▼▼ 青字下線付語句のリンク先は、マウス右クリック+<新しいタブ>で進んでください。(本ブログ関連)の最下段に「次の投稿ホーム」があるとき次ページがあります。▼▼
検索キーワード「イ・サンウン」に一致する投稿を関連性の高い順に表示しています。 日付順 すべての投稿を表示
検索キーワード「イ・サンウン」に一致する投稿を関連性の高い順に表示しています。 日付順 すべての投稿を表示

2009年12月23日水曜日

1986~2009韓国女性歌手の好感度

MLBPARKの記事「1986〜2009 韓国女性歌手の好感度 リースPR(調査研究所)」(12/22)に、1986年から2009年までの各年上・下半期ごと、女性歌手の好感度ランク上位3位までの一覧が掲載されている。冒頭に「出所 *リサーチの専門会社である韓国G社研究所調査結果* 」とあるが、G社とはGallup Korea社のことではないだろうか。

イ・ソンヒは、1986年から1993年までの間、1位から3位のいずれかを獲得していた。この間の彼女のランクは次の通りである。(1985年の調査結果があれば、当然トップを占めていただろう。)

1986年上半期 1位キム・ワンソン김완선(14.3%) 2位イ・ソンヒ이선희(13.9%) 3位チャンドク장덕(11.6%)
1986年下半期 1位キム・ワンソン김완선(24.0%) 2位イ・ソンヒ이선(8.2%) 3位チョン・スラ정수라(8.2%)

1987年上半期 1位イ・ソンヒ이선희(15.1%) 2位キム・ワンソン김완선(14.9%) 3位チョン・スラ정수라(13.1%)
1987年下半期 1位キム・ワンソン김완선(19.7%) 2位イ・ソンヒ이선희(18.0%) 3位ミン・ヘギョン민해경(9.8%)

1988年上半期 1位イ・ソンヒ이선희(14.6%) 2位キム・ワンソン김완선(14.5%) 3位イ・チヨン이지연(12.6%)
1988年下半期 1位イ・サンウン이상은(12.8%) 2位イ・ソンヒ이선희(11.2%) 3位キム・ワンソン김완선(11.1%)

1989年上半期 1位イ・サンウン이지연(15.6%) 2位イ・ソンヒ이선희(13.8%) 3位キム・ワンソン김완선(9.4%)
1989年下半期 1位キム・ワンソン김완선(12.8%) 2位イ・ソンヒ이지연(12.6%) 3位イ・サンウン이선희(11.4%)

1990年上半期 1位キム・ワンソン김완선(29.4%) 2位カン・スジ강수지(16.6%) 3位イ・ソンヒ이선희(8.8%)
1990年下半期 1位キム・ワンソン김완선(27.7%) 2位カン・スジ강수지(13.6%) 3位イ・ソンヒ이선희(11.6%)

1991年上半期 1位キム・ワンソン김완선(34.3%) 2位カン・スジ강수지(8.4%) 3位イ・ソンヒ이선희(7.6%)
1991年下半期 1位キム・ワンソン김완선(34.9%) 2位カン・スジ강수지(8.2%) 3位イ・ソンヒ이선희(6.2%)

1992年上半期 1位キム・ワンソン김완선(19.7%) 2位カン・スジ강수지(13.6%) 3位イ・ソンヒ이선희(13.1%)
1992年下半期 1位キム・ワンソン김완선(24.2%) 2位カン・スジ강수지(18.2%) 3位하수빈(8.5%)

1993年上半期 1位キム・ワンソン김완선(15.7%) 2位カン・スジ강수지(13.5%) 3位イ・サンウン이상은(13.1%)
1993年下半期 1位キム・ワンソン김완선(11.9%) 2位カン・スジ강수지(11.5%) 3位イ・ソンヒ이선희(11.3%)

ところで、キム・ワンソンとカン・スジが、一緒の舞台に立っている映像がYouTubeに登録されている。(キム・ワンソンのダンスはない)
(YouTubeに登録の10enpanに感謝)

★★★★★ 孫が父親の出勤に後追いするというメールが届いた ★★★★★

2016年4月2日土曜日

ヤン・ヒウン、イ・ソンヒ、イ・サンウン、エンバ

イ・ソンヒに対するファンの気質にも関心がある。特に、彼女のファン層の中心である女性ファンの心理といっていいかもしれない。それは、いわゆる「女性的」なものを取り除いたところでの好意、憧れだろうか。一種、宝塚ファンに見られる深層を垣間見る気がする。(あくまでも、男の側からの視点に過ぎないが)

(3月30日、宝塚音楽学校の合格発表の様子をテレビニュースで見た)

イ・ソンヒの大衆音楽界デビューにともない登場したのが、歳下の若い女性が歳上の若い女性に対する憧れを込めた「姉さん(オンニ、언니)」の言葉を持つ、「姉さん部隊(언니부대)」(=若い女子学生のファングループ)だった。初の女学生ファン層である。評論風にいえば、当時の大衆音楽界の女性歌手が、女性を前面に出すことでファンを獲得していた(そうさせられた)ところに、新しいタイプの、女性歌手と女学生ファンが出現したことになる。

