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2015年4月8日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 花柳東風

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/1)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第99回として、春を示す歌3曲を紹介した。

始めに、春の気候は毎年似ていながら、初めて迎えるような気まぐれさがあるという詩を次のように紹介された。
・春の訪れと共に衣替えの時期、人々の服装も軽くなるが、花冷えは突然くる。大陸からの黄砂や、霧が立ち込める日もある。見当がつかぬ天気だ。そんな頃、突然花開く4月になる。中国宋代の詩*に、気まぐれな春の天気を歌ったものがある。
   岸草不知縁底緑     川沿いの草がどうして緑なのか知らない
   山花試問爲誰紅     山に咲く花は誰のために紅いのだろうか
   元造本來惟寂寞     自然を造った神はじっとしているのに
   年年多事是春風     毎年の春風は何と仰々しいのだろう

(*)「張渠(장거)」作と韓国のネットにあるが、日本のネットで見つけられない・・・。

▼ 花と柳と春風を指す演奏「花柳東風(화류동풍)」を聴く。花舞う春を描写する若いフュージョン国楽バンドの曲。

次に、別れに柳を折って渡した妓生の洪娘(홍랑)の詩について次のように紹介された。
・春に、凍り付いた地面と川が融け始めると、冬に留まっていた旅人は旅路につく。中に、別れの名残り惜しい人々もいた。芽ぐみはじめた柳の枝を折って別れの贈り物にした。船場でよく見かけるもので、折った枝がすぐ根を下ろすからだ。見送る者の心を供にさせてという意があった。
・昔、洪娘という妓生が作った、旅路につく恋人に柳を折って<窓の外に植えてください>(人爲試向庭前種)という詩が伝わっている。「柳」の字は「リュウ」と読み、留まるの「留」と同じ音読みする。旅立つ人に留まってほしい気持ちを込めて柳を送った。

▼ 京畿地域の民謡「別れの歌(이별가)」を聴く。別れの場面、随分と冷静で民謡らしさと違った趣すらする。

最後に、 京畿地域の曲、山打令(산타령)の「ノルリャン(놀량)」について次のように紹介された。
・春には、のどかな天気が気持ちを和ませる花見や遠足がある。それぞれ多様な人生があり、生き方がある。
・京畿地方に「ソンソリ(선소리)山打令」がある。「ソンソリ」は、立ったまま歌う意で、動詞の「立つ」(서다)と、「音」(소리)が一つになった言葉。「山打令」は山の打令(=音頭)。妓生が慎ましやかに座って歌うのと比べ、対照的な雰囲気で、歌い手は立ったまま小太鼓を奏したり、布を振り回して踊りながら歌う。山に行って遊ぼうという内容が多いことから「山打令」と言う。山打令は<山や川、草木が生い茂り、見ているだけでも楽しい>という歌詞の「ノルリャン」から始まる。

▼ 京畿地域の山打令から「ノルリャン」を聴く。いいな、掛け声(感嘆)も楽しそう・・・民謡らしい明るさ。

(付記)
今日は完全に冬支度に逆戻り。雨は冷たく重い・・・見た目には霙(みぞれ)と思わせた。本当の春はいつのことか・・・しばらく、ストーブから離れられない。

2015年4月7日火曜日

(雑談) デジタルなこと

デジタルについていけない。ネット上での人間関係がよく分からないためfacebookに全くノータッチだし、twitterには登録したものの囁(ささや)くこともないのでそのままだ。また、街に出てネットを覗くこともないので、スマフォもタブレットといったツールの必要性も感じない。どうしてもといえば、つまり時代に合わせるためなら、タブレットくらいだろうけど、で?何を見るのということになる。

外での通信手段はもっぱらガラケー(携帯端末)で、これで充分と思っている。そういえば、公衆電話を利用したことが最近ない。知人には、今も頑としてガラケーすら持とうとしない御仁もいるけれど。

タブレットを小学生に配る時代だそうだ。それを聞いて思い出すのは、学校で視聴覚機器とかCAIといったツールだ。いつも新しい指導方法を模索する教育者がいる。

昔、日立のBASICマスターというマイコン(=パソコン)で、カセットテープの音声とデータを同期してディスプレイを通じて学習する教育ソフトを作ったことがある。いわゆる機能試作的なものだ。感じたことがあった。それは、目の前に入ってくるまではデジタルだが、それが記憶となり定着するのは人間の頭の中の問題ということだ。

つまり、知識として実となるのは永遠の課題ということだろう。

近頃、「自炊」といって、既存の紙書籍を裁断し、スキャナーにかけpdf化する、電子書籍作りのようなことがある。Youtubeでそんな作業を紹介しているのを見ると、思い出すことがある。必要な書籍を買って「積んどく」だ。購入すれば安心というわけだ。あるいは、必要な資料を、コピー(ゼロックスすると言ったものだが)しておくと、それだけで知識化した気になる。

自炊には、積んどくやコピーに似たところがある。それより、私には書籍が裁断機にかけられる光景が耐えられない。

2015年4月6日月曜日

(資料) 昨年(2014年)のイ・ソンヒ所属事務所の業績

昨年2014年、イ・ソンヒは、<デビュー30周年>にあたり、15集アルバム「セレンディピティ(SERENDIPITY)」リリース、世宗文化会館および全国コンサートツアー*などにより、大衆の圧倒的な支持を受けた。

(*)コンサート規模は、「13都市27回公演で、デビュー30周年および15集発売記念の全国ツアーを全回ソールドアウトさせて、合計7万余のファンと会う大記録をたてることになった。」 ・・・ チケット代を仮に 10,000円とすると、7万×1万円=7億円 に相当。

