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2012年4月29日日曜日

イ・ソンヒの「愛が散るこの場所」

イ・ソンヒが歌い続ける曲に「愛が散るこの場所(사랑이 지는 이 자리)」がある。1988年にリリースしたアルバム4集「私はいつもあなたを(나항상 그대를)」(歌詞)におさめられていて、タイトル曲と同様に彼女の代表曲である。
戻ることのできない昔に、想いを自由に往来させてしまう少女特有のセンチメンタルな歌なんだけど・・・。

大衆音楽評論家のカンホンが、東亜日報の記事「[カンホンの歌手列伝] <14>イ・ソンヒ」(2011/10/10)で、次のように作品上の位置付けしている。(本ブログ:2011/10/10紹介)
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・作詞作曲の名コンビであるヤン・インジャ - キム・ヒガプによって誕生した、(1986年のアルバム3集)「分かりたいです」という無駄のない簡潔な楽譜の行間で、幼い淑女が少女漫画のように抱いていた切ない感情をこのように切実に訴えるボーカルは、その前後(の時代)に見つけるのは難しいだろう。このパターンは、洗練された音楽のドラマツルギー(Dramaturgie、劇的構成法)を持つ「愛が散るこの場所」と「私はいつもあなたを」などの名曲を作曲したソン・シヒョンをともなって、絶頂の花を咲かせる。
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(本ブログ関連:"愛が散るこの場所")



(Youtubeに登録のpops8090に感謝)

2012年4月28日土曜日

ミュージアムトーク「小麦と武蔵野のくらし」

江戸東京たてもの園で開催中の「小麦と武蔵野のくらし - 人が集まればうどん -」展(4/21~7/8)に、学芸員によるミュージアムトークを聴きに行く。

展示室の個々の展示品について、親しみやすく解説(ミュージアムトーク)していただいた。民族植物学という分野を専攻されているそうだ。初めて聞いた学問分野だが、農耕民族の日本人にとって馴染みやすそうな気がする。
(インターネットで学術誌(概要)を見ると・・・研究者はやっぱりすごいなと感心するばかり。)

さて先日(4/21)のブログで、展示解説書によって触れたので、今回は追記だけにする。
・多摩川上水からの分流水は、飲料水などに使われたもので農耕用ではない。
 → ご近所にも、南北に続く幅2m程度の極端に狭い路地があって、これがどうやら水路跡のようだ。
・嫁入りで婿の家に入る際に、2本の麦藁をタイマツとして地面に押したて、その間を通り抜けるという民俗行事が清瀬市にあった。余談として、もし嫁が狐なら尻尾を出すだろうという言い伝えがあったそうだ。
 → 狐?ということで、「僕の彼女は九尾狐<クミホ>」を思い出した。
・麦藁は盆の迎え火にも使われ、人の人生と密接に関わっているとのこと。
・江戸時代からの貯穀という(大量の穀物の貯蔵)制度があって、特にその共同性を評価されていた。
 → 指摘されたように、最近の自然の驚異を目の当たりにすると十分に納得できる。
・昔、米は貴重品で、米>>>(うどん)>>麦・雑穀、の順のようたった。(聞いたイメージで!)

展示解説書を見ながらもう一度展示品を見てみようかな。

そうそう、展示室外の廊下に置かれたディスプレイで、麦打ちの記録映像が上映されていた。貴重な映像だけに、是非とも映像所有部門にてYoutubeなどに登録・公開していただければと願う。

(付記)
小金井公園に向かう道に、ハナミズキの並木道がある。白い花が春の暖かい陽射しをうけて華やいで見えた。途中に法政大学工学部小金井キャンパスがあって、通りから見える施設の2階にスエヒロののぼりが立っている。部外者でも食事できる。

2012年4月27日金曜日

金環日食を楽しもう

来月5/21に起こる金環日食の楽しみ方や仕組みについて、子ども向けに紹介している映像「日食を楽しもう」(制作:国立天文台科学文化形成ユニット、協力:2012年金環日食日本委員会)がYoutubeにあるので見よう。13分はちょっと長いけど、内容は次の通りだよ。
金環日食の観察では目に気をつけよう。おじさんも安全のために、日食めがね(遮光プレート)を準備したよ!