若いイ・ソンヒの紹介に使われた言葉に、<小さな体躯>で<独特な力強い、押し出すような、爆発的な高音>とか、<少年のような>という表現がある。彼女の26歳にしても初々しい姿を、モントリオール室内楽団との共演映像を見ると納得できるかもしれない。現在も若々しい<童顔>と形容される。

ところで、ハンギョレ紙の記事、「ヤン・ヒウン、イ・ソンヒ、イ・サンウン(Lee-tzsche)、エンバ* (양희은, 이선희, 이상은, 엠버)」(3/25、26修正、イ・スンハン:テレビコラムニスト)は、4人の女性歌手の持つ、(女性的なものと離れた)雰囲気を解説している。それは、トムボーイ(Tomboy)**と呼ばれる、ボーイッシュな要素だ。話題の中心は、ガールグループ f(x)メンバーのエンバについてだが、彼女の歌に込められたものを通じて、世界が固執する境界とそれに抗することについて記している。
(Youtubeに登録のquark2930、대중가요 1988、SMTOWNに感謝)

(*)エンバ(AMBER): Wikipediaによれば、「台湾系アメリカ人であり、韓国のガールズグループ f(x)のメインラッパーである。」とのこと。f(x)のメンバー構成から、中国市場を意識した戦略が見えてくる。
(**)トムボーイ: Wikipediaによれば、「Tomboy(トムボーイ)は英語でお転婆やボーイッシュの意。 元々は騒がしい男性という意味の言葉で、男性に対して使われる言葉であったが、次第に女性に対して使われるようになり、現在では完全に女性に対してのみ使われる言葉となっている。」とのこと。

(追記) もしエンバが韓国人歌手だったとしたら、韓国紙にこのような論調のコラムが書けるか、大きな関心がある。

----------------------------------------------------------------
[土曜版](TVコラムニスト)イ・スンハンの ”スルタン オブ ザ TV”

(写真) ガールグループ、f(x)(エフエックス)メンバーであるエンバ
顧みると、韓国大衆音楽界に、「トムボーイ」がいなかったこともない。しかし、最近のエンバに対する韓国社会の視線は、イ・ソンヒとイ・サンウンを経験した国にしては、暴力的であることこの上ない。(エスエム・エンターテインメント提供)

・1940年代以前だけとしても、薄紅(以下「ピンク」)色は男子禁制の色ではなかった。フランス作家グザヴィエ・ドゥ・メストレ(Xavier de Maistre)は、自身の著書、「私の部屋旅行する方法(Voyage autour de ma chambre)」(1794年)で、部屋の雰囲気を改善したい男たちに部屋をピンク色に塗りなさいと薦めた。決闘をして逮捕され、42日間の自宅軟禁刑を受けた血気盛んな二十七の青年が、男たちに自信を持って推薦した色がピンク色だったのだ。
・ピンク色にジェンダー区分がつき始めたのは、20世紀初頭だったが、それにもまして最初は男性的な色と見なされた。1918年のアメリカの子供ファッション紙「アーンショウ インファンツ デパートメント(Earnshaw’s Infants’ Department)」に掲載された説明を見てみよう。「きっぱりとしていて、さらに力強い色であるピンク色が男の子に最も適した反面女の子は繊細で可愛らしい色である青色を着た時さらにきれいに見えます。」と。 ピンク色が女性的な色の扱いを受け始めた歴史が、未だ100年にならないという意だ。

・かなり最近まで、男が耳に穴を開けて通すのは奇怪なこと扱いされたが、この風潮も事実そんなに古いものではない。三国時代と高麗を経て朝鮮中期に至るまで、長年、耳輪(以下「イヤリング」)は性別の区分なしに幅広く愛された。韓半島の男たちの間でイヤリング文化が一段と弱まったのは、1572年に宣祖(선조)が「身體髮膚 受之父母(신체발부 수지부모)」に言及して、イヤリング禁止令を下した以後であった。イヤリング禁止令も一挙に効き目は挙がらなかった。
・禁止令を下してから25年後の1597年、「丁酉再乱」(=慶長の役)の時、朝鮮に派兵された明軍の経理(경리)の楊鎬(양호)が「朝鮮の軍隊が戦功を水増しするため、むやみに朝鮮人を殺しては倭賊(日本)に見せかけることがある」と追及すると、すぐに接伴使(접반사、外国使臣を接待した官職)の李德馨(이덕형)は、イヤリングの穴跡の有無で倭賊と朝鮮人を区別することができると答えた。当代、朝鮮の男たちの間では耳に穴を開けるのが王命でも、鎮めるのが難しい圧倒的な流行だったのを推し量ることができる要(かなめ)だ。