また、韓国ギャラップの昨年についての調査から、歌手陣で圧倒的な上位人気を占めた結果を次のように知ることができる。

・(資料) 韓国ギャラップ「韓国人が最も好きな歌手2004-2014」、イ・ソンヒ2位!
・(資料) 2014年を輝かせた歌手 - イ・ソンヒ曲3位 ・・・ 「その中であなたに出会って(그 중에 그대를 만나)」(2014年)
・(資料) 韓国ギャラップ調査「愛唱曲 2004-2014比較」 ・・・「因縁(인연)」(2005年)

今回、彼女が所属する事務所「フックエンターテインメント(Hook엔터테인먼트)」の昨年業績が発表され、イ・ソンヒの貢献の大きさを示す結果となっている。マネートゥデイ記事「イ・ソンヒ コンサート ソールドアウトして..所属会社の利益が何と・・・フックエンター、昨年営業利益46.8億ウォン・・・前年比218.1%↑」(4/5、キム・ゴンウ記者)は、次のように報じている。

まさに、彼女の実力の賜物であり、彼女へのファンの変わらぬ支持を示す。
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・イ・ソンヒ、イ・スンギ、イ・ソジンの所属会社である「フックエンターテインメント」は、昨年の営業利益が218.1%増えたことが分かった。デビュー30周年を迎えたイ・ソンヒの活躍が、業績の上昇を牽引したと分析される。

・5日、金融監督院によれば、フックエンターテインメントは、昨年の売上高が159億3,500万ウォンで前年対比61.8%増加した。営業利益は、46億8,000万ウォンで218.1%増えた。

・去る2002年に設立されたフックエンターは、イ・ソンヒ、イ・スンギ、イ・ソジンが所属している。イ・ソンヒのマネジャー出身である、クォン・ジンヨン代表が持分100%を保有している。

・フックエンターは、毎年100億~150億ウォンの売上高と、15億~16億ウォンの営業利益を着実に上げている。営業利益ネースでは、監査報告書が初めて報告された2011年以後最高実績だ。

・フックエンターの営業利益率は、29.3%だ。 11~14%水準であるSM、YGエンターテインメントなど大手事務所より収益構造が優れたわけだ*。所属アーティストであるイ・ソンヒ、イ・スンギ、イ・ソジンが皆安定した収益源であるためであると分析される。

(*)下記(参考)の昨年発表資料(2013年について)では、17~20%だったと推定される。2014年については、「11~14%水準」となったのだろうか?

・フックエンターは、所属アーティストの数が少なくて、年間人件費が4億~6億ウォンしか発生しない。また、収益配分比率も各種費用を差し引いた後、7対3の水準で合理的なものと見られる。

・特に、昨年実績は、デビュー30周年を迎えたイ・ソンヒの活躍が影響を及ぼしたものと観測される。イ・ソンヒは、昨年3月、デビュー30周年記念15集アルバム「セレンディピティ」を発表した。

・タイトル曲「その中であなたに出会って」は、イ・ソンヒだけの深い響きがあるという評価を受け、音源チャートをを制した。特に、13都市で開かれた全国コンサートは、27回全て全席売り切れを記録した。

・フックエンターは、所属会社とアーティスト間の、長年の間を共にして互いの信頼度が高い方である。イ・スンギは、年利子なしで所属事務所に、47億2,500万ウォンを貸していることが明らかになった。
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(参考)
 昨年同時期に発表された資料 (今年発表資料は未確認):
中央日報「(2013年について)売り上げ急増の芸能企画会社、利益はYGが最も順調=韓国」(2014年4月10日)
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・国内3大芸能企画会社であるSMエンターテインメント・YGエンターテインメント・JYPエンターテインメントの売上額が最近3年間で2倍になったことが分かった。9日、金融監督院の電子公示システムによれば
- SMの売上額は昨年(2013年)1,643億ウォン(約162憶円)で、2010年の864億ウォンから90.2%増だ。
- JYPも102億ウォンから178億ウォンへと74%増えた。
- YGは同期間に448億ウォンから2.4倍の1,057億ウォンに増えて、最初に1000億ウォン台を売り上げた。・・・

・売上額は急増したが営業利益・当期純利益はこれに及ばなかった。
- SMの営業利益は2010年から3年間で257億ウォンから346億ウォンに34.6%増えたが、同期間の当期純利益は244億ウォンから176億ウォンに27.9%減った。
- JYPもやはり営業利益が2010年には1億ウォンの黒字だったが、昨年まで3年連続で赤字を記録した。昨年の当期純損失は44億ウォンだった。
- YGだけが期間営業利益が111億ウォンから185億ウォンに66.7%増加し、当期純利益が83億ウォンから139億ウォンに67.5%増えた。
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(参考)
エイベックス・グループ・ホールディングスの「平成26年3月期 決算短信〔日本基準〕(連結)」
- p.3に「音楽事業」について、平成25,26年度の売上高、営業利益など記載されている。

2015年4月5日日曜日

清明2015

きょうは、二十四節気の「清明(せいめい)」。雁が北を目指すという。いよいよ、春が顔をのぞかせて、すべてが清く活きいきする頃。ところが、花冷えも収まらず、気温も上下して、4月というに何だか寒い日曜日だ。・・・おまけに、今週、またも寒の戻りがあるという。

(本ブログ関連:”清明”)

1~3月を終えて、今年の四分の一を食ってしまったことに気付く。一年をリンゴの実に例えると、その大きさ、過ぎた速さにたじろぐ。PC横に日めくりカレンダーを置いたせいか。手を伸ばせばすぐに日めくりできる。カレンダーを日ごと剥がすたび、身を削る気がすることがある。

