今日は父の日。このブログでは、イ・ソンヒの父と家族について、父と母、祖父の生き方、父の仕事、そしてイ・ソンヒの政界進出時の父との関係などさまざまな情報を記してきた。
(本ブログ関連:”イ・ソンヒと父”)
イ・ソンヒの音楽的才能は、祖父譲りのおおらかさと、父の音楽的素養と躾、さらに母の慈愛があって開花したのだろう。その父が、仏教音楽「梵唄」の指導者と知って確信を深めた。彼女の高音とパワフルな声に、そんな背景があったに違いない。彼女の自伝的な「スター・ストーリー」を読めば納得できるだろう。
しかしながら、イ・ソンヒに才能を与えた父が仏教と深い関係があることに葛藤があったのも事実のようだ。仏教における僧侶の妻帯問題だ。この点についてもいろいろと記してきた。
(2014年4月7日午後放送されたSBS「ヒーリング・キャンプ」で、彼女は音楽仲間のとの語らいの中で、この事実を吐露する場面があった。そのとき、歌手仲間たちは初めて知ったといった顔を見せた。本人の口から直接聞かない限り、ネット上で、あるいは書籍で既知であっても、そういった対応をせざる得ないものだ)
(本ブログ関連:”韓国仏教”、”妻帯僧(韓国では帯妻僧)”)
韓国仏教の中で特異な存在と見られる帯妻僧について、Ko-Wikipediaに次のような解説がある。(参照記事:「韓国仏教の歴史」と「帯妻僧」)
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韓国では、既婚僧侶を可能にする《帯妻僧》の伝統がなかったが、朝鮮後期の《抑仏政策》の中で、寺院の生活を管理(寺院の運営実務を担当)する僧侶を、(参禅・看経・念仏をはじめとする修道に従う)修行僧の『이판승(理判僧)』に対応して、『사판승(事判僧)』と呼んだことから結婚した僧侶という概念が生まれた。
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ここで着目するのは、仏教弾圧下の李氏朝鮮時代に遡って、「事判僧」という存在である。韓国仏教について素人なため、事判僧が当時どのような生活をしていたか知らなかったところ、「事判僧」に当ると思われる、戦前・戦後を経験したある無名の僧侶に光をあてたケーススタディがある。「さまよえる『鬼神』一 日本の植民地支配と『近代化』」(岡田活樹 神戸大学国際文化学部助教授、「人類学研究所通信」13・14号、2006年3月)は、いわゆる戦前の朝鮮(韓国)での仏教統治の「寺刹令」、および戦後に持ち越された「帯妻僧」の存在について淡々と多様に事例を紹介している。
実は、帯妻僧問題は、その起源が上記の事判僧の存在にあるように思われるのだが、日韓の特別な課題につながりかねない《微妙な問題を含んでいる》 と思われる。
2017年6月18日日曜日
2017年6月17日土曜日
イ・ソンヒの歌う「麦畑」
KBSの国際放送「KBS WORLD」が放送する「国楽の世界へ」を毎週楽しく聴取している。といっても、短波でも中波でもなく、もっぱらネットを通じてだ。「国楽」というと重々しく聞こえるが、内容は豊富で、かつての支配階級の宮廷音楽や教養人の雅趣に富んだ風流音楽、日々たくましい庶民の歌(民謡、祝い歌や労働の歌)、庶民の娯楽であった物語りのパンソリ、更には宗教に関わる仏教音楽(梵唄)や土着的な巫俗音楽まで。そのうえ、ネイティブの録音版から、いまどきの音楽家によるモダンにアレンジした演奏まである。一週間に一度、ある意味直截的に理解できるよい機会でもある。
(解説紹介のキム・ボエさんの優しい語り口が素晴らしい)
国楽について、いつも気になることがある。物語りのパンソリを、市民が果たして聴き取れているのかということだ。実は、漢語の羅列といっていいほど満ちている。東洋文庫の「パンソリ」を参照すれば分かることだが、大筋は大衆的物語りをベースにしているのだろうが、採録者の教養と自負がなせるせいか極めて晦渋で衒学的なのだ。
歌舞伎の演目の場合、通しというより、代表的な幕を選んで観劇することが多い。パンソリも、そんな鑑賞スタイル(大衆受けする場を聞く)かもしれない。聞くところによると、若い人にパンソリの浸透は低いというが・・・。
上記番組で「麦刈りや脱穀に関する曲」の紹介があったのを、一昨昨日(6/14)のブログに記した。麦は、水はけの整わぬ土地柄でも収穫できる貴重な食べ物だ。わたしの地元も、江戸時代に開発された武蔵野新田の歴史がある。以前、郷土の「麦打ち歌」について図書館で調べてみたことがある。旧い村ごとに違っていて、意外に多様なのに驚いた。とはいえ、いくつかのバージョンに、若い男が娘を探すような味付けがされているのを見てニヤッとしたものだ。民謡はこうでなくちゃ。
(本ブログ関連:”麦打ち ①、②”)
ところで、韓国大衆に愛されている愛唱歌に「麦畑(보리밭)」(1952年、作詞パク・ファモク、作曲ユン・ヨンハ)がある。イ・ソンヒも随分と格調高く歌っている。この曲を、韓国のクラシック歌手たちも歌っているのをYoutubeで多数見る。ベルカント唱法というのか、聴いているうちに重くなってしまう。イ・ソンヒの場合は、大衆歌手だから素直に聞き入ってしまう。それに、Youtube映像の、彼女のつけまつげが、かわゆくてしょうがないのだ。
麦畑(むぎばた) 間道(あいだみち)、通り抜ければ
誰かが呼ぶ 声がして
私を止める
昔の想いが 寂しくて
口笛吹けば
きれいな歌、耳元に 聞こえてくる
振り返れば、誰れも 見えなくて
夕焼けの 空だけが
目に満ちる
(Youtubeに登録のjenny.kimに感謝)
(解説紹介のキム・ボエさんの優しい語り口が素晴らしい)
国楽について、いつも気になることがある。物語りのパンソリを、市民が果たして聴き取れているのかということだ。実は、漢語の羅列といっていいほど満ちている。東洋文庫の「パンソリ」を参照すれば分かることだが、大筋は大衆的物語りをベースにしているのだろうが、採録者の教養と自負がなせるせいか極めて晦渋で衒学的なのだ。
歌舞伎の演目の場合、通しというより、代表的な幕を選んで観劇することが多い。パンソリも、そんな鑑賞スタイル(大衆受けする場を聞く)かもしれない。聞くところによると、若い人にパンソリの浸透は低いというが・・・。
上記番組で「麦刈りや脱穀に関する曲」の紹介があったのを、一昨昨日(6/14)のブログに記した。麦は、水はけの整わぬ土地柄でも収穫できる貴重な食べ物だ。わたしの地元も、江戸時代に開発された武蔵野新田の歴史がある。以前、郷土の「麦打ち歌」について図書館で調べてみたことがある。旧い村ごとに違っていて、意外に多様なのに驚いた。とはいえ、いくつかのバージョンに、若い男が娘を探すような味付けがされているのを見てニヤッとしたものだ。民謡はこうでなくちゃ。
(本ブログ関連:”麦打ち ①、②”)
