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2009年10月31日土曜日

孫のハロウィン

半月振りに孫に会いに行く。毎回ながら初めは、お前は誰なんだいとじっと見つめられる。そのうちに、わたしの胡坐の上で足をピョンピョンと跳ねて遊んでくれるのだが・・・。しばらくすると、ほら!わたしの顔をみて笑ってくれる。これだから、可愛いったらありゃしない。
今日はハロウィンである。ハロウィンを知ったのは、高校時代にSFファンタジーのレイ・ブラッドベリの作品を読んだときだ。彼の短編集には、どこか叙情的な、詩的なものがあって、いわゆるSFハードコアが苦手な分、親しみやすかった。あの小松左京や、星新一の初期SF作品に、レイ・ブラッドベリの臭いを感じたことがある。
ところで、お嫁さん姉妹が、それぞれの旦那さんから、ディズニーシーMIRACOSTAの宿泊プレゼントがあったとのことで、そのお土産にディズニー・ハロウィン2009のクッキーをいただいた。最上階のテラスから夜の水上ショーの鑑賞を楽しんだり、朝食をしている様子をビデオで見せてもらった。孫も孫の従兄弟も、母親達のはしゃぎぶりとは対照的に、何となくあっけにとられているところが可笑しい。
いただいたハロウィンのクッキーは、もったいなくて、孫にありがとうをいいながら、一日に食べる枚数を制限しよう。

2009年10月30日金曜日

「ハン」

韓国文化院で開かれた講演会「『ハン』とは何か」(講師:公共哲学共働研究所長 金泰昌〔キム・テチャン〕氏)に行く。(講演会は2回あり、今回は1回目である)
タイトルの通り一般向けに、「ハン」の概念を歴史とからめて紐解いてくれた。「ハン」には「恒」と「恨」があることが説明された。
・「恒」は、「一、多、中、大、凡(およそ)」の意を持ち、「韓(はん)」につながる。(ちなみに「漢」は、一、大の意のみ)
・「恨」は、「忄(心)」に「(とどまる)」の文字で、内向きに我慢するの意である。
「ハン」といえば「恨」の文字を浮かべてしまいがちだが、今回の講演では「恒」の意義を中心に紹介された。次回講演では「恨」についても説明していただければと思った。
講演の終わりに、日本では「恨」の文字の方がポピュラーであると思うが、その理由について興味深い解説をしてくれた。それは、韓国の民衆神学が生まれた当時の軍事政権に反対する人たちに連動して、日本の一部インテリが「恨」の文字を強調したためではないかということだった。また神保町にある某書店の国語辞典に、いまだにその残渣があるような指摘をされた。

2009年10月29日木曜日

イ・ソンヒ ソウル市議会広報大使

「蘆原新聞(노원신문)」の記事「ソウル市議会、広報大使委嘱! 」(10/29)によれば、イ・ソンヒがソウル市議会から、<地方議会>初の広報大使に委嘱されたと、次のように報じている。
・ソウル特別市議会(議長キム・キソン)は、来る10月30日に、「国民歌手イ・ソンヒ」、「放送人イム・ソンフン(임성훈)」、そして「タレント イ・フン(이훈)」をソウル市議会広報大使に委嘱する。
・イ・ソンヒは、第3代ソウル市議員として活動した議会活動経験と共に、珠玉のような曲を熱唱してファンたちと深い共感をかわしながら、学生家庭助け合いチャリティーコンサートなど社会的に苦しい隣人のための活動を数多くしている歌手として知られている。
・今回委嘱される広報大使は、ソウル市議会の議院活動を市民により親密にスムーズに知らせる広報コンパニオン活動することになり、議会の映像物、ポスターなどのモデルにも参加する予定。

(追記)ソウル市議会「報道資料(보도자료)」:「ソウル市議会、地方議会最初に広報大使委嘱! 」(10/30

資料1.市議会「議会沿革」より: イ・ソンヒが活動した当時の市議会議員一覧(民主自由党〔民自党〕に所属)
資料2.市議会「議員情報(表示)」より: イ・ソンヒの履歴一覧が公報されている。
資料3.「市議会経歴」(上記資料2記載)より: イ・ソンヒの議員情報
ソウル特別市議会議員('91.7.1~'95.6.30)として、次の委員会に所属した。
・社会福祉委員会委員('91.7.1~'93.7.7 )
・保健社会委員会委員('93.7.8~'95.6.30)
・予算決算特別委員会委員('94.1.1~'94.12.31)

(本ブログ関連:8/31

(追記)
「アジアニュース通信(아시아뉴스통신)」の10/30の記事「国民歌手イ・ソンヒ、何見ているだろうか?」に、「ソウル市議会広報大使委嘱式」が開かれた中で、委嘱行事直後本会議場へ席を移して、市議会活動に対する概括的な説明を聞いている、イ・ソンヒの写真が掲載されている。

2009年10月28日水曜日

鉱物学博物館

東京MXテレビの夕方番組「5時に夢中」で、パリの鉱物学博物館(Musée de Minéralogie)が紹介された。情報ソースは、在仏日本人向けの「パリの新聞:OVNI(オブニー)」(毎月2回発行)の記事だそうだ。同館は、国立高等鉱業学校(Ecole des Mines)の付属博物館のようだ。展示スタイルは、複数の標本室が、標本室中央を貫く通路で連なっている。いかにも古典的な博物館である。そこには、まるで鉱物図鑑に載っているような色・形がきれいな標本が展示されている。

同番組は他局との差異を強調して、ニッチ情報中心に構成しているだけに、このような話題もあるのだろうと思ったが、日頃ユニークなコメンテーターたちでも言葉をつなぐのに迷っていた。鉱物学博物館の情報はニッチ過ぎるかもしれないが、よい情報だった。

