高橋林蔵著「ふるさと小金井の八十年」(1985年)には、1905年生まれの著者の思い出に触れて当地の「食生活のことなど」(p.93)が次のように記されている。(概要抜書き)
・この新田の生活は、衣類とともに、食料も自給自足であった。
・主食は家で獲れた大麦であった。どの家も備えてある石臼でくだいた挽割麦に、米二割位混ぜて食べた。小金井は南部は野川辺りに水田があったが、その他の米は陸稲であった。栗、稗も明治の末期まで主食扱いだった。
・副食の魚類は行商人が一週間に一回位売りに来た。鮭、ます、干にしん位だった。
・三時のお茶うけは畑で獲れたさつま藷、里芋、じゃが芋で売り物でない下物を食べた。
・日常の調味料の味噌、醤油は自家製だった。砂糖は客のもてなしに菓子として出した。
・手打うどんは何よりのご馳走で、祝祭日とか人の集まるときは必ずつくった。結婚式では男がうどんつくりを競った。娘はうどんつくりが嫁入り資格の条件であった。
・当時の人達は今の世代と違って、まずしい中にも楽しさをそれぞれの場で享楽していた。それが一家の団らんに結びついた。
今時の食事はダイエットのためにカロリーを抑えようとするが、明治から大正にかけて東京府北多摩郡の小金井村は麦飯中心で想像以上に質素だったようだ。そのような郷土の歴史がこの町にある。
(追記)
小金井公園の「江戸東京たてもの園」で、「特別展 甲武鉄道と多摩」(10/10-12/20)が開かれる。中央線の前身である甲武鉄道について知ることができる。例えば、この辺りでは武蔵境駅が最初にできたこと。