ネットニュースで、ある女優さんの写真を見ていたら、別の女優さんと識別できぬことに気付いた。そんな経験を以前のブログに記したのを思い出し、見直したら、今回と同じ女優さん同士の組み合わせだった。相変わらず区別できないでいる。・・・ブログに記すことで、顔の混同を整理したつもりだったのに。
(本ブログ関連:”顔の識別”)
飛びぬけて愛らしい女優さんを区別できないのかと思うと、非常に残念で、切ないことだ。今はもう、アイドルたちの識別を遠くに諦めている、
昔、人気の映画俳優は、銀幕のスターだった。映画館に出かけて、スクリーンの上でしか会えぬ存在だった。映画館という擬似共同性にある固有の崇拝対象だった。ブロマイドという護符が売られたりした。その後、テレビ俳優が登場し、ネットに取り上げられるようになった。スターは、家に(TV)、部屋に(PC)、ポケット(携帯)に降臨した。ファンのすぐそばにまで近寄ってきたのだ。
今、3文字のアイドル集団が隆盛である。ファン心理について、2つの面で考えてみた。
① 誰もが主人公となる期待だ。ずっと昔のこと、男子向け漫画やテレビのヒーローは、孤高の人だった。それが、いつのまにか兄弟となり、戦隊となった。女子向けの場合も同様。この延長に、主人公は多数に分散・分枝した。
② 今時の空気だ。主人公が一人だと、ファン同士で取り合いになる。それをうまく避け、調和させるためにも、主人公の分散・分枝が必要だった。そんなニーズにうまく合っているように見える。
とはいえ、そのときその場で違いを求めた顔にも時代性がある。いずれ振り返って見れば、時代という同一さに気付くことだろう。こちらの場合は、識別能力の衰えだけじゃない。