イ・ソンヒ(李仙姫)の誕生にまつわる話題に、彼女の名「仙姫」に「仙」の字が織り込まれたことについて、次のように伝えられている。
(本ブログ関連:”李仙姫の名前”)
・「イ・ソンヒは、(陰暦の)1964年11月11日に、(本籍地)忠清南道保寧郡(現在は市)珠山面篁栗里に誕生した。父(イ・ジョンギュ:이종규)、母(チェ・ビョンムン:최병문)の初めての子として誕生した。父母のそれぞれの夢に、男の子が示唆されていた。父の夢にあらわれた、山の神を意味する虎のために、彼女の名前(李仙姫)に神仙の「仙」の字が入ることになった。」(「老木樹のチャン・ウクチョ(장욱조)が生命樹になって」)
(本ブログ関連:"イ・ソンヒの生誕")
最初の子として誕生した彼女だが、男子の誕生が期待されていたことを当然知ったのではないだろうか。デビュー以来、彼女がどことなくボーイッシュなズボン姿を続けた意味がそこにあったかもしれない・・・考え過ぎだろうか。
イ・ソンヒの父親が彼女の誕生前に見た夢に神仙の気配があったこと、一家が仏教と大きく関わっていたことなど合わせて、背景に東洋的世界を視るのもよいかもしれない。
関心の一つは、イ・ソンヒがSBSのロマンチック・コメディ「僕のガールフレンドは九尾狐」で歌ったメインテーマ曲「狐の嫁入り(여우비)」に登場する九尾狐だ。
(Youtubeに登録のps3hlproductionsに感謝)
・「天気の良い清い空で急に雨が降る時、韓国では『여우비-狐の雨』が降ると言います。」、「韓国ではもう一つ、『여우비』以外に『호랑이 장가간다-虎が妻をめとる(虎が結婚する日)』と言う表現もあります。(略) 韓国でも日本でも日照り雨は、動物の結婚と言う面白い言葉で表現するらしいですね。」(韓国文化院のコーナー「韓国語ひとこと」)
伝承「狐の嫁入り(여우비)」には<狐>だけでなく<虎>も象徴も含まれているようで、この歌から彼女への関心が一層大きく広がるのは不思議な気がする。
(本ブログ関連:"狐の嫁入り")
2013年1月2日水曜日
2015年11月29日日曜日
なぜ仙人の話しをするのか
このブログは、イ・ソンヒのファンブログだ。とはいえ、毎日彼女のことを書き続ける力はない。そこで、彼女の歌の曲名や歌詞内容にキーワードを探し、思い浮かぶことを話題にしたりしている。テレビドラマの「僕のガールフレンドは九尾狐」挿入曲である、彼女の歌「狐の嫁入り(여우비)」(2010年)から、狐信仰、九尾狐、稲荷神社、(狐に関連して)山海経、聊斎志異、耳袋(嚢)など調べている。
(本ブログ関連:”狐の嫁入り”)
また、イ・ソンヒの父親が仏教音楽「梵唄(ぼんばい:범패)」の指導者だったことから、韓国仏教、国楽などに関心を向けている。
そんな一つに、イ・ソンヒの名前がある。漢字名「李仙姫」に、なぜ「仙」の文字があるのかについて、彼女が誕生する前に父親が見た「夢」から選ばれたということを何度か触れた。
(本ブログ関連:”李仙姫の名前”)
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「老木樹のチャン・ウクチョ(장욱조)が生命樹になって」
・イ・ソンヒは、(陰暦の)1964年11月11日に、(本籍地)忠清南道保寧郡(現在は市)珠山面篁栗里に誕生した。父(イ・ジョンギュ:이종규)、母(チェ・ビョンムン:최병문)の初めての子として誕生した。父母のそれぞれの夢に、男の子が示唆されていた。父の夢にあらわれた、山の神を意味する虎のために、彼女の名前(李仙姫)に神仙の「仙」の字が入ることになった。
(本ブログ関連:"イ・ソンヒの生誕")
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ここ数日、仙人について書き連ねている。いつか、仙人のいる仙境、あるいは桃源郷の世界を覗くことができたらと期待している。(とはいえ、仙人の事典のような列仙伝をめくると、彼らが普遍的な存在というよりは、一つの生き方に見えてくる。人模様というか、人様々というか。)
(本ブログ関連:”狐の嫁入り”)
また、イ・ソンヒの父親が仏教音楽「梵唄(ぼんばい:범패)」の指導者だったことから、韓国仏教、国楽などに関心を向けている。
そんな一つに、イ・ソンヒの名前がある。漢字名「李仙姫」に、なぜ「仙」の文字があるのかについて、彼女が誕生する前に父親が見た「夢」から選ばれたということを何度か触れた。
(本ブログ関連:”李仙姫の名前”)
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「老木樹のチャン・ウクチョ(장욱조)が生命樹になって」
・イ・ソンヒは、(陰暦の)1964年11月11日に、(本籍地)忠清南道保寧郡(現在は市)珠山面篁栗里に誕生した。父(イ・ジョンギュ:이종규)、母(チェ・ビョンムン:최병문)の初めての子として誕生した。父母のそれぞれの夢に、男の子が示唆されていた。父の夢にあらわれた、山の神を意味する虎のために、彼女の名前(李仙姫)に神仙の「仙」の字が入ることになった。
(本ブログ関連:"イ・ソンヒの生誕")
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ここ数日、仙人について書き連ねている。いつか、仙人のいる仙境、あるいは桃源郷の世界を覗くことができたらと期待している。(とはいえ、仙人の事典のような列仙伝をめくると、彼らが普遍的な存在というよりは、一つの生き方に見えてくる。人模様というか、人様々というか。)
2013年1月3日木曜日
李仙姫の名前から(2)
イ・ソンヒの名「ソンヒ(선희)」と同じ名付けについて、次のような統計がある。(이루미작명SYS)
・「選好度: ソンヒ(선희)は、58番目(0.2%)でしばしば使われ、最も多い姓は金である。」
・「性別感: ソンヒ(선희)は、93.57%が女性の名前だ。」
・「出生情報: ソンヒ(선희)は、1985年度に最も多く出生し、ソウル特別市出生の場合が多かった。」
1984年の「江辺歌謡祭」でデビューした翌年、テレビを通じて賑わした彼女の名「ソンヒ(선희)」が多く名づけられたことに因縁があるように思える。彼女の健全なおもむきと名の持つ印象が、当時の都市部生活者に親和性があったのだろう。
(本ブログ関連:"イ・ソンヒという名前")
さて、話しを彼女の名の一文字「仙」の由来から、神仙伝説へイメージを膨らませてみよう。
最近の彼女のヒット曲に、「因縁(인연)」に代表する東洋的な雰囲気を漂わせる傾向があるが、「狐の嫁入り(여우비)」もそのひとつである。ドラマに登場する九尾狐は「山海経」まで遡るという。
・「紀元前2世紀から紀元3世紀頃にかけて中国で著された地理書『山海経』には実在とは思えぬ動植物の項が並んでいるが、その一書「南山経」で、青丘之山に「有獸焉 其狀如狐而九尾 其音如嬰兒 能食人 食者不蠱」*とあるのが九尾の狐に関する最初の記述であるとされる。」(Wikipedia「九尾狐」)
(*)「獣がいる。その状は狐の如くで九つの尾、その声は嬰児のよう、よく人を食う。(これを)食ったものは邪気におそわれぬ。」(高馬三良訳「山海経」)
(本ブログ関連:"Wikipedia「九尾狐」")
この「山海経」は、桃源郷(「桃花源の詩」)の散文を記した陶淵明もマニアだったらしく、「読山海経十三首」の詩を作っている。なるほど、彼が興味深く眺め見たこの書の挿絵には、九尾狐だけでなく不可思議なさまざまな生き物が登場する。
(本ブログ関連:"陶淵明-3")
イ・ソンヒの名前から、神仙の世界へ話しがとんでしまったが、彼女の東洋回帰に合わせてイメージ遊びさせてもらった。
(本ブログ関連:"李仙姫の名前から(1)")
・「選好度: ソンヒ(선희)は、58番目(0.2%)でしばしば使われ、最も多い姓は金である。」