せっかくの休日を、「桜祭り」見物することなく、寒さが億劫で、出歩くこともなく、ストーブの暖を求めてしまった。一日ズルズルして、ズルズル終わりそう。

2015年4月4日土曜日

丹念熟成 バナナ

近所のスーパーで、バナナ味したクリームが中に詰まっている菓子パン「丹念熟成 バナナ」(神戸屋)を求める。いわゆる、製菓パンメーカーの(イチゴ)ジャムパンとかクリームパンと同形・同サイズの菓子パンだ。菓子パンで、細長のコッペパンに縦長に切り込みして、バナナ味のバタークリームを入れたものを食べたことはあるが、今回のような菓子パンスタイルのものは初めてだ。

(本ブログ関連:"バナナ")

結論からいえば、クリームパンのカスタードクリームがバナナ味になったようなもの。それ以外は、ジャムパンとかクリームパンと変わらない。どちらかといえば、学校のクラブ活動帰りの高校生たち向けといった感じで、パン生地の割合が多い。

バナナ味と風味は、あっさりしている。パンの袋に次のような記載がある。「クリームの中の黒い粒はバナナ由来ですので、安心してお召し上がりください」とのこと。果実のバナナを食べると、喉にイガイガ感がするが、このパンも同様だ・・・バナナ成分があるということ。

バナナ味の巡礼はまだ続く。


(付記)
今夕、一段と冷え込む。桜並木路の桜も枝振りがはっきりするほど。だいぶ散ったようだ。車がほとんど通らぬ所なので、路の中央を親子連れの自転車が通り過ぎるとき、小さな子どもが、「雪のようだね」という声が聞こえた。そう、辺り一面、桜の花びらが舞い散って薄く積もっていた。

2015年4月3日金曜日

イ・ソンヒとレスリー・チャン

時事ウィークの記事、「歌手イ・ソンヒ 『レスリー・チャン(張國榮)が直接、香港見物させて』特別な縁(인연)、視線集中」(4/1、ナ・ウンジャン記者)は、イ・ソンヒとレスリー・チャンとの<特別な縁>について次のように報じている。回りが気にするほどのことだったのか、そうでもないのか、あるいはあこがれだったのか・・・憶測というより、想いはつきない。

レスリー・チャン(1956年9月12日~2003年4月1日)は、複雑な関係を持つ人間だったようで、彼との縁というよりは、むしろ交流といった方がよいのではないかと思うのだが。・・・現在のイ・ソンヒにApril Foolのような思い出として残ることになる。

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・歌手イ・ソンヒと故レスリー・チャンの特別な縁が話題だ。

・今年、レスリー・チャンが亡くなって12周忌(2003年4月1日没)を迎え、相変らず彼を懐かしがるファンが少なくない中で、過去イ・ソンヒがレスリー・チャンとの格別だった縁について打ち明けたエピソードが、再び取り沙汰されている。

・イ・ソンヒは、去る2011年4月「ユ・ジェソク、キム・ウォンヒの遊びにおいで」に出演して、過去レスリー・チャンとの大切な思い出について告白した。

・当時の放送に一緒に出演したイ・スンギが先に暗示した。イ・スンギは、1989年に来韓したレスリー・チャンとイ・ソンヒが合同コンサート(「イ·ソンヒ&レスリー·チャンジョイントコンサート」1989年4月16日、蚕室体操競技場)をした」と述べ、これに対しイ・ソンヒは「公演の後に、レスリー・チャンの招待で香港を訪問した」と用心深く思い出を打ち明けた。

・イ・ソンヒは、レスリー・チャンが直接運転して、香港の見物をさせてくれたりもした」と同時に、「チョウ・ユンファ(周潤發)など、当時最高の香港スターたちが出席した船上パーティーにも招待された」と、レスリー・チャンとの親交を公開し、出演陣をびっくりさせた

・一方、レスリー・チャンは、2003年遺作「異度空間」を残して、4月1日香港のマンダリン・オリエンタル・香港ホテルで投身して亡くなった。今年でもう、亡って12周忌になった。
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イ・ソンヒの自伝にあたる「イ・ソンヒのスター・ストーリー」10話にも、当時世界的な話題を提供していたマイケル・ジャクソンやレスリー・チャンと交流があったことを記しているが、レスリー・チャンについては次のように語られている・・・ただし、正確な年度がここでは読み取れない。(どうやら、レスリー・チャンのバックから子ども扱いされたようなニュアンスを感じるのだが?)

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「10.それが歌なの 発声練習では」”)
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・香港の歌手、張國榮(レスリー・チャン)とも共に舞台に立ったことがある。彼のステージ・マナーは本当に良かった。かなり多くの曲を歌ったが、そのうちの二曲だけがライブであった。放送でもないコンサートなのに・・・それは香港式、いや英国式なのか?

・「張國榮」といえば思い浮かぶ、気が乗らない記憶一つがある。彼は若くも老いもない女性を自分の母親と紹介したが、その女性は私が張國榮と話すたびにとても気遣う様子だった。「チェッ」誰が自分の息子、なんという大儺(鬼払い)。*

    (*)世間で言われるような関係はなかったのだろうか

・ところで後ほど分かってみれば、彼女がまさに張國榮の隠れ「スポンサー」とか。だが確認する方法はない。
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次のYoutubeに、イ・ソンヒとレスリー・チャンが、彼女のデビュー作「Jへ」をデュエットする場面がある(音質・画像とも厳しい!)。映像タイトルに、「若者の行進 ジョイント・コンサート 1985」とある。イ・ソンヒ、デビュー2年目のこと、爆発的な人気の彼女とはいえ、そんな彼女とデュエットしたことになる。・・・なお、同視聴者の反応に「懐かしいヨン~~、88年放送ではないかヨン??」とのコメントもある。画面に、「オリンピック体操競技場より KBS」とある・・・同88年のソウル・オリンピック開催前に会場として使用したことになるのか。

