韓国文化院で開かれている、「金秀男(김수남)写真展」に行く。金秀男(1949~2006)は、延世大学で地質学を専攻した後、東亜日報などでマスコミ記者として活躍した。その後、写真家として韓国の巫女(ムーダン)による祭祀(クッ)を記録した。その活動範囲は、日本、東南アジア、インドまで及んだ。
会場には、彼の故郷済州島からソウルに至るクッの状景写真が展示された。特に、亡くなった遠洋漁船員の服を着せた藁人形を背負い、磯辺で死者の名を呼ぶシンバン(ムーダンの済州島での呼称)の姿に万感に迫るものがある。また、慶尚北道のある漁村における、水死した未婚男性を慰霊するため死後結婚させるクッで、祭壇の新郎新婦の藁人形をじっと静止したように見つめる家族の写真からそれでも癒し難い悲しみが伝わってくる。
写真展のガイドブックにある慶応大学教授の野村伸一氏の寄稿文の中に、「霊を招き、霊と交わり、抱擁する、あるいは依頼者みずからが踊る。こうした現場を金秀男は『宝石』と表現した。」という記述がある。金秀男が地質学を専攻したことを思った。例えば鉱物採集時に、石榴石(ガーネット)が自然のまま12面体や24面体の美しい等軸晶系の結晶形で産出されるのを見ることができる。それは人の手の加わらない「宝石」である。彼は、庶民の長い営みのなかから想いが結晶した祭祀(クッ)を「宝石」として見たのかもしれない。
今日は、韓国文化院のハンマダンホールで、金秀男の三周忌を含めて、済州島から招かれたシンバンによる、クッの公演があった。クッの最後には、金秀男を旅立たせるために、シンバンとともに会場にこられた人々が壇上で踊り舞った。
宗教者が生者と死者を教理で分かつならば、シャーマン(ムーダン)は、人の心の奥底にある生と死を分化できない生き残った者たちの自然な悲しみを担い、媒介者として死者との分かれを時間をかけて導くのだろうか。
(追記)昔の新聞記事であるが、ネアンデタール人が埋葬を行ったであろう証拠として、幼児の遺骨の周りに数種類の花粉の化石が残っていたとうい記述を読んだとき熱い思いをしたことがある。死者への深い悲しみと、安らかであれという願いはヒト属として原初的なことだろう。