージックビデオ

TVREPORTの記事「『ハッピータイム』ムービーの変遷...イ・ソンヒから『UV』ユ・セユンまで 」(5/31)で、MBC番組「ハッピータイム」で放送されたミュージックビデオの時代変遷史を報じている。
まず最初に80年代のイ・ソンヒのミュージックビデオから次のように語られている。

ミュージックビデオの概念さえ疎かった1980年代は、ミュージックビデオの監督などいなくて、ショー番組の演出者らが好きな次元で映像、音楽的に製作した。 特徴は歌詞をまともに伝えるために、歌詞の通り映像を制作したことだ。 歌手イ・ソンヒの「ああ、昔よ」のミュージックビデオでは、<若い男女>を見て昔を懐かしむ<ご老人>の姿を表現している。(以下略)

上記の記事にはミュージックビデオの写真が掲載されているが、イ・ソンヒの「ああ、昔よ」の<若い男女>、<ご老人>とはどうやら人形のようだ。この人形が登場するミュージックビデオをYoutubeでは残念ながら見たことがない。

(付記)
鳩山前首相辞任発表(6/2)後の今日、菅氏が第94代首相に指名された。菅新首相の選挙区は東京都18区(武蔵野市、府中市、小金井市)で地元だ。

2009年3月13日金曜日

14集「愛よ...」を聴く

14集「사랑아...(愛よ)」を購入。早速聴きながら書かせていただく。アルバムに通奏する彼女独特のバラードは忘れていないが、何となくタンゴ風で軽くリキミのないものとか、強烈なファドを思わせる13集の「장미(ばら)」の余韻が未だ残っているのでしょうか。あるいはビートを効かせたものとか、驚いたことにバックにラップを入れたもの(チュ・ヒョンミも「사랑한다」で実験している)まで、次々と色々なスタイルで聞かせてくれる。
<1CD>
1. あなたの香り 그대 향기
2. 本当に悪い 참 나쁘다
3. 愛よ... (String Ver.) 사랑아...(String Ver.)
4. 愛! そのものが良い 사랑! 그 자체가 좋다
5. ひまわり 해바라기
6. 始めることができる? ...愛を 시작할 수 있을까?...사랑을
7. あなたの道 너의 길
8. あなたがなつかしい日 그대가 그리운 날
9. 空っぽになって行く世界 비워져 가는 세계
10. YOU TOO
11. 愛よ... 사랑아...

アルバムのもう一枚のライブ版「Best of Best」は、YouTubeで聴きなれたものばかりでありがたい。
<2CD>
1. 因縁 인연
2. 少女の願い 소녀의 기도
3. 愛が散るこの場所 사랑이 지는 이 자리
4. 秋の風 갈바람
5. 分かりたいです 알고 싶어요
6. 私はいつもあなたを 나항상 그대를
7. ライラックが散るとき 라일락이 질때
8. 思い出のページをめくれば 추억의 책장을 넘기며
9. 私の街 나의 거리
10. あなた私を愛してるなら 그대를 나를 사랑하신다면
11. 愛しか私はわからない 사랑밖엔 난 몰라
12. さよなら 안녕
13. 大丈夫 괜찮아
14. 葛藤 갈등
15. ああ、昔よ 아 옛날이여
16. 演奏 연주(演奏メンバー紹介)
17. 美しい江山 아름다운 강산
18. Jへ J에게

HISに行く。教保文庫でCDチェック、運よくコンサートに間に合えば。

2015年3月20日金曜日

(資料)「【パク・ソンソ評論】 韓国最高のディーヴァ、イ・ソンヒを再び聞く」

今年1月、イ・ソンヒが1984年の「江辺歌謡祭」に登場して翌年発表した第1集アルバム「あ! 昔よ(아! 옛날이여)」(1985年)のリマスター版(JCDS0824)が発売された。そのとき、このアルバムについて解説された記事がネットにあって、本ブログに紹介させていただいた。

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ「1集(REMASTERING ALBUM)」の紹介”)

大衆音楽評論家・ジャーナリストのパク・ソンソ氏の評論で、リマスター版登場の意義を、彼女の衝撃的なデビューとその才能、国民からの支持について、振り返る意味で記されたものだ。

イ・ソンヒの初期アルバムが、続けてリマスタリングされている2集、3集についても、以下の記事のようにパク・ソンソ氏の評論がなされている。イ・ソンヒの2集以降、デビュー当時の活躍も含めて論評が、NewsMakerの記事、「【パク・ソンソ評論】現 大韓民国 最高のディーヴァ(歌姫)、イ・ソンヒを再び聞く」(3/5)として掲載されている。

特に、イ・ソンヒ最大級のヒット曲である「分かりたいです」登場に直接関わった作詞家、作曲家とのインタビューもあり大変興味深い記事になっている。

(重複部分である第1集リマスター版の解説部分は上記リンク先を示してあるので、後述部分を次のように載せていただく。感謝)
-----------------------------------------------------
「8090熱風(80年代、90年代ブーム)」と共に「イ・ソンヒ再び聞くブーム」 - デビュー30年、イ・ソンヒのデビュー当時のレコードを再び聞き直す

改めて、「8090熱風」に加え、「イ・ソンヒの再リスニング」ブームである。
再び、歌謡界の原動力となっている、8090曲の単純な記憶の中の歌ではなく、
実際に、多くのオールドファンに思い出という新たな響きを満たしてくれている、
デビュー30年、しかし今も相変らず「少女」のような姿に透明な音色の、
そして、一層深くなった感性・・・イ・ソンヒは、ますます音楽愛好家の関心が高まる不思議な魅力の所有者だ。

特に、最近の世界的な傾向である、リマスタリング(Remastering)アルバムの発売ラッシュに合わせて、イ・ソンヒのデビュー当時のアルバム1、2、3集もすべてリマスタリング、再発売されるところになった
このアルバムが発表された1980年代、わが国の大衆音楽界にも新しい変化を繰り返していた。
特に、当時の男女歌手の最高のスター、チョー・ヨンピルとイ・ソンヒによって、わが国大衆音楽の地図が「ポップの時代」から「歌謡の時代」に転換し始めたのがそれ。
最近のある調査で、40~50代中高年のための「土土歌(MBC「土曜日、土曜日は歌手だ」)」を作成するならば、最も見たい歌手Top3に、チョー・ヨンピル、イ・ムンセ、イ・ソンヒがそれぞれ選ばれた。
かように、彼らのその何がオールドファンを今でも熱狂させるのだろうか。
デビュー当時の、イ・ソンヒのアルバムを探して、再び聞いてみる。

(文、パク・ソンソ大衆音楽評論家、ジャーナリスト)

