「jo!ns」の「Special Reports(第134号)」(10/2)に、50人の女性が50歳をむかえて思うことが載っている。記事の最後に、「秋夕」について彼女たちの次のようなコメントがある。
・秋夕の意味も以前と少し変わった。前は秋夕に親戚達が集まるのも嫌いで、たくさんの祭事の食べ物を作ることが嫌だったが、今は家族が交わり騒がしく話を交わして人情を感じるのが良い。
・もしかしたら、両親や舅姑と共にする秋夕が、今回が最後かも知れないと思うと、そのような考えがさらに切実になる。
・以前より感謝して懐かしかった。中秋のお盆の十五夜月のように満杯になった感じ。
・秋夕の豊かさを本当に感じることになった。
家族を中心に子育てを一段落した女性は強い。50歳にして以上のような余裕が出ているのだから。これからを生きていく強さ(ある意味でしたたかさ)を感じる。日本も・・・同じだろう。
(付記)
今日、家族と一緒に、初めて巣鴨の「とげぬき地蔵」(高岩寺)に行く。寺までの通りや境内の人混みの多さに驚く。街行くひとたちは、おおかた上記アジュンマ世代より上の、歴戦のつわものたちだ。次に、「巣鴨地蔵通商店街」を抜けて、都電荒川線の庚申塚(こうしんづか)駅で都電に乗り、鬼子母神前駅に行く。法明寺の鬼子母神をお参りする。孫のためにお守りと土鈴をいただく。
最後に池袋まで歩き、ジュンク堂書店で「韓国の巫 シャーマニズム」(趙興胤著)を購入した。
(追記)今朝、孫宅に届けた月見団子を、孫がうれしそうに触っている写真が送られてきた。今夜も月がきれいに見えますとお嫁さんがメールにしたためていたので、外に出て仰ぐと、雲ひとつない空に月のひかりが冴え渡っていた。