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2010年3月26日金曜日

CTKー495

昨日のブログで、ビリー・ヴォーンの「浪路はるかに」をYoutubeにリンクしたが、YAMAHAの上級キーボードTyros2で演奏されたものなので、ビリー・ヴォーン演奏のものにリンクを換えた。
Tyros2は国内販売はされていないらしい。Youtubeにデモンストレーションがある(demo-1、demo-2)。音色の美しさに驚かされる。

ところで、入門用のカシオのCTK-495を随分むかしに購入して、そのままにしている。いい具合にリズムを選択すると、2種類トーンで鳴らして、ウソのコードと指使いをしても、意外とその気になれるものだ。ただし基本を知らないから、いじって終わるだけだが。
このままではもったいないので、CTK-495には申しわけないが、いずれ孫のおもちゃになってくれればと思っている。

(Youtubeに登録Robsev、sosoa123、jkuser22497に感謝)

★★★★★ 孫が、風呂上りにテルテル坊主を牛乳の入ったコップに入れたというメールが届いた ★★★★★

2010年3月25日木曜日

浪路はるかに

ビリー・ヴォーンの音楽は、子どもには近寄りがたい感じがして、どうしても馴染めなかったものだ。それがどうしたことか、今となっては懐かしい。「夕陽に赤い帆」(本ブログ:1/8)もそうだが、海につながる「浪路はるかに(Sail Along Silvery Moon)」もよい。不思議なことに、しっとりと耳に入ってくるのだから。極端に例えれば、秋刀魚のわたを歳をとってこそ美味いと気付くのと同じかな。

「浪路はるかに」は、1937年に書かれた曲(作詞:Harry Tobias、作曲:Percy Wenrich)を、1957年にビリー・ヴォーンによりリリースされて、翌1958年に全米5位のヒットをしたそうだ。<Wikipedia、Youtube(概要)などより>

(Youtubeに登録の draadnagels、ilovetrains63に感謝)

2010年3月24日水曜日

「ハニー」のような「サニー」

このタイトルは、イ・ソンヒがテーマソングを歌った少女アニメ「走れハニー」、およびファンからの愛称「サニー」をもとにした次の記事タイトルから採った。

「文化日報」の記事「『ハニー』のような『サニー』…その声が懐かしい」('04/8/3)には、デビュー20周年記念「Jへ 20年 イ・ソンヒ・コンサート」('04/8/26~28)の準備に忙しい頃のイ・ソンヒとのインタビューがあり、次のような話題が載っている。
・イ・ソンヒの江辺歌謡祭大賞受賞('84年)は、「背が低くて声の大きい女性歌手」のさきがけとなり、以降チョン・ユナ(전유나:'89年大学歌謡祭大賞)、ユ・ミリ(유미리:'86年江辺歌謡祭大賞)などの「イ・ソンヒにつづく歌手」が入賞している。
・高等学校の時、作曲家イ・セゴンに会ったが、その方からこの歌の楽譜を受け、そして1年6ヶ月の間温めていた。【江辺歌謡祭時期から逆算すれば、いつ頃この曲を得たかがわかる】
・「ミュージシャン」といわれるよりも「歌手」にこだわる。【それは、彼女らしい筋の通った信念だろう】

(Youtubeに登録のamplify82、koreanballadsに感謝)リンク

★★★★★ 孫が、機関車トーマスのお面で、いない・いない、ばぁ~をする動画が届いた ★★★★★

2010年3月23日火曜日

孫と独り歩き

4月から保育園に通う孫に会いに行く。今までのように訪問もままならないだろうから、今日は孫と目一杯遊ばせてもらった。

風邪で鼻づまりの孫は、それでも元気に笑顔を振りまいてくれた。そして何より驚かせたのは、目の前で呼びかけに応えるように、両手を斜め上に挙げて立ち歩きしたことだ。独りで六歩は歩いた。先日のメールで、五、六歩と歩いた知らせを受けたが、直接見るとでは大違いの感激だ。親たちも、その洗練された歩きに感心したくらいだから。
風邪で決して快調ではないのに、何と頼もしい孫だ。1歳の当月に歩いたのだから。

小金井公園の桜まつりまでに孫が風邪を完治したら、ともして花見に行きたいものだ。早く元気になっておくれ。

2010年3月22日月曜日

桜開花

気象庁は、東京の桜(そめいよしの)の開花を発表した。靖国神社の標本木を観察して、携帯電話で開花を報告している女性職員の姿をテレビ朝日のニュースで報じていた。平年比6日早く、昨年比1日遅れだそうだ。

昨日訪れた小金井公園の桜は、まだ蕾を大きく膨らませているだけだったが、4月2日~4日に「第56回小金井桜まつり」が開催される。

イ・ソンヒが選ぶ印象的な歌

イ・ソンヒとのインタビュー記事「イム・ジンモが会った人-イ・ソンヒ」(oimusic '03/2)が、Daumミュージック(뮤직)に載っている。(インタビューは以前(1/7)、一部紹介)

インタビューの中で、イ・ソンヒが自身の曲から、40代が記憶する「Jへ」※と、30代が(記憶する)「思い出のページをめくれば」※※を最も印象的な歌に選び、後者はファンが「最もイ・ソンヒらしい曲」と感じるという説明を付け加えた・・・とのこと。
※、※※ これらの曲は、彼女が歌番組「歌謡トップテン」で1位となった曲である。(2/28に紹介)
※※ イ・ソンヒが高音の強い発声のイメージから脱却した曲のひとつである。(2009年の8/27に紹介)
(Youtubeに登録のmongtec、pops8090に感謝)

また、このインタビューで、彼女は見せかけの自由より、教本の通り行くことを選ぶといい、歌に専念するゆえにむしろ無口であり、歌手は歌でだけ話しますと述べている。そこから彼女の清潔さにつながる、ある意味で一途なイメージが窺われる。

2010年3月21日日曜日

ケロロ軍曹

訂正がある。先日、孫が「ケロケロ軍曹」の着ぐるみを見ている写真メールが届いたと記したが、正しくは「ケロロ軍曹」だった。緑色していたので、ついついカエルのイメージの延長で、<ケロケロ>としてしまった。言い訳はここまで。

ケロロ軍曹の(公式?)ホームページを参照したところ、次のような説明があった。ケロロ軍曹は、ケロン星人で地球侵略の尖兵として活動していたが、地球の子どもと出会った結果、大切な武器?を奪われて囚われの身となり、今は面従腹背しているらしい。
このアニメをYoutubeのPart1で見ても要領を得なかったが、Part2で上記いきさつがわかった。このケロロ軍曹、困ると自ら「ただのカエル」と言い逃れしている。

(Youtubeに登録のTainted46に感謝)

春分の日2010

今日は、二十四節気のひとつ、「春分の日」である。昨日からの強風は衰えたとはいえ、まだ幾分の名残りがある。

穏やかな陽を受けて小金井公園に行くと、春の嵐の凄まじい跡を見ることができる。「江戸東京たてもの園」前の広場に並ぶ桜の一本の古木が根こそぎ倒れていた。桜の根は地中浅く広がると聞いている。強風に耐えられなかったのかもしれない。
また、公園中央にある「いこいの広場」のケヤキの木立の下には、強風に折れた枝が散乱していた。









★★★★★ 孫が、夜泣きして両親を振り回した後、あどけない寝顔で寝ている写真が届いた ★★★★★

2010年3月20日土曜日

国民の妹

せっかく穏やかで暖かい日和になれた筈なのに、強風に邪魔された一日だった。夜分、その風はますます強くなった。
(追記)深夜、風力は増して烈風となり、まるでラジオの効果音のように外気をゆすり、おまけに家まで軋ませてくれる。

キム・ヨナには、韓国で「スケートの妖精」などの愛称があるが、日本では2010冬季オリンピックのテレビ放送で、もっぱら「国民の妹」と呼ばれていると紹介された。
(本ブログの「キム・ヨナ」関連:2009年の3/283/298/20、2010年の2/242/26

ところで、元祖「国民の妹」といわれたのは、映画俳優イム・イェジン(임예진)だそうで、ブログ「The Blog of Samma」によれば、女子高生時代に多数のハイティーン映画で最高の人気を謳歌したという。例えば、Google「画像検索」で「임예진」と検索すると、当時の愛らしい画像を見ることができる。
(本ブログ関連:2009年の10/15

チュ・ヒョンミ&ソヒョンの「チャラチャチャ(짜라자짜)」MVに、イム・イェジンが出演して、少女時代のセピア色の写真を見て懐かしむ可愛いオンマ役を演じている。
・ブログ「Love」からの孫引きだが、「80年代最高のハイティーン・スターのイム・イェジンと少女時代のユリが共演して『離れの客とお母さん(사랑방 손님과 어머니)』をモチーフに、家庭教師を(間に)置いて繰り広げられる母と娘の三角関係をコミカルに描く予定」との記述がある。
・「シネマコリア」に、映画「離れの客とお母さん」の紹介がある。

(Youtubeに登録のchararabiに感謝)

(追記)
Jo!nsの記事「華麗な人脈」(3/19)によれば、イム・イェジンがSBS番組「ペ・キワン、チェ・ヤン、チョ・ヒョンギの良い朝」で、芸能界で顔が広いことを誇ったそうだ。番組に特別出演したスターたちは、歌手イン・スニ、演劇俳優ユン・ソクファ、俳優コ・ドゥシム、俳優バク・ジョンスとのこと。

★★★★★ 孫が、おばあちゃんと一緒にケロロ軍曹の前に立って見上げている写真が届いた ★★★★★

2010年3月19日金曜日

白木蓮

近くの民家にある白木蓮は、あっという間に白い厚手の花びらを開き、大きな木立を真白に飾った。そして、白い花弁を塀越しの路面に散らしはじめた。待ち遠しかった白木蓮の花が散るのは惜しいが、こちらの勝手というものだろう。

木々が新芽を出し、花を咲かせ散ることも、冬の木立にも意味があると思う。そして、それが平穏に繰り返されることに感謝を覚える。歳をとるというのは、そういことだろう。歳を重ねるといろいろなことが見えてくる。自然にも人にも。

★★★★★ 孫が、パンをゆっくり、じっくりと味わうように次々口にする(大丈夫?)動画が届いた ★★★★★

2010年3月18日木曜日

持ち歌探し

中学時代の仲間と毎月、八重洲にあるカラオケ店に夜分集まり、出来不出来は別にして思い思いに放吟している。
持ち歌に足して、先月はイ・ソンヒの「冬哀傷(겨울애상)」をチャレンジしたものの、残念な成果だった。その挽回に今夜は、イ・ウンハの「まだあなたは私の愛(아직도 그대는 내사랑)」を歌ったが、やっぱり残念だった。どちらも良い歌なので、これから何とかものにしたいと思う。

(本ブログ関連:2009年の10/9、2010年の3/6

(Youtubeに登録のdove2727、xxcoltsneckxxに感謝)

★★★★★ 孫が、スーパーのカートの台座で体をねじるように爆睡している写真が届いた ★★★★★

2010年3月17日水曜日

イ・ソンヒと学生家長

イ・ソンヒがソウル市議会議員になる前に、「学生家長(学生が家長となっている世帯)助け合いチャリティーコンサートなど社会的に苦しい隣人のための活動」をしていたことを本ブログで触れた。

彼女の実際の慈善コンサートの記録が、公式ホームページ(HOME > Biograph > 공연활동[公演活動])に次のように載っている。
・'86年 「学生家長助け合いイ・ソンヒコンサート」 7/26(弘益大学校)、11/30(大韓生命63ビル)
・'87年 「学生家長助け合いイ・ソンヒコンサート」 1/25(釜山社稷室内体育館)、5/31(大田忠武体育館)、8/30(大邱室内体育館)、11/29(大韓生命63ビル)
・'88年 「学生家長助け合いイ・ソンヒコンサート」 8/14(釜山KBS公開ホール)、12/4(88体育館)
・'89年 「学生家長助け合いイ・ソンヒコンサート」 12/3(88体育館)

これらの活動の後、ソウル市議会議員('91.7.1~'95.6.30)として、社会福祉委員会委員、保健社会委員会委員などの活動をしている。

(本ブログ関連:2009年の8/3110/29

★★★★★ 孫が、ゆったりと大きなイチゴを4つも続けて口に頬ばる動画が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、寝ている父親の頭を触るつもりで引掻いて謝る?動画が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、母親から絵本をとって頁をめくり声を出して読む?動画が届いた ★★★★★

2010年3月16日火曜日

カスケーズ

カスケーズの「悲しき雨音(Rhythm of the Rain)」(1963年全米ポップチャートで2週間1位)は、妙に懐かしい曲だ。導入部の雷鳴と雨音にもかかわらず、どこか楽天的な少年の失恋を歌っている。

EPレコードから流れてくる「悲しき雨音」の、まだまだ大丈夫なんて思っている、のんきで(未熟な)、おばかな少年の失恋の歌を、もっとのんきで、もっとおばかな少年が聞いていた。
考えてみれば、湿潤なモンスーン地帯の僕らの雨と、明るいカルフォルニアの雨とではちょっと違う。雨雨降れ降れもっと降れとはいわないだろう。じめつく雨と乾く雨の違いかな。

(Youtubeに登録のksabondに感謝)

★★★★★ 孫が、孫の名を入れて歌ってくれる母親と、声をあげてよろこび遊ぶ動画が届いた ★★★★★

2010年3月15日月曜日

孫と歩き初め

孫が、5、6歩も!歩いたというメールがお嫁さんから届いた。今日は記念日になった。

孫は、はいはい、つかまり立ちなどといろいろ成長の歩みを進めて、まわりを驚かせてきた。今回の驚きと喜びには格別なものがある。メールに1、2歩と歩く動画が添付されているが、5、6歩も歩いたという姿を直接見たいものだ。
幼い子どもの発達は、遺伝子の設計図で自動的に進むものではないだろう。深い愛情というトリガーがなければ、そして愛されているという絶対的な自信がなければならないと思う。
孫は、若い両親の愛情に包まれて、成長の歩を進めている。本当に幸せなことだ。