イ・ソンヒ1集、デビュー30周年を迎えるイ・ソンヒ 初のソロアルバム「あ!昔よ」

(略)本ブログ掲載の”(資料)イ・ソンヒ「1集(REMASTERING ALBUM)」の紹介”に相当します。


イ・ソンヒ2集  イ・ソンヒ再発見、10代若者のスターから万人の恋人に浮上する

「イ・ソンヒ2集」は、無限の変化を繰り返している、現在のイ・ソンヒに最も近いアバター(avatar)だ。現在のイ・ソンヒの歌には慣れ親しんでいるものの、初期の歌が多少馴染み薄い今の世代、すなわちニンジン(イ・ソンヒのファンクラブ)たちには、「デジャヴ(既視感、deja vu)」が強く感じられそうだ。様々なジャンルの歌でも、「絶対音感の所有者」という評価とともに、シンガーソングライターとしての第一歩を踏み出したアルバムだからである。

1984年、デビュー初年、MBC 10代歌手賞、新人賞、最高人気歌謡賞を総なめし、3冠王に上がったイ・ソンヒ、これに対し専属会社<地球(レコード)>は、「10代だけのスター」から「全国民的に愛を受ける歌手」にするために、ソン・ジュホ作曲の歌で満ちあふれた「1集」からの軌道を旋回、当時のヒットメーカー作家を大挙参加させて、二番目のレコード制作に入る。

「秋の風(갈바람)」(チョン・ウンイ作詞、ナム・グクイン作曲)、「ケンチャナ(괜찮아、大丈夫)」(パク・ゴンホ、イ・ボムヒ)、「貧しい恋人のために(가난한 연인을 위하여)」(イ・ギョンミ、イ・ヒョンソプ)、「ソウルの夜(서울의 밤)」(ハ・ジヨウン、イ・ホジュン)、「そうです、誤りは私にあります(그래요, 잘못은 내게 있어요)」(チュ・セホ、チョン・ギョンチョン)などをはじめとして、イ・ソンヒ本人作曲の「風の中で(바람 속에서)」まで。

「デビューから5ヶ月だけで、10代歌手賞を受賞するほどの大型歌手としての力量が十分だったんですよ。音感も非常に良かったし。そして、『江辺歌謡祭の1等』より、『歌謡界全体の1等』を作らなければならないという考えでヒットメーカーを動員、様々なジャンルで幅を広げましたよ。また、本人が直接作った曲はもちろん、(イ・ソンヒ)本人が歌いたいと持ってきた『後悔(후회)』まで多様に収録しました。」と、アルバムA&R(Artist&Repertoire)を務めたイム・ソクホ、当時文芸部長の言葉だ。このように幅広いジャンルを試みた「イ・ソンヒ再誕生プロジェクト」は、すぐに続く3集の収録曲「分かりたいです(알고 싶어요)」(ヤン・インジャ作詞、キム・ヒガプ作曲)などで絶頂に達する。

去る2012年、イ・ソンヒはある媒体とのインタビューでこのように明らかにした。 「これ(2012年)まで、音楽的関心や趣向がずっと変わってきましたよ。子供の頃は、音楽の海が無尽蔵なことをそこまで知らなかった。しかし、デビュー以来、私が手にしたものが全てではないということに気づいたでしょう。意地がちょっと強いけれど、心を開いて受け入れるのも分かります。他の人たちがこの音楽が好きだ、あなたのものにしてみろ・・・ そのように薦めれば、ためらわず受け入れました。」

作曲家なら誰も曲を与えたいこのシンデレラについて、「2集」参加の作家はこのように評価する。

「声において非常に原則的な歌手です。基本的な発声、正確な拍子はもちろん、感情を節制しながらも、音そのものを堅固に出す、きれいな声を持った歌手でしょう。そういう少女的感性を生かしたくて『そうです、誤りは私にあります』の歌詞を書きましたよ。」 - 作曲家チュ・セホ。

「歌詞と意を正確に伝達する優れた歌手です。歌詞の感情を適切に表現する点も高く評価したいです。」 - 作詞家イ・ギョンミ。

「音色自体に豊かな感性が含まれている不思議な魅力の所有者でしょう。中 - 低 - 高音域、どの音域でもブレのない歌唱力、そのような利点を生かしてあげたくて、『貧しい恋人のために』と『希望(소망)』を作りましたよ。」 - 作曲家イ・ヒョンソプ。

今から30年前の85年11月に発売された、このレコードジャケットとジャケットに入っているブロマイドも当時話題になった。俗称「おばさん(アジュンマ)パーマ」という、いわゆる「滝(폭포)パーマスタイル」で、<江辺歌謡祭>に初めて姿を現したイ・ソンヒが、いつのまにか10代の少女たちに「イ・ソンヒそっくり(따라하기)ブーム」を起こらせた、「トンボ眼鏡にカットヘヤのキャラクター」を存分に誇ったアルバムだからである。この写真は、現在のドキュメンタリー写真家キム・ヨンボムが当時ファッションとロマンのメッカであった梨大(梨花女子大)入口を巡って撮影したものである。

純粋さ、それ以上この歌に込められてまだドキドキがそのまま感じられる、イ・ソンヒだけのアナログ的感性、その深い響きがファンにどのような感動的に近付くかとても気になる。


イ・ソンヒ3集、最高のArtistが集まって作ったイ・ソンヒの力作、その美しいラブソング

新たに「8090熱風」と共に、「イ・ソンヒの再リスニング」ブームだ。耳を傾けるほど、清らかで透明な音色に盛り込められている感性の深さが違うためだ。再び歌謡界の原動力となっている8090曲の、単純な記憶の中の歌ではなく、実際に多くの人々にとって思い出となり、80年代と90年代をまた他の響きで満たしてくれている。

このアルバムが初めて発売された1986年11月、大衆音楽界も新しい変化を重ねていた。特に、当時の男女歌手最高のスター、チョー・ヨンピルとイ・ソンヒなどによって、韓国大衆音楽の支配権が「ポップの時代」から「歌謡の時代」に転換し始めたのがそれ。

「イ・ソンヒブーム」を起こしたこのアルバムは、当時の最高のアーティストたちが大挙参加した力作である。そのラインナップを見ると、「A&R(Artist&Repertoire)_イム・ソクホ/ Violin_キム・ドンソク/キム・ジョンサン、イ・グァンイル、チョン・ミョンジャ、キ・ムユソン、シン・ユミ/ Cello_クォン・スミ、ペク・ンオク/ Guitar_イ・ユシン、キム・グァンソク/ Keyboard&Synthesizer_キム・ヨンニョン、キム・ジョンテク/ Bass_イ・スヨン/ Drums_ペ・スヨン/指揮_オ・チス/ Recording&Mixing_イ・テギョン、チャン・インソク/ Cutting_チャン・ジョングァン/ Photo_ホ・ジョンテ/ Design_ファン・チョルジュン」。

「10代スター」から「万人の恋人」として位置づけになる2集に続き、3集も当時のヒットメーカーたちが大挙アルバムに参加した。作曲家キム・ヒガプ、ナム・ククイン、イ・ボムヒ、チェ・ジョンヒョクを始め、ロックスタイルの実験的な音楽を追求していたキム・ホンタク、ユン・フイジュンはもちろん、「大学歌謡祭」出身の大学生作曲家まで、例えば、プロからアマチュアまでの様々な音楽ジャンルが共存するアルバムなのである。

