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2010年5月14日金曜日

2010牧園フェスティバル

イ・ソンヒのファンサイト「SunnyLoveCarrot(써니사랑 홍당무)」に、彼女の5月の新たなイベントが次の通り紹介されている。
イ・ソンヒは、大田(テジョン)にある牧園大学校(목원대학교)の大同祭(学園祭)で催される「2010 Mokwon Festival」(5/25~5/28)に次のように出演する。
・日時:2010年5月27日(木)、18:30 ~ 21:30
・主催:牧園大学校総学生会
・所在:Googleマップ

なお、同フェスティバルに招請されている歌手は、イ・ソンヒの他に次の通り。
・5/25:シュープリームチーム(슈프림팀)、アウトサイダー(아읏사야더)、MCスナイパー(MC스나이퍼)、デフコン(데프콘:DEFCON)
・5/26:MCモン(MC몽)、シーヤ(씨야:SeeYa)、エバン(에반:EVAN)
・5/27:イ・ソンヒ、ダビチ(다비치)、4men

2010年5月13日木曜日

イ・ソンヒへの称賛

CINE21.comに、10人の音楽評論家たちが選んだ2005年のベストアルバム([1][2]:2006年1月20日)が紹介されている。その中に、イ・ソンヒの13集「四春期(사춘기)」が最初にとりあげられ、評論家のカンホン(강헌)が次のように述べている。
まず、(80年代に歌謡トップ10で1位を果たした回数がチョー・ヨンピルに次ぐ)イ・ソンヒを、「一時代を一人帝国に平定したチョー・ヨンピルの歴史的権威に比肩できる唯一の資格を持った女性アーティストは断然イ・ソンヒであろう。」とし、彼女の13集「四春期」所収の「Rose(장미)」を以って、「ただ一曲で女諸侯としてのそれを完璧に証明する。」として、独特の分析と称賛でちりばめられている。
(本ブログ関連:2009年の11/18、2010年の2/28

彼女の他の曲目と比べて、「Rose」の趣の違いに、インパクトの強さに驚かされたことがある。その余韻は14集にもうかがえる。

2010年5月12日水曜日

孫と風邪

今日の日付に変わっての夜中に、孫が風邪のため保育園を休ませるという電話があった。朝、孫の一日看病の応援に出向いた。休暇をとった息子と一緒だったので、少しは安心だったが、幸い病状は軽く、孫は思いのままに部屋の中を遊び回っていた。急激に回復したようだ。
父親がちょっと部屋から出て姿が見えなくなると、大粒の涙が孫の目にあふれた。どれほど心細い思いをしていたかを知る。すぐに戻って来るよとあやすことしかできない。そんな孫も、皆がいるときは疲れを知らない。看病するはずの大人が疲れ果てたのだから。
やがて夕方、仕事から帰った母親に孫は切ないほどに泣き、甘えた。それは安堵であり、愛情の求めであり、確認のようにも見えた。母親に優しく抱きかかえられた孫は、やがて心落ち着いた。
孫宅からの帰り際には、すっかり笑顔を見せるようになった。ただ玄関で少しぐずってくれたことが、なぜか嬉しかった。これからは、病気でも呼んで欲しいものだ。

2010年5月11日火曜日

CMソング

冷え冷えとした春雨になってしまった。雨は夜も降り続いている。

ネスカフェのコマーシャルは、昔のぼくらにヨーロッパの満ちたりた家庭のイメージをもたらした。それは、家族の充実した愛情と笑顔にあふれる明るい室内に漂うコーヒーの香りだった。でもそれって、インスタント・コーヒーだよねとは承知していたが。ともかく、おしゃれなコマーシャル音楽を流していた。

その中でも、今も印象に残っているのが「雨に濡れてる 黄昏の街 ・・・」で始まる曲だ。よい曲だ。残念ながらYoutubeに、当時のCFを見つけることができない。ただ、雰囲気の合うものがあった。千明せらが歌っている。彼女のホームページに、「和・なごみ オリエンタルジャズ 日本人のための和み」というサブタイトルがある。本当にぴったりしている。

ちなみに、この歌は水原弘が歌った「黄昏のビギン」だそうだ。

★★★★★ 孫が、一段と成長して、母親と一緒に積み木遊びに集中し5個も重ねる動画が届いた ★★★★★

2010年5月10日月曜日

イ・ソンヒとバラード

ブログ「ロマンソナムの青い話(낭만소나무의 푸른 이야기)」(5/8)に、イ・ソンヒが「江辺歌謡音楽祭」(1984年)で「Jへ」により大賞受賞してデビュー後、彼女の活躍により、いかにしてバラードの流れが開かれたかについて詳細に語っている。バラード全盛時代その最も核心的な歌手(イ・ムンセ(이문세)、ビョン・ジンソプ(변진섭)など)の中の一人に彼女がいて、大衆的人気として最も大きかったと綴っている。
(Youtubeに登録のpops8090に感謝)

イ・ソンヒの曲には、いわゆるバラード曲特有の膠着したものを感じない。むしろ清々しいのだ。それは多分、彼女の声質にもよるのだろう。彼女の高音のはちきれるような健全さこそ、ひとびとの心の中に求められていた本当の意味の健全さであり、いまも支持されているのではないだろうか。
彼女のバラードは時代とともに、彼女の人生に合わせて新しく歌い続けられる。

2010年5月9日日曜日

両親の日

The classicのビューティフル・サウンドの「魔法の城(마법의 성)」を、イ・ソンヒが歌う舞台に彼女の幼い娘が上がってくる映像を、以前('09/7/31)本ブログに記したもののリンク先を今見ることができない。幸いDaum tvPotなどで視聴できる。
(同様にThe classicについてもリンクできなくなっているので上記に張りなおした。登録者gd2loveに感謝。)
イ・ソンヒの母親の顔を垣間見ることができる貴重な映像である。娘の留学に合わせて渡米したとか、彼女のその後の音楽上のいろいろなきっかけを娘が与えてくれたなどといった、母娘の話題はあるようだがプライベートに留めるべきでしょう。

韓国の今月は家族の月で、いろいろ記念日があてられている。それについて以前('09/5/30)本ブログに記したように、今日は「両親の日」、すなわち<母の日>であり<父の日>である。

★★★★★ 孫が、滑り台の下から何度も登ろうとしては滑り落ちる動画が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、電柱を気に入ったらしく犬と取り合いしたというメールが届いた ★★★★★

2010年5月8日土曜日

歌手J

イ・ソンヒの「Jへ(J에게)」(1984年)が登場した当時、小説で英字イニシャルの主人公が多かったという話(本ブログ関連:2009年の4/13)があるが、この曲が大当たりしたことで、「Jの英字イニシャルを取った歌とか、(歌手)名にJが入った方たちは一緒に株が上がったという後聞もあるという。」(「ファルコン・スケッチ」の「BJ音楽倉庫」(5/8)より)

ところで、イ・ソンヒのほぼ一回り後の世代に、歌手J(제이:本名チョン・ジェヨン(정재영)、1977年5月2日生まれ)がいる。彼女の名は、上記の流れとは別のきっかけだろうけれど。
最新のスペシャルアルバム「SENTIMENTAL」(2010年2月3日)をYoutubeで聴くことができる。
(Youtubeに登録のmnetprissに感謝)

(付記)
イ・ソンヒは、今日の午後7時半、京畿道城南市盆唐区庁前芝広場で開催される、アルム放送による「第2回ABNファミリー楽フェスティバル」のコンサートに出演する。 彼女の5月のスケジュールについて記した(4/275/2)が、年間のスケジュールを知りたいところである。

(追記)
「美しい江山(아름다운강산)」を歌うイ・ソンヒの舞台映像がYoutubeに登録されている。
(Youtubeに登録のdpftlに感謝)

2010年5月7日金曜日

長寿の運

一昨日(5/5)、小金井公園に孫と遊んだとき、お嫁さんが塩船観音寺の「つつじ祭り」(5/3)でいただいたお守りを息子が預かり持ってきてくれた。
お守りは球状の、水晶(含む玄武の彫り)、へマタイト(赤鉄鉱)、ブラックオニキス(黒瑪瑙)で構成されたストライプで、「[玄武]長寿の運」の解説に、玄武は北方の守護神で、北風をさえぎり、病魔の災難を防ぎ、健康と長寿をもたらすと記されている。玄は黒色を意味することから、黒瑪瑙を以って組み込んだのだろう。
ストライプを見ながらあらためて思った。玄武の加護を得て、孫を守る。

2010年5月6日木曜日

ブランコ

イ・ヒョリの曲「ブランコ(그네)」(歌詞)の心象的なミュージックビデオについて先日(4/29)記した。物語の帰結がどうであれ、葛藤を海辺という舞台に描くイ・ソンヒの「見知らぬ海辺で(낯선 바닷가에서)」(11集、歌詞)にも通じている。
行き返すさざなみに、なるほどいろいろな思いが込められているのかな。この繰り返しを象徴した、イ・ヒョリの「ブランコ」の曲名と映像がピッタリというわけだ。
(Youtubeに登録のawakorea、KnightmareSMに、および歌詞登録先に感謝)

さてブランコについて、「東国歳時記」(洪錫謨 著)の「五月」(陰暦)に、次に語られている。
<民間では男女が、さかんに鞦韆戯(ぶらんこ、그네뛰기)※をおこなう。/かんがうるに、『古今芸術図』には、「北方の戎狄(じゅうてき)族が、寒食の日※に鞦韆をなし、身軽にうごくことを習う。それがのちに中国の女子たちの学ぶところとなった」と書いており、(略)いまの風俗では寒食の日の鞦韆戯が、端午の日にかわったのである。>
(※)Konestの「端午」の「クネ(ブランコ)遊び」、「寒食(ハンシッ:한식)」を参照。

2010年5月5日水曜日

孫と子どもの日

午前中、小金井公園の「江戸東京たてもの園」の「友の会」会員更新手続きがてら、特別展「多摩の酒蔵」を見る。田村酒造場(嘉泉)の建築物資料(写真、図面、瓦、レンガなど)が代表的にとりあげられている。同酒造場の初代は文人でもあったようだ。また知られている小澤酒造(澤乃井)などの説明パネルもあった。また、酒税を確保するため、日本酒を恒常的に生産できるように、国家として醸造技術の向上に取り組んだこともさりげなく説明されていた。
当然ながら利き酒コーナーはない。

午後家に戻りゆっくりしていると、息子と孫の二人が小金井公園に遊びに行くという連絡があった。不思議なことに、何の苦もなく軽く公園に出向く。到着したばかりの孫は寝起きでうつろなため、しばらく芝に胡坐をかいて膝上に抱えた。至福の時であった。
歩き上手になったとはいえ、孫はボールの追いかけっこに疲れると足がもつれてくる。シャボン玉遊びをしたり、「いい子いい子」や「かっこいい」のポーズをしてくれたり、五月晴れの「子どもの日」を孫と楽しく過ごすことができた。
別れ際の孫の笑みは最高だ、また遊ぼうね。遊んでもらっているわけだが。

2010年5月4日火曜日

離別小曲

イ・ソンヒが2001年に発表したアルバム12集「MY LIFE」所収の「離別小曲(이별 소곡)」(歌詞)について、neo music community「IZM」(2001年4月)は次のように記している。
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・「1990年代荒れ狂ったダンス・シーンは文化革命の一断面を見せた同時に、多くのことを奪い取った。」その結果、「'80年代に歌姫の席」にいた「イ・ソンヒも同じだ。・・・発表したどんな音楽もファンたちの注目を引くことができなかった。」と言い切っている。
・新しいアルバム(12集「MY LIFE」)により、「彼女が、アルバムの題名で漂うように自身の自伝的人生を歌ったアダルト・ミュージック『離別小曲』でまた戻った。」としている。
・アルバム発表に合わせたこの批評は、「『離別小曲』は、典型的な成人好みの曲で、節制美があらわれる中低音を生かした曲」と述べている。
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イ・ソンヒが独特の高音から脱却する試みは、以前のアルバムから始まっていたことを前に紹介した。その時期はどうであれ、彼女は歌手であることを主張しているわけで、歌うべくして歌っていることになる。
(本ブログ関連:2009年の8/2711/18、2010年の3/22

★★★★★ 孫が、「描き描き」の呼びかけにクレヨンを両手に持って振っている動画が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、歩くコツを覚えたのだろう横揺れなく、サササッと元気に歩む動画が届いた ★★★★★

2010年5月3日月曜日

富井鉱山

新たに得た栃木県宇都宮市富井鉱山の採集場所情報を基に、暖かい春の陽の今日、いつものようにxаякава氏と鉱物採集に行く。待ち合わせ場所へは早朝始発の電車を利用しているが、以前と比べてすっかり明るい空になっているのに驚く。

同鉱山へは過去3度訪れた。射撃場になったとか自動車解体場になったとか言われている更地の鉱山跡周辺を探したことがあるが、満足なものを採集できていない。
(本ブログ関連:2009年の11/28
この産地で有名な紫水晶を諦められず、場所を変えてのリベンジである。今回の結果は次の通り。(もちろん紫水晶はいただきものである)
・紫水晶(微小晶群)、黄鉄鉱、黄銅鉱、閃亜鉛鉱、銅藍

遅い昼飯のおにぎりを頬張っていたら、或るご夫婦が来られて富井鉱山のことを尋ねられた。お話を聞くと、同じ鉱物の会に最近入会されたとのこと。日本全国を巡っていらっしゃるようだ。

(余談)
次の採集場所へ移ろうと、尾根越えをしようと山道を登ったところ、竹薮で行き止まりになった所にクマの糞があった。xаякава氏と別々に行動して、それぞれが見つけている。あわてて戻ったことはいうまでもない。