ちょうど1歳を過ぎたばかりの孫が、初めて歩いたことに感謝したい。

カスマプゲ

昨晩、Twitterを覗いたら、韓国の作曲家朴椿石(박춘석)氏の訃報が綴られていて、今日のインターネットのニュースは死去の記事を一斉に報じている。

わたしたちの耳に馴染んだ朴椿石の曲は何といっても、「カスマプゲ(가슴 아프게)」だろう。少し前の会社の飲み会などでは必ず誰かが歌い、カスマプゲのフレーズになると、みな一斉に口ずさんだものだ。日本でのこの曲の流行は、李成愛(이성애)によっている。彼女が最後のステージで歌う感動的な録音がYoutubeにある。当然、今なお日本の歌手に受け継がれている(キム・ヨンジャも含めて)。また、本ブログの左に、元唱者ナムジン(남진)の映像を載せさせていただいている。

朝鮮日報(chosun.com)の記事「’島の先生’から’雨降る湖南線’まで」(3/14)には、朴椿石の幼少時からの天賦の音楽的才能と経歴などが記されている。
・(韓国)国内歌謡作曲家中最も多い2700余曲を残した。そのうちの1152曲が韓国音楽著作権協会に登録された。最多登録である。
・1964年地球レコード社に移った彼は、李美子(이미자)とともに音楽家人生の変化(第2の転換期)を迎える。彼が一生の間作曲した歌の4分の1を李美子が歌ったし、李美子が歌った歌の3分の1を彼が作った。(「島の先生(섬마을 선생님)」)

(Youtubeに登録のkmw2500、zingaz98、yokosuka30に感謝)

2010年3月14日日曜日

韓国料理

今日の天気は暖かいを通り越して、セーターにジャケットの身づくろいには、働かずとも額に汗が出た。

さて、むかしの仕事の仲間とJR新大久保駅で待ち合わせて、駅のそばにある韓国料理店「辛風(Kara Kaze)」で昼食をとった。
マッコリ、海鮮チヂミ、ジャガイモチヂミ、海鮮トッポギ、キムチ盛り合わせ、足りなければ追加注文のつもりだったが、おじさん達にはこれで十分満腹してしまった。同行仲間は、ジャガイモチジミが気に入ったようで、美味いと口にしていた。
コリアタウン巡りは、新大久保と靖国通りにある、CD(書籍)ショップや韓国食材スーパー等々を覗いてみたが、同行仲間を疲れさせただけのようだった。

解散後、新宿三越アルコットのジュンク堂書店に行き、孫のために絵本「しろいうさぎとくろいうさぎ」と仕掛け絵本を購入した。われながら疲れを知らない。

★★★★★ 孫が、溶けるような笑顔で母親と遊ぶ動画と、食事に専念!没頭!する動画が届いた ★★★★★

2010年3月13日土曜日

イ・ソンヒのファン

韓国の雑誌ELLEのELLE.co.krに、他誌編集者に自らのファン経験について質問に応えてもらっているページがある。
その中で、 雑誌GQ(korea)のフィーチャー・エディターのチャン・ウチョル(장우철)が、イ・ソンヒについて次のように思い出を語っている。

小学2年の頃に、イ・ソンヒの2集「秋の風(갈바람)」(1985年)を聞いて(生涯最初のファンとなり)、小学校を卒業するまで良くてたまらなかった。6学年の時に、イ・ソンヒの単独「リサイタル」(当時コンサートをこのように呼んだ)に、背が高い高等学校の姉たちの間に一人挟まって屈せず入場した。・・・
2集の歌「そうよ過ちは私にあります(그래요, 잘못은 내게 있어요)※」を、彼女がさえずる様子を見て、イソンヒに初めて女性らしさを感じた。・・・そうだ。
※ この曲はブログ「blueeco」で聞くことができる。

イ・ソンヒが男女全ての世代に支持されたことがわかる。国民歌手といわれる由縁だ。

★★★★★ 孫が、何と朝5時に食事をとりご機嫌で、愛くるしい声で「バイバイ」する動画が届いた ★★★★★

2010年3月12日金曜日

ロールモデル

Osenの記事「私も顔知らせたい」(3/4)に、歌手イェイン(예인)が理想(ロールモデル)とする歌手として、イ・ソンヒの名を上げている。

イェインは、ロールモデルにイ・ソンヒとインスンを挙げて、次のように語っている。「先輩たちは本当に私のロールモデル(롤모델)だ。 幼い時代に歌謡を開始した時から、イ・ソンヒ先輩の歌を聞いて彼女の歌と共に幼年時代、青少年期を送った。 本当に彼女の声は最高だと思う。むかしのままの彼女の少女のような声を聞けば感嘆する。 常にあのように歌手活動しなくてはならないと考える。」

イェインは、ラン(란)という名を改名して4年たっているにもかかわらず、同名の別の歌手がいていまだに混乱があるようだ(jo!ns 3/12)が、記事以上のことを知らない。
ここでは、「ロールモデル」という言葉の響きが気になったわけで、むしろ、成りたい~、憧れの~、理想の~といった方がわかりやすい。イ・ソンヒは誰にもそういう存在なのだから。

★★★★★ 孫が、公園の原に座って、「待て待て待て」に逃げる振りしてクルリと戻る動画が届いた ★★★★★

2010年3月11日木曜日

Kaleidoscope World

英国のポップ・バンド「Swing Out Sister」の「breakout」(1986年)は耳に残った。ボーカルのコリーン・ドリュリーは見た目もお洒落だし、軽快なサウンドながら落ち着いた歌声が心地よかった。
Wikipediaによれば、彼女はファッション「デザイナー兼モデルの仕事」から出発したようだ。
・ちなみに1986年にイ・ソンヒは、アルバム3集「分かりたいです(알고싶어요)」(歌詞)を発表している。

随分昔のこと、2集「Kaleidoscope World」(1989年)のVHSを購入して、音楽だけでなく万華鏡のような色彩とデザインの画面を楽しんだ。なかでも「Waiting Game」は、最初の印象を残してくれていた。
ということで、またVHSを見直したが、今もセンスのよさを感じる。

(YouTubeに登録のpinhamrv、empressmeに感謝)

★★★★★ 孫が、いよいよ離乳の練習を始めた。お嫁さんのお母さんにあやされる動画が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、画面に向って初めて聞く「バイバイ」の声を発し、少しの間立った動画が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、初めて離乳のまま今晩寝てくれたと、「成長の証」という喜びのメールが届いた ★★★★★

(追記)
母の命日の今日、妹と一緒に小平霊園に行く。風が強く、線香に火がつかず難儀する。

2010年3月10日水曜日

春の寒さ

昨晩の雨は、屋根の雪を固まりにして、深夜にドスンドスンと音を立てて落した。それは驚かせるに十分な響きだった。 今日の風は随分と寒い。まるで雪の上を走って来る風のようだ。芯から冷たい。

そういえば以前のこと、まだ雪が残っている茨城県の錫高野で鉱物採集したときに、沢を下りてくる風の冷たさに閉口した。熱燗できる缶の日本酒を飲んだが、寒さを癒すことはできなかった。顔だけ赤くして震えていた。

図書館から借りた「生き急ぐ」(内村剛介著)を返しに行った帰り、あるお宅の白木蓮(ハクモクレン)のつぼみが膨らんで、白い花を僅かながら覗かせているのが見えた。寒風のなか春はひた走ってくる。

「生き急ぐ」には、デカダンスにモスクワに散ったエセーニンの詩「母への手紙」を載せていて、その詩の中に、無頼をつづける息子を気遣う母への気休めに「春 わが家の白い庭で木々が枝をぐっと伸ばすころ/ぼくは帰ってくよ/八年前みたいに 朝早く/起こすのだけはやめとくれ」という気を許す一節がある。 (本ブログ関連:1/132/16) 

 ★★★★★ 孫が、皿の料理を手づかみでゆったりと食べている動画が届いた ★★★★★

2010年3月9日火曜日

イ・ソンヒの秘訣

イ・ソンヒと同世代のアジュンマにとって、彼女の若々しさは驚嘆のようだ。若い世代のブログには、さすがに率直な驚きはないが、彼女の「爆発する歌唱力」に賞賛は惜しまれない。

ところで、イ・ソンヒの綺麗な肌について、「YAHOOメディア(미디어)」掲載の、「韓国経済(한국경제)」の記事タイトル「イ・ソンの"童顔の秘訣は皮膚科"率直告白」(2009年3月26日)の通り、「良い皮膚科に通いながら言うとおりに熱心に(手入れ)している」と正直に語っている。(MBC「音楽の旅ラララ」の番組で)
ならば、皮膚科に通えば誰でも肌が艶やかになるかというと・・・どんなものだろう。ご婦人方が一番よく知っていることだ。

彼女は、ミュージカルの舞台で「ピーターパン」を演じたこともあり、新聞記事に少年のような容貌と紹介されることがある。若々しく童顔であるといわれるのは、ひとえに彼女の持つ清潔なイメージによる。それこそが彼女の秘訣だろう。

(本ブログ関連:2009年の9/18

2010年3月8日月曜日

鉱物標本をいただく

昨晩、孫の誕生日会から帰宅すると、宅配便の不在連絡票がポストに入っていた。送り主の欄に、昨年から参加している栃木県を中心に活動する鉱物の会の大ベテランтакэути氏のお名前が書かれていた。すぐにwebで再配達を業者に連絡して、今日受け取った。鉱物標本だった。

同氏は、年初会合でレクチャーされた鉱物について後日、解説追補と標本を会員に送られた。その標本を、ニコンの入門用携帯実体顕微鏡で覗いたことを含めてお礼を返書したところ、あらためて次のような標本をいただいた。いまだにエントリーに留まるものに対して心いただき、たいへん恐縮している。
・鉄電気石、モナズ石: 福島県石川郡石川町中野 産
・マックギネス石、中宇利石、アラゴナイト: 埼玉県児玉郡児玉鉱山 産
・デュモルチ石: 山梨県三富村京ノ沢 産
・パーガス閃石: 神奈川県湯河原町 産
・コバルト色ひすい: 新潟県糸魚川市小滝 産
・珪孔雀石: 岐阜県吉城郡神岡鉱山 産
・まんじゅう石: 鳥取県倉吉市駄経寺 産
・マンガン斧石: 高知県吾川郡伊野町成山 産

★★★★★ 孫が、マグマグで自信たっぷりにお茶を飲んでいる写真が届いた ★★★★★

2010年3月7日日曜日

孫と誕生日

孫は満一歳の誕生日を迎えた。昨年の今日、18:00に誕生した。孫宅で、孫を中心に、お嫁さんのご両親も出席して誕生日を祝った。
孫は、一升餅を背負い健気に振舞った。大丈夫、これなら一生安泰だ。誕生日のケーキには、たった1本のローソク、立派に育ったものだ。一緒に外出するために何本ローソクが必要だろうか。上野動物園、科学博物館、そして鉱物採集にも、行き先はすでに思案中だよ。

「(孫)は今、幸せな顔をして寝ました」というメールが届いた。今日はちょっと疲れたかな。4月から保育園に行くとのこと。これからも元気な顔を見せておくれ。泣いても、笑っても、まだ怒った顔はないけれど、孫はいつでも宝ものだ。

2010年3月6日土曜日

春雨

このところ晴雨が繰り返され、寒さが未練に顔を出すものの、いずれ去るばかりだ。そういえば、小学校の垣根の陽当たりのよい処に咲く沈丁花はすでに香りが薄らいでいて、それを凌駕するかのように陰にあるものが盛んに香っていた。今日もこの雨の中で香り漂わせていることだろう。

春の雨を題する1980年付近の歌をYouTubeに探した。
・イ・ウンハ(이은하)の「春雨(봄비)」 (1979年:歌詞)は、春雨に離別と(遅すぎた?)再会する二人を情感を込めて歌う。随分昔のNHK放送だろうが、彼女の「まだあなたは私の愛(아직도 그대는 내사랑)」を聞いて、八代亜紀が絶賛している映像がYouTubeに登録されている。(本ブログ左列に配置)
・ペタラギ(배따라기)の「君は春雨がとても好きですか(그댄 봄비를 무척 좋아 하나요)」(1984年:歌詞)は、若い恋の歌でフォークのメロディーが素朴でよい。彼らの「雨と湯飲み茶碗の間(비와 찻잔 사이)」(1982年:歌詞)も、恋人達の恋の戸惑いを歌っている。

(YouTubeに登録のyokosuka30、xxcoltsneckxx、leesang4388に感謝)

★★★★★ 孫が、おやおや、頬をいちだんとふくらませた写真が届いた ★★★★★

2010年3月5日金曜日

オンリー・ユー

考えてみれば、エルヴィス・プレスリーが全てだったのだろう。行き着くところ彼のイメージに戻ってしまう。何しろ中学時代のぼくらは、ラジオやスクリーンで彼と会うことができたのだから。

阿佐ヶ谷駅の北口に、二番館いや三番館とでもいうべき場末の臭いのする映画館があった。中学生にとって、遅れて来た映画「南太平洋」※(1958年)をやっと見ることができる場所だった。エルヴィス・プレスリーの「ブルー・ハワイ」(1961年)もそこで見た。同じ太平洋の島でも、ハワイは楽しいわくわくするところと空想した。
(※) 映像が重苦しい記憶があったが、Wikipediaによれば、舞台照明と同様にカラー・フィルターを歌ごとに使用したせいのようだ。

イ・ソンヒのコンサートで、フィソンが「オンリー・ユー」を歌っているのを聞いたことがある。ほんとうに良い曲だ。「オンリー・ユー」は、プラターズ(1955年)というよりは、記憶の中ではどうしても、ソフトでどこか甘いエルヴィス・プレスリーの印象に偏ってしまう。

(YouTubeに登録のlostvocals4、elvisdreamgirl、unicorn58、vincoereに感謝)

★★★★★ 孫が、立ち姿でスプーンを使って皿のおかずをとる写真が届いた ★★★★★

2010年3月4日木曜日

イ・ソンヒのドラマ出演

イ・ソンヒのドラマ出演といっても10年も昔のことだが、「dongA.com(東亜日報)」の記事「[芸能界ニュース] 歌手イ・ソンヒ、ドラマ『ギブス家族』に出演」('00/3/12 )に、次の通り報じられている。

