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2013年1月31日木曜日

イ・ソンヒとイ・スンギの関係

MLBPARKの掲示板に、「イ・ソンヒとイ・スンギの関係は非常に独特のケースでしょう。」(2011年6月1日)の投稿があり、署名は何と「坂本龍馬」なのだ・・・なぜ?
次のように、イ・ソンヒの人となりも含めて語られていて関心深い。感謝。

(本ブログ関連:"イ・スンギ")
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これ(イ・ソンヒとイ・スンギの関係)が、囲碁のような徒弟制度で伝わるケースではよくあることだけど・・・

芸能界ではほとんど見られない事例でしょう。

イ・ソンヒとイ・スンギが初めて出会ったのが2002年の冬頃なんですが・・・

これは、もう放送であまりに何度も語られて良く知られた話でしょう。 

その年の秋に、イ・ソンヒが大学路(テハンノ)に小劇場を買いとったが、当時上渓(高等学校の)バンド ・サークルにいたイ・スンギが、その地域のバンド サークル連合コンサートを企画して、公演会場がイ・ソンヒ所有の小劇場であって、そこで初めて会ったそうですね。

そして当時は、イ・ソンヒとイ・スンギの所属会社である「フックエンターテインメント」が今のような演芸企画会社ではなかったために・・・(当時も、あることはあったが、これは芸能人企画会社というよりは一種の公演企画会社の性格でした。イ・ソンヒが本人の公演を直接企画しながら必要になって作った会社でしたよ。芸能人を育てようと作った会社でなく)・・・他の企画会社のように合宿所のような所もなかったし・・・それからデビューする前の約1年ほどを、イ・ソンヒが(彼を)直接自宅に連れていきました。

歌手としてトレーニングするだけでなく、ご飯も炊いてあげ、学校に行かせながらママの役割までしたんですね

これは「遊びにおいで」でも話したが、詳しい話は、イ・クムヒの「朝の広場」で、数回出てきたことがあります。イ・スンギの非公式な放送デビューが、2004年度に「朝の広場」で、イ・ソンヒの自宅が最初に紹介される回でした。その後にも、イ・ソンヒの家が出てくる時、イ・スンギが共に出てきたことがあったし・・・

そして・・・イ・スンギが発表したアルバムの中で、イ・ソンヒが米国に行っている時に出した2枚のリメーク ・アルバムと3集を除いた残りの1、2、4集の企画者はイ・ソンヒです。1集は、サイが一緒にプロデュースしたが、2、4集は、イ・ソンヒが企画とプロデュースの責任を負いましたよ。

また、イ・スンギの3度のコンサートの中で、イ・ソンヒが米国に行っている時のコンサートを除いて、2度のコンサート公演の演出者がイ・ソンヒです。そのおかげで、イ・スンギのコンサートの構成は、イ・ソンヒのコンサートとほとんど完ぺきに全く同じです。歌手が全然違うけれども、同じ人が企画したというのがとても分かるほどで・・・

コンサートの話をもっとするなら・・・2004年以後、イ・ソンヒのコンサートには固定ゲストが常にいます。みなご存じのように正にイ・スンギですよ。歌手としてイ・スンギのデビューは、「僕の彼女だから」でなく、厳密にいえば、イ・ソンヒの2004年の「20周年コンサート」でした。まだアルバムが出る前、イ・ソンヒのコンサートにゲストでプロ舞台に初めて立ちましたよ。そして、本当に特別な事情がない限り・・・ イ・ソンヒがコンサートをすれば、その場所がどこでも、その時間がいつでも、イ・スンギはゲストに出てきます。

20周年(コンサート)の時も同じで、2006年の「因縁」(コンサート)の時も同じであり、今年(2009年コンサート)も同じです。 (さらに、その忙しいスケジュール下で、10分の舞台のために米国(カーネギーホール)にもついて行きましたよ。) イ・スンギが言うには、(イ・ソンヒ)先生のコンサートに自分が出るのは、ゲストに出るのではないといいます。

ただし、2009年の全国ツアーの場合、当時の日程が「華麗なる遺産」のドラマ撮影と重なったため、イ・スンギがゲストとしてたくさん参加できなかったが、ドラマ撮影が終わった後は全て参加したし、いつも話が先生のコンサートには自分が常に出なければならないのに、今年は出られないので惜しいという話でした。

(これは個人的な考えですが・・・イ・スンギが一般的な芸能人と比較すると、まだ軍隊に行く時期がしばらくあったけれど、すでに軍隊の話をしていて具体的に三十になる前に転役(予備役)する。と、話すのが・・・イ・ソンヒの30周年コンサートの日程と関連があるでしょう。イ・スンギは、イ・ソンヒの30周年となる2014年に司会でなければなりませんね。今回のコンサートでも、スンギが出てきて、とりわけ27周年(2011年)《一昨年(2009年)のツアーが終わった25周年だから当然だが、27周年になぜ!!! 》を強調しましたよ。)

では、イ・スンギのコンサートにイ・ソンヒはどうするのか・・・

これが事実とはちょっと驚くべきです。前にこのような前例は見たことがないけれど・・・ 前に話したように、イ・ソンヒが「イ・スンギコン(サート)」を企画・演出する総監督じゃないですか? ところで、その総監督が公演のゲストとして(舞台に)立ちます。昨年、イ・スンギのコンサートにイ・ソンヒがゲストで登場するという話があったが、事実私も信じませんでしたね。イ・ソンヒのコンサートに、イ・スンギがゲストで立つのは、いくらイ・スンギがトップスターになるとしても当然の道理だが・・・師匠であり、公演総監督であるイ・ソンヒが「イ・スンギコン(サート)」にゲストで出てきて歌を歌うわけがあるか・・・

ところで、その公演の少し前にあった、イ・スンギのサムスン広告ファンミーティング行事に、イ・ソンヒが登場したんですよ。嘘だと思ったが本物でしたよ。本当に何でもない(いくらサムスンでも)ただでさえ単純な広告行事に、イ・ソンヒがゲストで出てきて歌を歌いました。あのイ・ソンヒがね!!!