★★★★★ 孫が、塩船観音の「つつじ祭り」の会場で、つつじを背景に凛々しく写った写真が届いた ★★★★★

2010年5月2日日曜日

スリーデーマーチ2010

小金井公園を起点・終点にする「第15回東京国際スリーデーマーチ」(5/1日(土)~3日(祝))に参加した。

昨年同様、長距離ルートのある「メインウオーク」は遠慮して、取り付きやすい「エンジョイウオーク」の<小金井探訪コース>の中から市内東側を中央線をまたいで巡る「Bコース」を選択した。
「Bコース」の主なポイントは次の通り。

【小金井公園】⇒関野橋⇒(栗山通り)⇒二枚橋⇒(野川)⇒小金井神社⇒金蔵院⇒(農工大通り)⇒三光院⇒旧浴恩館⇒【小金井公園】

良い天気で日差しも暑く歩き疲れて、同行のямадзаки氏と旧浴恩館で一息ついて、世間話に花を咲かせる。ウォーキングを目的でなく手段だなどと言いわけして時間をつぶす。
約2万歩の結果、小金井公園に戻って、公園広場で開かれた各地の物産販売店を覗き、青森県産のリンゴを買う。黄色地のリンゴは歯ざわりもよく甘くて疲れた体にとても美味い。

(本ブログ関連:2009年の5/4

★★★★★ 孫が、歩くことを楽しんで先に進むため、初めて迷子ひもを着けた動画が届いた ★★★★★

5月のイ・ソンヒ(続)

イ・ソンヒのファンサイト「SunnyLoveCarrot(써니사랑 홍당무)」に公開されている彼女の5月スケジュールに次の2つが追記された。
(本ブログ関連:4/27

・5月13日(木)に、イ・ソンヒは、慶尚北道 亀尾市(경북구미)のサムスンコーニング精密ガラス(삼성 코닝정밀유리)の行事「ひとつの心祭り(한마음잔치)」に参加する。

・5月20日(木)に、イ・ソンヒは、グランドヒルトン コンペンションセンターで開かれる、教保生命、ミレ・アセット(MIRAE ASSET)による行事に参加する。

以上について主催者情報、時間、他出演者など詳細未確認。

2010年5月1日土曜日

イ・ソンヒとオリンピック

以前、イ・ソンヒの20年ごとのできごとを見たが、オリンピック開催と次のように一致している、
・旧暦1964年11月11日(新暦1964年12月14日)に、本籍地忠清南道保寧郡(現在は市)珠山面篁栗里に誕生している。その年10月10日~24日に、東京オリンピックが開催されている。当然ながら、この年から4年の倍数ごとにオリンピックの時期と重なる。
・イ・ソンヒが20歳直前の1984年7月29日に、MBC「第5回 江辺歌謡祭」で大賞を受賞して歌謡界にデビューを果たした同じ年に、ロサンゼルス・オリンピックが7月28日~8月12日の間に実施されている。
・さらに20年後の2004年8月26日~28日に、イ・ソンヒが20周年記念コンサートを世宗文化会館の大劇場で開催した年には、アテネオリンピックが8月13日~29日の間に開かれている。

さて20年後ごとの周期ではないが、ソウル・オリンピック(1988年)のとき、彼女の公演イベントはどうだったか、おいおい調べてみよう。

(本ブログ関連:2009年の8/10、2009年の1/11

2010年4月29日木曜日

イ・ソンヒと家族

イ・ソンヒが、昨年4月1日にMBC「黄金漁場(황금어장)-膝打ち道士(무릎팍 도사)」に出演して述べた話題が、ブログ「一方的TV覗き(마구잡이 TV 엿보기)」(2009年4月2日)の「膝打ち、更け行く夜心を打つ『イ・ソンヒ』の...-歌の贈り物」にまとめられている。
ブログの最後には、25年間歌だけに専念できるようにしてくれたありがたい家族について興味深い話が語られている。
・父親が僧侶のため、小学校6年生まで山奥の寺に住んだ※。
・(イ・ソンヒの大学卒業時だろうか、謹厳実直そうな父親と優しい微笑みの母親と思われる二人の間に彼女が並んだ写真が掲載されている。彼女は、どちらかといえば父親似かな。なお、弟さんもいるようだ。)
・これまで心配なくやってこれたのは、”黙って”見守ってくれた家族があって可能だった。
・「私の歌の最も力強い支持者は家族だ」と家族に対する感謝の気持ちを表した。

(※)イ・ソンヒは、梨泰院初等学校を卒業している。(本ブログ関連:2/2

(付記)
イ・ヒョリ(이효리)の4集「H-Logic」収録曲「ブランコ(그네)」のミュージック・ビデオは、内面をピエロに表現して奇をてらっているようだが、孤独感を一層高める表現に成功している。何よりも初めに、ピエロが砂を踏みしめる効果音が素晴らしい。そして、「タラリ・タラリラ・ラン」と繰り返すメロディーはナツメロ風なだけに情感を重ねるし、ヒップホップは屈折してほつれる男のモノローグに合っている。
(Youtubeに登録のmuzik4usに感謝)

孫と公園遊び

ゴールデンウィーク直前(開始?)の今日、孫と小金井公園で遊びの誘いがあった。暖かい風をうけて、孫の笑顔を楽しみに公園に出向く。孫家族と「ソリゲレンデ」前で待ち合わせる。いつの日か孫と一緒に滑りたいものだが、そのときはこちらが無理かも。
1歳とほぼ2ヶ月の孫と「こども広場」で遊ぶ。孫は、前のめりの歩きではなく、足裏を一歩一歩踏み固めて歩を進めるようになった。もう少しで、ずっと歩き続けることができるだろう。それに笑顔が随分と上手になった。(特によそのお姉さんに対しては、どうしてそんな可愛い顔ができるのかというほど愛嬌をふリまく)
孫の両親を置いて、広場の中央に立つ「鯉のぼり」が泳ぐポールまで孫を抱きかかえて行く。途中、どれほど大事に思っているかをささやいた。さて、可愛い孫はわかってくれたかな。鯉のぼりの家族を聞かせてやると、孫は指差して、手を叩いて喜んでくれた。
初夏を思わせる太陽は流れる雲間から日を差して、孫との思い出となる時間を与えてくれた。

★★★★★ 孫が、今日の一日に遊び疲れたのだろうか早々に寝てくれたというメールが届いた ★★★★★

2010年4月28日水曜日

小公女セーラ

イ・ソンヒが、アニメ「走れハニー」の主題曲を歌ったことは先日(4/23)述べたが、彼女はもうひとつのアニメ「小公女セーラ(소공녀 세라)」のテーマソングを歌っている。
「リラクマ・モール(리락쿠마몰)」には、「小公女セーラ」のオープニングをイ・ソンヒが歌い、作詞者、作曲者の次に「歌 イ・ソンヒ」と表示した動画を載せている。

「小公女セーラ」のアニメは、オリジナルは日本版のようだ。Wikipediaに、フジテレビ系の「ハウス世界名作劇場」で、1985年1月~12月の間放送されたと紹介されている。
リンク韓国では、1986年にMBCで放送されたようだ。イ・ソンヒの歌は最終回だけ流されたという話もあるが、詳細未確認。

★★★★★ 孫が、父親の真似をしながら子供用!歯ブラシで歯磨きの練習をしている動画が届いた ★★★★★

2010年4月27日火曜日

5月のイ・ソンヒ

イ・ソンヒの歌「5月の陽ざし(5월의 햇살)」が流れる、彼女のファンサイト「SunnyLoveCarrot(써니사랑 홍당무)」に5月のスケジュールが次の通り記されている。
(本ブログ関連:2009年の11/7

京畿道ケーブルテレビ局「アルム放送(아름방송)」による「第2回ABNファミリー楽フェスティバル(패밀리락 페스티벌)」が開催され、そのコンサートにイ・ソンヒほかイ・スンチョルなどが出演する。
・日時:5月8日、19:30~
・場所:京畿道城南市盆唐区(분당구)庁前芝広場

釜山にて開かれる「五月愛コンサート」に昨年同様(本ブログ関連:2009年の5/30)、イ・ソンヒが出演する(予定)。
・日時:5月15日、15:00~/20:00~
・場所:釜山KBSホール
(参考)ちなみに、ブログ「わっ(와!)」に昨年のコンサートが紹介されていて、「特に久しぶりに舞台に戻ったイ・ソンヒ、彼女の歌唱力は健在だった。」と語られている。

2010年4月26日月曜日

カバー

たとえば演歌をカバーする場合、演歌歌手はできるだけ自分の個性を込めニュートラルに表現するのを避けているように見える。ところが、ポピュラーミュージックの場合、その傾向は少ないような気がする。歌手重視と曲重視の違いかもしれない。
イ・ソンヒの歌で、他の歌手に数多く歌われるのは、何といっても「私はいつもあなたを(나항상 그대를)」(歌詞)ではないだろうか。Youtubeで検索すると、そのことがよくわかる。ひとつに映画の中で歌われたこともあるが、イ・ソンヒの「Jへ」を歌うよりは、彼女に接近し過ぎない範囲という意味で、歌いやすいのかも知れない。映画の中の歌を除けば、イ・ソンヒのイメージを尊重してカバーされていることがわかる。
・映画ドラマ中の、キム・ジョンウン(김정은)、コン・ヒョンジン(공형진) ・・・ (本ブログ関連:2009年の10/22、2010年の1/16
・トロット歌手の、チャン・ユンジョン(장윤정
・K-POP歌手の、シア・ジュンス(Xiah Junsu)、ソン・ダムビ(Son Dambi) ほか
(Youtubeに登録のoldskool2u、hennitaslim、naragoyo、luvdbsk、sondambifanに感謝)

2010年4月25日日曜日

石の集い

石の集いが催される四ツ谷まで出かける。会員となって10年とうに過ぎながら、いまだ人頼みであるが、今日のような講演があるのもまた楽しみである。筑波大学の研究者の方が、最近の鉱物学のテーマを紹介され、次に専門にされている分野(鉱物中の流体包有物の研究)を丁寧に語ってくれた。
・新しいテーマのひとつにあげられた、粘土鉱物学は雲母のような層状構造がモデルになり、層間に部質を取り込むなどのダイナミックな動きがあるそうで面白く感じた。
・流体包有物の解説では、その本論と「日本の地球化学図」(産総研)を基に新しい鉱物産地の予想が指摘され、アマチュアへの(採集の)期待が語られた。
この後、鉱物鑑定練習があり、5種の鉱物が出されたが、ヒントもあったおかげで、たまたま席で話題にしていた灰長石、舐めて分かった岩塩だけ正解した。

この集いのときに、孫と一緒に外出しないかと息子から携帯に連絡があった。もちろん難しいが、もし家から出かけようとするとき通知を受けたならどうしただろうか。答えは決まっている、孫に会いたい。

★★★★★ 孫が、オモチャの自動車に乗ってハンドル操作を喜んでいる写真が届いた ★★★★★

2010年4月24日土曜日

デル・シャノン

デル・シャノンの「悲しき街角(Runリンクaway)」(1961年)は、題名のように悲しくはない。曲の途中に裏声で、「ワァ~ワァ~ワァ~ワァ~ワ ワンダー」と叫ぶ調子が、はぐらかされたような失恋の歌なのだ。それはいつだって、ブラウン管やEPレコードのなかの物語だった。ぼくら子どもは、「パパはなんでも知っているFather Knows Best )」のアンダーソン一家のように健全で充実したアメリカを勝手に思い描いていた。だから、悲しき街角も、スプリングフィールドの南メープル通りのように明るい街角でしかなかった。
(Youtubeに登録のWhuntmore、2amuseとWikipediaに感謝)

それにしても、アメリカの若者は、雨の中の失恋が好きだな。この曲が発表された後の、カスケーズの「悲しき雨音(Rhythm of the Rain)」(1963年)もそうだった。
(本ブログ関連:3/16

2010年4月23日金曜日

サンシェード

春雨のなか、久し振りに地元の韓国料理店に純豆腐チゲを食べに行く。おもしろいのだ、この店の純豆腐チゲは、その度にまるで家庭料理のように具材が微妙に違うのだから。けれども濃いスープと淡白な豆腐の、熱くてほっとした食味に今日も満足した。

孫が保育園に通い始めて1週間を過ぎた。そろそろ孫に会いたいと思いを巡らしていると、その機会を考えているというメールをお嫁さんからいただいた。久し振りに会う孫が楽しんでくれるものはないかと、隣町のおもちゃ売り場に探した。
そういえば以前届いた動画に、孫が大きな段ボール箱に潜り込もうとして、名前を呼ばれ照れるようにはにかんでいるものがあった。子どもは隠れ場所、自分だけの空間が好きだ。そんなわけでドラえもんのサンシェードを購入した。孫の土産に、ついにTVアニメのキャラクターが付いたものを選んでしまった。

TVアニメといえば、イ・ソンヒが「走れハニー」(1988年)の主題歌を歌ったが、KBS2の「ハッピーサンデー」のコーナー「不朽の名曲」(2009年1月4日)で、MCから「この歌のポイントは...、どこにありますか?」と聞かれたとき、彼女は「ポイント...? 思いっきり歌いました。(笑)」と応えている。(以上、ブログ「〔ミルギドットコム〕外伝」より)
イ・ソンヒらしい屈託ない受け応えだ。きっと主人公のハニーも前向きな少女なのだろうから。
(本ブログ関連:2009年の3/24/3、2010年の3/24

★★★★★ 孫が、運転席でハンドルや計器を真剣な目つきで触っている写真が届いた ★★★★★

2010年4月22日木曜日

パフ

そう、フォークがはやっていた頃、ブラザーズ・フォアやPPM(ピーター・ポール&マリー)の曲を歌っていた。「500マイル」、「七つの水仙」、「グリーン・フィールズ」、「パフ・ザ・マジックドラゴン(Puff The Magic Dragon)」などをね。
どれもこれも思いで深い懐かしい曲ばかりだ。とりわけPPMは、女性ボーカル(マリー・トラヴァース)がいたからではないが、いやそうかも知れないちょっとお洒落な感じがした。

ところで幼い子どもは、いつ大人になってしまうのだろう。きっと、大人の目に見えないドラゴンと遊んで最後に別れたときに、しかも随分とむごい別れ方をしたに違いない、そのとき大人になってしまったのだろう。
もう二度と戻ることができないことを知ったとき、ぼくらは幼い記憶を、ぼんやりとした彼方に懐かしむだろう。そして、ときとして太古の記憶のように思いでを遠くに呼び覚ますことがある。だから、幼い子どもたちの魔法の世界はとても大切なのだ。

(Youtubeに登録の60soldiesに感謝)

2010年4月21日水曜日

七星サイダー

バナナミルクとはどんな味なのかと、以前新大久保で探したが見つからなかった。入手がむつかしければ、ますます気になるものだ。(本ブログ関連:2009年の12/112/13
かわって、これから暑くなり、清涼感を求めるならサイダーがよい。三ツ矢サイダーはお馴染みである。コーラよりはジンジャエール、ジンジャエールよりはサイダーの順だろうか。(番外に、ドクターペッパーもはずせないが・・・)

ソウル新聞に「‘国民飲料’七星サイダーいつのまにか還暦」(4/14)の記事があり、その中でイ・ソンヒが登場した80年代のテレビコマーシャルについて次のように触れている。
「広告も一時代を風靡してエピソードを残した。1980年代にはユン・シネ(윤시내)、ク・チャンモ(구창모)、イ・ソンなど当代トップ歌手らが『シュビシュバ、七星サイダー』で終わるCMソングを歌って広く知られたりした。」とのこと。
ところで、イ・ソンヒは「シュビシュバ」なんて言っているかな?