・イ・ソンヒが、MBCドラマ「ギブス家族」(金、午後7:30)にビックリ出演する。チェ・ミョンギルとキム・ソンニョンが入院している女性病室に新患「イ・ソンフィ(이선휘)」役で出演する。
・劇中、本名がチョン・ボクスンである「イ・ソンフィ」は、「ノフナ(너훈아)」や「チョー・ヨンピル(조영필:’ヨン’の字違い)」のようにナイトスポットで活躍するモノマネ歌手で、舞台から歌って落ち肩をケガして入院することになる。
・イ・ソンヒは「私をパロディにするとは思わなかった」と語った。

さてイ・ソンヒの登場場面を知りたければ、DVDレンタル店でこのドラマを探すしかない。本当かなあ。

2010年3月3日水曜日

ひな祭り

「桃の節句」の3月3日、女の子のいる家庭では「ひな祭り」を新暦の今日行う。残念ながら息子たちを育てたため、わが家には華やいだ行事も形もない。町なかの雛人形のディスプレイを眺めることにしよう。
ところで、韓国在住日本人主婦のいくつかのブログに、同様の行事の有無を探したがないようだ。ただし旧暦3月3日(本年新暦4/16)に、旧暦9月9日の「菊花煎(국화전)」と対をなす花飾りの餅(「つつじ花煎」진달래화전)を作るとのこと。
(本ブログ関連:2009年の10/26

東国歳時記」(洪錫謨 著)の「三月三日」の項には、「花煎」を作ることを次の通り説明している。
「杜鵑花(つつじ)※を採って糯(もち)米の粉に拌(ま)ぜ、まるい団子を作り、香油で炒めたものを花煎(화전)という。これは、むかし、寒具といわれた油炒めの餅である。」
※「杜鵑花(トケンカ)」は「サツキツツジの別称」(広辞苑)=つつじ(진달래

韓国Wikipediaによれば、花煎は高麗時代以来の「花煎遊び(화전놀이)」と関連しているとのこと。綺麗な写真が掲載されているが、Googleの「画像検索」で「진달래화전」を検索すると可愛いつつじ花煎がどっさり出てくる。

そういえば、子どもの頃につつじの花びらを採り、裏返して花床を吸うと甘いということで吸ってみた記憶がある。まあ甘くはなかったが、つつじの時期になったら、童心に返って試してみるのも悪くはない。

★★★★★ 孫が後楽園で楽しんでいる写真が届いた ★★★★★

2010年3月2日火曜日

3/3 イ・ソンヒ公演情報

先日(2/15)の本ブログで、釜山「新世界センタムシティ文化ホール」でのイ・ソンヒの公演情報を記したが、ようやくweb上で検証できたので記事を載せる。

「Paranニュース」掲載の「ヘラルド新鮮ニュース(헤럴드생생뉴스)」の記事「新世界センタムシティ“来年は釜山1等デパートへ”」(3/1)は、「開店1周年祝い謝恩大祝祭」(3/3~3/14)が開催される中で、センタムシティ文化ホールで催される各種公演を紹介している。そのなかで、3/3にイ・ソンヒの公演があることを報じている。

2010年3月1日月曜日

3月

いよいよ春だ。Wikipediaの通り「」は「社会通念・気象学では3月・4月・5月」の間で、今月がその始まりである。3月には、桃の節句のひな祭り、桜前線の桜の開花などあるが、去年から大事な行事が加わった。3月7日に誕生した孫の誕生日会だ。今年満1歳になる。

孫を連れて実家に行ったお嫁さんから、ひな人形を前にして孫をしっかり抱きかかえている写真が届いた。孫が到着する前に、ご両親がひな人形の飾り場所を例年と変えて、万全の孫シフトを整えているようだ。安全第一である。
今まで身近にない、赤い毛氈(もうせん)の上の華やかなひな人形を突然目にして、男の子の孫は戸惑ったことだろう。母親と一緒にひな祭りを楽しんだら、7日には誕生日会が待っているよ。

2010年2月28日日曜日

イ・ソンヒの歌謡トップ10

ブログ「hungrian」に「歌謡トップ10※歴代1位回数順位」('09/12/22)が紹介されている。
(※)Wikipediaによれば、「歌謡トップ10(가요톱10)」は、1981年2月10日にKBS1で初放送された歌謡番組で、1998年2月11日まで放送された。「ミュージックバンク」の前身プログラムに当たる。

歌謡トップ10で、1位になった回数の多い順に歌手が紹介されている。
1位はチョー・ヨンピル(조용필)の68週、2位はシン・スンフン(신승훈)とイ・ソンヒの26週、およびその他の歌手について曲目も含めて記されている。
ちなみに、イ・ソンヒの26週に1位で歌われた曲は次の通りとのこと。
・「Jへ」5週
・「秋の風」2週
・「分かりたいです」5週
・「私はいつもあなたを」5週
・「私の街」5週
・「ひとしきり笑いで」3週(映像後半部)
・「思い出のページをめくれば」1週。
(YouTubeに登録のmodfactory、BuSanYoungDoBridge、pops8090に感謝)

★★★★★ 孫が、カメラに向かって私に「こんにちは」のご挨拶する動画が届いた ★★★★★

2010年2月27日土曜日

雨降る街に立って

関東(東京大手町)の春一番は一昨日(2/25)吹いたが、武蔵野の台地としては昨日の風の方が実感した。朝方に止んだ昨夜来の雨は、陽気のせいか春の雨を思わせた。

イ・ソンヒが黒いドレス姿で歌う「雨降る街に立って(비오는 거리에 서서)」の映像が、NATE動画(동영상)にある。アルバム9集「一輪菊(한송이국화)」(歌詞:1994年3月3日)の最後に、この歌が収められている。イ・ソンヒの黒いドレス姿は、雨降る街に<夜>が深まるまで待ち続けるこの歌に合わせたのだろうか。

(本ブログ関連;2009年の6/3011/111/18

ところでこの映像は、10周年記念コンサートのようだが、当時の観客の熱狂振りがわかる。

★★★★★ 孫が、完全防寒のフード姿で動物園のハムスターを傍に見ている写真が届いた ★★★★★

2010年2月26日金曜日

冬季オリンピック女子フィギュアスケート

【下記リンク先:2010冬季競技オリンピック、パラリンピック2010バンクーバー組織委員会ホームページを参照】

バンクーバー2010冬季オリンピックの女子フィギュアスケートのフリースケーティング(開催地:Pacific Coliseum)を見逃すわけにはいかず、テレビに釘付けになった(現地2/25)。
・キム・ヨナ(김연아)は、150.06点で1位、総合も1位で228.56点(世界最高得点)となり<金メダル>を獲得した。演技終了後、リンク上で涙ぐむ(朝鮮日報写真)彼女の姿が印象的だった。
浅田真央は、131.72点で2位、総合も2位で205.50点となり<銀メダル>を獲得した。
・ジョアニー・ロシェット(Joannie Rochette)は、131.28点で3位、総合も3位で202.64点となり<銅メダル>を獲得した。
(得点内容は「+」をクリックで参照)

キム・ヨナは、オリンピックで金メダルを獲り名実ともに世界最高になった。今後も世界をリードするだろう。浅田真央も、今後もトップを競いよいライバル関係を続けて欲しい。若い彼女たちは同じ19歳であり、これほど関心を集めたことに感心する。

(本ブログ関連:2009年の3/283/298/20、および2010年2/24

2010年2月25日木曜日

50%の韓国人

Gallup Koreaの「100%韓国人」に、「あなたは何%の韓国人を知っていますか? 何%の韓国人に属していますか?」として、1%から100%までの韓国人意識調査の結果が一覧されている。
そこで、「50%」該当の21パターンを覗いて見ると、次のような面白いものがある。

#3.50.8%の大都市居住満20~49才韓国人妻は夫との離婚を深刻に考慮してみたことがある。
#8.50.0%の満20~49才韓国女性は去る1年間宝くじを購入したことがある。
#10.50.1%の韓国男性は健康補助食品や精力剤を食べて効果をみたと考える。
#11.韓国の家庭主婦中50.5%は夫が概して元気な方だと考える。

上記にあげた4パターンを組み合わせると、男女の意識の差、現実の捉え方の違い、そして将来への準備のしたたかさなど、男は女に何も気付いていないというホームドラマの一場面ができるだろう。しかも、そのドラマは世界中のどこでも放送できる。

2010年2月24日水曜日

ショートプログラム

【下記リンク先:2010冬季競技オリンピック、パラリンピック2010バンクーバー組織委員会ホームページを参照】

バンクーバー2010冬季オリンピックのフィギュアスケート、女子ショート・プログラム(開催地:Pacific Coliseum)は気になってテレビから目が離せなかった(現地2/23)。(もちろん男子フィギュアの高橋、織田、小塚選手の演技もしっかり見ている)

「スケートの妖精」キム・ヨナ(김연아)がスコア78.5点で1位になった。2位は浅田真央73.78点。3位はカナダのジョアニー・ロシェット(Joannie Rochette)で71.36点。(得点内容は「+」をクリックで参照)
キム・ヨナ(1990年9月5日生まれ)と、それを追う浅田真央(1990年9月25日生まれ)には、明後日行われるフリー・スケーティングでも、最大のライバル同士として最高の演技を楽しみ期待する。彼女たちは、まだ19歳なのだ。
ところで今日の試合で、母親に代わってジョアニー・ロシェットを見守り声援を送る会場の歓声に感動した。

(本ブログ関連:2009年の3/283/298/20

★★★★★ 孫が、小さな鏡を両手に持って顔に近づけ覗き込んでいる写真が届いた ★★★★★

2010年2月23日火曜日

孫と一番

自動車運転練習の息子に付き合う。こちらはゴールド免許証を持つもののペーパードライバーのため、ナビゲーターの示す道順を伝えることぐらいしかできない。

それが済めば、気兼ねなく孫に会える。孫が退院してほぼ1週間後の再会である。病院には連日訪れたが、退院後は養生もあり我慢したため、その間ずっと会えずにいて、いささか気抜けしていた。

孫は母親と一緒に、自宅近くの路上まで迎えに来てくれた。元気さはすっかり元にもどって安心する。今日の新しい仕草は、来月7日に満1歳を迎えるため、両親の「一番」の掛け声に合わせて、頬近くで人差し指を立てることだ。はにかみながらポーズをとるのが可愛い。ときどき、携帯電話するポーズになったりするのがご愛嬌である。
元気な孫に会えてよかった。そして帰り際に、優しく愛らしい顔で送ってくれた。また会おうね。

2010年2月22日月曜日

「みなさん」

イ・ソンヒが、ユン・ボクヒ(윤복희)の歌「みなさん(여러분)」を歌っている映像が、「アルソドン(알소동)」に登録されている。ここでもイ・ソンヒの力強い突き出すような発声に驚かされる。そしてイ・ソンヒのカバーの何と豊なことだろう。
※ 現在、イ・ソンヒによるアルソドンの映像は視聴不可で、Youtube版が可能である。

(YouTubeに登録のyokosuka30、daegu2001に感謝)

最近のユン・ボクヒのライブ映像が「Jingun Fancy World」('07/9/21)に載っている。時の流れを知ると同時に、若い世代の彼女に対する尊敬が感じられて良い。

ところで、上記YouTubeにあるユン・ボクヒの写真は、1979年の第1回ソウル国際歌謡祭コンテストで大賞を受賞した頃に撮影されたものだろうか。そして、ミニスカートを着て帰国したといわれる伝説の彼女の、その姿はいかばかりだったか。


★★★★★ 孫が、赤児用歯ブラシを咥えたまま母親の口元に持って行くほのぼのとした写真が届いた ★★★★★

2010年2月21日日曜日

鴨川漁港海岸

まだまだ寒い季節のため、菜の花の咲く外房鴨川漁港の海岸線に鉱物採集に行くことになった。今回もxаякава氏に同行する。
早朝、津田沼駅で集合して房総半島を横断するまでの間、冬の寒さを感じたが、山並みが解けて空が広がり外房に面したとき、急に空気が穏やかになった。鴨川漁港から巾着山方面の、波音と上空にトンビの鳴き声のする海岸線を探した。今回の成果は次の通り。
・ソーダ沸石、方沸石、輝石かんらん岩、灰重石、角閃石

★★★★★ 孫が、バナナを両手で口に押し込むように元気に食べている写真が届いた ★★★★★

2010年2月20日土曜日

マイク・ネルソン

国際宇宙ステーション(ISS)に長期滞在した宇宙飛行士の若田光一氏が、「asahi.com」(2/17)によれば、NASAのISS運用部門の部門長に3月1日就任予定とのこと。なお、「Yomiuri Online」(1/29)で、米国の予算見直しもあり、ISSを2020年まで利用延長と報じられているので、若田氏の今後の役割は大きいことだろう。

宇宙から地球の海に目を向けると、むかし見たテレビ番組を思い出す。「潜水王マイク・ネルソン(SEA HUNT)」という、今の日本のテレビでは制作できないような番組だ。スキューバ・ダイバーを主人公にしたアクションものだった。

記憶にあるのは、カーク・グラスをちょっとふっくらさせたような、主人公マイク・ネルソンだ。そう、「ハイウエイパトロール」のダン・マシューズ隊長、「宇宙探検」のエドワード・マコーリー大佐、その後に見た「裸の町(The naked city)」の劇中交通事故で亡くなるマルドーン(Dan Muldoon)警部補も、みんな渋かった。
(マルドーン役のJohn McIntireを、YouTubeに登録の「THE VIRGINIAN」で見ることができる)

(YouTubeに登録のSCUBAHUNT、xdreus、VictoriaGreenlyに感謝)

(本ブログ関連:'09/11/24

2010年2月19日金曜日

ごらん、地球は美しいよ

「産経ニュース」の記事「『宇宙で働ける未来がくるかも』子供たちにエール 野口聡一さん会見」(2/19)によれば、国際宇宙ステーション(ISS)に滞在している野口聡一飛行士から、子どもたちに次のようなメッセージが送られている。
「私がここで感じ、伝えたいメッセージは『ごらん、地球は美しいよ』ということ」

「YOMIURI ONLINE」の記事「地球の眺めは抜群、ISSに展望窓が完成」(2/18)によれば、「国際宇宙ステーション(ISS)の居住棟に17日、地球を一望できる展望窓『キューポラ』が完成」したとのこと。
(参考)NASA TV で、クルーが交互に「キューポラ」から眺めを楽しんでいる光景が放映された。