(Youtubeに登録のsunnyfan100に感謝)


なお、ある韓国ブログ情報に、この後レスリー・チャンがイ・ソンヒの他曲をリメイクしたとの情報があるが、未確認。・・・これ以上調べる気はありません。

2015年4月2日木曜日

「桜祭り」前日

明日から「桜祭り」を開くという、昼下がりの公園に、桜の様子を見に行った。一昨日、風に煽られて街の桜が散り始めているのを見たからだ。幸い、この二日間静穏に恵まれ、元気を取り戻したようで、公園の桜は咲き誇っていた。

平日にもかかわらず、思いの他人出が多く驚く。考えてみれば今日は春休み。幼児から小学生くらいまでの子どもと遊ぶ親子連れや、誘い合わせた若者たちで賑わっていた。小さな子どもらの遊び声は、春らしい活気を与えてくれる。

公園敷地内のあちこちに桜の木が植えられていて、人々は巡るようにして花見する。もちろん定番の、花の下にシートをひいて車座になって談笑するグループもある。桜は、みなをにこやかにさせる。

普段巡ることのない公園西側の入口では、黄色の菜の花と、満開の桜を合わせて見ることができる。十分に春三昧した気持ちになる、ちょっとした贅沢な場所だ。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 パンソリ登場人物の視点

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(3/25)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第98回として、伝統芸能のパンソリ(판소리)から、登場人物の立場を変えてみた3曲を紹介した。

(本ブログ関連:”水宮歌(수궁가)”、”赤壁歌(적벽가)”、”沈清歌(심청가)”)

始めに、意味が変化した「善男善女(선남 선녀)」や「張三李四(장삼 이사)」について次のように紹介された。
・「善男善女」は元来、仏教信者で教えに従う人々を指す。韓国ではその意が変わりハンサムな男と綺麗な女を指すのが一般的だ。また、「張三李四」も同じく、張と李の息子を指したが、張と李がありふれた姓であることから、今は普通で平凡な人を指す意に変わった。歴史に記録はないが、人から人へ物語や歌を通じて伝わった。
・パンソリも、ストーリーの所々に人々の喜びや悲しみが出てくる。うまく読み取るのも、パンソリの楽しみ方だ。

▼ パンソリ「水宮歌」から、「困るな(난감하네)」を聴く。カメの立場で歌ったコラボ的今様。

・パンソリ「水宮歌」は、ウサギの肝をめぐる話だ。龍王からウサギの肝を探してくるように命じられた使いのカメは、ウサギを一度も見たことも、陸地がどこかも分からない。命令には逆らえない。やっとのことでウサギをおびき出して連れてくるが、愚かな龍王のせいでウサギを逃してしまう。それでもウサギの肝を求める王の前でカメは困ってしまう。

次に、パンソリ「赤壁歌」には、中国の小説「三国志演義」にない部分があることについて次のように紹介された。
・パンソリ「赤壁歌」は、「三国志演義」を元にした曲で、最高権力者となった曹操が、呉国を攻める内容が中心だ。有名な武将が作戦を立てて戦う。でも、まともな武器もなく命をかけて戦ったのは、名の知れぬ兵士だ。パンソリには、原作で触れぬ兵士たちのストーリーが登場する。

▼ 「赤壁歌」から戦の後に残った兵士を点呼する「軍士点考(군사점고)」を聴く。・・・語りが続く。

・戦に敗れ兵士たちと後退する場面だ。生き残った者を確認する。兵士は曹操に不満を抱き、非難する。

最後に、パンソリ「沈清歌」は、妻に先だたれた盲(めしい)の夫と赤子(娘)、村人の関係について次のように紹介された。
・「沈清歌」では、沈清の父は若いとき視力を失い、妻が針仕事をして金を稼いだ。妻は、夫の世話から家事まで担ったが、娘沈清を出産して亡くなる。

▼ 「沈清歌」から葬式での「郭夫人の棺が出る場面(곽씨 부인 상여 나가는데)」を聴く。賢婦人への理解と別れ・・・。

・残された夫は、葬式の準備など一人で出来ず、村人のおかげで葬儀を終え、沈清も育てることができた。

2015年4月1日水曜日

神野美伽「夜桜善哉」

多分、至極若い頃に耳にした、与謝野晶子の、「清水へ祇園をよぎる花月夜 こよひ逢ふ人みな美くしき」(歌集「みだれ髪」、1901年)は、想像を掻き立てる視覚的な歌だ。

花見の中でも、とりわけ夜桜見物は、人を惹きつける共感深い習俗だ。夜の灯り、人の波にもまれ、不思議な高揚感がある。春の夜は、若者を上気させ、夢心地に誘う浮橋のようなもの。でも、この季節は、重ねてこそ知るものがある。

神野美伽の「夜桜善哉」(作詞:荒木とよひさ、作曲:金賢奎、編曲:南郷達也、1999年)は、この季節に相応しい。睦まじい夫婦(めおと)にとって、春を再び確かめ合うよい機会になるかもしれない。

(本ブログ関連:”神野美伽”)

(Youtubeに登録のkece3に感謝)

(追記)
夕方の帰り道、一陣の風に木蓮の花弁が次々と落ちてきた。散るという風情はなかった。薄曇りの空、寒さが増したようだ。驚いたことに、小学校の垣根の桜が、花を散り始めた。一部、地面に散った花弁が舞い上がったりもした。あっけない終わり方をしているように見えた。何としても、桜の散り際を眺めておきたい。