・突然、ピンク色やイヤリングの話を取り出したのは、「男らしさ」でも「女らしさ」を規定することの歴史が意外にそれほど長くなくて、それさえも自然な選択の結果でなく、色々な理由で数度人為的に変わってきたことを語るためであった。
・服飾やアクセサリー、色と趣向などの基準として、特定の性別を規定しようとする動きというのは、何とはかないことか。それでも、新しい商品や流行が登場するたびに、世の中はそれが男性的なのか女性的なのかをあえて問い詰めて、その基準に合わせて、あえて自身の男性性/女性性を積極的にアピールしない人たちは、性的指向を疑念されるのもしばしば経験している。「ひょっとして、指向がそうした側(の人)ではないだろうか?」という質問の後には、「ゲイ/レズビアンでもないが、なぜ女/男のようにふるまうのか」という問い、なぜ暗黙的である規範に従わないかという追及が隠れているのだ。語り口や行動様式、服を着る好みなどが、性的指向、性的同一性(アイデンティティ)とセットにして変わらないという事実に対する人々の無知は言うまでもなく。


・トムボーイキャラクターである、f(x)のエンバ
・男装女性という偏見
・ソロ曲「Beautiful」、「Borders」で
・自伝的な話、解き明かして
・「私を押さえ付ける圧迫に抗して」
・世間の批判に堂々としていて


・平凡な身分も名もない人々(張三李四)は、それでも目が向けられない方だ。大衆の前で、いかなる役割モデルになることが強要される芸能人の場合は、世界の視線を避けるのはさらに難しい。
・f(x)(エフ エックス)の「エンバ」は、同時代の韓国ガールグループでは簡単に見つけるのが難しかったトムボーイ(中性的で闊達な女性)キャラクターで、多くの女性ファンを引きつけたが、同時にデビューするやいなや彼女を「男装女性」というキーワードで修飾する人々とも向き合わなければならなかった。
・2009年韓国放送「ギャグコンサート」で、「ワン・ビホ」キャラクターで活動した(コメディアン)ユン・ヒョンビンは、エンバを指して「ガールグループというけれど男がいる。ハ・リスのような子」と話した。放送後、多くの視聴者からエンバとハ・リスの共に礼を欠くという批判を受けたにもかかわらず、そのような冗談がディレクター(PD)の事前検査でふるいにかけることも、編集過程で脱落することもなかったというのは、人々の偏見がどれくらい強いことか端的に見せる。

・顧みると、エンバが韓国の大衆音楽界に、初めて登場したトムボーイのキャラクターであることもなかった。
- ギターとフォーク、ジーンズ(青ズボン)の時代だった1970年代のヤン・ヒウンは、白いシャツにジーンズ(青ズボン)姿でギターを弾き、
- ミュージカルでスカート(チマ)を着たことがマスコミに特筆大書されるほどズボンを固執したイ・ソンヒは、「姉さん部隊」を率いて歩き回ることで有名だった。
- 「タムダディ」で一躍スターダムに上がったイ・サンウンはまた、大きな身長と短い髪、ジーンズ姿で女性ファンを魅了した。
あまりにも長い間、華奢だったり可愛らしいイメージで大衆を相手にするガールグループにだけ慣れて、そうなのか? エンバに対する韓国社会の視線は、イ・ソンヒとイ・サンウンを経験した国にしては暴力的であることこの上なかったもちろん、1980年代は、世界的にトムボーイ熱風が吹いた時期だったとの点も考慮するべきだが、時代が過ぎて流行が変わったといって、他人の好みや身なりなどを指摘して「模範的な」女性像あるいは男性像の中に相手を閉じ込めようとする試みが正当化されるわけではない。

・エンバは、このような世界の偏見に着実に反問してきた。2015年2月発表した、ソロアルバム「Beautiful」に収録されたタイトル曲「SHAKE THAT BRASS」のミュージックビデオもまた、友達とにぎやかに遊んでバスケットボールを楽しむ姿を入れたし、同名の自作曲「Beautiful」では、「鋭いことばが私の気持ちを深く切って」、世の中は、「狭い鳥かごのよう」だが、自身は他のどんなものでない自分自身になることであり、自身が自身たりえて幸せだと歌った。
・同年7月、自身のインスタグラムにあげた文では、メッセージが一層もっと鮮明になった。
「私は、女と男が、ある一つの外観に拘束されないと思います。美しさというのは、すべての形と大きさから出てきます。私たちはすべて違いますね。もし、私たちが皆同じメロディで歌うなら、どういうふうにハーモニーが存在することができるでしょうか? 他の人々と違うという理由だけで他の人をむやみに判断しないでください。私たち皆お互いの差異を尊重して成長できることを願います。」 嫌いな人たちはずっと嫌いだろうが、自分の面前で自身を冒とくすることは全然違うことなので、一つはっきりしておきたい言葉で始めたこの丁寧な文は、このように終了する。
「いつでも、自分自身になってください。自分自身に真正真実に生きることが、自らのためにできる最も大きなことです。」

・去る3月24日、公開されたソロ音源「Borders(境界)」でも、彼女は同じ話をする。1節で、エンバは世界の指差しに苦しむ。「ここに皆が私を眺めて、首を横に振るよ。私に何が問題なのか・・・(中略) 彼らが言う『完璧』に届くことができるならば、何でもするだろう。その後、多分、私が居る場所も見つけることができるだろう」。
All these people here staring and looking at me
Shaking their heads eyes down strong on me
What's wrong with me?
・・・
And I'd do anything to be what they call perfect
Then maybe I could find a place to call my own and belong