「Young(영)」、「涙(눈물)」に加え、イ・ソンヒ3集の中で最も注目された曲は、やはり「分かりたいです(알고 싶어요)」だ。今でも最もソンヒらしいという評価を受けるの歌でもある。


名コンビ「ヤン・インジャとキム・ヒガプのカップル」が歌詞とメロディーでやりとりした世紀のラブレター、「分かりたいです」

▼先に発表した「Jへ(J에게)」と「あ!昔よ」がそうであったように、「分かりたいです」もイ・ソンヒにに来て新たに生まれた歌だ。この歌は、これより先に1978年、「秋の木々の間で(가을나무 사이로)」(キム・ヒガプ作詞・作曲、キム・イルウ*歌)というタイトルで、すでに発表された歌だ。題名と歌詞を変えて「分かりたいです」に再誕生させた作詞家ヤン・インジャさんに、当時の逸話を聞いてみた

(*)「秋の木々の間で」を歌った歌手を、1984年にイ・スンジェ(이승재)と紹介する記述がある(チェ・ギュソン大衆文化評論家)。上記によれば、1978年発表とのことで更に以前になる。

(本ブログ関連:”分かりたいです”)

「1985年、仕事のためにキム・ヒガプ先生のお宅に行くことになりました。その日、音楽を一つ聞かせてくれましたが、『秋の木々の間で』という歌でしたね。メロディーが美しくて寂しい歌詞と合わないようだといったところ、それでは歌詞を新しく書いてみろとおっしゃったのです。それで歌詞を書こうと、あれこれと思って考えているちょうど、ラジオでエルヴィス・プレスリーの「Are You Lonesome Tonight」が流れて出てきました。注意深く聞いてみたら、歌詞が最初から最後まで、質問形式ですよね。だから私も質問だけの歌詞を一度作ってみよう、と思って作った歌です。」

しかし、しばらくの間、「分かりたいです」の歌詞は、キム・ヒガプ先生の引き出しの中でただ眠っていた。 「わけもなく一人で恥ずかしかったんですって。本当にまれことでしょうか? そうなのかも知らずに、私は、なぜ吹き込まないかとずっと尋ねたところ、そのたびに『しなければならないですね・・・』といって言葉を濁したんですね。」

▼歌詞を歌詞以上に考えたためなのか、当時の状況をキム・ヒガプ先生に直接聞いてみた

「歌詞を受けてみると、率直な感情のままに直接的話法で表現しましたよ。なぜか瞬間恥ずかしい思いをした。何か一言いわなければならないではないか、という考えにぎこちない気分にもなって・・・だから、慌てて引き出しの中のうち閉じ込めて置きましたよ。そうしている間、イ・ソンヒの新しいアルバムに入れる曲を頼まれ、ヤン・インジャさんに歌を作ろうといったところ、「分かりたいです」こそイ・ソンヒにぴったり、なのに何をまたか・・・ってね。そして、しぶしぶ持っていった楽譜でした。最初はアルバムの裏に、それも三番目に挟んで入れたが皆がこの曲が良いということでしょう。いやはや・・・」

歌詞が、歌の理性ならばメロディーは歌の感性だ。その感性と理性に、イ・ソンヒのいきいきとして暗い影のない感情がさらに作用して、この歌は、発表直後の1987年当時、KBS「歌謡トップ10」の5週連続1位を取ってゴールデンカップを占めており、「You」、「闇は晴れて(어둠은 걷히고)」、「清らかな愛(청아한 사랑)」などと一緒に、イ・ソンヒに1987年ゴールデン・ディスク賞を与えた。

瞬く間に「万人の恋歌」に位置したこの歌(「分かりたいです」)は、その後、おしどり夫婦であり名コンビの「キム・ヒガプ - ヤン・インジャカップル」の結婚式の祝歌でも歌われた。新郎側の祝歌はブルーベルジュの「私の人生後悔はありませんが(내 인생 후회는 없지만)」、そして新婦側の祝歌がまさにこの歌「分かりたいです」であった。祝歌は、イ・ソンヒが直接歌った。

「イ・ソンヒを念頭に置いた歌詞とメロディー・・・イ・ソンヒは、私が望んだ私の姿の完成でした。歌が良いだけ考えも正しくて尊敬すべき部分が多い歌手ですよ。」ヤン・インジャさんのイ・ソンヒの評価がそうであるよう結論的に、この歌は、歌詞とメロディーでやりとりした「世紀のラブレター」であり、両方の結婚式場で祝歌に歌われた「愛のセレナーデ」になったわけである。一方、裏面のタイトル曲「遅れました(늦었어요)」は、ヤン・インジャさんが執筆したラジオドラマ「朝霧(아침안개)」の主題歌だ。

パワフルなロックスタイルの唱法がそっくりそのまま盛られている曲「もう離れなくちゃ(이제는 떠나야지)」と「暗闇を経て(어둠은 거치고)」もやはり、イ・ソンヒのもう一つの魅力が存分に引き立つ曲だ。

「歌唱力とフィーリング、そしてあや(彩)という三拍子を兼ね備えた歌手ですよ。特にイ・ソンヒのパワフルな歌唱力を生かすために、ソウル・シンガーのアレサ​・​フランクリン(Aretha Franklin)の歌を集中して聞きました。もちろん、イ・ソンヒはその時も見事だったが、時間が経つにつれ、より良い歌手になるだろう、こういう考えたこと思い出します。」 -「もう離れなくちゃ」の作曲家キム・ホンタク(He5、He6のリーダー)の言葉だ。

また、「その表情の意味(그 표정의 의미)」と「別れは本当に難しいです(이별은 정말로 어려워요)」は、1980年の「大学歌謡祭」に「厄払い(푸닥거리)」で参加した「ジプシー」のメンバーのヤン・シチュンが作った曲である。そのように、このアルバムを通じて当時の最高のヒットメーカーと、純粋な大学生作曲家たちが一緒に参加し、イ・ソンヒの隠れた魅力を多様に表出させている。

トップ・アーティストたちが参加したこのアルバムがリマスター作業を経て、原音そのままの音が蘇ったことも意味が大きい。まるで虫眼鏡で見るように声が、そして歌うシーンが歳月の厚さを退けて、まるで目の前に見えるようだ。アナログ的感性をそっくりそのまま再現した、30年前のこの曲は、母と娘の世代を分ける境界線ではなく、一緒に聞いても良い曲に生まれ変わるだろう。

デビュー30周年を経た今もまだ「少女」のような姿にきれいな透明な音色、そしてさらに深くなった感性・・・ますます関心が高まる不思議な魅力の持ち主、イ・ソンヒ。

「思い出はすべてを記憶できるが、記憶は全て思い出しきれない・・・」とか。しかし、長年の記憶の中で蘇る深い響き、鮮やかな現場の音を通じて、単に記憶される歌ではなく、多くの人々に、より大切な思い出としての地位になることを期待してみる。NM(NewsMaker)
-----------------------------------------------------

