今日から旧暦の弥生3月が始まる。昼と朝夜の気温の差が激しくて、穏やかな春を感じるに至っていない。幸い天気は良いようだ。
親類から借りていた「シェルブールの雨傘(Les Parapluies de Cherbourg)」(1964年)を観賞する。デジタルリマスター版の綺麗な画質だ。フランス版ミュージカル(音楽:ミシェル・ルグラン)で、流れるような歌い方に耳が自然になじむ。そして、とても女性的な映画である。
ちなみに、この映画が公開された1964年は、イ・ソンヒの誕生した年でもある。
場面を見ながら ト書き風に以下に記してみた。無粋な感想はひかえるが、堅実に生きてきたマドレーヌのギイに対する想いが好きだな。そして、最後のギイの振る舞いはよかった。守るべき家族があるのは幸せなことだ。
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(出発)
1957年11月
母親の傘店を手伝う娘ジュヌヴィエーブ16歳
自動車修理工場で働く青年ギイ20歳
黒服の若い宝石商カサールは、傘店の経営の苦境を知り支援を申し出る
2年間という兵役の召集令状を受けたギイ、戸惑うジュヌヴィエーブ
[ここで二人は、この映画を代表する歌を歌う]
そしてシェルブール駅でのギイとの別れ
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(不在)
1958年1月
ギイの子を妊娠したと母に告げる
宝石商カサールを自宅に招く
カサールは母親に、ジュヌヴィエーブとの結婚の意志を告げる
1958年2月
戦地から愛を確かめるギイの手紙が届く
カサールへ手紙を書くジュヌヴィエーブ・・・
1958年3月
カーニバル
お腹が大きくなるジュヌヴィエーブ、孫を想像する母親
カサールから絵葉書が届いたと伝える母親
1958年4月
カサールから贈られた指輪を渡す母親
ジュヌヴィエーブと港を散策して、子どもを僕らの子にしようと申し出るカサール
そして、カサールとジュヌヴィエーブの結婚式
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(帰還)
1959年3月
雨のシェルルブール駅を降りたギイは、持ち主のかわってしまった傘店を覗く
ギイは、育てのおばから、ジュヌヴィエーブは結婚式の晩に出発したと事情を聞く
寝たきりのおばを看病してくれているマドレーヌとギイは再会する
1959年4月
荒んだギイは、復職した自動車修理工場をケンカしてやめて街をさまよう
その晩に、おばが亡くなったことを、翌日マドレーヌから知らされる
一人残されたギイは、去ろうとするマドレーヌの存在の大きさに気づく
マドレーヌは、ジュヌヴィエーブへの想いを引きずり労働の意欲を失ったギイをたしなめる
ギイは、マドレーヌの出立を引き止める
1959年6月
現実に戻ったギイは、おばの遺産を元手に、念願のガソリンスタンドを手に入れる
そして、ギイは正式にマドレーヌに求婚する
それでも、ギイの心にジュヌヴィエーブの姿がないか不安がるマドレーヌ
1963年12月
ガソリンスタンドにクリスマスの飾り付けをするギイとマドレーヌ
そのそばに、太鼓を打って遊ぶ小さな男の子フランソワ
クリスマスのおもちゃをせがんだフランソワと、マドレーヌは一緒に雪の中を出かける
直後、一台の車がガソリンスタンドに給油に寄る
車には、ジュヌヴィエーブと娘フランソワーズが乗っている
ギイは、給油中、ジュヌヴィエーブをオフィスに招き入れる
母を亡くし、シェルブールに結婚以来初めて戻ったというジュヌヴィエーブ
車中に待つ娘に会うかと問われたギイは、それを断り、早く立ち去るよう促す
別れに、「あなた 幸せ?」と問うジュヌヴィエーブに、ギイは「ああ、幸せだよ」と応える
車が去った後に、戻ってきた母子を迎えるギイ、じゃれて雪の上で戯れるフランソワ
夜のガソリンスタンドの上に雪が静かに降りつづく
(Youtubeに登録のRicardo Leitnerに感謝)
2012年3月22日木曜日
2017年6月24日土曜日
独りで見た映画
初めて独りで見た映画は、今はなき「アートシアター新宿文化」(ATG)で上映された、ソ連映画「僕の村は戦場だった(Иваново детство)」(アンドレイ・タルコフスキー監督、日本公開1963年8月)だった。ちょっと独りなりたい気分のころのこと、とはいえタイトルにひかれて行ったのが本当だろう。
(本ブログ関連:”僕の村は戦場だった”)
当時の私は、主人公の想いや運命を解釈できる余裕に乏しかったが、主人公の行動を理解するのに難しさはなかった。素朴な共感だからこそ、分かったことながら結末が本当に辛かった。もちろん映像表現に感動もした。白樺の林、デューラーの版画「メランコリー」図の配置、井戸底の水面の輝き、水辺の情景など印象深い場面が記憶に残っている。