ああしたところまで出るほどなら、まさか総監督でもコンサートに出るという話が流言であるはずがないね・・・と思ったが、なるほど出てくるだけです。

そしてドラマ・・・「僕のガールフレンドは九尾狐」は、イ・ソンヒが直接音楽監督として作品に参加したので、あえて話す必要がなくて・・・

興味深いことは、「華麗なる遺産」撮影の当時、そこのスタッフたちと出演者が、イ・ソンヒとたびたび会ったということです。当時、イ・ソンヒは25周年全国ツアー準備で真っ最中、忙しかったがそれでも時間があるときは、おやつを包んで撮影現場を訪れたと言いますね。一番おもしろい話は、イ・ソンヒがイ・スンギの小遣いを渡したとの話なのに・・・何か実現したかは分かりません。この時はもうお金はイ・スンギがもっと多く稼げる時なのに・・・

最後に、芸能を話そうとするなら・・・ 本来、イ・ソンヒは芸能にそんなにしばしば出演する人物ではありません。本人自らそんなことを間違っているという事実をよく知っていて・・・実際、本当にできないので(本当におもしろい話も、本当にヒヤリとする途方もない才能を持つ方でしょう、この旦那が。) 芸能は交渉が進んでも上手く行かないのに・・・

イ・ソンヒが熱心に芸能(番組など)に出演した時がぴったり1回あります。2004~2005年までの期間に、その他の活動期間全体に出たほど多く芸能に出演しましたね。そして、そのそばには常に新人のイ・スンギがいました。

帰国後、「膝打ち導師」に出演したことも多分・・・当時、イ・スンギとMBCがとげとげしい関係にならねばならなかった状況が大きく作用したと思います。そして、そのイ・ソンヒの側では「1泊2日」に出演した以後、イ・スンギが満2年ぶりに初めてMBC画面に登場する側でした。

そのまま・・・次の、彼に関連した話があって、イ・ソンヒの長い間のファンで・・・また、イ・スンギをデビュー前から見て、今はその熱烈なファンになってしまった立場で二人の関係に対してあれこれ知ることを話してみました。

イ・ソンヒが放送でも、「スンギのためにならば、見えることでも見えないことでも何でも全部話すことができる。」と話して・・・イ・スンギが毎度「一生の恩人、最も尊敬する師匠」と話すけれど・・・この二人の関係は本当に見れば見るほど・・・分かれば分かるほど美しくてほほえましい関係です。
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2013年1月30日水曜日

歌姫

若いときは何もかも待ち遠しくて、頬をそよぐように時間が後ろに流れていった。しかし今は、時間に背を押されて、足をもつれさせながら歩いているよ。夢の中の自分が、さらに蝶になる夢を見ることもないし、緊張にぷつりと切れて癒しを求めることもない。そんな危なっかしい若者の特権が懐かしいですね。

中島みゆきの「歌姫」はむしろ、働き盛りの海外へ単身赴任中の男たちに聞かせる歌かも知れませんがYoutubeで聴いてみよう。

(本ブログ関連:"中島みゆき")



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2013年1月29日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 李世焕

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/23)に、人物シリーズ64回目として弦楽器コムンゴ*(玄琴거문고)の演奏者、李世焕(イ・セファン、이세환、1952年6月4日~)を紹介した。

(*)コムンゴは(日本の琴に似た)伽耶琴と同サイズだが、「伽耶琴の弦が12本で、直接、指で演奏するのに対し、コムンゴの弦は6本。それにスルテと呼ばれる、細くて短いばちを使って演奏するため、伽耶琴よりも荒々しい音を出す」。

(本ブログ関連:"コムンゴ")

まず、コムンゴ演奏の復活の解説から始まった。
・コムンゴ演奏の紹介曲「チュルガン(出鋼、출강)」は、力強くて何処か叙情的な音色があるが、チュルガンに、製錬所で純粋な金属を取り出す作業の意がある。1964年、北側の曲が始まりで、1995年に韓国に初めて伝えられた。当時、韓国国楽人たちは、北側でコムンゴ演奏はなくなったと考えられていたため、コムンゴの創作音楽は大きな話題となった。

李世焕と琴律楽会による「チュルガン(출강)を聴く。描写的な要素が強いのだろう・・・大味な感じがする。

・北側では1965年、伝統楽器の改良政策が進められたが、コムンゴは改良が難しく除外された。当時の韓国でもコムンゴの音色は国楽の現代化の波から取り残されつつあった。李世焕が「チュルガン」を発表したことで、仰々しい楽器というイメージをコムンゴから払拭し、躍動的で叙情的な音楽も演奏できるという認識を与えることになる。

▼李世焕他による「霊山会相(ヨンサンフェサン、영산회상)」中の「下絃還入(ハヒョンドドゥリ、하현도드리)」を聴く。風流なんでしょうか・・・でも少し賑やかな。

次のように李世焕プロフィールが紹介された。
・1960年代 国楽士養成所に入学。コムンゴ正音楽を学ぶ。
・その後、国立国楽院の正楽団で、コムンゴ演奏者として活動。アジェンとチョルヒョングムの演奏にも長けた。さらに、宮中音楽やソンビたちの音楽である正楽だけでなく、サンジョやシナウィ、舞踊音楽など、民俗音楽にも才能を発揮した。国楽家中で、正楽と民俗音楽の両分野に渡り活動する演奏家は稀。
・1980年代 李世焕を後援するする日本コムンゴ会が結成される。

▼李世焕他による申快童流(シン・クェドン流、신쾌동류)の「玄琴散調(サンジョ、산조)」を聴く。・・・ゆるりと聞き入る。

2013年1月28日月曜日

イ・ソンヒのOST「去らないで」

昨晩の冷え込みのせいで早朝小雪になったけれど、起きて外を見れば降り止んでいて、家の前の路に積もることなく、軒下に雪解け水がポトポトと垂れていた。
昼の日向には、雪降りのおもかげはなくなったが、ただただ寒かった。

今回の大統領選の結果を予見するような女性大統領の登場をドラマにした、SBSの「大物(대물)」(初回2010年10月6日)でイ・ソンヒが歌う「去らないで(떠나지 마)」を聴いてみよう。作曲家のイメージを尊重して、「(事前に)1、2度聞くだけにしました。あまり聞くと、その歌が私の考えで変わってしまうからです。録音スタジオでは、作曲家の要求をうけて4回程度歌いました。」(イ・ソンヒとのロングインタビュー)という。

(本ブログ関連;"去らないで")



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2013年1月27日日曜日

節電タップ

待機電力の無駄を省くなら、元から絶てばよいということで・・・スイッチ(ランプ)付きの6個口の延長タップを買ってきた・・・というのも以前から、同じ製品に、手元に置いたパソコン、プリンター、シュレッダーなどのプラグやA/Cアダプターを差し込んで利用しているからだ。

ところが少々困ったことに気付いた。以前から利用の延長タップにつないだA/Cアダプターは、細身にできていて、並べて差し込めるのだが、今回の延長タップに取り付けようとしたA/Cアダプターが、旧来サイズなのか大きくて、並べて差し込むことができないのだ・・・あれれ!。

結局、ラジオサーバーや小型スピーカーなどの大きめのA/Cアダプターは、別途延長タップにつぎ足した普通の延長タップに差し込んだ。エコやエコノミーを考えてしたことだが、意味があったのかよく分からんままだ。

結論。A/Cアダプターよ、もっと小さくなれ。

2013年1月26日土曜日

イ・ソンヒの「神がまた許すなら」 ふたたび

結晶の中を走る光が、内側から結晶面に反射してきらめく様に似て、イ・ソンヒの声はますます純化する。なんという透明感だろう。彼女の独特な声質がこの曲「神がまた許すなら(신이 다시 허락한다면)」 (作詞・作曲チョン・ヨンア)を一層引き立たせる。

魔法でとくことのできない心を、元に取り戻したいと神に願う・・・この曲については、以前触れたことがあるが、美しい響きをふたたびYoutubeで聴いてみたい。

(本ブログ関連:"イ・ソンヒの「神がまた許すなら」")