(付記)
イ・ソンヒの1集リマスタリングアルバムを手にしていた・・・ところ、なんと2集、3集もリマスタリングしているというではないか。ネットで調べると確かにある・・・また、新宿に行かねばならない。

2013年12月19日木曜日

(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「8.夜の舞台時代の警備員の話」

先日(9/27)、「スポーツ韓国」の紙面(1991年3月8日~4月5日)に連載された「イ・ソンヒ27歳当時のスター・ストーリー」記事の目次を紹介したが、その第8回目をここに載せたい。感謝。

イ・ソンヒが、デビュー初期の待遇や環境の変化への戸惑いと驚き、いわゆる夜営業(ステージのある店)に出演する際に直面したそして軋轢をガードした警備員の存在などを知ることができた。

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ(27歳当時)の「スター・ストーリー」”、”資料:이선희 Profile”)


[8] 夜の舞台時代の警備員の話
-----------------------------------------------------
1985年2月、私は初めて第一アルバムを世の中に出した。1集に収録されたすべての曲は、全てソン・ジュホ氏が作曲した歌だ。高校時代、チャン・ウクチョ音楽室での出会いが縁だった。

<少女の祈り(소녀와 기도)>と<女心(여심)>をそれぞれ(レコード)裏表面のタイトル曲として載せた1集アルバムはあきれるほどとても売れた。ソウルでは「あ! 昔よ(아! 옛날이여)」と「葛藤(갈등)」が人気であり、地方では「また咲く愛のために(다시 필 사랑위해)」、「光の子ら(빛의 자손들)」、「愛の約束(사랑의 약속)」、「少女の祈り(소녀의 기도)」などが強い勢いを見せた。(レコード)盤一つで、何と六曲もヒットしたのだ。ファンは、レコードの入手が難しいと不平を言うほどであった。

ただ一つ、今でも予測するのが難しいのは、特定の歌に対するファンの反応だ。作曲家や歌手が(レコードの)A、B面の頭の曲なら明らかに最も自信がある歌であるのに間違いないはずなのに、ファンはほとんど期待もしなかった歌をもっと好きだったりする。6集アルバム中の「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」もやはりタイトル曲ではないのだから。

とにかく、1集の大ヒットは、私を「マイカー族」の隊列に立たせた。今でも忘れることはできない、私の一番の車、(現代製の)白色のポニー2。

私は、レコードがよく売れて、自家用車を運転する厳然とした歌手だった。歌が下手な歌手は、もう歌手ではない。私はデビュー直後から、そうそうたる先輩歌手を追いかけて行くのではなく、「正面対決」を繰り広げて、私の道を歩んできたと思う。

歌唱力を評価する基準は、他の人の歌をどれくらい上手く歌うかにかかっていると私は信じる

私は、デビュー当初や今も、放送に出演して他の歌手の曲をたくさん歌う方だ。私の歌があまり多くなかった新人時代には、70年代のフォークソングと先輩歌手の歌をたくさん歌った。チョー・ヨンピル、キム・スヒ、ユン・シネ、キム・ヨンジャさんなど当時最高歌手と舞台に一緒に立って、内心競争的に相手の方の歌を熱唱したその時の経験が、今日の私に多いに役に立ったと思う。

私も自分の声が高いと感じている。キー(Key)がハイ(high)なため、私は歌わねばならない相手歌手の歌が低音を中心にしている場合には、ちょっと苦労しなければならなかった。寝る間を惜しんで、歌詞を諳んじて、私の声をその歌手の声に合わせて・・・

先に話したように、デビュー初め、私はしばらく夜営業の所(キャバレー・酒場など)に出演した時期があった。ところで、行く所ごとに、どこでどのように聞いてきたのか、青少年のファンたちまで未成年者の立入禁止場所である酒場の中に入ってこようと出入口前でもめごとをしたりした。また、客は、客なのに「いくら芸能人でも『ちっちゃな』学生がこのように出てはいけないよ」と、隙さえあれば意見しようとした。

「いや、私も法的には完全な成人なのに、なんでこのように・・・」 しかし、何となく「突っ張って」自然に夜営業の所には往来を控えるようになった。

(この)夜営業の出演と関連して、ほとんど伝説的な話で、チェ・ヒジュン先輩が酔客から白のスーツに酒とおつまみの洗礼を受けた時、気まずくなった雰囲気を淡々として余有ある態度で、それ以上悪化させなかったという話がある。

反面、ある女性歌手は、意地悪な客にあらゆる悪口を浴びせまくることによって、禍を自ら招いたという話も聞いた。

私は、幸い酒に酔った客に辱めに会ったことが一度もなかった。恐らく、放送などを通して映った幼いイメージのおかげでないかと思う。その上、私は舞台の上に釘付けされたように、本来の場所で歌を歌うスタイルでない。客席と客席の間、テーブルとテーブルの間の通路をうんと歩き回る方だった。できるだけ多くの人々と握手もしながら・・・

荒いことで有名な永登浦地域の夜営業で2ヶ月間歌を歌う時、私はウェイターから感謝の言葉をしばしば聞いた。普段あまり目立たないが、円形舞台の周囲にはウェイターの「きらりと光る」視線がある。舞台上の芸能人が、警備員の役割まで兼ねているのだ。

ところが、私が出演してからは、荒い客よりネクタイ姿の会社員が多くなって仕事をするのがはるかに楽というのだった。あたかも「剣道館」や(学級委員の中から選ばれる)「善導部長」になったように、得意になった瞬間だった。

そのようなある日、舞台下に降りて握手するのを楽しむどころか、絶対に夜営業には途絶する事件が起きた。

ある夜の舞台だったか、「あ、昔よ」を歌っている時だった。

その日に限って、客席には荒っぽい男が多かった。突然どこかで何かが壊れる音が聞こえたのに続き、舞台の下が騒がしかった。 私を「警備」していた方々と、頭を剃ってズボンの胴には刃物までさげた、ある輩と喧嘩が起こったのだ。

事件の発端はこうだ。

歌手が舞台上で歌っていたら、握手するつもりで舞台の真ん前に出てくる客がいる。数ある中には、握手すると歌手を舞台の下に引っ張るやっかいな人もいる。それで、舞台周りには客を「装った」歌手のマネジャーや警備員が常に緊張の中で待機している場合が多い。

その日も、舞台上にぴたっと寄り添い座って「万が一の事態」に備えていた私の警備員(私が属したプロダクションの職員)を、その不良たちが、熱心な「イ・ソンヒ ファン」と誤認して、不正をはたらいたのだ。私に会わせてくれといって.。

歌っている私に向かって、彼らは「ソンヒよ、後で・・・」、何とかしてと、とても近い仲であるかのようにほらを吹いたし、これに対していきり立った私の「保護者」たちと言い争いを繰り広げることになったのだ。