・「性別感: ソンヒ(선희)は、93.57%が女性の名前だ。」
・「出生情報: ソンヒ(선희)は、1985年度に最も多く出生し、ソウル特別市出生の場合が多かった。」
1984年の「江辺歌謡祭」でデビューした翌年、テレビを通じて賑わした彼女の名「ソンヒ(선희)」が多く名づけられたことに因縁があるように思える。彼女の健全なおもむきと名の持つ印象が、当時の都市部生活者に親和性があったのだろう。
(本ブログ関連:"イ・ソンヒという名前")
さて、話しを彼女の名の一文字「仙」の由来から、神仙伝説へイメージを膨らませてみよう。
最近の彼女のヒット曲に、「因縁(인연)」に代表する東洋的な雰囲気を漂わせる傾向があるが、「狐の嫁入り(여우비)」もそのひとつである。ドラマに登場する九尾狐は「山海経」まで遡るという。
・「紀元前2世紀から紀元3世紀頃にかけて中国で著された地理書『山海経』には実在とは思えぬ動植物の項が並んでいるが、その一書「南山経」で、青丘之山に「有獸焉 其狀如狐而九尾 其音如嬰兒 能食人 食者不蠱」*とあるのが九尾の狐に関する最初の記述であるとされる。」(Wikipedia「九尾狐」)
(*)「獣がいる。その状は狐の如くで九つの尾、その声は嬰児のよう、よく人を食う。(これを)食ったものは邪気におそわれぬ。」(高馬三良訳「山海経」)
(本ブログ関連:"Wikipedia「九尾狐」")
この「山海経」は、桃源郷(「桃花源の詩」)の散文を記した陶淵明もマニアだったらしく、「読山海経十三首」の詩を作っている。なるほど、彼が興味深く眺め見たこの書の挿絵には、九尾狐だけでなく不可思議なさまざまな生き物が登場する。
(本ブログ関連:"陶淵明-3")
イ・ソンヒの名前から、神仙の世界へ話しがとんでしまったが、彼女の東洋回帰に合わせてイメージ遊びさせてもらった。
(本ブログ関連:"李仙姫の名前から(1)")
2014年3月20日木曜日
名前の表記
イ・ソンヒ(李仙姫)のハングル名(이선희)は、次のように表記される。一般的な表記の理由とは別に、一文字ずつ分離する例を最近ネットで見たが・・・これって流行なのだろうか。
・「이선희」 : 姓の李(이)と名の仙姫(선희)をまとめて書くのが原則。
・「이 선희」 : 姓の李(이)と名の仙姫(선희)を明確にするため分けて書く。
・「이/선/희」 : 彼女の30周年記念コンサート紹介写真や投稿などで何度か目にした一文字ずつ離して表記。デザイン、それとも流行?
(本ブログ関連:”李仙姫の名前から(1)、(2)”、”イ・ソンヒという名前”)
・「이선희」 : 姓の李(이)と名の仙姫(선희)をまとめて書くのが原則。
・「이 선희」 : 姓の李(이)と名の仙姫(선희)を明確にするため分けて書く。
・「이/선/희」 : 彼女の30周年記念コンサート紹介写真や投稿などで何度か目にした一文字ずつ離して表記。デザイン、それとも流行?
(本ブログ関連:”李仙姫の名前から(1)、(2)”、”イ・ソンヒという名前”)
2013年6月25日火曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 神仙(仙人)
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/19)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第11回として、このシリーズでは珍しい(イ・ソンヒ(李仙姫)の「仙」の字につながる)、「神仙(仙人)」について紹介された。
(本ブログ関連:"李仙姫の名前")
まず仙人即ち神仙について次のように始まった。
・東洋には不老長寿の考えがあり、俗世を離れ、精神を磨き、境地に至る生き方が信じられた。韓国ではそれを手にした仙人を「神仙(신선)」と呼び、神仙の境地の歌や絵が数多く残っている。仙人を歌った「辞説頭学時調(サソルジルムシジョ、사설지름시조)」は、旋律が緻密の意の「サソル」、最初を高い声で叫ぶ意の「ジルム」が合わさっている。
▼辞説頭学時調の「鶴に乗って横笛を吹く(학타고 저불고)」を聴く。長いトーンが空を滑空する鶴のように響く。
仙人の役割について次のように解説した。
・紀元前5世紀に遡る中国に仙人の関心があり、半人半獣の姿で、理想郷(蓬莱など)に住む不死の超人と言われた。中国初代皇帝始皇帝は、仙人の話しを知って不老不死を得るため仙薬を捜した。当時、仙人になるには一定の素質があり、仙人の住む山に入って祭祀(제사 )をせねばならないと信じられた。数百年が流れ仙人は人間に近づき、人も特別な修行で仙人になれると信じられ、様々な術も語られた。
西洋錬金術が科学を発展させたように、仙人の道も人間の体と自然の調和をはかった。昔の仙人の絵に(日本の笙とよく似た)「笙簧(センファン:생황)」を演奏する姿がある。
▼笙簧、短箫に牙筝を加えた「水龍吟(수룡음)」を聴く。楽器の織り合い続く音がまるで水流のよう。
有名な仙人の姿について次のように紹介された。
・朝鮮時代の画家金弘道(김홍도)は、仙人の絵を多数残した。その中に、仙人が大きな松の木の下に座って笙を吹く「松下吹笙図(송하취생도)」がある。仙人は笙簧、笛、琵琶などの楽器を好み、鶴に乗って空を飛び回ったという。
仙人の長寿の秘訣は不老草や西王母の桃などを食べることだ。西王母の桃を盗んで食べた仙人東方朔は18万年の命を授かることになった。人々の寿命を司る仙人南極老人、男女の縁を司る仙人月下老人などが広く知られている。
また、韓国では、民族起源の檀君や新羅時代の学者崔致遠(최치원)も仙人になったといわれる。
▼The 林グループによる「天の川を見ていた日(은하수를 보던 날)」を聴く。・・・今様である。
岸さんの締めの言葉、「不老長寿を願うことは叶わぬことですが、仙人のように、人生を楽しむ余裕を持ちながら生活することはできそうですね」の通り、エンジョイできるもの探していますよ。
(本ブログ関連:"李仙姫の名前")
まず仙人即ち神仙について次のように始まった。
・東洋には不老長寿の考えがあり、俗世を離れ、精神を磨き、境地に至る生き方が信じられた。韓国ではそれを手にした仙人を「神仙(신선)」と呼び、神仙の境地の歌や絵が数多く残っている。仙人を歌った「辞説頭学時調(サソルジルムシジョ、사설지름시조)」は、旋律が緻密の意の「サソル」、最初を高い声で叫ぶ意の「ジルム」が合わさっている。
▼辞説頭学時調の「鶴に乗って横笛を吹く(학타고 저불고)」を聴く。長いトーンが空を滑空する鶴のように響く。
仙人の役割について次のように解説した。
・紀元前5世紀に遡る中国に仙人の関心があり、半人半獣の姿で、理想郷(蓬莱など)に住む不死の超人と言われた。中国初代皇帝始皇帝は、仙人の話しを知って不老不死を得るため仙薬を捜した。当時、仙人になるには一定の素質があり、仙人の住む山に入って祭祀(제사 )をせねばならないと信じられた。数百年が流れ仙人は人間に近づき、人も特別な修行で仙人になれると信じられ、様々な術も語られた。
西洋錬金術が科学を発展させたように、仙人の道も人間の体と自然の調和をはかった。昔の仙人の絵に(日本の笙とよく似た)「笙簧(センファン:생황)」を演奏する姿がある。
▼笙簧、短箫に牙筝を加えた「水龍吟(수룡음)」を聴く。楽器の織り合い続く音がまるで水流のよう。
有名な仙人の姿について次のように紹介された。
・朝鮮時代の画家金弘道(김홍도)は、仙人の絵を多数残した。その中に、仙人が大きな松の木の下に座って笙を吹く「松下吹笙図(송하취생도)」がある。仙人は笙簧、笛、琵琶などの楽器を好み、鶴に乗って空を飛び回ったという。
仙人の長寿の秘訣は不老草や西王母の桃などを食べることだ。西王母の桃を盗んで食べた仙人東方朔は18万年の命を授かることになった。人々の寿命を司る仙人南極老人、男女の縁を司る仙人月下老人などが広く知られている。