ところで、同館を訪問している様子を映したYouTube動画にある、鉱物標本の名前あてを楽しんでみたが、次の通り?の連発。
【隕鉄>翠銅鉱>??>孔雀石>?天青石>?中沸石>??>ダイヤモンド・母岩>水晶>(蛍光鉱物・・・)>水晶(日本式双晶)>ダイヤモンド(Cullinan鉱山)>?水入り瑪瑙】
(YouTubeに登録のairesparisに感謝)

紅葉

先日、鉱物採集に向かったとき、清里高原をのぼるにつれて木々の紅葉の変化に驚き、目的地川上村では山肌が一斉に橙色に染まっているのを見てその美しさに感嘆した。

日本の紅葉は北から南へと南進すると同時に、山頂から麓へと広がる。紅葉のイメージといえば、色づいた山々の光景が浮かんでくるわけだ。ところでカナダのような大平地の場合、紅葉はいかにといえば、大地をおおう森林を北から横一列にまるで波が押し寄せくるようにして秋の色に染めるという。

全山橙色の川上村の景色を見て、朱色のアクセントも欲しいという感想があった。他方、京都の紅葉はモミジが朱に染まり、かえって朱が強調され過ぎるという話を聞いたこともある。紅葉の美しさゆえに、みなわがままになる。

2009年10月27日火曜日

冬哀傷

イ・ソンヒの「冬哀傷(겨울애상)」」(歌詞)がYouTubeに登録されているが、「(概要)」に「winter lament '1989' / concert clip '2002' 」と記されている。「冬哀傷」は1989年の第5集に所収されており、この映像は2002年のコンサートということなのだろう。登録者は、その歳月を伝えたかったのかもしれない。
コンサートステージでは、第5集のものと比べて透明感をまして、全体に語りかけるようにゆったりと歌われる。そして、囁くように余韻をもたせて終わるとき、聴衆はその静かなエンディングに引き込まれて、おもわず歓声をあげる。
「冬哀傷」は美しい曲だ。冬の月明かりの景観に織り込むように、凍りついた心に残る情感を歌う。
(YouTubeに登録のdove2727に感謝)

(追記)ブログ「jaghelln2002のブログ」にイ・ソンヒが「冬哀傷」を歌うかなり以前の映像がある。

2009年10月26日月曜日

菊花煎

KBS WORLD Radioの「玄界灘に立つ虹」では、秋の話題で、<菊>について語られてきた。例えば、菊の花が日本へ輸出されていることや、菊茶(菊花茶)の飲み方について。それに、イ・ソンヒの歌「一輪の菊」まで聴かせてくれた。
そこで、次のようなメッセージを送ってみた。今日は、陰暦の9月9日「重九節」にあたる。「東国歳時記」(洪錫謨 著)の「九月九日」の項に、黄色の菊の花とモチ米で作る「菊花煎(국화전)」のことや、その時期の「登山」について「菊花煎」を山で食べたりする伝統が書かれている。現在、秋のソウル南山や北岳のハイキングに合わせて、このような伝統が引き継がれているのかを聞いた。
回答は、現在そのような習俗はなく、「菊花煎」は飾り餅(煎餅orチジミ(パジョン)のような?)の位置づけになっているようだ。家庭ではあまり見かけないらしい。
山に登って慰霊に合わせ「菊花煎」を食するという古俗が、記録に残っているだけのようだ・・・。

(追記)「オーマイニュース」の記事「菊の花いっぱい菊花煎」(10/22)がある。古に親しむためだろう、子ども達が菊の花を混ぜて「菊花煎」をつくるという。「菊花煎」について、菊の花がたくさん入っただけ苦い味だった・・・なんて、かわいいおはなしを聞かせてくれる。

2009年10月25日日曜日

甲武信鉱山

鉱物の会の鉱物採集会に参加する。採集地は、長野県南佐久郡川上村の甲武信鉱山である。現地は小雨を予想したものの曇天とはいえ、幸い雨に濡れることはなかった。山々はすっかり橙色に染まって紅葉していた。
同村の自然休暇村まえの道を南に2班に分かれて登る。第一の班は<石榴石・ベスブ石の露頭>までの急峻の山道を、第二の班は<自然金・ホセ鉱が採れる貯鉱所跡>までの距離も高低も少ない山道を登る。
以前の採集会では前者を選択して、2度転倒しつつ苦しいおもいで登った。今回は後者を選択したところ、せばまって流れの激しい沢に架けた丸太の上を渡らねばならないのだ。ヒヤヒヤもの。しかも帰りもこの丸太橋を利用せねばならないのだから。(なお、この丸太橋は会員の手になるものだ。感謝。)

成果は、自然金やホセ鉱は望むべくもなかったが次の通り。
・灰鉄柘榴石(灰礬石榴石)、方解石、硫砒鉄鉱、いただきもの(灰重石、水晶)など。
・第一の班に参加のxаякава氏から、ベスブ石、ヘスチング閃石などをいただく。

(付記)今回の採集会に、新企画出版局の「ミネラ」誌が取材参加した。

K-POPフリーク(10月)