今日、突然に「警備員」という言葉が登場するようになったのは、記憶も生々しい85年3月20日の脅迫事件がその根元になっている。

当時、私は一日平均7百~8百通ずつ押し寄せるファンレターで、集配人のおじさんの顔色をうかがわなければならない程大変な苦労をしていた。今でも一日に4百通余りの手紙を受けているが、返事はほとんどできない。デビュー初めから今まで、着実に便り伝える方々だけでも1千人近くなる。顔は分からないが名前と字体だけ見てもうれしい方々だ。

話が横道にそれたが、とにかくその頃30代初めぐらいに見える険しい若者3人が訪ねてきた。熱狂ファンなのを自任しながら。

なんだかんだとつまらぬことの末に、結論は「おれたちの店にも出演しないで、他の夜舞台をあちこち出ては『面白く』ないことと思え」と言うのだった。

実際には、一箇所と2ヶ月出演契約を結んだら、1年契約したのと変わらない。放送出演とか練習とかで言って見ると、出演キャンセルすることが多く、約束は約束だから2ヶ月間60回の舞台に立つという契約を守ろうとするなら、およそ1年ほどかかるからだ。

私を連れて行こうとしていた店は、いつのまにか「お連れ」参りし始めたし、当時では破格的な1ヶ月に7百万ウォンという最高水準の待遇を提示する所もあった。

怖いし、また昼間と夜を変えて生きるということに体質的に拒否感もあって、ずっと断ったところ「鼻っぱしらを高くふるまうな。二度と歌を歌えないようにする」という威嚇を受けたりもした。

だが、「お茶を一杯一緒に飲む機会をくれ。そうでなければ拉致する」と見えすいた脅しをする子どもっぽい少年の電話声には「ふざけているのね」といいながら、たいしたことないと思ったりもした。

しかし、私は彼らの顔が分からないが、私の一挙手一投足は完全に公開されたも同然だったので、結局、私の乗用車には警備員2人が同乗することになったのだ。
-----------------------------------------------------

2009年11月14日土曜日

イ・ソンヒのデビュー

イ・ソンヒが、無名の作曲家イ・セゴン(이세건)との偶然の出会いにより、「Jへ(J에게)」は誕生した。その歌をもって、1984年7月29日に江原道(강원도)春川(춘천)の南怡島(남이섬)で開かれた、MBC「第5回 江辺歌謡祭(강변가요제)」に仁川専門大学の「4幕5場(4막5장)」チームとして出場し、大賞を受賞した。そのときの光景は、イ・ソンヒが出演のKBS2「不巧の名曲(불후의 명곡)」の番組で見ることができる。

番組中のMBC資料映像には、歌謡祭の司会をイ・ムンセ(이문세)がしており、イ・ソンヒとイム・ソンギュン(임성균)の2人が登場している。 イ・ソンヒのスタイルは、伝説の髪型、めがね(サングラス)、そして水色のスカートである(一説に親の目を避けるための変装)。さらに番組では、「Jへ」がパティ・キムにはじまりイ・スンギにまで歌われる映像が紹介される。

ところで、hanafos.comのイ・ソンヒ紹介に、4幕5場チーム以後について次のように記している。
「彼女は、1985年に4幕5場というチームが事実上瓦解して単独でデビューをする。 デビューアルバムは、<ああ昔よ>、<葛藤>が収録され、すごい成功を記録する。」
1985年、彼女のデビューアルバム1集「ああ!昔よ(아! 옛날이여)」(歌詞)が世に出ることになる。

(YouTubeに登録のstickyrice740ilに感謝)

(本ブログ関連:4/136/76/88/48/2510/17

2009年11月30日月曜日

イ・ソンヒのソロデビュー

1984年7月29日、「江辺歌謡祭」の舞台に、大学サークル「四幕五場」からイ・ソンヒとイム・ソンギュンの二人が登場して、<デュエット>で「Jへ」を歌い大賞を受賞した。
TASTORYに掲載されている、ブログ「ダチョウのあれこれ音楽ものがたり(타조의 이런 저런 음악 이야기)」の「イ・ソンヒ-Jへ/あ!昔よ(1集)」(2004/1/17)では、翌1985年1月25日にイ・ソンヒが一人でデビューアルバム(第1集「あ!昔よ(아! 옛날이여)」)を出したことについて、イム・ソンギュンが「軍隊に行ったせい」と説明している。イ・ソンヒは、「江辺歌謡祭」の舞台で、そのとき既に白く大きな翼を広げていたことになる。

(本ブログ関連:4/136/76/88/48/2510/1711/1411/29 【付録】4/310/5

2014年8月20日水曜日

「浜辺の歌」

むかし、結核は死の病だった。確実に蝕み最期を迎える。しかも、それは早い。母が子ども時代、結核患者の出た家の前を通るとき、息を止めて走り過ぎたという。誰もが、そんな恐怖を共有した。

竹久夢二の描く女性像に、はかなさと寂しさを残す結核患者のイメージがある。当時、小説や絵画を通して、若くして夢を失う姿を身近に感じられたのだろう。今はその実感がない。ちなみに、竹久夢二は結核を患って、一年も満たずに亡くなっている。

また、祖母が幼い頃に見たという、お遍路さんの中には、(他の重病だが)体が確実に蝕まれながら死に場所を探すひとたちがいたという。お遍路の行為に、生と死の境を旅するという実感は今はない。

死と直結した結核を同心円にして作品に接すると、その時代の思いに一歩でも近づくかもしれない。
懐かしい歌曲、「浜辺の歌」の作詞者林古渓には、結核療養した恋人がいたという(ネット上で知る)。また、作曲者の成田為三も、この病の友人を療養所に見舞ったという*。

(*)「唱歌・童謡ものがたり」(読売新聞文化部、岩波現代文庫)に、この歌について次のような一節がある。
「(歌の舞台の)候補地の一つ、(秋田県の)『道川海岸』説をとる岩城町は、同町の結核療養所に友人を見舞った成田が、月見草の咲き乱れる道川海岸を見て曲想を得たと主張する」

美しい旋律の「浜辺の歌」に、今とは違うものを当時の人々は感じていたかもしれない。

「浜辺の歌」

あした浜辺を さまよえば
昔のことぞ しのばるる
風の音よ 雲のさまよ
よする波も かいの色も
   
ゆうべ浜辺を もとおれば
昔の人ぞ しのばるる
寄する波よ かえす波よ
月の色も 星のかげも


(Youtubeに登録のyasuji4193に感謝)

2016年6月25日土曜日

「応答せよ1988」 イ・ソンヒの挿入歌

ナム・ウィキ(namu.wiki)」は、ケーブルテレビ「tvN」の番組「応答せよ」シリーズで、19.6%の最高視聴率を獲得した「応答せよ1988」(2015.11.06~2016.01.16、全20話)に挿入された曲目とその場面を合わせて紹介している。その中から、特にイ・ソンヒについて、曲だけリストアップしてみた。感謝。
なお、1988年はソウルオリンピックが開催された年であり、その前年には大衆運動にともない大統領の直接選挙が実施されている。

(本ブログ関連:”「応答せよ」”)