また、韓国では、民族起源の檀君や新羅時代の学者崔致遠(최치원)も仙人になったといわれる。
▼The 林グループによる「天の川を見ていた日(은하수를 보던 날)」を聴く。・・・今様である。
岸さんの締めの言葉、「不老長寿を願うことは叶わぬことですが、仙人のように、人生を楽しむ余裕を持ちながら生活することはできそうですね」の通り、エンジョイできるもの探していますよ。
2014年8月29日金曜日
(資料)京郷新聞 1984年「江辺歌謡祭」でイ・ソンヒが大賞受賞した記事
イ・ソンヒが、1984年に「Jへ」で大賞受賞したMBC第5回「江辺歌謡祭」(7月29日)の結果について、「京郷新聞」(7月31日)が報じた記事「若い熱気むんむん『江辺歌謡祭』 - MBC 創作曲・進行手腕目立つ」(【聖】記者)を、NAVER提供の「デジタルニュースアーカイブ」で見ることができる。
7月29日(日)に開催された歌謡祭の結果は、月曜日が新聞休刊だったため、7月31日(火)に掲載されている。
記事の最後に、「李嬢は仏教界に従事する李鐘圭氏(50)の長女。」と記されている。イ・ソンヒが登場した最初から、父親と仏教との関係について知られていたことになる。
(本ブログ関連:”イ・ソンヒと江辺歌謡祭新聞記事”、”NAVERデジタルニュースアーカイブ”)
当時の紙面について
① 使用の文字、記述
・ 括弧書きを” ”ではなく、「 」を使用(横書・縦書き同様)
・ 名前に漢字を使用(例:李文世=イ・ムンセ、이문세)
・ 敬称に「嬢」、「君」を使用
・ 句点をピリオドではなく、「。」を使用
② 歌謡界への健全化の意向を反映して、「健全さ」を強調
-----------------------------------------------------------
先日29日、京畿道加平郡南怡島にて開かれた「84MBC江辺歌謡祭」決戦大会は、3,000余名の傍聴客が集まった中、決戦進出の10チームが出場、熱烈な競り合いを広げた。MBCは、若い大学生たちの好評に支えられて、第5回を迎えたこのたびの江辺歌謡祭の決戦実況をTVおよびラジオで生中継、夏夜の舞台をなお一層熱気でいっぱい満たした。
キャンパスのアマチュア歌手たちの登用門である「84MBC江辺歌謡祭」出品作は、大賞の栄誉を抱いた「Jへ」を始め、若者たちの切ない恋と友情を描いた曲が大部分で、エレキギターを動員した激しい曲よりは穏やかで情感ある曲が主流をなした。
文化放送がキャンパス内の隠れた人材を発掘のため設けたこのたびの行事は、参加曲がみな創作曲という点で、放送界には意味あることとして受け取っている。
一方、このたびの行事は進行を引き受けた、李文世・吉恩貞2人の軟な話術が舞台ならびに放送席の雰囲気を健全に誘導し一層引き立つ舞台だった。李君は夏キャンプで広がりやすい低俗な揶揄と怪声を笑(え)みで誘導する老練味を見せたし、先の4月、歌謡界にデビュー、初めての舞台進行を引き受けた吉嬢は、経験がない学生たちがまごつかないように安定感ある態度で司会に臨んだ。
大賞の栄誉を抱いた混声デュエット「4幕5場」のメンバー、李仙姫嬢(18・仁川専門大環境管理科 1年)と林成均君(22・〃機械科 2年)は、思いがけない喜びに返って面食らった表情。
仁川専門大の音楽サークルである「4幕5場」メンバーの二人は、先春校内のギター発表会で息を合わせた後、ずっとデュエットで技量を磨いてきたと。「今、歌手としての基盤が固まったようです。趣味だけでした音楽を、今からは本格的に始める考えです」李嬢は、先輩の紹介で高校時代に歌手の張旭朝の作曲事務所(室)で、歌の練習をした隠れた経歴者。
「受賞曲もチャン・ウクチョ氏の事務所で会った先輩からもらいました」李嬢と林君は、参加曲を選定した後、約2ヶ月間、暇があるたびに息を合わせて来たと述べた。
「キャンパスソングは、大学のサークル活動の中でも人気がある課外活動ですよ」淡々とした表情の林君は、李嬢とは別に、将来の歌手活動は「考えて見るつもり」と、慎重な態度。
このたびの歌謡祭で、李嬢は高音の処理に巧みで(熟練している)、飾り気のない唱法で人気を集め、林君は豊かな低音で和音を合わせ拍手を受けた。李嬢は仏教界に従事する李鐘圭氏(50)の長女。
林君は公務員である林炳業氏(52)の二男一女の末っ子である。
7月29日(日)に開催された歌謡祭の結果は、月曜日が新聞休刊だったため、7月31日(火)に掲載されている。
記事の最後に、「李嬢は仏教界に従事する李鐘圭氏(50)の長女。」と記されている。イ・ソンヒが登場した最初から、父親と仏教との関係について知られていたことになる。
(本ブログ関連:”イ・ソンヒと江辺歌謡祭新聞記事”、”NAVERデジタルニュースアーカイブ”)
当時の紙面について
① 使用の文字、記述
・ 括弧書きを” ”ではなく、「 」を使用(横書・縦書き同様)
・ 名前に漢字を使用(例:李文世=イ・ムンセ、이문세)
・ 敬称に「嬢」、「君」を使用
・ 句点をピリオドではなく、「。」を使用
② 歌謡界への健全化の意向を反映して、「健全さ」を強調
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先日29日、京畿道加平郡南怡島にて開かれた「84MBC江辺歌謡祭」決戦大会は、3,000余名の傍聴客が集まった中、決戦進出の10チームが出場、熱烈な競り合いを広げた。MBCは、若い大学生たちの好評に支えられて、第5回を迎えたこのたびの江辺歌謡祭の決戦実況をTVおよびラジオで生中継、夏夜の舞台をなお一層熱気でいっぱい満たした。
キャンパスのアマチュア歌手たちの登用門である「84MBC江辺歌謡祭」出品作は、大賞の栄誉を抱いた「Jへ」を始め、若者たちの切ない恋と友情を描いた曲が大部分で、エレキギターを動員した激しい曲よりは穏やかで情感ある曲が主流をなした。
文化放送がキャンパス内の隠れた人材を発掘のため設けたこのたびの行事は、参加曲がみな創作曲という点で、放送界には意味あることとして受け取っている。
一方、このたびの行事は進行を引き受けた、李文世・吉恩貞2人の軟な話術が舞台ならびに放送席の雰囲気を健全に誘導し一層引き立つ舞台だった。李君は夏キャンプで広がりやすい低俗な揶揄と怪声を笑(え)みで誘導する老練味を見せたし、先の4月、歌謡界にデビュー、初めての舞台進行を引き受けた吉嬢は、経験がない学生たちがまごつかないように安定感ある態度で司会に臨んだ。
大賞の栄誉を抱いた混声デュエット「4幕5場」のメンバー、李仙姫嬢(18・仁川専門大環境管理科 1年)と林成均君(22・〃機械科 2年)は、思いがけない喜びに返って面食らった表情。
仁川専門大の音楽サークルである「4幕5場」メンバーの二人は、先春校内のギター発表会で息を合わせた後、ずっとデュエットで技量を磨いてきたと。「今、歌手としての基盤が固まったようです。趣味だけでした音楽を、今からは本格的に始める考えです」李嬢は、先輩の紹介で高校時代に歌手の張旭朝の作曲事務所(室)で、歌の練習をした隠れた経歴者。
「受賞曲もチャン・ウクチョ氏の事務所で会った先輩からもらいました」李嬢と林君は、参加曲を選定した後、約2ヶ月間、暇があるたびに息を合わせて来たと述べた。
「キャンパスソングは、大学のサークル活動の中でも人気がある課外活動ですよ」淡々とした表情の林君は、李嬢とは別に、将来の歌手活動は「考えて見るつもり」と、慎重な態度。
このたびの歌謡祭で、李嬢は高音の処理に巧みで(熟練している)、飾り気のない唱法で人気を集め、林君は豊かな低音で和音を合わせ拍手を受けた。李嬢は仏教界に従事する李鐘圭氏(50)の長女。
林君は公務員である林炳業氏(52)の二男一女の末っ子である。
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2010年5月22日土曜日
イ・ソンヒの生誕