ところで、韓国大衆に愛されている愛唱歌に「麦畑(보리밭)」(1952年、作詞パク・ファモク、作曲ユン・ヨンハ)がある。イ・ソンヒも随分と格調高く歌っている。この曲を、韓国のクラシック歌手たちも歌っているのをYoutubeで多数見る。ベルカント唱法というのか、聴いているうちに重くなってしまう。イ・ソンヒの場合は、大衆歌手だから素直に聞き入ってしまう。それに、Youtube映像の、彼女のつけまつげが、かわゆくてしょうがないのだ。
麦畑(むぎばた) 間道(あいだみち)、通り抜ければ
誰かが呼ぶ 声がして
私を止める
昔の想いが 寂しくて
口笛吹けば
きれいな歌、耳元に 聞こえてくる
振り返れば、誰れも 見えなくて
夕焼けの 空だけが
目に満ちる
(Youtubeに登録のjenny.kimに感謝)
2017年6月16日金曜日
電信の応用
科学が発展するのに、ひとりの天才が突然現れて世界を一変させる・・・なんてことを、子どものころ偉人伝を読んですっかり刷り込んでしまった。けれど、ガリレオを先導したジョルダーノ・ブルーノの存在が如何に大きかったかを、浪人中に岩波新書を読むまで知らなかった。
天才の種は、すでに深く耕された肥沃な土壌があってこそ開花し実を結ぶ。物語で理解すると、豊穣な大地に気付かず果実を求めてしまう。物語はわかりやすく理解しやすいが、誰かの手で書かれたものでしかない。事実をひとつひとつ丁寧に積み上げて実証する研究者は大切な存在と思う。
Wikipediaによれば、信号司令部に参加した総人員は次の通り。
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(北軍の)信号司令部が戦時任務終了後、1865年8月に解隊されるまでに、146名の士官が任命されるか任官を提案された。実際は297名の信号士官が任命されたが、非常に短期間の者もいた。戦争中に携わった兵士の総数は約2,500名になった
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(モールスが「奴隷制度」支持だったとは実に皮肉なことだ)
日本でも1877年の「西南の役」に電信は使われている。東京から熊本へのワイヤーが、街道の松並木を電信柱にして張り付けられた、そんな錦絵がある。現地の政府軍には、Wikipediaによれば、電信掛74名(電信掛長:大島貞恭少佐)が編制されている。(1874年の「佐賀の乱」で、電信が既に使われていた)
電信は、科学というより技術工学だから、実りもはやく大きなものだったのだろう。
(本ブログ関連:”運が良けりゃ”、”インディアン・ラブ・コール”)
電信は、科学というより技術工学だから、実りもはやく大きなものだったのだろう。
(本ブログ関連:”運が良けりゃ”、”インディアン・ラブ・コール”)
2017年6月15日木曜日
始めの10歩 イディッシュ語
ようやく10日目。カリキュラムの道のりを半分を越えたけれど、思うように定着が進まない。どうやら、我が頭と口が空回りしているようだ。イディッシュ語の滑走路を走り回るだけのタキシングばかり、いっこうに浮揚しないのだ。いろいろと教材を工夫される先生の期待に応えられるか、不安が止まない。
メイン教材は次第にヘビーな内容を扱うようになり、ネット教材はテンポよく先へ進む。追加された教材は入り口と比べて、後半が覚悟の必要なボリュームになっている。これからきっと、単語力(格変化)の重要さを思い知るだろう。結局、記憶力なんだよね。
(本ブログ関連:”始めの ~歩 イディッシュ語”、”イディッシュ語”)
・先生紹介のネット公開教材ソフトの「レベル2-1」(!שפּרינגט ... איצט)の復習、命令形の口頭練習。
・先生推奨の入門書のレッスン8(ייִדן אין געטאָ)を輪読: 第2次大戦下、ゲットーに居住を強いられたユダヤ人の窮乏について。後半は次回。ドイツ(”דײַטש”:「ダイチュ」)の発音に、”German”でもない、”Deutsch”でもない、どこか東洋的な響きがするのは気のせいか。
・先生がネットで見つけた、古いイディッシュ語の初級教科書「דער אָנהײבער」(The Beginner)から、① 教室風景、② ユダヤ人家族の朝の風景:起床・朝の挨拶・着替え・洗顔・朝食・登校といった日常。内容についてQ&A。
メイン教材は次第にヘビーな内容を扱うようになり、ネット教材はテンポよく先へ進む。追加された教材は入り口と比べて、後半が覚悟の必要なボリュームになっている。これからきっと、単語力(格変化)の重要さを思い知るだろう。結局、記憶力なんだよね。
(本ブログ関連:”始めの ~歩 イディッシュ語”、”イディッシュ語”)
・先生紹介のネット公開教材ソフトの「レベル2-1」(!שפּרינגט ... איצט)の復習、命令形の口頭練習。
・先生推奨の入門書のレッスン8(ייִדן אין געטאָ)を輪読: 第2次大戦下、ゲットーに居住を強いられたユダヤ人の窮乏について。後半は次回。ドイツ(”דײַטש”:「ダイチュ」)の発音に、”German”でもない、”Deutsch”でもない、どこか東洋的な響きがするのは気のせいか。
・先生がネットで見つけた、古いイディッシュ語の初級教科書「דער אָנהײבער」(The Beginner)から、① 教室風景、② ユダヤ人家族の朝の風景:起床・朝の挨拶・着替え・洗顔・朝食・登校といった日常。内容についてQ&A。
2017年6月14日水曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 麦刈りや脱穀に関する曲
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/7)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、麦刈りや脱穀に関する曲を紹介した。
始めに、朝鮮21代王「英祖(영조)」が、「貞純(정순)」を王妃に選んだ逸話について次のように紹介された。
・朝鮮時代、最も長生した王と知られる21代王「英祖」は、在位期間52年、82歳まで生きた。60代で最初の王妃を亡くすと、66歳にして51歳下の「貞純」(15歳)を王妃に迎えた。ところで、彼は王妃を選ぶ際、候補たちに「この世で最も高い峠(コゲ:고개)は何か」と問うた。そのとき、貞純は、「麦(ボリ:보리)」と「峠(コゲ)」を合わせた、「春の端境期」の意を持つ「ボリッコゲ(보릿고개)」と応えた。この言葉を最近聞かないが、昔は農民の暮らしに直結した。食糧が底をつくと植物の根など食べたが、栄養失調で命を失うことも多く、貞純が「ボリッコゲ(別名「春窮期」)」を最も高い峠と応えたのは、それだけ農民の暮らし振りを理解しており、ために王妃に選ばれたという話につながる。
▼ 慶尚道地域の麦打ちの曲「オンヘヤ(옹헤야)」を聴く。ドイツ人が韓国民謡をアメリカンフォーク風に演奏する。
次に、麦の脱穀の歌「オンヘヤ」について次のように紹介された。
