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2025年1月24日金曜日

真白き富士の根(つづき)

きのう(1/23)のブログに、鎌倉の七里ヶ浜沖で亡くなった中学生たちの魂を鎮める「真白き富士の根」の歌について記した。そこで、きょうは、<鎌倉> について思いつくまま述べてみたい。

(本ブログ関連:”鎌倉”、”真白き富士の根”)

鎌倉
大学生時代に、車を借りて鎌倉県立近代美術館へ何度か通ったことがある。とはいえ、鎌倉の名に寄せて尋ねたわけで、展示テーマに特別なこだわりがあったわけではない。だから、美術館について忘れかけていた。
あらためて同館のホームページを見て、建物写真が記憶と少し違うのに気づいた。Wikipediaを参照すると、「1951年に鎌倉市雪ノ下に開館し、のちに鎌倉館となったが2016年(平成28年)3月31日に鎌倉館は閉館。以後は葉山館(2003年開館、葉山町)と鎌倉別館(1984年開館、鎌倉市)からなる」とある。時代がどんどん変化しているのを知らされる。現在、本館は海沿いの葉山にあるということなのだろうか(どうして?)。

由比ガ浜
中学生の頃、学校の図書館で日本史の記録として「人骨」*に触れた書籍を見つけて読んだことがある。中学生らしく骨への興味本位に過ぎなかったが。その中に、由比ガ浜に鎌倉時代の人骨が出たという話があった。浜辺に行けば鎧や甲冑や刀までも、もしかしたら見つかるかもしれないと空想した。
(*)和楽: 「人骨も見つかる、かつての最恐スポット「由比ヶ浜」の歴史」(2020.03.06)
https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/80264/
(資料)歴史MAP「鎌倉の古戦場MAP」
http://www.kamakura-burabura.com/rekisisansakukosennjyou.htm

大学生のころ、深夜をかけて東京から鎌倉まで歩く学内のイベントに参加したことがある。終着地の由比ガ浜の海岸に津到着したとき、すでに朝陽がのぼり始め、岸辺をうっすら赤く照らしていた。木箱に箱詰めされた <蜂葡萄酒> の瓶を一本引き抜き、まるまる飲み干した。疲れた体に沁み込んで、少しも酔いを感じなかった。イベント終了後、特別なことは何もなく、めいめい勝手に国鉄鎌倉駅までふらつくことなく歩を進めた。

明月院
執権を退いた北条時頼が諸国遊行したときの逸話に「鉢の木」がある。それに似た言い伝え*を先祖に持つ縁者が、時頼の墓**がある「明月院」に参拝した。むしろ <あじさい寺> としてブームになったことに関心があり、一度訪れてみたかったのだ。寺院が本来そうあるべきかもしれないほど、規模もあじさいの花の数も慎ましやかだった。
(*)讃岐の風土記 by 出来屋: 
http://dekiya.blog57.fc2.com/blog-entry-184.html
(**)鎌倉手帳(寺社散策): 
https://www.yoritomo-japan.com/kamakura138/meigetuin-tokiyori-haka.htm#google_vignette

極楽寺
高校時代に、鎌倉散歩の行事があり、めいめい自由に寺院巡りをした。江ノ電に乗り、寺の名前が気に入った小さな「極楽寺」を訪れてみた。ここには誰も来るはずがないと思ったのだが、境内の奥に他クラスの男子学生が一人いるのに気づいた。無口なあいつがここに来るなんてと驚いた・・・そういえば、俺も一人だけだと。

江の島
数度訪れたことがあるが、正直記憶に残らない。土産物店が並ぶ、世俗化した観光地といったところだろうか。
貝塚の発見者である、E・モースは東大教授職を受けるとき、江の島に島臨海実験所を設けた。むかし、科学雑誌「NEWTON」に実験所跡を調べた記事があって・・・観光路とは違う場所に存在していた。モースが当時作成した島の全形(地図)が、その後「埋め立て、関東大震災、隆起」などで、現在と大幅に変化しているのに驚く・・・まるっきり違っている。

(資料)生物科学ニュース(← Wikipedia「江ノ島臨海実験所」より)
「モースの江ノ島臨海実験所跡」(廣崎芳次(野生水族繁殖センター、2002年4月号Z版)
https://www.zoology.or.jp/html/09_news/archive/data/2002_4Z.pdf


まだまだ記憶をたどって、追記してみたい。


切通(きりどうし)
鎌倉の街を囲む山道の一部を縦走(というほどでもないが)したことがある。一種の防衛壁であり、街に入るために <霧通し> が設けられていた。記憶が朧なため、Wikipediaを参照したところ「鎌倉七口」として写真が並んでいる。イメージとして「朝夷奈切通」が近いのだが、地図上の場所が遠い・・・気もする。