イ・ソンヒの誕生について、「老木樹のチャン・ウクチョ(장욱조)が生命樹になって」のブログに「チャン・ウクチョ牧師と歌手イ・ソンヒの縁」(2006年3月30日)として、興味深い貴重な情報が記載されている。
書き出しにある彼女の誕生などについて、次にいろいろなことを知った。
・イ・ソンヒは、(陰暦の)1964年11月11日に、(本籍地)忠清南道保寧郡(現在は市)珠山面篁栗里に誕生した。 父(イ・ジョンギュ:이종규)、母(チェ・ビョンムン:최병문)の初めての子として誕生した。父母のそれぞれの夢に、男の子が示唆されていた。父の夢にあらわれた、山の神を意味する虎のために、彼女の名前(李仙姫)に神仙の「仙」の字が入ることになった。
(⇒母の名前、イ・ソンヒの名前の由来を知った)
・彼女の戸籍上の生年月日は、1967年3月10日だ。 父に頼まれた祖母が届けを忘れて、出生申告が3年も遅れた。
(⇒生年月日の相違を話題にしているブログがあった)
・当時や今もいつも寺と家を行き来している父は、彼女が生まれた直後にまた入山した。
(⇒家と寺が分離されていることがわかる)
・三歳なった日の1966年、両親は彼女を連れて忠南保寧からソウルに移住した。初めての定着地は城北区三仙洞だった。当時父は大韓仏教一乗宗(대한불교 일승종)の宗会議員と同時に、仏教音楽「梵唄(ポムペ)」の伝授者であった。父の身分が僧侶だったため、所属寺刹が変わる時ごとに、一家は引越し荷物を荷造りしなければならなかった。そうして彼女はやむを得ず国民学校だけで六つ転校した。
(⇒父親の所属宗派を太古宗としてきたが、一乗宗なのか?)
(⇒ソウルへの移動時期が判明、転校が友人関係をむつかしくして内向的になったようだ)
(参考)韓国仏教宗派別寺院のリスト(万仏会)
★★★★★ 孫が、幼児用椅子にお腹をぽってりして、余裕たっぷりに座っている写真が届いた ★★★★★
書き出しにある彼女の誕生などについて、次にいろいろなことを知った。
・イ・ソンヒは、(陰暦の)1964年11月11日に、(本籍地)忠清南道保寧郡(現在は市)珠山面篁栗里に誕生した。 父(イ・ジョンギュ:이종규)、母(チェ・ビョンムン:최병문)の初めての子として誕生した。父母のそれぞれの夢に、男の子が示唆されていた。父の夢にあらわれた、山の神を意味する虎のために、彼女の名前(李仙姫)に神仙の「仙」の字が入ることになった。
(⇒母の名前、イ・ソンヒの名前の由来を知った)
・彼女の戸籍上の生年月日は、1967年3月10日だ。 父に頼まれた祖母が届けを忘れて、出生申告が3年も遅れた。
(⇒生年月日の相違を話題にしているブログがあった)
・当時や今もいつも寺と家を行き来している父は、彼女が生まれた直後にまた入山した。
(⇒家と寺が分離されていることがわかる)
・三歳なった日の1966年、両親は彼女を連れて忠南保寧からソウルに移住した。初めての定着地は城北区三仙洞だった。当時父は大韓仏教一乗宗(대한불교 일승종)の宗会議員と同時に、仏教音楽「梵唄(ポムペ)」の伝授者であった。父の身分が僧侶だったため、所属寺刹が変わる時ごとに、一家は引越し荷物を荷造りしなければならなかった。そうして彼女はやむを得ず国民学校だけで六つ転校した。
(⇒父親の所属宗派を太古宗としてきたが、一乗宗なのか?)
(⇒ソウルへの移動時期が判明、転校が友人関係をむつかしくして内向的になったようだ)
(参考)韓国仏教宗派別寺院のリスト(万仏会)
★★★★★ 孫が、幼児用椅子にお腹をぽってりして、余裕たっぷりに座っている写真が届いた ★★★★★
2013年10月5日土曜日
(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「2.私が三歳も若く生きることになった理由」
先日(9/27)、「スポーツ韓国」の紙面(1991年3月8日~4月5日)に連載された、イ・ソンヒ27歳当時の「スター・ストーリー」記事の目次を紹介したが、その第2回目をここに載せたい。感謝。
(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ(27歳当時)の「スター・ストーリー」”、”資料:이선희 Profile”)
[2] 私が三歳も若く生きることになった理由
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小さいことは美しいんですって?
わたしは背が小さくて、
あなたはわたしを見おろしているじゃない。
まるで、小さな子どもを相手にするように、
あなたはわたしを子ども扱いする。
けれど、わたしは大人よ。
それでも、あなたの前ではどうしようもありません。
胸がドキドキするのに、
顔が赤らむのに、
何の文句を言うことができないのです。
大きくなりたいです。
あなたの心の中で。
あなたの寝ついた間に、こんなに大きくなって、
朝になったら、あなたは見つけるでしょう。
手に負えないほど大きくなってしまったわたしを。
私の自作詩「小さな不満(조그마한 불평)」の全文だ。
私は(陰暦)1964年11月11日、忠清南道保寧郡珠山面篁栗里257番地に生まれた。
父(이종규、54歳)、母(최병문、.52歳)は、私が最初の子供なのでそれとなく息子であることを期待したようだ。
更に母の胎夢は唐辛子畑で草取りするものであり、父は裏山で虎が家の垣根の中に入ってくる夢を見たので、内心息子であることを確信したという。
(参考)「(資料)胎夢」
「唐辛子」は言うまでもなく、「虎」も勇敢な男児の象徴だから、息子を望んだのもそれほど無理はなかったと思う。
いずれにせよ私は女の子で世の中に出てきて、山の神を意味する虎の夢のために、私の名前には、神仙の「仙」が入るようになった。
(参考)イ・ソンヒの漢字名は「李仙姫」である。
娘が生まれただけでも残念なのに、新生児のときの私の姿は、それこそまともに一人前に用を果たすことができるかと疑がわれほどに、「姿」が言葉にならなかったという。両親によると、頭の大きさが体の正確に2倍だった。
私の戸籍上の生年月日は、1967年3月10日である。出生届は3年も遅れたのだ。
書類上は、この世で3年の間、存在していなかった他ならぬ私であり、みれば自然に色々な憶測も多かった。
(参考)修正届けの遅れは、後の彼女のソウル市議会議員選挙立候補で問題となった。
未熟児なのですぐに死ぬと早合点をして、最初から出生届を先送りしたとか、あるいは戸籍上には64年生まれになっているが67年生まれのふりをして通しているとか・・・。
不本意ながら、なんと三歳も若返ることができた根本的な原因は、祖母と父との間の「コミュニケーション上の錯誤」だった。
その時も今も、常に寺と家を行き来している父は、私が生まれた直後に再び入山した。寺に入った父は、祖母に出生届けを頼んだので、当然戸籍に登載(登録)されていると考えていて、祖母は、昔の田舎の老人たちが当然そうであるように、うっかり忘れていたという。
そのせいで67年に生まれた私の弟も、私の戸籍上の年齢に合わせて出生届を1年遅らせなければならなかった。
大学卒業後、繊維芸術系で働いている弟は、私のために一才ほど減ってしまったことを返って幸いに思っている。 1年の浪人の末に大学に入ったが、各種の書類上は明らかに私の年齢で入学したわけだ。
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(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ(27歳当時)の「スター・ストーリー」”、”資料:이선희 Profile”)
[2] 私が三歳も若く生きることになった理由
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小さいことは美しいんですって?