KBS WORLD Radioのユンナ(ちゃん)の「K-POPフリーク」は毎回楽しく聴かせてもらっている。今回も紹介曲目だけをYouTubeとリンクする。(今後も同様)
★オ・ジウン(오지은):「Journey To The Sky」(日本のDaishi Danceとのfeat.)
★韓国でカバーされた日本の音楽:
・POSITION(포지션):「I LOVE YOU」(尾崎豊:「アイラブユー」、韓国での最初の大ヒット)
・パクキョシン(박효신):「눈의꽃」(中島美香:「雪の華」)
・CAN(캔):「2回目の冬の物語(두번째 겨울이야기:歌詞)」(サザンオールスターズ:「太陽は罪な奴」)
⇒(参考)CAN(캔):「冬の物語(겨울이야기)」
★ユンナのうた
・ユンナ(윤하):「기다리다(待ってる)」
★ラブメッセンジャー
・T-ara:「Lies(거짓말)」(歌詞:어떻게(どうしよう) ← えっ、ある?)
★CLAZZIQUAI PROJECT 「Love mode
(YouTubeに登録のsapphiresmile、mypuppyiz、lwhyuk、amplify82、realdocu、bobo2に感謝)

2009年10月24日土曜日

イ・ソンヒ大田コンサートCM

イ・ソンヒの本年最終ツアーコンサートが、11月1日(日)に大田で開催されるが、そのコンサートCMがNAVERの「イ・ソンヒ カフェ(이선희 - 카페)」に登録されている。 なお今回は、2回のステージ(午後2時、6時)がある。
(本ブログ関連:7/29

(追記)
本日、釜山で、イ・ソンヒのツアーコンサートが催されている。

2009年10月23日金曜日

韓国ポータルサイト

「朝鮮日報」の記事「韓国人がニュース取得するところ」(10/22)に、韓国広告主協会が先月、世界的なリサーチ会社ミルウォード・ブラウン(Millward Brown Media Research )に依頼し、全国の1万世帯(代表1人、1万人成人)を対象に行ったアンケート調査結果(2009 Media Research:有料)が載っている。そのなかで、インターネット関連については次の通り。
★ブラウザオープン時のホームページ
・ネイバー(64.3%) > ダウム(25.7%) > ヤフー(6.0%) > ネイト(2.9%)
・96.9%がポータルサイトをスタートページに設定している。
★オンラインニュースのソース
・ネイバー(56.1%) > ダウム(19.9%) > ヤフー(5.4%) > ネイト(2.6%) > チョソン・ドットコム(0.8%)

2009年10月22日木曜日

映画「家門の危機」

韓国文化院で開かれた「韓国映画・ドラマ上映会」に行った。「家門シリーズ」第2作の「家門の危機」を見る。(ちなみに、第1作は「家門の栄光」、第3作は「家門の復活」であるが未見)
物語は、ソウルに進出したヤクザ(白虎組)の跡継ぎである未婚の長男(シン・ヒョンジュン)が、むかしの恋人の面影がある女性と出会い恋に落ちる。彼女は何と暴対担当の検事(キム・ウォニ)だったのだ。そこに、女性検事の先輩の男性検事が登場して、彼らの仲を嫉妬するという狂言回しをするところがみそだ。
イ・ソンヒの「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」を、第1作「家門の栄光」では、主人公のヤクザの娘が想いをつのらせてピアノで弾き語りする。第2作「家門の危機」でも、何と狂言回しの男性検事がこの曲をピアノで弾き語りするものの空しく徒労に終わる。この男性検事(コン・ヒョンジン)は、お笑いコンビ「次長課長」の河本準一にどこか似ていて、憎めないのが可笑しい。
コメディ映画らしく笑いが随所にある。ヤクザの長となって家門を守る母親の還暦祝いに、怪しげなそっくりさんの歌手が出演する。その名も、ナフナに非ず<ノフナ>である。観客のアジュンマたちにとってはどうでもよかったようだが。
(YouTubeに登録のlsh1004732に感謝)

懐かしさだけがつのるのよ

<変更:YouTube画像>
ノ・ヨンシム(노영심)のYouTube画像「懐かしさだけがつのるのよ(그리움만 쌓이네)」 をここにenbed していたが、 本ブログ左側にあるイ・ソンヒのYouTubeガジェットと重なるため、上記のリンクにとどめることにした
(なぜか彼女の初々しい素朴な当時の映像がYoutubeから削除されたのはとても残念なことだ)



ノ・ヨンシムのプロフィールは、ブログ「Liveplus」に掲載されている。

2009年10月21日水曜日

SHURE SM57

ブログ(먼지 나라)の「ドラム セッティングで マイクの位置に関して」(2006/9/6)のなかで、イ・ソンヒが使用したマイクについて、次のように触れている。
「(参考として、声がとても大きくて中音域が多い歌手イ・ソンヒさんの場合、1集から最後のアルバムまでみなSHURE SM57で録音された。)」とのこと。
ここでいう「最後のアルバム」とは、上記記事が作成された時期からみて、13集のことだろう。
SHURE SM57といわれても・・・。ところで、上記ブログを読んでいる人は、一体どんな人たちなのだろう。

2009年10月20日火曜日

大衆音楽専門家アンケート

dcinside.comに、昨年記事だが「ヘラルド経済新聞(헤럴드경제신문)」(2008.3.18)による、 大衆音楽専門家20人に 「韓国で一番歌の上手な歌手を求めるアンケート調査」結果が載っている。
専門家一人当たり5名の歌手を順位なく推薦。下記( )内は推薦数。
★最近歌の上手な歌手は?
1位:チョー・ヨンピル조용필(10)
2位:イ・スンチョル이승철 (9)
3位:イン・スニ인순이(8)
4位:イム・ジェボム임재범(5)
5位:キム・ボムス김범수、チョン・イングォン전인권 (4)
6位:キム・グァンソク김광석、キム・ヒョンシク김현식、ナオル나얼、イ・ミジャ이미자、イ・ウンミ이은미(2)
★技巧、声量など、技術的能力が最も優秀な歌手は?
1位:イ・スンチョル이승철(9)
2位:キム・ボムス김범수(7)
3位:イン・スニ인순이(6)
4位:チョー・ヨンピル조용필(5)
5位:チョン・フンヒ정훈희(4)
6位:コミ거미、ナオル나얼、バク・ソンジュ박선주、パク・ジョンヒョン박정현、イ・ソンヒ이선희、イ・ウンミ이은미、イム・ジェボム임재범(3)
7位:ナフナ나훈아、シム・スボン심수봉、チャン・ピルスン장필순、チョン・イングォン전인권(2)