・今は麦刈りから脱穀、袋入れまで作業を全て機械が行なう。昔は、作業を人が行なった。脱穀では、長い棒に木の枝を結び付けた「殻竿」を使い、これで麦を打ち落とした。一日の脱穀作業に疲れたとき、「オンヘヤ」を歌って仕事のテンポを合わせた。「オンヘヤ」は、本来ゆっくり歌ったが、歌手が歌うようになって、テンポも速く、楽しい民謡となった。最近、若いミュージシャンが、モダンに編曲して演奏することも多い。
▼ 済州島の麦の脱穀の歌「脱穀の音(타작소리)」を聴く。満腹の期待を込め、元気が湧いてくる民謡。
最後に、病苦の詩人韓何雲(한하운、1919年~1975年)の詩「麦笛(보리피리)」について次のように紹介された。
・麦は晩秋に芽が出て、春に収穫する。麦が実る頃、子供たちは麦わらの茎を笛の形に削って吹いたり、麦を焼いて食べたりした。詩人「韓何雲」の詩に「麦笛」がある。ハンセン病に苦しんだ彼の詩は様々な活動をしながらも、寂しい生活をした。「麦笛」の詩は、子供の頃麦笛で遊んだ記憶の中の故郷を懐かしむ作品だ。
▼ 「麦笛」の曲を聴く。楽しい思い出だけが浮かんでくる、そんな懐かしさもあるだろうから。今様に。
始めに、朝鮮21代王「英祖(영조)」が、「貞純(정순)」を王妃に選んだ逸話について次のように紹介された。
・朝鮮時代、最も長生した王と知られる21代王「英祖」は、在位期間52年、82歳まで生きた。60代で最初の王妃を亡くすと、66歳にして51歳下の「貞純」(15歳)を王妃に迎えた。ところで、彼は王妃を選ぶ際、候補たちに「この世で最も高い峠(コゲ:고개)は何か」と問うた。そのとき、貞純は、「麦(ボリ:보리)」と「峠(コゲ)」を合わせた、「春の端境期」の意を持つ「ボリッコゲ(보릿고개)」と応えた。この言葉を最近聞かないが、昔は農民の暮らしに直結した。食糧が底をつくと植物の根など食べたが、栄養失調で命を失うことも多く、貞純が「ボリッコゲ(別名「春窮期」)」を最も高い峠と応えたのは、それだけ農民の暮らし振りを理解しており、ために王妃に選ばれたという話につながる。
▼ 慶尚道地域の麦打ちの曲「オンヘヤ(옹헤야)」を聴く。ドイツ人が韓国民謡をアメリカンフォーク風に演奏する。
次に、麦の脱穀の歌「オンヘヤ」について次のように紹介された。
・今は麦刈りから脱穀、袋入れまで作業を全て機械が行なう。昔は、作業を人が行なった。脱穀では、長い棒に木の枝を結び付けた「殻竿」を使い、これで麦を打ち落とした。一日の脱穀作業に疲れたとき、「オンヘヤ」を歌って仕事のテンポを合わせた。「オンヘヤ」は、本来ゆっくり歌ったが、歌手が歌うようになって、テンポも速く、楽しい民謡となった。最近、若いミュージシャンが、モダンに編曲して演奏することも多い。
▼ 済州島の麦の脱穀の歌「脱穀の音(타작소리)」を聴く。満腹の期待を込め、元気が湧いてくる民謡。
最後に、病苦の詩人韓何雲(한하운、1919年~1975年)の詩「麦笛(보리피리)」について次のように紹介された。
・麦は晩秋に芽が出て、春に収穫する。麦が実る頃、子供たちは麦わらの茎を笛の形に削って吹いたり、麦を焼いて食べたりした。詩人「韓何雲」の詩に「麦笛」がある。ハンセン病に苦しんだ彼の詩は様々な活動をしながらも、寂しい生活をした。「麦笛」の詩は、子供の頃麦笛で遊んだ記憶の中の故郷を懐かしむ作品だ。
▼ 「麦笛」の曲を聴く。楽しい思い出だけが浮かんでくる、そんな懐かしさもあるだろうから。今様に。
2017年6月13日火曜日
チョン・ドヨン
韓国の映画について教室で話題があり、私としては、女優チョン・ドヨン(전도연)主演の映画、邦題「シークレット・サンシャイン」(2007年、밀양《密陽》)をあげた。先生から邦題を確認されて、「密陽」と答え、英語名を「Secret Sunshine」といってしまったが、正しくは上記の通り。
チョン・ドヨンは、最も気になる韓国の映画俳優だ。この映画で「第60回カンヌ国際映画祭」(2007年)の主演女優賞を獲得している。VHS版の「我が心のオルガン(내 마음의 풍금)」(1999年)を見たのが最初だ。その同時期作品の、全く逆のイメージの映画にも出演していたと後で知って驚いた。
(本ブログ関連:”チョン・ドヨン”)
「密陽」のチョン・ドヨンは、最大の悲劇に翻弄され、その中で救いを求める母親を演じる。それも決して強くない、むしろ追い詰められる生身の女性を表現する。小柄で華奢な彼女が、どん底にいて、弱く繊細な立場からどう状況を変えていくか興味を持たせる。まさにうってつけだ。彼女は映画によって、善人であったり悪人にも変貌する演技者だ。
ところで、この映画は、プロテスタント(キリスト教)を素材にすることで、主人公の孤独を一層明らかにする。遠くソウルから密陽に訪れたばかりのよそ者であり、土着的な絆の弱い立場にある。その点を考え、もしプロテスタントでなく、癒しをシャーマンの「ムーダン(巫堂、무당)」に訪ねていたらどうだったろうか気になる。
(Youtubeに登録のCat'sCradleに感謝)
チョン・ドヨンは、最も気になる韓国の映画俳優だ。この映画で「第60回カンヌ国際映画祭」(2007年)の主演女優賞を獲得している。VHS版の「我が心のオルガン(내 마음의 풍금)」(1999年)を見たのが最初だ。その同時期作品の、全く逆のイメージの映画にも出演していたと後で知って驚いた。
(本ブログ関連:”チョン・ドヨン”)
「密陽」のチョン・ドヨンは、最大の悲劇に翻弄され、その中で救いを求める母親を演じる。それも決して強くない、むしろ追い詰められる生身の女性を表現する。小柄で華奢な彼女が、どん底にいて、弱く繊細な立場からどう状況を変えていくか興味を持たせる。まさにうってつけだ。彼女は映画によって、善人であったり悪人にも変貌する演技者だ。
ところで、この映画は、プロテスタント(キリスト教)を素材にすることで、主人公の孤独を一層明らかにする。遠くソウルから密陽に訪れたばかりのよそ者であり、土着的な絆の弱い立場にある。その点を考え、もしプロテスタントでなく、癒しをシャーマンの「ムーダン(巫堂、무당)」に訪ねていたらどうだったろうか気になる。
(Youtubeに登録のCat'sCradleに感謝)
(追記)
■ Youtube(登録: 小林拓馬の裏クラ政治NEWS)
「韓国キリスト教会の闇を暴露! 4つの "混ぜもの" がされた別宗教!」(2025/11/21 )
ー https://www.youtube.com/watch?v=wMCDzwmJ5ro
2017年6月12日月曜日
パンダの赤ちゃん誕生とGoogleニュース
いえねぇ、どうってこともないんですが、今晩23:30現在の「Googleニュース」記事一覧に、上野動物園でパンダ(「シンシン」)の赤ちゃんが誕生したという報道が載ってないんですよね。おじさんでもうれしくなってくるのに。
新聞各社のネットニュースは、ちゃんと写真入で掲載してるんだよね。Googleニュースは、独自のアルゴリズムで記事を自動掲載しているそうだけど。もしかしたら、「大人の中にある子ども視点」という選択機能を省いているのかな。