わたしは背が小さくて、
あなたはわたしを見おろしているじゃない。
まるで、小さな子どもを相手にするように、
あなたはわたしを子ども扱いする。
けれど、わたしは大人よ。
それでも、あなたの前ではどうしようもありません。
胸がドキドキするのに、
顔が赤らむのに、
何の文句を言うことができないのです。
大きくなりたいです。
あなたの心の中で。
あなたの寝ついた間に、こんなに大きくなって、
朝になったら、あなたは見つけるでしょう。
手に負えないほど大きくなってしまったわたしを。
私の自作詩「小さな不満(조그마한 불평)」の全文だ。
私は(陰暦)1964年11月11日、忠清南道保寧郡珠山面篁栗里257番地に生まれた。
父(이종규、54歳)、母(최병문、.52歳)は、私が最初の子供なのでそれとなく息子であることを期待したようだ。
更に母の胎夢は唐辛子畑で草取りするものであり、父は裏山で虎が家の垣根の中に入ってくる夢を見たので、内心息子であることを確信したという。
(参考)「(資料)胎夢」
「唐辛子」は言うまでもなく、「虎」も勇敢な男児の象徴だから、息子を望んだのもそれほど無理はなかったと思う。
いずれにせよ私は女の子で世の中に出てきて、山の神を意味する虎の夢のために、私の名前には、神仙の「仙」が入るようになった。
(参考)イ・ソンヒの漢字名は「李仙姫」である。
娘が生まれただけでも残念なのに、新生児のときの私の姿は、それこそまともに一人前に用を果たすことができるかと疑がわれほどに、「姿」が言葉にならなかったという。両親によると、頭の大きさが体の正確に2倍だった。
私の戸籍上の生年月日は、1967年3月10日である。出生届は3年も遅れたのだ。
書類上は、この世で3年の間、存在していなかった他ならぬ私であり、みれば自然に色々な憶測も多かった。
(参考)修正届けの遅れは、後の彼女のソウル市議会議員選挙立候補で問題となった。
未熟児なのですぐに死ぬと早合点をして、最初から出生届を先送りしたとか、あるいは戸籍上には64年生まれになっているが67年生まれのふりをして通しているとか・・・。
不本意ながら、なんと三歳も若返ることができた根本的な原因は、祖母と父との間の「コミュニケーション上の錯誤」だった。
その時も今も、常に寺と家を行き来している父は、私が生まれた直後に再び入山した。寺に入った父は、祖母に出生届けを頼んだので、当然戸籍に登載(登録)されていると考えていて、祖母は、昔の田舎の老人たちが当然そうであるように、うっかり忘れていたという。
そのせいで67年に生まれた私の弟も、私の戸籍上の年齢に合わせて出生届を1年遅らせなければならなかった。
大学卒業後、繊維芸術系で働いている弟は、私のために一才ほど減ってしまったことを返って幸いに思っている。 1年の浪人の末に大学に入ったが、各種の書類上は明らかに私の年齢で入学したわけだ。
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2011年12月28日水曜日
イ・ソンヒという名前
イ・ソンヒの名は、本ブログでは歌手のイ・ソンヒ(漢字名:李仙姫、1964年生まれ、1984年デビュー)を以ってするが、それ以外にハングル姓名のイ・ソンヒ(이선희)の場合、男女を含めて、軍人、医療官僚、新聞記者、スポーツ選手、脚本家、翻訳者などとさまざまである。
名前の統計情報のホームページ「イルミチャクミョンSYS(이루미작명SYS)」は、ハングル名前のイ・ソンヒ(이선희)について次のような情報を教えてくれる。
姓氏統計
・順位: イ(이、李)氏は(金氏に次いで)2番目に多く、全体の12.8%を占める。
名前統計
・選好度: ソンヒ(선희)は、58番目(0.2%)でしばしば使われ、最も多い姓は金である。
・性別感: ソンヒ(선희)は、93.57%が女性の名前だ。
・出生情報: ソンヒ(선희)は、1985年度に最も多く出生し、ソウル特別市出生の場合が多かった。
以上から、1984年のイ・ソンヒの驚異的なデビューの影響を受けて、翌1985年に出生した多数の女の子たちにソンヒ(선희)が名づけられたのろう・・・特にソウル特別市で(と勝手に推断する)。
(本ブログ関連:"イ・ソンヒの生誕")
名前の統計情報のホームページ「イルミチャクミョンSYS(이루미작명SYS)」は、ハングル名前のイ・ソンヒ(이선희)について次のような情報を教えてくれる。
姓氏統計
・順位: イ(이、李)氏は(金氏に次いで)2番目に多く、全体の12.8%を占める。
名前統計
・選好度: ソンヒ(선희)は、58番目(0.2%)でしばしば使われ、最も多い姓は金である。
・性別感: ソンヒ(선희)は、93.57%が女性の名前だ。
・出生情報: ソンヒ(선희)は、1985年度に最も多く出生し、ソウル特別市出生の場合が多かった。
以上から、1984年のイ・ソンヒの驚異的なデビューの影響を受けて、翌1985年に出生した多数の女の子たちにソンヒ(선희)が名づけられたのろう・・・特にソウル特別市で(と勝手に推断する)。
(本ブログ関連:"イ・ソンヒの生誕")
2015年12月13日日曜日
お、驚くじゃないですか
スポーツ朝鮮の写真記事、「【フォト】 イ・ソンヒ、『体つきそのままに露にした密着ドレス~』」(12/10)という見出しが目に飛び込んできた。えぇっ!と見直して写真をみると、そこには肩肌を見せながら両手を頭上にマイクを掲げた女性の姿があった。顔を眺めれば、歌手のイ・ソンヒではないのはすぐにわかるのだが・・・お、驚くじゃないですか。
写真のイ・ソンヒは、声優の方だそうで、「KBSラジオ演技大賞(声優演技大賞)」授賞式のものという。同紙の別写真タイトルに、「セクシーな熱唱」というのもある。
歌手イ・ソンヒの昔のYoutube映像には、赤いドレスや、白いドレスで歌うものがある。それと思い比べれば、スポーツ朝鮮の写真と違うのは私でも分かる。写真の女性は、だいぶ色っぽいのだ。でも、歌手イ・ソンヒがこれまで受け入れられ、支持が続いて来たのは、むしろ普通の女性っぽさにあったのかもしれない。
ところで、イ・ソンヒの名(=発音)は漢字にすると色々あり、男性では野球関係者がいたりする。女性では、軍人、テレビ作家、ファッション、国楽など様々な分野で活躍する同姓同名の方がいる。
(本ブログ関連:”イ・ソンヒという名前”、”李仙姫の名前から”)
写真のイ・ソンヒは、声優の方だそうで、「KBSラジオ演技大賞(声優演技大賞)」授賞式のものという。同紙の別写真タイトルに、「セクシーな熱唱」というのもある。
歌手イ・ソンヒの昔のYoutube映像には、赤いドレスや、白いドレスで歌うものがある。それと思い比べれば、スポーツ朝鮮の写真と違うのは私でも分かる。写真の女性は、だいぶ色っぽいのだ。でも、歌手イ・ソンヒがこれまで受け入れられ、支持が続いて来たのは、むしろ普通の女性っぽさにあったのかもしれない。
ところで、イ・ソンヒの名(=発音)は漢字にすると色々あり、男性では野球関係者がいたりする。女性では、軍人、テレビ作家、ファッション、国楽など様々な分野で活躍する同姓同名の方がいる。
(本ブログ関連:”イ・ソンヒという名前”、”李仙姫の名前から”)
2015年10月29日木曜日
(資料) 「イ・ソンヒの4集と5集(アルバム) - 『Jへ』 彼女を除いて80年代歌謡を語るな」