イ・ソンヒが2006年7月に歌手活動を休止後渡米して在韓していない時期の調査である。彼女が帰国したのは2008年秋のことである。

2009年10月19日月曜日

映画「Go Go 70s」

第22回東京国際映画祭」の「コリアン・シネマ・ウィーク2009」で、映画「Go Go 70s(고고 70)」を新宿ミラノ2で見た。70年代のロックバンドが、生活や社会情勢と直面する中で、バンド「DEVILS」の存在をかけて歌い続ける物語だ。
ロックとは疎遠だが、映画の中の若さを代弁して汗が飛ぶような演奏に聞きほれた。きっとそれはアジア的なロックなのだろう。
主演のチョ・スンウ(조승우)は、イ・ソンヒが主題歌を歌う映画「炎のように蝶のように」の主役を演じている。彼は、Innolife.netによれば、「俳優としての確かな基本技と纎細な感受性、ミュージカルで鍛えられた歌と踊りの実力を兼ね備えた万能エンターテイナー」だそうだ。また、あるブログの管理者同士のやり取りの中で、この映画はチョ・スンウ自身が歌っていることが紹介されていた。まるでロックスターだ。
(YouTubeに登録のzeitkazz、l79qhal2に感謝)

2009年10月18日日曜日

歴代歌謡大賞受賞者目録

「MLBPARK」に「歴代歌謡大賞受賞者目録(역대 가요대상 수상자 목록)」(10/17)が掲載されている。同一覧表上をクリックすると、別途jpg画面が表示される。
この一覧表で、次の主要な賞の年度別の受賞歌手を知ることができる。イ・ソンヒは、1984年にMBC10代歌手に選ばれている。
・韓国放送大賞(韓国放送協会による)
TBC放送歌謡大賞('65~'80)、KBS歌謡大賞('81~)
MBC10代歌手
・SBS歌謡大賞
・ソウル歌謡大賞
・ゴールデンディスク大賞
・他

(別記)
鉱物の会の例会がSOPHIAであった。各自の夏休み採集報告と会主催の採集会報告があった。

2009年10月17日土曜日

Jへ:四幕五場

イ・ソンヒが、1984年の第5回MBC江辺音楽祭に「Jへ」を持って登場したとき、彼女は仁川(インチョン)専門大の「四幕五場(사막오장)」という学校サークルに属していた。そのときの出会いについて、〔weiv〕(2003/10/1)は、関係者イ・ウンス(이응수)とのインタビューから次のように紹介している。
・「四幕五場」の名は、オルガンとボーカルを引き受けたクォン・オスン(권오승)が「人生は四幕五場だ」と言ったことで作られた。
・イ・ウンスは、クォン・オスンから「四幕五場」にこがらだが歌が非常にうまい女子がいると聞いた。それがイ・ソンヒだった。 後日の話だが、イ・ウンスが地球レコードにいる時、結局イ・ソンヒが地球レコードからレコードを出した。
(1985年1月25日に第1集アルバム「ア! 昔よ(아! 옛날이여)」が出ている)

(付記)
出会いと貢献は必ずしも同じではない。当時、関係者が具体的にどのように関わったのか不明だが、今後の確認のヒントになる情報を知ることができた。

(本ブログ関連:4/136/76/88/48/25、【付録】4/3

2009年10月16日金曜日

金秀男写真展

韓国文化院で開かれている、「金秀男(김수남)写真展」に行く。金秀男(1949~2006)は、延世大学で地質学を専攻した後、東亜日報などでマスコミ記者として活躍した。その後、写真家として韓国の巫女(ムーダン)による祭祀(クッ)を記録した。その活動範囲は、日本、東南アジア、インドまで及んだ。
会場には、彼の故郷済州島からソウルに至るクッの状景写真が展示された。特に、亡くなった遠洋漁船員の服を着せた藁人形を背負い、磯辺で死者の名を呼ぶシンバン(ムーダンの済州島での呼称)の姿に万感に迫るものがある。また、慶尚北道のある漁村における、水死した未婚男性を慰霊するため死後結婚させるクッで、祭壇の新郎新婦の藁人形をじっと静止したように見つめる家族の写真からそれでも癒し難い悲しみが伝わってくる。
写真展のガイドブックにある慶応大学教授の野村伸一氏の寄稿文の中に、「霊を招き、霊と交わり、抱擁する、あるいは依頼者みずからが踊る。こうした現場を金秀男は『宝石』と表現した。」という記述がある。金秀男が地質学を専攻したことを思った。例えば鉱物採集時に、石榴石(ガーネット)が自然のまま12面体や24面体の美しい等軸晶系の結晶形で産出されるのを見ることができる。それは人の手の加わらない「宝石」である。彼は、庶民の長い営みのなかから想いが結晶した祭祀(クッ)を「宝石」として見たのかもしれない。

今日は、韓国文化院のハンマダンホールで、金秀男の三周忌を含めて、済州島から招かれたシンバンによる、クッの公演があった。クッの最後には、金秀男を旅立たせるために、シンバンとともに会場にこられた人々が壇上で踊り舞った。
宗教者が生者と死者を教理で分かつならば、シャーマン(ムーダン)は、人の心の奥底にある生と死を分化できない生き残った者たちの自然な悲しみを担い、媒介者として死者との分かれを時間をかけて導くのだろうか。