先日、深夜テレビの再放送?なのか、和歌山にある動物園(「アドベンチャーワールド」)でパンダの出産が成功している背景を説明した。出産後、母子を離さないことが必須のようだ。そのための飼育員の皆さんの昼夜の努力が紹介された。出産後の母子一体感が自然な子育てにつながるなんていい話しだと思う。(そういう言い方が気に入らないといわれても、わたしはそう思うんだ)
これから子どもたちは大変だ。かれらを見守り、動物園に連れて行く家族はもっと大変だろう。パンダは、子どもたちの愛らしさとマッチする。神様はどうして、あんな動物をつくったんだろうね、本当に不思議だ。
新聞各社のネットニュースは、ちゃんと写真入で掲載してるんだよね。Googleニュースは、独自のアルゴリズムで記事を自動掲載しているそうだけど。もしかしたら、「大人の中にある子ども視点」という選択機能を省いているのかな。
先日、深夜テレビの再放送?なのか、和歌山にある動物園(「アドベンチャーワールド」)でパンダの出産が成功している背景を説明した。出産後、母子を離さないことが必須のようだ。そのための飼育員の皆さんの昼夜の努力が紹介された。出産後の母子一体感が自然な子育てにつながるなんていい話しだと思う。(そういう言い方が気に入らないといわれても、わたしはそう思うんだ)
これから子どもたちは大変だ。かれらを見守り、動物園に連れて行く家族はもっと大変だろう。パンダは、子どもたちの愛らしさとマッチする。神様はどうして、あんな動物をつくったんだろうね、本当に不思議だ。
2017年6月11日日曜日
「入梅」
暦上、二十四節気の「芒種」、「夏至」、「小暑」を基準にその数日後を雑節の「入梅」と呼ぶそうで、今日が「入梅」にあたる。とはいえ、先週水曜日(6/7)に、気象庁から「梅雨入り」が発表されている。そっちの方が実感がある。ちなみに、気象庁は「入梅」の用語をひかえているそうだ。
Weathernewsの記事「梅雨入りとの違いは?暦に書かれた入梅の意味」(6/11)は、梅雨入りと入梅の違いを分かりやすく説明している。「まとめ」として次の記述がある。
------------------------------------------
・「梅雨入り」は、天気と密接に関係しており、梅雨前線の状態によって早まったり遅れたりする。
・入梅は暦上の梅雨入りであり、天気とは関係ない。
・入梅は、田植えの日取りを決める目安として使われていた。
------------------------------------------
「入梅」は、昔の農事カレンダーといったところだろうか。麦作だった武蔵野新田に、田植え(水田)の光景はないので、実感に乏しいのも納得できる。(昔、野川沿いの狭い一体に水田が作られたという。ほんのわずかな面積だったのだろう)
(本ブログ関連:”梅雨入り”)
Weathernewsの記事「梅雨入りとの違いは?暦に書かれた入梅の意味」(6/11)は、梅雨入りと入梅の違いを分かりやすく説明している。「まとめ」として次の記述がある。
------------------------------------------
・「梅雨入り」は、天気と密接に関係しており、梅雨前線の状態によって早まったり遅れたりする。
・入梅は暦上の梅雨入りであり、天気とは関係ない。
・入梅は、田植えの日取りを決める目安として使われていた。
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「入梅」は、昔の農事カレンダーといったところだろうか。麦作だった武蔵野新田に、田植え(水田)の光景はないので、実感に乏しいのも納得できる。(昔、野川沿いの狭い一体に水田が作られたという。ほんのわずかな面積だったのだろう)
2017年6月10日土曜日
運ぶもの
文字が容易でない時代、魂に託して想いを伝えることもあれば、獣がかわりに魂を運んだり伝えたりした。柳田国男の「遠野物語 一○○)に、狐が夢をかすめ取り、夢見るものの想いを悪知恵で運んでしまう話がある。
(本ブログ関連:”遠野物語”)
ある女房が、夢の中で、帰りの遅い主人を気遣って迎えに行こうかとするのを、狐の身を傭(やと)ってしまうことになる。深夜のこと、坂道で出くわした女を怪しみ、主人はそれをあやめて急いで帰れば、女房は命を取られそうな夢から覚めたばかりという。主人は元の場に戻って見れば、そこに一匹の狐が横たわっていた。
人の夢に潜り込んで、人の想いに便乗したのが狐の間違いだった。何かが足りないことに気付かぬ狐は、いっぱい食わしたつもりが、わけも分からぬうちに命を落としてしまうことになる。ことの顛末、子細がわからぬまま命を落とすくらいなら、知恵を落とすだけに留めて置けばよかったものを。
忘れたようで忘れられない、人の夢や魂を鳥や獣が運ぶシャーマニズム的世界がまだある。人の代わりをする超自然なものを身近に感じて託すことがある。もしかしたら、いまどきの何かがそれを担っているのかもしれない。
(本ブログ関連:”遠野物語”)
ある女房が、夢の中で、帰りの遅い主人を気遣って迎えに行こうかとするのを、狐の身を傭(やと)ってしまうことになる。深夜のこと、坂道で出くわした女を怪しみ、主人はそれをあやめて急いで帰れば、女房は命を取られそうな夢から覚めたばかりという。主人は元の場に戻って見れば、そこに一匹の狐が横たわっていた。
人の夢に潜り込んで、人の想いに便乗したのが狐の間違いだった。何かが足りないことに気付かぬ狐は、いっぱい食わしたつもりが、わけも分からぬうちに命を落としてしまうことになる。ことの顛末、子細がわからぬまま命を落とすくらいなら、知恵を落とすだけに留めて置けばよかったものを。
忘れたようで忘れられない、人の夢や魂を鳥や獣が運ぶシャーマニズム的世界がまだある。人の代わりをする超自然なものを身近に感じて託すことがある。もしかしたら、いまどきの何かがそれを担っているのかもしれない。
2017年6月9日金曜日
イ・ソンヒの「ライラックが散るとき」
ロシアのメディア「スプートニク」(日本語版)に、「ロシアからこんにちは! 『食べると幸せになれる花』」(6/1)として、5月後半に入るとその季節になるという「ライラック」の花が紹介されている。花に囲まれた美しい風習なわけだが、「願い事をしながら食べると願いが叶う、幸せになれると言われている」と知って、心そそられる。
ライラックについて、この記事は、ロシアのひとびととライラックとの距離感、親密な度合いを分かりやすく説明している。私ごときには、ライラックの花がどこか余所行きの感が大きく占めていて、こんな風にライラックと身近に、日常的に接する話題に驚いたし、うらやましく思う。
(Youtubeに登録のスパシーバ!に感謝)
イ・ソンヒの10集所収の「ライラックが散るとき(라일락이 질때)」(1996年)は、彼女がシンガーソングライターとして初めて発表した曲だ。こころ変わりして去って行った様を、ライラックの花が散るのにたとえる。でも、歌詞には「ライラック」の言葉はない。冷え切った想いに、気付けば未練だけが残っている・・・そんな感じかな。女性はその気になって聴くだろうし、おじさんはファンとしていい歌と思って聴く。