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2013年1月25日金曜日

今宵の月は

今日は思いのほか風が強い。遠目に常緑樹の木立が微動すらしないように見えても、その足元の枯れススキは大きく揺れている。おまけに昼間(13℃)に比べると、夕方になって気温が急に下がった。体感はもっと厳しい。

日没後の東の空に、千切れ雲を肘置きのようにして、煌々と月が輝いていた。青緑に色づいた天空を背景に、その白い姿を一層引き立たせていた。今まで見たことのない光景だ。

天気予報によれば、最低気温は0℃を切るかも・・・とのこと。

(資料)韓国50代アジュンマ

「アジュンマ(아줌마)」について数々いわれるが、中央日報の【噴水台】は、タイトル「韓国のアジュンマ、女性でも男性でもない…」(1/23)で、(結構どぎつい表現で)とんでもないような、そうでもあるような解説をしている。 (抜粋)
ところで同記事はアジュンマを、今回の大統領選挙で底力を発揮した50代世代に属しているとしているが・・・。
まずは、公理「この世にアジュンマの子どもでない人はいない!」を前提に読んでみよう。

(本ブログ関連:"アジュンマ")

・化粧をしても年齢はごまかすことはできない。目尻のしわが過ぎた歳月を物語る。大型スーパーのレジで一つひとつバーコードを通す50代の主婦社員。売り場のあちこちで熱心に販促をする50代の「アジュンマ(おばさん)」社員。商品を並べ、清掃し、フードコートで調理する50代のオモニ(母さん)社員。韓国の大型スーパーは50代のおばさんが流す汗で成り立っている。

・グーグルに「ajumma」を入力して検索すれば、約55万6000件のコンテンツが表示される。世界のネットユーザーが使用する「都市辞典(Urban Dictionary)」は「アジュンマは韓国の中年女性を意味する言葉としてよく知られているが、実際、韓国に暮らす人々にとってアジュンマは男性でも女性でもない“第3の性”と認識されている」と紹介している。韓国に暮らす外国人のインターネットサイト「カルビチム(galbijim)」には、「我が強く、荒く、赤紫色のズボンを履き、パーマ頭をし、地下鉄で鋭いひじ鉄砲を使う、ある程度の年を取った女性がアジュンマの典型的なイメージ」と説明されている。

・50代の女性の雇用率(人口に対する就業者数)が初めて20代の雇用率を上回ったという。統計庁が発表した「2012年雇用動向」によると、昨年、50代女性の雇用率は58.13%で、20代の雇用率(58.08%)を超えた。ベビーブーマー世代(朝鮮戦争直後に誕生した世代)の夫が職場から押し出され、子どもも就職難で仕事を見つけられない中、生計のために就職戦線に飛び込んだ50代のおばさんがそれだけ増えたということだ。足がむくみ、肩が痛くても家族のために熾烈に生きるこの地の50代のおばさんたち。彼女たちの献身のおかげで、私たちの家庭と社会が何とか成り立っているのではないだろうか。

(付記)
アジュンマは姿を変え、日本では、その心情を通底する"おばさん"と呼ばれる。列に並んで電車に乗るとき、エスカレーターで上がるとき、後ろからバッグ?でグイグイ押すようになったら、"おばさん"に脱皮した証だろう。
ところで、イ・ソンヒのデビュー30周年記念行事への取り組みがファンクラブで進行されているが、そのとき(正確には再来年元旦に)彼女は満年齢で50代になるわけで、アジュンマの仲間入りすることになるのだろうか・・・そんなぁ。

2013年1月24日木曜日

イ・ソンヒの主題歌「青い教室」

イ・ソンヒが主題歌や挿入歌を歌うものとして、思いつくまま列記すると、TVアニメについては、「走れハニー」、「母をたずねて三万里」、「小公女セーラ」などがある。またTVドラマは、最近の「僕のガールフレンドは九尾狐」や「(レディプレジデント)大物」の他にも、「おそれない愛(두려움 없는 사랑)」(未確認)や「ギブス家族」がある。映画には「家門シリーズ」、「炎のように蝶のように」がある。なお代表曲「因縁」は、未見であるが映画「王の男」の中では使われてないとのこと。等々。

ところで、MBC青少年ドラマ「青い教室(푸른 교실)」(1987~88年)の主題歌をイ・ソンヒが歌うオープニング映像がYoutubeに登録されているので聴いてみよう。若さ溢れて、息切れせんばかりに歌っているのが可愛い。

ああ、そういえば1972年から始まったNHKテレビの「中学生日記」は、去年の2012年3月16日に終了したんだな・・・こんなに続いていたことも、終わったことも知らなかったが。センセーショナルなテーマだけを扱わず、地味ながらじっくりと取り組んでいたような気がする。



(Youtubeに登録のsunnyfan100に感謝)

2013年1月23日水曜日

(資料)インフルエンザ2013

今冬、「ノロウィルスが2006年に次ぐ勢いで蔓延しているという」ということで、気を付けていたが・・・といって、マスク未着用のまま何とかやり過ごしていたところに、今度はインフルエンザの流行という。産経ニュースの記事「インフルエンザ急増、12月の10倍 ノロ患者は減少」(1/22 によれば、インフルエンザの流行がこれからピークを迎えると、次のように報じている。(抜粋)

インフルエンザは昨年12月中旬と比べ、10倍以上に急増し、流行が本格化する一方、昨年末に猛威をふるったノロウイルスなど感染性胃腸炎の1医療機関当たりの患者数が減少している。インフルエンザは例年1~2月ごろ流行のピークを迎えることから、国立感染症研究所(感染研)などが注意を呼びかけている。
・感染研によると、全国約5千の医療機関から報告された今年1月7~13日のインフルエンザの患者数は、1医療機関当たり12.07人。全国的な流行開始の指標である1.00人を今シーズン初めて上回った昨年12月中旬から約10倍に増えた
・感染研感染症情報センターの安井良則・主任研究官によると、予防のポイントは、マスク着用手洗いのほか
 (1) 室内では適度な温度・湿度を保つ
 (2) 栄養バランスのとれた食事と睡眠
 (3) 人混みや繁華街への外出を控える-など。


(追記)
厚生労働省プレスリリース「インフルエンザの発生状況について」(1/18、抜粋)、

・定点医療機関からの報告をもとに、定点以外を含む全国の医療機関をこの1 週間に受診した患者数を推計すると約80 万人となり、(10%以上の年齢層は)
    0~4 歳: 約8 万人(10.0%)
    5~9 歳: 約8 万人(10.0%)
    20 代: 約12 万人(15.0%)
    30 代: 約12 万人(15.0%)、
    40 代: 約11 万人(13.8%)、
であり、20 代以上の成人層が65.0%と多くを占めている
・2012 年第36 週以降これまでの国内のインフルエンザウイルスの検出状況をみると、AH3 亜型(A 香港型)の割合が最も多く検出されている。

2013年1月22日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 孫範柱

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/16)に、人物シリーズ63回目として日本のとよく似た楽器センファン(笙簧、생황)の演奏者、孫範柱(ソン・ボムジュ、손범주、1962年7月6日~)を紹介した。