(追記)昔の新聞記事であるが、ネアンデタール人が埋葬を行ったであろう証拠として、幼児の遺骨の周りに数種類の花粉の化石が残っていたとうい記述を読んだとき熱い思いをしたことがある。死者への深い悲しみと、安らかであれという願いはヒト属として原初的なことだろう。

2009年10月15日木曜日

孫の成長

息子夫婦に休みが取れたので、約一ヶ月ぶりに孫に会いに行く。先日(10/4)、雑司ヶ谷の法明寺でいただいた鬼子母神のお守りと土鈴を渡す。
孫は、健康診断で優良と診断された。太ももは丸々として抱っこするのに苦心するほどの成長振りだ。そして元気そのものの孫は、上下に歯がはえて何にでも噛みつく。はいはいできるまでもう少し。楽しみである。

女高卒業班

イ・ソンヒの「少女の祈り(소녀의 기도)」をキーワードにして、インターネットで言葉つながりを遊んでみた。

まず、Daum映画の「少女の祈祷(소녀의 기도):1976」に行きつく。この映画は、「女高卒業班シリーズ第2篇」のようで、主演は、当時ハイティーン映画につづけて出演して、爆発的な人気を得たイム・イェジン(임예진)だそうだ。
ポスターの彼女は実に愛らしく古風で、どこか吉永小百合に似ている。映画「女高卒業班」では、担任の先生を愛する純真と多情多感な女子高生を演じたようだ。なお彼女は多数の映画出演で高収を得たという。現在は、TVドラマを通じて、成人の演技者に変貌することにも成功したとのこと。

ところで、「女高卒業班」といえばチャン・ユンジョン(장윤정)が歌う「女高卒業班(여고 졸업반)」があるが、キム・インスン(김인순)の1975年曲のカバーのようだ。LPレコードの針音がするような、何とも長閑なよい歌だ。 (なお、キム・インスンは、1981年に不慮の交通事故で亡くなった。:[weiv〕vol.11/no.17より)

(YouTube登録のrosamin2、naragoyo、BuSanYoungDoBridge、およびブログ「韓国俳優DATABASE」、[weiv〕に感謝)

2009年10月14日水曜日

イ・ソンヒ釜山コンサートCM

10/24(土)に釜山KBSホール(収容3000人規模とのこと)で開かれる、イ・ソンヒのコンサートCMがNAVERの「イ・ソンヒ カフェ(이선희 - 카페)」に登録されている。
(本ブログ関連:8/28

2009年10月13日火曜日

J20

このブログ左の「MileStone 이선희 팬 へようこそ」に記したイ・ソンヒの「Jへ」に、「Jへ 」を歌う彼女のYouTube最新映像をリンクさせていただいた。
気になるのは、この舞台映像がKBS WORLD の説明にあるように「2004年に行われた『 "Jへ" 20周年記念コンサート』」で、「世宗文化会館開館以来、最多有料観客動員という大記録を樹立し、・・・」と記されたライブコンサート('04/8/26~28)ではないだろうか。
YouTubeの登録タイトルに「Lee Sun Hee-J(2002)」とあるが「(2004)」なのでは・・・。
舞台上の謙虚で美しいイ・ソンヒの姿がよい。彼女の清潔さは変わらない。
これまで登録されてこなかった映像だと思う。感謝。
(YouTubeに登録のdove2727に感謝)

2009年10月12日月曜日

チョン・ドヨン

「中央日報」の記事「女優チョン・ドヨン、フランス勲章を受ける」(10/10)によれば、「チョン・ドヨンが10日、釜山(プサン)映画祭で開かれる「フランスの夜」行事で、フランス経済産業雇用省の通商担当国務相から勲章を受ける予定という。」とのこと。
以前のブログで、彼女の映画「わが心のオルガン」と「シークレット・サンシャイン(密陽)」について綴ったことがある。
「わが心のオルガン」との出会いは、何よりも思い出深い。この映画でチョン・ドヨンが演じる無邪気さと淡い思慕が同居する役柄が、彼女のイメージに重なって抜けきらない。また彼女には「シークレット・サンシャイン(密陽)」でもそうだが、皮膚が透けて見えるような華奢さとは別に、女性が情の世界で持ち続けてきたであろうものを感じる(演じた)。

(追記)YouTube:レッドカーペットのチョン・ドヨン(YouTubeに登録のspodocskpark1に感謝)

2009年10月11日日曜日

アカラカチ

最近、YouTubeにイ・ソンヒのライブが続けて載っている。今までYouTubeになかった曲で、10集アルバムにある「アカラカチ(아카라카치)」が登録された。暗闇の中に苦悩する若者が、いつか光が来ることを信じて歌うように、最後に力強く<アカラカチ、アカラカチョ>がリフレインされる。
(YouTubeに登録のJzongwに感謝)

言葉にこだわるのは歳のせいだろうが、「アカラカチ」とは何かとインターネットで調べた。(登録者に感謝)
KBS WORLD Radio
・延世大学VS高麗大学のスポーツ対決紹介で、次のような説明がある。「(延世大学の)チームカラーは青、チームシンボルはワシのマーク、・・・ 『アカラカ アカラカ』とさけびながら応援するのが、延世大学の応援の特徴です。『アカラカ』とはヨーロッパの貴族が勝ち戦のあと、喜びをかみしめながら声を合わせて合唱した言葉だそうです。」
SEOUL navi
・延世大学VS高麗大学のスポーツ線で延世大学の学生が応援するときの掛け声紹介がある。「アカラカチン(アラチン) アカラカチョ(アラチョ)アカラカ チンチン チョチョチョ(アラチンチンチョチョチョ)ラルラルラ シスボンバ ヨンセソンス ラプラ ヘイ ヨンセ ヤ 」とのこと。
・「これらの応援の掛け声は、ローマ時代のある将軍が開戦するときに叫んだ勝利の掛け声だといわれています(ほんまかいな)。また、これ以外の説として、・・・延世大学のシンボルであるトクスリ(鷲)の鳴く声ともいわれています(またまたほんまかいな)。」<( )内も原文のママ>
ブログ知識マン
「Q.延世大のアカラカは何ですか?」、「A.延世大学校で祭り期間に開く応援戦について、延世大学校の学校スローガンがアカラカチ アカラカチョ~で、開始されるところに由来しました」