・日食のスケールを実感しよう ・・・ 太陽と月と地球の大きさと距離
・日食の見え方 ・・・ 金環日食、部分日食、東京は朝の東の空
・日食めがねの使い方 ・・・ 陽射しを直接見ない、日食めがねを使おう、(昔、すすガラスを使ったけどダメ!だよ)
・いろいろな楽しみ方 ・・・ ピンホール、木陰・木漏れ日の形
・もっとくわしく知りたい方へ ・・・ 太陽と月と地球の軌道と位置関係、金環日食・皆既日食の違い、ベイリービーズ
・大人の方へ ・・・ 子どもへの安全配慮の確認項目



(Youtubeに登録のashubunitに感謝)

(追記)
天気予報の通りにはならず、夕方もずっと小雨降り続くなか、旧来の韓国語学習グループとの会食に行く。割と行きつけの場所に、こんな店があるとはつゆ知らなかった。

2012年4月26日木曜日

スプライト

雲から地上に放電する雷(かみなり)とは反対に、宇宙に向かって放電する発光を「スプライト」というそうだ。今日の日付に変わった深夜に再放送されたNHKのドキュメント番組「宇宙の渚(The Cosmic Shore)」で初めて知った。

この発光を妖精に例えて「スプライト(Sprite)」と名づけられたという解説を聞いてまず思い出したのは、炭酸飲料水のサイダーと同系統といったところの、緑色イメージのビンに入った(最近は自動販売機の缶入りで飲んだりするが)例の「Sprite」だろう。製造会社のホームページに、命名の由来があって次のように記している。
・ブランド名の語源は、英語のSpirit(元気の意)とSprite(妖精)に由来し、炭酸が威勢よくはじける様子、さわやかな透明感などを表現しています。

ふむふむ、はじける!ね・・・なるほど、上空の「スプライト」の発光も、NHKの超高感度カメラで写された映像で見ると、はじかれたように光が飛び散っていた。
それに、妖精のティンカー・ベルは、光の粉をまき散らしながら空中を駆け巡っていたし。特にディズニーのアニメ「ピーター・パン」に登場するティンカー・ベルは、お茶目で焼もちやきで、それにキュートで・・・。

この「スプライト」は、上空を突き抜けてどこへ行くのだろうかといえば、うっすらと光って地球を覆っている宇宙との電気のバリヤに到達するそうだ。そこに「大気光」が観測されるという。

ISSの窓(キューポラ)からこの科学観測に関わった古川聡宇宙飛行士は、コロンビア号のラモーン宇宙飛行士の遺志を引き継いだ。感動的な話がこの番組に通底する。

そして、この科学現象を観測した科学者たちの、「スプライト」の光を見つける毎に、まるで子どものように歓喜して「Sprite!」と叫ぶ様子が楽しかった。その場に居合わせたような気がした。

(追記)
・Business Insider (Oct. 14. 2021, 07:00 PM TECH INSIDER)
「ISSの宇宙飛行士が珍しい発光現象『スプライト』を撮影」・・・ Red Sprite紹介あり
    https://www.businessinsider.jp/post-244039

2012年4月25日水曜日

今朝地震があった

今朝地震があった。ふと目覚めると、微妙な揺れが続く。来るなと思ったと同時に揺れが大きくなった。体感は震度3くらいを感じて、すぐにテレビで確認したが、地元震度は2程度のようだった。

気象庁の地震情報は次の通り。
・平成24年04月25日05時26分 気象庁発表:25日05時22分頃地震がありました。
・震源地は千葉県東方沖( 北緯35.7度、東経140.9度)で震源の深さは約60km、地震の規模(マグニチュード)は5.5と推定されます。

不思議なことに、大きな揺れの後も、小さな揺れがしばらく続いたことだ。早朝の朦朧とした意識の中でのことなので、地震の現象を正しく把握していたかどうかは怪しいけれど・・・。

ただ、ここ数日、震源が次第に、福島沖>茨城沖>千葉沖へと南下してきているような気がする。考え過ぎかもしれないが、荒唐無稽とするほど確信はない。素人の見当違いであって欲しい。

2012年4月24日火曜日

イ・ソンヒの「バラ」

イ・ソンヒには、伝統的なバラードやロックを主に、東洋回帰的な「因縁(인연)」の旋律の他に、ラテンにもつながるものがあって、その代表曲に「バラ(장미)」(作詞・作曲イ・ソンヒ、2005年)がある。うちに秘めた真紅の情熱がほとばしる曲だ。運命の棘に傷ついたとしても、しかし悔いのない凛とした姿が浮かんでくる。