主人公イワンは、それでも私より歳下の少年ながら、独ソ戦の戦地を潜り抜けるように斥候として働く少年兵だ。そして孤児である。恐怖を現実として捉えるに十分でなかったのかもしれない。大人は彼を利用する。少年の純粋さを感じとり、彼を思いやる若き将校は親身に気遣うが、少年は戦場の偵察におもむく。
イワンの思い出にも家族がある。そんな少年が少年のまま人生を終わってしまう展開を、私は本当に理解しただろうか。誰ででもあるイワンが、もし生き延びていたら、過去も変わっていたかもしれない。
死者は語らない。生きた者だけが過去を語る。語る言葉は、時間と共に純化する。そして、届く距離もその純化に加担する。
(フル動画)⇒ 画面の ▶ をクリック後画面表示される「Youtubeで見る」のリンク先で視聴可能。
(Youtubeに登録のМосфильмに感謝)
その後、大学生になると問題意識を持とうとするものだ。黙って決意したかのように見たのが、イタリア映画「アルジェの戦い(La battaglia di Algeri)」(日本公開1967年2月)だった。表面的な理解でしかなかったかもしれないが、当時、フランスの退役軍人による軍事組織「OAS」は秘密でもなく、その名のまま独立戦争に対する鎮圧の先兵の役割を果たしていたし、そのように新聞報道されていたと思う。ドキュメントタッチの映画には、OASとの戦いのなか、投降を拒んだアルジェリアの若者たちが登場する。
(本ブログ関連:”アルジェの戦い”)
その後、OASは歴史の影に追いやられる(映画「ジャッカルの日」へと続く。また、映画「シェルブールの雨傘」の背景にもなったようだ)。今も、軍事的な制圧に対抗するテロといった構図は変わらない。
(予告編)⇒ フル動画は、Youtube「zesio」登録
(Youtubeに登録のSalem Zemaliに感謝)
(本ブログ関連:”僕の村は戦場だった”)
当時の私は、主人公の想いや運命を解釈できる余裕に乏しかったが、主人公の行動を理解するのに難しさはなかった。素朴な共感だからこそ、分かったことながら結末が本当に辛かった。もちろん映像表現に感動もした。白樺の林、デューラーの版画「メランコリー」図の配置、井戸底の水面の輝き、水辺の情景など印象深い場面が記憶に残っている。
主人公イワンは、それでも私より歳下の少年ながら、独ソ戦の戦地を潜り抜けるように斥候として働く少年兵だ。そして孤児である。恐怖を現実として捉えるに十分でなかったのかもしれない。大人は彼を利用する。少年の純粋さを感じとり、彼を思いやる若き将校は親身に気遣うが、少年は戦場の偵察におもむく。
イワンの思い出にも家族がある。そんな少年が少年のまま人生を終わってしまう展開を、私は本当に理解しただろうか。誰ででもあるイワンが、もし生き延びていたら、過去も変わっていたかもしれない。
死者は語らない。生きた者だけが過去を語る。語る言葉は、時間と共に純化する。そして、届く距離もその純化に加担する。
(フル動画)⇒ 画面の ▶ をクリック後画面表示される「Youtubeで見る」のリンク先で視聴可能。
(Youtubeに登録のМосфильмに感謝)
その後、大学生になると問題意識を持とうとするものだ。黙って決意したかのように見たのが、イタリア映画「アルジェの戦い(La battaglia di Algeri)」(日本公開1967年2月)だった。表面的な理解でしかなかったかもしれないが、当時、フランスの退役軍人による軍事組織「OAS」は秘密でもなく、その名のまま独立戦争に対する鎮圧の先兵の役割を果たしていたし、そのように新聞報道されていたと思う。ドキュメントタッチの映画には、OASとの戦いのなか、投降を拒んだアルジェリアの若者たちが登場する。
(本ブログ関連:”アルジェの戦い”)
その後、OASは歴史の影に追いやられる(映画「ジャッカルの日」へと続く。また、映画「シェルブールの雨傘」の背景にもなったようだ)。今も、軍事的な制圧に対抗するテロといった構図は変わらない。
(予告編)⇒ フル動画は、Youtube「zesio」登録
(Youtubeに登録のSalem Zemaliに感謝)
2017年5月5日金曜日
「走れ、走って逃げろ」
イ・ソンヒが主題歌を歌ったTVアニメ「走れハニー(달려라 하니)」(1985年~1987年放送)は、幼い頃に母を病気で亡くした少女ハニーが、しかもその後、父親が女性タレントに心移りするといった辛い境遇にありながら、中学の陸上選手として成長するスポーツドラマだ。
(本ブログ関連:”走れハニー”)
体育教師との強い絆に見守れたハニーは、目標と心の支えを得たればこそ、自分を見つめ陸上選手として活躍することができたのだろう。ソウルオリンピックの前年まで放送されたという。