今日の昼は、まるで夏のように頭上から鋭い陽が射した。毎日jpに夏日になったことが報じられた。
「気象庁によると、東京・大手町で25.5度を記録、(略) 今シーズン初めて最高気温が25度以上の夏日となった。」

★★★★★ 孫が、積み木のおもちゃで遊んだり、ご挨拶したりしている動画が届いた ★★★★★

2010年4月20日火曜日

帰還時期

昨日予定された、山崎アストロノーツ搭乗のスペースシャトル「ディスカバリー号」(STS-131ミッション)の帰還は、本日に延期されたが、JAXAのホームページに、次の5回の着陸プランがある。いずれの機会に着陸するのか待ち遠しいものだ。
着陸場所の、NASAケネディ宇宙センター(KSC)は東部のフロリダ半島にあるが、エドワーズ空軍基地(EDW)内NASAドライデン飛行研究センターは真反対の西部のロスアンゼルス北側にある。(GoogleEarth投稿者に感謝)

・1回目の着陸機会
着陸:米国東部夏時間4/20、07:34(日本時間4/20、20:34)、着陸場所:KSC
・2回目の着陸機会  
着陸:4/20、09:01(4/20、22:01)、着陸場所:EDW
・3回目の着陸機会  
着陸:4/20、09:08(4/20、22:08)、着陸場所:KSC ← 決定
・4回目の着陸機会  
着陸:4/20、10:35(4/20、23:35)、着陸場所:EDW
・5回目の着陸機会  
着陸:4/20、12:11(4/21、01:11)、着陸場所:EDW

JAXAのライブ映像で着陸の様子を見た。
晴天の中、ディスカバリー号は腹面に朝日を受けて降下し、NASAケネディ宇宙センター33番滑走路に予定通り09:08(日本時間22:08)にタッチダウンした。着陸した滑走路上のディスカバリー号近くに鳥が飛んでいる光景が何とも不思議に見えた。
無事の帰還おめでとう。

★★★★★ 孫が、両膝を立ててうつ伏せ寝している何とも可笑しく可愛い寝姿写真が届いた ★★★★★

2010年4月19日月曜日

帰還延期

JAXAのホームページは、山崎アストロノーツらを乗せたスペースシャトル「ディスカバリー号」(STS-131ミッション)の、NASAケネディ宇宙センター(KSC)への着陸時期が繰り下げられたと伝えている。
着陸予定の第1候補は、米国東部夏時間4/19、08:48(日本時間4/19、21:48)、第2候補は、もう1周地球周回を重ねて4/19、10:23(同4/19、23:23)だったが、曇天・霧などの天候不順のため、4/20、07:34(同4/20、20:34)に延期された。なお、着陸時期は、ジョンソン宇宙センターで最終決定するそうだ。
無事の帰還を祈る。

2010年4月18日日曜日

Jへ(MP3)

Joinsのブログ「ホタルの勉強部屋(반딧불이의 공부방)」(3/7)で、イ・ソンヒの「Jへ」のMP3版を、彼女の初期のバージョンだろうか、ダウンロードできる。
このMP3版は、ラウンドするので心地よく繰り返し聞くことができる。

★★★★★ 孫が、母親にもたれて充足した、そして自信に溢れた顔をした写真が届いた ★★★★★

2010年4月17日土曜日

春の雪

今朝方、ドサッという音がするので、何事かと思い窓の景色を眺めて驚いた。ご近所の家々の屋根にまさかの雪が積もっているのだ。うっすら雪だが、音を立てて溶け落ちたようだ。
通り路の路肩にわずかに積雪が残っているものの、中央の路面は濡れているだけだった。積もった桜吹雪を、春の雪に例えるのなら趣あるものを、無粋にまんまの雪を降らせるなんて・・・。
なお、都心でこの時期の降雪は41年振りだそうだ。

★★★★★ 孫が、休日の朝方に、いつもと違う景色を見て喜んでいるというメールが届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、尻餅をついて「いたいいたい」を両手を頭にあてて表現する動画が届いた ★★★★★

2010年4月16日金曜日

花柳

今日は旧暦の3月3日、本来この日に「ひな祭り」が行なわれていたわけで、気象庁データによれば、4月の平均気温(1971年~2000年)は、Min.10.5℃、Max.18.4℃である。春らしい暖かさを期待できるはずなのに、今週の寒さといったらまるで冬だ。(今日の東京の気温はMax.7℃)

東国歳時記」(洪錫謨 著)の「三月」には、月内雑事の一つに「花柳」が次のようにあげられている。
「ソウルの風俗に、山阿水曲の景勝地を訪ねて遊ぶことを花柳(ファリュ)という。これは上巳日(三月三日)に踏青(新芽を踏んで歩くこと)する昔からの風俗である。/ソウル近郊の弼雲台(ピルウンデ)の杏花、北屯の桃花、興仁門(フンインムン:通称東大門)外の楊柳などは、もっともよい花柳場として知られ、多くの人がここに集まる。」とのこと。

以前(2005年4月17日)のこの時期、山梨県の乙女鉱山に水晶採集に行くため、勝沼のICを降りたところ、一面に咲く薄桃色の桃の花に驚嘆して目一杯春を感じた。いまどきは、そんな季節だったはずだが。
来週は温暖になるという。一息つけそうだ。

2010年4月15日木曜日

5月の雪花祭り

イ・ソンヒのファンサイト「SunnyLoveCarrot(써니사랑 홍당무)」他によれば、イ・ソンヒは、忠淸南道の大田広域市郊外にある儒城(유성)温泉で開催される「2010儒城 YESS -5月の雪花祭り」(4/30~5/2)の開幕式に次の通り出演する。
日時:4月30日、19:00~
・場所:儒城文化ストリート
・出演:少女時代、イ・ソンヒ、Gavy NJ(가비엔제이)、ヒョンチョル(형철) など
・主催:大田広域市儒城区

白い「ヒトツバタゴ」の花が咲き誇るそうだが、日本では長野以西の希少種のひとつとのこと。(Wikipedia

(Youtubeに登録のcatseye1976、kece3に感謝)

★★★★★ 孫が、保育園初日の夜、切なくもどかし気に訴えるように「いやいや」と泣く動画が届いた ★★★★★
★★★★★ (孫は、「いやいや」と泣いた後、オモチャを渡されたら笑顔にもどったという。胸騒ぎする) ★★★★★

2010年4月14日水曜日

孫と保育園

今日から、孫は正式に保育園に通うことになる。そのため母子で、午前中、昼まで、そして午後へと保育時間を延ばして練習をしてきたという。今日は、きっと上手にこなしてくれたことだろう。
ところで、今週は北極振動のせいで随分と寒い。孫には春の花の美しさや若葉の爽やかさを感じて欲しいので、陽気がはやく戻ってくれることを願っている。
これから仕事に復帰して頑張るお嫁さんにエールをおくりたい。

★保育園の名を込めて「星に願いを(When you wish upon a star )」(フランク・チャックスフィールド演奏)

(Youtubeに登録のwaltz0924に感謝)

★★★★★ 孫が、久し振りの出勤を前に寝付けない母親を察したかのように遊びを誘う動画が届いた ★★★★★

2010年4月13日火曜日

イ・ソンヒのこと

近頃、イ・ソンヒについて気になる2つのブログに接することができた。

「ウィンドウズ・フォーラム(윈도우 포럼)」(4/11)に、イ・ソンヒの20周年記念コンサート(2004年8月26日、世宗文化会館)を、自作DVDにまとめた方の案内がある。
ぜひとも見たいものだが、残念ながら入手方法がわからない。そのフォーラム会員にならなければ無理なのだろうか。

「フェルメールのブログへようこそ」(4/10)に、MBCの音楽番組「音楽旅行ラララ」(2009年3月25日)で歌われたイ・ソンヒの象徴的な曲「Jへ」について、聴くものに彼女の声が共鳴するように澄んで清らかに響くことが語られている。またブログで、音質の良い「Jへ」を聴くことができる。
同番組で歌っている彼女の写真が掲載されているが、本当に清潔で感じのよい美しい人だ。

(付記)
ペーパードライバーながら運転免許証の更新に、府中の運転免許試験場に手続に行った帰り、近所の書店で「仏教への旅 朝鮮半島編」(五木寛之著、講談社)を購入する。
口絵写真には、江南の「奉恩寺」(本ブログ関連:2009年の12/1712/31)の釈迦誕生の祝い事の写真、「浮石寺」(本ブログ関連:2009年の7/24)の鼓楼に於ける太鼓打ちの写真、そして最近亡くなられて著書絶版で話題になっている「法頂師」との対話の写真が載っている。
小説家の目で、浮石寺の義湘と善妙の(説教的)物語と、日本の道成寺の(情念の)物語を合わせて、物語の支えを大衆を含めた「共感」に求めている。期待して最初からしっかり読むことにしよう。

2010年4月12日月曜日

春寒暖

この春の寒暖はいつまで繰り返されるのか。今日は冬のように寒く(Max.14℃)雨が降り続いたが、明日は曇天なれど4月下旬並みの暖かさ(Max.21℃)になるという。ところがその後一転して寒さが戻り、週末まで続くというのだ。おかげで風邪が長引く。

Youtubeを巡っていたら、「キム・ユンア(김윤아)の「ミュージック・ウェーブ」(現在非公開)にたどりついた。
2005年8月2日に放送のSBSテレビの音楽番組で、その第一回目のゲストとして日本から小柳ゆきが迎えられ、ファヨビ(화요비)と協演している。(2004年の日本大衆文化4次開放にのっとったようで、地上波国内(韓国内)放送で)、「日本人アーティストが韓国の番組で本格的に紹介されたのは初めてだったそう・・・」という、以上Youtube登録者による解説が載っている。
小柳ゆきはもちろん日本語で歌っている。そして彼女の発声は驚くほどパワフルである。

(Youtubeに登録のpenzalpain、mantinro、asbutter1に感謝)

2010年4月11日日曜日

新世界スーパーコンサート

断片情報の積み上げだが、新世界百貨店신세계 백화점)が、開店80周年を記念して、「新世界スーパーコンサート(신세계 수퍼 콘서트)」を次の通り開催する。
・日時:4月24日(土)、午後7時より
・場所:オリンピック公園体操競技場(5号線オリンピック公園駅下車)
・座席:先着順
・出演:少女時代、2AM、ウン・ジウォン(은지원)、ブライアン(브라이언)、チョPD(조PD)、シークレット(시크릿)、ミン・ギョンフン(민경훈)、ワン・ツー(원투)、アウトサイダー(아웃사이더)、帝国の子供たち(제국의 아이들)

80周年記念ならば、80年代歌手のバージョンもあれば・・・よいのだが。

★★★★★ 孫が、風邪で鼻水を出した(たらした)、昭和の香りのする親しみやすい写真が届いた ★★★★★

2010年4月10日土曜日

お花見つづく

今年の春は寒暖の差が大きく、野菜や茶などの農産物に影響を及ぼしているとのこと。それと引き換えにか、この時期も、まだ桜を愛でるチャンスが残された。青空が覗く今日、10日振りに20℃を越えた。

小金井公園は、散りいく桜花を惜しむように家族連れで賑わい、桜の木の下は桜吹雪に積もった花弁に覆われていた。花とともに、ようやく春らしい温みを感じることができた。











★★★★★ 孫が、風邪薬を混ぜたプリンを気に入り、食後も容器を返そうとしない動画が届いた ★★★★★

2010年4月9日金曜日

宇宙からのメール

ISS滞在中の山崎アストロノーツから、地球で待つ夫と娘さんあてに送られたEメールの内容がTVのニュース(TBS News)で紹介された。
Eメールには、Wakeup musicに娘さんが選んだ曲(映画「天空の城ラピュタ」より)が使われて感動したこと、「元気にしていますか?」との気遣い、最後には「いつか3人で宇宙旅行したいです。宇宙から宇宙一の愛をこめて...」と家族への思いが書かれていた。
「宇宙旅行」の言葉が日本の子どものなかに、現実味をもって浸透し始めた元年かもしれない。

そういえば、むかしのTV番組「宇宙家族ロビンソンLOST IN SPACE)」で、ロビンソン家族とロボットと悪役博士のおりなすSFドラマがあった。悪役博士ドクター・スミスは、不思議なことになぜか憎めず、連続ドラマの味付けに貴重な存在だった。当時の子どもには、宇宙旅行は熱血冒険旅行であり、ブラウン管の中に存在した。