大衆音楽評論家のカンホンが記した、東亜日報の記事「[カンホンの歌手列伝] <14>イ・ソンヒ」(2011/10/10)に次のような一節がある。
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イ・ソンヒという名前は、栄光と絶望が交差する韓国女性ミュージシャンの歴史の巨大な注釈点のようだ。1994年9集の興行惨敗は、彼女の音楽履歴で最も危機だったにもかかわらず、彼女は決して挫折しないで、「因縁」と「バラ」という傑作を作ったシンガーソングライターとして、そして、成熟した女性に衣替えした2005年の傑作「四春期」(13集)のアルバムを、私たちの手に抱かせてくれた。
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(本ブログ関連:"14集「愛よ...」を聴く"、"イ・ソンヒのドレス"、"デビュー22周年記念ライブコンサート(2006年)")



(Youtubeに登録の526apolloに感謝)


(付記)
中央日報の記事「[作家シン・ギョンスク e-メールインタビュー] 私の代表作、まだ出てない」(4/24)によると、出版10ヶ月ぶりの2009年9月に100万部の国内販売した申京淑(シン·ギョンスク)の小説「母をよろしく」が、(今月)23日に、200万部を突破した・・・とのこと。

(本ブログ関連:"申京淑")

2012年4月23日月曜日

思い出の場所へ

以前、某ハウスメーカーのCM映像が印象的で、そこに流れる歌を誰が歌っているのだろうかと調べたところ、村上ゆきだった。穏やかでカジュアルな雰囲気がした。また、ラジオ番組で聞いた彼女の語りは心地よかった。ゆったりして優しく、構えを感じさせない落ち着いた声が自然に耳に入ってくるのを感じた。

彼女の雰囲気とどこか共通した歌手に大貫妙子がいて、この二人が作詞と作曲を分担したものがあるという。某鉄道会社の車両のCMソングで、「私を連れて帰ろう」(作詞:大貫妙子、作曲:村上ゆき)という曲だ。
そう、そっと後押しされて、自然と心優しくなっていくような気がしませんか。

(Youtubeに登録のsayaema、YoonSiYoon1987に感謝)

(本ブログ関連:"楽園へのあゆみ"、"大貫妙子")

2012年4月22日日曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 尹允錫

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/18)に、牙筝(아쟁:アジェン)という楽器で自らの名前の入った散調(산조:サンジョ)を作り出した尹允錫(ユン・ユンソク:윤윤석、1939年~2006年)を紹介した。

まず、牙筝の復習・解説から始まった。
・韓国の弦楽器は、奏法により、指で弦を弾いて音を出す伽耶琴(カヤグム:가야금)やコムンゴ(거문고、「玄琴」)などと、弦を弓で擦って音を出す奚琴(해금:ヘグム)など2種類あるが、牙筝は後者の擦弦楽器である。

・牙筝はとても大きく、また国楽の楽器の中で最も低い音を出す。

▼尹允錫の演奏による「牙筝シナウイ(아쟁시나위)」を聴く。低音の独特の深い響きにひかれる。やがて高音まで演奏を展開する・・・。独奏楽器として成立したのはいつ頃のことだろうか。
(「シナウイ」について本ブログ関連:"韓国の風景")

次のように尹允錫のプロフィールが紹介された。
・1939年 全羅北道益山の礪山に生まれる。
・1960年代 牙筝散調を学び始める。
・1980年代 自らの名を付した牙筝散調を発表。
および楽器牙筝の改良につとめる。
・2005年 没する。

▼尹允錫の演奏による「鉄牙筝散調」を聴く。牙筝の絹糸弦を鉄弦に変えて手で弾くと、確かに別の楽器の音色がする。では・・・打弦では、どんな風に聞こえるのだろうか。

▼尹允錫の演奏による「尹允錫流牙筝散調」を聴く。尹允錫「流」の意味するところを理解できる余裕もないのが残念だ。

2012年4月21日土曜日

(資料)小麦と武蔵野のくらし

小金井公園にある「江戸たてもの園」で、開園20周年記念特別展として「小麦と武蔵野のくらし」展が今日から始まった。水利の乏しい武蔵野台地で、新田開発した人々の糧でもあった小麦が、どのように栽培され、食されたかが紹介される。昭和期以降の展示が中心で、写真や農機具を通して人々の生活がうかがえる。