★★★★★ 来月1歳になる孫が、手人形の「まほちゃん」(愛称)にいい子いい子する動画が届いた ★★★★★

2010年2月18日木曜日

春が来る道

春を迎えるのはうれしい。明るく楽しい季節だから、その気配を感じて探す。春の歌も、子どものように、心跳ねながら歌いたい。
パク・インヒ(박인희)の「春が来る道(봄이 오는 길)」(1974年)は、童謡のように優しい。春は、山越えた小道に、野原向こうの故郷の田畑に来る。そして心も春の装いをして迎えよう。

YouTubeに、この歌が登録されている。ひとつはキム・ヒジン(김희진)が歌うものであり、もうひとつはサボテンのスライドショーで聞けるものだ(ブログ「キルクログ(킬크로그)」にリンクされている)。
(YouTubeに登録のwww0433、parkjungjaiに感謝)

(本ブログ関連:1/131/14
(キム・ヒジンという名前は、そういえばキム・サムスンが改名したかった名前。(第10話))

★★★★★ 孫が、オイシイ・オイシイと頬を軽くたたく動画が届いた ★★★★★

2010年2月17日水曜日

ビートルズって何

雑誌「文芸春秋」('09.11)の旧号だが、「ビートルズ全曲制覇10時間」の座談記事の始まりは、本音が聞けておもしろい。(座談者:亀淵昭信[1942年生まれ]、亀和田武[1949年生まれ]、近田春夫[1951年うまれ])

ビートルズに初めて遭遇した世代にも、色々の年齢差があるわけで、音楽ビジネスをやっていた人たちには「最初から商売につながって」いたわけだし、当時すでに「夢のような音楽生活」を作っていた小中学生のアメリカのポップスファンには「拒否反応」があったり、エレキギターの未来的な音にあこがれた耳にはビートルズの生ギターっぽい音が「田舎くさい」印象を受けたという。
「六〇年代の若者がみんな(ビートルズを)聴いていたかのように思うのは幻想」と、シニカルに事例を引いて語っている。

全くその通りだと思う。あるとき若い世代に、「プレスリーに耳慣れていたので、ビートルズってのは不良だと思ったもんだよ」と言ったことがある。すると、こう言い返された。「プレスリーだって不良でしょ」

★★★★★ 食事に満腹した孫が、お尻を振りながらハイハイして逃げる動画が届いた ★★★★★

2010年2月16日火曜日

エセーニン

学生時代に、「平家物語」を読んで貴族や武士が何事にも涙するのに驚いたが、トルストイの小説でもそうだった。農奴を抱える貴族たちがどうして教会で涙するのかと。
そうそう、(韓国)歌謡曲に「涙」が似合うことは言うまでもない。(本ブログ関連:1/24

「内村剛介 ロングインタビュー」に、バレリーナと同乗したブレジネフが車中でエセーニンの詩に啜り泣いたという挿話がある。エセーニンについては、「ブラトノイ」と呼ばれる一匹狼的無頼漢たちにとって唯一のヒーローであると同書で説明されている。エセーニンが酒場に入ってきたときに、ある種の緊張感がその場に走ったのを見たという恩師の話も紹介されている。

(本ブログ関連:”エセーニン”)

「エセーニン詩集」に、そういえば無頼の心情もあって、若い女性に好まれるというのもうなづけるような気がする。若く死んだものは惜しまれ、残ったものがそれに涙する。その涙には困るのだが。

ところで、涙は似合わない内村氏について、学生時代に読んだ文章から古武士のような方だと思ったことを記憶している。出身は茨城県との県境、栃木県那須郡境村大字大木須とのこと。剛健さは母方ゆずりのようだ。

(本ブログ関連:2009年4/7

★★★★★ 退院後、孫が金目鯛の煮付けを美味しそうに頬張る動画が届いた ★★★★★

2010年2月15日月曜日

新世界センタムシティ文化ホール

イ・ソンヒのファンサイト「SunnyLoveCarrot(써니사랑 홍당무)」に、3月のスケジュールが登録されている。
3月3日に、釜山の複合ショッピングモール「新世界センタムシティ」(映像:YTN)の文化ホールで、16時から行事が予定されているそうだが、未だweb上で検証できていない。参考まで。

ところで孫は、午前中の検査結果から無事明日退院の許可を得た。うれしいことであるが、連日孫と接することができたのは、入院のためであり複雑な思いだ。そのため、今日は今まで以上に目一杯遊ばせてもらった。退院おめでとう。

2010年2月14日日曜日

ソルラル

今日は旧正月の元旦(설널)である。韓国の正月連休は、昨日、今日、明日だそうだ。
ところで今晩、「夜光」という鬼が出てくるという。「東国歳時記」(洪錫漠著)の正月の項にある「夜光」の記事に、次のような子ども向けの行事がある。

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俗説に、夜光という鬼が、この日の夜に人家に降りてきて、子どもの鞋(わらじ)をはいてみて、足にあうものを履き去る。鞋を履き去られた主は、一年中不吉であるという。
そこで子どもたちは、これを畏れてみんな鞋をかくし、燈火を消して寝る。そして篩(ふるい)を板間の壁か庭のきざはしにかけておく。というのは、夜光が篩の孔を数えるうちに鞋を盗むことを忘れ、夜明けの鶏鳴を聞いて逃げ去ると、伝えられているからである。
夜光がいかなる鬼かは知らないが、あるいは薬王の音が転じてそうなったのかも知れない。(夜光の朝鮮音は야광、薬王のそれは약광)。薬王像は大へん醜く、子どもたちをこわがらせるから、そうおもわれる。
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大晦日に家宅に侵入してくる秋田の「なまはげ」に似ているが、「なまはげ」は教訓的であり、本来小正月(旧暦一月十五日)の行事だそうだ。また、災いをもたらす鬼の侵入を防ぐという意味では、2月の「節分」の「豆まき」に似ている。
「夜光(鬼)」を含めて、どの鬼も怖いが恐怖ではない、行事に吸収された鬼でしかないようだ。

今日の孫は、食欲を増し、体も自由になり元気を取り戻した。ところで、孫が静かに寝いっているので、両親が売店に行ったところ、目を覚ましたのだ。母親を探して泣く孫をあやすのは難しい。すぐに二人が戻ってきてくれたので安心。しばらく遊んだ帰り際に、母親に抱かれた孫が、何とバイバイと手を振ってくれたのだ。孫は賢いと思う。

2010年2月13日土曜日

バンクーバー冬季オリンピック

カナダのバンクーバーで、第21回冬季オリンピックが開幕した。(カナダ時間12日)
テレビで放映された開会式を、孫の見舞いに行くこともありつまみ食いしながら見た。ドーム競技場ならではの色々な角度からの照明を巧みに使った舞台が見ものだった。
バンクーバーが太平洋に面した西側の都市だとしても、カナダ東側の都市のようにどこかフランスのにおいがこの演出に感じられた。会場で見たら、さぞや幻想的なセレモニーを楽しめたことだろう。

ところで、孫は風邪から順調に回復している。ベッドの傍で一番喜んでくれたのは、メガネの耳にかける蝶番を、鳥の羽の如く揺らして飛んでいるように見せたときだった。最高の笑顔を見せてくれた。早くサーカスを見に行こうよ。

2010年2月12日金曜日

銀河鉄道の夜

今晩遅く、中央線の高架を見ながら自転車で併走したとき、追い抜く電車が一瞬轟音をたてることなく、窓明かりの列が滑るように走りぬける錯覚を覚えた。

そう、小学校低学年の息子と一緒に「銀河鉄道の夜」(1985年)のアニメを見たことを思い出したのだ。映像は全体に暗くかすみ、物語ネコが演じている不思議な映画だった。

ストーリーの中で、鳥を捕る場面の映像が随分と寒々と見えて、寒い季節の物語りのようにも思えたが、宮沢賢治の原作には季節が明示されていないため、Wikipediaは時期を「登場する星座から初夏から初秋にかけて」と推定している。
それでも銀河鉄道は、寒い冬の夜にも見えたりする。今度は、今晩病院のベッドで風邪と戦っている幼い孫と一緒に、このアニメを見たいと思う。

(YouTubeに登録のorikurayayoiに感謝)

2010年2月11日木曜日

ジリオラ・チンクェッティ

いっとき暖かい思いをしたものの、冬雨の寒さに戻ってしまった。春はまだ遠い。
イ・ソンヒが誕生した年の1964年にサンレモ音楽祭で「夢みる想い」を歌い優勝した、ジリオラ・チンクェッティの歌に「」(1969年)*がある。どちらも懐かしく、思い出を誘う曲だ。
(*)「雨」の当初Youtubeリンク先が削除されたため更新した。

(以下は、当初Youtubeリンク先情報をもとに作成)
YouTubeに登録の「雨」の(詳細)に歌詞が載っている。愛があれば雨なんか関係ない、心の中に火があれば冬なんか怖くはないと歌っているようだ。この曲を聞いた当時、歌詞などわからないものの、イタリア、地中海そして(雨というより)明るい空といったイメージでしかなかったが、そんなにはずれてもないようだ。

(YouTubeに登録のtengokuemaki、tengokuemakiに感謝)

2010年2月10日水曜日

キム・ジョンミ

イ・ソンヒの代表的な歌のひとつである「美しい江山(아름다운 강산)」の原曲について、「サプライズ(서프라이즈 )」の記事「美しい江山 最初の原曲聞いてみましょう」(2/8)に経緯が語られている。

この曲を「健全歌謡」のイメージとは異なり、1973年「NOW」に収録されている官能的なキム・ジョンミ(김정미)の歌をサイケデリック ロックの観点から、大衆音楽評論家カンホン(강헌)が解説している。
・「美しい江山」のオリジナルボーカルがキム・ジョンミということは、大衆的にあまり知られていない。(バンドThe Men(더멘)と共による版とソロの版がある )
・キム・ジョンミの「美しい江山」を聞けば、今までの「健全歌謡」のサウンドが完全にひっくり返る破格的な響きに聞こえてくると記している。

(付記)
・「サプライズ」記事の下側にある再生ボタンで、キム・ジョンミの「美しい江山」を聞くことができる。
・作曲者のシン・ジュンヒョン(신중현)について、本ブログの2009年の11/7に記載。
・YouTube画面のキム・ジョンミの歌の終わりは、キム・ジョンホ(김정호)の「見知らぬ少女(이름 모를 소녀)」につながる。
(YouTubeに登録のomophronに感謝)

(参考)
ブログ「sekifu」に、シン・ジュンヒョン、キム・ジョンミについて詳細な解説がある。(「Kim Jung Mi のこと (1) 」 、「Kim Jung Mi のこと (2)」)

(本ブログ関連:"「美しい江山」の変貌"、"7080世代の好きな曲")

2010年2月9日火曜日

孫と冬晴れ

今日は快晴で、都心の気温が21℃と4月下旬並みの暖かい日和だった。それが明日は一転して、冬の寒さに戻るという。
息子の運転で小金井公園に行くと、昨日までの寒さを忘れたように明るい日差しを受けた梅林の所々に白梅と紅梅が花を咲かせていた。この後、久し振りに孫に会いに連れて行ってもらう。

この陽気につられたかのように、孫は笑顔を振りまいて迎えてくれた。1ヶ月振りの孫は、この間にすっかり幼児顔になり、ますます愛らしさを増していた。
昨日まで具合が良くなくて、笑顔が乏しかったそうだが、今日は両親が驚くほど元気に動き回っていた。ハイハイで母親から逃げながら、部屋の奥に行くと振り返って母親を探す仕草が可愛い。孫はその愛らしさを、見守る全ての眼に分け与えてくれる。

2010年2月8日月曜日

ミスターロンリー

昔、夜中にFM放送から流れる、「ジェットストリーム」を何度聞いたことだろう。城達也の今となっては正統で古典的な語りで始まる、静かな心地よい音楽(イージリスニング)番組だった。
学生時代、デパートの歳暮配送アルバイトのため、友人の下宿に泊り込み、夜中にこの番組を聴きながらジェット旅客機に乗りたい、海外に行ってみたいと語り合ったことを思い出す。

番組のオープニング曲「ミスター・ロンリー」(ボビー・ヴィントン)は、イ・ソンヒが誕生した1964年に発表された。
・「ミスター・ロンリー」はWikipediaによれば、1964年に全米チャート1位を獲得している。
・この曲の歌詞翻訳を紹介している、ブログ「lyrics and music 洋楽で英語を楽しむ」にベトナム戦争の(当時徴兵制度による)兵士の心境と関連付けて説明されている。
・YouTubeに投稿の言葉に胸が痛む。

(YouTubeに登録のiwafrank、62angeloに感謝)

2010年2月7日日曜日

孫とおにぎり

孫が凄いことになっているというメールをお嫁さんからいただいた。つくっておいた「おにぎり」を、<少し目を離した隙に、テーブルの上からどうやって取ったのか、床の上でご飯つぶをばらまきながら食べてます>、というのだ。
メールに添付の動画を見るとなるほど、孫は床に座って口の周りと服の両手両足に飯つぶを付け、声を上げながら、手の中に残っている「おにぎり」を口に運ぼうとしている。やがて気配を察したのか、どうしたらよいか戸惑うように泣き声に変わっていく。どうもまずいことになったと感じたのだろう。孫にとって、「おにぎり」との最初の遭遇が、こんなことになってしまい可愛いくてたまらない。
メールの最後に、<どんどんやんちゃになって、嬉しいやら悲しいやら鍛えられる毎日です>と、孫を暖かく見守る言葉が綴られている。

2010年2月6日土曜日

卒業式

韓国では2月に卒業式、3月に入学式と、日本より1ヶ月早く実施するようだ。
卒業式の歌といえば、イ・ソンヒの「さようなら私の友よ(안녕 내 친구야)」(歌詞) を、ブログ「カテゴリー 国内歌謡を歌手別に分類中~~^^* 」で聴ける。

それから、チャン・ユンジョン(장윤정)が歌う「女高卒業班(여고 졸업반)」も。 (本ブログ関連:2009年の10/15
(YouTubeに登録のnaragoyoに感謝)

(参考)
ソウル地域の中学校の卒業式で、大学の卒業式のようにガウンと角帽による「学位服卒業式」を相次いで実施しているそうだ。(jo!ns記事(2/7))