-------------------------------------------
2話 - 「ヤング(영)」(作詞:クォン・ヒョクシク、作曲:ナム・ククイン、イソンヒ3集 - 「なくしてしまった約束」(1986))

3話 -「私は恋に落ちました(나는 사랑에 빠졌어요)」(作詞:ソン・ジュホ、作曲:ソン・ジュホ、イソンヒ1集 - 「ああ!昔よ/少女の祈り」(1985))

5話 - 「走れ、ハニー(달려라 하니)」O.S.T。<(勝気な)ドクソンがTVを見ながら「バナナ味牛乳」を飲む場面で出てくる>

8話 - 「ひとしきり笑いで(한바탕 웃음으로)」作詞:ソン・シヒョン、作曲:ソン・シヒョン、イソンヒ5集 - 「ひとしきり笑いで」(1989))

9話 - 「私はいつもあなたを(나항상 그대를)」(作詞:キム・ミンジョン、作曲:ソン・シヒョン、イソンヒ4集 -「愛が散る場所」(1988)) ・・・ 2つの場面で流れる。

10話 - ① 「葛藤(갈등)」(作詞:ユン・ヒジュン、作曲:ソン・ジュホ、イソンヒ1集 - 「ああ!昔よ/少女の祈り」(1985))、
② 「私はいつもあなたを」(作詞:キム・ミンジョン、作曲:ソン・シヒョン、イソンヒ4集 - 「愛が散る場所」(1988))

19話 - 「私はいつもあなたを」(作詞:キム・ミンジョン、作曲:ソン・シヒョン、イソンヒ4集 - 「愛が散る場所」(1988))
-------------------------------------------

「応答せよ」シリーズは未見である。この1988版でもと思うが・・・全20話は長いな。

2009年3月26日木曜日

「音楽旅行ラララ」に...

MBCの番組「音楽旅行ラララ」にイ・ソンヒは登場した。プライベートコンサートのように「愛よ...사랑아... 」が歌われた。どこか静謐を覚えさせる彼女の歌声は響いた。そこには映像で見るステージとはちがう等身大の彼女がいた。彼女は清雅で美しかった。
YouTubeの映像で、これほど彼女の歌う姿をアップにしたものがあっただろうか。また、同じ「愛よ...」が歌われたMBCの「ショー! 音楽中心」では薄紅色の色調であったが、今回はバックに翠色の照明をあてていた。
他にも色彩にリズムを持たせながら、「因縁인연」、「JへJ에게」、「私の街나의 거리」、「分かりたいです알고 싶어요」、「私はいつもあなたを나항상 그대를」、「ああ、昔よ아! 옛날이여」が歌われた。
(登録したCodeAnalysis [(リンク削除)LeeYoungKeun]に感謝)
⇒(以上の動画は、YouTubeに「この動画はユーザーにより削除されました。」と記載済)
⇒4/19のリンク参照

2016年3月14日月曜日

イ・ソンヒ「ひとしきり笑いで」

イ・ソンヒのコンサートで、彼女の代表曲「美しい江山」や「あぁ!昔よ」になると、客全員が立ち上がりペンライトを振って唱和するのに驚く。彼女が「国民歌手」といわれる由縁である。この曲には、彼の地のひとびとの感情を揺さぶるものがあるようだ。

同様であるが、歴史的背景をうかがわせる曲がある。「五月の陽射し(오월의 햇살)」と同じ、5集(1989年)に所収の「ひとしきり笑いで(한바탕 웃음으로)」(作詞作曲ソン・シヒョン)のときもそうだ。舞台に圧倒的に響き渡る軽快な彼女の声から、直ぐにその理由を推し量るのは(日本人の耳に)難しかった。

「ひとしきり笑いで」という曲名に暗喩すら気づかない。同じアルバム曲と合わせて、かつ歌詞から類推できないわけではないが、後付けの理解である。ただし、ひとつ気になることがある。彼女が常に(振幅のある)政治の本流と関わりを持ち続けることだ。他の歴史的な歌手と違った立ち位置にあることについてだ。国民歌手の地位を確立した現在、超越していて、杞憂だろうけど。

(本ブログ関連:”五月の陽射し”、”ひとしきり笑いで”)


ひとしきり笑いして、知らないふりをするには
この世界の若いため息が、あまりにも深くて
ひとしきり涙して、忘れてしまうには
この世界の若い傷跡が、あまりにも大きい

私は再び眠りたいだけ、子どもの頃のように夢の中で
私は再び夢を見たいだけ、ひたすら笑っていた子供の頃のように

若いため息、ため息が薄れる日、世界は本当に美しいよ
若い傷跡、傷跡が薄れる日、世界は本当に美しいよ

ひとしきり笑いして、知らないふりをするには
この世界の若いため息が、あまりにも深くて
ひとしきり涙して、忘れてしまうには
この世界の若い傷跡が、あまりにも大きい


(Youtubeに登録のAlejandro Kimに感謝)

2015年10月30日金曜日

イ・ソンヒ「ひとしきり笑いで」

イ・ソンヒの5集所収の「ひとしきり笑いで(한바탕 웃음으로)」(作詞作曲ソン・シヒョン、1989年)について、以前、「『あ!昔よ』、『美しい江山』、『ケンチャナ』などに通じる、彼女の歌の中で、何かを吹き払い、いかにも前向きな響きがする、韓国らしいトーンの強い曲である」と記した。コンサート会場で見た観客の熱狂からそう察した。

(本ブログ関連:”ひとしきり笑いで”)

会場の反応に、ある意味、定番のような気もしたが、昨日の本ブログに紹介した、釜山日報の「ウィークエンジョイ」(10/28)の記事、「【8090 この歌この名盤】17.イ・ソンヒの4集と5集(アルバム) - 『Jへ』 彼女を除いて80年代歌謡を語るな」(チェ・ソンチョル ペーパーレコード代表)によれば、次のように社会性を帯びているという。歌詞を見れば暗喩的である。事情についていずれ知りたいと思う。
├-----------------------------------------------------------
■ あちこちに社会性の濃い曲配置した5集 (1989年)

(5集収録の)「五月の陽射し」は、80年光州民主化運動(光州事件)の犠牲者の英霊を慰める曲であり、「ひとしきり笑いで」もまた時代の痛みが滲んでいる曲だった。直接的ではないが、歌詞の中に比喩的に隠されたメッセージは、通常の民衆歌謡に劣らず深くおぼろげだった。・・・
-----------------------------------------------------------┤

ひとしきり笑いして、知らないふりをするには
この世界の若いため息が、あまりにも深くて
ひとしきり涙して、忘れてしまうには
この世界の若い傷跡が、あまりにも大きい

私は再び眠りたいだけ、子どもの頃のように夢の中で
私は再び夢を見たいだけ、ひたすら笑っていた子供の頃のように

若いため息、ため息が薄れる日、世界は本当に美しいよ
若い傷跡、傷跡が薄れる日、世界は本当に美しいよ

ひとしきり笑いして、知らないふりをするには
この世界の若いため息が、あまりにも深くて
ひとしきり涙して、忘れてしまうには
この世界の若い傷跡が、あまりにも大きい

(Youtubeに登録のAlejandro Kimに感謝)