以前、地元公民館主催の郷土の歴史散歩シリーズに参加して、江戸期以来の人々の暮らし振りを聞いたことがある。昔の人々が、決して豊かとはいえない、(現在と比べれば)むしろ粗食と思える食事をしていたことを知った。

「小麦と武蔵野のくらし」展では、日常の食事について、次のように記している。

・水が乏しかった武蔵野台地の中央部では、乾燥した畑で栽培ができる麦と雑穀、そしてサツマイモが作物の中心であった。天候にあまり左右されずに収穫できるこれらの作物と、陸稲、根菜類が合わせて栽培された。 人々は季節に応じて、耕地を空かすことなく輪作を行った。

・収穫された小麦で作った手打ちうどんは、ご馳走として、家々の年中行事や冠婚葬祭の席にかかせないものでした。皆で一緒にうどんを打ち、食べることで家族や地域のつながりを深めていったのです。
→(実は、うどんを常食していた時代があったと誤解したことがある・・・ハレの食べ物だったのだ。)

・麦飯
石臼で大麦をこまかく砕いたひき割り麦や、押し麦にウルチの陸稲をまぜたメシと味噌汁、漬物、煮物が日常食であった。

・北多摩の作物と食べ方
武蔵野台地では、かつて大麦・小麦・雑穀・陸稲・サツマイモを主食とした。大麦をほぼ毎食食べ、陸稲のウルチマイを混ぜて炊飯した。大正時代までは雑穀のウルチアワをメシにして食べることもあった。
陸稲のモチゴメはモチにし、雑穀のモチ性のものと混ぜてついた。家によっては正月にモチを一石くらいつき、切ってから水をはった樽に保存し、初夏頃までチャガシにしたり、麦作で忙しい時の昼飯にした。小麦はうどん、まんじゅうにし、寒い夜などは汁にいれてスイトンにして食べた。自家用の醤油のもろみにもした。

・昭和20年代頃は朝・昼・晩に大麦に陸稲のウルチマイをまぜたメシ、10時と15時にはサツマイモや正月についてモチを水に漬けて保存した水モチなどをチャガシとして食した。
→(昭和20年代とは戦後の食料事情の悪い頃のことか? 農村と都市部では大差があったと聞くが・・・)

(本ブログ関連:"小金井雑記"、"小金井雑記"、"小金井雑記"、"小金井の今昔")

2012年4月20日金曜日

穀雨2012

天気予報サービス会社の今日の予報は、「曇り」で「折りたたみ傘があると安心」という。また雨かとうんざりする。しかし、二十四節気の「穀雨」だといわれると、恵みの雨と納得してしまう。

さて、この雨、どんな風景に合っているのだろうか。春雨にけむる畑に農夫が一人いる墨絵のような世界を空想するのは勝手というものだろう。穀雨を観念に閉じ込めては申しわけない。農作業の中での実感を知りたい。

「穀雨の終わりごろ(立夏(5/5)直前)に八十八夜(5/1)がある。」(Wikipedia)とのこと。カレンダーで季節を知るより、日毎の寒暖、天候の様変わる実感に信を置くようになった。ようやく自然の存在である自分に気付いたということでしょうね。

2012年4月19日木曜日

巡検

地質・地理関係の研究者が、野外実地踏査を「巡検」というが、自分たちアマチュアの鉱物採集に使ったことはない。鉱物の会の席上でも、ベテランが口にするのを聞いたことがない。
巡検の言葉に格式張ったところがあるからなのか、民間が使うには独特の匂いがするからなのか。

自分たちが普段使う言葉は、「鉱物採集(に行く)」が主だが、「石採り(に行く)」、「採集(に行く)」といった程度である・・・まあ、そんなところだ。

ところで、韓国のテレビ番組に「別巡検(별슨검)」という時代物がある。内容は、朝鮮時代末の科学捜査の物語である。警務庁に新設された捜査官で、「別」の文字に調査分析の特別の意を込められているのだろう。Gyaoで、その第1作を見た。
Wikipediaの「巡検」には、「1894年から1907年まで使われた李氏朝鮮(大韓帝国)警察官の階級の1つ。のちに巡査に改称した。」という説明がある。