(Youtubeに登録のROSICKY333、およびDaily motionの登録に感謝)

2010年4月8日木曜日

東医宝鑑

今夕、韓国文化院で、「東医宝鑑」を編纂したホ・ジュン(許浚、허준)についての講演があった。講師は、小説「許浚 ホ・ジュン」(1990年、桐原書店:イ・オンソン(李恩成、이은성)著、朴菖熙訳)の日本語訳版の出版に関わった方だ。

講演の話題は、ホ・ジュンのTVドラマの断片、小説の日本語訳出版のいきさつ、および関わるイベントや博物館の話題などが中心だった。残念ながら、ホ・ジュンそのひとの史伝、「東医宝鑑」の韓方医学上の位置づけと文献解題などについては、時間が足りなかった。

★★★★★ 孫が、プラレールの電車が動いては泣き、止まっては泣く動画が届いた ★★★★★

2010年4月7日水曜日

ISSの2人のアストロノーツ

午後4時44分、NASAのSTS-131ミッションを持つスペースシャトル「ディスカバリー号」は、ISSに無事ドッキングした。
そして午後6時11分にハッチ・オープンして、山崎直子さんはISSに入室した後、滞在中の野口 聡一さんと対面した。(写真はJAXAの"SPACE@NAVI-Kibo SPECIAL LIVE"視聴より)
ディスカバリーから7名が搭乗することで、ISSは合計13名の体制になる。しかも、そのうち4名が女性である。ここに新しく、日本の母親の目が加わった。

(Youtubeに登録のsamthavasa1162、ANNnewsCHに感謝)

2010年4月6日火曜日

イ・ソンヒ 歌謡祭が生んだ歌手

NAVERキャストの「むかし新聞」にある「歌謡祭が生んだ彼女たち」('09/6/3)に、80年代と90年代初頭に新人歌手登竜門であった「大学歌謡祭」、「辺歌謡祭」出身の女性歌手たちについて、当時の新聞記事を紹介している。

イ・ソンヒについて次の2紙の記事が紹介されており、当時の記事にリンクすることができる。
・「京郷新聞(경향신문)」1984年7月31日
「『'84 MBC辺歌謡祭』の応募作は、大賞の栄誉を授かった『Jへ』をはじめ、若者たちの切ない愛と友情を描いた曲がほとんどで、エレキギターを使った激しい曲より、やわらかくて情感ある曲が主流をなした。 (中略)
大賞の栄誉を授かった混成デュエット『4幕5場』のメンバー、イ・ソンヒさん(18、仁川専門大環境管理科1年)とイム・ソンギュン君(22、機械科2年)は、思いがけない喜びにむしろとまどう表情...」

・「毎日経済(매일경제)」1984年11月24日
「歌謡界のシンデレラと呼ばれることについて、イ・ソンヒさんは不満が多い。たまたま運良く、自分が人気を得ることになったのでは決してないからというもの。(中略)
しかし、どんなに忙しくても欠かさないのはニンジン食べること。 一日2本ずつ毎日食べるのは幼いころからの習慣だ。茶目っ気の多いこのお嬢さんは、ガールフレンドをたくさん引き連れていて、おかげで中学時代の体育の先生が付けた『サニー』をはじめ、『ワルヒ(おてんばソンヒ)』などのニックネームだけでも20ヶ以上に達すると... 」

あらら、イ・ソンヒとニンジンの関係は、そうだったのですか・・・初めて知りました。

(本ブログ関連:2009年の8/10、2010年の2/33/24

★★★★★ 孫が、保育園の散歩で電車を喜び、園の絵本の電車を指差したというメールが届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、保育園でお行儀よく、保育士さんからお昼の食事を受けている写真が届いた ★★★★★

2010年4月5日月曜日

STS-131

今夕(日本時間の午後7時21分)、NASAのSTS-131ミッションのため、山崎直子さんがスペースシャトル「ディスカバリー号」に搭乗する。日本人女性としては、向井千秋さん(STS-65、95)に次ぐ2人目のアストロノーツだ。

ISS到着後、野口 聡一さんと共に二人の日本人が同時に宇宙に滞在(ISSに搭乗)することになり、今まで以上に宇宙が子どもたちに身近に感じられるだろう。日本人アストロノーツ同士の対話もそうだが、ぜひ娘さんとの宇宙からの親子の会話も、日本の子どもたちに聞かせて欲しい。母のイメージが、大地、海、地球、そして宇宙へとつながるのは間近だ。星々は宇宙を母胎に生まれたのだから。

世界で初めての女性宇宙飛行士といえば、ソ連(当時)のワレンチナ・テレシコワだ。1963年6月16日にボストーク6号に搭乗して、「ヤー チャイカ(Я чайка)」(わたしはカモメ)と宇宙から発した。この言葉は忘れられない。ちなみに、イ・ソンヒが生まれる前年のことである。
(Youtubeに登録のcsnc82に感謝)

(追記)
JAXAのホームページで、STS-131の実況映像を見ることができる。
米国東部夏時間午前6時21分、日本時間午後7時21分に、ディスカバリー号は順調にリフトオフした。
(Youtubeに登録のshuttlemaniaに感謝)

(参考)
「”SPACE@NAVI-Kibo” Presents 山崎直子宇宙飛行士 初搭乗 ミッション概要」(JAXA

★★★★★ 孫が、保育園に行く前に、ベビーチェアで大物風に朝食をとっている写真が届いた ★★★★★

2010年4月4日日曜日

野川の桜

曇天の花寒い一日だった。
ここ小金井の台地南側崖下を流れる野川の両岸に咲く桜を見に行く。新小金井駅から南に坂を下って、野川の岸を西に進み、東京経済大学脇の坂を上るまで散策した。両岸のソメイヨシノは咲き誇り、眺めのよい川岸のあちこちに宴がおこなわれていた。なかには川堀の淵の両サイドに広がる乾いた場所に花見席を設けている一団もいた。

ところで、野川の枝垂れ桜は一見の価値ある景観と歴史散歩の会で知らされていたが、今のところ、まだ蕾のようだった。















★★★★★ 孫が、ペットショップの子犬を見て覚えた「ワンワン」を甘い声で口にする動画が届いた ★★★★★

2010年4月3日土曜日

孫と砂遊び

「小金井桜まつり」(4/2~4)に孫家族と一緒に小金井公園に行く予定だったが、午前中に公園を下見してあまりの人混みに驚き、孫宅近くの小公園で遊ぶことに変更した。

あと4日で、1歳と1ヶ月になる孫は、砂遊び、滑り台、ブランコなどに(付き添ったが)、大喜びしていた。プラスチックのおもちゃのバケツとスコップで、砂遊びを飽きずに続けた。バケツの中の砂をスコップで混ぜ返す感触と音が気に入ったのだろう。また、砂遊びの延長で、砂地を走る蟻を見つけ指差して、ハイハイしながら追い続けた。そんな好奇心の強さにも驚いた。

孫が、親の愛情を受けて健康にすくすく育っているのを見て安心した。今度は、小金井公園が静かなときに一緒に遊びに行こうよ。

2010年4月2日金曜日

イ・ソンヒと社会活動

cowalknewsの古い記事(1998年8月1日)に、11集アルバム(発売日:1998年11月2日)を制作中のイ・ソンヒにインタビューしたものがあり、少年少女(学生)家長支援の慈善活動や、ソウル市議会での議員活動('91.7.1~'95.6.30)などについて経緯が詳細に記されている。

仏教に関わる父を十分に理解できずにいた子ども時代に、しばしばの引越しや友人との関係に彼女に葛藤があったことは知られている。その結果、内省的な子どもに育ち、社会的な不公平にも目が向くようになったようだ。学校の黒板に学費未納の生徒の名前が(先生により)書き続けられていた思い出を語っている。
歌手になった後、ある雑誌の提案を受け入れ、彼女は少年少女(学生)家長支援のコンサートを開くことになった。これが契機になり、運動が全国に広がり政府も動かすことになる。

この活動の成果を、ある意味で個別的(限界)に感じたのだろう。彼女は、ソウル市議会議員選挙に最年少女性議員として立候補し当選する。当時の与党(民自党)から立候補しているが、結果として政治の枠を超えて社会活動している。歌手活動を併行して行う予定だったが、まじめさゆえにか歌手活動を封印してしまう。一方、少年少女(学生)家長支援活動の支援者との関係が不整合になり活動をあきらめている。
歌手活動復帰後に制作した10集アルバムを成功する。

(本ブログ関連:2009年の8/3110/29、2010年の4/1

★★★★★ 孫が、保育園二日目を無事に終え、帰り道ずっと寝ていたというメールが届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、「ンパイ」と声を発しながら、マグカップで乾杯の真似をする動画が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、「立った立った」の合図で歩き出し、おばあちゃんに転げこむ動画が届いた ★★★★★

2010年4月1日木曜日

イ・ソンヒと大統領選挙

MLBPARKのBULLPEN記事に「歴代選挙で金大中(김대중)前大統領を支持した有名人ら」(3/31)が紹介されている。
1997年の15代大統領選挙に出馬した金大中の支持者の中にイ・ソンヒがいる。金大中は、1971年、1987年、1992年、1997年の大統領選挙に出たが、1997年の選挙に当選して大統領に就任した。大統領(1998年2月25日-2003年2月24日)在任中の2000年6月にノーベル平和賞を受賞している。イ・ソンヒは、その記念「平和音楽会」で「朝露(아침이슬)」を歌った。

(Youtubeに登録のmy3040に感謝)

(本ブログ関連:2009年の8/3110/29

★★★★★ 孫が、保育園の練習初日の夜、(さぞ疲れたろう)早々に寝付く様子の動画が届いた ★★★★★

2010年3月31日水曜日

桜の歌

春ともなると、これほどに次々と新曲が出て桜が歌われるのはなぜだろう。戸惑うばかりだ。
子どもの頃の桜の歌を思い浮かべると、むかしからの「さくらさくら」と、滝廉太郎作曲、武島又次郎作詞の「」ぐらいだ。これらの歌と、実際に桜が咲き散る光景とが合わさって、心象風景を形作っている。桜はいつでも新しく懐かしいものだ。

小学校の春の小さな外出に、校舎の南につづく坂道を上がって行くと公園に貯水池があって、その堤に植えられた桜の木の下で昼食をとった思い出がある。桜は、今となっては白く漠として輪郭がない。ただ、桜花を通して暖かく射す陽の下ではしゃいでいる子どもたちの姿が浮かぶ。

(Youtubeに登録のniponpolydor、tk152008に感謝)

★★★★★ 孫が、いよいよ明日から保育園に通うため、短時間預ける練習から始めるとメールが届いた ★★★★★

2010年3月30日火曜日

お花見予定

孫とのお花見が来月3日に決まったというメールが届いた。
ウェザーニュースの予報によれば、「週末には回復してお花見日和に期待できそうです」とのこと。
当日、小金井公園の青い空に、薄いピンクの花が一面に咲いているのが見えるとよいが。歩き始めた孫には、見上げる桜の花がどのように映るのか楽しみである。きっとよい思い出になることと思う。

(追記)夜中に、新年度のNHK「テレビでハングル講座」が始まった。番組オープニングに流れるテーマ曲は、パク・へギョン(박혜경)の「ハイヒール(하이힐)」のようだ。高音と低音を合わせ持った独特の不思議な声の持ち主だ。
(Youtubeに登録のAudHepFan5429に感謝)

2010年3月29日月曜日

80年代のトップ3女性歌手

MLBPARKのBULLPENに、「80年代の男女のソロ歌手No 3は誰だと思いますか?」(3/22)という問いかけの投稿があり、投稿者は女性歌手について次の名を挙げている。
ほとんどの意見の相違なく、女性歌手No1、2は、イ・ソンヒ、チュ・ヒョンミ(주현미)が数えられているが、No3はちょっと曖昧です。女性歌手は、キム・ワンソン(김완선)、チョン・スラ(정수라)とイ・ウンハ(이은하)などが可能なようだ・・・としている。

(Youtubeに登録のpbo3536に感謝)

★★★★★ 孫が、こちらに向いて、はにかむように「こんにちは」のご挨拶をする動画が届いた ★★★★★

2010年3月28日日曜日

錫高野#13

毎月の鉱物採集場所に窮すると、困ったときの錫高野になっている。ということで今回も春寒い早朝にJR南柏駅に集合して、хаякава氏の車に乗せてもらい錫高野に向かった。

いつも通り、仏国寺(茨城県東茨城郡城里町)側から山に入る。山裾に「木喰五行明満聖人終焉ノ地/奥ノ院三昧洞穴入口」と記した石碑がある。その傍を通って急な坂を登り小さな空き地に着く。そこからは、緩やかなズリ石を敷いたと思われる山道をたどる。頂からくだる山道の右手に、いくつかのズリがある。
13回目の同地採集だが(ベテランхаякава氏は30数回来ているとのこと)、初めての沢(ズリ)で採集する。錫高野は奥が深い。

吹く風が冷たく、用意した雨合羽が役に立った。寒さのせいか、誰とも会わずじまい。
成果は次の通りだが、もっぱらいただき物が主である。
・鉄マンガン重石、トパーズ、雲母、水晶、赤鉄鉱
・班銅鉱、銅藍、孔雀石、ブロシャン銅鉱、黄銅鉱
・輝蒼鉛鉱?、自然銅?

