九州の八幡市の小学校に通っていた頃、地元の帆柱山は校歌に歌われ、洞海湾沿いの工業地帯が吐き出す煙は「七色の煙」と賛美された。子どもの記憶には、まことに平和な時代だった。
小学校の校庭から見上げる空には、いつも双胴の飛行機がゆったりと飛んでいた。レシプロエンジン音が上空でいつまでも響いていた。この双胴のC-119(C-one nineteen)輸送機がどこから飛び立ち、どこへ降りるのか関心なかった。子どもには、空よりも校庭の方がずっと広かったのだ。
それでも、輸送機が遠賀川の先の芦屋基地にいることをぼんやりと知った。遠賀川といえば遠くにあるものと思っていたし、遠賀川方面に芦屋があるということも何となく聞いていた。C-119輸送機は、遠賀川河口の米軍芦屋基地にいたのだ。
上空を見上げると、双胴のC-119輸送機の機影はどこかのろまなユーモラスな感じがした。しかし、歴史を見ると、決してなまやさしいものではなかったことを知った。
それでも、あの双胴の輸送機は、今だに記憶の中で、レシプロエンジン音を空中にのんびりと聞かせている。