2015年3月31日火曜日

桜

図書館へ借りた本を返しに行く道々、あちこち桜が満開なのに驚く。いつの間にこんな風になっていたのだろう。小学校の垣根に、老人ホームの入り口に、そして駅に続く並木道に、一気に花開いているのだ。ついつい視線が上がっている。

(本ブログ関連:”桜”、”サクラ”)

暖かい風が過ぎる、こじんまりした公園中央の小高い場所に、児連れの母親たちが一団となって坐り春を興じていた。幼い子どもたちにとってはエネルギー発散のため、母親たちにとっては一瞬の解放のため。

桜は、毎年印象が違う。見る側のとらえ方、感慨が変わるからだろう。自身もそう感じる、何となく納得する。子どものころ見た桜の花は桜色、すなわち薄いピンク色だった。それが、歳々次第に白色が増してきた。

今日の桜の花は、めっぽう白かった。ぬるい春風に揺れる様は、それでも昔のままだ。つい気持ちも緩む。見上げる桜が、西陽を受けて淡い桜色になってきた。左の写真におさめたが、子どものとき見たものとはやはり違うようだ。

地元の桜の名所は、4月3日(金)~5日(日)に「桜祭り」を催すという。これでようやく春が来る。人混みと分かっていても、陽気に引かれて花見に行くことになるだろう。

2015年3月30日月曜日

バナナアイス-ブラック・クッキー入り

バナナと名のつく菓子、飲料、アイスあれば、ためらわず味見する。それが、同世代なら分かってくれるだろうバナナへの願望だ、想いだ。

(本ブログ関連:"バナナ")

風呂上りにアイスが美味い季節になってきた。先日買った、アイスバーの「バナナアイス-ブラック・クッキー入り」(FUTBA、果汁5%)を口にした。黄色のバナナ形状していて、柔らかで粘りのあるバナナ味するアイスで、ブラッククッキー(黒色のクッキーの紛粒)を混ぜたクリームをコーティングしている。あら不思議、目をつぶると、バナナの香りして、クッキー入りのクリームの感触が、バナナをイメージさせる。

今までにないこの口ざわり、これを発明・発見した技術者に乾杯。素晴らしく、楽しいアイデアだ。

ところで、このフタバ食品、昨日鉱物採集に行った富井鉱山と同じ宇都宮市にある。とはいえ、南北に大きな市ゆえ、市の中心とずーっと北の郊外といった距離関係だが。

バナナ味の巡礼はまだ続く。

2015年3月29日日曜日

富井鉱山 2015.3

栃木県宇都宮にある富井鉱山へ行く。前回(2010年6月6日)から、およそ5年後、第6回目の採集となる。紫水晶の産地として何度か訪れたが、当初、工場跡地の広場周辺を巡り苦労したところ、その背にある山中と聞き、ようやく紫水晶を採集できた。今回、山中奥が様変わりしたとの情報を得て出かけた。

(本ブログ関連:”富井鉱山”)

早朝の乗り換え駅、先月(2/1)の茨城県錫高野採集と比べて、気温は穏やかになり、乗り換えの待ち時間に空が薄らぐのを見て、春の落ち着きを感じられた。

現地に10時頃到着。昼過ぎに雨の可能性があり、採集場所を2箇所(山中→広場)に絞った。紫水晶の美晶は不発だったが、結果は次の通り。

・山中:黄銅鉱、黄鉄鉱(等軸、微小)、水晶(微小群晶、紫?)、班銅鉱、銅藍

・広場:黄鉄鉱(等軸、小)・・・苦労した記憶がよみがえり、さっぱり成果を得ず。

天気予報の通り、帰路小雨が続いた。

(付記)
上記の「山中奥が様変わりした」の通り、採集者によってズリ場が徹底的に掘り返されていた。木の根元まで掘り込んだ結果、倒木まであった。これほど凄まじい光景は始めてだ。

(付記)
同行H氏から、小来川鉱山での鉱物採集で驚くような体験をしたことを聞いた。

(追記)
富井鉱山周辺に梅が花を咲かせていた。南に位置する利根川の堤に菜の花が群生していた。

2015年3月28日土曜日

イ・ソンヒの「私はいつもあなたを」

昨年4月、イ・ソンヒが30周年コンサートで歌った、4集収録の「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」(1988年、キム・ミンジョン作詞、ソン・シヒョン作曲)を、Youtubeで見ることができる。途中、「一緒に歌ってください」と、会場を巻き込んでの熱唱だ。この歌はコンサートの定番である。思わず口ずさんだものです。

(本ブログ関連:”「私はいつもあなたを」”)

シリーズ映画のOSTに使われたり、日本のオールド留学生の耳に残ったりと、この曲についての話題は多い。今回は、30周年の落ち着いた(ファン層の)雰囲気の中で聴いてみる。


「私はいつもあなたを」

いつもあなたを、慕っているのに
思うようにはいけない
今日も、セピア色した写真の中に
あなたの姿しのぶわ
*
いつもあなたに、会いたいのに
あなたは何処へ立ったの
優しいその姿、涙で染めるわ
あなた、私に戻ってよ

戻ってきて、私のところへ
すべて、あなただけなのよ(お~お~お)

燃える私の愛、避けられないのよ
あなた、私に(おおお)戻ってよ

(*以下繰り返し)

(戻ってきて・・・)
あなた、戻ってきてよ
すべて、あなただけなのよ

燃える私の愛、避けられないのよ
あなた、私に(おおお)戻ってよ


(Youtubeに登録の도미정に感謝)