世界フィギュアスケート選手権2010

【下記リンク先:国際スケート連盟の「世界フィギュアスケート選手権2010」ホームページを参照】

記念すべき第100回「世界フィギュアスケート選手権2010」(イタリア、トリノ開催)の男子、女子ともに日本選手が制覇した。
男子高橋大輔が、ショートプログラム89.30、フリースケーティング168.40、合計257.70ポイントで、日本男子史上初めて金メダルを獲得した。
女子浅田真央が、ショートプログラム68.08、フリースケーティング129.50、合計197.58ポイントで、二年ぶり二度目の金メダルを獲得した。

(Youtubeに登録のOTACONNR、KimagureTekitou2に感謝)

2010年3月27日土曜日

イ・ソンヒと高音 2nd

イ・ソンヒの高音については、適切な表現を探してきたがなかなか見つからなかった。ブログ「ひばり(노고지리)」に、民謡を歌う彼女の高音について次のように記している。
・歌手としての端正な品位の高い高音でも、決してfalset(裏声)を使わないで、爆発的な歌唱力、歌詞を伝える卓越したintonational(音調)の中に、彼女だけの独特の興(たのしさ)があります。
・彼女が歌った「セタリョン(새타령:鳥打令)」、「ソンジュプルイ(성주풀이)」は、従来とは区別され、私たちが追求しなければならない現代的な民謡の歌唱法とシギムセ※(nuance or texture)を提示したパラダイム(paradigm)とします。

(本ブログ関連:2009年の8/2711/712/24、2010年の1/25

(※)シギムセは、出した音をそのまま維持せずに「揺らす(弄音)」「転がす(転声)」「落とす(退音)」など。ある音程から音程へ移ろう方式を避け、ある音程の周辺で留まり味を加えていく韓国音楽の特有の要素。(韓国文化院

(Youtubeに登録のnaragoyoに感謝)

★★★★★ 孫が、大判の模造紙の上でクレヨンをふりまわして描いている動画が届いた ★★★★★

2010年3月26日金曜日

CTKー495

昨日のブログで、ビリー・ヴォーンの「浪路はるかに」をYoutubeにリンクしたが、YAMAHAの上級キーボードTyros2で演奏されたものなので、ビリー・ヴォーン演奏のものにリンクを換えた。
Tyros2は国内販売はされていないらしい。Youtubeにデモンストレーションがある(demo-1、demo-2)。音色の美しさに驚かされる。

ところで、入門用のカシオのCTK-495を随分むかしに購入して、そのままにしている。いい具合にリズムを選択すると、2種類トーンで鳴らして、ウソのコードと指使いをしても、意外とその気になれるものだ。ただし基本を知らないから、いじって終わるだけだが。
このままではもったいないので、CTK-495には申しわけないが、いずれ孫のおもちゃになってくれればと思っている。

(Youtubeに登録Robsev、sosoa123、jkuser22497に感謝)

★★★★★ 孫が、風呂上りにテルテル坊主を牛乳の入ったコップに入れたというメールが届いた ★★★★★

2010年3月25日木曜日

浪路はるかに

ビリー・ヴォーンの音楽は、子どもには近寄りがたい感じがして、どうしても馴染めなかったものだ。それがどうしたことか、今となっては懐かしい。「夕陽に赤い帆」(本ブログ:1/8)もそうだが、海につながる「浪路はるかに(Sail Along Silvery Moon)」もよい。不思議なことに、しっとりと耳に入ってくるのだから。極端に例えれば、秋刀魚のわたを歳をとってこそ美味いと気付くのと同じかな。

「浪路はるかに」は、1937年に書かれた曲(作詞:Harry Tobias、作曲:Percy Wenrich)を、1957年にビリー・ヴォーンによりリリースされて、翌1958年に全米5位のヒットをしたそうだ。<Wikipedia、Youtube(概要)などより>

(Youtubeに登録の draadnagels、ilovetrains63に感謝)

2010年3月24日水曜日

「ハニー」のような「サニー」

このタイトルは、イ・ソンヒがテーマソングを歌った少女アニメ「走れハニー」、およびファンからの愛称「サニー」をもとにした次の記事タイトルから採った。

「文化日報」の記事「『ハニー』のような『サニー』…その声が懐かしい」('04/8/3)には、デビュー20周年記念「Jへ 20年 イ・ソンヒ・コンサート」('04/8/26~28)の準備に忙しい頃のイ・ソンヒとのインタビューがあり、次のような話題が載っている。
・イ・ソンヒの江辺歌謡祭大賞受賞('84年)は、「背が低くて声の大きい女性歌手」のさきがけとなり、以降チョン・ユナ(전유나:'89年大学歌謡祭大賞)、ユ・ミリ(유미리:'86年江辺歌謡祭大賞)などの「イ・ソンヒにつづく歌手」が入賞している。
・高等学校の時、作曲家イ・セゴンに会ったが、その方からこの歌の楽譜を受け、そして1年6ヶ月の間温めていた。【江辺歌謡祭時期から逆算すれば、いつ頃この曲を得たかがわかる】
・「ミュージシャン」といわれるよりも「歌手」にこだわる。【それは、彼女らしい筋の通った信念だろう】

(Youtubeに登録のamplify82、koreanballadsに感謝)リンク

★★★★★ 孫が、機関車トーマスのお面で、いない・いない、ばぁ~をする動画が届いた ★★★★★

2010年3月23日火曜日

孫と独り歩き

4月から保育園に通う孫に会いに行く。今までのように訪問もままならないだろうから、今日は孫と目一杯遊ばせてもらった。

風邪で鼻づまりの孫は、それでも元気に笑顔を振りまいてくれた。そして何より驚かせたのは、目の前で呼びかけに応えるように、両手を斜め上に挙げて立ち歩きしたことだ。独りで六歩は歩いた。先日のメールで、五、六歩と歩いた知らせを受けたが、直接見るとでは大違いの感激だ。親たちも、その洗練された歩きに感心したくらいだから。
風邪で決して快調ではないのに、何と頼もしい孫だ。1歳の当月に歩いたのだから。

小金井公園の桜まつりまでに孫が風邪を完治したら、ともして花見に行きたいものだ。早く元気になっておくれ。

2010年3月22日月曜日

桜開花

気象庁は、東京の桜(そめいよしの)の開花を発表した。靖国神社の標本木を観察して、携帯電話で開花を報告している女性職員の姿をテレビ朝日のニュースで報じていた。平年比6日早く、昨年比1日遅れだそうだ。

昨日訪れた小金井公園の桜は、まだ蕾を大きく膨らませているだけだったが、4月2日~4日に「第56回小金井桜まつり」が開催される。

イ・ソンヒが選ぶ印象的な歌

イ・ソンヒとのインタビュー記事「イム・ジンモが会った人-イ・ソンヒ」(oimusic '03/2)が、Daumミュージック(뮤직)に載っている。(インタビューは以前(1/7)、一部紹介)

インタビューの中で、イ・ソンヒが自身の曲から、40代が記憶する「Jへ」※と、30代が(記憶する)「思い出のページをめくれば」※※を最も印象的な歌に選び、後者はファンが「最もイ・ソンヒらしい曲」と感じるという説明を付け加えた・・・とのこと。
※、※※ これらの曲は、彼女が歌番組「歌謡トップテン」で1位となった曲である。(2/28に紹介)
※※ イ・ソンヒが高音の強い発声のイメージから脱却した曲のひとつである。(2009年の8/27に紹介)
(Youtubeに登録のmongtec、pops8090に感謝)

また、このインタビューで、彼女は見せかけの自由より、教本の通り行くことを選ぶといい、歌に専念するゆえにむしろ無口であり、歌手は歌でだけ話しますと述べている。そこから彼女の清潔さにつながる、ある意味で一途なイメージが窺われる。

2010年3月21日日曜日

ケロロ軍曹

訂正がある。先日、孫が「ケロケロ軍曹」の着ぐるみを見ている写真メールが届いたと記したが、正しくは「ケロロ軍曹」だった。緑色していたので、ついついカエルのイメージの延長で、<ケロケロ>としてしまった。言い訳はここまで。

ケロロ軍曹の(公式?)ホームページを参照したところ、次のような説明があった。ケロロ軍曹は、ケロン星人で地球侵略の尖兵として活動していたが、地球の子どもと出会った結果、大切な武器?を奪われて囚われの身となり、今は面従腹背しているらしい。
このアニメをYoutubeのPart1で見ても要領を得なかったが、Part2で上記いきさつがわかった。このケロロ軍曹、困ると自ら「ただのカエル」と言い逃れしている。

(Youtubeに登録のTainted46に感謝)

春分の日2010

今日は、二十四節気のひとつ、「春分の日」である。昨日からの強風は衰えたとはいえ、まだ幾分の名残りがある。

穏やかな陽を受けて小金井公園に行くと、春の嵐の凄まじい跡を見ることができる。「江戸東京たてもの園」前の広場に並ぶ桜の一本の古木が根こそぎ倒れていた。桜の根は地中浅く広がると聞いている。強風に耐えられなかったのかもしれない。
また、公園中央にある「いこいの広場」のケヤキの木立の下には、強風に折れた枝が散乱していた。









★★★★★ 孫が、夜泣きして両親を振り回した後、あどけない寝顔で寝ている写真が届いた ★★★★★

2010年3月20日土曜日

国民の妹

せっかく穏やかで暖かい日和になれた筈なのに、強風に邪魔された一日だった。夜分、その風はますます強くなった。
(追記)深夜、風力は増して烈風となり、まるでラジオの効果音のように外気をゆすり、おまけに家まで軋ませてくれる。

キム・ヨナには、韓国で「スケートの妖精」などの愛称があるが、日本では2010冬季オリンピックのテレビ放送で、もっぱら「国民の妹」と呼ばれていると紹介された。
(本ブログの「キム・ヨナ」関連:2009年の3/283/298/20、2010年の2/242/26

ところで、元祖「国民の妹」といわれたのは、映画俳優イム・イェジン(임예진)だそうで、ブログ「The Blog of Samma」によれば、女子高生時代に多数のハイティーン映画で最高の人気を謳歌したという。例えば、Google「画像検索」で「임예진」と検索すると、当時の愛らしい画像を見ることができる。
(本ブログ関連:2009年の10/15

チュ・ヒョンミ&ソヒョンの「チャラチャチャ(짜라자짜)」MVに、イム・イェジンが出演して、少女時代のセピア色の写真を見て懐かしむ可愛いオンマ役を演じている。
・ブログ「Love」からの孫引きだが、「80年代最高のハイティーン・スターのイム・イェジンと少女時代のユリが共演して『離れの客とお母さん(사랑방 손님과 어머니)』をモチーフに、家庭教師を(間に)置いて繰り広げられる母と娘の三角関係をコミカルに描く予定」との記述がある。
・「シネマコリア」に、映画「離れの客とお母さん」の紹介がある。

(Youtubeに登録のchararabiに感謝)

(追記)
Jo!nsの記事「華麗な人脈」(3/19)によれば、イム・イェジンがSBS番組「ペ・キワン、チェ・ヤン、チョ・ヒョンギの良い朝」で、芸能界で顔が広いことを誇ったそうだ。番組に特別出演したスターたちは、歌手イン・スニ、演劇俳優ユン・ソクファ、俳優コ・ドゥシム、俳優バク・ジョンスとのこと。

★★★★★ 孫が、おばあちゃんと一緒にケロロ軍曹の前に立って見上げている写真が届いた ★★★★★

2010年3月19日金曜日

白木蓮

近くの民家にある白木蓮は、あっという間に白い厚手の花びらを開き、大きな木立を真白に飾った。そして、白い花弁を塀越しの路面に散らしはじめた。待ち遠しかった白木蓮の花が散るのは惜しいが、こちらの勝手というものだろう。

木々が新芽を出し、花を咲かせ散ることも、冬の木立にも意味があると思う。そして、それが平穏に繰り返されることに感謝を覚える。歳をとるというのは、そういことだろう。歳を重ねるといろいろなことが見えてくる。自然にも人にも。

★★★★★ 孫が、パンをゆっくり、じっくりと味わうように次々口にする(大丈夫?)動画が届いた ★★★★★

2010年3月18日木曜日

持ち歌探し

中学時代の仲間と毎月、八重洲にあるカラオケ店に夜分集まり、出来不出来は別にして思い思いに放吟している。
持ち歌に足して、先月はイ・ソンヒの「冬哀傷(겨울애상)」をチャレンジしたものの、残念な成果だった。その挽回に今夜は、イ・ウンハの「まだあなたは私の愛(아직도 그대는 내사랑)」を歌ったが、やっぱり残念だった。どちらも良い歌なので、これから何とかものにしたいと思う。

(本ブログ関連:2009年の10/9、2010年の3/6

(Youtubeに登録のdove2727、xxcoltsneckxxに感謝)

★★★★★ 孫が、スーパーのカートの台座で体をねじるように爆睡している写真が届いた ★★★★★

2010年3月17日水曜日

イ・ソンヒと学生家長

イ・ソンヒがソウル市議会議員になる前に、「学生家長(学生が家長となっている世帯)助け合いチャリティーコンサートなど社会的に苦しい隣人のための活動」をしていたことを本ブログで触れた。

彼女の実際の慈善コンサートの記録が、公式ホームページ(HOME > Biograph > 공연활동[公演活動])に次のように載っている。
・'86年 「学生家長助け合いイ・ソンヒコンサート」 7/26(弘益大学校)、11/30(大韓生命63ビル)
・'87年 「学生家長助け合いイ・ソンヒコンサート」 1/25(釜山社稷室内体育館)、5/31(大田忠武体育館)、8/30(大邱室内体育館)、11/29(大韓生命63ビル)
・'88年 「学生家長助け合いイ・ソンヒコンサート」 8/14(釜山KBS公開ホール)、12/4(88体育館)
・'89年 「学生家長助け合いイ・ソンヒコンサート」 12/3(88体育館)

これらの活動の後、ソウル市議会議員('91.7.1~'95.6.30)として、社会福祉委員会委員、保健社会委員会委員などの活動をしている。

(本ブログ関連:2009年の8/3110/29

★★★★★ 孫が、ゆったりと大きなイチゴを4つも続けて口に頬ばる動画が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、寝ている父親の頭を触るつもりで引掻いて謝る?動画が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、母親から絵本をとって頁をめくり声を出して読む?動画が届いた ★★★★★

2010年3月16日火曜日

カスケーズ

カスケーズの「悲しき雨音(Rhythm of the Rain)」(1963年全米ポップチャートで2週間1位)は、妙に懐かしい曲だ。導入部の雷鳴と雨音にもかかわらず、どこか楽天的な少年の失恋を歌っている。