・しかし、すぐ次の小節から、彼女は違う可能性を思い浮かべて、違う歌を歌い始める。「だが、もし私が十分に強いならば、目を足元に置いて黙々と歩いていくだろうに。なぜなら、母さんが語ったよ。境界を越える時、窮地に追い込まれても、決して恐れるなと。真っすぐ立って、あなたの道のため戦えと。立ち上がって倒れて、再び立ち上がって。私を押さえ付ける圧迫に抗して」。
But if only I was strong
I'll be walking with my eyes down
eyes down eyes down
I'll keep my eyes down
eyes down eyes down

’Cause mom said I'd be crossing borders
Never be afraid even when you're cornered
Stand up straight fight your way
Fight your way fight your way

Stand up, fall down, up again
Up against the pressure I am in

・そうしては、世界に向かっていう。「見せ掛けしないのだ。はるかに多いことが前にあるから」。
No I won't play pretend
There's so much more ahead

・ソロで曲を発表する機会があるたび、エンバは自伝的な話を引き出して、世界の不当な偏見に抗して負けないことを誓った。

・そのメッセージは、もうエンバ本人だけでなく、他の人々と違うという理由で苦しむこれらみなのものとになった。エムネットに出演した時、エンバはこのように話した。「私の考えで、歌手はメッセージを伝達しなければならないのです。音楽で。 自分がいじめだと思う人たち、心が痛む人たち. 勝ち抜くことができます。そんなメッセージを伝達したいです。『エンバも勝ち抜いたので、あなたも勝ち抜くことができます』、そんな話をしてあげたいです」。数多くの基準として、他人の人生を裁いて、指差しするのが好きな世界で、その偏見は不当なことであり、美しさはあらゆる形態と大きさから来て、これ以上他の人々が望む姿を真似ないというメッセージを、世界に伝えるのが使命と考えた歌手が錐(きり)のように鋭く(境界を)突き抜いた。
----------------------------------------------------------------

(Youtubeに登録のSMTOWNに感謝)

2009年4月20日月曜日

イ・サンウン(이상은)

「中央日報」(2009.04.19)のタイトル「サプライズスター」で、今話題になっているスーザン・ボイルの登場についての記事中に、例えるならイ・ソンヒとイ・サンウンも江辺(カンビョン)歌謡祭に登場したサプライズスターだったと採り上げている。
イ・サンウンについていえば、リーチェ(Lee-tzsche)という名で知った。購入したのは彼女のアルバム10th「Endless Lay 果てしない物語」であるが、特に「Ogiyodiora」は印象深い。英語歌詞のためハングル版はないかと探したら、「ヒット曲で覚えるアジアの言葉Vol.3 韓国語」(西村和歌子著)の中に見つけた。以前の話であるが。
なおブログ「OGIYODIORA」(未平氏)に、「OGIYODIORA(お~ぎ~よ でぃ~おら~)は、韓国の舟漕ぎの掛け声」と由来が記されている。
(YouTubeに登録のkiricnに感謝)

(参考)韓国文化院のサイトで紹介された民謡「뱃노래(ベンノレ)」の解説を引用する。 2009/05/10
「※ 어기야 디여차 어기야 디여 어기여차 뱃놀이 가잔다.
※ オギヤ ディヨチャ オギヤ ディヨ オギヨチャ 船遊びに行こう(と誘っている)。
最後の歌詞、「船遊びに行こう(と誘っている)」・・・この部分は、船に乗り漁業をすることを船の遊びと表現し、昔の人のウィットがわかる部分です。」

2016年7月8日金曜日

イ・ソンヒと「大学歌謡祭、江辺歌謡祭」

「タジン日報(딴지일보)」掲載の【サンハのコラム】の投稿記事 「伝説、『大学歌謡祭』略史3編: イ・ヨンとイ・ソンヒ、若者たちの歌謡祭」(7/4)は、1980~90年代の世相と連動して、大衆歌謡における若者たちの中心部にいた「大学歌謡祭(MBC 대학가요제)」の位置づけと、その盛衰を語っている。さらに、「大学歌謡祭」とは別に、若者たち同世代に支持された「江辺歌謡祭(MBC 강변가요제)」もあり、そこにデュエット(男女)で登場したイ・ソンヒについて記されている部分だけ抜粋し、次に掲載させてだく。感謝。

- 「大学歌謡祭」放送期間: 1977年~2012年
- 「江辺歌謡祭」放送期間: 1979年~2001年

投稿記事は、イ・ソンヒのファンが、男子高校生にまで及んでいたことを伝えている。しかも、相当なオバカ振りに笑ってしまう。

(本ブログ関連:”大学歌謡祭と江辺歌謡祭”)

---------------------------------------------------------
(略)