2015年3月27日金曜日

(資料) 山師

鉱物マニアの端くれで、アマチュアの末席にずっと留まっている。少しも上達しない。けれど、山中に宝探しするようなわくわく感が忘れられず、今も続けている。といって独力で探し廻ることはない、というよりできない。ベテランについて、鉱山跡のズリ場を(ほんの少し)掘り返す。事前の鉱物産地情報が必要で、もっぱら人脈に頼っている。

その昔、石採りがどうだったか気になる。黎明の山頂に光輝を見てとか、深山の懐に雲立つ場所があってとか、鉱山の発見に神仙というか山岳信仰的なロマンを感じる。さらに、史実を知らないが、鉱山技術にキリシタンの流れがあったという噂を聞いたこともある。そんなわけで、昔に探鉱して、採鉱、精錬、流通といった鉱山経営の一大プロジェクトを遂行した「山師」について、概要だけでも知りたいと思う。

(本ブログ関連:”山師”)

国立国会図書館のデジタルコレクションに、昭和初期のものであるが、一般向けに鉱山についての基礎知識を書いたという「鉱山発見の実際知識」(東京研修社、昭和13年)が公開されている。昔は一般に、鉱山が今より身近だったのだろうか。

同「序説」に、「山師」についての紹介がある。長めの引用になるが次に書き写す(下線は追記)。この書が出た頃(昭和初期)まで、山師の名を、リスペクトされる本来の技能者としてスウィングバックが試みられたようだが・・・すでに遅すぎたのだろう。

ちなみに、青空文庫に公開されている、明治以降の書籍を<山師>で検索してみると、偏見に満ちた用法がわかる。山師が、江戸幕府と密着した利権を持っていたので維新後に蔑まされたのか、あるいは江戸時代に既にそうだったからかは知らないが。

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一、山師

   鉱石及び鉱床を探索してこれを発見する事を探鉱と云ひ之をなす人を探鉱者と言ふ。而して此等鉱石と鉱床とは決してむやみに撒布されるものにあらず、此の事業に従はんと欲せば先ず充分の修養をなし能く鉱石及び鉱床の智識を得て着手すべきである。

   今日にあっては山師なる名称は大に悪用され詐偽又は投機者と同一意義に使用さるゝに至った。此語は主として鉱山に用ゐられ今日の語で云へば鉱山の持主又は技師長と云ふやうな人に適用されて居た。乱世時代にあって各地の英雄が鉱山殊に金山を尊んだことは非常なものであって殆んど其價を問はざる観があった。

   徳川家康の如き駿河日陰沢に於て金山を経営し且つ之を監督せるとき自ら筆を執って山例五十三条を制定して鉱業を盛んに保護奨励したものである、此山例中各所に山師なる語を用ゐて曰く「山師金掘師を野武士と称すべし」と、即ち鉱山の鉱主より坑夫に至る迄武士を以て待遇されたるであった   曰く「山師金掘師つ儀は関所見石(みいし)と一通りして可相通事」と。鉱山関係の者は鉱石一片を持参すれば無切符で関所を通された。「山師金掘師に於ては山内諸事停止したるのなし鋪内では今日ある命ならざればなり」と規定し且つ「山師金掘師人を殺し山内に駆け込むとも留置き仔細を改如何事も山師金掘師の筋明白相立候はゞ留置相働かせ可申事」と。鉱山師坑夫等には最上権を與(あた)へ時としては殺人罪までもゆるされた又山師の座席までも規定し、「山師金掘師の筋糺は金山師正面次は銀山師次は銅山師と順列たるべし」と言ふた。右の規定を見るも分るが如く山師なるものは鉱山師に対する一つの尊称であって、鉱山家となり、又技術を指導するのであった。

   されば今日にあって適当の方法により国宝たるべき金の産出に努力せんか。世の金山氏は即ち右の山師として尊敬を集むるであらう。

   幕藩時代には何事でも血統を重んじるもので此探鉱者となる人でも亦一定の家筋があって。
此家には立派な鉱物標本を備え、其標本は縮緬の敷物に載せられ、桐の箱に納められ家宝として之を子孫に伝へ一子相伝として鉱石の智識を授け、常に山野を跋渉して鉱石の探索に努めた。されど惜しむべきは彼等に組織的頭脳なく、また泰西の学術を学ぶこともなかったので、只鉱石の外見上のことにて■石のこと聞き覚え之を携へて奔走したるに過ぎなかった。従って大なる収穫もなかった訳である。

   此の如く無知なる探鉱者即ち無法なる探鉱をなし自ら産を失ひ又人に迷惑を掛くるに至った。従って無法なる企業者亦は投機者に山師なる悪称を與ふるに至った、今後の探鉱者は必ず基礎あり智識ある人格者でなくてはならない。
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上記引用に、山師と(新しい時代の)探鉱者が区別されている。探鉱者は、智識も格式もない・・・いってみれば産地を荒らすマニア並みの扱い。そう考えると分かる気がする。それにしても、本当の山師に一度会ってみたかった。

2015年3月26日木曜日

ぬくい

今日、「寒の戻り」はおさまって、春らしい暖かさになった。このままずっと続いて欲しい。

それでも、日向と日陰で温度差を感じる。歩道を歩くとき、自然と建物の影になる側を避けている。

空気に、春の穏やかさがあるわけではない。「ぬくい」といった感触になるには少し時間が必要。

「ぬくい」を方言と思っていたが、どうやらそうでもないらしい。ネット情報では各地にあるようだ。

子ども時代、使っていた「ぬくい」は、包まれるような気がして、私には「春」にもっとも相応しい言葉だ。

2015年3月25日水曜日

卒業式

春だというに、寒風厳しく、まるで冬に戻ったよう。花冷えの一日。

ところで、昼過ぎ、体操教室に行く道で、何組もの親子連れとすれ違う。フォーマルに身を固めた母親の前を、歩を早めて子どもたちが歩いている。小学校の卒業式の帰りのようだ。