2010年2月5日金曜日

80年代へヴィメタル

へヴィメタルについてサッパリである。KISSとか聖飢魔IIしかイメージできないが、聞いたことはない。まして韓国のへヴィメタルも全然だが、80年代初頭、イ・ソンヒが高校時代に夢中になったという情報を本ブログ(1/17)に記したので、YouTubeに次の通り探してみた。
しかし、こんな感じの曲をイ・ソンヒは聞いていたのだろうか。
・Baek Doo San(ペク・トーサン:백두산
・Sinawe(シナウィ:시나위
(YouTubeに登録のWatereel、penzalpainに感謝)

2010年2月4日木曜日

立春2010

今日は暦の上で春の初め、立春である。小金井公園の梅林も一部花を咲かせているが、太陽が雲に隠れるとまだまだ寒い。

「東国歳時記」の立春の項に、「立春の日、春に宜(よろ)しき字を門に貼る」(荊楚歳時記)を引いて、「春聯(れん)を貼り、立春を祝う。これを春祝という。」と記している。

立春にかかわる来歴が記載されているが、民間の慣いの部分を抜書きする。
「民間でも柱や門楣(もんび)につぎのような文例の対聯を書いて貼る。」(次の対の中から選ぶ)

寿如山 富如海
去千災 来百福
立春大吉 建陽多慶 ← ポピュラーのようだ。(입춘대길 건양다경)
尭之日月 舜之乾坤
愛君希道泰 憂国願年豊
父母千年寿 子孫万代栄
天下太平春 四方無一事
国有風雲慶 家無桂玉愁
災従春雪消 福逐夏雲興
北堂萓草緑 南極寿星明
天上三陽近 人間五福来
鶏鳴新歳徳 犬吠旧年災
掃地黄金出 開門百福来
鳳鳴南山月 麟遊北岳風
門迎春夏秋冬福 戸納東西南北財
六鰲拝献南山寿 九竜載輪四海珍
天増歳月人増寿 春満乾坤福満家

「歳粧(ソルビム:설빔)して(門扉の左右に貼られた)春聯の前に立つ子どもたち」との写真がある。

(参考)
「文化日報(문화일보)」の記事「立春大吉(입춘대길)」(2/4、ファン・ソンギュ(황성규)論説委員)

(追記)
「chosun.com(朝鮮日報)」の記事「幸運を願って…」(2/2)、「jo!ns(中央日報)」の記事「立春大吉、春よ来い!」(2/5)に写真がある。

2010年2月3日水曜日

孫と節分

4日後に11ヶ月になる孫が、初めての豆まきを済ませたかどうかメールしたところ、父親のオニの面に向かって、伏目がちに「う、う、う~ァ、う~ァ」といいながら豆袋を振り回している孫の動画が送られてきた。
「豆を一応投げています」という母親の声が聞こえる。この14秒の動画には、若い家族の幸せが一杯詰まっている。

イ・ソンヒのスター誕生

「時事今日(시사오늘)」の記事「歌謡界最高のスターを誕生させた歌」(2/2:パク・チスン(박지순)記者)に、イ・ソンヒが「Jへ」をもって登場した経緯が整理されている。その中で、新たに知った話題は次の通りである。

・第5回「江辺歌謡祭」で大賞受賞した際、4幕5場デュエットとして共に歌ったイム・ソンギュン(임성균)が仁川専門大機械科2学年だったこと。(なおイ・ソンヒは同大環境管理課1学年で当時21才だった)
・デビュー当時の彼女のスタイルの事情を、第1集LPジャケット裏表の写真で説明。
・イ・ソンヒが高3のときに通った、「チャン・ウクチョ(장욱조)音楽室」のチャン・ウクチョが、「チャン・ウクチョとコインドル: Jang, Wook-Jo & A Dolmen 」として活動したこと。
(コインドル(고인돌)は新石器時代末期の支石墓のことで、ちなみに「コインドル愛好会」というホームページがある。)

(本ブログ関連:全て2009年の4/136/76/88/48/2510/210/1711/1411/2911/30 【付録】10/5

2010年2月2日火曜日

イ・ソンヒの小学生時代

イ・ソンヒの子ども時代の音楽環境を知りたいが、それを進めるヒントがなかなか見つからない。
昨年4月のいくつかのニュース記事に、イ・ソンヒが出演したMBC「黄金漁場」トーク番組で、小学校6年まで寺に住んでいたと語ったことが報じられている。

一部ブログでは、父親が(仏教)太古宗で梵唄の指導をしていたと紹介している。太古宗の場合、妻子の住まいは寺院の外にあるといわれているので、「寺に住んだ」というのは具体的にどのような空間のことだろうか。例えば、居宅が寺院敷地の近辺にあったのか、それとも寺院につながっていたのか。

また、イ・ソンヒの公式ホームページHOME > Biograph > 프로필)では、梨泰院初等学校(이태원 초등학교)を卒業ということで、ソウルの初等学校が考えられる。梨泰院近くにあって、通学範囲のいずれの寺が、彼女の居住した寺ということになるのだろうか。また、本籍地の保寧からソウルへ転校したのだろうか。もしそうなら、その時期はいつか。あるいは、本籍地での居住経験はないのか。

どちらにしろ、父親が梵唄を指導していたと仮定して、それを身近に感じていたというのが一番わかりやすいのだが。

2010年2月1日月曜日

今冬の初雪は、1/12に降った「みぞれ」だった。つまり、初雪の範疇にみぞれも入るわけだ。しかし今晩、正真正銘の雪が降り積もっている。
asahi.comの記事「都心もうっすら積雪 関東甲信、朝までに大雪の恐れ」(2/1、22時24分)に、気象庁「によると、2日午前6時までの予想降雪量は(略)。東京都心でも2日明け方までに3~5センチの降雪が予想されるという。」とのこと。

明朝、初めて雪景色の世界を眺める孫に、それがどのように見えるか楽しみである。

(追記)
今日の午後は雨降りもあり、外出できなかった孫がなかなか寝付かないと、お嫁さんからメールをいただいた。メールに添付の動画に、次のようにやさしく誘う母親の声が聞こえるが、孫は寝てくれない。
「眠たくない? ・・・ 寝ないの? ・・・ 眠くなってきた? ・・・ 寝ようか? ・・・ ネンネする?」
やっぱり、可愛い孫は寝てくれない。

2010年1月31日日曜日

鉱物のつどい

鉱物の会(栃木)の本年最初の集まりに参加する。会場が南宇都宮のため、早朝に家を出る。満月翌日の丸く赤い月が、西の空低くかかっていた。まだまだ寒さは厳しい。

主テーマの本年の進め方のほかに、次のような解説と標本提供があった。
・「劈開」についての解説と合わせて、水晶の劈開が結晶表面ではなく、結晶内部に(C軸に平行に劈開面ができ、先がフカヒレ状に広がって)存在することを標本で観察した。これまで、水晶をきちんと見ていなかったことを反省する。
・また「南田(のうだ)石」、「海緑石」と「溶結凝灰岩」、「こぶり石(菩薩石)」の解説と標本までいただく。
および「斜開銅鉱」、「鉄斧石」の標本をいただく。
・ユーモア標本として、好物名「メレンゲ」の手作り菓子が配られた。(標本は、現在胃中にある)

採集地の情報をいただいた。
・紫水晶の産地、「富井鉱山」の産地情報をいただく。従来の採集ルートとは別ルートのヒントを入手した。(毎月xаякава氏と鉱物採集しているが、来月の候補地を富井鉱山にしようということで一致した)

2010年1月30日土曜日

離れ部屋

先日(1/26)、神保町の韓国専門書店で入手した小説「離れ部屋」(申京淑著、安宇植訳)を今日からを読み始めた。(「朝鮮仏教史」鎌田茂雄著も合わせて入手)

第1章の出だしに、第1回「大学歌謡祭(학가요제)」(1977年)で大賞受賞したグループSand Pebbles(샌드 페블즈)の曲「わたし、どうしよう(나 어떡해)」(歌詞)について物語っている。外の世界(都会)とは縁遠いところにいる16歳の少女にとって、この曲は驚きであり、「思わずからだが竦(すく)むくらいびっくりして、ラジオのスイッチを切ってしまった。」ものだったが、歌詞中にリフレインされる「ナ オットケ」が気になり、拒絶していたもののやがて歌うようになっていく。
物語は始まったばかり、これからどうなるか楽しみである。

(YouTubeに登録のorienkoreanに感謝)

(付記)
maniadbの解説によれば、「Sand Pebbles」の登場は、以後80年代までグループサウンドの全盛期を開く出発点となった貢献を記している。
・「申京淑」については、本ブログの'09年の6/77/24に記載。

2010年1月29日金曜日

しかけ絵本

孫に絵本をプレゼントしたいが、まだ10ヶ月を越えたところなので、本に遊びがなければならないだろう。そこで、見て楽しい「しかけ(細工)絵本」を探している。

1月の絵本は、ヒヨコの羽毛、サメの肌、カメレオンの舌など触ったときの感触を模擬できるもので、文字はほとんどなくて、動物の姿絵を見て、触って楽しめる絵本だ。
ところで絵本は紙で作られているので、子どもの手で容易に破けてしまうが、それでよいと考えている。孫は絵本を楽しそうに触る分、ちゃんとしかけを破いてくれる。大いに結構、本に親しんでくれればよいわけだから。

2月は、孫が手持ちできる程度の小型の絵本で、いろいろな色を細工を通して楽しめるものだ。いづれしかけ絵本に慣れたら、次は物語絵本に関心を向けてくれれば良いと思っている。

ところで、最近のしかけ絵本はスゴイ。凄まじいほどの細工が施されている。喜ぶのは大人なのかもしれないものがある。
(YouTubeに登録のmakototosotoyamaに感謝)

2010年1月28日木曜日

7080世代の好きな曲

一昨年のことであるが、KBS1音楽番組「コンサート7080(콘서트 7080)」は200回放送('08.11.3)にあたり、全国の満39歳以上~59歳未満の男女ネットユーザー1,988人を対象に、70〜80年代の国内歌謡の中から好きな曲を、10曲以上30曲以内で選んでもらった。(hanafos_shopKBS World掲載より)

1位~10位の結果は次の順の通り。
・ヤン・ヒウン(양희은): 朝露(아침이슬)
・キム・ヒョンシク(김현식): 私の愛、私のそばに(내사랑 내곁에)
・チョー・ヨンピル(조용필):友よ(친구여
・オニオンズ(어니언스): 手紙(편지
・イ・ヨン(이용): 忘れられた季節(잊혀진 계절)
・ソン・チャンシク(송창식): 鯨狩り(고래사냥)
・シム・スボン(심수봉): あの時、あの人(그때 그사람)
・ノ・サヨン(노사연): 出会い(만남)
イ・ソンヒ: Jへ
・キム・ジョンホ(김정호): 見知らぬ少女(이름 모를 소녀) 【ケイ・ウンスクのコンサート版も良い!】

(YouTubeに登録のakirafuse、VetteCruiser63、orienkorean、cfs814539に感謝)

2010年1月27日水曜日

韓国仏教について

韓国仏教の概要を、日本の仏教と対比して紹介している論文「韓国仏教の特質 : 日本仏教のそれとの対比において」(前田 恵學著:愛知学院大学文学部紀要 6 、1976)を読む。
日本と韓国の仏教の相違を、「結び」の中で端的に「選択の仏教と総合統一の仏教」と語っている。
・「日本仏教では多数の経典や教説の中から最もすぐれた一つを選びとり、完成した人が宗祖として尊敬せられる。」とし、鎌倉時代を、「それまでの輸入移植の古代仏教を革新し、真に日本的な仏教を成立せしめた時代」と特筆している。
・「韓国仏教では、異なった特色を有する多数の宗派や潮流を会通し融合調和させた人が仰がれる。」とし、「朝鮮半島における(仏教の)関心は、中国においてすでにいくつかの宗派や潮流に分かれていた仏教を、いかに総合し会通するかに関心が向けられていた」という。

仏教の素養全くないが、韓国仏教についてこれから調べてみたい。イ・ソンヒの音楽環境のヒントを知りたいからだが・・・。(本ブログ関連:'09/11/7

(付記)
ところで、韓国の寺刹は檀家制度ではないそうだ。(「朝鮮仏教史」鎌田茂雄著)

2010年1月26日火曜日

みかん

NHKテレビで、近年ミカンの売り上げが減少傾向にあると紹介されていた。市場の仲買人がインタビューに答えて、家族で炬燵を囲む生活スタイルが減ってきていることを要因にあげていた。ミカンと平行して炬燵も売り上げが減少しているグラフが表示された。
炬燵の四方にひとが座ったらテレビが見えませんねと、司会者が語っていた。テレビのせいだけではないだろうが、みなで炬燵に暖まり、ミカンの皮をのんびり剥きながら、談話する余裕までなくなったのだろうか。

ところが、要因はそれだけではなくて、ミカンの皮を剥くこと自体面倒だとか、女性の爪(のマニュキア)を汚すからとか、いろいろ説明されていた。ティッシューをミカンにかぶせて皮を剥いている映像を見たときには、さすがにたまげた。実際、こんなことをしているのだろうかと思ったりもしたが。
しまいには、皮剥き済ミカンの商品まで登場した。時代は変わってしまったと思わざる得なかった。

足腰を炬燵で暖めて、ちょっと喉が乾いたとき、冷たいミカンを食うのは美味い。ファンヒーターで部屋全体暖めたときは、それこそオレンジジュースとか、アイスクリームが合うのかもしれない。

テレビを見て思い巡らし、炬燵から抜け出て、台所のミカンを炬燵の上に運んだ。そして立て続けミカンを食った。炬燵で食うミカンはやっぱり美味い。

(付記)
神保町の韓国関連の専門書店で、太古宗の寺院リストを見せていただいた。イ・ソンヒの父親が仏教音楽「梵唄」(ぼんばい:범패【参考:NAVER百科事典】)の伝授をしていた寺院を知りたかったからだ。(彼女の歌唱に仏教音楽の唱法が影響しているかヒントをつかみたい)
父親の寺院があるのは、彼女の本籍地の保寧なのか、それとも小学校を通ったソウル梨泰院地区近くにあるのか、候補をあげたかったからだが・・・難しい。
(本ブログ関連:'09/12/261/7