2013年11月26日火曜日

イ・ソンヒの「ひとしきり笑いで」

イ・ソンヒの5集所収の「ひとしきり笑いで(한바탕 웃음으로)」(作詞作曲ソン・シヒョン、1989年)は、彼女の歌の中で、「あ!昔よ(아! 옛날이여)」、「美しい江山(아름다운 강산)」、「ケンチャナ(괜찮아)」などに通じる、何かを吹き払い、いかにも前向きな響きがする、韓国らしいトーンの強い曲である。

(本ブログ関連:”ひとしきり笑いで”)

ひとしきり笑いして、知らないふりをするには
この世界の若いため息が、あまりにも深くて
ひとしきり涙して、忘れてしまうには
この世界の若い傷跡が、あまりにも大きい
 
私は再び眠りたいだけ、子どもの頃のように夢の中で
私は再び夢を見たいだけ、ひたすら笑っていた子供の頃のように
 
若いため息、ため息が薄れる日、世界は本当に美しいよ
若い傷跡、傷跡が薄れる日、世界は本当に美しいよ
 
ひとしきり笑いして、知らないふりをするには
この世界の若いため息が、あまりにも深くて
ひとしきり涙して、忘れてしまうには
この世界の若い傷跡が、あまりにも大きい
 
(Youtubeに登録のsunnyfan100に感謝)

2015年6月29日月曜日

イ・ソンヒの歌をYoutubeでカラオケしよう

韓国の代表的カラオケ機器企業、KY(クムヨン・金泳)カラオケ(금영노래방、KY【Kumyoung】)が、Youtubeに各種カラオケ曲を提供している。もちろん、イ・ソンヒの歌も、ほ・ほ・ほ~(サンタクロースのように言おう)というほど沢山!網羅していて、視聴+歌うことができる。

ちょっとアレンジが入っている曲もあるが、それよりカラフルな幾何模様の映像(昔風にいえばサイケデリック)に目がまわりそう、それもご愛嬌。部屋にこもって、一人カラオケすると、あれれ、もっと上手く歌えたはずなのに・・・(イ・ソンヒの、あの情感がこれっぽっちもない)と反省する。

思い出のページをめくれば

ゆらぐる、思い出のページをめくれば
ああ、遂に果たせなかった悔しさと侘しい贖罪が

むかしのことのように、ぼんやりとかすむ窓枠の塵(ちり)のように
ああ、胸に積もるよ、今は遠ざかったあなたの微笑みのように

雨風がなくても春は来て夏は行く
ああ、あなたよ・・・涙がなくても、花は咲き葉はやがて散る

ああ、わたしに残った懐かしい、歳月を浮かべて、眠りにつくよ、夢を見るよ
眠りにつくよ、夢を・・・見るよ・・・

2016年3月2日水曜日

イ・ソンヒの「見知らぬ海辺で」

冬も今日までのようだ。昼下がり、通りに吹く風に春を気付いた。これからは、夜道に漂う香りに驚き、沈丁花の花を探すことになるだろう。気象でいう春は今月からだ。

昔、風が頬をなでる春に、海辺にタイドプール(潮溜まり)を探した。そこに取り残された生き物たちがいる。水底をじっとながめて離れようとしない子どもたち。空高く浮かぶ鳶の姿がまぶしい。やっぱり、温いのはいいな。春になれば行動範囲も広がる。

ところで、海辺は切ない想いを慰めるところでもある。イ・ソンヒの11集所収の「見知らぬ海辺で(낯선 바닷가에서)」(1998年、作詞イ・ジェギョン、作曲バク・セジュン)は、実らぬ想いを海に投げる。波音は癒し、潮風は抱擁してくれる。子どもとおじさんには無縁かもしれない、若者だけの海辺があるようだ。

(本ブログ関連:”見知らぬ海辺で”)


あなたを全て忘れるため、ここまで来たのよ
空が、青い海と出会う場所に

一つずつ思い出を取り出して、もう二度と私の心に込められぬよう
そう、あなたを私も捨てたくて、私のこころから去ってよ (ha~)

たとえ、こんなに、あなたを押しやってみても、戻ってくる
白い波のように、もう一度探しに来て

あなたもまた心に、まだ私がいるのなら、私に帰ってきて
昔のように、私を愛してよ
           _______

一人残った時間は、恐ろしい沈黙になってしまって
たとえ私がいやだといっても、別れのときだったの (ha~)

この世の全ては、あなたから始まって、あなたがいない
私の現実という、深い悪夢だけよ

帰ってきて、私のそばに、私の手を握って
私の息が尽きるその日まで、あなたを待っているわ (ha~)

(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2015年10月29日木曜日

(資料) 「イ・ソンヒの4集と5集(アルバム) - 『Jへ』 彼女を除いて80年代歌謡を語るな」

久し振りに、イ・ソンヒについての評論記事がネットを飾った。釜山日報(BUSAN.com)の「ウィークエンジョイ」(10/28)の記事、「【8090 この歌この名盤】17.イ・ソンヒの4集と5集(アルバム) - 『Jへ』 彼女を除いて80年代歌謡を語るな」(チェ・ソンチョル ペーパーレコード代表)は、80年代に登場したイ・ソンヒの席捲と躍進について次にように語っている。

イ・ソンヒの4集、5集アルバムは、1988年、89年と連続リリースされた。これをリマスター版「ALL THAT MASTERPIECE LEE SUN HEE 4+5」として、2011年に再発行されている。昔からのファンの支持が、このような形に再結晶化したのだろう。本ブログで以前にも触れたが、名曲が網羅されている。記事では、ソン・シヒョンとの関わりが興味深い。

(本ブログ関連:”「ALL THAT MASTERPIECE LEE SUN HEE 4+5」”)

├-----------------------------------------------------------
1984年前半期、歌謡界最高のヒロインは、断然チェ・ヘヨン(최혜영)だった。彼女のデビューアルバム収録曲「それは人生(그것은 인생)」は、当時最高の人気曲であったし、後続曲の「水のような愛(물같은 사랑)」の人気も侮れなかった。そのままならば、年末の各種新人賞は、文字通り確実なものだった。

ちょうどその時、一瞬に地図をひっくり返してしまった問題ある、その人が忽然と登場する。彼女の名前はイ・ソン・ヒだった。 1984年夏、仁川専門大学生だったイ・ソンヒは、同じ学校のイム・ソンギュンと一緒に「4幕5場」という混成デュエットで、江辺歌謡祭に参加し、大賞を握った。受賞曲は「Jへ(J에게)」だった。その日を起点として歌謡界の人気版図は、荒波の中に巻き込まれていった。

江辺歌謡祭大賞後、ソロとして本格的な活動
84年の最高のヒット歌謡・・・各種賞獲得
ソン・シヒョンと出会って4・5集の付き合い、音楽も変化
5集には「五月の陽射し」など社会性の濃い曲