2012年4月18日水曜日

イ・ソンヒの「Because Of You」

イ・ソンヒのアルバム12集CD「MY LIFE」(2001年)は入手困難だが、韓国のTwitter に奇跡のように求めたと喜びを記されたものがあって本当にうらやましい。
このアルバムに収録の「Because Of You」(作詞・作曲ユ・ヨンソク)は、悲しみの深さを歌っているのに、彼女の抑制した歌声とバックコーラスが重なり繰り返されるうちに、旋律の美しさが抜きんでて印象に残る不思議な曲だ。

-- 残念ながら現在、Youtubeに登録の「Because Of You」の映像は削除されている --

2012年4月17日火曜日

雨上がりの夜の公園

夜桜気分も終わったこの時期、雨上がりの夜の公園を利用する人はいない。韓国語教室の帰り、自動車がときたま走る道に併行した公園の小道を、街燈の灯りを頼りに進むと何かが香る。雨に濡れた地面の枯松葉が、辺りに香りを漂わせていたのだ。

ひんやりした空気に、松脂様の独特の香りがして、なぜか緑陰の夏の高原を思い出した。春の暗闇と夏の緑の世界が、この香りで一瞬でつながった。公園の夜道が自然に穏やかになった気がした。ほんの僅かな時間であるが香りを楽しんだ。
そういえば、山深く歩く「森林浴」という言葉があったことを思い出した。

陸橋を渡ればすぐに、公園の端に着く。また人家のつづく街に戻る。

2012年4月16日月曜日

神野美伽の「夜桜善哉」

桜の花びらが散って、界隈の景色は先をいそいでいる。満開の桜花の艶やかな光景などなかったかのようだ。自然の移ろいに、眺める方が追いつかない。時間の過ぎ去りをますます早く感じるようになった。

今年は、夜桜見物をしなかった。体調不良の身には、この花冷えが出歩くことを億劫にさせた。

せめて、春の夜のほんわりしたひと時を感じたくて、神野美伽の「夜桜善哉」(歌詞)を聴いてみよう。夜桜がほどよい舞台装置になって、そうそう与謝野晶子の歌にありましたね。

清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよひ逢ふ人 みな美しき

・・・なんちゃって。

2012年4月15日日曜日

新鉱物の発見

子どもたちが成りたいものに、まぶしいほどのヒーロー、プロ野球選手がいる。もしかしたら夢の中で見た、グラウンド上のあの絶妙なプレーが現実になるかもしれないと、また夢を見る。やがて、子どもたちは夢を見なくなる。

今日、四谷で開かれた鉱物の会に出かけた。なのに体調が思わしくない。長引いた風邪は沈静化したものの今月いっぱい用心と思っていたところ、一昨日から腹をくだしているのだ。会場までの中央線車中、フラフラしているのに気付く。

鉱物の会では、総会および例会の後に、関西の若手研究者による「新鉱物発見の実際」というテーマで、国内で発見した2種の新鉱物を事例に講演があった。
図解や写真を多用して、新鉱物であることについて分かりやすく語られた。さらに、発見した鉱物の化学組成や結晶構造などをいろいろな観点で分析するための装置も紹介された・・・、何だかその気にさせていただいたのがうれしい。
新鉱物発見の夢は、子どもがプロ野球選手になる夢を見るようなものなんだろうな、実現するのは大変なことだ。

今回の集まりに、小学生の子どもを連れた親子が数組参加されていた。この子どもたちの中から、つぎの新鉱物発見者が生まれることを楽しみにしたい。彼らは鉱物の会の宝物だ。

(追記)
新鉱物の発見場所って、日曜ミネラルハンターお決まりの採集場所である「ズリ」でもいいのかなあと気になって、隣席の筑波の研究者にうかがったところ、「ダメ」との回答。講演事例の通り、採集場所は坑内、つまり確定した場所、産状でなければならない。いやあ、ズリでとんでもない夢を見るところだった

イ・ソンヒの「ライラックが散るとき」

イ・ソンヒのアルバム10集「First Love」(1996年)所収の「ライラックが散るとき(라일락이 질때 )」(作詞・作曲イ・ソンヒ)は、彼女がシンガーソングライターとして、本格的に自身の作品を発表した最初ものである。
想い出を美しく情熱的に歌う、この曲をYoutubeで聴いてみよう。(登録のKnightmareSMに感謝)