・1984年の「江辺歌謡祭」で、韓国の歌謡史に残る大型女性歌手イ・ソンヒは、「4幕5場」というちょっと曖昧な名前のデュエットで彗星のように現れた。「J」のイニシャルを持つ人々は、彼らの歌<Jへ>を聞いて、あたかもその歌が自身のための歌であるように喜んでいた。

・デュエットの(相手)男性が軍隊に行ってしまった後、イ・ソンヒはソロに転向し、大型ヒット曲を出しながら、一躍スターダムに上がる。その人気がどれくらい優れていたのか、私が通った学校で起った惨事で充分に立証することができる。イ・ソンヒが公演のため釜山を訪問した時、真っ黒な高校生が「姉(누나:弟から見た姉さん)」を見に行くのだと、2階教室から数十人ずつ花壇に飛び降りてそのうちの一人の脚が折れたのだ。

(略)

<大学歌謡祭>は、90年代以後次第に衰退期に入り込む。
**************************************************************************
「前は、『江辺(大学)歌謡祭』が新人の登竜門でした。しかし、今の新人は放送局主催のコンテストじゃなくてもいくらでもデビューすることができるようになりました。インディーもあり、すぐにアルバムを出す機会も多いのです。」
**************************************************************************
<わが大衆音楽の巨星たち(우리 대중음악의 큰 별들)、イ・ソンヒ編> - 著:イム・ジンモ、発行:ミンメディア

・(この)イ・ソンヒの言葉が最も大きな理由になるだろう。大学の門戸も入らなかったソテジが、大衆の偶像として登板したのが90年代初頭ではなかったか。主観的に一つ付け足すなら、大学歌謡祭の隆盛期は韓国の大学生がその現代史で最も躍動的で重要な役割を遂行した70年代末と80年代を貫いている。90年代以後の社会的変化により、大学生集団がその影響力と独自性を急激に喪失しながら、大学歌謡祭自体の活力もまた、比例してだんだん少なくなったのではなかったかも。

・大学歌謡祭も江辺歌謡祭もすでに後が絶えた。大学歌謡祭で優勝した人が、その後、ニュースや放送で紹介された記憶の流れも数年間、すっかり干上がった。だが、今後さらに年月が経って、大学歌謡祭自体が歴史の中に埋められても、私は大学歌謡祭、そして江辺歌謡祭とともにした歌を口ずさむことで、その歌を伝えた若い、いや、若かった歌の名前をときめく心に数えるだろう。

・一度、指折り数えてみよう。サンドペブルス(Sand Pebbles)、ペ・チョルス、ノ・サヨン、シム・スボン、ホン・ソボム、チョン・オチャ、チョ・ハムン、イ・ソンヒ、ウ・スンシル、ノ・サヨン、チョ・チョンヒ(スズメとカカシ)、ユヨル、シン・ヘチョル、イ・サンウン、イ・サンウ、パク・ミギョン、チュ・ヒョンミ、キム・キョンホ、キム・ドンリュル、そして<オモナ>のチャン・ユンジョンまで。あらまし挙げても両手が足りない。(略)

(略)
---------------------------------------------------------

2010年10月19日火曜日

5大歌姫

dcinside.comの「思い出ギャラリー(추억거리 갤러리)」(2008.7.4)に登録された、思い出の歌手の書き出しに、「80年代後半から90年代初期まで、わが国の女性歌手は5人(5大歌姫)に絞られます」として、次のように紹介している。
・まず絶対的な歌唱力とカリスマで、チョー・ヨンピルと共に唯一歌謡界で小さい巨人と呼ばれたイ・ソンヒ
・韓国のマドンナ、ダンスクィーンなど(と呼ばれた)、キム・チュジャ(김추자)以後、軍人(군바리)たちの最高の人気歌手キム・ワンソン(김완선)
・長身に腕白小僧のようなイメージ(で)「タムダディ(담다디)」(を歌った)イ・サンウン(이상은)
・アンチ・ファン*が、こういうことなんだねとはっきり見せた愛と憎しみの美少女ハイティーン・スターのイ・ジヨン(이지연)
・そして、その時まではなかった、ちゃ可愛さと保護本能の至尊カン・スジ(강수지)

(本ブログ関連:”キム・ワンソン”、”イ・サンウン”、”イ・ジヨン”、”カン・スジ”)

(追記:10/26)
*Newsenの記事、「『清純スター』イ・ジヨン告白 “カン・スジ デビューに嫉妬感情捕われた”」(6/24)に、イ・ジヨンが当時の状況について述懐している。現在五つ星ホテルのシェフとしてひとり立ちし、将来料理の事業家になることを考えているようだ。

2011年11月1日火曜日

オギヨディオラ

風も止んだし、雨も上がったから、さあ漕ぎ出るよ、「お~こ~、ど~れ~」の掛け声で。
イ・サンウン(Lee-tzsche)の「オギヨディオラ(어기여디어라)」(歌詞)は、何度聴いてもいいな。Youtubeに、伝統楽器と協演しているものがある。彼女の独特な歌声に、横笛のテグム(대금:大笒)の柔らかい音色と、太鼓のチャング(장구:杖鼓)の揺ったりとしたリズムが加わり調和する。東洋的海原の広がりと潮風、波の揺れまで想像できるようだ。