(追記)NATE動画(동영상)には、イ・ソンヒの「アカラカチ」が複数登録されている。

2009年10月9日金曜日

カラオケ

中学時代の仲間と八重洲のカラオケ(B・E)に行く。週末のため、利用は3時間だけで延長は断られた。なるほど帰り際の1階受付ロビーは、順番待ちのサラリーマンやウーマンたちで大混雑していた。
さて、わたしのカラオケは、次の通りおじさんのための歌である。
・イ・ソンヒ:「J에게」、「나항상 그대를」、(カラオケリストに「사랑아...」がない?)
・パティ・キム:「이별」
・チョー・ヨンピル:「돌아와요 부산항에」
・チェ・ジンヒ:「사랑의 미로」
・ハン・ミョンスク:「노란 샤쓰의 사나이」
・ラナエロスポ:「사랑해」
・ケイ・ウンスク:「私には貴方だけ(나에겐 당신밖에)」、および「昭和最後の秋のこと」
等等。

2009年10月8日木曜日

台風18号

今回の台風18号は、この地に久し振りに強風を吹かせた。
この台風について、「choson.com」の記事「釜山、台風の影響 強風に1人負傷…大被害はなくて」(10/8 9:48現在)で、次のように報じている。
「釜山は、第18号台風『멜로르(Melor)』の間接の影響で強風が吹いて、1人がケガするなど事故があったが幸い大きい人命被害は発生しなかった。」

日本の気象庁は「台風の番号と名前」を次のように解説している。
番号は気象庁が毎年付け、名前は台風委員会(日本ほか14カ国等が加盟)の命名則(アジア名)により一覧表(120の名前)から順次付けられるとのこと。
今回の名前は、マレーシア設定のジャスミンを意味する「Melor:メーロー」が一覧表の順に当たったようだ。(番号については、上記の記事内容からも、韓国は日本と同じ番号付けなのだろう)

2009年10月7日水曜日

MISO(美笑)

東京新宿文化センターで催された、韓国劇場版ドラマミュージカル「MISO(美笑:미소)」を見ることができた。(韓国文化院に感謝)
「韓国伝統芸術を現代化・大衆化・世界化にアレンジした」とのことで、素直に美しく楽しい舞台だった。やはり歌と踊りは魅了される。鑑賞しているうちに、なぜかいにしえの東洋の古都で舞う緑眼の胡姫たちの姿を想像した。舞台終了後、出口に向かう人波の中で、日本語を話す西洋の男性に日本人女性が「日本の花祭りのように華やかでした」と語っているのが聞こえた。彼もきっと心の中で、自分の故郷のなにかを探し出しているに違いない。
(東京新宿文化センター行き帰りは幸い小雨だったが、24:00前の現在わが家をたたく大粒の雨音がする)

(追記)「jo!ns」の「外国人バイヤーが最も好む韓国文化は?」(10/21
「◇公演の中に韓国がある=米国と英国にブロードウェイ、ウェストエンドがあるなら、韓国には貞洞(チョンドン)がある。 訪韓外国人がよく観覧する公演は、韓国伝統文化を素材にした「NANTA」や「JUMP」、「MISO」などのミュージカルだ。 すでに世界的に広く知られている「NANTA」は、韓国伝統サムルノリ(打楽器演奏)のリズムを素材にした舞台で、外国人に大人気だ。 シネコア専用劇場の「JUMP」も伝統武芸のテコンドーなど韓国文化に関心がある外国人の興味を引く。 貞洞劇場の「MISO」は韓国舞踊・パンソリ(伝統歌唱)など伝統文化で構成され、外国人が楽しめる公演だ。」

イ・ソンヒと山寺音楽会

韓国の寺院は歴史的事情から山深くにあって、9月-10月の清々しい時期に山寺音楽会が行われているようだ。イ・ソンヒの音楽活動の場に、この山寺音楽会があるのはいうまでもない。
彼女の出自を別にすれば、特別に仏教との関係を強調しているか定かでないが、例えばNATE Q&Aに「仏教を信じるアーティストリスト」に、イ・ミジャなどとともに名前があげられている。

韓国仏教について、東国大学教授の金浩星氏による「韓国から見た日本仏教史」(山形大学「歴史・地理・人類学論集」第8号,13-22,2007年)という、ある書評をベースにされたものがある。韓国仏教のある事情を次のように説明されている。
独立前の「朝鮮仏教のほとんどのお坊さんたちは日本仏教の影響を受けて結婚してしまった。1945年独立の後、極少数の比丘(結婚しない独身の僧侶)たちが寺院から結婚していた僧侶(韓国語では「帯妻」といい、日本では「妻帯」という。)たちを追い出したこと。1954年8月24日、禅学院(ソウル)で「全国比丘僧代表者大会」から始まって、1970年5月9日、太古宗が成立されて終わった。比丘僧の宗団がいまの曹渓宗である。」

全羅北道の高敞郡にある曹渓宗禅雲寺(ソヌンサ)で、「禅雲寺の四季」を主題にした山寺音楽会が開催されて、イ・ソンヒが出演している。(「mediabuddha.net 」(9/10)、本ブログ:9/5)