EPレコードから流れてくる「悲しき雨音」の、まだまだ大丈夫なんて思っている、のんきで(未熟な)、おばかな少年の失恋の歌を、もっとのんきで、もっとおばかな少年が聞いていた。
考えてみれば、湿潤なモンスーン地帯の僕らの雨と、明るいカルフォルニアの雨とではちょっと違う。雨雨降れ降れもっと降れとはいわないだろう。じめつく雨と乾く雨の違いかな。

(Youtubeに登録のksabondに感謝)

★★★★★ 孫が、孫の名を入れて歌ってくれる母親と、声をあげてよろこび遊ぶ動画が届いた ★★★★★

2010年3月15日月曜日

孫と歩き初め

孫が、5、6歩も!歩いたというメールがお嫁さんから届いた。今日は記念日になった。

孫は、はいはい、つかまり立ちなどといろいろ成長の歩みを進めて、まわりを驚かせてきた。今回の驚きと喜びには格別なものがある。メールに1、2歩と歩く動画が添付されているが、5、6歩も歩いたという姿を直接見たいものだ。
幼い子どもの発達は、遺伝子の設計図で自動的に進むものではないだろう。深い愛情というトリガーがなければ、そして愛されているという絶対的な自信がなければならないと思う。
孫は、若い両親の愛情に包まれて、成長の歩を進めている。本当に幸せなことだ。

ちょうど1歳を過ぎたばかりの孫が、初めて歩いたことに感謝したい。

カスマプゲ

昨晩、Twitterを覗いたら、韓国の作曲家朴椿石(박춘석)氏の訃報が綴られていて、今日のインターネットのニュースは死去の記事を一斉に報じている。

わたしたちの耳に馴染んだ朴椿石の曲は何といっても、「カスマプゲ(가슴 아프게)」だろう。少し前の会社の飲み会などでは必ず誰かが歌い、カスマプゲのフレーズになると、みな一斉に口ずさんだものだ。日本でのこの曲の流行は、李成愛(이성애)によっている。彼女が最後のステージで歌う感動的な録音がYoutubeにある。当然、今なお日本の歌手に受け継がれている(キム・ヨンジャも含めて)。また、本ブログの左に、元唱者ナムジン(남진)の映像を載せさせていただいている。

朝鮮日報(chosun.com)の記事「’島の先生’から’雨降る湖南線’まで」(3/14)には、朴椿石の幼少時からの天賦の音楽的才能と経歴などが記されている。
・(韓国)国内歌謡作曲家中最も多い2700余曲を残した。そのうちの1152曲が韓国音楽著作権協会に登録された。最多登録である。
・1964年地球レコード社に移った彼は、李美子(이미자)とともに音楽家人生の変化(第2の転換期)を迎える。彼が一生の間作曲した歌の4分の1を李美子が歌ったし、李美子が歌った歌の3分の1を彼が作った。(「島の先生(섬마을 선생님)」)

(Youtubeに登録のkmw2500、zingaz98、yokosuka30に感謝)

2010年3月14日日曜日

韓国料理

今日の天気は暖かいを通り越して、セーターにジャケットの身づくろいには、働かずとも額に汗が出た。

さて、むかしの仕事の仲間とJR新大久保駅で待ち合わせて、駅のそばにある韓国料理店「辛風(Kara Kaze)」で昼食をとった。
マッコリ、海鮮チヂミ、ジャガイモチヂミ、海鮮トッポギ、キムチ盛り合わせ、足りなければ追加注文のつもりだったが、おじさん達にはこれで十分満腹してしまった。同行仲間は、ジャガイモチジミが気に入ったようで、美味いと口にしていた。
コリアタウン巡りは、新大久保と靖国通りにある、CD(書籍)ショップや韓国食材スーパー等々を覗いてみたが、同行仲間を疲れさせただけのようだった。

解散後、新宿三越アルコットのジュンク堂書店に行き、孫のために絵本「しろいうさぎとくろいうさぎ」と仕掛け絵本を購入した。われながら疲れを知らない。

★★★★★ 孫が、溶けるような笑顔で母親と遊ぶ動画と、食事に専念!没頭!する動画が届いた ★★★★★

2010年3月13日土曜日

イ・ソンヒのファン

韓国の雑誌ELLEのELLE.co.krに、他誌編集者に自らのファン経験について質問に応えてもらっているページがある。
その中で、 雑誌GQ(korea)のフィーチャー・エディターのチャン・ウチョル(장우철)が、イ・ソンヒについて次のように思い出を語っている。

小学2年の頃に、イ・ソンヒの2集「秋の風(갈바람)」(1985年)を聞いて(生涯最初のファンとなり)、小学校を卒業するまで良くてたまらなかった。6学年の時に、イ・ソンヒの単独「リサイタル」(当時コンサートをこのように呼んだ)に、背が高い高等学校の姉たちの間に一人挟まって屈せず入場した。・・・
2集の歌「そうよ過ちは私にあります(그래요, 잘못은 내게 있어요)※」を、彼女がさえずる様子を見て、イソンヒに初めて女性らしさを感じた。・・・そうだ。
※ この曲はブログ「blueeco」で聞くことができる。

イ・ソンヒが男女全ての世代に支持されたことがわかる。国民歌手といわれる由縁だ。

★★★★★ 孫が、何と朝5時に食事をとりご機嫌で、愛くるしい声で「バイバイ」する動画が届いた ★★★★★

2010年3月12日金曜日

ロールモデル

Osenの記事「私も顔知らせたい」(3/4)に、歌手イェイン(예인)が理想(ロールモデル)とする歌手として、イ・ソンヒの名を上げている。

イェインは、ロールモデルにイ・ソンヒとインスンを挙げて、次のように語っている。「先輩たちは本当に私のロールモデル(롤모델)だ。 幼い時代に歌謡を開始した時から、イ・ソンヒ先輩の歌を聞いて彼女の歌と共に幼年時代、青少年期を送った。 本当に彼女の声は最高だと思う。むかしのままの彼女の少女のような声を聞けば感嘆する。 常にあのように歌手活動しなくてはならないと考える。」

イェインは、ラン(란)という名を改名して4年たっているにもかかわらず、同名の別の歌手がいていまだに混乱があるようだ(jo!ns 3/12)が、記事以上のことを知らない。
ここでは、「ロールモデル」という言葉の響きが気になったわけで、むしろ、成りたい~、憧れの~、理想の~といった方がわかりやすい。イ・ソンヒは誰にもそういう存在なのだから。

★★★★★ 孫が、公園の原に座って、「待て待て待て」に逃げる振りしてクルリと戻る動画が届いた ★★★★★

2010年3月11日木曜日

Kaleidoscope World

英国のポップ・バンド「Swing Out Sister」の「breakout」(1986年)は耳に残った。ボーカルのコリーン・ドリュリーは見た目もお洒落だし、軽快なサウンドながら落ち着いた歌声が心地よかった。
Wikipediaによれば、彼女はファッション「デザイナー兼モデルの仕事」から出発したようだ。
・ちなみに1986年にイ・ソンヒは、アルバム3集「分かりたいです(알고싶어요)」(歌詞)を発表している。

随分昔のこと、2集「Kaleidoscope World」(1989年)のVHSを購入して、音楽だけでなく万華鏡のような色彩とデザインの画面を楽しんだ。なかでも「Waiting Game」は、最初の印象を残してくれていた。
ということで、またVHSを見直したが、今もセンスのよさを感じる。

(YouTubeに登録のpinhamrv、empressmeに感謝)

★★★★★ 孫が、いよいよ離乳の練習を始めた。お嫁さんのお母さんにあやされる動画が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、画面に向って初めて聞く「バイバイ」の声を発し、少しの間立った動画が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、初めて離乳のまま今晩寝てくれたと、「成長の証」という喜びのメールが届いた ★★★★★

(追記)
母の命日の今日、妹と一緒に小平霊園に行く。風が強く、線香に火がつかず難儀する。

2010年3月10日水曜日

春の寒さ

昨晩の雨は、屋根の雪を固まりにして、深夜にドスンドスンと音を立てて落した。それは驚かせるに十分な響きだった。 今日の風は随分と寒い。まるで雪の上を走って来る風のようだ。芯から冷たい。

そういえば以前のこと、まだ雪が残っている茨城県の錫高野で鉱物採集したときに、沢を下りてくる風の冷たさに閉口した。熱燗できる缶の日本酒を飲んだが、寒さを癒すことはできなかった。顔だけ赤くして震えていた。

図書館から借りた「生き急ぐ」(内村剛介著)を返しに行った帰り、あるお宅の白木蓮(ハクモクレン)のつぼみが膨らんで、白い花を僅かながら覗かせているのが見えた。寒風のなか春はひた走ってくる。

「生き急ぐ」には、デカダンスにモスクワに散ったエセーニンの詩「母への手紙」を載せていて、その詩の中に、無頼をつづける息子を気遣う母への気休めに「春 わが家の白い庭で木々が枝をぐっと伸ばすころ/ぼくは帰ってくよ/八年前みたいに 朝早く/起こすのだけはやめとくれ」という気を許す一節がある。 (本ブログ関連:1/132/16) 

 ★★★★★ 孫が、皿の料理を手づかみでゆったりと食べている動画が届いた ★★★★★

2010年3月9日火曜日

イ・ソンヒの秘訣

イ・ソンヒと同世代のアジュンマにとって、彼女の若々しさは驚嘆のようだ。若い世代のブログには、さすがに率直な驚きはないが、彼女の「爆発する歌唱力」に賞賛は惜しまれない。

ところで、イ・ソンヒの綺麗な肌について、「YAHOOメディア(미디어)」掲載の、「韓国経済(한국경제)」の記事タイトル「イ・ソンの"童顔の秘訣は皮膚科"率直告白」(2009年3月26日)の通り、「良い皮膚科に通いながら言うとおりに熱心に(手入れ)している」と正直に語っている。(MBC「音楽の旅ラララ」の番組で)
ならば、皮膚科に通えば誰でも肌が艶やかになるかというと・・・どんなものだろう。ご婦人方が一番よく知っていることだ。

彼女は、ミュージカルの舞台で「ピーターパン」を演じたこともあり、新聞記事に少年のような容貌と紹介されることがある。若々しく童顔であるといわれるのは、ひとえに彼女の持つ清潔なイメージによる。それこそが彼女の秘訣だろう。

(本ブログ関連:2009年の9/18

2010年3月8日月曜日

鉱物標本をいただく

昨晩、孫の誕生日会から帰宅すると、宅配便の不在連絡票がポストに入っていた。送り主の欄に、昨年から参加している栃木県を中心に活動する鉱物の会の大ベテランтакэути氏のお名前が書かれていた。すぐにwebで再配達を業者に連絡して、今日受け取った。鉱物標本だった。

同氏は、年初会合でレクチャーされた鉱物について後日、解説追補と標本を会員に送られた。その標本を、ニコンの入門用携帯実体顕微鏡で覗いたことを含めてお礼を返書したところ、あらためて次のような標本をいただいた。いまだにエントリーに留まるものに対して心いただき、たいへん恐縮している。
・鉄電気石、モナズ石: 福島県石川郡石川町中野 産
・マックギネス石、中宇利石、アラゴナイト: 埼玉県児玉郡児玉鉱山 産
・デュモルチ石: 山梨県三富村京ノ沢 産
・パーガス閃石: 神奈川県湯河原町 産
・コバルト色ひすい: 新潟県糸魚川市小滝 産
・珪孔雀石: 岐阜県吉城郡神岡鉱山 産
・まんじゅう石: 鳥取県倉吉市駄経寺 産
・マンガン斧石: 高知県吾川郡伊野町成山 産

★★★★★ 孫が、マグマグで自信たっぷりにお茶を飲んでいる写真が届いた ★★★★★

2010年3月7日日曜日

孫と誕生日

孫は満一歳の誕生日を迎えた。昨年の今日、18:00に誕生した。孫宅で、孫を中心に、お嫁さんのご両親も出席して誕生日を祝った。
孫は、一升餅を背負い健気に振舞った。大丈夫、これなら一生安泰だ。誕生日のケーキには、たった1本のローソク、立派に育ったものだ。一緒に外出するために何本ローソクが必要だろうか。上野動物園、科学博物館、そして鉱物採集にも、行き先はすでに思案中だよ。

「(孫)は今、幸せな顔をして寝ました」というメールが届いた。今日はちょっと疲れたかな。4月から保育園に行くとのこと。これからも元気な顔を見せておくれ。泣いても、笑っても、まだ怒った顔はないけれど、孫はいつでも宝ものだ。

2010年3月6日土曜日

春雨

このところ晴雨が繰り返され、寒さが未練に顔を出すものの、いずれ去るばかりだ。そういえば、小学校の垣根の陽当たりのよい処に咲く沈丁花はすでに香りが薄らいでいて、それを凌駕するかのように陰にあるものが盛んに香っていた。今日もこの雨の中で香り漂わせていることだろう。

春の雨を題する1980年付近の歌をYouTubeに探した。
・イ・ウンハ(이은하)の「春雨(봄비)」 (1979年:歌詞)は、春雨に離別と(遅すぎた?)再会する二人を情感を込めて歌う。随分昔のNHK放送だろうが、彼女の「まだあなたは私の愛(아직도 그대는 내사랑)」を聞いて、八代亜紀が絶賛している映像がYouTubeに登録されている。(本ブログ左列に配置)
・ペタラギ(배따라기)の「君は春雨がとても好きですか(그댄 봄비를 무척 좋아 하나요)」(1984年:歌詞)は、若い恋の歌でフォークのメロディーが素朴でよい。彼らの「雨と湯飲み茶碗の間(비와 찻잔 사이)」(1982年:歌詞)も、恋人達の恋の戸惑いを歌っている。

(YouTubeに登録のyokosuka30、xxcoltsneckxx、leesang4388に感謝)