ところで、イ・ソンヒの2集アルバム所収の「秋の風(갈바람)」も、漁師言葉で秋=西の風を意味すると聞いたことがある。
途絶の海にも、陶磁器の道も走ったし、実際ひとびとは行き交ったわけで、歌の世界ならでは一層心情を共有することができる。

(Youtubeに登録のjaysbar4uに感謝)

(本ブログ関連:"イ・サンウン"、"5大歌姫"、"1986~2009韓国女性歌手の好感度"、"オギヨディオラ")

2022年6月2日木曜日

江辺歌謡祭、21年ぶりの復活

歌手イ・ソンヒが、1984年に「Jへ(J에게)」を歌って歌謡界にデビューするきっかけとなった音楽祭「MBC 江辺歌謡祭(강변가요제)」(1979年~2001年)が、今年本格復活すると韓国MBCは次のように報じている。

(本ブログ関連:”Jへ”、”江辺歌謡祭”)

江辺歌謡祭は、シンガーソングライターたちによるコンテストイベントであって、いわゆる養成所(プロダクション、スタジオ、スクールなど)でアイドルを育成するシステムとは一線を画す。

■韓国MBC(iMBC記事)
「MBC 江辺歌謡祭、21年ぶりに復活… スター登竜門の名声をつなぐ」(iMBC ペク・スンフン記者、2022-05-30)
  https://enews.imbc.com/News/RetrieveNewsInfo/349351
(iMBC: インターネットMBC、MBCの子会社)
----------------------------
わが歌謡界を代表するスターの産室であり登竜門と呼ばれた、MBCの江辺歌謡祭が21年ぶりに華麗に復活する。
(iMBC記事より)
昨年、江辺歌謡祭出身のレジェンド歌手たちが大挙参加した「江辺歌謡祭レジェンド」を開催したMBCは、今年はシンガーソングライターたちの創作曲で実力を競う形式の江辺歌謡祭を来る9月3日、江原道原州市の艮峴(カンヒョン)観光地の野外特設舞台で開催すると明らかにした。

今回の江辺歌謡祭は、満17歳以上の新人ミュージシャンなら誰でもジャンルの制限なしに、本人の創作曲によって参加することができ、大賞など受賞者には約1億ウォンの賞金と音源発売の機会が提供される。

過去、イ・ソンヒ、パク・ミギョン、チャン・ユンジョンなどわが歌謡界を代表するスターを輩出した江辺歌謡祭が、もう一度わが歌謡界を率いるシンガーソングライターを輩出するスター登竜門の地位を蘇らせることができるか関心が集まっている。

MBCは、江辺歌謡祭 参加者募集のための公募は、5月30日から約1ヵ月間、オンラインを通じて進行される予定であり、2回の事前公演審査とメンタリング*を経て、決選に進出する12チームを決めることになると明らかにした。
(*)メンタリング: 指導者による助言と育成(決勝に相応しい一定の指導)

今回の ”江辺歌謡祭 ニューチャレンジ” は、原州市、原州MBC、MBCが主管・主催して、文化体育観光部、韓国コンテンツ振興院が制作支援する。参加希望者は、江辺歌謡祭のホームページを通じてオーディション申請をすればよい。

江辺歌謡祭を準備しているMBC関係者は、「今回の江辺歌謡祭が、シンガーソングライターたちが本人の創作曲で自分の才能を思う存分発散し、コロナに疲れた観客たちにも新しい活力を吹き込む機会になるだろう」と期待を表した。

一方、1979年から2001年まで行われた江辺歌謡祭は、新人登竜門の固有名詞と思われてきた。79年第1回の紅参トリオから81年チュ・ヒョンミ、84年イ・ソンヒ、85年パク・ミギョン、88年イ・サンウン/イ・サンウ、89年パク・ソンジュ、95年パク・ヘギョン、99年チャン・ユンジョン、00年ビッグママのイ・ヨンヒョンも江辺歌謡曲祭が輩出した傑出したミュージシャンたちだ。
----------------------------

同様のニュース
Newsen(パク・アルム記者、2022-05-30)
「江辺歌謡祭 21年ぶり復活『コロナに疲れた観客へ活力吹き込むこと』」
https://www.newsen.com/news_view.php?uid=202205300919431910

2013年3月14日木曜日

(資料)80年代人気のあった歌手BEST10

チャンネルイエスの記事「2010年代 "ビッグバン"があるならば、80年代文化革命は"シナウィ"」(2/28、オム・ジヘ記者)に、<80年代人気のあった歌手BEST10>が紹介されており、イ・ソンヒについて次のように記している。