■ 歌謡界の地図塗り変えた「4幕5場」の登場 (1984年)

イム・ソンギュンの入隊のため、ソロで本格的な活動に乗り出したイ・ソンヒの人気は、想像を超越した。 「Jへ」は、KBS歌謡トップテンで5週連続1位を占めるなど、絶大な人気を得て、1984年最高のヒット曲となり、年末のKBS歌謡大賞とMBC10代歌手歌謡祭の新人賞も、当然イ・ソンヒの獲得だった。個人的な感想を言えば、当時、私は、チェ・ヘヨンと「それは人生」が好きだった。イ・ソンヒと「Jへ」の登場は、少なくとも彼女(チェ・ヘヨン)には不運だった。「Jへ」の人気がどれだけすごいといったら、しばらくして「J あなたは」という類似品が出たこともあった。 (両方の曲とも、イ・セゴン(이세건)が作詞、作曲した歌だ)

■ 1985年、正式デビューとヒットパレード (1集、2集)

「Jへ」ただ一曲で、1984年を自分の年してしまったイ・ソンヒの正規1集は、翌年の1985年の初めに出た。ここで、「ああ!昔よ(아! 옛날이여)」、「葛藤(갈등)」、「少女の祈り(소녀의 기도)」などが相次いでヒットし、彼女は自分の人気が「Jへ」の一回で終わらないことを立証した。その年が経つ前(同1985年)に再度出した2集では、「秋の風(갈바람)」、「ケンチャナ(괜찮아)」、「そうよ過ちは私にあります(그래요 잘못은 내게 있어요)」などのヒット曲が続けて出たし、1986年出した3集でも「分かりたいです(알고 싶어요)」、「暗闇は晴れて(어둠은 걷히고)」、 「Young(영)」などが多くの愛(支持)を受けた。

(□ 1986年 3集

■ イ・ソンヒ+ソン・シヒョン(송시현)、発展の証明書 4集、そして5集 (4集:1988年)

1988年2月に出た4集は、イ・ソンヒのディスコグラフィーで非常に重要な位置を占めている。ここから彼女の音楽が意味のある変曲点を迎えたのだ。ところで、その変化の糸口を説明する名前の一つがある。まさにソン・シヒョンだ。

1987年「夢みるような世界(꿈결같은 세상)」のヒットで名前を知らせたシンガーソングライター、ソン・シヒョンはこの時からイ・ソンヒのアルバム作業に参加を始めたが、4集でLPのA面タイトル曲である「愛が散るこの場所(사랑이 지는 이 자리)」と、B面タイトル曲「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」を含めて、全4曲が彼の作品である。二人の出会いは成功だった。ソン・シヒョン特有の感受性と叙情性は、イ・ソンヒの声とよく調和たし、以後も、彼はしばらくの間、イ・ソンヒと共にすることになる。

4集で最も高い関心が集まった曲は、「美しい江山(아름다운 강산)」である。韓国ロックの巨人シン・ジュンヒョン(신중현)の名曲をリメイクした「美しい山河」の評価は、多少分かれてるが、概ね編曲と演奏面ではそれほど高い点数を得ることができない。しかし、この曲でさえもイ・ソンヒの歌唱力だけは、非の打ち所がない。また、それまでは大衆的にそれほど大きく知られていなかった同名曲が、イ・ソンヒのリメイクによって、多くの人々から愛(支持)されるようになったので、その功労もまた小さいということはできないだろう。個人的には、4集でユン・テヨン(윤태영)作詞、作曲の「歳月は流れても세월은 흘러도)」を最も好む。容易で平易なメロディーを持ったこの歌は、たとえ大ヒットではなかったが、ボサノバ風の洗練された編曲が直ちに耳をひきつける曲だ。

■ あちこちに社会性の濃い曲配置した5集 (1989年)

5集は、1989年に出たが、イ・ソンヒはここでまた一歩進んだ姿を見せてくれた。アルバムのあちこちに社会性の濃い曲を配置したのだ。「五月の陽射し(오월의 햇살)」は、80年光州民主化運動(光州事件)の犠牲者の英霊を慰める曲であり、「ひとしきり笑いで(한바탕 웃음으로)」もまた時代の痛みが滲んでいる曲だった。直接的ではないが、歌詞の中に比喩的に隠されたメッセージは、通常の民衆歌謡に劣らず深くおぼろげだった。この他にも、5集は、(ロックバンド)「山鳴り(산울림)」のキム・チャンワン(김창완)が作った二つの曲が収録されており、目を引くのが、同年イム・ジフン(임지훈)によっても発表された「お姉ちゃん(누나야)」と、ハミングとナレーションが続く独特の雰囲気(独白調)の曲「水仙(수선화)」がそれで、キム・チャンワン特有の歌詞とイ・ソンヒの若い張りのある声が調和した「水仙」は、やや実験的な曲である。ソン・シヒョンは4集に続き、5集でも極めて重要な役割を果たしている。アルバムの代表曲である「ひとしきり笑いで」と「冬哀傷(겨울애상)」がまさに彼が作った曲である。

■ 80年代を貫いた名・歌・手  李・仙・姫(イ・ソンヒ)

最近、「私は歌手だ(나는 가수다)」に続いて「覆面歌王(복면가왕)」というTV番組が首都の話題だ。この番組に対して、好き嫌いが交錯しており、個人的には、他の長所・短所を離れて、多くの人々が、次のような点をもう一度考えてみることができようになったのは、大いに励みになる。歌手とミュージシャンは違う。したがって歌が上手なのと音楽を上手なことも全く違う次元の問題だ。もちろん、優れたソング・ライティング能力と歌唱力を兼ね備えて両方をうまくこなした場合、是非の余地はないが、天才的ソングライターだが、歌ができない人もいるだろうし、逆にソング・ライティング能力がないが、歌だけは最高に上手くすることもまたありだろう。私たちは、どちらか一方を無視したり、けなす必要なく、それぞれを認めればそれまでだ。

この大きな課題で、歌が上手ということも一つで定義されるものではないと、異議を申し立て方があることが分かる。正しい。筆者もやはり賛成する。歌手はそれ​​ぞれの個性があり、またそれぞれの歌にふさわしい声やボーカルスタイルもある。唯一の爆発的な声量を持って、高音領域でクールなシャウトを聞かせてくれることだけが歌の上手なわけではない。時には低めの口ずさむことがより優れた瞬間もある。

しかし、すべてのものを考慮しても、これだけは明らかである。イ・ソンヒは、優れた歌手であり、彼女なしでは決して80年代の歌謡を話すことができない。このシリーズを介して再び紹介されるイ・ソンヒの4集と5集は、彼女が活き活きしていた初期を過ぎて、本当によく似合う組み合わせだったソン・シヒョンと会って成し遂げられた発展的成果であり、80年代を貫いた彼女の明確な足跡を確認する、最も明澄な(明るく澄みわたった)証明書だ。
-----------------------------------------------------------┤