(本ブログ関連:”ライラックが散るとき”)
さよならという言葉は
私にただ一度も語らなくても
私は気付いていた
もう再び会えないことを
*変わっていくあなたの心が
私に鋭い跡を残しても、会いたいのは
未練が残っているのよ
もう 私の胸から逃れているね
振り返えらないで、わたし切なくて
何にしても、見つめないで
思い返さないで、もうあなたの人生で
私と一緒だったその記憶を
二度と触れられないでしょう
暖かいあなたの体温を
(*以下繰り返し)
二度と触れられないでしょう
暖かいあなたの体温を
ライラックについて、この記事は、ロシアのひとびととライラックとの距離感、親密な度合いを分かりやすく説明している。私ごときには、ライラックの花がどこか余所行きの感が大きく占めていて、こんな風にライラックと身近に、日常的に接する話題に驚いたし、うらやましく思う。
(Youtubeに登録のスパシーバ!に感謝)
イ・ソンヒの10集所収の「ライラックが散るとき(라일락이 질때)」(1996年)は、彼女がシンガーソングライターとして初めて発表した曲だ。こころ変わりして去って行った様を、ライラックの花が散るのにたとえる。でも、歌詞には「ライラック」の言葉はない。冷え切った想いに、気付けば未練だけが残っている・・・そんな感じかな。女性はその気になって聴くだろうし、おじさんはファンとしていい歌と思って聴く。
(本ブログ関連:”ライラックが散るとき”)
さよならという言葉は
私にただ一度も語らなくても
私は気付いていた
もう再び会えないことを
*変わっていくあなたの心が
私に鋭い跡を残しても、会いたいのは
未練が残っているのよ
もう 私の胸から逃れているね
振り返えらないで、わたし切なくて
何にしても、見つめないで
思い返さないで、もうあなたの人生で
私と一緒だったその記憶を
二度と触れられないでしょう
暖かいあなたの体温を
(*以下繰り返し)
二度と触れられないでしょう
暖かいあなたの体温を
2017年6月8日木曜日
始めの9歩 イディッシュ語
遠くに聞こえる祭りのざわめきに誘われて、気付けば踊りの列に加わっている・・・そんな感じのするイディッシュ語学習9日目だ。それも、流暢に喋る(読む)仲間につられてその気になり、やさしく導いてくださる先生のおかげ。目を覚ますのが怖い、このまま突っ走って行こう。
(本ブログ関連:”始めの ~歩 イディッシュ語”、”イディッシュ語”)
・先生紹介のネット公開教材ソフトの「レベル1-5」(!יאָ , מײַן קאָפּ איז קלײן)の形容詞の復習(QA練習)と、「レベル2-1」(!שפּרינגט ... איצט)の縄跳びとランニングの命令形(動詞末尾の ען、-ן-をはずす、plの場合 ט-に換える)の理解と練習。
・先生推奨の入門書の「レッスン7」(משפּחה אין אנדערע לענדער)を先週から引きつぎ輪読。(富む者が仲間を支援するユダヤ人の共同意識=単位が分かるような気がする・・・もしかしたら、宗族を超えた宗教的な屋根=民族性の下に水平な一義的で原則な関係があるのだろう)
今日は、睡眠不足か、知恵熱か、ちょっと冷やしてリブートしよう。私のPCもそうしている。
(本ブログ関連:”始めの ~歩 イディッシュ語”、”イディッシュ語”)
・先生紹介のネット公開教材ソフトの「レベル1-5」(!יאָ , מײַן קאָפּ איז קלײן)の形容詞の復習(QA練習)と、「レベル2-1」(!שפּרינגט ... איצט)の縄跳びとランニングの命令形(動詞末尾の ען、-ן-をはずす、plの場合 ט-に換える)の理解と練習。
・先生推奨の入門書の「レッスン7」(משפּחה אין אנדערע לענדער)を先週から引きつぎ輪読。(富む者が仲間を支援するユダヤ人の共同意識=単位が分かるような気がする・・・もしかしたら、宗族を超えた宗教的な屋根=民族性の下に水平な一義的で原則な関係があるのだろう)
今日は、睡眠不足か、知恵熱か、ちょっと冷やしてリブートしよう。私のPCもそうしている。
2017年6月7日水曜日
梅雨入り 2017
どんよりした空に窓の明かりがくすめば、気掛かりがあるわけでもないのに何となく気が重くなる。ネットの注文とコピーついでにコンビニに行けば、途中、ぽつぽつと雨滴を感じる。そして、それ以上のこともない。
ハフィントンポストによれば、「気象庁は、6月7日(水)、四国、中国、近畿、東海、関東甲信地方が『梅雨入りしたとみられる』と発表しました」(6/7)とのこと。以前ブログに記したものを見返せば、だいたいこの時期。桜の開花時期と違って心が踊らないことに、モンスーン地帯の米作の末裔のくせ申し訳ない気がする。ちなみに、一週間天気予報では、曇り空がしばらく続くようだ。
(本ブログ関連:”梅雨入り”)
(付記)「新聞エンマ帖」
話しは違うが、月刊「文芸春秋」に「新聞エンマ帖」があった。辛口な小批評で、大手紙の事件記事を中心に比較していたが、いつのまにか消えたようだ。中学生のころ、いわゆる中2世代にとって、面白いページだった。大手紙を当時でも併読するユーザーがそんなにいたとは思えなかったと思う。ただ、小ネタに終始していたような気がする・・・。今は、ネットがいろいろな幅を以ってその役割を果たしている。
ハフィントンポストによれば、「気象庁は、6月7日(水)、四国、中国、近畿、東海、関東甲信地方が『梅雨入りしたとみられる』と発表しました」(6/7)とのこと。以前ブログに記したものを見返せば、だいたいこの時期。桜の開花時期と違って心が踊らないことに、モンスーン地帯の米作の末裔のくせ申し訳ない気がする。ちなみに、一週間天気予報では、曇り空がしばらく続くようだ。
(本ブログ関連:”梅雨入り”)
(付記)「新聞エンマ帖」
話しは違うが、月刊「文芸春秋」に「新聞エンマ帖」があった。辛口な小批評で、大手紙の事件記事を中心に比較していたが、いつのまにか消えたようだ。中学生のころ、いわゆる中2世代にとって、面白いページだった。大手紙を当時でも併読するユーザーがそんなにいたとは思えなかったと思う。ただ、小ネタに終始していたような気がする・・・。今は、ネットがいろいろな幅を以ってその役割を果たしている。
KBS WORLD「国楽の世界へ」 想像の生き物
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/31)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、想像の生き物に関連した曲を紹介した。(未聴取のため他語版を参考にした)
火を吹く西洋の「ドラゴン」と違って、東洋の「龍」は水中(地中)に発生する。仏教伝来の水神を「竜王」とも呼ぶ。朝鮮時代初期の宮廷曲目に「水龍吟(수룡음)」があった。(今回聞く、「水龍吟」は朝鮮時代初期のものと違う)