・1984年、第5回「江辺歌謡祭」での、「Jへ」で大賞を受賞してデビュー、爆発的な歌唱力と少年のようなヘアスタイルとズボンだけにこだわる身なりで、(ファンの間に)「お姉さん部隊」を作った。
1984年<歌謡トップ10>で5週連続1位をつづけて、新人賞最高人気歌謡賞10代歌手賞に初の3冠王にのぼるなど大きな人気を集めた。
・1985年の初アルバム<ああ、昔よ>が発売されるやいなや、7曲が<歌謡トップ10>順位に進入した。
・1986年には「分かりたいです」が5週連続1位をつづけながら、ゴールデンカップを二番目に占めて、一ヶ月の放送回数107回、MBCラジオ音楽チャートで15週1位の記録を作った。
・1989年の5集<ひとしきり笑いで>は、「私の街」が5週連続1位で、4番目のゴールデンカップを受賞し、「ひとしきり笑いで」が1990年に3週連続1位を占めて、1989年、1990年のアルバムに2年連続ゴールデンディスク賞を占める記録を立てた。1989年には韓国歌手としては初めて国内で英語アルバムを製作して海外ポップ市場に進出した。

(追記)
上記記事には、イ・ソンヒの他に次の歌手(およびグループ)が挙げられている。
チョー・ヨンピル (本ブログ関連
チョン・ヨンノク  (本ブログ関連
チュ・ヒョンミ   (本ブログ関連
チェ・ソンス
キム・ワンソン  (本ブログ関連
イ・ジヨン  (本ブログ関連
ソバンチャ
キム・ボムニョン  (本ブログ関連
イ・サンウン(リーチェ)  (本ブログ関連

2009年9月11日金曜日

シンガーソング ライター

ブログ「成長中のB(성장중인B)」(9/11)に、90年代を風靡したシンガーソング ライターを次のように一覧している。
チョー・ヨンピル(조용필)、イチョク(이적)、キム・ドンリュル(김동률)、キム・ヒョンチョル(김현철)、イ・スンファン(이승환)、ユ・ヒョル(유희열)、ユン・ジョンシン(윤종신)、チョ・ギュチャン(조규찬:イ・ソラと)、ソテジ(서태지)、パク・ソンジュ(박선주)、ノ・ヨンシム(노영심)、イ・サンウン(이상은リーチェ)、クォン・ジンウォン(권진원)、イ・ソンヒ(이선희)、ソ・ムンタク(서문탁)、パク・キヨン(박기영)、イム・ヒョンジョン(임현정
(YouTubeに登録のkkim1213mizuatotinothuniqueonwassereis875gyuhosglay2208doolee10heebum1981BuSanYoungDoBridgespyfish80balkorakverock82strabinneo0929に感謝)
その上で、「これからは、オ・チウン(오지은)と同じように若年層にアピールできるシンガーソングライターらが注目される。」とのこと。
(YouTubeに登録のgunpyoに感謝)

2017年6月26日月曜日

「江辺歌謡祭」の企画者

1984年、イ・ソンヒが歌謡界にデビューするきっかけを作ったのが、MBC主催 第5回「江辺歌謡祭(강변가요제)」だった。イ・ソンヒが仁川専門大学一年のとき、同大の音楽サークル「4幕5場」からデユエットとして参加して、大賞受賞した。そのとき歌ったのが、彼女の代表曲でもある「Jへ」だ。この曲は、彼女が高校時代に通った音楽室で、偶然巡り合わせたことにより、自分の歌にした不思議な経緯がある。
京郷新聞19840731
(本ブログ関連:”江辺歌謡祭”)

この音楽祭について、「大学音楽祭」との比較もあり、競争的関係でもあったといわれる。大学生の音楽祭に対して、広い意味での新人歌手の登竜門として「江辺歌謡祭」は知られたようだ。

この「江辺歌謡祭」を企画したのが、MBCのプロデューサー、パク・ウォンウン氏だったという。先日の6/24に、同氏が亡くなったとネットに報じられた。享年77とのこと。

ハンギョレ紙の記事「『第1世代ポップソングDJ』パク・ウォンウン氏死去」(6/25)は、「7080世代の新人歌手の登竜門としては、イ・ソンヒ、イ・サンウンなどを誕生させた『江辺歌謡祭』も、彼の企画として知られている。」と記している。

2015年12月16日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 關山戎馬

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(12/9)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、朝鮮時代中期の文人、申光洙신광수、1712年~1775年)の詩「關山戎馬(관산융마)」を元にした3曲を紹介した。

(本ブログ関連:”關山戎馬”)

始めに、申光洙の詩「關山戎馬」とその背景について次のように紹介された。
・漢詩にリズムをつけた「詩唱(시창)」に、晩秋の趣を歌う「關山戎馬」がある。朝鮮時代の文人申光洙の詩を歌ったものだ。「秋江寂寞魚龍冷(秋の川はわびしく、魚は冷たい)」に始まり、西風を受けて楼閣に立つ人、梅の花、笛の音色などが登場する。中国の詩人杜甫に「登岳陽樓」の詩がある。楼閣「岳陽楼」に登り、広く美しい洞庭湖を眺めながら、戦の絶えぬ故郷を憂い歌った。申光洙は、この詩をモチーブに、岳陽楼に登り、關山の戦を心配する「登岳陽樓嘆關山戎馬」を詩作した。