まず、センファンの復習と解説から始まった。
・センファンは、丸い共鳴箱に17本の長さの違う竹の管を挿した独特な形をしている。
① 共鳴箱は、瓢箪の実を乾かして使ったが、自然素材のため割れやすく、音程の維持が難しいため、最近は丈夫な木や金属で作られている。② 共鳴箱に挿した竹の管は、音程を出すために長さが異なり、見た目には山に木々が突き出たような形をしている。③ 共鳴箱の中央にやかんの口のような吹き口があり、息を吹き入れたり、吸ったりして音を出す。伝統楽器中で唯一、複数音を同時に出す和音楽器である。

▼孫範柱のセンファン他(短箫)による「水龍吟(수룡음)」の演奏を聴く。随分と透明感溢れ、音色が新しい。

・センファンは、中国から伝来の楽器である。
三国時代(新羅、高句麗、百済)から存在していたようで、江原道平昌郡の上院寺(상원사)にある、新羅聖德王時代(725年)に作られた銅鐘の表面に、雲上でセンファンを吹く飛天像が描かれている。
(文献的に、楽器の形と名前の意味は「世宗実録」に記載。編纂1452年~1454年)

・わずかに伝承されたセンファンを、元々(日本の篳篥[ヒチリキ]に似た)ピリ(觱篥、피리)の演奏家だった孫範柱が復興させるために、1990年代初め頃から中国を訪れて演奏方法、楽器を作り方について学び、作曲や演奏をした

▼孫範柱のセンファン他(シタール、コントラバス)による「飛天像(비천상)」の演奏を聴く。インド音楽風そのもので・・・これって、フュージョンというのかなあ。

次のように孫範柱のプロフィールが紹介された。
・国立国楽高等学校でピリを専攻し、その後、KBS国楽管弦楽団、国立国楽院・正楽演奏団を歴任。韓国センファン研究会を結成。最近は、創作活動する若い演奏家たちにもセンファンが広がっている。

▼孫範柱のセンファン他(鐵玄琴、短箫)による「細靈山(セリョンサン、세령산)」の演奏を聴く。結局、新しい皮袋に入れたなら発酵までに時間がかかるだろう。

2013年1月21日月曜日

イ・ソンヒとイ・スンギの「Jへ」

イ・ソンヒとイ・スンギによる、第15回「High1 ソウル歌謡大賞」(2004年)の舞台でデュエットを披露する映像がYoutubeに登録されていたが、いつの間にかなくなった。ところが昨年の今頃、その映像がより鮮明になって登録されていたのだ。

前半は、イ・スンギのデビューアルバム中のヒット曲「僕の彼女だから(내 여자라니까 )」であり、後半はイ・ソンヒのデビュー曲「Jへ」である。この映像が何より好ましいのは、イ・スンギを発掘して育成した、彼の母親と同じ歳という、イ・ソンヒの暖かい眼差しだだろう・・・さあ、聴いてみよう。

(本ブログ関連:"イ・スンギ")



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2013年1月20日日曜日

大寒2013

「大寒」の今日、朝から冷えて、家に一日籠もりっぱなしだった。

このところ、最高気温は10℃を切っているし、最低気温は0℃前後まで下がり本当に寒く厳しい。おかげで、先週1/14日の大雪が、いまだに道路の隅にしがみ付くように残っている。ひかげ道にいたっては、雪が溶けずに凍ってしまい、歩くのに注意が必要だ。

weathernewsの立川地区の天気予報によれば、「長い飛行機雲が見られると、天気下り坂のサイン」とのこと・・・そういえば昨日、青空に一直線に伸びた見事な飛行機雲を見た。

後2週間も待てば、暦の上で「立春」になる。その日それを聴いた途端、冬に強張った体と気持ちが緩んでいくに違いない。二十四節気の言葉は不思議な力を持っている。

(本ブログ関連:"大寒")

2013年1月19日土曜日

例によって鉱物仲間に誘われて、ファミリーレストランに昼食に出かけたのだが、事前に服を着替えたときに財布も移すのを何と忘れてしまったのだ。結果、昼食をお世話になっただけでなく、ミニ・ライトペンまでいただいてしまった。
このミニ・ライトペンが凄いのは、レーザーポインター+ブラックライト(蛍光鉱物の反応確認)+LEDランプの3つの光源を装着しているからだ。

ライトペンをいただいた主旨は、蛍光鉱物(蛍石や燐灰ウラン 鉱*など)の蛍光反応を確認するツールとしてだ。蛍光鉱物の標本を奥にしまっているので、まずはポインターのレーザー光線を鏡2台に連続反射させて、光の直進と光力の衰えないのを楽しんでみたよ・・・ありがとうございました。

(*)NHK-BSで、25:00にドキュメンタリー「イエローケーキ」が再放送された。

ところで、夕方、教室の帰り道に鍵屋を見つけ、手持ち鍵の複製を作ってもらった。不思議なことに、人生長く続けていると、いつの間にか鍵がひとつ、ひとつ消えていくのだ。大事なものを守るべきものがいつの間にか少しづつ消失するなんて・・・。

まあ、そんなわけで中島みゆきの「Clavis - 鍵」をYoutubeで聴いてみよう。



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2013年1月18日金曜日

ジャミラ

勧善懲悪に見慣れたテレビ番組「ウルトラマン」の、第23話「故郷は地球」(1966年12月18日)に登場した「ジャミラ」*は驚愕だった。その回は、いつもながらの宇宙怪獣の地球襲撃と、それに対するウルトラマンの反撃という分かりやすい図式が崩れ、子ども番組ながら正義って何だろう?と考えさせるものだった。

(*)ジャミラの名は、Wikipediaによれば「アルジェリアの独立運動家ジャミラ・ブーパシャから頂いたもの」という。そういえば、新宿ミラノ座で「『アルジェの戦い』(原題:La battaglia di Algeri、1966年9月8日イタリアで公開[日本公開1967年2月25日])」を見た記憶がある。

宇宙に放置、見捨てられた宇宙飛行士が、恨みを積もらせて怪獣に変身し、地球を破壊しに戻ってくるのだ。ウルトラマンと戦いの結果、ついに弱点の水に溶かされ縮んでいく。断末魔の叫び声はやがて、赤子のように弱々しい泣き声に変わる。恨みも悲しみも全てを受け入れる母なる大地に吸収されていくのだろうけれど・・・。

けれど、ジャミラが一体何者であったのかという事実について、巨大な力は闇に葬ってしまう。これって子ども番組の展開なのかと感心したものだ。

それ以前にも、子ども向けのオーストラリア開拓時代を扱ったテレビドラマで、人間の矛盾を感じさせるものを見た。「フィップラッシュ」(1962年)に登場する犯罪者が、実は元牧師だったのだ。
世界は、正義と悪に二分されるだけではないってことを教えてくれる。正義と悪は、容易に入れ替ってしまうのだから。

