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2011年10月26日水曜日

ハロウィンのこと

テレビなどで、アメリカの白人家庭の子どもたちが夜に、骸骨や魔女の奇怪な仮装で、ご近所を廻ってはお菓子をいただく「ハロウィン」の風習を見かけたことがある。カボチャをくりぬいて作った暗闇に光るランタンもお決まりだ。宗教行事というよりは、お祭りのような気がするが、一体どうなのだろう。

超現実的になれる子どもだからこそ、ハロウィンのお祭りのなかで、大人には見えない悪魔的世界と一瞬通じる不思議な感覚を持つことができるのかもしれない。恐怖を感じ、恐怖を楽しんでいるのだろう。それは、子どもだけが知っている、互いに共有できる感覚だ。もう忘れてしまったが。

ハロウィンの言葉を身近に知ったのは、高校時代に読んだレイ・ブラッドベリの短編小説のなかのことだ。読書というものは自分の閉じた世界で楽しみ記憶に残すもので、ことさら見える形にしてまで求めるものではない。だから、ハロウィンは曖昧なまま心に残してきた。子ども時代に感じた、恐怖と平穏の境を懐かしむように。

ところで、日本のハロウィンブームはどうだろうか。子どもたちは、塾やお稽古ごとに忙しく、集団になることにも慣れていないし、ご近所にしてもコミュニケーションがとれていないこのご時世、アメの準備どころか唐突に来られても戸惑いがあることだろう。子どもを平気で暗闇に出してやる親もそうそういない。まして、いただいたアメに対す信頼性も怪しい時代なのだから。

日本ではまだ、若い女性がイノベーターとなって支持する、ファッション感覚のイベントに近い気がする。それを、ファッション誌や特定の都心の商業地がブームを形成しようとしているのだろう。
ところで、ご近所で子どもたちのハロウィンごっこの光景を一度だって見たことがないが、回を重ねて、年を経れば、バレンタイン行事のようになるかもしれない。(弁明として、フォーマルなものの起源も、先端ファッションであり、それが変遷して定着したものであることを考えれば、ハロウィンもバレンタインのようになるかもしれない。)
ただ、子供の方が正直だとだけ言っておきたい。

ふと気になったことがある。アメリカにも昔の日本のような駄菓子屋があれば、こんな大騒ぎをしなくても済んだのに・・・、そんな訳ないか。


(付記)
日本経済新聞の記事「東京に冬の訪れ『木枯らし1号』」(10/26)によれば、寒い今日、「木枯らし1号」が訪れたことを次のように知らせている。
・気象庁は26日、冬の訪れを告げる「木枯らし1号」を東京都心で観測したと発表した。昨年と同じ日で、この10年間では最も早かった
・同庁によると、26日は西高東低の冬型の気圧配置となり、東京都心で午後5時前、最大瞬間風速15.0メートルの北西の風を観測。寒冷前線が南下した影響で最高気温は20.3度と、25日の26.9度から大幅に下がった。
・気象庁は、東京都内について、10月半ばから11月末までに初めて吹いた最大風速8メートル以上西北西~北の風木枯らし1号としている。


★ 孫ふたりが、父親の上になったり横になったり、纏(まと)わりついている写真が届いた