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2013年9月12日木曜日

風立ちぬ

新大久保で仲間と貴重なよもやま話をした後、電車で帰る途中、宮崎駿作品の「風立ちぬ」を見ようと吉祥寺の駅を降りた。

アニメ「職人」として、宮崎監督の思いや美意識のすべてがこの映像に込められたのではないかと思ったりした。

「飛行機は美しい」と発することができるか。要求された仕様を求め満たすことから創られる、機能美、造形美に耽溺できるかということだ。しかし飛行機は、道具としての意味合いから、この言葉は誤解されやすいのも事実だ。

堀越二郎の設計による九試単戦のイメージ(モックアップ)は、この作品の基調をなしていたような気がするが・・・コルセアを思い出してしまった。それは、海鳥が海面下の魚群を求めて上空から飛び込むときの翼を思わせる。いかにも鋭敏な機能美がある。

ところで、作品中、随所に登場した計算尺が懐かしい。技術屋だったという祖父の遺品の計算尺を持って受けた授業を思い出す。あの真っ白で滑らかに動く、乗除計算をする計算尺は、中学生にとって不思議だった。対数目盛りを使っているなんて後で知るわけだが。(実際の授業では、教材用の簡易な計算尺が配られたはず・・・)

そして、美しいところだけを残して去ったヒロインが忘れられない。今までの宮崎作品の女性像とは違って、思わず一瞬息が詰まるような、血管が透けてみえる生身の人間を感じた。(男の視点からだろうけれど・・・)

(本ブログ関連:”飛行機が好き”)

(付記)
米ノースロップ社のフリーダムファイターがタイガーの名で主役からはずれた後、タロンの名で練習機として、特にNASA仕様でスペースシャトルの帰還・着陸時に随行した光景が目に残る。あの真っ白で優美な機体は、空の女王に相応しい。