★★★★★ 孫が、おやおや、頬をいちだんとふくらませた写真が届いた ★★★★★

2010年3月5日金曜日

オンリー・ユー

考えてみれば、エルヴィス・プレスリーが全てだったのだろう。行き着くところ彼のイメージに戻ってしまう。何しろ中学時代のぼくらは、ラジオやスクリーンで彼と会うことができたのだから。

阿佐ヶ谷駅の北口に、二番館いや三番館とでもいうべき場末の臭いのする映画館があった。中学生にとって、遅れて来た映画「南太平洋」※(1958年)をやっと見ることができる場所だった。エルヴィス・プレスリーの「ブルー・ハワイ」(1961年)もそこで見た。同じ太平洋の島でも、ハワイは楽しいわくわくするところと空想した。
(※) 映像が重苦しい記憶があったが、Wikipediaによれば、舞台照明と同様にカラー・フィルターを歌ごとに使用したせいのようだ。

イ・ソンヒのコンサートで、フィソンが「オンリー・ユー」を歌っているのを聞いたことがある。ほんとうに良い曲だ。「オンリー・ユー」は、プラターズ(1955年)というよりは、記憶の中ではどうしても、ソフトでどこか甘いエルヴィス・プレスリーの印象に偏ってしまう。

(YouTubeに登録のlostvocals4、elvisdreamgirl、unicorn58、vincoereに感謝)

★★★★★ 孫が、立ち姿でスプーンを使って皿のおかずをとる写真が届いた ★★★★★

2010年3月4日木曜日

イ・ソンヒのドラマ出演

イ・ソンヒのドラマ出演といっても10年も昔のことだが、「dongA.com(東亜日報)」の記事「[芸能界ニュース] 歌手イ・ソンヒ、ドラマ『ギブス家族』に出演」('00/3/12 )に、次の通り報じられている。

・イ・ソンヒが、MBCドラマ「ギブス家族」(金、午後7:30)にビックリ出演する。チェ・ミョンギルとキム・ソンニョンが入院している女性病室に新患「イ・ソンフィ(이선휘)」役で出演する。
・劇中、本名がチョン・ボクスンである「イ・ソンフィ」は、「ノフナ(너훈아)」や「チョー・ヨンピル(조영필:’ヨン’の字違い)」のようにナイトスポットで活躍するモノマネ歌手で、舞台から歌って落ち肩をケガして入院することになる。
・イ・ソンヒは「私をパロディにするとは思わなかった」と語った。

さてイ・ソンヒの登場場面を知りたければ、DVDレンタル店でこのドラマを探すしかない。本当かなあ。

2010年3月3日水曜日

ひな祭り

「桃の節句」の3月3日、女の子のいる家庭では「ひな祭り」を新暦の今日行う。残念ながら息子たちを育てたため、わが家には華やいだ行事も形もない。町なかの雛人形のディスプレイを眺めることにしよう。
ところで、韓国在住日本人主婦のいくつかのブログに、同様の行事の有無を探したがないようだ。ただし旧暦3月3日(本年新暦4/16)に、旧暦9月9日の「菊花煎(국화전)」と対をなす花飾りの餅(「つつじ花煎」진달래화전)を作るとのこと。
(本ブログ関連:2009年の10/26

東国歳時記」(洪錫謨 著)の「三月三日」の項には、「花煎」を作ることを次の通り説明している。
「杜鵑花(つつじ)※を採って糯(もち)米の粉に拌(ま)ぜ、まるい団子を作り、香油で炒めたものを花煎(화전)という。これは、むかし、寒具といわれた油炒めの餅である。」
※「杜鵑花(トケンカ)」は「サツキツツジの別称」(広辞苑)=つつじ(진달래

韓国Wikipediaによれば、花煎は高麗時代以来の「花煎遊び(화전놀이)」と関連しているとのこと。綺麗な写真が掲載されているが、Googleの「画像検索」で「진달래화전」を検索すると可愛いつつじ花煎がどっさり出てくる。

そういえば、子どもの頃につつじの花びらを採り、裏返して花床を吸うと甘いということで吸ってみた記憶がある。まあ甘くはなかったが、つつじの時期になったら、童心に返って試してみるのも悪くはない。

★★★★★ 孫が後楽園で楽しんでいる写真が届いた ★★★★★

2010年3月2日火曜日

3/3 イ・ソンヒ公演情報

先日(2/15)の本ブログで、釜山「新世界センタムシティ文化ホール」でのイ・ソンヒの公演情報を記したが、ようやくweb上で検証できたので記事を載せる。

「Paranニュース」掲載の「ヘラルド新鮮ニュース(헤럴드생생뉴스)」の記事「新世界センタムシティ“来年は釜山1等デパートへ”」(3/1)は、「開店1周年祝い謝恩大祝祭」(3/3~3/14)が開催される中で、センタムシティ文化ホールで催される各種公演を紹介している。そのなかで、3/3にイ・ソンヒの公演があることを報じている。

2010年3月1日月曜日

3月

いよいよ春だ。Wikipediaの通り「」は「社会通念・気象学では3月・4月・5月」の間で、今月がその始まりである。3月には、桃の節句のひな祭り、桜前線の桜の開花などあるが、去年から大事な行事が加わった。3月7日に誕生した孫の誕生日会だ。今年満1歳になる。

孫を連れて実家に行ったお嫁さんから、ひな人形を前にして孫をしっかり抱きかかえている写真が届いた。孫が到着する前に、ご両親がひな人形の飾り場所を例年と変えて、万全の孫シフトを整えているようだ。安全第一である。
今まで身近にない、赤い毛氈(もうせん)の上の華やかなひな人形を突然目にして、男の子の孫は戸惑ったことだろう。母親と一緒にひな祭りを楽しんだら、7日には誕生日会が待っているよ。

2010年2月28日日曜日

イ・ソンヒの歌謡トップ10

ブログ「hungrian」に「歌謡トップ10※歴代1位回数順位」('09/12/22)が紹介されている。
(※)Wikipediaによれば、「歌謡トップ10(가요톱10)」は、1981年2月10日にKBS1で初放送された歌謡番組で、1998年2月11日まで放送された。「ミュージックバンク」の前身プログラムに当たる。

歌謡トップ10で、1位になった回数の多い順に歌手が紹介されている。
1位はチョー・ヨンピル(조용필)の68週、2位はシン・スンフン(신승훈)とイ・ソンヒの26週、およびその他の歌手について曲目も含めて記されている。
ちなみに、イ・ソンヒの26週に1位で歌われた曲は次の通りとのこと。
・「Jへ」5週
・「秋の風」2週
・「分かりたいです」5週
・「私はいつもあなたを」5週
・「私の街」5週
・「ひとしきり笑いで」3週(映像後半部)
・「思い出のページをめくれば」1週。
(YouTubeに登録のmodfactory、BuSanYoungDoBridge、pops8090に感謝)

★★★★★ 孫が、カメラに向かって私に「こんにちは」のご挨拶する動画が届いた ★★★★★

2010年2月27日土曜日

雨降る街に立って

関東(東京大手町)の春一番は一昨日(2/25)吹いたが、武蔵野の台地としては昨日の風の方が実感した。朝方に止んだ昨夜来の雨は、陽気のせいか春の雨を思わせた。

イ・ソンヒが黒いドレス姿で歌う「雨降る街に立って(비오는 거리에 서서)」の映像が、NATE動画(동영상)にある。アルバム9集「一輪菊(한송이국화)」(歌詞:1994年3月3日)の最後に、この歌が収められている。イ・ソンヒの黒いドレス姿は、雨降る街に<夜>が深まるまで待ち続けるこの歌に合わせたのだろうか。

(本ブログ関連;2009年の6/3011/111/18

ところでこの映像は、10周年記念コンサートのようだが、当時の観客の熱狂振りがわかる。

★★★★★ 孫が、完全防寒のフード姿で動物園のハムスターを傍に見ている写真が届いた ★★★★★

2010年2月26日金曜日

冬季オリンピック女子フィギュアスケート

【下記リンク先:2010冬季競技オリンピック、パラリンピック2010バンクーバー組織委員会ホームページを参照】

バンクーバー2010冬季オリンピックの女子フィギュアスケートのフリースケーティング(開催地:Pacific Coliseum)を見逃すわけにはいかず、テレビに釘付けになった(現地2/25)。
・キム・ヨナ(김연아)は、150.06点で1位、総合も1位で228.56点(世界最高得点)となり<金メダル>を獲得した。演技終了後、リンク上で涙ぐむ(朝鮮日報写真)彼女の姿が印象的だった。
浅田真央は、131.72点で2位、総合も2位で205.50点となり<銀メダル>を獲得した。
・ジョアニー・ロシェット(Joannie Rochette)は、131.28点で3位、総合も3位で202.64点となり<銅メダル>を獲得した。
(得点内容は「+」をクリックで参照)

キム・ヨナは、オリンピックで金メダルを獲り名実ともに世界最高になった。今後も世界をリードするだろう。浅田真央も、今後もトップを競いよいライバル関係を続けて欲しい。若い彼女たちは同じ19歳であり、これほど関心を集めたことに感心する。

(本ブログ関連:2009年の3/283/298/20、および2010年2/24

2010年2月25日木曜日

50%の韓国人

Gallup Koreaの「100%韓国人」に、「あなたは何%の韓国人を知っていますか? 何%の韓国人に属していますか?」として、1%から100%までの韓国人意識調査の結果が一覧されている。
そこで、「50%」該当の21パターンを覗いて見ると、次のような面白いものがある。

#3.50.8%の大都市居住満20~49才韓国人妻は夫との離婚を深刻に考慮してみたことがある。
#8.50.0%の満20~49才韓国女性は去る1年間宝くじを購入したことがある。
#10.50.1%の韓国男性は健康補助食品や精力剤を食べて効果をみたと考える。
#11.韓国の家庭主婦中50.5%は夫が概して元気な方だと考える。

上記にあげた4パターンを組み合わせると、男女の意識の差、現実の捉え方の違い、そして将来への準備のしたたかさなど、男は女に何も気付いていないというホームドラマの一場面ができるだろう。しかも、そのドラマは世界中のどこでも放送できる。

2010年2月24日水曜日

ショートプログラム

【下記リンク先:2010冬季競技オリンピック、パラリンピック2010バンクーバー組織委員会ホームページを参照】

バンクーバー2010冬季オリンピックのフィギュアスケート、女子ショート・プログラム(開催地:Pacific Coliseum)は気になってテレビから目が離せなかった(現地2/23)。(もちろん男子フィギュアの高橋、織田、小塚選手の演技もしっかり見ている)

「スケートの妖精」キム・ヨナ(김연아)がスコア78.5点で1位になった。2位は浅田真央73.78点。3位はカナダのジョアニー・ロシェット(Joannie Rochette)で71.36点。(得点内容は「+」をクリックで参照)
キム・ヨナ(1990年9月5日生まれ)と、それを追う浅田真央(1990年9月25日生まれ)には、明後日行われるフリー・スケーティングでも、最大のライバル同士として最高の演技を楽しみ期待する。彼女たちは、まだ19歳なのだ。
ところで今日の試合で、母親に代わってジョアニー・ロシェットを見守り声援を送る会場の歓声に感動した。

(本ブログ関連:2009年の3/283/298/20

★★★★★ 孫が、小さな鏡を両手に持って顔に近づけ覗き込んでいる写真が届いた ★★★★★

2010年2月23日火曜日

孫と一番

自動車運転練習の息子に付き合う。こちらはゴールド免許証を持つもののペーパードライバーのため、ナビゲーターの示す道順を伝えることぐらいしかできない。

それが済めば、気兼ねなく孫に会える。孫が退院してほぼ1週間後の再会である。病院には連日訪れたが、退院後は養生もあり我慢したため、その間ずっと会えずにいて、いささか気抜けしていた。

孫は母親と一緒に、自宅近くの路上まで迎えに来てくれた。元気さはすっかり元にもどって安心する。今日の新しい仕草は、来月7日に満1歳を迎えるため、両親の「一番」の掛け声に合わせて、頬近くで人差し指を立てることだ。はにかみながらポーズをとるのが可愛い。ときどき、携帯電話するポーズになったりするのがご愛嬌である。
元気な孫に会えてよかった。そして帰り際に、優しく愛らしい顔で送ってくれた。また会おうね。

2010年2月22日月曜日

「みなさん」

イ・ソンヒが、ユン・ボクヒ(윤복희)の歌「みなさん(여러분)」を歌っている映像が、「アルソドン(알소동)」に登録されている。ここでもイ・ソンヒの力強い突き出すような発声に驚かされる。そしてイ・ソンヒのカバーの何と豊なことだろう。
※ 現在、イ・ソンヒによるアルソドンの映像は視聴不可で、Youtube版が可能である。

(YouTubeに登録のyokosuka30、daegu2001に感謝)

最近のユン・ボクヒのライブ映像が「Jingun Fancy World」('07/9/21)に載っている。時の流れを知ると同時に、若い世代の彼女に対する尊敬が感じられて良い。

ところで、上記YouTubeにあるユン・ボクヒの写真は、1979年の第1回ソウル国際歌謡祭コンテストで大賞を受賞した頃に撮影されたものだろうか。そして、ミニスカートを着て帰国したといわれる伝説の彼女の、その姿はいかばかりだったか。


★★★★★ 孫が、赤児用歯ブラシを咥えたまま母親の口元に持って行くほのぼのとした写真が届いた ★★★★★

2010年2月21日日曜日

鴨川漁港海岸

まだまだ寒い季節のため、菜の花の咲く外房鴨川漁港の海岸線に鉱物採集に行くことになった。今回もxаякава氏に同行する。
早朝、津田沼駅で集合して房総半島を横断するまでの間、冬の寒さを感じたが、山並みが解けて空が広がり外房に面したとき、急に空気が穏やかになった。鴨川漁港から巾着山方面の、波音と上空にトンビの鳴き声のする海岸線を探した。今回の成果は次の通り。
・ソーダ沸石、方沸石、輝石かんらん岩、灰重石、角閃石