2013年1月17日木曜日

残雪の新大久保

昼過ぎ、路肩に雪が少々残っている新大久保のコリアタウンに寄った。平日、木曜日の昼下がり、さすがに大雪の後でもあり、賑わいに欠けるように見えた。

暖かい時期と比べて街なかにおばさん(アジュンマ)たちの姿は多くなかったのだ・・・と思ったら、最近乱立ぎみのタレント商品ショップの暖かい店内に人だかりしていた。元気のよいアジュンマも、寒さには弱いようで表に出てこない。

今回は、実は親類から教えてもらった高田馬場にある郷土料理店に行ったついでだ。この店で、簡単なビジネスランチをと思って頼んだ、[うどん+天丼セット]が、それぞれ一人分はあろうかという満腹を通り越す分量だった。そんな状態で、隣り街の新大久保に来たものだから、体ユラユラ、汗タラタラ、街を一巡りするのに疲れ果てた。

CD・書籍の店に寄ってみたものの、とりわけめぼしいものはなかった。町の雰囲気は、おじさんたちを排除しているように思える・・・とっくに時代は変わったようだ。

2013年1月16日水曜日

雪道に心配して

一昨日の大雪で、家の前を南北に通る路に跡付けられた車の轍を除いて、雪のかたまりがまだ残っている。何しろ玄関横に置いたままの自転車のサドルに、雪が山盛りになっているのだから・・・放っていたのも何なので、取り除いたけれど。
そんなわけで、外出しようと考えても、テレビで繰り返し放送されるスッテンコロリンの転倒場面を思い出して躊躇する・・・遠出はなおさらだ。

数年前、みぞれが降る歩道で滑って、駐車中の自動車のバンパーそばにころげたことがある。もう少し近ければ、頭を強打したかもしれない。そのくせ石採りのためならば、雪道で限りなく危険な場所でも突き進むのだが。

NHKのNewsWebの記事「雪の被害 2人死亡1569人けが」(1/15、18時30分)によれば、今回の大雪被害状況は次のようだ。
・雪による被害が相次いだ関東甲信越の状況について、NHKがまとめたところ、これまでに2人が死亡、1569人(内:東京都242人)がけがをしています。
・車のスリップ事故など雪による車両の事故も、少なくとも5524件に上っています。

本日の体操教室がある公園までちょっと距離があり、途中、凍り道でよろけたら心配だ・・・それに寒いし、ということで、休むことにした。スダレを上げて遠くに雪山を見るわけでもないが、一日無理しないでいよう・・・でも、ずる休みは心に引っかかる。

2013年1月15日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 曹永淑

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/9)に、人物シリーズ62回目として、「女性国劇(여성국극)」*を後世に残すため尽力している曹永淑(チョ・ヨンスク、조영숙、1934年~)を紹介した。

(*)女性国劇:「春香伝」がYoutubeに登録されている。(登録者の"文化芸術の殿堂ルル"に感謝)

はじめに、女性国劇の復習と変遷について次のように始まった。
・以前、金素姫(キム・ソヒ)、朴貴姫(パク・グィヒ)名人などを紹介した際に女性国劇について触れた。
・1948年、女性パンソリ名人の金素姫、朴貴姫、林春鶯(イム・チュンエン、임춘앵)たちにより、伝統音楽を基本にした、音楽劇の一種である女性国劇が結成された。
・1949年、「お日様お月様(해님달님)」といった題名の公演を成功裏に収めた。
・1960年代初めまで、全国で爆発的な人気を博し、子供たちの憧れの的でもあった。団員は全て女性で、宝塚歌劇のように、男役も女性が男装して務めた。伝統的なパンソリでなく、説話や歴史的物語を題材にして、新しく物語を作り、それを演劇と音楽で構成した点が特徴。
・1960年代には、テレビの普及とともに、その姿を消すこととなった。

曹永淑と弟子による、女性国劇「善花王女(ソヌァコンジュ、선화공주)」中から、「薯童(ソドン、서동)と善花王女が初めて出会う題目」 を聴く。見てないけれどテレビドラマのことかな・・・賑やかだな。

次のように曹永淑プロフィールが紹介された。
・1934年、咸鏡南道元山に生まれる。音楽一家で、パンソリ名唱の父は各地で働くことが多かった。
・当時、女性としては珍しく師範学校まで通ったが、朝鮮戦争勃発のため学業を断念し、林春鶯率いる国劇団体に入る。
・女性国劇が人気を得たのは短期間だったが、国楽界に与えた影響は少なくなく、伝統的パンソリにはなかった演劇形式を確立し、より効果的な音楽と音響のため、楽器の改良も積極的に行われた。

曹永淑と弟子による、「椿花打令(동백꽃 타령)」を聴く。幸せの不安と期待を包む赤い花、椿花節・・・椿娘・・・イ・ミジャ・・・ソン・ソヒ、あれれ。

・重要無形文化財第79号「パルタル(발탈)」の芸能保有者でもある。パルタルとは、演者の足の平に小さなお面をつけ、天幕の外にそのお面のついた足だけを出して歌に合わせて演技をする、ちょっとコミックな変わった演劇だが、現在この分野の後継者はほとんどいない。
曹永淑は、こうした忘れ去られた伝統芸能をただ一人、その音楽を伝えるため力を尽くしている。

曹永淑と弟子による、女性国劇「阿房温達(パボオンダル、바보온달)」中から、「温達と平岡王女(ピョンガンコンジュ、평강공주)の山中生活の題目」を聴く。・・・いい話なんだろうな。

2013年1月14日月曜日

まさかの大雪だ

「成人の日」の今日、天気予報の解説によれば、「爆弾低気圧」*のため当地も大雪だ。雪は、その微細な結晶のため吸音効果があって、休日の昼過ぎ、辺りは不思議なほどに静かである。外を覗くと、思った以上の降雪で、玄関のポストや鉄扉の上にこんもりと積もっているのが分かる。

(*)Wikipediaによれば、「爆弾低気圧("bomb" cyclone)とは、急速に発達し、熱帯低気圧(台風)並みの暴風雨をもたらす温帯低気圧を指す俗語」とのこと。

ようやく子どもたちの出番になったのか、通りから遊び声が聞こえてきた。雪の中を走ったり、雪投げしたり、雪だるまを作ったりすることだろう。「キャー」とか「ワーイ」と、楽しげな叫び声が始まった・・・そうでなくちゃね。

イ・ソンヒが、アダモ(Salvatore Adamo)の「雪が降る(Tombe la neige)」(1963年)をカバーして、同名曲「雪が降る(눈이 내리네)」(1988年)を歌っているので、Youtubeで聴いてみよう。

(本ブログ関連:"雪が降る")



(Youtubeに登録のsonga5に感謝)

2013年1月13日日曜日

公園の賑わい

厳しい寒さが続くが、昼間の暖かい陽射しに誘われて、日曜日の「小金井公園」に思いのほか多数の家族連れで賑わっていた。「成人の日」(15日火曜日)の祝日を、月曜日(14日)に前倒しすることで、土~月の3連休になったこともあるのだろう。