似た題名だが、児童書に「走れ、走って逃げろ」(U. オルレヴ、母袋夏生訳、岩波少年文庫)がある。体験に基づくもので、時代は遡り、第二次大戦中のポーランド国内の農村や森に逃げて生き延びたユダヤ少年の幸運な出会いを語っている。このGWに読んでみたらと、教室で先生から紹介されたものだ。
死者は語ることができないといった話を先生はされたと思う。主人公(スルリック、逃亡中「ユレク」と名乗る)は、8歳から12歳ころまでの間に生死を分けた、そして偶然といっていい出会いに救われる。幸いにも過去を語る側に立てたのだ。街角や森の奥に隠れ住むユダヤの少年たち、牛飼いのため雇ってくれたポーランドの農民家族、逃亡を見て見ぬ振りをしたドイツ兵、・・・、一個人で相対したとき、素の人間があらわれ、善人もいれば、恐怖の人間もいた。
私が子どもの時代でも、まだ戦後の余韻が残っていて、テレビは今では考えられないほど太平洋戦争の記録映画を放映したし、漫画雑誌に少年の戦闘機パイロット物語が連載された。だから、戦争経験者の体験記も文芸春秋の特集号として掲載された。子どもながらに読んだ印象は、銃弾の銃創の激痛であり、ひもじさであり、果てのない逃走の記録だった。生き残った人々の言葉は、直接的で、肉体的なものだった。彼らの言葉には、その後語られるような分析(俯瞰)はなかった。
「走れ、走って逃げろ」もそうだ。過去も明日もない、今日をどうやって生き抜くか、それが精一杯なのだから。もし、少年の回想に、死を身近にする場面があるとすれば、逃走の途中、偶然再会した瀕死の父の言葉かもしれない。生きるためにすべきこと、そして忘れてはならないことを、父親は早く逃げるようさとしながら語った。
結果、少年は生き抜いた。体験者(主人公)の話をもとに著された「走れ、走って逃げろ」は、似た経験を持つとはいえ、作家(著者)の手になるものだ。もし本人が体験記として書いたらどうなったか気になるところだ。
(本ブログ関連:”ひまわり ①、②”、”シェルブールの雨傘”、”君の名は”)
(5/6追記)
今日(5/5)は、祝日「こどもの日」であり、春分と夏至の中間で夏の始まりを示す「立夏」だ。実際は、明日・明後日の土日の休日が残っており、GWがまだ続く。
(本ブログ関連:”走れハニー”)
体育教師との強い絆に見守れたハニーは、目標と心の支えを得たればこそ、自分を見つめ陸上選手として活躍することができたのだろう。ソウルオリンピックの前年まで放送されたという。
似た題名だが、児童書に「走れ、走って逃げろ」(U. オルレヴ、母袋夏生訳、岩波少年文庫)がある。体験に基づくもので、時代は遡り、第二次大戦中のポーランド国内の農村や森に逃げて生き延びたユダヤ少年の幸運な出会いを語っている。このGWに読んでみたらと、教室で先生から紹介されたものだ。
死者は語ることができないといった話を先生はされたと思う。主人公(スルリック、逃亡中「ユレク」と名乗る)は、8歳から12歳ころまでの間に生死を分けた、そして偶然といっていい出会いに救われる。幸いにも過去を語る側に立てたのだ。街角や森の奥に隠れ住むユダヤの少年たち、牛飼いのため雇ってくれたポーランドの農民家族、逃亡を見て見ぬ振りをしたドイツ兵、・・・、一個人で相対したとき、素の人間があらわれ、善人もいれば、恐怖の人間もいた。
私が子どもの時代でも、まだ戦後の余韻が残っていて、テレビは今では考えられないほど太平洋戦争の記録映画を放映したし、漫画雑誌に少年の戦闘機パイロット物語が連載された。だから、戦争経験者の体験記も文芸春秋の特集号として掲載された。子どもながらに読んだ印象は、銃弾の銃創の激痛であり、ひもじさであり、果てのない逃走の記録だった。生き残った人々の言葉は、直接的で、肉体的なものだった。彼らの言葉には、その後語られるような分析(俯瞰)はなかった。
「走れ、走って逃げろ」もそうだ。過去も明日もない、今日をどうやって生き抜くか、それが精一杯なのだから。もし、少年の回想に、死を身近にする場面があるとすれば、逃走の途中、偶然再会した瀕死の父の言葉かもしれない。生きるためにすべきこと、そして忘れてはならないことを、父親は早く逃げるようさとしながら語った。
結果、少年は生き抜いた。体験者(主人公)の話をもとに著された「走れ、走って逃げろ」は、似た経験を持つとはいえ、作家(著者)の手になるものだ。もし本人が体験記として書いたらどうなったか気になるところだ。
(本ブログ関連:”ひまわり ①、②”、”シェルブールの雨傘”、”君の名は”)
(5/6追記)
今日(5/5)は、祝日「こどもの日」であり、春分と夏至の中間で夏の始まりを示す「立夏」だ。実際は、明日・明後日の土日の休日が残っており、GWがまだ続く。
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