★★★★★ 孫が、バナナを両手で口に押し込むように元気に食べている写真が届いた ★★★★★

2010年2月20日土曜日

マイク・ネルソン

国際宇宙ステーション(ISS)に長期滞在した宇宙飛行士の若田光一氏が、「asahi.com」(2/17)によれば、NASAのISS運用部門の部門長に3月1日就任予定とのこと。なお、「Yomiuri Online」(1/29)で、米国の予算見直しもあり、ISSを2020年まで利用延長と報じられているので、若田氏の今後の役割は大きいことだろう。

宇宙から地球の海に目を向けると、むかし見たテレビ番組を思い出す。「潜水王マイク・ネルソン(SEA HUNT)」という、今の日本のテレビでは制作できないような番組だ。スキューバ・ダイバーを主人公にしたアクションものだった。

記憶にあるのは、カーク・グラスをちょっとふっくらさせたような、主人公マイク・ネルソンだ。そう、「ハイウエイパトロール」のダン・マシューズ隊長、「宇宙探検」のエドワード・マコーリー大佐、その後に見た「裸の町(The naked city)」の劇中交通事故で亡くなるマルドーン(Dan Muldoon)警部補も、みんな渋かった。
(マルドーン役のJohn McIntireを、YouTubeに登録の「THE VIRGINIAN」で見ることができる)

(YouTubeに登録のSCUBAHUNT、xdreus、VictoriaGreenlyに感謝)

(本ブログ関連:'09/11/24

2010年2月19日金曜日

ごらん、地球は美しいよ

「産経ニュース」の記事「『宇宙で働ける未来がくるかも』子供たちにエール 野口聡一さん会見」(2/19)によれば、国際宇宙ステーション(ISS)に滞在している野口聡一飛行士から、子どもたちに次のようなメッセージが送られている。
「私がここで感じ、伝えたいメッセージは『ごらん、地球は美しいよ』ということ」

「YOMIURI ONLINE」の記事「地球の眺めは抜群、ISSに展望窓が完成」(2/18)によれば、「国際宇宙ステーション(ISS)の居住棟に17日、地球を一望できる展望窓『キューポラ』が完成」したとのこと。
(参考)NASA TV で、クルーが交互に「キューポラ」から眺めを楽しんでいる光景が放映された。

★★★★★ 来月1歳になる孫が、手人形の「まほちゃん」(愛称)にいい子いい子する動画が届いた ★★★★★

2010年2月18日木曜日

春が来る道

春を迎えるのはうれしい。明るく楽しい季節だから、その気配を感じて探す。春の歌も、子どものように、心跳ねながら歌いたい。
パク・インヒ(박인희)の「春が来る道(봄이 오는 길)」(1974年)は、童謡のように優しい。春は、山越えた小道に、野原向こうの故郷の田畑に来る。そして心も春の装いをして迎えよう。

YouTubeに、この歌が登録されている。ひとつはキム・ヒジン(김희진)が歌うものであり、もうひとつはサボテンのスライドショーで聞けるものだ(ブログ「キルクログ(킬크로그)」にリンクされている)。
(YouTubeに登録のwww0433、parkjungjaiに感謝)

(本ブログ関連:1/131/14
(キム・ヒジンという名前は、そういえばキム・サムスンが改名したかった名前。(第10話))

★★★★★ 孫が、オイシイ・オイシイと頬を軽くたたく動画が届いた ★★★★★

2010年2月17日水曜日

ビートルズって何

雑誌「文芸春秋」('09.11)の旧号だが、「ビートルズ全曲制覇10時間」の座談記事の始まりは、本音が聞けておもしろい。(座談者:亀淵昭信[1942年生まれ]、亀和田武[1949年生まれ]、近田春夫[1951年うまれ])

ビートルズに初めて遭遇した世代にも、色々の年齢差があるわけで、音楽ビジネスをやっていた人たちには「最初から商売につながって」いたわけだし、当時すでに「夢のような音楽生活」を作っていた小中学生のアメリカのポップスファンには「拒否反応」があったり、エレキギターの未来的な音にあこがれた耳にはビートルズの生ギターっぽい音が「田舎くさい」印象を受けたという。
「六〇年代の若者がみんな(ビートルズを)聴いていたかのように思うのは幻想」と、シニカルに事例を引いて語っている。

全くその通りだと思う。あるとき若い世代に、「プレスリーに耳慣れていたので、ビートルズってのは不良だと思ったもんだよ」と言ったことがある。すると、こう言い返された。「プレスリーだって不良でしょ」

★★★★★ 食事に満腹した孫が、お尻を振りながらハイハイして逃げる動画が届いた ★★★★★

2010年2月16日火曜日

エセーニン

学生時代に、「平家物語」を読んで貴族や武士が何事にも涙するのに驚いたが、トルストイの小説でもそうだった。農奴を抱える貴族たちがどうして教会で涙するのかと。
そうそう、(韓国)歌謡曲に「涙」が似合うことは言うまでもない。(本ブログ関連:1/24

「内村剛介 ロングインタビュー」に、バレリーナと同乗したブレジネフが車中でエセーニンの詩に啜り泣いたという挿話がある。エセーニンについては、「ブラトノイ」と呼ばれる一匹狼的無頼漢たちにとって唯一のヒーローであると同書で説明されている。エセーニンが酒場に入ってきたときに、ある種の緊張感がその場に走ったのを見たという恩師の話も紹介されている。

(本ブログ関連:”エセーニン”)

「エセーニン詩集」に、そういえば無頼の心情もあって、若い女性に好まれるというのもうなづけるような気がする。若く死んだものは惜しまれ、残ったものがそれに涙する。その涙には困るのだが。

ところで、涙は似合わない内村氏について、学生時代に読んだ文章から古武士のような方だと思ったことを記憶している。出身は茨城県との県境、栃木県那須郡境村大字大木須とのこと。剛健さは母方ゆずりのようだ。

(本ブログ関連:2009年4/7

★★★★★ 退院後、孫が金目鯛の煮付けを美味しそうに頬張る動画が届いた ★★★★★

2010年2月15日月曜日

新世界センタムシティ文化ホール

イ・ソンヒのファンサイト「SunnyLoveCarrot(써니사랑 홍당무)」に、3月のスケジュールが登録されている。
3月3日に、釜山の複合ショッピングモール「新世界センタムシティ」(映像:YTN)の文化ホールで、16時から行事が予定されているそうだが、未だweb上で検証できていない。参考まで。

ところで孫は、午前中の検査結果から無事明日退院の許可を得た。うれしいことであるが、連日孫と接することができたのは、入院のためであり複雑な思いだ。そのため、今日は今まで以上に目一杯遊ばせてもらった。退院おめでとう。

2010年2月14日日曜日

ソルラル

今日は旧正月の元旦(설널)である。韓国の正月連休は、昨日、今日、明日だそうだ。
ところで今晩、「夜光」という鬼が出てくるという。「東国歳時記」(洪錫漠著)の正月の項にある「夜光」の記事に、次のような子ども向けの行事がある。

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俗説に、夜光という鬼が、この日の夜に人家に降りてきて、子どもの鞋(わらじ)をはいてみて、足にあうものを履き去る。鞋を履き去られた主は、一年中不吉であるという。
そこで子どもたちは、これを畏れてみんな鞋をかくし、燈火を消して寝る。そして篩(ふるい)を板間の壁か庭のきざはしにかけておく。というのは、夜光が篩の孔を数えるうちに鞋を盗むことを忘れ、夜明けの鶏鳴を聞いて逃げ去ると、伝えられているからである。
夜光がいかなる鬼かは知らないが、あるいは薬王の音が転じてそうなったのかも知れない。(夜光の朝鮮音は야광、薬王のそれは약광)。薬王像は大へん醜く、子どもたちをこわがらせるから、そうおもわれる。
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大晦日に家宅に侵入してくる秋田の「なまはげ」に似ているが、「なまはげ」は教訓的であり、本来小正月(旧暦一月十五日)の行事だそうだ。また、災いをもたらす鬼の侵入を防ぐという意味では、2月の「節分」の「豆まき」に似ている。
「夜光(鬼)」を含めて、どの鬼も怖いが恐怖ではない、行事に吸収された鬼でしかないようだ。

今日の孫は、食欲を増し、体も自由になり元気を取り戻した。ところで、孫が静かに寝いっているので、両親が売店に行ったところ、目を覚ましたのだ。母親を探して泣く孫をあやすのは難しい。すぐに二人が戻ってきてくれたので安心。しばらく遊んだ帰り際に、母親に抱かれた孫が、何とバイバイと手を振ってくれたのだ。孫は賢いと思う。

2010年2月13日土曜日

バンクーバー冬季オリンピック

カナダのバンクーバーで、第21回冬季オリンピックが開幕した。(カナダ時間12日)
テレビで放映された開会式を、孫の見舞いに行くこともありつまみ食いしながら見た。ドーム競技場ならではの色々な角度からの照明を巧みに使った舞台が見ものだった。
バンクーバーが太平洋に面した西側の都市だとしても、カナダ東側の都市のようにどこかフランスのにおいがこの演出に感じられた。会場で見たら、さぞや幻想的なセレモニーを楽しめたことだろう。

ところで、孫は風邪から順調に回復している。ベッドの傍で一番喜んでくれたのは、メガネの耳にかける蝶番を、鳥の羽の如く揺らして飛んでいるように見せたときだった。最高の笑顔を見せてくれた。早くサーカスを見に行こうよ。

2010年2月12日金曜日

銀河鉄道の夜

今晩遅く、中央線の高架を見ながら自転車で併走したとき、追い抜く電車が一瞬轟音をたてることなく、窓明かりの列が滑るように走りぬける錯覚を覚えた。

そう、小学校低学年の息子と一緒に「銀河鉄道の夜」(1985年)のアニメを見たことを思い出したのだ。映像は全体に暗くかすみ、物語ネコが演じている不思議な映画だった。

ストーリーの中で、鳥を捕る場面の映像が随分と寒々と見えて、寒い季節の物語りのようにも思えたが、宮沢賢治の原作には季節が明示されていないため、Wikipediaは時期を「登場する星座から初夏から初秋にかけて」と推定している。
それでも銀河鉄道は、寒い冬の夜にも見えたりする。今度は、今晩病院のベッドで風邪と戦っている幼い孫と一緒に、このアニメを見たいと思う。

(YouTubeに登録のorikurayayoiに感謝)

2010年2月11日木曜日

ジリオラ・チンクェッティ

いっとき暖かい思いをしたものの、冬雨の寒さに戻ってしまった。春はまだ遠い。
イ・ソンヒが誕生した年の1964年にサンレモ音楽祭で「夢みる想い」を歌い優勝した、ジリオラ・チンクェッティの歌に「」(1969年)*がある。どちらも懐かしく、思い出を誘う曲だ。
(*)「雨」の当初Youtubeリンク先が削除されたため更新した。

(以下は、当初Youtubeリンク先情報をもとに作成)
YouTubeに登録の「雨」の(詳細)に歌詞が載っている。愛があれば雨なんか関係ない、心の中に火があれば冬なんか怖くはないと歌っているようだ。この曲を聞いた当時、歌詞などわからないものの、イタリア、地中海そして(雨というより)明るい空といったイメージでしかなかったが、そんなにはずれてもないようだ。

(YouTubeに登録のtengokuemaki、tengokuemakiに感謝)

2010年2月10日水曜日

キム・ジョンミ

イ・ソンヒの代表的な歌のひとつである「美しい江山(아름다운 강산)」の原曲について、「サプライズ(서프라이즈 )」の記事「美しい江山 最初の原曲聞いてみましょう」(2/8)に経緯が語られている。

この曲を「健全歌謡」のイメージとは異なり、1973年「NOW」に収録されている官能的なキム・ジョンミ(김정미)の歌をサイケデリック ロックの観点から、大衆音楽評論家カンホン(강헌)が解説している。
・「美しい江山」のオリジナルボーカルがキム・ジョンミということは、大衆的にあまり知られていない。(バンドThe Men(더멘)と共による版とソロの版がある )
・キム・ジョンミの「美しい江山」を聞けば、今までの「健全歌謡」のサウンドが完全にひっくり返る破格的な響きに聞こえてくると記している。

(付記)
・「サプライズ」記事の下側にある再生ボタンで、キム・ジョンミの「美しい江山」を聞くことができる。
・作曲者のシン・ジュンヒョン(신중현)について、本ブログの2009年の11/7に記載。
・YouTube画面のキム・ジョンミの歌の終わりは、キム・ジョンホ(김정호)の「見知らぬ少女(이름 모를 소녀)」につながる。
(YouTubeに登録のomophronに感謝)

(参考)
ブログ「sekifu」に、シン・ジュンヒョン、キム・ジョンミについて詳細な解説がある。(「Kim Jung Mi のこと (1) 」 、「Kim Jung Mi のこと (2)」)

(本ブログ関連:"「美しい江山」の変貌"、"7080世代の好きな曲")

2010年2月9日火曜日

孫と冬晴れ

今日は快晴で、都心の気温が21℃と4月下旬並みの暖かい日和だった。それが明日は一転して、冬の寒さに戻るという。
息子の運転で小金井公園に行くと、昨日までの寒さを忘れたように明るい日差しを受けた梅林の所々に白梅と紅梅が花を咲かせていた。この後、久し振りに孫に会いに連れて行ってもらう。

この陽気につられたかのように、孫は笑顔を振りまいて迎えてくれた。1ヶ月振りの孫は、この間にすっかり幼児顔になり、ますます愛らしさを増していた。
昨日まで具合が良くなくて、笑顔が乏しかったそうだが、今日は両親が驚くほど元気に動き回っていた。ハイハイで母親から逃げながら、部屋の奥に行くと振り返って母親を探す仕草が可愛い。孫はその愛らしさを、見守る全ての眼に分け与えてくれる。