2010年1月25日月曜日

天の賜物

イ・ソンヒの歌唱について、小柄で信じられないほどの<爆発的な歌唱力>、<清々しい高音と突き出す直接的声量>と讃えられることが多い。

イ・ソンヒが、昨年初('09.1.4)のKBS2「ハッピーサンデー-不朽の名曲スペシャル」の番組に出演した際、司会の「20年前と声が変わっていない」という問いかけに対して、「私の声は、天がくれた贈り物」とこたえている。ただし、「普段、声を大きく出す方ではない」と声を大切にする生活習慣を語っている。(eNewstoday:2009.1.4

そして他番組でもそうだったが、現在の人生を語る彼女の静かでシャイな話しぶりこそ、いわれる上記イメージを内包しながらもそれを既に脱却している根拠となるのかもしれない。
彼女の新しいアルバムや、ツアーコンサートについて、今年も話題が早く出ることを待っている。

(本ブログ関連:全て2009年7/258/2711/7

2010年1月24日日曜日

歌謡曲の語彙

国立情報学研究所の「論文情報ナビゲータ(CiNii)」で「韓国歌謡」を検索してみたところ、「韓国歌謡曲の語彙の頻度分析」(劉 美貞、大分県立芸術文化短期大学研究紀要 43, 151-167, 20060131) という論文を見ることができる。

1920年代から1990年代までの歌謡曲について、語彙分析して頻出度合いの高い語彙を紹介している。当然ながらイ・ソンヒの「Jへ(J에게)」も含まれる。
そこで分かりやすい「情意」に関する語彙について見ると、次のもがあげられている。
・高頻度:「사랑(恋)」、「사랑하다(愛する)」、「울다(泣く)」、「눈물(涙)」、「아(ア)」
・形容詞:「슬프다(悲しい)」、「그립다(懐かしい)」

CiNiiは学術論文など信頼度の高い資料をいろいろと検索できる。

2010年1月23日土曜日

坑夫

日頃、鉱物採集に出向く茨城県の錫高野(すずごや)は、高取鉱山と背中合わせである。錫高野の名の通りスズ石、および鉄マンガン重石(タングステン)などを採取できる。一方、高取鉱山は現在も排水処理が行われており、一般の入山禁止である。

高取鉱山を舞台にしたといわれる小説に宮嶋資夫著の「抗夫」(大正五年、1916年)がある。茨城県の鉱山に関わるものをチェックしていて、同県の筑波書林という地方出版社の「ふるさと文庫」シリーズの1冊として収められているものを見つけた。
⇒同小説は、日本ペンクラブの「電子文藝館」のpdf版で読むことができるのを発見!!

小説は、血と腕力の主人公の抗夫が、行き場のない苛立ちのまま、暴力と本能を頼みに生きようとする物語である。当時の抗夫の悲惨さは、主人公の父親が抗夫病(よろけ)になり死期を覚り行方不明になること、頭上を掘り進んだ岩が砕け落ちる事故死などに描写されている。生きるだけしか許されず、生き方を獲得できなかった抗夫達は、にもかかわらず姑息さと狡さにしか身を処することができない。アウトローの主人公はそれを本能的に嗅ぎ取る。そして血の固まりになり、抗夫仲間の惨たらしい仕打ちの中、主人公は最後をむかえることになる。

⇒CiNiiに、西田勝氏による本作品の<解説(NHKラジオ放送の速記録に加筆)>pdfがある。

作品中の鉱物描写の部分を抜書きする。
「彼の前には刳(えぐ)られた山の肉の断面が立っている。赤黒い母岩を貫いて走っている真白い筋のような、やや傾斜した硅石の脈の中には、オルフラマイトが石炭のように光っていた。真鍮色の硫化鉄や金色の銅、緑の鮮(あざや)かな孔雀石も鏤(ちりば)んでいる。小さな剣を植えたような透明六方石のスカリは、所々に氷のような光を放っていた。カンテラの焔(ほのお)がゆらめくと樋(ひ)の内は仏壇のように美しく輝いた。」
・オルフマライト: 鉄マンガン重石
・硫化鉄: 黄鉄鉱など
・金色の銅: 黄銅鉱?
・透明六方石: 水晶
・(スカリ: 不明)

ところで、小説では舞台を池井鉱山としているが、高取鉱山は池内鉱業所と呼ばれていたと、上記書籍「抗夫」のあとがきに記されている。また宮嶋資夫は高取鉱山の現場事務員として働いたことがあると、上記<解説>に記されている。
小説の中で野州鉱山の事件(暴動)について触れる箇所があるが、足尾銅山の鉱毒事件のいきさつを喩えたものか?
(ただし野州鉱山は栃木県足尾銅山近くに個別にも実在する)

2010年1月22日金曜日

イカロス

中学時代、教壇から見て教室の後ろ側の席に座っていた。授業に気乗りしなくなると、図書室から1巻ずつ借りていた美術全集本を取り出しては、膝の上に載せて隠れるように眺めていた。お気に入りは、北方ルネッサンスの巻だった。

代表的な画家ファン・エイク(兄弟)やデューラーは、その正統さに好奇心をくすぐられることはなかった。もっぱら奇妙な画風の画家にひかれたものだ。ボッシュからブリューゲルと、グリューネバルトあたりだった。(もちろん、デューラーの銅版画「メランコリア」には、好奇心を傾けた)
また同美術本に写真で納められた、ドイツ教会彫刻(木彫)の執拗な細密さに驚嘆した。

特に興味を持ったのは、ピーター・ブリューゲル(父)だった。ボッシュの系譜の怪奇な要素と、風刺の効いた庶民の諧謔さの要素に、もっぱら関心が向いた。絵画の中に配置された、ひとこまひとこまを謎解きのように楽しみ見るだけで、授業の退屈さから逃れることができた。
当時、ブリューゲルに「農民画家」という感想を思い浮かべることはなかった。 (むかし「農民画家」といわれたことと、庶民史に通じた現在の「農民画家」の解釈は当然異なるだろう)

後に、ポスターサイズの写真や絵画が流行った時期に、ブリューゲルの作品「農家の婚礼」と「農民の踊り」の印刷物を購入して部屋に飾ったりもした。
また最近では、彼の絵は図象学に囚われているようで、近寄りがたい画家になってしまった。反面、市民講座では人気の画家である。

ブリューゲルの作品に「イカロスの墜落のある風景」がある。<ロウ>で固めた羽をつけたイカロスが上空に飛び、太陽の熱で<ロウ>が溶けて海に墜落したギリシャ神話を題材にしている。その絵は、イカロスがどこにいるのかと探すほどにドラマチックではない。作画同時代の日常風景が(意味を持たせているのだろうが)描かれている。

ところで、宇宙航空開発機構(JAXA)が本年度打ち上げ予定の小型ソーラ電力セイル実証機を「IKAROS(イカロス)」と命名している。太陽の光を受けて、金星軌道に向かって宇宙を航海するというが、神話の通り太陽の方向に近づいていくのだ。この実証機イカロスへのメッセージを公募しているが・・・。

★★★★★ 孫がテレビCMに夢中になり母親の呼びかけに一顧だにしない動画が届いた ★★★★★

2010年1月21日木曜日

イ・ソンヒとジャージャー麺

イ・ソンヒの仁川専門大学時代の音楽活動は、同大学で属した「4幕5場」チームとしてMBC「第5回 江辺歌謡祭」に出場し、大賞を受賞したことなどで知ることができる。
ところで、その当時の一般学生から見た彼女の姿が、次に紹介するブログに語られている。

ブログ「私の人生が暖かかった日々(내 인생이 따스했던 날들)」(2009/1/5)に、イ・ソンヒが通う大学の1年後輩だった記述者が、校内食堂で初めて彼女を見たときの感想が綴られている。
・イ・ソンヒを探しに校内食堂に入ったが、いくら見回しても見つからなかった。
・メガネをはずして、ジャージャー麺を熱心に食べている小さな女子学生が一人いた。その女学生が全部食べて立ち上がり眼鏡をかけると、ああイ・ソンヒだった。

新入生歓迎会で見たイ・ソンヒの歌に、鳥肌がたったにもかかわらず、日常のイ・ソンヒに接するととても地味で平凡に見えて驚いている。(いささかフレンドリー過ぎる表現が上記ブログにはあるが・・・)
いまどきの作られたアイドルとは違い、イ・ソンヒのスタートはそれほど自然だったといえる。

2010年1月20日水曜日

大寒2010

暦は「大寒」ながら、今日はゆるりと暖かいようで、孫も寝起きがご機嫌よく、日中散歩の足を少し遠くに伸ばすとのメールをいただく。

この「大寒(대한)」については、中都日報(중도일보)の「節気の話」(1/20)の中で、アン論説委員が次のよう解説されている。大寒は一年の終わり、二十四節気の最後の節気であること。それにまつわる食事や、次の節気「立春」前日の豆まきで年の終わり感じること、そして寒さに耐える梅などを縷々述べられている。
豆まきといえば、孫が父親の鬼の仮面にチョップしている、いい具合の写真がメールに添付されていた。それに、昨日公園で、一部花開いた梅を見てきたと、頭の中で話をつなげる。

(付記)
「東国歳時記」(洪錫謨 著)、十二月の「臘享」の項によれば、「李朝においては、冬至から第三番目の未(ひつじ)の日を臘日と定め、宗廟、社稷で大祭がおこなわれる。」と記されており、臘日は明日に相当する。
※「(납)」について、Wikippediaに「つなぎあわせる」の意と説明している。
ところで広辞苑では、「臘」を「①冬至の後、第3の戌(いぬ)の日に行う祭。猟の獲物を先祖百神に供える ②年の暮れ、陰暦12月の異称、・・・」と記している。「東国歳時記」にある未(ひつじ)と、戌(いぬ)の違いがある。

(追記)
asahi.comの記事(1/20、20:53)によれば、「東京都心でも平年より7.8度高い17.3度と4月上旬並みの暖かさ」だったとのこと。

2010年1月19日火曜日

公園の梅

今日、明け方の冷え込みもゆるく、久し振りに小金井公園を散歩する。春の兆しを楽しもうと、暖かい陽を受けて人々が訪れていた。

公園の一角には梅園の区画があり、大方は芽が膨らんでいる(写真左)ものの、一部に白い花弁を開いて(写真中)いた。幹に「長寿」の名札がついていた。その他に、「八重冬至」、「芳流閣」などの名の梅も白い花を咲かせていた。

梅園の西側に、ソシンロウバイ(素心蝋梅)の薄黄色の花(写真右)が、ほんのりと穏やかな香りを漂わせていた。Wikipediaによれば、「蝋梅」の梅の字から、「梅」(バラ科サクラ属)の仲間と誤解されやすいが、ロウバイ科ロウバイ属の落葉低木とのこと。





2010年1月18日月曜日

wantusong

子ども向けの歌に「wantusong」(歌詞)がある。フラッシュアニメを用いたそうで、キャラクターも可愛く、テンポの早い愉快な曲だ。
子ども+おとなの合唱を、少し速度をあげて再生しているのだろうか。それに、子どもが好きな言葉の繰り返しが使われている。「ワンチュ ワンチュ(원츄원츄)」が随所に出てくる。(繰り返しが好きなのは子どもだけではない、「Gee Gee Gee Gee」というのもあることだし)
Wikipediaには、「猟奇ソング(엽기쏭)」のひとつとしてこの曲が載せられていて、「猟奇」は流行語の「いたずらじみた」に当たると説明している。以前、本ブログ(2009/2/24)に記したうさぎ「マシマロ」も、その範疇に入る。
(YouTubeに登録のchloe1024に感謝)

2010年1月17日日曜日

おかっぱ頭のイ・ソンヒ

京郷新聞(경향신문)の「京郷プラス」(2004/8/4)に、イ・ソンヒの20周年記念コンサート(世宗文化会館大劇場)に当たってのインタビュー記事がある。
1980年代初頭、新村(신촌)にあった、ひたすらヘビ・メタルだけ聞かせるカフェ「レジスタンス(레지스탕스)」に、おかっぱ頭の女子高生イ・ソンヒが通っていたというのだ。当時の彼女は、「それは、メタルが世界のすべてであると思っていた」という。彼女のイメージとギャップがあって可愛らしくおかしい。
本ブログ(1/7)の「イ・ソンヒの高校時代」に、当時イ・ソンヒが歌っていたのが、シン・ジュンヒョン(신중현)の「美しい江山(아름다운 강산)」や、キム・テファ(김태화)の「さようなら(안녕)」だったという情報を記した。これはヘビ・メタでは? さて当時、どんなヘビ・メタを聞いていたのだろう。
なお同記事には、彼女の声量(歌唱力、歌唱法)について、録音時とライブ時では違うという説明があるのが興味深い。(伝説に、彼女の発声のパワーでスピーカーが壊れたというものがある)

★★★★★ 孫が首を横に振ってイヤイヤする「動画」がついに届いた ★★★★★

2010年1月16日土曜日

孫と手押し車

孫が<手押し車>を押しながら歩く動画メールが届いた。お嫁さんのメール文には、感涙の絵文字が10個もついていたし、動画から「わぁ、凄い!」と喜ぶ声が繰り返し聞こえる。
とうとう歩くための第一歩を踏み出したわけだ。それにしても、孫の成長振りには驚かされる。

そういえば、最近のメールで知る孫の様子は、もっぱら動画が中心になった。孫は、じっとしていることがないのだから。写真といえば、なるほど寝顔や抱きかかえたものが多い。これならば、写真でブレることがない。
男の子だからか電車の中で喜んでいる笑顔、お尻をフリフリしながらハイハイする姿、橋の欄干につかまり立ちして小川の鯉を観察している様子、そして手押し車を押し歩く光景など、どれも動画ならではである。動画は、その時期その場に立ち会ったような臨場感を与えてくれる。

家門の栄光

いつもDVDレンタル店で、映画「家門の栄光(가문의 영광)」を探しでいた。ところが、Gyaoの「ドラマ・アジア」の番組案内に、「大変な結婚」というタイトルで載っていたのだ。見つからないはずだ。早速、online鑑賞させていただいた。