(本ブログ関連:4/14、9/5)

韓国歌謡コンテスト

今日のNHK「テレビでハングル講座」で、先月開かれた「日韓交流おまつり」のイベント「韓国歌謡コンテスト」に、同番組出演の<ますだおかだ増田>さんが出場したことが紹介された。
ご本人照れていたが、よそのブログで彼の歌のうまさが書かれていた通り、なるほど上手でした。
歌われた曲は、中島美嘉の「雪の華」の韓国バージョン(パク・ヒョシン:박효신「눈의 꽃」)で、KBSドラマ挿入歌とのこと。なんと昨年、「淡路島」という曲で歌手デビューしたそうです。
(YouTubeに登録のlwhyukに感謝)

2009年10月5日月曜日

韓国の金鉱床

産業技術総合研究所 地質調査総合センター発行の「地質ニュース」に掲載された、韓国の鉱床情報を、本ブログの7/1にリンクしたが、同じく同誌2006年1月号に石原舜三氏の報告「北朝鮮は黄金の国? コリア半島の金鉱床とその基盤的背景」があるのでリンクさせていただく。
・韓国の主要な金鉱床は,先カンブリア紀の京畿帯に産出するが,その生成年代は中生代である.
・過去の産金量第1位は(白亜紀金鉱床の京畿道にある)ムクック(無極)-ケムワン(金旺)鉱山のAu 19.7トン。
・ムクック(無極)鉱山の稼行期間は34~42, 54~70, 81~97年、同じくケムワン(金旺)鉱山は82~94年で共に終業しているようだ。

韓国の山

以前、鉱物採集の帰り、車内の雑談で韓国の山の高さが話題になったとき、考えずに、雪岳山じゃないですかねといってしまったが、間違って喋ったので整理する。
⇒朝鮮半島でみれば火山の白頭山(백두산:2,744m)が最高峰で、中国吉林省と北朝鮮両江道の国境にある。
⇒韓国の全域でみれば済州島にある火山の漢拏山(한라산:1,950m)が最高峰だ。
⇒韓国本土(半島部)でみれば全羅南道、全羅北道、慶尚南道にまたがる花崗岩質の智異山(지리산:天王峯1,915m)が最高峰だ。また2,000mを越える山はない。(ちなみに日本は3,000mを越える山が21山ある)
⇒韓国北東部江原道にある雪岳山(설악산:1,708m)は、花崗岩質の山で、漢拏山、智異山につづく第三の峰だ。

(参考)
「数値地質図 P-4 韓国南部・日本西部及び周辺海域の地球科学図集」の「地質・海底地形の陰影図(脇田浩二ほか)」に、(地図範囲に限定されるかもしれないが)、次のように説明している。
「日本と韓国の地質は,大変異なっている.韓国では,先カンブリア紀花崗岩片麻岩古生代中生代深成岩類に貫入されており,古生代から新生代堆積岩類火山岩類によって覆われている.一方,日本列島では,非変成もしくは変成している後期古生代から中生代の付加複合体に中生代から新生代火成岩類堆積岩類が伴っている.ただし,飛騨帯や南部北上帯,黒瀬川帯などでは,韓国と類似した古期岩類が分布している.」

Jへ:オーケストラ演奏

「ハンギョレジャーナル(한겨레저널)」の「コミュニティ≫7080カフェ」(9/24)で、イ・ソンヒの「Jへ」のオーケストラバージョンを、透明なゆったりした広がりの中で聞くことができる。連続して他の曲のオーケストラ演奏も楽しめる。(注記として「私たちの歌 オーケストラ演奏集」の記載がある)

(追記:2010年4月30日)
残念ながら上記で聴取できないようになっようだ。同じ音源と思われるものを、ブログ「山に登ろう(산을 오르자)」で紹介の「Jへ(J에게)」で聴くことができる。

2009年10月4日日曜日

秋夕

「jo!ns」の「Special Reports(第134号)」(10/2)に、50人の女性が50歳をむかえて思うことが載っている。記事の最後に、「秋夕」について彼女たちの次のようなコメントがある。
・秋夕の意味も以前と少し変わった。前は秋夕に親戚達が集まるのも嫌いで、たくさんの祭事の食べ物を作ることが嫌だったが、今は家族が交わり騒がしく話を交わして人情を感じるのが良い。
・もしかしたら、両親や舅姑と共にする秋夕が、今回が最後かも知れないと思うと、そのような考えがさらに切実になる。
・以前より感謝して懐かしかった。中秋のお盆の十五夜月のように満杯になった感じ。
・秋夕の豊かさを本当に感じることになった。

家族を中心に子育てを一段落した女性は強い。50歳にして以上のような余裕が出ているのだから。これからを生きていく強さ(ある意味でしたたかさ)を感じる。日本も・・・同じだろう。

(付記)
今日、家族と一緒に、初めて巣鴨の「とげぬき地蔵」(高岩寺)に行く。寺までの通りや境内の人混みの多さに驚く。街行くひとたちは、おおかた上記アジュンマ世代より上の、歴戦のつわものたちだ。次に、「巣鴨地蔵通商店街」を抜けて、都電荒川線の庚申塚(こうしんづか)駅で都電に乗り、鬼子母神前駅に行く。法明寺の鬼子母神をお参りする。孫のためにお守りと土鈴をいただく。
最後に池袋まで歩き、ジュンク堂書店で「韓国の巫 シャーマニズム」(趙興胤著)を購入した。

(追記)今朝、孫宅に届けた月見団子を、孫がうれしそうに触っている写真が送られてきた。今夜も月がきれいに見えますとお嫁さんがメールにしたためていたので、外に出て仰ぐと、雲ひとつない空に月のひかりが冴え渡っていた。