▼ 「短簫(タンソ:金管)」と「笙簧(センファン:日本の「笙」に似る)」の演奏による「水龍吟」を聞く。
いままで使われることのなかった「笙簧」は、構造・材質を新しくして、現代曲演奏に登場するようになった。
▼ 「Libertango」を聞く。音色はアコーディオン(小型の「コンサーティーナ」のよう)に似る。今様に軽快に。
李氏朝鮮後期の風俗画家、「申潤福(신윤복、1758年~没年不明)」の絵に、蓮の花の池を眺めながら、長めの喫煙パイプと笙簧を持った女性を描いた「蓮の池の女(연못가의 여인)」がある。
▼ 「蓮の池の女」を想像しながら、笙簧演奏「거울자아(鏡自我)2」を聞く。今様に。
火を吹く西洋の「ドラゴン」と違って、東洋の「龍」は水中(地中)に発生する。仏教伝来の水神を「竜王」とも呼ぶ。朝鮮時代初期の宮廷曲目に「水龍吟(수룡음)」があった。(今回聞く、「水龍吟」は朝鮮時代初期のものと違う)
▼ 「短簫(タンソ:金管)」と「笙簧(センファン:日本の「笙」に似る)」の演奏による「水龍吟」を聞く。
いままで使われることのなかった「笙簧」は、構造・材質を新しくして、現代曲演奏に登場するようになった。
▼ 「Libertango」を聞く。音色はアコーディオン(小型の「コンサーティーナ」のよう)に似る。今様に軽快に。
李氏朝鮮後期の風俗画家、「申潤福(신윤복、1758年~没年不明)」の絵に、蓮の花の池を眺めながら、長めの喫煙パイプと笙簧を持った女性を描いた「蓮の池の女(연못가의 여인)」がある。
▼ 「蓮の池の女」を想像しながら、笙簧演奏「거울자아(鏡自我)2」を聞く。今様に。
2017年6月6日火曜日
(雑談)知恵の葉っぱ
子どものころ、祖母が「あの人もスーツを着れば立派に見える」といったりした。衣装が立場を現す古い時代を経験したからだろう。モードの発達に歴史的背景があるように、当時スーツに意味があった。
ネクタイなしで着るのが流行っている。シャツの襟を立てたりすると、IT業界の切れ者のポーズになる。そればかりか、スティーブ・ジョブズの影響で、黒タートルを着たりするものもいるようだが、さすがにこれは気が引けているのか、なかなか目に付かない。おじさん体形にも難しいのだろう。
昔、日本のレーシングドライバーの先駆者といえる方がとてもカジュアルな話し方をしていた。若者雑誌が流行した時代とかぶさっていたのじゃないかな。今では、そんな喋り方も普通になった。深夜ラジオが大いに話法を開発したのかもしれない。
つい最近まで、マーク・ザッカーバーグのような早口喋りをする連中がいたが、それもテレビから見かけなくなった。結局、業界での実力が追いつかないのだから真似るには限界がある。
テレビが白黒時代だったころ、米ドラマの「ハイウエィパトロール」に登場する警官の制服と、日本の警官の制服を比べてだいぶ違うなと、あこがれ半分、感心したものだ。その頃、ある国の警官のスタイルが米国と似ていて、それを見て日本が遅れているのではと思ったりしたが・・・実は、その国、いまだにワイロなどの問題を抱え続けているという。
表面だけ整えたり、真似しても続かないことが多い。凡人はどうすればいいものやら。
ある平凡な男が、アダムとイブの知恵の園から嵐が運んできた知恵の葉をサンダルの裏に偶然貼り付けて、知恵者になるという寓話がある。流行に乗るでもない、衣装や振る舞いを真似るでもない、そして見掛けも関係ない・・・ただ、幸運と巡り会うだけ、そんな秘かなバイパスがあるといいのだが。
ネクタイなしで着るのが流行っている。シャツの襟を立てたりすると、IT業界の切れ者のポーズになる。そればかりか、スティーブ・ジョブズの影響で、黒タートルを着たりするものもいるようだが、さすがにこれは気が引けているのか、なかなか目に付かない。おじさん体形にも難しいのだろう。
昔、日本のレーシングドライバーの先駆者といえる方がとてもカジュアルな話し方をしていた。若者雑誌が流行した時代とかぶさっていたのじゃないかな。今では、そんな喋り方も普通になった。深夜ラジオが大いに話法を開発したのかもしれない。
つい最近まで、マーク・ザッカーバーグのような早口喋りをする連中がいたが、それもテレビから見かけなくなった。結局、業界での実力が追いつかないのだから真似るには限界がある。
テレビが白黒時代だったころ、米ドラマの「ハイウエィパトロール」に登場する警官の制服と、日本の警官の制服を比べてだいぶ違うなと、あこがれ半分、感心したものだ。その頃、ある国の警官のスタイルが米国と似ていて、それを見て日本が遅れているのではと思ったりしたが・・・実は、その国、いまだにワイロなどの問題を抱え続けているという。
表面だけ整えたり、真似しても続かないことが多い。凡人はどうすればいいものやら。
ある平凡な男が、アダムとイブの知恵の園から嵐が運んできた知恵の葉をサンダルの裏に偶然貼り付けて、知恵者になるという寓話がある。流行に乗るでもない、衣装や振る舞いを真似るでもない、そして見掛けも関係ない・・・ただ、幸運と巡り会うだけ、そんな秘かなバイパスがあるといいのだが。
2017年6月5日月曜日
青天の霹靂
隣り町の図書館で借りた書籍を返却した帰り道、ちょうど西に向かって進んでいた。正面に傾いた陽がきらきらしてまぶしい。天空の7割以上に青空が残っているそのとき、ゴロゴロと雷鳴がした。「まさか?」とひとりごとする。充分晴れていて、青空をのぞかせているのに・・・。
商店街の通り道をはさんで、おばあさんが二人向かい合いながらしゃべっていた。東の空を指して「あっちは真っ暗だねえ」。振り返ると、真っ白な積乱雲が横たわり、その下を鈍色の雲がたれ、さらにその下を雨雲だろうか黒雲が遠く東の町を埋めていた。
再び雷鳴がつづいた。しかもかなり近くに聞こえる。イ・ソンヒの「キツネの嫁入り(여우비)」を思い出したが、今回は、お天気雨でない。晴れ空に雷鳴とは、まさに「晴天の霹靂」。さすがに、彼女の歌にそんなものはないだろう・・・。
Youtubeを探すと、なんと青森県産の米「青天の霹靂」のCMソング"が登録されていた。県民が「青天の霹靂」と書いた書を持って次々登場してくる。最後がいい、一転おにぎりを美味そうに頬張るのだ。「真っ白いおにぎり」は絶対、唯一無二の日本食の原点だと思い起こさせる。こちらは、「まさか?」ではない。
(Youtubeに登録の青森県広報広聴課に感謝)
(追記)
どうも、青森県産米「青天の霹靂」のCMはシリーズ化されているようだ。ああ、おにぎりが食べたくなる。
Youtubeを探すと、なんと青森県産の米「青天の霹靂」のCMソング"が登録されていた。県民が「青天の霹靂」と書いた書を持って次々登場してくる。最後がいい、一転おにぎりを美味そうに頬張るのだ。「真っ白いおにぎり」は絶対、唯一無二の日本食の原点だと思い起こさせる。こちらは、「まさか?」ではない。
(Youtubeに登録の青森県広報広聴課に感謝)
(追記)
どうも、青森県産米「青天の霹靂」のCMはシリーズ化されているようだ。ああ、おにぎりが食べたくなる。