「家門の栄光」は、「家門シリーズ(3部作)」の第1作である。第2作は「家門の危機」で、昨年(2009/10/22)、韓国文化院で鑑賞した。第3作の「家門の復活」は未見である(ストーリーは第2作の延長らしい)。
第1作と第2作は、配役構成を次のように入れ変えているが、家門というヤクザの軸はそのままである。
・第1作は、ヤクザの親分である父親に育てられた娘ジンギョン(3人の兄弟がいる)と、ソウル大法学部卒のベンチャー企業CEOの男性デソとの物語である。
・第2作は、ヤクザの親分である母親に育てられた長男(2人の弟がいる)と、暴対担当の女性検事との物語である。

ところで、第1作と第2作では、イ・ソンヒの「私はいつもあなたを(나항상 그대를)」が、登場人物によってピアノ弾き語りされる。
・第1作は、主人公のヤクザの娘ジンギョン(キム・ジョンウン(김정은))が、揺れる心のまま愛を打ち明けるようにピアノを弾き語りをする。切なく不器用なジンギョンの想いが表現される大事な場面である。
・第2作は、検事の女性に一方的な片思いの上司の男性検事が弾き語りをする。こちらは、むしろ滑稽さとむなしさだけが響く作り方をしている。

YouTubeではこの曲「私はいつもあなたを」を、イ・ソンヒとキム・ジョンウン以外にも、ジュンス、ユンナ、ソン・ダムビ、チャン・ユンジョン、ユリなどが歌っているのを見ることができる。

(YouTubeに登録のpops8090、lsh1004732に感謝)

2010年1月15日金曜日

子どもの力

最近のTVコマーシャルには、子どもタレントが目につく。例えば、基幹産業というべき自動車会社のコマーシャルは露出量が多いだけに、その姿が目立つ。
この鬱々とした時世、挽回の秘策が子どもにあるのだろう。同じこと、戦後の荒涼とした中で、美空ひばり(8歳で初舞台)が果たしてくれた。子どもの成長力と限りない可能性は、閉塞した時代を開く門戸なのかもしれない。

他国の事情はわからないが、子どもの力は同様だろう。なぜなら、育ち育てる鏡の関係はかわらないのだから。そこには希望がある。
YouTube にウクライナ(1991年独立)の少女Assol(アソール)が歌う姿がある。1994年に生まれた彼女は現在、ティーン・シンガーだが、2002年の幼い8歳ころに歌った「Vkraino moya」に、民族の自信と誇りの香りがする。(言葉がわかればよいが、感想だけなのが残念だ。)
それだけではない、「Mama」には子どもらしい甘える愛らしさもある。映像も微笑ましい。(「(概要)」に英訳あり)
(YouTubeに登録のAssolinka、NoseySOBに感謝)

2010年1月14日木曜日

「春」

NATE動画(동영상)に、イ・ソンヒが童謡のように歌う「春()」(歌詞が登録されている。作詞・作曲はイ・ヂョンソン(이정선)である。
80年代に放送された映像だそうで、若々しいイ・ソンヒが、「ぽム ぽム ぽム ぽム ぽみわっそよ」と軽やかに春が来たことを歌う。
春は色々なところに来る。そう、外灯の影の下にも。(昨日(1/13)ブログに書いた沈丁花のように)春を感じる、時と場所にリアリティがあってよい。

ところで、この寒さも来週にはゆるむそうだ。早く春が来て欲しいものだ。

2010年1月13日水曜日

春の兆し

近くを散歩すると、ある民家の庭先に、冬の風に揺れる一本の白木蓮(ハクモクレン)と出会う。青空に伸ばした枝々には、もう小さな芽がついている。路上から、この木を見上げると暖かい日差しを感じることができる。今年も、春の陽いっぱいに白く大きな花びらを咲き誇って欲しいものだ。
路地に沿った栗園は丁寧に整理され、樹下は掃き清められている。ここの農家の仕事振りがうかがえる。
歩を進めると、放課後の子どもたちが遊び叫ぶ声が聞こえてくる。小学校の垣根に植わった沈丁花(ジンチョウゲ)は、未だ芽がかたい。これから、蕾のほころびを気付くのは夜だろう。夜道を通り過ぎるとき、後を追うように沈丁花の香りがすると、そのとき本当に春が近いことを知る。

(付記)
「沈丁花」は夜がよく似合う。赤坂小梅の「沈丁花」(1933年)はいかがだろうか。
(YouTubeに登録の1985ataru0628に感謝)

(付記)
沈丁花(서향)は、ブログ「花愛(꽃사랑)」によると、韓国では「南部や済州島のような土地の表面が凍っていない場所でよく育つ花木である。だから、冬の気温が5〜8℃以上になると冬を過ごすことができる。」とのこと。

2010年1月12日火曜日

カルミナ・ブラーナ

中央線の中野駅だったと記憶している。北口を出て線路沿いに、目指す個人経営のレコード屋があった。夏の日だったのだろうか、映画のように光景が浮かぶ分、記憶が怪しいが先に進める。入り口が木枠の透明ガラス戸で、まるで下町にある民家の玄関のようだった。小さな店構えで、申し訳程度にレコードが置かれていた。

多分友人からの情報だったのだろう、おもしろいレコードを売っている隠れ家みたいな店があるというのだ。事前に調べたレコードを頼むと、日を指定して渡してくれるのだ。しかも値引きまでするというのだから、高校生には願ってもない話である。

そんなわけで、ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴスという長い名前の指揮者による、世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」(AA-9256 Angelレコード 東芝音楽工業)を入手した。「第21回芸術祭参加作品」だからでもないだろうが、レコードはボックス型ケースに収められ、充実した解説と歌詞の冊子がセットされた凄い力の入れようだ。

この曲はFM放送で聞いたのだろうか、こんな曲があるのかと驚き知ったわけだ。もっと驚いたのは、家の小さなレコードプレーヤーから、今までのどんなレコードよりも迫力と鮮明な音色が響いてきたことだ。あわてて友人に頼んで、上等なステレオ装置で聞き直したりもした。

中世という混沌としたなかで、したたかに逞しく生きた大衆の、何でもありの響きがした。時代は違うがヴィヨンの詩を少し齧ったせいか、聖なるものを打ち負かし、滑稽にあざ笑う痛快さも感じられた。世俗は変わらない、一番くだらないが一番正しい生き方をしていると、そのことをこのレコードは教えてくれた。

そうそう、この曲も市民合唱団によく歌われている。

★★★★★ 孫が首を横に振って初めてイヤイヤしたというメールが届いた ★★★★★

2010年1月11日月曜日

イ・ソンヒの20年

成人の日の今日、ご近所を散歩する。陽が西に傾いた人影のない関野天神社(小金井天神社)にお参りした。宴会でも開かれているのか、社務所から賑やかな声が漏れてきた。今年に入って、三つの神社に願いをかけた。それも孫の未来を願ってのことだ。

ところで、成人の単位20年に合わせて、イ・ソンヒの20年ごとのできごとを見ると次のようになる。
・1964年11月11日(陰暦)に誕生。(陽暦1964年12月14日)
・20歳直前の1984年7月29日に、MBC「第5回 江辺歌謡祭」に出場曲「Jへ」で大賞受賞してデビューを果たす。
・20歳になったばかりの1984年12月30日に、KBS歌謡大賞新人賞を受賞。翌31日に、MBC 最高人気歌謡賞、新人賞、10代歌手賞で初の3冠王を記録(イ・ソンヒ公式ホームページ)。
・歌謡界へデビューして20年後の2004年8月26日~28日に、「"Jへ" 20周年記念コンサート」を<世宗文化会館(大劇場)>で開催(イ・ソンヒ公式ホームページ)。開館以来、最多有料観客動員という大記録を樹立(KBS WORLD radio)。そのときの彼女のライブ映像を、YouTubeに多数見ることができる。
(YouTubeに登録のpops8090に感謝)

ところで韓国の成人式は、5月の第3月曜日(休日ではない)で、2008年から成人年齢が満19歳になっている。

2010年1月10日日曜日

孫と初詣

孫宅の地元にある田無神社に初詣に出かけた。誕生してほぼ10ヶ月目の孫にとっては、初めての初詣になる。小さな身を、しっかり防寒着で固めた姿が可愛らしい。
今日でも、詣でに来る人々のあとは絶たない。正月気分が、ここにはまだ残っている。その賑わいのなかで、本殿の神々に向かい若い家族の平安を祈った。

昨年末、クリスマスに会ってから2週間ほどに過ぎないが、孫は一段と成長した。こんにちは、バイバイ、おいしいひとハ~イ!の仕草を見事にこなすし、言葉に似た声を発する。赤ん坊から幼児への過程を着実に進んでいる。それでも、帰りがけに見たあの寝顔の可愛らしさはいつまでも同じである。

森の歌

中学校の音楽教室は校舎の2階奥にあって、ブラスバンド部員は出入り自由だった。放課後、戸棚にあったドミートリ・ショスタコーヴィチの「森の歌(Song of the Forests)、Op.81」(オラトリオ)のLPレコードを取り出しては聴き入った。つまり、はまってしまったのだ。
ジャケットには、鬱蒼とした樹林が描かれていた。インターネットで探したところ、それはVanguard(VRS-422 )のLPレコードだったと思う。(指揮:ユージン(エフゲニー)・ムラヴィンスキー)

ロシア語の歌詞もわからなければ、歴史的(政治的)背景も知る由もない。ただ、オーケストラと次々湧き出るような合唱の旋律と響きを楽しんだ。実に心地よかったのだ。
それだからか、この「森の歌」は、当時もそうだが今でも市民合唱団の曲目に入っているという(それも日本だけのようだが)。

もう一度聴きたいと、前のことであるが、ヴラディーミル・アシュケナージによるCDの「森の歌」(LONDON POCL-5263)を入手した。指揮者の解釈や演奏について語ることは一切ない。ただ、懐かしい町に戻ったときに感じる、思い出と現実の違いに似た戸惑いを覚えた。歳をとるというのは、そういうことなのだろう。

ところでWikipediaによれば、ショスタコーヴィチ自ら「森の歌」をオラトリオと位置づけたとのこと。

2010年1月9日土曜日

ウリ銀行創立記念

イ・ソンヒの今月11日のスケジュールについて、彼女のファンサイト(NAVER:SunnyLoveCarrot)に、次の通り記されている。
・1月11日(月) 【行事】ウリ銀行(우리은행) 15:00~ オリンピック体操競技場(올림픽체조경기장)

ウリ銀行(日本では”ウリィ銀行”)は、韓国(朝鮮)最初の銀行とのことで、中央日報の昨年の記事(2009.01.12(月))に「創立110周年を迎えた」と写真付きで報じられている。創立記念会場は、ソウルのオリンピック公園体操競技場だった。
同銀行は、創立記念日を月曜にしているようで、南道日報(남도일보)の記事(2009.12.28)によれば、今年の1月11日(月)に創立111周年記念行事を開くと記している。

以上の他には、イ・ソンヒがウリ銀行の創立記念行事に出席することを直接的に示す情報を見つけられない。

★★★★★ 孫が絵本を指差して声を発している動画が届いた ★★★★★

2010年1月8日金曜日

夕陽に赤い帆

子どものころ、ポータブル・レコードプレーヤーにドーナツ盤のEPレコードを載せて、ビリー・ヴォーン(Billy Vaughn )オーケストラの「夕陽に赤い帆(Red Sails In The Sunset)」を繰り返し聴いた。
小さなプレーヤーから流れるこの曲に、南の海にのんびりと停泊するヨットが夕陽を受けている光景を想い描いた。サキソホンの音色は、夕陽を惜しむ渚に寄せる波音のようで、気だるかった。何となく背伸びして聴いた曲だったのかもしれない。

(YouTubeに登録のにkotetu1011感謝)

2010年1月7日木曜日

イ・ソンヒの高校時代

Daumミュージックに、イ・ソンヒとのイム・ジンモ(임진모)のインタビューが掲載されている。イ・ソンヒが、ソウル大学路にライブ劇場を運営していた当時(2003年3月)のことである。
興味深い話題が縷々語られているが、その中で、彼女の高校時代の思い出を次のように記している。
・高校(サンミョン(상명)女子高等学校)の時分は、カフェに通ってメタル(메탈)を主に歌った。シン・ジュンヒョン(신중현)の「美しい江山(아름다운 강산)」や、キム・テファ(김태화)の「さようなら(안녕)」が、そのとき歌った曲だった・・・とのこと。それらは今、イ・ソンヒに歌いつがれている。
(YouTubeに登録のhsfine0768に感謝!!)