久し振りに、イ・ソンヒについての評論記事がネットを飾った。釜山日報(BUSAN.com)の「ウィークエンジョイ」(10/28)の記事、「【8090 この歌この名盤】17.イ・ソンヒの4集と5集(アルバム) - 『Jへ』 彼女を除いて80年代歌謡を語るな」(チェ・ソンチョル ペーパーレコード代表)は、80年代に登場したイ・ソンヒの席捲と躍進について次にように語っている。
イ・ソンヒの4集、5集アルバムは、1988年、89年と連続リリースされた。これをリマスター版「ALL THAT MASTERPIECE LEE SUN HEE 4+5」として、2011年に再発行されている。昔からのファンの支持が、このような形に再結晶化したのだろう。本ブログで以前にも触れたが、名曲が網羅されている。記事では、ソン・シヒョンとの関わりが興味深い。
(本ブログ関連:”「ALL THAT MASTERPIECE LEE SUN HEE 4+5」”)
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1984年前半期、歌謡界最高のヒロインは、断然チェ・ヘヨン(최혜영)だった。彼女のデビューアルバム収録曲「それは人生(그것은 인생)」は、当時最高の人気曲であったし、後続曲の「水のような愛(물같은 사랑)」の人気も侮れなかった。そのままならば、年末の各種新人賞は、文字通り確実なものだった。
ちょうどその時、一瞬に地図をひっくり返してしまった問題ある、その人が忽然と登場する。彼女の名前はイ・ソン・ヒだった。 1984年夏、仁川専門大学生だったイ・ソンヒは、同じ学校のイム・ソンギュンと一緒に「4幕5場」という混成デュエットで、江辺歌謡祭に参加し、大賞を握った。受賞曲は「Jへ(J에게)」だった。その日を起点として歌謡界の人気版図は、荒波の中に巻き込まれていった。
江辺歌謡祭大賞後、ソロとして本格的な活動
84年の最高のヒット歌謡・・・各種賞獲得
ソン・シヒョンと出会って4・5集の付き合い、音楽も変化
5集には「五月の陽射し」など社会性の濃い曲
■ 歌謡界の地図塗り変えた「4幕5場」の登場 (1984年)
イム・ソンギュンの入隊のため、ソロで本格的な活動に乗り出したイ・ソンヒの人気は、想像を超越した。 「Jへ」は、KBS歌謡トップテンで5週連続1位を占めるなど、絶大な人気を得て、1984年最高のヒット曲となり、年末のKBS歌謡大賞とMBC10代歌手歌謡祭の新人賞も、当然イ・ソンヒの獲得だった。個人的な感想を言えば、当時、私は、チェ・ヘヨンと「それは人生」が好きだった。イ・ソンヒと「Jへ」の登場は、少なくとも彼女(チェ・ヘヨン)には不運だった。「Jへ」の人気がどれだけすごいといったら、しばらくして「J あなたは」という類似品が出たこともあった。 (両方の曲とも、イ・セゴン(이세건)が作詞、作曲した歌だ)
■ 1985年、正式デビューとヒットパレード (1集、2集)
「Jへ」ただ一曲で、1984年を自分の年してしまったイ・ソンヒの正規1集は、翌年の1985年の初めに出た。ここで、「ああ!昔よ(아! 옛날이여)」、「葛藤(갈등)」、「少女の祈り(소녀의 기도)」などが相次いでヒットし、彼女は自分の人気が「Jへ」の一回で終わらないことを立証した。その年が経つ前(同1985年)に再度出した2集では、「秋の風(갈바람)」、「ケンチャナ(괜찮아)」、「そうよ過ちは私にあります(그래요 잘못은 내게 있어요)」などのヒット曲が続けて出たし、1986年出した3集でも「分かりたいです(알고 싶어요)」、「暗闇は晴れて(어둠은 걷히고)」、 「Young(영)」などが多くの愛(支持)を受けた。
(□ 1986年 3集)
■ イ・ソンヒ+ソン・シヒョン(송시현)、発展の証明書 4集、そして5集 (4集:1988年)
1988年2月に出た4集は、イ・ソンヒのディスコグラフィーで非常に重要な位置を占めている。ここから彼女の音楽が意味のある変曲点を迎えたのだ。ところで、その変化の糸口を説明する名前の一つがある。まさにソン・シヒョンだ。
1987年「夢みるような世界(꿈결같은 세상)」のヒットで名前を知らせたシンガーソングライター、ソン・シヒョンはこの時からイ・ソンヒのアルバム作業に参加を始めたが、4集でLPのA面タイトル曲である「愛が散るこの場所(사랑이 지는 이 자리)」と、B面タイトル曲「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」を含めて、全4曲が彼の作品である。二人の出会いは成功だった。ソン・シヒョン特有の感受性と叙情性は、イ・ソンヒの声とよく調和たし、以後も、彼はしばらくの間、イ・ソンヒと共にすることになる。
4集で最も高い関心が集まった曲は、「美しい江山(아름다운 강산)」である。韓国ロックの巨人シン・ジュンヒョン(신중현)の名曲をリメイクした「美しい山河」の評価は、多少分かれてるが、概ね編曲と演奏面ではそれほど高い点数を得ることができない。しかし、この曲でさえもイ・ソンヒの歌唱力だけは、非の打ち所がない。また、それまでは大衆的にそれほど大きく知られていなかった同名曲が、イ・ソンヒのリメイクによって、多くの人々から愛(支持)されるようになったので、その功労もまた小さいということはできないだろう。個人的には、4集でユン・テヨン(윤태영)作詞、作曲の「歳月は流れても(세월은 흘러도)」を最も好む。容易で平易なメロディーを持ったこの歌は、たとえ大ヒットではなかったが、ボサノバ風の洗練された編曲が直ちに耳をひきつける曲だ。
■ あちこちに社会性の濃い曲配置した5集 (1989年)
5集は、1989年に出たが、イ・ソンヒはここでまた一歩進んだ姿を見せてくれた。アルバムのあちこちに社会性の濃い曲を配置したのだ。「五月の陽射し(오월의 햇살)」は、80年光州民主化運動(光州事件)の犠牲者の英霊を慰める曲であり、「ひとしきり笑いで(한바탕 웃음으로)」もまた時代の痛みが滲んでいる曲だった。直接的ではないが、歌詞の中に比喩的に隠されたメッセージは、通常の民衆歌謡に劣らず深くおぼろげだった。この他にも、5集は、(ロックバンド)「山鳴り(산울림)」のキム・チャンワン(김창완)が作った二つの曲が収録されており、目を引くのが、同年イム・ジフン(임지훈)によっても発表された「お姉ちゃん(누나야)」と、ハミングとナレーションが続く独特の雰囲気(独白調)の曲「水仙(수선화)」がそれで、キム・チャンワン特有の歌詞とイ・ソンヒの若い張りのある声が調和した「水仙」は、やや実験的な曲である。ソン・シヒョンは4集に続き、5集でも極めて重要な役割を果たしている。アルバムの代表曲である「ひとしきり笑いで」と「冬哀傷(겨울애상)」がまさに彼が作った曲である。
■ 80年代を貫いた名・歌・手 李・仙・姫(イ・ソンヒ)
最近、「私は歌手だ(나는 가수다)」に続いて「覆面歌王(복면가왕)」というTV番組が首都の話題だ。この番組に対して、好き嫌いが交錯しており、個人的には、他の長所・短所を離れて、多くの人々が、次のような点をもう一度考えてみることができようになったのは、大いに励みになる。歌手とミュージシャンは違う。したがって歌が上手なのと音楽を上手なことも全く違う次元の問題だ。もちろん、優れたソング・ライティング能力と歌唱力を兼ね備えて両方をうまくこなした場合、是非の余地はないが、天才的ソングライターだが、歌ができない人もいるだろうし、逆にソング・ライティング能力がないが、歌だけは最高に上手くすることもまたありだろう。私たちは、どちらか一方を無視したり、けなす必要なく、それぞれを認めればそれまでだ。