登岳陽楼 (杜甫)
---------------
昔聞洞庭
今上岳陽楼
呉楚東南坼
乾坤日夜浮
親朋無一字
老病有孤舟
戎馬関山北
憑軒涕泗流

▼ <清い音色が晩秋を思わせる>竹笛短簫(단소)の伴奏で、詩唱「關山戎馬」の歌を聴く。語尾を延ばす詩吟のよう。

次に、關山戎馬にまつわる、申光洙と平壌の妓生牧丹(모란)との逸話について次のように紹介された。
・關山戎馬は、申光洙が35歳の頃、科挙の一次試験で2位に入った作品で、すぐに歌として歌われ、広く知られた。当時の学者ソンビは、生前に作品が親しまれた人として、中国の白居易と朝鮮の申光洙を挙げた。申光洙の詩は、特に平壌の妓生によく歌われたのを聞いて感想を残している。平壌に留まったとき、妓生の牧丹と共に東屋に訪ねたり舟遊びを楽しんだ。牧丹が彼の詩「關山戎馬」を歌うと、その声に空の雲も止まってしまったという。この歌はしばらく歌われなかったが、最近、新民謡で歌われる。

▼ 新民謡「關山戎馬」を聴く。新民謡といっても、それほどくだけたわけでない。むしろスッキリしているくらい。

最後に、新民謡について次のように説明された。
・新民謡に、昔の民謡のメロディーそのままではなく、柔らかく美しいメロディーに、伝統的な楽器全てを含めて、声楽法も変えた朝鮮北部のものがある。この關山戎馬も同じで、詩唱のリズムに似ても、孤独感や哀切感はなく少し明るい。

▼ <關山戎馬を恋の物語に解釈した、秋の江を意味する>「秋江추강이)」の歌を聴く。イ・サンウンを思い出した。

・「秋江」は、愛する人と別れた後の心境を歌っている。戦時に、關山戎馬を聞いた人々が涙を流したという。これを、「秋江」は、恋のストーリーに解釈して歌っている。

2015年2月18日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」夫婦愛3曲

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/11)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第92回として、切ない夫婦の愛と月に向かって祈願する歌にまつわるなど3曲について話を紹介した。

始めに、ドキュメンタリー映画「あなた、その川を渡らないで(님아, 그 강을 건너지 마오)」を次のように紹介された。
・ドキュメンタリー映画「あなた、その川を渡らないで」は、98歳と89歳の76年の歳月を共にした、江原道の田舎に住む老夫婦の愛と別れを描く。二人は、揃いの韓服を着て、子供のようにいたずらする。仲睦まじい二人だが、老夫は病気になり、老妻は川辺に坐って悲しむ。その姿から、監督は、「あなた、その川を渡らないで」のタイトルが浮かんだ。ここでいう川は、三途の川の意だ。映画撮影の途中、老夫は亡くなる。監督は映画制作の継続を迷ったという。この映画タイトルから、「公無渡河歌(공무도하가)」の歌が想い浮ぶ。それは、川を渡る夫を追いかけて歌う内容だ。

▼ 国楽演奏と歌による「公無渡河歌」を聴く。ベルカントな今様である。(いっそ、イ・サンウンが歌う方が・・・)

次に、「公無渡河歌」の歌の内容について次のように解説された。
・「公無渡河歌」は、夫を失った妻が歌った、古朝鮮時代の歌だ。ある日、霍里子高(곽리자고)が早朝川に出て、舟の手入れをしていたところ次を目撃する。
・白髪の狂夫が、ひさご(=瓢箪)を持って川に入った。酒に酔ったのか、或いは他に事情があったのか。男を止めようと妻が追いかけたが、到着する前に溺れてしまう。妻はその悲しみを箜篌(くご、공후)という楽器を演奏しながら、「公無渡河歌」という歌で表した。そして、自らも川に身を投げた。

▼ 箜篌演奏による「蝶になって(나비가 되어)」を聴く。てふてふと舞う。復元楽器といえど奏法は今様である。

最後に、「公無渡河歌」の伝承と、ハングルで記録された「井邑詞(정읍사)」について次のように紹介された。
・現在の箜篌は、ハープに似た音色の復元弦楽器だ。
・この「公無渡河歌」の音色はどのように伝わったのか。川で亡くなった夫妻を見た霍里子高から、この話しを知った妻の麗玉(여옥)は、夫から聞いた曲を箜篌で再現した。これら二人の女性が演奏した曲は歳月と共に忘れられ、今では楽器だけが伝わっている。
・夫婦の切ない愛を表した昔の歌に、百済時代の歌、「井邑詞」がある。韓国語で記録された最も古い歌だ。商いに出かけた夫が戻ってこず、心細くなった妻が月に向かって祈願する歌だ。

▼ 歌「お月さま、ノピゴム、ドダシャ(달하 노피곰 도다샤)」を聴く。「井邑詞」歌詞からリメイクしたという今様。

------------------------------------------
最近、本プログラム紹介の音楽に古来の内容を持つものの、演奏や歌が本来の国楽とはいえないものが増えているような気がする。できれば、現地採集録音による民謡などを徹底的に紹介していただければと思う。KBSの録音データベースには素晴らしい宝の山があるはずだから。