2017年6月4日日曜日
「レッドブル・エアレース千葉2017」 行ってみたかった・・・
昨日(6/3)、今日(6/4)、千葉県幕張で開かれた「レッドブル・エアレース千葉2017」に行ってみたかったけれど・・・気持ちがあっても体力がない。でも、当日の様子をYoutubeで見られると期待した。
早速Youtubeに、エアレースのサイドアクトとして実施された、「零戦」と「DC-3」の飛行映像が登録された。それも、会場にかなり接近した様子の近距離撮影で。(6/3撮影のようだ)
(6/4については、ハフィントンポストに、零膳、DC-3の飛行写真が掲載されている)
DC-3は九州から順次北上して、今回のイベントで飛ぶことが事前に知らされていたが、零戦は昨日のニュースで知った。どちらも、レシプロの排気音がたまりません・・・飛行機を生命体に例えるなら、エンジン音はまさに心臓の鼓動。その爆発音に一体化してしまう不思議な魅力がある。
(本ブログ関連:”飛行機”)
零戦(日本人所有の機体だそうだ: 低空を低速のためか、その身軽さが分かる)
(Youtubeに登録のあおのそらに感謝)
DC-3
(Youtubeに登録のgigazineに感謝)
早速Youtubeに、エアレースのサイドアクトとして実施された、「零戦」と「DC-3」の飛行映像が登録された。それも、会場にかなり接近した様子の近距離撮影で。(6/3撮影のようだ)
(6/4については、ハフィントンポストに、零膳、DC-3の飛行写真が掲載されている)
DC-3は九州から順次北上して、今回のイベントで飛ぶことが事前に知らされていたが、零戦は昨日のニュースで知った。どちらも、レシプロの排気音がたまりません・・・飛行機を生命体に例えるなら、エンジン音はまさに心臓の鼓動。その爆発音に一体化してしまう不思議な魅力がある。
(本ブログ関連:”飛行機”)
零戦(日本人所有の機体だそうだ: 低空を低速のためか、その身軽さが分かる)
(Youtubeに登録のあおのそらに感謝)
DC-3
(Youtubeに登録のgigazineに感謝)
2017年6月3日土曜日
イ・ソンヒの「水仙」
イ・ソンヒの5集収録の「水仙(수선화)」(1989年、作詞・作曲キム・チャンワン)は、「ハミングとナレーションが続く独特の雰囲気の曲」(チョン・イルソ)だ。当時、24、5の女の子がちょっと大人ぶって、少し、小悪魔的に(今じゃこんな表現もなくなった・・・)独白した。イ・ソンヒだからいいんだな。
自己愛の例えに、鏡(あるいは水面)に映る自身を眺める構図がある。独白もそんなものかもしれない。無限ループのフィードバックに迷わねばいいが、若いときは巨大渦に巻き込まれるものだ。でも、イ・ソンヒだからいいんだな。
イ・ソンヒの「水仙」に、ついつい聞き込んでしまう。彼女の清雅さを後ろ盾にしてね。
(ふふふ) みんな過ぎたこと
いや、違うわ
愛! 贅沢なことみたい
未練! (ふん、ふふ)
わたしが 水仙を好きだったとしよう
その花が散ったとしよう
それが 何!
誕生日が同じ人だけで会うとしよう
それも日を決めておいて
ちらりと会って別れるのが、何が違うの
(はぁ~) みな、過ぎたこと
違うわ、違うわ
(Youtubeに登録の이원호に感謝)
自己愛の例えに、鏡(あるいは水面)に映る自身を眺める構図がある。独白もそんなものかもしれない。無限ループのフィードバックに迷わねばいいが、若いときは巨大渦に巻き込まれるものだ。でも、イ・ソンヒだからいいんだな。
イ・ソンヒの「水仙」に、ついつい聞き込んでしまう。彼女の清雅さを後ろ盾にしてね。
(ふふふ) みんな過ぎたこと
いや、違うわ
愛! 贅沢なことみたい
未練! (ふん、ふふ)
わたしが 水仙を好きだったとしよう
その花が散ったとしよう
それが 何!
誕生日が同じ人だけで会うとしよう
それも日を決めておいて
ちらりと会って別れるのが、何が違うの
(はぁ~) みな、過ぎたこと
違うわ、違うわ
(Youtubeに登録の이원호に感謝)
2017年6月2日金曜日
(雑談)見えないものが見えること
眼力のある人が、あるいは直観力のある人が素晴らしい鉱物を発見する。ズリを掘り返して探し出すこともあれば、岩塊を叩き割って見つけることもある。それもこれも、背景に鉱物への深い関心と素養があってのこと。もっといえば、経験を忘れていないことだろう。これは全てあてはまるにちがいない。研究者から職人、マニアにいたるまで。
昔、CG創成期のころ、期待されながらも亡くなった中堅の研究者からこんな夢を直接聞いたことがある。子どものころ見た、手作業で撮った(コマ撮り)恐竜映画をCGで再現したいというのだ。ジュラシックパークのはるか以前のこと。
その研究者が、一般向けにCG作りの擬似体験をする機会を設けてくれたので参加した。とはいえ、動画以前の写真一枚分の作業だったが。ワイヤーフレームから作りこむことはなく、モジュール化した立体部品を使い、空間に配置するだけなのだが・・・。
基本の立体モジュールを変形・合体し、表面の材質をパラメーターで決める。空間配置は頭の中に座標を作って決めよというのだ。そのとき作ってみたい画像は、「金属の飛行船に突き破られたガラス片が散る様子」だった。(紙飛行機のほうが面白いかとも思ったが・・・)
真っ暗闇に浮かぶ飛行船と散乱するガラス片を見えるようにすることから始まる。まず、見えないものが見えるには、光源(複数)が必要だと知った。当り前だが、カメラの位置(アングル)も。そして、空中に浮かんでいるというのは、下側があるから・・・ということも。
次に、ガラス片は厚さがあって初めて光線を屈折して輝くことも知った。ガラス片はどれくらいの数量定義すればいいのか・・・。ガラス表面にあたった光がしっかり反射するよう、三角形にした。力の限り大小おりまぜて書き出した。
できあがった写真は、恥ずかしいものだった。そして思った、これを一体どうすれば動くように見せられるのだろうかと。それ以来、見える意味について考えるようになった。つまり、見えるというのは、光源と視点があるということなのだと。多分、何ごとにも通じるのではないかと思う。
そしてCG動画に対する関心も大きく変わった。
昔、CG創成期のころ、期待されながらも亡くなった中堅の研究者からこんな夢を直接聞いたことがある。子どものころ見た、手作業で撮った(コマ撮り)恐竜映画をCGで再現したいというのだ。ジュラシックパークのはるか以前のこと。
その研究者が、一般向けにCG作りの擬似体験をする機会を設けてくれたので参加した。とはいえ、動画以前の写真一枚分の作業だったが。ワイヤーフレームから作りこむことはなく、モジュール化した立体部品を使い、空間に配置するだけなのだが・・・。
基本の立体モジュールを変形・合体し、表面の材質をパラメーターで決める。空間配置は頭の中に座標を作って決めよというのだ。そのとき作ってみたい画像は、「金属の飛行船に突き破られたガラス片が散る様子」だった。(紙飛行機のほうが面白いかとも思ったが・・・)