この大きな課題で、歌が上手ということも一つで定義されるものではないと、異議を申し立て方があることが分かる。正しい。筆者もやはり賛成する。歌手はそれぞれの個性があり、またそれぞれの歌にふさわしい声やボーカルスタイルもある。唯一の爆発的な声量を持って、高音領域でクールなシャウトを聞かせてくれることだけが歌の上手なわけではない。時には低めの口ずさむことがより優れた瞬間もある。
しかし、すべてのものを考慮しても、これだけは明らかである。イ・ソンヒは、優れた歌手であり、彼女なしでは決して80年代の歌謡を話すことができない。このシリーズを介して再び紹介されるイ・ソンヒの4集と5集は、彼女が活き活きしていた初期を過ぎて、本当によく似合う組み合わせだったソン・シヒョンと会って成し遂げられた発展的成果であり、80年代を貫いた彼女の明確な足跡を確認する、最も明澄な(明るく澄みわたった)証明書だ。
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イ・ソンヒの4集、5集アルバムは、1988年、89年と連続リリースされた。これをリマスター版「ALL THAT MASTERPIECE LEE SUN HEE 4+5」として、2011年に再発行されている。昔からのファンの支持が、このような形に再結晶化したのだろう。本ブログで以前にも触れたが、名曲が網羅されている。記事では、ソン・シヒョンとの関わりが興味深い。
(本ブログ関連:”「ALL THAT MASTERPIECE LEE SUN HEE 4+5」”)
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1984年前半期、歌謡界最高のヒロインは、断然チェ・ヘヨン(최혜영)だった。彼女のデビューアルバム収録曲「それは人生(그것은 인생)」は、当時最高の人気曲であったし、後続曲の「水のような愛(물같은 사랑)」の人気も侮れなかった。そのままならば、年末の各種新人賞は、文字通り確実なものだった。
ちょうどその時、一瞬に地図をひっくり返してしまった問題ある、その人が忽然と登場する。彼女の名前はイ・ソン・ヒだった。 1984年夏、仁川専門大学生だったイ・ソンヒは、同じ学校のイム・ソンギュンと一緒に「4幕5場」という混成デュエットで、江辺歌謡祭に参加し、大賞を握った。受賞曲は「Jへ(J에게)」だった。その日を起点として歌謡界の人気版図は、荒波の中に巻き込まれていった。
江辺歌謡祭大賞後、ソロとして本格的な活動
84年の最高のヒット歌謡・・・各種賞獲得
ソン・シヒョンと出会って4・5集の付き合い、音楽も変化
5集には「五月の陽射し」など社会性の濃い曲
■ 歌謡界の地図塗り変えた「4幕5場」の登場 (1984年)
イム・ソンギュンの入隊のため、ソロで本格的な活動に乗り出したイ・ソンヒの人気は、想像を超越した。 「Jへ」は、KBS歌謡トップテンで5週連続1位を占めるなど、絶大な人気を得て、1984年最高のヒット曲となり、年末のKBS歌謡大賞とMBC10代歌手歌謡祭の新人賞も、当然イ・ソンヒの獲得だった。個人的な感想を言えば、当時、私は、チェ・ヘヨンと「それは人生」が好きだった。イ・ソンヒと「Jへ」の登場は、少なくとも彼女(チェ・ヘヨン)には不運だった。「Jへ」の人気がどれだけすごいといったら、しばらくして「J あなたは」という類似品が出たこともあった。 (両方の曲とも、イ・セゴン(이세건)が作詞、作曲した歌だ)
■ 1985年、正式デビューとヒットパレード (1集、2集)
「Jへ」ただ一曲で、1984年を自分の年してしまったイ・ソンヒの正規1集は、翌年の1985年の初めに出た。ここで、「ああ!昔よ(아! 옛날이여)」、「葛藤(갈등)」、「少女の祈り(소녀의 기도)」などが相次いでヒットし、彼女は自分の人気が「Jへ」の一回で終わらないことを立証した。その年が経つ前(同1985年)に再度出した2集では、「秋の風(갈바람)」、「ケンチャナ(괜찮아)」、「そうよ過ちは私にあります(그래요 잘못은 내게 있어요)」などのヒット曲が続けて出たし、1986年出した3集でも「分かりたいです(알고 싶어요)」、「暗闇は晴れて(어둠은 걷히고)」、 「Young(영)」などが多くの愛(支持)を受けた。
(□ 1986年 3集)
■ イ・ソンヒ+ソン・シヒョン(송시현)、発展の証明書 4集、そして5集 (4集:1988年)
1988年2月に出た4集は、イ・ソンヒのディスコグラフィーで非常に重要な位置を占めている。ここから彼女の音楽が意味のある変曲点を迎えたのだ。ところで、その変化の糸口を説明する名前の一つがある。まさにソン・シヒョンだ。
1987年「夢みるような世界(꿈결같은 세상)」のヒットで名前を知らせたシンガーソングライター、ソン・シヒョンはこの時からイ・ソンヒのアルバム作業に参加を始めたが、4集でLPのA面タイトル曲である「愛が散るこの場所(사랑이 지는 이 자리)」と、B面タイトル曲「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」を含めて、全4曲が彼の作品である。二人の出会いは成功だった。ソン・シヒョン特有の感受性と叙情性は、イ・ソンヒの声とよく調和たし、以後も、彼はしばらくの間、イ・ソンヒと共にすることになる。
4集で最も高い関心が集まった曲は、「美しい江山(아름다운 강산)」である。韓国ロックの巨人シン・ジュンヒョン(신중현)の名曲をリメイクした「美しい山河」の評価は、多少分かれてるが、概ね編曲と演奏面ではそれほど高い点数を得ることができない。しかし、この曲でさえもイ・ソンヒの歌唱力だけは、非の打ち所がない。また、それまでは大衆的にそれほど大きく知られていなかった同名曲が、イ・ソンヒのリメイクによって、多くの人々から愛(支持)されるようになったので、その功労もまた小さいということはできないだろう。個人的には、4集でユン・テヨン(윤태영)作詞、作曲の「歳月は流れても(세월은 흘러도)」を最も好む。容易で平易なメロディーを持ったこの歌は、たとえ大ヒットではなかったが、ボサノバ風の洗練された編曲が直ちに耳をひきつける曲だ。
■ あちこちに社会性の濃い曲配置した5集 (1989年)
5集は、1989年に出たが、イ・ソンヒはここでまた一歩進んだ姿を見せてくれた。アルバムのあちこちに社会性の濃い曲を配置したのだ。「五月の陽射し(오월의 햇살)」は、80年光州民主化運動(光州事件)の犠牲者の英霊を慰める曲であり、「ひとしきり笑いで(한바탕 웃음으로)」もまた時代の痛みが滲んでいる曲だった。直接的ではないが、歌詞の中に比喩的に隠されたメッセージは、通常の民衆歌謡に劣らず深くおぼろげだった。この他にも、5集は、(ロックバンド)「山鳴り(산울림)」のキム・チャンワン(김창완)が作った二つの曲が収録されており、目を引くのが、同年イム・ジフン(임지훈)によっても発表された「お姉ちゃん(누나야)」と、ハミングとナレーションが続く独特の雰囲気(独白調)の曲「水仙(수선화)」がそれで、キム・チャンワン特有の歌詞とイ・ソンヒの若い張りのある声が調和した「水仙」は、やや実験的な曲である。ソン・シヒョンは4集に続き、5集でも極めて重要な役割を果たしている。アルバムの代表曲である「ひとしきり笑いで」と「冬哀傷(겨울애상)」がまさに彼が作った曲である。
■ 80年代を貫いた名・歌・手 李・仙・姫(イ・ソンヒ)