作品発表について、アジア経済紙と彼女のロングインタビュー「イ・ソンヒ『まだ自分自身について分かりたいです』-2」(2011/6/16)で、次のように述べている。
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実は、私は最初のアルバムから、いつも曲を書いていたけれど、当時、シンガーソングライターという概念がそれほど良く考えられないし、女性が曲を書くといえば、評価がそんなに豊かでない時期で、「私も曲を書いたが、入れてみたい」というと、いろいろな理由で反対されて。
私の曲をのせてもよくなったのは、「ライラックが散るとき」(10集)の時からです。私が作った曲をやってもよいだろうと思ったし、少しずつ比重を増やしました。そうするうちに「因縁(인연)」を発表して、そのアルバムが予想外にうまくいって。
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(本ブログ関連:"ライラック")

2012年4月14日土曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 コムンゴファクトリー

KBS WORLD放送の「国楽の世界へ」は、今週水曜日(4/11)に、人物シリーズ23回目として初めてのグループである、「2006年、20代の若いメンバーで結成されたコムンゴファクトリー(거문고 팩토리、Geomungo Factory)」を紹介した。

まず、(伝統的)弦楽器コムンゴ(거문고、「玄琴」表記あり)の復習・解説から始まった。
・伽耶琴(カヤグム、가야금)とよく似た形をしているが、
- コムンゴは弦の数が伽耶琴の半分の6本
- 胴体の厚みは伽耶琴の二倍ほどで、ずっしりとした形状
- 伽耶琴に比べ、その音色は重く低い(伽耶琴は女性らしく、コムンゴは男性的ともいわれる)
・演奏方法も、弦を指で弾くのではなく、
- 《右手》に持った匙(スルテ、술대)という短い木の棒でで叩いたり、すくったりして音を出す。
- 《左手》では弦を(胴体の上に置く16個の木の板)フレット(fret)である固定の「クェ(괘)」の上で押したり揺さぶったりしていろいろな表現をする。
・コムンゴは、テンポが速く、変化の激しい曲を演奏するのは難しいとされ、現代創作音楽では除外されることが多かった。

▼コムンゴファクトリーによる「コムンゴ&タンゴ」を聴く。むむむ、新しい楽器の登場といった方がよいような・・・これも、総合化・統合化の流れなのでしょうか。
Youtubeの「Geomungo&Tango」も参考にして。

次のようにコムンゴファクトリーのプロフィールが紹介された。
・2006年 20代の若い女性3人、男性1人でグループを結成。
・数々のバリエーションを持ったコムンゴ楽器を創作。・・・改良楽器を演奏することに対して、韓国でも賛否両論がある。

▼コムンゴファクトリーによる「自由な鳥へ(자유로운 새에게)」を聴く。演奏会の雰囲気を知りたいような、分かるような・・・。
Youtubeの「Fly to the Sky」も参考にして。

▼コムンゴファクトリーによる「ピョルクムジャ(별금자)」を聴く。月夜に星がきらめくような雰囲気で・・・。
Youtubeの「The Starry Night」も参考にして。

(Youtubeに登録のTheGeomungofactory、kindheartedgeomungoに感謝)


彼らの存在は、どれくらいの潮流というかムーブメントとなっているのでしょうか。解説の岸さんが「チャレンジ」という言葉で後押ししているのがわかります。時代を変えるのも創造するのも、結局若い人たちなんですからね。

2012年4月13日金曜日

ベサメ・ムーチョ

中学生の頃、精一杯大人の振りをしたくて冒険するものだ。ある街の駅の裏通りにあった薄暗い喫茶店に仲間と一緒に行って、すっかり緊張したが、翌日教室で自慢げに話したものだ。もちろん、それを聞く周りは、大きくうなづき感心していた。

アメリカのフォークソングを歌っても、歌詞の意味を深く考えなかった。まして、トリオ・ロス・パンチョス(Trío los Panchos)の歌に至っては、旋律の美しさにひかれただけかもしれない。スペイン語の歌詞は、その内容よりも発音のしやすさに関心があった。
特に、トリオ・ロス・パンチョスの「ベサメ・ムーチョ(Bésame mucho)」は、仲間と一緒に何度も歌った。

ところで、この「ベサメ・ムーチョ」の作詞者コンスエロ・ベラスケス(Consuelo Velázquez)が、16歳の少女で誕生日前に作ったと、Wikipediaで知った。作詞当時、彼女はキスをしたこともなかったという。そう、彼女も歌詞の中で精一杯大人になっていたのだろう。日本でこれを歌っていた、中学生の子どもたちも同様に。