真っ暗闇に浮かぶ飛行船と散乱するガラス片を見えるようにすることから始まる。まず、見えないものが見えるには、光源(複数)が必要だと知った。当り前だが、カメラの位置(アングル)も。そして、空中に浮かんでいるというのは、下側があるから・・・ということも。
次に、ガラス片は厚さがあって初めて光線を屈折して輝くことも知った。ガラス片はどれくらいの数量定義すればいいのか・・・。ガラス表面にあたった光がしっかり反射するよう、三角形にした。力の限り大小おりまぜて書き出した。
できあがった写真は、恥ずかしいものだった。そして思った、これを一体どうすれば動くように見せられるのだろうかと。それ以来、見える意味について考えるようになった。つまり、見えるというのは、光源と視点があるということなのだと。多分、何ごとにも通じるのではないかと思う。
そしてCG動画に対する関心も大きく変わった。
2017年6月1日木曜日
始めの8歩 イディッシュ語
今日で8歩目(8日目)。今年前半に通うべき回数の、ほぼ半ばまで至った。しかしながら、この”8”の字を横にすると、”∞”(無限)になる。そう、理解は微分的世界をさ迷っていて、はるか遠くおよびもつかないのだ。
今日は、配布教材、オンライン教材、特別教材と盛りだくさんにすすめられた。
・先生推奨の入門書のレッスン6(אַ שמועס)を輪読: 近しい者同士の会話(独特の含みがあるのか・・・今一歩意が届かない)、レッスン7(משפּחה אין אנדערע לענדער)の通読:海外に住む一族の文通と経済的関係(こちらの話題はユダヤ的宗族意識が垣間見えるようだ)・・・といった内容。
・先生紹介のネット公開教材ソフトの「レベル1-5」(!יאָ , מײַן קאָפּ איז קלײן)を元に、カーニバルに出てくる歪んだ鏡に映る姿を見て楽しむ場面。体の部位名称を使って互いの高低、大小、長短などを表現(所有形容詞、形容詞)する。
ところで、ブラッドベリの「10月はたそがれの国」の一番最初のものがたりが「こびと」だ。「鏡の迷路」にたたずむ男が登場する、陰鬱な気分にとりこにしてしまう濃い短編だ。教材ソフトの方は、がらりと明るくて、教材作者が楽しんだに違いない。対話の最後に一番の笑いがある。
・先生がネットで探した、古い、イディッシュ語の初級教科書「דער אָנהײבער」(The Beginner)の一部が紹介された。海外で、老婦人から登場人物(少年少女のベレーレとセレーレ)を懐かしく語られたという。日本の中学英語教科書でいえば、「Jack & Betty」かもしれない・・・教室では誰も知らなかったが。
今日は、配布教材、オンライン教材、特別教材と盛りだくさんにすすめられた。
・先生推奨の入門書のレッスン6(אַ שמועס)を輪読: 近しい者同士の会話(独特の含みがあるのか・・・今一歩意が届かない)、レッスン7(משפּחה אין אנדערע לענדער)の通読:海外に住む一族の文通と経済的関係(こちらの話題はユダヤ的宗族意識が垣間見えるようだ)・・・といった内容。
・先生紹介のネット公開教材ソフトの「レベル1-5」(!יאָ , מײַן קאָפּ איז קלײן)を元に、カーニバルに出てくる歪んだ鏡に映る姿を見て楽しむ場面。体の部位名称を使って互いの高低、大小、長短などを表現(所有形容詞、形容詞)する。
ところで、ブラッドベリの「10月はたそがれの国」の一番最初のものがたりが「こびと」だ。「鏡の迷路」にたたずむ男が登場する、陰鬱な気分にとりこにしてしまう濃い短編だ。教材ソフトの方は、がらりと明るくて、教材作者が楽しんだに違いない。対話の最後に一番の笑いがある。
・先生がネットで探した、古い、イディッシュ語の初級教科書「דער אָנהײבער」(The Beginner)の一部が紹介された。海外で、老婦人から登場人物(少年少女のベレーレとセレーレ)を懐かしく語られたという。日本の中学英語教科書でいえば、「Jack & Betty」かもしれない・・・教室では誰も知らなかったが。
2017年5月31日水曜日
「イディッシュの民話」
単純なデザインを始まりにして、「いれこ」に繰り返していくと、現実の自然景観のような複雑な形になる。あるいは空想だが、物質を微細に奥深く探っていくと、その先に別の空間(次元)が存在する、無限な「いれこ」構造の世界観が好きだ。
先日のブログで、落語に「思い込みと逆転世界」(例えば「粗忽長屋」、「頭山(あたまやま)」)があると記したが、今日、Amazonから届いたベアトリス・ヴァインライヒ(Beatrice Weinreich)の著「イディッシュの民話(Yiddish Folktales)」(秦剛平訳、青土社)に、こんな話(第3話「不幸は不幸を呼ぶ」)が載っていた。説教調だが、物語の場面(構造)に興味深いものがある。
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昔あるところに、貧乏な男がいた。物乞いして歩くのがいやでたまらず、そのことを神に訴えた。そのため、彼の背中にこぶができて大きくなりはじめ、そればかりか、そこからはまた男が出てきて大きくなりはじめた。その男には口もついていた。乞食が一切れのパンを食べようとすると、背中の男がそれを奪ってしまうのだった。
そこで乞食は祈った。「主よ、消したり書いたりしないでください。すべてあるがままにしておいてください」
だから人は、自分が不幸だなどと決して口にしてはいけないのです。不幸はさらに不幸を呼ぶからね。
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先日のブログで、落語に「思い込みと逆転世界」(例えば「粗忽長屋」、「頭山(あたまやま)」)があると記したが、今日、Amazonから届いたベアトリス・ヴァインライヒ(Beatrice Weinreich)の著「イディッシュの民話(Yiddish Folktales)」(秦剛平訳、青土社)に、こんな話(第3話「不幸は不幸を呼ぶ」)が載っていた。説教調だが、物語の場面(構造)に興味深いものがある。
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昔あるところに、貧乏な男がいた。物乞いして歩くのがいやでたまらず、そのことを神に訴えた。そのため、彼の背中にこぶができて大きくなりはじめ、そればかりか、そこからはまた男が出てきて大きくなりはじめた。その男には口もついていた。乞食が一切れのパンを食べようとすると、背中の男がそれを奪ってしまうのだった。
そこで乞食は祈った。「主よ、消したり書いたりしないでください。すべてあるがままにしておいてください」
だから人は、自分が不幸だなどと決して口にしてはいけないのです。不幸はさらに不幸を呼ぶからね。
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