2009年10月3日土曜日

十五夜

「Infoseek」の「天気 今日の豆知識」(9/24)に、十五夜について次のように語っている。
・十五夜は、一般的に旧暦8月15日(今年は10月3日)を指す。この日の月は「中秋の名月」と呼ばれて、お月見を楽しむならわしがある。
・お月見は日本だけでなく、中国や韓国などにも風習がある。中国では「中秋節(チョンチョウジェイ)」、韓国では「秋夕(チュソク)」と呼ばれる。特に韓国の「秋夕」は、多くの人々が帰省する休暇シーズンだ。
・お供え物として、中国は「月餅(げっぺい)」や「柚子(ゆず)」を、韓国は「松餅(ソンピョン)」と呼ばれるもちを家族で食べる。

今年の「秋夕」は土曜日と重なってしまい、休暇日数が足らないため月曜日を休暇にする会社もあると、KBS WORLD Radioが伝えていた。(韓国文化院の「豆知識」に「韓国最大の祝祭日『秋夕:추석(チュソク)』で、陰暦8月15日の前後1日ずつがお休みとなり、3連休となります。」(07/09/25)と解説がある。)
ところで、中国の「月餅」は大好物で、ちょっと高価なものは大きくていろいろな実が入って美味しい。韓国の「松餅」は残念ながら食べたことがない。どのようなものか味見してみたい。また昨日のTVで、東京と大阪の月見団子の違いを知った。(大阪の月見団子は、楕円の団子に帯状に餡をくるむ)

あいにくの曇り空、今晩の月はいかばかりか。
⇒ 夜10時半過ぎ、南の空を眺めれば、流れる雲の合間から満月がのぞく。やや赤みを帯びた月は思いのほか明るい。月が再び雲に隠れるとき、周りに虹を発して雲を薄く染めた。今夜の満月は、高揚しているかのように元気がよい。

(追記)「第42回小金井お月見のつどい」(10/3-4
今日と明日、お月見の祭りが都立小金井公園の「江戸たてもの園前広場」で催され、郷土芸能ほかが演じられる。
今日、運よく「小金井囃子保存会」の「神楽囃子」を初めて見る機会を得た。「天狐(てんこ)の舞」>「獅子(しし)の舞」>「大黒(だいこく)の舞」>「天太(てんた)の舞」の順に演じられた。 以前なら神楽舞の素朴さに物足りなさを感じたろうけれど、今は、その舞にいつくしんだ昔からの人々の思いをたどるようにして見ることができる歳になったようだ。
帰り際に、十五夜のため(15個入り)の月見団子を買って帰る。今夜でも孫宅に届けたいが、明朝に持っていこう。

2009年10月2日金曜日

大学歌謡祭

<Daum知識>に(1984年にイ・ソンヒが大賞を受賞した)「江辺歌謡祭」のその後の質問に対して、次のような回答がされている。
・MBC主催で毎年8月に春川市(춘천시)で開かれる歌謡祭でしたが、『江辺歌謡祭(강변가요제)』は2001年の22回を最後に廃止されました。現在は『大学歌謡祭(대학가요제)』だけがその命脈をつないでおり、2009年の33回MBC『大学歌謡祭』は9月25日に開催されます。

今年の大学歌謡祭の結果について、「Innolife.net」(9/27)が次のように伝えている。
・歌手アレックスとイ・ヒョリの進行で、25日午後10時から放送された2009大学歌謡祭で「梨花大出身の女」チーム(在学生二人)は、個性を失った20代の悩みを表現した「鷄群無鶴(군계무학)」という曲で最高点を得て、大賞と特別賞の2冠王に輝いた。
(YouTubeに登録のにkorea724感謝)

以前どこかのブログで、現在の大学歌謡祭の位置づけ、役割について時代に沿っているかどうかを語られていたが、歌謡祭の実状がどうなのか知りたいところだ。

2009年10月1日木曜日

小金井雑記

高橋林蔵著「ふるさと小金井の八十年」(1985年)には、1905年生まれの著者の思い出に触れて当地の「食生活のことなど」(p.93)が次のように記されている。(概要抜書き)
・この新田の生活は、衣類とともに、食料も自給自足であった。
・主食は家で獲れた大麦であった。どの家も備えてある石臼でくだいた挽割麦に、米二割位混ぜて食べた。小金井は南部は野川辺りに水田があったが、その他の米は陸稲であった。栗、稗も明治の末期まで主食扱いだった。
・副食の魚類は行商人が一週間に一回位売りに来た。鮭、ます、干にしん位だった。
・三時のお茶うけは畑で獲れたさつま藷、里芋、じゃが芋で売り物でない下物を食べた。
・日常の調味料の味噌、醤油は自家製だった。砂糖は客のもてなしに菓子として出した。
・手打うどんは何よりのご馳走で、祝祭日とか人の集まるときは必ずつくった。結婚式では男がうどんつくりを競った。娘はうどんつくりが嫁入り資格の条件であった。
・当時の人達は今の世代と違って、まずしい中にも楽しさをそれぞれの場で享楽していた。それが一家の団らんに結びついた。

今時の食事はダイエットのためにカロリーを抑えようとするが、明治から大正にかけて東京府北多摩郡の小金井村は麦飯中心で想像以上に質素だったようだ。そのような郷土の歴史がこの町にある。

(追記)
小金井公園の「江戸東京たてもの園」で、「特別展 甲武鉄道と多摩」(10/10-12/20)が開かれる。中央線の前身である甲武鉄道について知ることができる。例えば、この辺りでは武蔵境駅が最初にできたこと。