可笑しいのは男の子たちだ。何というか現実感がないのだ。きっと、彼らは押し出されるようにして卒業したのだろう。どっちに向いていいのやらといった感じで、足取りも頼りない

世に「中二病」という言葉、ギャグがある。Wikipediaにある、ヲタク文化研究会著の「オタク用語の基礎知識」の引用の孫引きになるが、次のような特徴が記されている。
1.洋楽を聴き始める。
2.旨くもないコーヒーを飲み始める。
3.売れたバンドを「売れる前から知っている」とムキになる。
4.やればできると思っている。
5.母親に対して激昂して「プライバシーを尊重してくれ」などと言い出す。
6.社会の勉強をある程度して、歴史に詳しくなると「アメリカって汚いよな」と急に言い出す。

昔、手伝ったことのある、中学生たちの塾で見た光景を思い出す。女子中学生は、中学二年の一学期頃まで、男子を軽くあしらっていた。子どもっぽく見えたのだろう。それが、夏休みを過ぎて登校してきた男子を見て、態度を改めることになる。彼らが一挙に男っぽくなっているのだ。たくましい骨のある顔つきに大きく変っているのだ。そのときから、女子は、今までフンと見ていた男子の前で、急におとなしくなる。

話しを元に戻す。今日見た、小学校の卒業式帰りの男の子たちは、中二病にも届かないところにいる。しばらくは、女の子に子ども扱いされるだろう。そう思われるに仕方ないほど、彼らは小学生のままである。当分の間はね。

多分、中学卒業生に合っているかもしれないけれど、風情のある柏原芳恵が歌う、「春なのに」(作詞・作曲中島みゆき、1983年)を聴いてみよう。ちなみに、柏原芳恵は、イ・ソンヒとほぼ同世代の、一つ歳下で、1965年10月1日生まれである。


(Youtubeに登録のidolEXに感謝)

(付録)レトロな感じがする、チャン・ユンジョンの「女子高卒業クラス」(キム・インスン歌、1975年)も聴いてみよう。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 春の曲

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(3/18)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第97回として、春にまつわるツツジ、雪、清秋なのどの曲を紹介した。

始めに、ツツジの花の詩「ツツジ花(진달래꽃)」とその満開の春山を楽しむ「寧辺歌(영변가)」を次のように紹介された。
・南にツツジが花を咲き始めた。金素月(김소월、1902年陰暦8月6日~1934年12月23日)の詩に「ツツジ花」(1925年)がある。<いつか私のことが嫌いになって去って、行かれる際には、何も言わずに見送ります。・・・ツツジの花をまき散らして差し上げましょう>という内容。寂しいながら、鮮やかなその色彩が浮かぶ。詩は、北方の寧辺の薬草や水が出ることで名付けられた薬山(약산)で、ツツジ花を持ちきれぬほど摘み取って来ると歌う。
・薬山のツツジ花は、朝鮮末期の民謡「寧辺歌」の中にも伝わる。春に薬山は、真っ赤なツツジで覆われ、まるで燃えているように見えた。その中で春を楽しむ様子を表した歌だ。<若い時に楽しんでおこう>という歌詞から始まる。老いて病気になれば遊べないからだ。昔の歌には、若い内に、悔いが残らぬよう楽しもうというのが多い。

▼ 民謡「寧辺歌」の歌を聴く。春の日の温もりに体が動いて、若さをしみじみありがたるのんびりした光景か。

次に、春に雪が降る光景を表したファン・ビョンギの曲「春雪(춘설)」について次のように紹介された。
・春、急に寒くなることがある。こういう寒さを「コッセムチュイ(꽃샘추위)」と言い、日本の「花冷え」にあたる。すっかり春になったと思う頃、雪が降り出して、花びらの上に白い雪が積もる。これを「春雪」と言う。何とも不思議で美しいこの光景を、カヤグムで表現した曲がある。静かな朝からはじまり、平和を表現し、そして最後は、神秘的な様子を奏する。

▼ カヤグム演奏「春雪」を聴く。ぽつぽつと雪が降り積もる印象を奏でる・・・古い趣をした今様である。

最後に、春に相応しい、青春を歌うパク・インヘの歌「青春歌(청춘가)」を次のように紹介された。
・春と秋、春秋は季節以外に、年月や歳月をも意味する。春は若い頃、秋は老年に例える。「青春」という語は、10代後半から20代の若者を指す表現で、無限な可能性を秘める言葉だ。進路に悩む若者の間で、「つらいから青春だ(아프니까 청춘이다)」という言葉がはやったことがある。不安なことも多い時期だが、新しい経験をするには、春がぴったりの季節だ。

▼ 「青春歌」を聴く。青春応援歌だそうだ・・・旋律に、東西と時間が織り成す美しい今様である。

キム・ボエさんの言葉、「春は、人々を幸せにする不思議な力を持っています」、本当にそう思います。

2015年3月24日火曜日

蟻と空

今日の蟻(アリ)の親方は機嫌がいい、旅の思い出語りをした。

労働者諸君、いや、それじゃあ寅さんと同じだな。お前ら働き者たちよ、巣にいるときゃ、暗い一本道の穴ん中、上へ下へと伸びても、しょせん一本道。

じきに、お天道様が暖めてくれりゃ、上の世界に出るわけよ。そこは、歩いて這って知る地べた。いつまで行っても、まっ平らなところよ。隊列からはぐれるなよ。

でも、草木があれば蜜を吸いに登って行くことになる、ありがたいところさ。ところで知ってるかい、どこまで行ってもまっ平らな世界。砂漠(サバク)よ、熱くって水もない、そんなところに棲んでいるのがいる。お天道さまの光が頼りよ、初めに光だ。