(Youtubeに登録のgu7196に感謝)


(追記)
今日は、福島沖でM5以上の地震が何度も発生している。

2012年4月12日木曜日

ファンについて

思い違いがあるかもしれないが、記憶に浮ぶまま綴ってみる。随分以前、あるテレビ番組で、著名な日本人現役野球選手が、米国の敬愛する元バスケットボール選手を訪れた。TVカメラをはずして二人だけで談話したとき、野球選手は元バスケットボール選手から、ファンについてあるアドバイスを得たという。それは、慎重にして冷徹な、ファンの存在と関わりについての分析であった。

さて、イ・ソンヒはファンについてどう語っているのだろうか。
以前、アジア経済紙が彼女とロングインタビューをしたときの記事から抜き出してみよう。彼女は、冷静な自己分析と同時に、ファンについてそのあるところを次のように承知していた。

【再掲】
アジア経済「イ・ソンヒ『まだ自分自身について分かりたいです』-2」(2011/6/16)より
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(大衆性について)
・私が大衆的な人だと(笑い)、いつも宿題のように残っている部分です。大衆の心はいつも動きます。変わらないのは、容赦なくて、また冷たく評価しますから。

(大衆が願うことと、したいことのバランスについて)
・評価の前にいつも悩んでいる自分がいます。初めにハードロックをしたので、まだその精神が残っていて(笑い)。ところで、アルバムは作曲者がいて、その人の意図を充実しようとしますが、ライブの時は、本当にハードに歌います。その時そのように感じて、私がそのように生きてきた、ありのまま表現します。
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ファンにもお国柄があって一般化できないけれど、それでもファンは、ファンなりに自身を省みる必要があるでしょう。

2012年4月11日水曜日

【詩朗誦】 「私はイ・ソンヒに似ているんですって?」

曇天に、思い返したように小雨がパラつき、追い討ちをかけるように風が吹く。おかげで、桜の花びらを辺りに散らし、濡れたアスファルトの路面に張り付かせる。春雨の無粋な仕業だ。

今朝、病院で風邪の回復のお墨付きをいただき、久し振りに地元公園にある健康運動センターの健康体操コースに出席する。病み上がりを考慮して、まずは体慣らしから。
そのコースへ通う道すがら、珍しい光景に出あった。春風が吹いてくる方向に桜の木が見えないのに、十字路に花吹雪が舞っていたのだ。まるで、お天気雨のような、そこだけ不思議な空間になっていた。

ところで、イ・ソンヒの詩「私はイ・ソンヒに似ているんですって?(내가 이선희를 닮았다구요?)」は、詩集「去る者だけが愛を夢見ることができる(떠나는 자만이 사랑을 꿈꿀 수 있다)」(1990年4月1日)に収められている。この詩集が出版された同年6月には、朗誦版のアルバムがリリースされる。

上記の詩は、25歳のイ・ソンヒの内省を物語っている。歌手として存在の意味と、行く末に対する不安が交錯する。彼女は音楽のために在るのか、ファンのために在るのか、いや自分のために在るのか・・・。
当時の彼女は、歌手として音楽活動において、数々の大賞を得ていたし、絶頂期でもあった。音楽評論家の冷徹な目でみると、実はこの1990年にリリースした、彼女の第6集アルバムがピークであり、変換点でもあったといえる。それを、彼女は予期していたのだろうか。(もちろん数々の試行の結果、現在の彼女が、揺るぎない大きな存在であることはいうまでもない。)

詩の最後は次のように結ばれている。

・・・・・・・・・・・

そうだ、私は、
イ・ソンヒに似たもので 、
イ・ソンヒではないかも知れない。
それなら、
イ・ソンヒは、どこに行ってしまったのだろうか。

(本ブログ関連:"イ・ソンヒの詩"、"イ・ソンヒの変換点")
(本ブログ関連:"「カンホンの歌手列伝」 イ・ソンヒ"、"イ・ソンヒの「分かりたいです」、そして漢詩")
(本ブログ関連:"イ・ソンヒの詩「マックス・ミュラーの『ドイツ人の愛』を読んで」")
(本ブログ関連:"1986~2009韓国女性歌手の好感度")

(音源)
ブログ「AESTHETICA」で、(ドラマチックな音楽の流れる)この詩を聴くことができる。感謝。