「子ども広場」や「わんぱく広場」は、走りまわる子どもと、それを見守る親たちで溢れていた。驚いたことに園内にある「江戸東京たてもの園」から、この3連休に小学生以下が入園無料となっていることもあり、一層にぎやかな声が聞こえてきた。
とはいえ、たてもの園前の広場に並んだベンチで日向ぼっこするには少々寒い。まだまだ冬の入り口だ。

ところで、公園からJR武蔵小金井駅に進む小金井街道の街路樹の枝に、ネコヤナギの花穂に似た小さな膨らみがいくつも付いていたが、何という木なのだろうか。・・・どうやら(市長のブログによれば)、「コブシ・ワダズ・メモリー」というモクレン科の木らしい。

2013年1月12日土曜日

イ・ソンヒの「冬哀傷」

冬の青い月明かりに照らされた後姿は、ピンと張りつめた影を引きずる。夜の冷気は、熱い想いを凍らせて、再び触ることのできない、繊細なガラス細工のように結晶と化してしまう。そんな少女の心を、イ・ソンヒの「冬哀傷(겨울애상)」(アルバム5集、1989年)は歌う。

おじさんはこの冬、ただ冷え冷えしているだけだが、この歌の美しさに魅かれ、Youtubeで何度も聴いてしまう。

(本ブログ関連:"冬哀傷")



(Youtubeに登録のKnightmareSMに感謝)

2013年1月11日金曜日

冬の夜

夜、家が凍えるようだ。芯から冷える気配がして、洗面所に行けば、昼間に暖気を取り入れようと開けた窓がそのままになっていた、どおりで寒いわけだ。

今、部屋のストーブでコーヒーを沸かしている。湯気が立ち、香りが部屋に漂えば、暖かさも増すというもの。

子どもの頃、三世代が暮らしていた社宅は棟がつながっていて、隣家に若夫婦が住んでいた。何かのきっかけで、お隣りに上がらせてもらったことがある。そのとき、えもいわれぬ心地よい香りがした。コーヒー豆を挽いたばかりだったのだろうか。当時、しばらく縁のなかった舶来の香りだったのだ。幼稚園前の子どもながらに、新婚家庭って、こんないい匂いがするもかと感心したものだ。

今夜は、Youtubeの「冬の夜」(明治45年3月:尋常小学唱歌)を聴いて、暖かい光りと会話を懐かしんでみよう。

(Youtubeに登録のKAZEKOZOU69に感謝)

2013年1月10日木曜日

鉄道・絶景の旅

吉祥寺の家電量販店に行き、語学練習用のCDプレーヤーを探す。ついでに、テレビ売り場に寄って見ると、今わたしの目の前にデンと座っているやたら図体が大きく見える32型の液晶テレビが、店頭では小さく見えたのだから驚き。えっ、こんなに小さかったっけ・・・と思い、帰宅してもう一度見直せばやっぱりでっかいのだ。

さて今晩見た、BS朝日の番組「鉄道・絶景の旅」は、「新春!富士山をめぐる旅」(#77)で、富士山を背景に巡るローカル鉄道の旅だ。ここ地元から臨む富士の雄姿はもちろんだが、番組に登場するその姿は近場にあって迫力十分である。やはり、富士山は、そばに寄ってこそ真の絶景を拝めるだろう。

番組のナレーターである峠恵子は歌手でもあり、番組のオープニング/エンディングのテーマ曲や挿入歌を歌っている。お名前が、起伏に富んだ日本の山並みを越える鉄道にぴったりなのもうれしくなる。
鉄道は、旅の象徴であり、人の心を異空間に誘う。そんな気分にさせてくれているところに、彼女の声は不思議に溶け込んでくる。Youtubeに登録された、彼女が歌う「主人公」(作詩/作曲 さだまさし)を聴いてみよう。彼女のソフトな声質は、さだまさしの緩やかに流れるような歌詞と旋律にうまく織り合って、なかなかいい雰囲気だ。

そうそう、番組中に紹介された、<あかり亭>の「肉天うどん」(500円)が目に残った。「歯ごたえのある手打ちうどんと大きな天ぷらが絶品」とのこと。食ってみたい。まさにB級料理の真骨頂である、どんぶりを覆わんばかりの天ぷらを・・・ああ、あの迫力に負けてしまったよ。

2013年1月9日水曜日

全国のど自慢

プロ歌手を目指すオーディション番組だけでなく、一般参加によるのど自慢番組にも素晴らしい歌唱力の持ち主が現れることがある。東亜日報の記事「[映像] 全国のど自慢、イ・ソンヒ憑依のレジェンド誕生」(1/7)は、フィリピン出身の主婦がKBS「全国のど自慢」の番組で、イ・ソンヒの「美しい江山(아름다운 강산)」を驚異的なパワーで歌い上げたと、次のように記している。(抜粋)

・一般人を対象にした歌のコンテスト番組「全国のど自慢」で、また1人のレジェンドが誕生した。

・6日放送された「全国のど自慢」の巨済(コジェ)市編に出演した、フィリピン出身の主婦フロレンティーナ(29)さんがその主人公。一ヵ月前、第二子を出産して舞台に上がると、はにかむように挨拶を終えた彼女は、イ・ソンヒの「美しい江山」の伴奏が流れ出るとすぐに、180度変身した。序盤部を落ち着いて歌い注目を引き始めると、ハイライトの部分で訴求力の深くて高音域の歌唱力を爆発させた。あたかも、イ・ソンヒが憑依したような声で観客を圧倒させた。結局、彼女は最優秀賞の栄誉に授かり、100万ウォンの賞金を獲得した。


ところで、Youtubeに、当日の様子が登録されているので見てみよう。もしかしたら、今まで聞いてきたイ・ソンヒ以外の歌い手の中で一番パワフルかもしれない。それに、会場の楽しみ方もいいな。かように庶民性を引き出すこの番組はただものではない。

(Youtubeに登録のTheAwesomePickに感謝)

Mnetのオーディション番組「Superstar K3」にも、9ヶ月のプレママの若いお母さんが登場したことがある。将来のアジュンマたちに栄誉あれといいたい。

(本ブログ関連:"ミス・ハヴィシャム")

2013年1月8日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 金静子

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/2)に、人物シリーズ61回目として、弦楽器カヤグム(伽耶琴가야금)の第一人者、金静子(キム・チョンジャ、김정자、1942年4月16日~)を紹介した。新年最初の放送である。

まず、カヤグムにまつわる逸話の紹介から始まった。
・カヤグムの故郷、伽耶が滅亡した際、同国の楽師ウルグ(于勒、우륵)はカヤグムを抱えて新羅に亡命し、新羅の若い音楽家たちにカヤグム音楽を伝承した。ある日、ウルグは、弟子たちが思いを込めて編曲したものを聞き、初め腹を立てたが、聴き終えて「楽しげだが無節制ではなく、悲しみもあるが悲痛ではない。正しい音楽だと言えるだろう。お前たちはこの音楽を王様の前で演奏するがいい」といった。

▼金静子の演奏による「霊山会相(ヨンサンフェサン、영산회상)」の中から「相霊山/上霊山(サンリョンサン(상령산)」を聴く。弦の音と音の空隙に不思議な余韻があって、それ自体ひとつの響きのよう。まさに東洋的な余白の美といえる。