あそこは、在るか無いかの厳しい世界。二項対立っていうか、二元論の世界よ。情け容赦もない。それに比べりゃ、おれたちには、草も木もある、山もある、それに海まである。おまけに時間もあって四季がある。おかげで冬ごもりもあらあな。大事なことだ。

おれたちゃ、幸運な世界に棲んでいる。何でもかんでも割り切れない世界よ。だからありがたいのさ。これも神様の思し召し。もうじき温もって、外に出て仕事だ、うんと働けよ。

(本ブログ関連:”蟻”)

2015年3月23日月曜日

イ・ソンヒとINJ Orchestra

昨年、2014年4月、イ・ソンヒの30周年コンサート・ステージを、荘厳な音色に彩ったのが、弦と木管楽器中心とするINJ Orchestra(인제이오케스트라)だった。

30周年コンサート「歌うイ・ソンヒ」を楽しみに出かけたときのこと、昼過ぎソウルに到着して、ホテルに向かう前に会場に行ってみようと思い立って、世宗文化会館に寄った。入り口テラスに置かれたいくつかの椅子に、アジュンマ、アジョシたちが一休憩していたその中に混じって坐っていると、目の前を(名札を下げた)若者たちが次々と会館へ入って行くのが見えた。

コンサートの幕があがった時、さっきの若者たちは演奏者だったのではと思い返した。(舞台スタッフかもしれないが)

INJ Orchestraの規模について、facebook「クロスオーバー・アンサンブル i.n.j インジェイ(크로스오버 앙상블 i.n.j 인제이)」に、次のように記している。(2014年4月3日)
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・アンサンブル・インジェイ(inj)が、「INJ Orchestra」という名前で、「イ・ソンヒ30周年コンサート」を準備中であります。
・音楽監督、編曲、演奏ともに、インジェイ・メンバーを中心に構成された35人組オーケストラです。
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INJ Orchestraの母体について、facebook「인제이<inj>コミュニティー」は、次のように紹介している。(2012年6月21日)
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・I.N.Jは、2009年創立されたピアノ・ヴァイオリン・フルート・チェロ編成のクロスオーバー・カルテットチームです。
・希望教会青年部で縁があって、I.N.J ( In the name of Jesus )という名前で志を集い、現在、病院、拘置所で教会演奏を中心に活動していて、映画音楽、オムニバス、およびシングル・アルバム発売とますます活発な演奏活動を広げています。(以下略)
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このオーケストラの志と、イ・ソンヒの日ごろの慈善が重なるような気がする。30周年コンサートにまことにふさわしい協演だったのではないだろうか。

さて、イ・ソンヒのコンサートのための初リハーサルと、ステージ上でのリハーサル場面が、次のYoutubeに登録されている。(登録のsea silverに感謝)
・・・貴重な、珍しい映像である。いつまでも残ることを期待します。

なお、コンサート当日の光景を、本ブログ左に「이선희 30周年記念コンサート」として、Youtube映像をリンクしている。

コンサート序曲部のリハーサル(ゲネプロ)


初リハーサル、コンサートの最初の歌「Jへ」(イ・ソンヒの立会い、歌声を添える)



(付記)
なんていう寒さだ。冬着にすればよかった。桜もタイミングを失ったよう。・・・明々後日まで続くそうだ。

(追記)
本日、都内の「桜開花宣言」があった。(→ ことを、翌日(3/24)の朝のニュースで知った)

2015年3月22日日曜日

イ・ソンヒの「分かりたいです」

今晩、2年間の仲間と春の宴に集った。自分のこととはいえ名残り惜しいが、幸いなことに繫がりもいただき、別の機会を得て、つたない努力を継続できるようになったのは幸いだ。感謝。

会の始まる前、イ・ソンヒの2集、3集のリマスタリング版CDを新宿のショップに依頼する。ならば入手困難な12集もリマスタリングして欲しいと願うのは、日本のファンの声、無理な話か。

ところで、一昨日の本ブログに、紹介させていただいた、大衆音楽評論家・ジャーナリストのパク・ソンソ氏の評論中に、イ・ソンヒの3集収録曲「分かりたいです(알고 싶어요)」(作詞ヤン・インジャ、作曲キム・ヒガプ、1986年)の成立について、直接に作詞者ヤン・インジャと作曲者キム・ヒガプとのインタビューが掲載されている。原曲の存在、歌詞の変更、そしてイ・ソンヒとの巡り会いという、いってみれば数奇で運命的なものがあった。

そればかりではない、この曲には、黄真伊(ファン・ジニ:황진이)を空想したイメージの膨らみ、漢詩まで産み出す後日談がある。イ・ソンヒには、名曲との何と不思議な縁と逸話の多いのだろう。


「分かりたいです」

月明りの夜、あなたは、誰を想いますか
夢路で、あなたは、何を見ますか

深い夜、一人醒めて、涙流しませんか
時に日記に、私のことも、記しませんか

私と逢って幸せでしたか、私の愛を信じますか
あなたを想えば、全て気掛かりです
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一日中、私の想い、どれほど重ねますか
私本当に、あなたの、心に入りますか

雀のように、騒いでも、今でもかわいいですか
忙しいとき、電話しても、私の声嬉しいですか

私はとても綺麗ですか、心から私を愛してますか
本当に分かりたいです、話ししてください

(Youtubeに登録のhyunmi kimに感謝)