(追記)
・ちなみにイ・ソンヒの公式ホームページによれば、梨泰院初等学校(이태원 초등학교)、信光女子中等学校(신광 여자중학교)を卒業。
・なお本ブログ(8/4)に記した、イ・ソンヒが高校時代に通った音楽室は、ソウル特別市龍山区(ヨンサング)南営洞(ナムヨンドン)にあった。

2010年1月6日水曜日

錫高野#12

昨晩急遽、茨城県の錫高野(すずごや)に鉱物採集に行くことがが決った。同場所へは、同行のxаякава氏と本日で12回目の採集になる。
ズリは山肌に露頭をさらして、頂から冷気が流れてくる。ジャンパーの上に雨具をかぶり防寒する。それだけの準備にもかかわらず、成果は次の通りで心もとない。収集は、いただきもので不足を補う毎度のこととなった。
・採集したもの: 黄銅鉱、黄鉄鉱、孔雀石(硅孔雀石)、水晶、鉄マンガン重石、白鉄鉱
・いただきもの: ネオトス石、プルシャン銅鉱、トパーズ、赤鉄鉱

(追記) 山歩きの人の情報によれば、高取鉱山の鉱業再開との情報あり。(未確認)

2010年1月5日火曜日

初詣

孫家族との初詣が延期となり、別個に明治神宮に詣でた。三が日も過ぎて人混みもさほどではと想像したが結構な賑わいで、昨夜の雨に濡れて黒く光るさざれ(細石)の参道を参拝者が続いた。

神殿に向かい二礼二拍して、孫、孫家族、親族の順に安全を祈った。孫が生まれて以来、人智の及ばぬ神の加護を祈らずにはいられない。ひとしなみに謙虚な人間になった。
孫には「児童健全守」を、孫家族には「開運守」と「神符」をいただいた。次回、孫宅訪問時に渡そう。

ところで、参道を帰路途中に中学時代からの友人(カラオケ仲間でもある)に会った。奥さんと連れ立っての参拝とのこと。偶然とはいえ、凄い確率である。明治神宮の杜、神域の中のできごとである。

(追記)
帰り道、新宿のコリアプラザで、ハングルキーボードのシールを購入する。

★★★★★ 孫が母親の言葉にはそぞろにテレビCMに夢中の動画が届いた ★★★★★

2010年1月4日月曜日

イ・ソンヒファンの構成

Naverにあるイ・ソンヒのファンサイト「SunnyLoveCarrot(써니사랑 홍당무)」に、ファンの性別、世代別構成が掲載されている。(統計期間:1/1、n=77)
・性別構成: 女性:男性=57(%):43(%)
・世代構成: 10代(0%)、20代(9%)、30代(44%)、40代(39)、50代以上(8%)

1984年に、イ・ソンヒが登場したとき、彼女は女子中学生世代に圧倒的な人気があったといわれている。当時のその世代は現在、40歳前後に相当するだろうから、ファンの世代構成は了解できる。
ただし、ファンの男女比についてみると、女性に比べて男性が予想以上に健闘している。

イソンヒについて、子どもの頃に姉がファンだったとか、母親が彼女の曲を歌っているとか、夫と一緒に(つまり連れて)彼女のコンサートに行ったなどと、ブログで目にすることがある。このことも、彼女のファン層の潜在的な広がりにつながっているのだろう。

2010年1月3日日曜日

K-POPフリーク('09年12月)

遅ればせながら、ユンナ(윤하)ちゃんの、昨年最後のKBS WORLD radioの放送(09/12/27)で紹介された曲をリストアップする。

・ユンナの新曲「今日分かれました(오늘 헤어졌어요)」。
・ソロ活動をしている、ゲストのブライアン(BRIAN:브라이언)のセカンド・アルバム「MANIFOLD」より「Move It ("Do It":Move It Eng Ver)」と「My Girl (내 여자)」、および、彼が感激したSupreme Team(슈프림팀)の「Supermagic(슈퍼매직)」。
・恋愛フレーズを、VOSの「大変だ(큰일이다)」(歌詞)のタイトルを使って説明。
・今年ユンナがはまった曲、SuperJunior(슈퍼주니어)の「SORRYSORRY」。

以上、バラード以外は、若い方にお任せ。
(YouTubeに登録のUrAsianSource、heAMFSandy、ysbk18、ci0ci、smentに感謝)

イ・ソンヒの詩

YES24.comのイ・ソンヒの「作家紹介」は、彼女のプロフィールを簡潔適確に記している。そこでは、イ・ソンヒが発表した詩のタイトル「去る者だけが愛を夢見ることができる(떠나는 자만이 사랑을 꿈꿀 수 있다)」が紹介されている。同詩は、同タイトルによるLPレコードのSide2(#6)に収められている。

イ・ソンヒによる同詩朗読と音楽を、ブログ「花のように美しく(꽃처럼아름답게)」で聴くことができる。
なお、上記のプロフィールでは、「1990年・・・、彼女はこの年に『去る者だけが愛を夢見ることができる』という詩を発表し、ファンに自分の感性を示すこともあった。」と語られている。彼女の最初の大きな人生の変転の1年前のことである。

2010年1月2日土曜日

孫とこんにちは

孫が「こんにちは」に応える動画が届いた。
母親の「こんにちはは? こんにちは!」の声に、指をくわえて座った孫は笑顔を返した。すかさず「こ・ん・に・ち・は」という呼びかけに合わせて、孫はニッコリと体を前に出して挨拶する。「よく、できました!」と褒める母親の言葉が温かく微笑ましい。
挨拶できることは、先日のメール文面で知らされていたが、こうやって動画が送られてくると、孫の成長の変化にタイムリーに立ち会っているような感動が味わえる。
その昔、INSの時代、CAPTAINシステム端末のPCのCRT上で、簡略図的な画像が見られると驚いたころに比べると、随分と幸せである。

2010年1月1日金曜日

金星へのメッセージ

あけまして おめでとうございます
JAXAによれば、本年「打ち上げ予定の金星探査機『あかつき』(PLANET-C)は、打ち上げ後約半年で金星周回軌道に到着し、約2年をかけて金星の大気を調査する」予定。そこで、「JAXAでは、この金星探査機『あかつき』に搭載するお名前とメッセージを募集するキャンペーンを実施します。」とのこと。早速、図のように応募した。
今年もよい年でありますように。

2009年12月31日木曜日

太古宗と梵唄

Daumアゴラ(아고라:集会所)には有名人の宗教一覧があり、イ・ソンヒについて「歌手、父親が太古宗僧侶(부친이 태고종 스님)」と紹介されている。
イ・ソンヒの父親が、仏教音楽の「梵唄」(ぼんばい:범패)の伝授者であるという情報を以前のブログに記した。さらにインターネット情報(記載者に感謝)を追加してみる。

中外Webインタビュー」(駒沢女子大学学長 東 隆眞氏)より
・(禅宗系の)曹渓宗から分かれた太古宗では坊さんはともかくとして、 妻子の住まいは寺院の外にある。
・お寺は公のもので私生活の場所ではない。 妻は夫である住職の協力者、 奉仕者として手伝いに上がる形を取る。

文化庁国際フォーラム」より
・韓国の梵唄は布教を目的とし、実用性の観点から親しみやすい旋律に発展してきた側面と、死後への畏れを思い浮かばせる神秘性を重視した耳になじみのない旋律として変化・発展した側面とがあり、日本の声明とは違った発展を遂げたといえる。

Journalist-Net」より
(2008年に大阪韓国文化院で開催された「太古宗 霊山斎(ヨンサンジェ)」についての解説から)
・霊山斎は儀式の手順は、各種伝統文化を内に秘めた音楽的・・・要素というものは、儀式進行中での「梵音」や「和唱」などが音楽的効果を出す・・・。
・これらの仏教音楽「梵唄」、「和唱」などは韓国の伝統的民俗音楽家歌曲や回心曲などに大きい影響を及ぼし・・・。(注: 「民俗舞踊の僧舞(スンム)」についても触れている)
・韓国には数多くの宗教団体がありますが、このような荘厳な仏教儀式の霊山斎を挙行している宗教は(太古宗の)他にはありません。

(本ブログ関連:4/147/258/279/510/711/7

(参考)イ・ソンヒは今夜、「奉恩寺」の除夜の鐘(イ・ソンヒと打鐘式)の仏教行事に参加する。

2009年12月30日水曜日

平和愛統一音楽会

Yahoo Korea掲載の「ニューシース」の記事「論山-平和愛統一音楽会...歌手イソンヒなど出演」(12/29)によれば、イ・ソンヒが忠清南道論山市で開催される「平和愛統一音楽会」に次のように出演するとのこと。
・日時: 30日、午後1時30分 (2時間ほど)
・場所: 忠南論山市文化芸術会館大ホール
・出演: イ・ソンヒ、ヨンジョン(연정)、パク・ジンソク(박진석)、シルクロード(실크로드)など
・主催: 民主平和統一諮問会議(韓国行政機関 独立委員会
・後援: 忠清南道論山市
記事はイ・ソンヒについて、「優れた歌唱力で大衆の愛と人気を一身に受けている歌手」と記している。

2009年12月29日火曜日

2009年歌手好感度

韓国ギャラップによる、今年一年を通した歌手好感度順位が次のようにニュースリリース(12/23)されている。
10位まで発表されているが、5位までを記す。また歌手に付した曲名は、好感度曲10位までにランクされたもの。
・1位 少女時代(소녀시대) 29.8% :「Gee」、「願いをいってみて(소원을 말해봐)」
・2位 ビッグバン(빅뱅) 21.1%
・3位 2PM 12.5% :「Again & Again」
・4位 ワンダーガールズ(원더걸스) 10.4%
・5位 チャン・ユンジョン(장윤정) 9.6%

調査概要
>調査地域: 全国(済州道除外)
>調査対象: 満13~59才男女
>標本大きさ: 2,919人
>標本抽出: 地域/性/年齢別層化無作為抽出
>調査方法: 1:1個別面接調査
>調査期間: 2009年5月20日~6月10日、11月12~30日
>標本誤差: 95%信頼水準で±1.8%ポイント
>調査機関: 韓国ギャラップ調査研究所

★★★★★ 孫が「こんにちは」を言い仕草までするというメールが届いた ★★★★★

2009年12月28日月曜日

AVATAR

家族の休みに合わせて、有楽町マリオンにあるTOHOシネマズで映画「AVATAR」を見てきた。久し振りの洋画であり、初めての3D映画だ。そういえば、このような映画を昔は立体映画といっていた。

立体映像方式にはいろいろあるそうだが、TOHOシネマズ(電話の質問に回答を感謝)では、「XpanD 3D」方式で、専用のメガネを使っている。メガネは、3D映像でないときに着装すると視界が点滅して見えた。3D映像は、スクリーンに奥域感が増し、落ち着いた感じで、ストーリーに専念できる。

CG映像が凄い。ジャングルの樹林、葉陰、木洩れ陽などの質感と光が巧みに表現されていて、熱気や湿気による水蒸気に蔽われている様まで伝わってくる。そういえば、フルCGの映画も初めてかもしれない。ストーリーにも満足した。

ところで、映画を見る前に、ナイルカレーに昼食に行った。開店(11:30)と同時に入店すると、すかさず「ムルギーランチですね」となかば決まりの注文となった。インドの方だろうか、そのおやじさん(支配人)のいうままに、まぜて食べた。はじめはまろやか、だんだんと辛くなる。腹も満たしてくれて、うまい!が適切な表現だろう。

2009年12月27日日曜日

イソンヒについてフリートーク

NBA Maniaのスポーツ関連外の場所でフリートークが行われていて、「'イ・ソンヒ'という歌手..('이선희'라는 가수..)」(12/26,27)の論議を見ることができる。
イ・ソンヒについて、いろいろな感想や意見が綴られている。音楽ビジネスの観点で見たり、カテゴリーから分析したり、あるべき論を主張したり、技術論を述べたり、あるいは他の歌手と比較したりと多様である。
イ・ソンヒはファンという時代の映し鏡のような存在なのだろう。だから、大衆に受け容れられたのだし、彼女と共にいる向こうのファンには及びもつかない。

(参考)
上記「フリートーク」を、Google翻訳ツールで読む → 「"イ・ソンヒ"という歌手

2009年12月26日土曜日

イ・ソンヒの誕生日

イ・ソンヒの公式ホームページのプロフィール(Biograph>프로필)では、彼女の誕生日を1964年11月11日と記しているが、陰暦(음력:旧暦)の付記がある。したがって、新暦の今日、12月26日が彼女の誕生日になる。
彼女のファンサイト(NAVER:sunnylovecarrot)では、誕生日を児童合唱の愛らしいで祝っている。

また同公式ホームページには、彼女の本籍を、「忠清南道(충청남도) 保寧郡(보령군:現在は市) 珠山面(주산면) 篁栗里(황율리)」(GoogleMap)と記している。(番地省略)
鉄道の長項線と国道21号線が接する珠山の街を北上する市道の途中にある篁栗里で左折した先に彼女の故郷がある。(篁栗里は、保寧市の黄海に面した大川にある海水浴場観光特区の南東の山間にあり、また北東には南北に延びる保寧湖がある。なお長項線珠山駅は2006年6月に廃駅とのこと。)

(参考)ホームページ「小中学生のための韓国スケッチ」に韓国の誕生日についての解説があります。(掲載者に感謝)

2009年12月25日金曜日

孫とクリスマス

孫にとって初めてのクリスマスの今日、今月2回目の訪問をした。赤いサンタ衣装の幼い孫は、笑顔で迎えてくれた。部屋の壁にはクリスマスの飾りが施され、クリスマスツリーが明かりを点滅していた。

這いまわったり、座卓につかまり立ちしたりと、孫はエネルギーに満ち溢れて、じっとしていることがない。それに食欲旺盛のうえに、コルクのコースター、携帯電話のストラップ、スプーンの柄などと、何にでも口にする。

今回感じた、孫の大きな変化はテレビを見る目つきだろう。随分と集中して見ているようだ。そして、言葉に近い声を発したり、照れ笑いのようなことまでするようになった。孫は次から次へと変化する。限界と休みがない成長に驚くばかりである。

遊びつかれて愚図る孫を抱きかかえてあやすが、さすがに重い。大きく揺らしているうちに、孫は目を閉じて寝てくれた。額に汗しながら、抱いて寝かしつけたのは初めてのことだけにうれしくなる。

おいしい食事、楽しい会話と若い家庭の幸せをお裾分けしてもらった。若夫婦からの手袋のプレゼントは、孫をそのつど思い出して、暖かく使わせていただくことにしよう。

2009年12月24日木曜日

韓国舞...アラリ

韓国文化院で催された「2009 解説付き 韓国伝統芸術紀行 『韓国舞...アラリ』 」の鑑賞に行く。韓国舞踊の素養はないため、「解説付き」ということで出かけた次第である。

解説の聞き違いがあるかも知れないが、舞には大きく2つの形があるようだ。妓女の歌舞楽の舞は、姿勢を前にかがめ腰を落とし、踵で歩を進める。それに対して宮廷風の舞は、姿勢を頭の上まで背筋を伸ばし、足先から滑るように歩む。
最初の舞「祝願舞」は前者であり、歌と合わせて派手やかに踊った。舞と合わせた強く太い歌声を聞いたとき、イ・ソンヒのあのストレートな張りのある高音を思い出した。
一方後者に当たるのが、二番目の舞「太平舞」である。衣装の豪華さに比して、その舞いは落ちつき、優雅にして典雅である。

ところで、関心をひいたものは「僧舞」だろう。ガイドブックによれば、「朝鮮時代末期には完全に一つに独立し、民俗踊りとして確立された」とある。白衣に顔が隠れるほどの白い頭巾を被り、長く伸ばした袖は空に舞い漂う。他の舞と比べて異質なものを感じる。それは始原的な物語性のようなものだ。この踊りの来歴を知りたいものだ。なお、三部に構成されていたが、その第一部が印象的だった。