・カヤグムは、朝鮮時代後期から多様な形に改良され、現代ではいくつもの種類がある。正しい音楽と書く「チョンアク(正楽、정악」)は、身分の高いソンビたちの風流として伽耶時代から伝えられて、今でも当時のメロディーを維持しながら演奏され、そこに昔の人々の音楽に対する思想もしっかりと込められている。

次のように金静子の進んだ道が紹介された。
・1942年 生まれる。
・1960年 ソウル大学に入学して初めてカヤグムを始める。当時、まだ近代化の波の真っ只中にあり、伝統文化は古びたもの、切り捨てなくてはならないものと見なされていた。
国楽科を設立して、国楽を後世に残すため努力した師匠イ・ヘグの姿に心を打たれ、カヤグムに対する関心と愛情をわかせた。

▼金静子の演奏による「男唱歌曲(남창가곡)」の中から「初数大葉(초수대엽)」を聴く。これもまた穏やかで粛然とした音色だ。むしろ余白に音を聴くようなものか・・・。

・大学でカヤグム専攻当時、ソンビたちが雑念を抑えるために演奏したという理想的で冷静な正楽を、生涯をかけて演奏すると心にきめた。
・長年、ソウル大学国楽科で学生たちの指導し、今も演奏活動を行っている。正楽を正しく次の世代に伝えていくため、色々な大学で教授として学生の指導にあたっている。
自身と同じような研究者による「正農楽会(정농악회)」(1977年)を発起した経験もある。正農楽会は人間の心を鎮める正しい音楽で畑を耕そうという意味が込められた名前で、正しい音楽で正しい人々を育てようという趣旨があるという。

▼金静子の演奏による「ウットドゥリ(웃도드리)」を聴く。優雅な調べだ。正楽の成立について知りたい・・・古楽というよりは、間の取り方に新しいものを感じる。

2013年1月7日月曜日

イ・ソンヒの「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」

イ・ソンヒの「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」は、何度聴いても楽しくなる。想いも、言葉も熱いのに、それを重く感じさせないのは、イ・ソンヒが持つ清潔さと微笑みのマジックのせいだろう。そして、映画「家門シリーズ」で歌われるシ-ンもよぎったりして、親しみやすさがますます増す。またこの曲で、新しい年を本格スタートしよう。

彼女のデビュー20周年記念コンサートの映像は秀逸で、まるで会場に居合わせたような感動を覚える。

(本ブログ関連:"私はいつもあなたを")



(Youtubeに登録のpops8090に感謝)

2013年1月6日日曜日

鉱物の集い2013

四谷で開かれた鉱物の集いに出席する。今年もこの会が繁栄することを祝う新年会であるが、恒例の鉱物バザーとオークションは参加者の最大関心事といってよいかもしれない。

バザーでは、参加者94名を5つのグループに分け、抽選グループの順にメンバーが別室に置かれた有志提供の鉱物標本を手にするわけだ。抽選の結果、順番は何と最後の5番目だった。あらかじめ目星をつけていたものは全く見当たらなかった。ああ、欲しいものは他のメンバーの手に渡ってしまった・・・とはいえ、次の通り標本を選りすぐった。

・[方鉛鉱・硫酸鉛鉱・緑鉛鉱+黄銅鉱・班銅鉱+水晶](新潟県魚沼市白板鉱山)
・[輝安鉱](埼玉県秩父六助沢)
・[ビンドハイム鉱](埼玉県秩父大黒坑)
・[赤鉄鉱(鏡鉄鉱)](岩手県湯田町和賀仙人鉱山)
・[(転炉スラグ)](栃木県足尾鉱山)

オークションは、有志提供標本中でも良質のものを入札するが、残念ながら2点とも外れてしまった。ああ、各地の水晶標本セットは惜しかったな。

その他、上記イベントと関係なく、次の鉱物提供がされたのでいただいた。
・[菱沸石+灰十字沸石](埼玉県吉見町)、[ブーランジェ鉱](埼玉県秩父大黒坑)

先日(1/4)採集に行った足尾鉱山文象沢の景観を記した「広報あしお」の記事「足尾の産業遺跡(40) 小滝文象沢三坑の検証」(平成17年3月号)のコピーを知人に渡した。今年もみなで採集に行きましょう。

2013年1月5日土曜日

(資料)「山海経」中の九尾狐のこと

イ・ソンヒのヒット曲「狐の嫁入り(여우비)」から、「お天気雨(狐の嫁入り)」のことや「九尾狐」に関心を持って調べてきた。そこで、九尾狐(クミホ:구미호)について、中国最古の地理書といわれる「山海経」(高馬三良訳、平凡社ライブラリー)から次の通り抜き出す。

(本ブログ関連:”狐の嫁入り”、”九尾狐”)

「南山経」
・(青丘之山に)獣がいる。その状は狐の如くで九つの尾、その声は嬰児のよう、よく人を食う。(これを)食ったものは邪気におそわれぬ。

「大荒東経」
・青丘の国あり、九尾の狐がいる。

「東山経」
・鳧麗(ふれい)の山といい。頂上には金・玉多く麓には箴石(はりいし)が多い。その状は狐の如くで九つの尾、九つの首、虎の爪、名は龍[姪]蛭(りょう[てつ]しつ)*。その声は嬰児のよう。これは人を食う。
* 龍: 「龍」の文字の下に「虫」を置く。
※ この獣に、「虎」の体の一部が加わっていることが興味深い。

「海外東経」
・青丘国はその北にあり。その狐は四つの足で九つの尾


なお同書には、狐の姿であるものの九尾でない獣について、次の記述がある。

「東山経」
・獣がいる。その状は狐の如くで魚の翼(ひれ)、名は朱擩(しゅじゅ)*。なくときはわが名よぶ。
・姑逢山といい、草木なく金・玉が多い。獣がいる、その状は狐の如くで翼あり、その声は鴻(はくちょう)、鴈(かり)のよう。その名は撇撇(へいへい)**。これが現れると天下大いに旱(ひでり)する。
* 擩: 偏「 扌」→「犭」に置き換える。
** 撇: 偏「 扌」→「犭」に置き換える。

2013年1月4日金曜日

足尾鉱山 小滝坑文象沢

昨晩、鉱物採集でいつもお世話になっているXa氏から連絡があって、足尾鉱山の小滝坑周辺で採集することが急遽決まった。お楽しみなことだが、始発電車を待つ早朝の駅ホームの寒さに震えた。歳とともに身が凍みる。

Xa氏の車に同乗して、渡良瀬川沿いの国道122号線を北上すると、粉雪が風に舞い始めた。幸い陽射しもあって、降り積もることはなかったが、ガードレール下の名残り雪を見て若干心配になる。

わたらせ渓谷鐵道の原向(はらむかい)駅を過ぎると、銀山平方面に左折する案内板が見える。そこから庚申川に沿って左折して山路を進む。
小滝坑の坑口手前にある「文象橋」から、右岸急斜面にある、残雪であいまいな両足幅の細道を探るようにして登る。途中、Xa氏が用意されたロープを頼りにしたりと、この時期難関な山道だ。ころげ落ちないかヒヤヒヤの連発だった。
やがてゆるりと斜面を下ると、ズリから流れた廃石がごろごろと積もった沢底に着く。いよいよ採集開始だ。