最近、「私は歌手だ(나는 가수다)」に続いて「覆面歌王(복면가왕)」というTV番組が首都の話題だ。この番組に対して、好き嫌いが交錯しており、個人的には、他の長所・短所を離れて、多くの人々が、次のような点をもう一度考えてみることができようになったのは、大いに励みになる。歌手とミュージシャンは違う。したがって歌が上手なのと音楽を上手なことも全く違う次元の問題だ。もちろん、優れたソング・ライティング能力と歌唱力を兼ね備えて両方をうまくこなした場合、是非の余地はないが、天才的ソングライターだが、歌ができない人もいるだろうし、逆にソング・ライティング能力がないが、歌だけは最高に上手くすることもまたありだろう。私たちは、どちらか一方を無視したり、けなす必要なく、それぞれを認めればそれまでだ。
この大きな課題で、歌が上手ということも一つで定義されるものではないと、異議を申し立て方があることが分かる。正しい。筆者もやはり賛成する。歌手はそれぞれの個性があり、またそれぞれの歌にふさわしい声やボーカルスタイルもある。唯一の爆発的な声量を持って、高音領域でクールなシャウトを聞かせてくれることだけが歌の上手なわけではない。時には低めの口ずさむことがより優れた瞬間もある。
しかし、すべてのものを考慮しても、これだけは明らかである。イ・ソンヒは、優れた歌手であり、彼女なしでは決して80年代の歌謡を話すことができない。このシリーズを介して再び紹介されるイ・ソンヒの4集と5集は、彼女が活き活きしていた初期を過ぎて、本当によく似合う組み合わせだったソン・シヒョンと会って成し遂げられた発展的成果であり、80年代を貫いた彼女の明確な足跡を確認する、最も明澄な(明るく澄みわたった)証明書だ。
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2012年11月8日木曜日
今日の記事:イ・ソンヒ(李善熙)
Google検索で、「期間指定」を24時間以内にして、「이선희」(イ・ソンヒ)を調べると、上位記事に歌手イ・ソンヒ(李仙姫)について見られず、三星ライオンズ所属のスカウターであるイ・ソンヒ(李善熙)が、ハンファ・イーグルスにコーチとして迎え入れられた・・・ということばかりだった。
歌手イ・ソンヒが検索のトップ(2ページに渡って)に上がらないなんて、こんなことは珍しい。ハングル氏名では男女の区別ができないことがある。
ちなみに、李善熙の経歴は次の通り。(Daumスポーツ掲載のxportsニュース記事(11/8))
・慶北高校を卒業した、李善熙(現コーチ)は、プロ元年の1982年~1987年まで三星ライオンズとMBC青龍を経て6年間通算133試合に出場し、28勝36敗3セーブ、防御率3.35の成績を残した。
・以降、1994年~2000年までハンファのコーチを歴任し、2000年~2007年までは古巣チーム三星のコーチを務めた。2008年からは三星のスカウターを歴任した。そして(今回)、2000年代初頭一緒だったキム・ウンリョン監督が率いるハンファのコーチ生活を始めることになった。このコーチの職務は今後決定され、投手パートを引き受けるものと見られる。
(本ブログ関連:"イ・ソンヒという名前")
歌手イ・ソンヒが検索のトップ(2ページに渡って)に上がらないなんて、こんなことは珍しい。ハングル氏名では男女の区別ができないことがある。
ちなみに、李善熙の経歴は次の通り。(Daumスポーツ掲載のxportsニュース記事(11/8))
・慶北高校を卒業した、李善熙(現コーチ)は、プロ元年の1982年~1987年まで三星ライオンズとMBC青龍を経て6年間通算133試合に出場し、28勝36敗3セーブ、防御率3.35の成績を残した。
・以降、1994年~2000年までハンファのコーチを歴任し、2000年~2007年までは古巣チーム三星のコーチを務めた。2008年からは三星のスカウターを歴任した。そして(今回)、2000年代初頭一緒だったキム・ウンリョン監督が率いるハンファのコーチ生活を始めることになった。このコーチの職務は今後決定され、投手パートを引き受けるものと見られる。
(本ブログ関連:"イ・ソンヒという名前")
2012年12月3日月曜日
My Friend Lee Sun Hee
イ・ソンヒ(이선희)の名前は、漢字表記で"李仙姫"、アルファベット表記で"Lee Sunhee"(公式ホームページ)である。なおハングルおよび漢字の通りに、一文字ずつ対応させてアルファベット表記"Lee Sun Hee"に分かち書きしたものもある・・・こちらの方が多いような気がするが。
ところで、e-Bayの日本語版sekaimonで、"Lee Sun Hee"と検索したら、「My Friend Lee Sun Hee / Joy Of Life」というCDがあった。あれ、これ何だろう、見たことないなあ・・・ということで調べてみた。
INTERPARKに探したら、タイトル、ジャケット写真とも「내친구 이순희 - Joy Of Life 〔EP〕」とある。"Lee Sun Hee"は、実はイ・ソンヒ(イ・ソニ、이선희)ならぬ、イ・スンヒ(イ・スニ、이순희)のことだった。というわけで、イ・ソンヒとは関係ない・・・。
三人組のソング・ライターチーム「My Friend Lee Sun Hee (내친구 이순희 )」による、作品「Joy Of Life」(2010年)は全5曲で構成されている。彼らは作詞・作曲を担当という特性上、演奏はそれぞれ違うようだ。
ちなみに、この作品、Amazonでも購入できるそうだ。聴いてみたい気がする・・・。
あらら! Youtubeを探したらありましたよ。INTERPARK掲載の解説によれば、「一番目の曲である、"ずっと(한참을)"は素敵なベース・ループと格好よいブラスの間奏が引き立つ曲だ。ダンス音楽を作ろうとしていた意図が十分に反映されて、聞いてみるとかなり愉快になる。」 とのこと。どう?
(Youtubeに登録のkonjeongに感謝)
ところで、e-Bayの日本語版sekaimonで、"Lee Sun Hee"と検索したら、「My Friend Lee Sun Hee / Joy Of Life」というCDがあった。あれ、これ何だろう、見たことないなあ・・・ということで調べてみた。
INTERPARKに探したら、タイトル、ジャケット写真とも「내친구 이순희 - Joy Of Life 〔EP〕」とある。"Lee Sun Hee"は、実はイ・ソンヒ(イ・ソニ、이선희)ならぬ、イ・スンヒ(イ・スニ、이순희)のことだった。というわけで、イ・ソンヒとは関係ない・・・。
三人組のソング・ライターチーム「My Friend Lee Sun Hee (내친구 이순희 )」による、作品「Joy Of Life」(2010年)は全5曲で構成されている。彼らは作詞・作曲を担当という特性上、演奏はそれぞれ違うようだ。
ちなみに、この作品、Amazonでも購入できるそうだ。聴いてみたい気がする・・・。
あらら! Youtubeを探したらありましたよ。INTERPARK掲載の解説によれば、「一番目の曲である、"ずっと(한참을)"は素敵なベース・ループと格好よいブラスの間奏が引き立つ曲だ。ダンス音楽を作ろうとしていた意図が十分に反映されて、聞いてみるとかなり愉快になる。」 とのこと。どう?
(Youtubeに登録のkonjeongに感謝)
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