寒い。根雪をかすめる沢風が吹き付けて、とにかく寒い。厚手のジャンパーの上に、雨カッパで身を包んだ。

沢下方向を見ると、堰堤(えんてい)があることに気付く。これら景観について、「広報あしお」の記事「足尾の産業遺跡(40) 小滝文象沢三坑の検証」(平成17年3月号)に詳細に語られている。

採集結果であるが、いただきもの中心に次の通り。

・黄銅鉱、班銅鉱、方鉛鉱、黄鉄鉱、白鉄鉱、蛍石など

帰り道を心配したが、登り道の対岸側で、こちらは道幅もある緩やかな坂道で、安心して下ることができた。

2013年1月3日木曜日

李仙姫の名前から(2)

イ・ソンヒの名「ソンヒ(선희)」と同じ名付けについて、次のような統計がある。(이루미작명SYS)

・「選好度: ソンヒ(선희)は、58番目(0.2%)でしばしば使われ、最も多い姓は金である。」
・「性別感: ソンヒ(선희)は、93.57%が女性の名前だ。」
・「出生情報: ソンヒ(선희)は、1985年度に最も多く出生し、ソウル特別市出生の場合が多かった。」

1984年の「江辺歌謡祭」でデビューした翌年、テレビを通じて賑わした彼女の名「ソンヒ(선희)」が多く名づけられたことに因縁があるように思える。彼女の健全なおもむきと名の持つ印象が、当時の都市部生活者に親和性があったのだろう。

(本ブログ関連:"イ・ソンヒという名前")

さて、話しを彼女の名の一文字「仙」の由来から、神仙伝説へイメージを膨らませてみよう。
最近の彼女のヒット曲に、「因縁(인연)」に代表する東洋的な雰囲気を漂わせる傾向があるが、「狐の嫁入り(여우비)」もそのひとつである。ドラマに登場する九尾狐は「山海経」まで遡るという。

・「紀元前2世紀から紀元3世紀頃にかけて中国で著された地理書『山海経』には実在とは思えぬ動植物の項が並んでいるが、その一書「南山経」で、青丘之山に「有獸焉 其狀如狐而九尾 其音如嬰兒 能食人 食者不蠱」*とあるのが九尾の狐に関する最初の記述であるとされる。」(Wikipedia「九尾狐」)

(*)「獣がいる。その状は狐の如くで九つの尾、その声は嬰児のよう、よく人を食う。(これを)食ったものは邪気におそわれぬ。」(高馬三良訳「山海経」)

(本ブログ関連:"Wikipedia「九尾狐」")

この「山海経」は、桃源郷(「桃花源の詩」)の散文を記した陶淵明もマニアだったらしく、「読山海経十三首」の詩を作っている。なるほど、彼が興味深く眺め見たこの書の挿絵には、九尾狐だけでなく不可思議なさまざまな生き物が登場する。

(本ブログ関連:"陶淵明-3")

イ・ソンヒの名前から、神仙の世界へ話しがとんでしまったが、彼女の東洋回帰に合わせてイメージ遊びさせてもらった。

(本ブログ関連:"李仙姫の名前から(1)")

2013年1月2日水曜日

李仙姫の名前から(1)

イ・ソンヒ(李仙姫)の誕生にまつわる話題に、彼女の名「仙姫」に「仙」の字が織り込まれたことについて、次のように伝えられている。

(本ブログ関連:”李仙姫の名前”)

・「イ・ソンヒは、(陰暦の)1964年11月11日に、(本籍地)忠清南道保寧郡(現在は市)珠山面篁栗里に誕生した。父(イ・ジョンギュ:이종규)、母(チェ・ビョンムン:최병문)の初めての子として誕生した。父母のそれぞれの夢に、男の子が示唆されていた。父の夢にあらわれた、山の神を意味する虎のために、彼女の名前(李仙姫)に神仙の「仙」の字が入ることになった。」(「老木樹のチャン・ウクチョ(장욱조)が生命樹になって」)

(本ブログ関連:"イ・ソンヒの生誕")

最初の子として誕生した彼女だが、男子の誕生が期待されていたことを当然知ったのではないだろうか。デビュー以来、彼女がどことなくボーイッシュなズボン姿を続けた意味がそこにあったかもしれない・・・考え過ぎだろうか。
イ・ソンヒの父親が彼女の誕生前に見た夢に神仙の気配があったこと、一家が仏教と大きく関わっていたことなど合わせて、背景に東洋的世界を視るのもよいかもしれない。

関心の一つは、イ・ソンヒがSBSのロマンチック・コメディ「僕のガールフレンドは九尾狐」で歌ったメインテーマ曲「狐の嫁入り(여우비)」に登場する九尾狐だ。

(Youtubeに登録のps3hlproductionsに感謝)

・「天気の良い清い空で急に雨が降る時、韓国では『여우비-狐の雨』が降ると言います。」、「韓国ではもう一つ、『여우비』以外に『호랑이 장가간다-虎が妻をめとる(虎が結婚する日)』と言う表現もあります。(略) 韓国でも日本でも日照り雨は、動物の結婚と言う面白い言葉で表現するらしいですね。」(韓国文化院のコーナー「韓国語ひとこと」)

伝承「狐の嫁入り(여우비)」には<狐>だけでなく<虎>も象徴も含まれているようで、この歌から彼女への関心が一層大きく広がるのは不思議な気がする。

(本ブログ関連:"狐の嫁入り")

2013年1月1日火曜日

初詣2013

ようやく陽が温もってきた午後、初詣に出かける。地元裏通りの路に面した、見落としそうな小さな神社である。それでも、境内には我が町のひとびとが次々と並んで参拝した。学問の神を祭っているが、今のところ学校世代が身内にいないため家内安全を祈った。
そのあと、道路を挟んで斜(はす)向かいにある稲荷神社にもうかがい、いくつも重なる赤い鳥居をくぐり抜けて祈ってきた。
初詣に祈った神々が、遠く福岡の大宰府と大阪の高槻にあるなんて、考えて見れば不思議な気がする。祈りは今日中にきっと届いていることだろう。

2013年にこんにちは

2013年、正月飾りを見ると、めでたくもあり、めでたくもなしか。でも、このときくらいめでたい気分にひたりたいものだ。人生のスタートはとっくに忘れたが、新年はそれをちょっぴり思い返させてくれる?・・・そんな風でもないけど、心機一転真っすぐ先を見てみよう・・・ああ、若くないから余りよく見えんな。

そんな風なら、イ・ソンヒが実は高校生のときに貰い受けたあのデビュー曲「Jへ(J에게)」(作詞・作曲イ・セゴン、1984年江辺歌謡際大賞)を気付け薬かわりに聴いて、ほとばしる若さを懐かしんでみよう。

(本ブログ関連:"Jへ" ← 表示後、画面右下の”前の投稿”クリックして次々参照します)



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